納涼住吉踊り

納涼住吉踊りが、浅草演芸ホール中席昼の部で行われている。(8月10日~20日)

八代目雷門助六さんの踊りを志ん朝さんが習い、それを公開披露し、時を経て浅草演芸ホールで開催されるようになる。、志ん朝さん亡き後は、四代目三遊亭金馬さんが、今は金原亭駒三さんが座長として頑張られている。

志ん朝さんはこの寄席の住吉踊りが最後の舞台で、その前から痩せられたなと気がかりではあったが、周囲の方々にも知らせることなく病身を隠して舞台を務めあげられた。

亡くなられた翌年の住吉踊りは盛況であったが、出演された芸人さん達はあまりに大きな存在だった志ん朝さんを失い頼りきっていただけに、如何したら良いのかわからない、とにかく務めあげようと金馬さんのとぼけた明るさを頼りに頑張られた。

金馬さんが降板されてからであろうか派手さは無くなったが一人一人が頼らずに先ず踊りを覚えようと基本を目指し始めたように見えた。自分の芸も励みつつの練習は大変であったろうが、適当でも志ん朝さんが居るから大丈夫という雰囲気はなくなった。基本が固まってきたので、あとは楽しく踊っていることがお客に伝われば、もっとこちらも盛り上がって応援にも一層力が入るであろう。

にゃん子・金魚さんは相変わらず元気で楽しい。和助さんは新しい芸域を広げた。花島皆子さんはゆったりしたマジック時間。のいる・こいるさん出てくるだけで空気がざわざわ。川柳さんの笑和音曲噺は、真珠湾攻撃から4ヶ月はメジャーな軍歌でそれ以降2年半はマイナーな軍歌であったと実演。軍歌を聴いて戦争の悲惨さが身に染みた。順子さんはひろしさんを待ちつつ若手噺家を相手に順子・ひろしの漫才の間を披露。ひろしさんの代役は無理ですね。まねき猫さんはゆとりがでてきました。小円歌さんは三味も踊りも益々磨きがかかる。あれ古典落語の話題がない。そして女性が多い。すいません。暑いのと住吉踊りの時は後の楽しみで動きのある方に引っ張られます。

馬風さんから志ん朝さんの最後の弟子朝太さんが9月には真打ちに昇進の話。名前も志ん陽になるようです。雰囲気も陽です。馬風さんの<ここだけの話ですが>によると芸に厳しい落語協会小三治会長がきめたので芸のほうは大丈夫です。私のときは付け届けできめましたからと。

月日の立つのは早いものである。志ん朝さんが病気治療の頃談志さんは「癌でないというから心配なんだよ」。高座を降りて引っ込みの時「志ん朝、早く出て来い!ばかやろう!」

噺家さんの言葉は色々ひねっているのでそれなりの解釈をするのに時間の掛かる事が多い。

そんな談志さんも自分を見せきって亡くなられた。いや見せきったのかどうか、騙されているのかもしれない。お二人どんな話をされているのか。あちらでは多くの立ち見が出てるでしょう。あちらでは皆さん立っておられるのか。