日活映画100年・日本映画100年

東京国立近代美術館フィルムセンター展示室で「日活映画の100年・日本映画の100年」の展示会が開催されている。

珍しい映像が見れる。「紅葉狩」。九代目市川団十郎の更科姫と五代目尾上菊五郎の平維茂。「紅葉狩」は1887年九代目市川団十郎によって初演され、映画の撮影は1899年11月歌舞伎座の裏の芝居茶屋の屋外で撮影されている。風の神は子役時代の六代目菊五郎が演じていてやはりリズミカルにピシツピシツと決まっている。2009年この「紅葉狩」は映画フィルムとして初めて国の重要文化財に指定され、えいがフィルムが文化財として保護される道をひらいた。

白瀬南極探検隊の「日本南極探検」の映画の一部も見れる。後に日活になるM・パテー商会の代表梅屋庄吉(孫文の辛亥革命の金銭的支援をする)が相談を受けキャメラマンを派遣する。白瀬中尉は探検にかかった莫大な借財のためこのフィルムを持って全国を回った。

衣笠貞之助の「狂った一頁」の映像もあり、これは懐かしかった。古いフィルムセンターであったと思うが、衣笠監督の話を聴きつつ「狂った一頁」と「十字路」の映画を見たのである。かつてこんな前衛的な映画があったのかと驚いた。衣笠監督は女形俳優であったのも初耳で非常に気さくなかたで、サイレント映画のため映像を追いつつ説明されていた。こちらとしては映像からイメージを受けたいので少々困ったが、監督もそれに気がつかれ止められた。話したいことが山ほどあったのであろう。その後、林長二郎(長谷川一夫)の<情緒的な時代劇>を作り上げ、「地獄門」ではカンヌ映画祭グランプリを受賞する。

そして、「狂った一頁」(1926年)の撮影に杉山公平、撮影補助に特撮で名を成す円谷英一(本名でその後英二にする)が名を連ねている。(円谷に関しては違うところでまた出てくると思う。)   原作・川端康成で、衣笠映画連盟と新感覚派映画連盟(川端康成・横光利一等新感覚派の文学者が映画にも参画したのであろう)の共同制作である。

その他、初代水谷八重子の娘時代、オペラ歌手藤原義江の歌う様子など、一部分ではあるが数多い。

日活は1912年吉沢商会・横田商会・M・パテー商会・福宝堂の四会社が合併し「日本活動写真株式会社」となった。

時代劇だけで言うと目玉の松ちゃんこと尾上松之助は吉沢商会から日活へと移り大スターとなる。その後、伊藤大輔監督が大河内傳次郎でリアルな「忠次旅日記」を撮り、サイレント時代劇の古典最高傑作といわれた。その映像も一部見れる。忠次が病に倒れ体が不自由となり寝たまま、忠次を守ろうとする子分たちが次々捕らえられていく。胸の上に刀を抱きどうすることも出来ない忠次。<英雄像を一新し落ちぶれた無頼漢の最後を悲壮美にまで高めた>とある。熱演である。

当時の六大時代劇スターは、 大河内傳次郎・阪東妻三郎・嵐寛寿郎・市川右太衛門・片岡千恵蔵・林長二郎(長谷川一夫)である。それぞれが自分のキャラクターを色濃く持っていて観客を楽しませてくれた大スターたちである。ポスターを見ているだけで楽しい。

追記: 後に日活になるM・パテー商会の代表梅屋庄吉(孫文の辛亥革命の金銭的支援をする)>がテレビドラマになった。2月26日 テレビ東京 夜9時~10時48分 『たった一度の約束~時代に封印された日本人~』