映画 『楽聖 ショパン』 『愛の調べ』

ワンコインで買えると手が伸びるDVD。『楽聖 ショパン』と『愛の調べ』が封を切らずにあった。クラッシク音楽音痴の私にも、これは事実とはかなり違うなと判るが、クラッシク音楽部門に入る門としては、入りたくなる気分に誘ってくれる。

『楽聖 ショパン』。ショパンの祖国がポーランドとは、知りませんでした。ポーランドの歴史は正確には把握していないが、ショパン存命のころは、<ポーランド立憲王国>と思われる。ロマノフ朝のロシア皇帝がポーランド王を兼任し事実上は、帝政ロシアの従属国のようだ。映画に戻ると、ショパン11歳から亡くなるまでを描いている。ショパンは少年の頃から我が強く、与えられた曲よりも自分の作曲した曲を弾きたがり、ショパンの才能を伸ばした指導者ジョゼラ・エルスナーを困らせる。ショパンはポーランドの政治的現状に不満で改革派の集会にも参加する。そんな中、演奏会での演奏の話がくる。ここで面白いのは、その演奏会の演奏者に、ショパンの前にパガニーニがチラリ出てきたことである。なるほど同じ時代の音楽家であり、パガニーニが外せない音楽家としているのである。演奏者が待っている場所は食事の運ばれる配膳室である。、それは、貴族たちの食事の間に演奏するという添え物の演奏である。ショパンは、アンコールを求められるが、ポーランド総督閣下が同席し、虐殺者の前では弾かないと演奏するのを拒み席を立ってしまう。逮捕を恐れ、皆に勧められエルスナーと共にパリへ亡命する。

パリで、フランツ・リストとジョルジュ・サンドに見い出され社交界でもてはやされる。ジョルジュ・サンドは、ポーランドを思うショパンの政治性に反対し、身体の弱いショパンにひたすら音楽だけに身をゆだねることを勧め、エルスナーからも離し、自分の世界に取り込んでいく。エルスナーに再会したショパンは、祖国の苦難を知り、捕らわれた人々の保釈金のために、お金になる演奏会の旅にでる。演奏会は大成功であるが、ショパンはそのことによって、命を削り死出の旅立ちとなってしまう。 このリストさんは、『愛の調べ』にも出てきて、社交界と音楽家を結びつける役割をしている。ジョルジュ・サンドとショパンの事も知らなかった。映画では、ジョルジュ・サンドが自己愛の強い傲慢の女性に描かれていて、マール・オベロンが力演であり、彼女の衣装も見どころである。映画の中で彼女の肖像を描いているのがドラクロワである。そして、ショパンは<ポロネーズ>を最後まで自分のなかでの祖国の原点と考えていたようである。

『愛の調べ』。作曲家ロベルト・シューマンと天才女流ピアニストクララ・ヴィークの結婚から結婚生活、シューマンの死、そしてクララの夫の作品を演奏会で弾き続ける姿を描いている。さらにクララに恋心を抱くブラームスも登場し、この時代はクラッシク音楽の黄金期だったのであろうかと驚いてしまう。何んといってもさすがのクララのキャサリン・ヘプバーンである。この映画は、キャサリンの出ている映画としてすでに見ている。今回は新しい音楽を創造するそれぞれの苦難の作曲家の映画としても見れた。

クララは、自分の御前演奏会で、アンコールにシューマンの曲を演奏する。それが、「トロイメライ」である。それを聴いた皇太子が、楽屋に来て「とても良かった」と緊張して挨拶をする。ラストで、皇太子は国王になっていて、クララの演奏を聴き、昔を思い出す。クララは国王に向かって「覚えておられないでしょうが」と言って、アンコールに「トロイメライ」を演奏する。

クララは8人の子供を産み、与謝野晶子さんのようであるが、夫の経済を助けるため一度だけと夫の了解をとり演奏会を開く。帰ってみると、女の子のユーリエがはしかになっていて、ユーリエを二階に隔離し同居していたブラームスが面倒をみる。ユーリエはクララと同じ目をしている子で、ブラームスに「私のこと好き?」と聞くと「ああ」と答える。「マリーより好き?」「皆好きさ」。「ママよりも好き?」ブラームスは間を置いて「大人の好きは、また別なんだよ。」と答える。子供のあどけなさの使い方が上手い映画である。 なかなかシューマンの歌曲は認められず、頭痛や耳鳴りが酷くなる。リストとブラームスは後押しをして、リストはサロンの自分の演奏会でシューマンの「献呈」を演奏し、「ファウスト」の公演へと道を開く。このサロンでの演奏の時、「余興はまだかね。リストは何かをやるよ。」と客がいうが、ピアノ線を切ってしまい他のピアノに移り弾き続ける。パガニーニも二本の絃を切り一本で演奏しつづけたが、この当時こういうお楽しみがあったのであろうか。この時のリストの弾き方に異議を唱え弾きなおすクララの自信も凄い。「ファウスト」の公演はシューマンの体調不良で失敗に終わり、彼は入院し、亡くなってしまう。

家から出ないクララを外に連れ出したブラームスは、結婚を申し込みクララも心動かされるが、楽団のヴァイオリン弾きがシューマンの曲を弾く。それを聴いたクララは、シューマンの作品を世に広めるため自分のピアノで演奏活動を続ける決心をするのである。

どこまで接触があったのか定かではないが音楽、美術、文学の芸術がはなやかに開花していった時代のようで、まだ一般庶民のものではなくサロンを中心としたモノだったのかもしれない。クラッシク音楽音痴が随分楽しませてもらった。パガニーニさんとギャレットさんのお蔭である。もっと言えば、『天守物語』が人気があり過ぎということになる。