映画 『パガ二ー二 愛と狂気のヴァイオリ二スト』 『不滅の恋 べートーヴェン』 

歌舞伎座の『天守物語』の一幕見を観ようと思い立ち寄ってみた。並んでいる人は15人弱である。少ない。暑いからであろうかと思ったら、そうでは無かった。既にお立見ですと係りの人に言われる。皆さん一幕目から通しで買われているようだ。少し並んでいたが、自分のこの状態では良い観劇は無理と判断する。既に観ているものが壊れては何もならない。確かウディ・アレンの映画をやっていたはずと日比谷の映画館へ向かう。

暑いため、ウディ・アレンではなく、音楽伝記映画『パガ二-二 愛と狂気のヴァイオリ二スト』選ぶ。映画の内容よりも、ヴァイオリンの演奏が暑さを吹き飛ばすほどの音のように思えたのである。予想は当たった。デイヴィッド・ギャレットのヴァイオリン演奏にノックアウトされた。まかり間違えば不快な音になりそうな極限の音を心地良い音にしているという感じで、アップテンポさも暑い夏に効きそうである。

映画の筋は、19世紀のイタリアで、天才ヴァイオリ二ストの愛と狂気、その天才ゆえの栄光と挫折である。世間に認められていない二コロ・パガ二ー二は、敏腕のマネージャーと手を組み、その才能を世の中に認めさせていく。名を上げれば上げる程、パガ二ー二は、女、アルコール、賭博にのめり込んでゆく。マネージャーは、その性癖をパガニーニの演奏を鋭敏にするものとしてコントロールしていく。ロンドンに住む指揮者が、パガニーニをロンドンの演奏会に呼び、やっとパガニーニを捕まえることが出来る。パガニーニは指揮者の娘・シャーロットと恋に落ちてしまい歌手志望のシャーロットに歌を送る。演奏会の出番時パガニーニの姿が無い。指揮者は蒼白であり、シャーロットも探し回る。とヴァイオリンの音がして、客席の後ろの入口からパガニーニが現れる。この時のパガニーニ、いやデイヴィッド・ギャレットが最高である。そして、シャーロットは、パガニーニに誘われ送られた歌を披露し拍手喝采となる。しかし二人の愛は周りの思惑から壊れてしまう。それまでも素行の悪いパガニーニは、世間から非難を浴びシャーロットを失った痛手は彼を立ち直らせることはなかった。映画の内容としては天才にありがちな定番であるが、演奏場面と、とにかく、演奏が良い。聴くに値する映画である。 パガニーニは、ショパン、リスト、シューベルトも心酔したと言われているヴァイオリン二ストであるが、この映画を観るまで全く知らなかった。<映画って本当に面白いですね。><映画館が学校だった。>

監督がバーナード・ローズで『不滅の恋 べートーヴェン』の監督でもある。友人とパガニーニの映画の事をメールし合って、『不滅の恋 べートーヴェン』の話になった。彼女は二回観たという。こちらは、観ているのに内容が思い出せない。<「不滅の恋」の内容はべートーヴェンの死後の手紙が誰に宛てたものかを探って行く物語で、三人の女性に聞きながら不滅の恋人は誰なのかを探るストーリーです。> 思い出せない。<それで誰が不滅の恋人?><弟のお嫁さん!あの手紙を読んだときの泣き顔最高にセクシーだったな~!ラスト思い出した?><思い出せない!> 織田作さんの書き込みしつつやり取りしているとは言えショック!<最愛の人がべートーヴェンの子を宿したまま、ちょっとしたすれ違いから誤解が生じ、彼女は弟と結婚する。かなり辛い人生。弟は自分の子供と信じてる。怨み憎しみあってる二人。第九を聞き最愛の人はべートーヴェンを許す。憎しみ怨みが創造の源だったみたい。べートーヴェンの心からの手紙を読み、初めてべートーヴェンを理解して号泣する姿を窓越しに弟子が見ててエンディングです。>

この映画のDVDのレンタルを探しまわる。VHSであるが渋谷にあった。不滅の恋人はもちろんだが、二人の恋人との関係も興味深い。時代背景がよくわからないのと、べートーヴェンの作品を熟知していないので、音楽のつぼを上手く捉えていけない。ナポレオンがのし上がって敗れて行く時代で、べートーヴェンはナポレオンに期待している。ところが、ナポレオンもまた貴族の一人に過ぎなかったと絶望する。自分は耳が聴こえず、それでいながら、自分の中では音楽が鳴り響いている。時代をも描こうとし、自分の歴史をも描こうとしている。そして、自分の恋も。その恋も、弟子が名前のない<不滅の恋人>を探すという、ミステリアスな流れとなっている。<不滅の恋人>を探し当てて一件落着なのであるが、どうも記憶に無かったのは、べートーヴェンという人の一断片であって、底知れぬ自分の世界に住んでいた彼がチラチラして、一件落着にはならなかったようだ。今もであるが。

<不滅の恋人>に関しては友人が上手く説明してくれて助かった。その時メールでは、ゲイリー・オールドマン、『レオン』、『グロリア』、イザベル・ロッセリー二、イングリッド・バーグマン等の文字も飛び交っていたのである。こちらの蛍は忙しい思いをしたことであろう。

 

織田作さんの『蛍』 (小説・演劇・映画)

織田作さんの『蛍』は、映画、舞台になっている。

小説では、主人公登勢は両親に死に別れ、彦根の伯父に引き取られ、十八のとき伏見の船宿の寺田屋に嫁ぐ。寺田屋は後妻の姑・お定が仕切っており、そのお定は頭痛を言い訳に祝言の席にも出てこない。  「そんな空気をひとごとのように眺めていると、ふとあえかな蛍火が部屋をよぎった。祝言の煌々(こうこう)たる灯りに恥じらう如くその青い火はすぐ消えてしまったが、登勢は気づいて、あ、蛍がと白い手を伸ばした。」 夫の伊助は、病的な潔癖症であり姑はすぐに病で寝たきりとなる。お定は寺田屋の家督を娘の椙(すぎ)に継がせたかったがそうならず、椙は好きな男を追い家を出てしまう。登勢はひたすら働く。あるとき赤子の鳴き声がし、登勢はその捨て子をお光と名づけ育てる。お光が四歳のとき千代が生まれ、姑は亡くなる。 「蚊帳へ戻ると、お光、千代の寝ている上を伊助の放った蛍が飛び、青い火が川風を染めていた。あ、蛍、蛍と登勢は十六の娘のように蚊帳中をはねまわって子供の眼を覚ました」 登勢は今度は女の子を産み、浄瑠璃を習い始めた伊助は、お光があってお染がなかったら野崎村にならないと、お染と名付ける。お染は四歳のとき疫病で亡くなり、お光は実は椙が実家に捨て子した子で、自分の子をむかえに来たと言って連れ去ってしまう。

間もなく登勢は京の町医者の娘お良を養女にする。世の中は騒がしくなり、寺田屋で薩摩の士が同士討ちとなり、逃げた登勢の耳に<おいごと殺せ>という言葉が残った。 「有馬という士の声らしく、乱暴者を壁に押さえつけながら、この男さえ殺せば騒ぎは鎮まると、おいごと刺せ、自分の背中から二人を突き刺せ、と叫んだこの世の最後の声だったのだ。」 やがて、薩摩屋敷から頼まれ坂本龍馬をあづかる。伊助は京の寺田屋の寮にしばらく移ることにした。奉行所の一行が坂本を襲って来た時、お良は裸のまま浴室から飛び出し坂本にその急を知らせた。このお良を坂本は娶って、二人は寺田屋から三十石船に乘り長崎に旅立った。翌日には、登勢の声がした。 「それはやがて淀川に巡航船が通うて三十石に代わるまでのはかない呼び声であったが、登勢の声は命ある限りの蛍火のような勢一杯の明るさにまるで燃えていた。」

淡島千景さんの最後の舞台となったのが、平成22年の<劇団若獅子>の『蛍火ーお登勢と龍馬ー』の舞台でお登勢を演じられた。織田作之助/原作(「蛍」より)で脚本は土橋成男さん、演出は<劇団若獅子>代表も笠原章さんである。題名からも分かる通り、お登勢と龍馬に焦点をあて、お登勢は龍馬の進むべき道に自分の心意気を託すような形となる。淡島さんは、すでに高齢であったが、培われてこられた身体の動きを凛として見せ、まさしく青い光をはなたれておられた。椙が恋人の五十吉を追いかける場面で蛍が飛び立つ。寺田屋騒動の場面を出し、お登勢が有馬を抱きかかえ最後を看取るかたちにしている。そして、龍馬がお良を連れてきて、寺田屋の養女にと頼む。お登勢の龍馬への想いも描かれ、最後の別れのあとの蛍だけが美しく輝くのである。

淡島さんは映画『蛍火』にも出られている。監督・五所平之助さん/脚本・八住利雄さんである。映画は観ていないのであるが、花嫁衣裳の淡島さんが手を広げると蛍がその手の内にある場面はみている。インタビューで、織田作さんの作品の事を聞かれ「作品が短いので、色々な思いを込めれるのではないでしょうか。演じていて面白いです。」と答えられていて、その通りであると思った。

この作品<前進座>でも公演していて、脚本は八木隆一郎さんである。「蛍」の題名で、脚本を読むことが出来た。お杉がお光を連れ戻しに来た夜蛍が飛んできて、伊助が祝言の夜の蛍を捉まえようとしてお登勢が手を伸ばした思い出をお登勢に話しかける。お良は養女になっていて、寺田屋騒動も伊助とお登勢の話の中で出てくるだけである。竜馬が登場し、ここが竜馬が死んだという寺田屋なのですなあと語る。竜馬を挟んでお登勢とお良の微妙な心の揺れがあり、竜馬とお良が去った後、伊助とお登勢の前に蛍が飛んでくるのである。

それぞれの捉え方で、舞台になり映画にもなっているのである。