映画『白痴』『虎の尾を踏む男達』

映画『白痴』(1951年、黒澤明監督)は、ドストエフスキーの小説 『白痴』をもとにして場所を日本の札幌にし時代を戦争の終わった後にしている。主人公は亀田(森雅之)と赤間(三船敏郎)が北海道に渡る青函連絡船のなかで出会う。亀田がうなされて奇声を発したのである。

亀田は沖縄戦で戦犯となり銃殺寸前に人違いとして助かりそのショックから神経がおかしくなりアメリカ軍の病院に入院し退院して札幌の知り合いの家に行くところであった。赤間はこの亀田が気に入り自分のことも話す。好きな女がいて父のお金を盗み彼女にダイヤの指輪をプレゼントして勘当になっていた。その父が亡くなり遺産が入ったので札幌に帰るところであった。

二人は札幌で写真館に飾られている赤間の彼女の写真をながめている。圧倒させるような美しさの那須妙子(原節子)である。亀田は、この人はとても不幸せなひとであるとつぶやく。さらに妙子の目にこの目をほかのどこかで見た目であるとおもう。

亀田は父の友人である大野家をおとずれる。大野家は那須妙子と関係があった。妙子は政治家の妾の身であったが、大野家の秘書の香山(千秋実)に持参金付きで結婚させるという話ができあがっていた。香山は大野の次女・綾子(久我美子)が好きであったがお金も必要であった。亀田の出現でこの仕組まれた動きが大きく変わっていくのである。

誰も見ぬけなかった妙子の心の中を亀田の純粋さが感じとっていた。妙子にとって同じ感性それは光であった。亀田は妙子の目と同じ目をおもいだす。処刑されるとき自分は助かるが処刑される前の若いまだ少年のような青年の目であった。自分はどうしてこんな苦しいめにあわなければならないのかと目は語っていたのである。その目と妙子の目が重なった。

この映画は非常に長くて2時間45分である。第一部が「愛と苦悩」、第二部が「恋と憎悪」である。妙子は亀田を選ばずに赤間を選ぶ。亀田は二人を追いかける。赤間は妙子の心が自分に無い事を知って亀田を殺そうと考えたこともあった。綾子が現れて亀田は綾子に恋をする。妙子への愛とは違うものであった。妙子はそれを感じていて綾子を天使として亀田を傷つけずに一緒になってくれる人として希望をもった。

しかし、綾子は妙子が亀田の理想の女性で自分と亀田の間に入って邪魔をする者と思われ、妙子と対決するのである。亀田の妙子に対する愛は、処刑の時何もできなかったあの青年と同じ妙子を傷つけないで救えないか、いや妙子の魂をじぶんが守り救わなければという愛であった。綾子への愛とは別物であった。

心のねじれは悲劇へと向かわせる。残った綾子は「私が白痴だったわ」とつぶやく。亀田の白痴は純粋さで、綾子の白痴はおろかという意味である。

出演者の個性がきわだっている。原節子さんの存在が強烈でそれでいながら心はガラスのように壊れやすく、いやすでに壊れていて、森雅之さんはそのかけらを集めて修復しようとしているようにもみえる。

この札幌のロケでは有島武郎さんの旧宅が使われていた。ロケをした家は1913年(大正2年)に建てられた家でこの家で森雅之さんは幼い頃を過ごしたことになる。『札幌芸術の森』に保存されている。森雅之さんが生まれたのが1911年で有島武郎さんの文学年表からすると、『北海道開拓の村』にある旧有島邸が森さんが生まれた家ということになりそうである。

映画のクレジットには美術工芸品提供がはっとり和光とあるのも興味深い。

ドストエフスキーの小説 『白痴』をもとにした玉三郎さん主演の映画がありました。『ナスターシャ』(1994年、アンジェイ・ワイダ監督)。これは映画館で観たのを思い出したがとらえられなかった。見直す予定なので、再度挑戦し納得したいものです。

映画『虎の尾を踏む男達』(1945年、黒澤明監督)は59分と短い。歌舞伎の『勧進帳』の映画化である。脚本は黒澤明監督。「虎の尾を踏む」は、長唄『勧進帳』の最後「虎の尾をふみ毒蛇の口をのがれたる心地して陸奥の国へぞ下りける」の詞からきているのである。安宅の関所をこえる時の義経一行の気持ちである。

弁慶(大河内傳次郎)、富樫(藤田進)、義経(岩井半四郎)、亀井(森雅之)、片岡(志村喬)、伊勢(河野秋武)、駿河(小杉義男)、常陸坊(横尾泥海男)、強力(榎本健一)梶原の家来(久松保夫)

強力の榎本健一さんの動き、表情、せりふがこの噺の軽さと世情を現わしている。音楽は服部正さんで、長唄の詞の一節を使って合唱にしたり、独唱や重唱などを挿入し映画の『勧進帳』を楽しめるようにしている。

安宅の関では梶原の家来を登場させ、勧進帳を読む弁慶と富樫の緊迫の場面を、弁慶と梶原の家来にかえ、勧進帳を読み終わる寸前でのぞきこもうとさせている。勧進帳を隠して巻き取る弁慶の優位性の雰囲気となる。

弁慶と富樫の山伏問答も簡潔にし富樫は関を通ることを許可する。そして「虎の尾を踏み~ 虎の尾を踏み~」と合唱がながれる。

そこへ梶原の家来が呼び留めて弁慶の義経を打つ。驚いて止めに入るのが強力である。何が起こったかわからないのである。その様子を見て富樫は家来が主君を打つはずがないと逃がす。

弁慶が義経にあやまるところで、強力がいう。そういうことだったのか。弁慶が気が狂ってしまったのかとおもったと。ここで初めて義経が顔をあらわす。十代目岩井半四郎さんは襲名したのが1951年なので本名の仁科周芳となっていてDVDなので(岩井半四郎)とクレジットされている。

そこへ富樫の家来がお酒を持参する。その盃に富樫氏の八曜紋が描かれているので、富樫は弁慶に対し、あなたの行動には感服したとの意があるのだろうと想像できる。

ここでの舞も強力がどじょうすくいをいれて陽気に踊る。そして弁慶がひとさし舞うと立ち上がって場面がかわる。見事な雲である。強力が酔って寝込んでいる。彼は目をさまし夢ではなかったのだと確信し、飛び六法で立ち去るのである。最初に観たときも面白いとおもったがやはり上手く作りあげられていると再度まいってしまった。

せっかくなので、歌舞伎の『勧進帳』(1997年・平成9年収録)のDVDも観る。映画で山伏に姿を変えているとの情報から弁慶が自分たちは艱難辛苦を通過してきたのだから作り山伏などではない。本当の山伏の姿だという。たしかにである。歌舞伎のほうは優美なつくり山伏なのが歌舞伎である。弁慶が團十郎さん、富樫が富十郎さん、義経が菊五郎さん、常陸坊が左團次さん、そして三之助時代の新之助さん、菊之助さん、辰之助さんである。

観慣れているのに、違う分野で観たあとのためか新鮮で、そうそうこうなるのであると一つ一つ確認する感じでしっかり堪能してしまった。長唄もたっぷりである。こういう交差も好いものである。