岡本喜八監督映画雑感

岡本喜八監督特集の中に、テレビドラマの上映も入っていた。『幽霊列車』『着ながし奉行』『昭和怪盗傳』『遊撃戦』で、『着ながし奉行』と『昭和怪盗傳』を見た。『着ながし奉行』は、後に市川崑監督によって、『どら平太』として映画化されている。『どら平太』は見ていて面白かったという印象はあるが、全体像が思い出せないまま、『着ながし奉行』を見る。さすが岡本監督テンポが良い。そして、仲代さんの奉行はある藩に着任するのだが、奉行所には出仕せず、濠外の悪所に遊び人として出仕するのである。

濠外へ遊び人として橋を渡るときの仲代さんの身体のリズムが実に良いのである。あらよ!とっとという感じでまさに着流しの遊び人の態である。何回か橋を渡るだんになると客席から笑いが起こる。遊び人への変身ぶりが上手いのである。そのリズム感に乗せられる。『どら平太』の役所広司さんの時はこのリズム感の記憶が出て来ない。『着ながし奉行』に、役所さんと益岡徹さんが出られてる。お奉行の着流し小平太にあっけにとられ、言葉の出ない表情が写された時はなんとも可笑しかった。お二人は、役どころの小平太と師匠の仲代さん両方に驚いているような形となった。そこまで岡本監督が読んだわけではなかろうが、時間が立ってみるとそんな構図も出来上がる結果となったのである。

濠外の顔役の小沢栄太郎さんに兄弟分の盃を交わすが、着流し小平太のほうは、宴席で余興に綱渡りの様子の芸を見せ、小沢さんにもやらせて参らせるという趣向で、どら平太は切り付けられての立ち回りの末、顔役の菅原文太さんに頭を下げさせる形と、この辺の違いも面白い。

菅原文太さん主演の『ダイナマイトどんどん』も面白かった。ヤクザに野球の試合で決着をつけさせるという設定で、文太さんに任侠物のほろ苦さとトラック野郎の三枚目とを同時に演じさせてしまうというサービスぶりである。アイデア満載でありテンポはいいが、上映時間が少し長かった。もう少し短縮して欲しかった。長すぎると面白いネタも新鮮味に欠ける。飽きが来る一歩手前で止めなくてはワクワク感のテンションが下がってしまう。

そのあとすぐ、テレビで『どら平太』を放送してくれて見直したら、役所さんの着流しのほうは、遊び人の態ではなく、やはり奉行がお忍びで偵察に行くと言う雰囲気であった。初めて『どら平太』を見た時は、その展開に驚き楽しんだが、岡本監督と比べると、市川監督のほうが理詰めで登場人物に語らせる。

江戸詰めの殿からのお墨付きも『どら平太』では最初に出してしまうが、岡本監督はいいだけ小平太を動きまわらせてから、白紙のものを読ませる。そして幕府からの隠密が入っていたらどうするかと脅す。これが脅しと思ったら、今日も出仕せずと粛々と記録していた珍しく穏やかな天野英世さんが隠密で、濠外の掃除もおわったあとで、「この藩には何も問題なし」というところが可笑しい。これは狙ってのことである。

その濠外と家老たち重臣とのパイプ役が『どら平太』では宇崎竜童さんで、どら平太の居る場で責任をとり切腹するが、『着ながし奉行』では、中谷一郎さんで、切腹したと字幕か、ナレーションだけで知らされる。

こういう娯楽痛快時代劇も、映像ではもうあまりお目にかかれない時代のようである。映画やテレビの主人公の解決で溜飲を下げるが、上の方のお金の流れの構造は昔から全く変わっていない。今は格好良いヒーローなぞ来ないから自分たちできちんと監視しなさいということか。『着ながし奉行』でなく『着服奉行』であり『金平太』である。

岡本監督の面白さは、役者さんの身体の動かせかたが上手いというか、引き出してしまうのであろうか。『ああ爆弾』などは、刑務所の収監部屋で、狂言で人間関係を語らせたり、映画の随所に歌舞伎、浪曲などが自然に繋がって流れて行く。それでいながら、宝塚出身の、越路吹雪さんには南無妙法蓮華経と団扇太鼓を叩かせるだけである。動けると思う人を動かしても面白くないということであろうか。

『ああ爆弾』の喜劇役者伊藤雄之助さんが、『侍』では、油断することのない周到な統率力の首領役で、あの大きな顔の存在感を示す。新納鶴千代の三船敏郎さんは年齢的に無理があるが、桜田門外での立ち回りシーンの映像は、岡本監督の時代劇の見せ所でもある。

岡本監督は、リアルさを押しつけず、編集の上手さからアッㇷ゚ダウンもあり、笑わせられるのが主流であるが、想像の空間にはきちんと印象づけるだけの材料も提供してくれる。

『日本のいちばん長い日』などは、様々の人々が戦争を終わらすかどうかの考えを指し示し、終わるということの難しさが伝わって来る。始めるよりも終わり方のほうが、ずーっと難しいものなのだということがわかる。そして、事実を知らされず、意識的に一つの方向に流される情報の力も妖怪である。

三船敏郎さんの陸軍大臣・阿南惟幾(あなみこれちか)が、責任を取り自決する。最後に部下に、<死ぬよりも生きることの方が辛いぞ。どんな国になっていくのか、俺にはそれは見れない。>と語る言葉が、今を照らす。実名の方々が多数出てくるが、出番が少なくとも一人一人の役割がきちんとしていて岡本監督の構成力を感じる。顔を出されないが、昭和天皇陛下が最後の決断をされ、玉音放送までもっていくのが大変だったことを知る。誰が演じられたか映画では判らなかったが、八代目松本幸四郎さんである。

1967年、<日本のいちばん長い日>を撮り終えたら、無性に<肉弾>を撮りたくなった。

どっちもいわば我が子であり、どっちにしても親としての責任はあったのだが、この兄弟、性格はまるっきり違っていて、<日本のいちばん~>は、当時の日本の中枢、つまりは雲の上の終戦ドキュメンタリーであり、<肉弾>は、戦争末期から敗戦にかけての、庶民も庶民、一番身近な庶民の、私自身の体験から起こしたフィクションだったからである。

 

庶民も庶民、まぎれもなきくたびれた庶民であるのに、<肉弾>は見逃してしまったのである。<日本のいちばん長い日>の鈴木貫太郎首相役の笠智衆さんが<肉弾>では、古本屋の爺さん役という予習はしてあるのであるが。肉木弾正にてドロン!

旅の前で、慌ただしく締めくくったが、『肉弾』については 水木洋子展講演会(恩地日出夫・星埜恵子) (1) での 恩地日出夫監督と岡本喜八監督のエピソードも再度紹介しておく。今回の旅先での<道成寺>で一枚の映画ポスターに岡本みね子さんの名前を発見。中村福助さん出演の『娘道成寺 蛇炎の恋』で総合プロデューサーをされていた。この映画も見逃がしている。残念である。

 

国立劇場 三月 『梅雨小袖昔八丈』『三人形』

永代橋『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)ー髪結新三ー』。この<八丈>というのは、材木商・白子屋の娘・お熊が着ていた着物が黄八丈であり、芝居では、新三に騙され駕籠で運ばれる時、駕籠から黄八丈の着物の袖が出ている。そして、雨が降ったり止んだりしている。初演は明治であるが、河竹黙阿弥作の江戸の風物たっぷりの作品である。

地域設定が隅田川(大川)に架かる<永代橋>を挟んで、日本橋(新材木町)と深川(冨吉町)であり、蔵の連なる町と漁師町との違いがある。髪結新三は、店を持たない渡りの髪結い業である。大店を回り愛想よくご機嫌も取りつつ髪を結い直したり、なでつけたりする賃仕事である。この新三は、実は上総無宿者で、左腕には二本の墨が入っている。

材木商の白子屋では、娘のお熊の婿取りが決まり結納のお金が届けられる。それが相当の金額である。白子屋は主人が亡くなり相当家運は傾いていて、お熊に持参金つきの婿を取ることで、建て直しを図ろうとしている。お熊は、手代の忠七と恋仲であり連れて逃げてくれと云うが、手代ではどうする事もできない。そこへ目をつけたのが新三である。しかし、新三は白子屋が傾いていることは知らず、このことは新三の誤算であった。このことは、こちらも、今まで重要と思っていなかったが、一つの要となっていた。

新三は忠七に、想い焦がれた人に裏切られたとお熊が身投げでもしたら不忠になるから、お熊を外の風に当たらせ親の気持ちを考えさせ、そこで説得して家にもどせば、お熊の命も助け、主への功であると持ち掛ける。ここが、大店の手代で、新三の裏など見抜くことが出来ない。まんまと乗せられてしまう。新三の家に一時居させてもらうということで、お熊は籠で運ばれ黄八丈の袖が覗くのであるが、新三の子分の勝奴がそれを駕籠中に押し込む。

後から一つの傘に入った新三と忠七は、永代橋にさしかかる。ここから、髪結いの新三は、上総無宿の新三に変る。下駄、番傘の小道具、雨音、川音、下駄音等をふるに生かしての新三の変身の見せ場である。そして傘尽くしの台詞が加わる。新三の罠にはまった忠七は大川に身投げしようとするが、乗物町の弥太五郎源七親分に助けられる。

永代橋を渡った深川富吉町の長屋に新三は住んで居る。冨吉町は今もある江東区の正源寺の北側に位置し、東に向かうと富岡八幡宮である。

富吉町の長屋の新三内からは、江戸庶民の生活が映し出される。もともと粋がっている新三は、白子屋から百両は届くと思って居るから、ますます態度も大きい。朝湯から浴衣姿で花道を戻って来る。この浴衣、白地に大きな文字や模様が入り、特に<ひら清>の文字が目についた。筋書の説明によるとこの<ひら清>は、富岡八幡宮のそばにあった有名な料亭の名で、こうしたところの手ぬぐいをつないで作った浴衣だそうである。面白く染め抜いた浴衣地と思っていたので、新知識いただきである。住居内に掛けられるときも、この<ひら清>が見えるようにかけられた。

花道で新三は初鰹を買う。長屋の住人に言わせると、この初鰹一本の値段で合わせの着物が整うだそうである。魚屋の鰹さばき、新三の着替え、髷にさしていた今でいう歯ブラシの竹ようじの扱いなど、新三の粋がる仕草は随所にある。

そこへ、乗物町の親分が仲裁にくるが、その金額が少ないのと、大川からあちら側の人間に対する今までの新三の鬱憤が爆発する。乗物町も新木材町側であり、さらに親分風を吹かされることに、新三は勘弁出来ないのである。親分も白子屋の事情を知って表ざたに出来ないし、親分も内密に納めるには十両では少ないと思ったとおもうが、自分の顔で新三も折れると踏んだのであろう。粋がっている若いチンピラとその子分に散々<おじさん>と悪態をつかれ恥をかかされた親分は、怒り心頭であるが、忍耐してその場を去る。この辺りにも、白子屋のお金の無さの事情が絡む。親分が来た時、客の為にゴザをひくのも面白い。

今度は、大家が仲裁に現れる。鰹を半身もらい、刺身にした鰹の一切れを口にする。このとき、箱前の食器に目がいった。新三は自分の使った箸を、盃洗いで洗い、箸の雫を器に音を立てて払う。この辺りもさりげない粋な道具使いである。

渋谷の戸栗美術館で『江戸の暮らしと伊万里焼展』を見て来たので、盃洗い、刺身をのせる皿などに興味がいく。お金のある者の大皿料理のための色絵付けの器が、会席料理の登場や江戸庶民の外食産業の発達により、庶民の生活の中にも、器の模様に藍色が一色入って来る。蕎麦猪口などは、小鉢の代わりとして楽しんだりしている。その絵も謎解きのように、歌舞伎の演目などをあしらったりしている。

新三のような無宿者は、面倒を起こされては叶わないと大家も避けるが、ここの大家はお金になればよいので、反対に新三の腕の二本の入墨を脅しにの材料にしてしまう。新三より上手である。百両入ると思って居た新三も、大家の悪知恵には叶わなかった。半身の鰹にかけた金の勘定と家賃を取られて、二つ名前の弥太五郎源七親分の十両に少し色がついた形でお熊を返すこととなる。

しかし、傷つけられた侠客の意地は消せない。閻魔堂橋で新三と弥太五郎源七の刃物沙汰となる。

橋之助さんは、初役ということもあり、一つ一つの動きを身体に教え込むように丁寧に演じられる。そのため、こちらは橋之助さん独特の、台詞の妙味や味わい、動きのリズム感を楽しむよりも、黙阿弥さんが描きたい、江戸というものの風俗、習慣、土地柄などを味わわせて貰った。黙阿弥さんの台詞、動きは見るたびに発見させてもらう。無理な笑いを取らない、すっきりとした新三だったので、橋之助さんはこれから、その間、小悪党の汚れなどが加味していくのか、このままの切れ味で大きくしていくのか興味のあるところである。

児太郎さんの黄八丈が映える。最初に児太郎さんのお熊を観たときは、周りに支えられてるなと思ったが、今回は、しっかりお熊の役どころを考えての工夫だなと感じられた。新三宅から解放される時は、やつれが見えた。戸だなを叩いていた必死さが想像できる。

白子屋で、持参金のお金の額に目を行かせてくれた、加賀谷藤兵衛の松江さんの貫禄もよかった。何んとか困っている白子屋の役に立とうとする善八の秀調さん。その姪の芝のぶさん。手代忠七の門之助さん。白子屋の女主人の芝喜松さん。家主の女房の萬次郎さん。周りをきちんと固めている。

弥太五郎源七の錦之助さんは、新三より年上のおじさんであるが、おじさんにこだわらず、新三なんぞなんだ小童がとの意気込みで臨んで欲しい。大家の團蔵さんは悪のほうに力を入れた化粧でもあり、それはそれで、橋之助さんの新三には合っていると思う。勝奴の国生さんも新三の子分として背伸びの粋がりで頑張った。

『三人形』。常磐津舞踊である。若衆<錦之助>・奴<国生>・傾城<児太郎>が人形の箱から出て来て踊るという趣向である。この若衆のことを丹前侍ともいうらしいが、そこのところがよく解らない。名作歌舞伎全集には「古風な丹前振りを見せる」とあるが、奴と二人での花道での踊りであろうか。背景は、吉原の桜が満開の仲之町に変わり、廓の話など出てきて、最後は三人での<さんさ時雨>の手踊りがあり、艶やかに幕となる。錦之助さんは二枚目の若衆を品よく、奴の国生さんは勢いよく、傾城の児太郎さんは、背の高さを上手く使った衣裳と踊りで、花見の座での一服の茶の味である。

 

映画 『血と砂』

「シネマヴェーラ渋谷」での、<岡本喜八監督特集>も終了した。映画館に通ったり、レンタルしたりして、集中的に観た。娯楽的でありながらすーっと光を放つ台詞の一言。全体を見て真剣勝負の立場を貫くぶつかり合い。忘れ去られることを承知して英雄として生きない人々。涙と笑いの裏表。心地よいリズム感。

三船敏郎さんは、大スターである。凄い役者さんとは思うが、好きという感覚の俳優さんではなかった。今回、脇役、主役かなり映像でお目にかかった。これは三船さんの底に流れる愛嬌と大きさなのではないかと思ったのが、『血と砂』の曹長役である。

わけありで大戦末期の北支戦線にある部隊に配属となる。ところがこの映画、少年軍楽隊の演奏場面から始まる。それもデキシーの演奏である。その音楽に合わせて楽隊のゲートルを巻き、軍靴の足の動きを映し出す。その足さばきがミュージカル映画かと思わせる出だしである。 その少年軍楽隊の前に三船さんが現れる。馬上の手綱さばきが上手い。曹長は、上官と喧嘩をし問題を起こし、少年軍楽隊が自分の巻き起こす渦に巻き込まないようにしようとするが冷徹な隊長の仲代さんは、この曹長の性格を見抜く。この曹長は自分の部下を見殺しにするような奴ではない。兵としてなんの訓練もしてない少年軍楽隊を曹長の部下として、連絡の取れなくなっている陣地に行かせるのである。

これは、隊長を殴り軍法会議ものの曹長への命令である。上官からの命令は間違っていても従うのが軍隊である。 曹長は若き仕官候補兵の葬送に対し、「海ゆかば」では淋しすぎるからとデキシーの演奏を許したり、少年兵に楽器持参も許可させる。少年軍楽隊の演奏する、「夕焼け小焼け」と「雨降りお月さん」の演奏に、皆、軍楽隊の回りに集まり涙する。思い描くのは、故郷の情景であろうか、残してきた家族のことであろうか、デキシーから童謡への流れは切なさを掻き立てる。

少年兵の短期訓練が号令ではなく音楽リズムを使う。こういう訓練は実際にはあり得なかったであろうが、曹長の心の準備もない少年たちへの恐怖感への配慮である。トランペット、大太鼓と名前ではなく、担当楽器で呼ぶが、戦争という無機質の中に、楽器のパートで繋がっている少年たちの気持ちを大事にし、戦争で命を失う少年たちの虚しさを何んとか奮い立たせるのである。

曹長は、冷徹な隊長も自分が考えていたのとは違う面があるなと苦笑いし、時々見せる曹長の笑顔の三船さんが何んとも魅力的である。こういう上官とともに最後をむかえるということは、岡本監督流の少年兵への鎮魂でもある気がする。そして一緒に行動を共にする、古参兵の佐藤充さん、葬儀屋の伊藤雄之助さん、人殺しはしないと営倉につながれていた天本英世さんの個性的役者さんが、この映画の人間的変化に色を添えているし、三船さんとのからみも良い。そして、対峙する仲代さんなど、岡本監督の上手い役者さんの描きかたである。

岡本監督の映画には、主人公をどこまでも追っていく女性が登場する。ラブシーンを撮るのが苦手だった岡本監督流の、男女の究極の愛としての愛情表現であるらしい。 捕虜となり、フルートで心の交流の出来た中国の少年が逃がしてもらい、終戦と書かれた白い布を掲げて走って来る。しかし、その意味が伝わらず殺されてしまうのも哀しい。

この役は三船さんしかいないと思し、岡本監督の役者三船敏郎さんの魅力を存分に映像化した映画だと思う。この曹長のように、戦争という狂気を招く異常の組織形態のなかで、少年兵たちを自らの身体でその生き方を示した上官もいたことであろう。だからこそ、人は戦争で命を失うという生き方ではない選択肢があっていいはずである。

制作・東宝、三船プロダクション/監督・岡本喜八/原作・伊藤桂一/脚本・佐治乾、岡本喜八/撮影・西垣六郎/音楽・佐藤勝/出演・三船敏郎、伊藤雄之助、佐藤充、天本英世、団令子、仲代達矢、伊吹徹、名古屋章、長谷川弘、大沢健三郎

『座頭市と用心棒』は勝新太郎さんと三船敏郎さんの共演で、ヒットしたらしいが、この三船さんは物足りなかった。三船さんの魅力が燻っていた。

 

伊豆大島 (三原山)

バスで移動中、<赤穂義士 間瀬久太夫次男定八の墓>という案内があった。赤穂義士切腹のあと、遺児が大島に遠島になっていて、定八は大島で病没している。

さらに、保元の乱で活躍して破れ伊豆大島に遠島になった<源為朝>関係の案内もあった。<源為朝コース>とした散策コースもあるようだ。源為朝は弓の名手で曲亭馬琴の『椿説弓張月』のモデルである。三島由紀夫さんが馬琴の原作をもとに歌舞伎の脚本にしている。この芝居観ているが、よく解らなかった。今度観る時はもう少し身近なものとなるかもしれない。

三原山は三原山口までバスで行き三原山頂上まで登る時間がなかった。ここで昼食で、昼食を希望をされない方もいて、その方は三原山の頂上まで登って来られたようだ。道はアスハルトになっているので時間さえあれば登れる。頂上のお鉢巡りをして2時間ほどあればよいであろう。途中まで歩いたが、溶岩の黒い塊りなどがあちらこちらにあり、山頂から溶岩の流れたところは山肌に黒い線となって残っている。火山国日本を改めて感じる。

山頂近くの三原神社は溶岩が丁度避けた感じで流れて被害に遭わなかったようである。この火口一周巡りのお鉢めぐりはしたいので次の予定に入れることとする。三原山口の展望台からは、元町港と元町の町並みが見え、富士山も見える。もう一つの展望台からは、三原山の内輪山が見える。そこで観光も終わり、岡田港へと向かったのである。

岡田港の観光案内でサイクル自転車のことを尋ねた。元町港から海に沿って、道路<サンセットパームライン>が走っていてこの道は自転車で走りたい道である。岡田港にはレンタルサイクルがなく、元町港に二軒あるとのこと。

次の時のために、三原山、波浮港、サイクリングの三つの行程を調べることにする。それも、岡田港と元町港との二つからの行程が必要である。高速ジェット船を使えば、天候次第で、明日行こうと思えば行けるのである。友人曰く。帰って来て資料がそばにあるうちに次の計画を立てるべし。その勢いで友人は、熊野の中辺路をあれよあれよという間に歩き終えたのである。

では伊豆大島第二弾の計画だけは立てることにする。

 

伊豆大島 (椿)

朝6時に岡田港に着き、路線バスで御神火温泉に向かい入浴、食事、休憩をとる。<御神火>というのは、火山を神聖化しての呼び方で三原山を指しているらしい。伊豆大島は火山の噴火でできた島なので、島誕生の神とも言える。そして活火山でありかなり若い元気な火山である。この御神火温泉も1986年の噴火のあとで見つかった温泉だそうで、この時は島民の方全員が島から一時離れたのである。2013年には台風による大雨のため、御神火温泉に近い元町地区が大きな被害をうけている。

今度は観光バスで、火山博物館へ。伊豆大島には、数多くの地震観察計器が設置されていた。前方の海の向こうには富士山が見え、風が冷たいが穏やかな風景であるが、この辺りも台風の爪痕が残っていた。そこから島を横切る形で椿の名所大島公園へと向かう。途中オオシマサクラと呼ばれる白い色の桜が見られた。葉の緑が、白の花を清楚に見せてくれる。大島公園の椿資料館で、思いもかけない椿の出会いがあった。

一つは、水天宮の神紋が椿ということである。水天宮は壇の浦での、安徳天皇、母の建礼門院、祖母の二位の尼を祀っている。御座所に咲いていた椿を見て、安徳天皇が元仕えていた玉江姫を思って歌を詠まれたのに由来して椿を神紋にしたとあった。子供にまつわる安産と子宝の神様としか認識がなかったが「平家物語」につながってしまった。

もう一つは、奈良東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)で使われる造花の椿が展示されていた。修二会は、二月堂の下にある閼伽井屋(あかいや)の井戸から水(香水)をくんで十一面観音に献上することから「お水取り」とも呼ばれている。今ちょうどその時期である。三月一日から十四日まで行われる法要で、「十一面悔過(じゅういちめんけか)」ともいわれ、本尊の十一面観音に、<天下泰平><五穀豊穣>らを祈り、人々に代わって懺悔の行をするのである。十一面観音の須弥壇の回りに飾られる一つに、椿の生木につけられる造花の椿があり、これが修二会の椿である。白と花弁と赤い花弁は紅花、「におい」と称する黄色い蕊(しべ)はクチナシで染められ、芯はタウラ(たら)の木を削って作られる。この芯が見れたのである。

「お水取り」というと、燃え盛る松明をもった童子が二月堂の欄干を火の粉を振りまいて走る姿が浮かぶし、中で行われていることは見れないのでそれだけが、外から見れる行の一部である。柳生へ一緒に行った友人にお水取りも一度機会があったら見ておくといいよと話したら、今回行くとのことで、参考の本などとともに、歌舞伎舞踊のDVD『達陀(だったん)』も貸したのである。今回『達陀』を見直したが、複雑な<お水取り>ことをよく捉えて創作されたと改めて驚嘆した。二世松緑さんが構想創作した舞踏である。そんなこともあり、思いがけないというか、縁あるとでもいうか、修二会の椿との出会いであった。

もちろん伊豆大島の椿も美しかった。オオシマサクラの白色が赤系の椿を見下ろしている。温室も椿が満開で、種類も多く、<源氏>という名前だけは記憶にある。<侘助>は見なかったなあ。

伊豆大島 (夜景・夕景)

伊豆大島に行って来た。<伊豆大島復興応援ツアー>の案内を目にして、椿の大島は一度は行かなくてはと思ったのである。友人を誘ったところ都合が悪く、さらに友人は伊豆大島マラソンがあるとの情報を得て、今回は受付が終わったので来年は是非参加するとのことである。そういうことであるならと、こちらは、大島の地図やパンフレットなどを調達してくる。

ツアーの行程は、夜22時に竹芝桟橋を発ち、翌朝伊豆大島の元町港かまたは岡田港に6時に着き、温泉に入り休憩をとり、バスで→火山博物館→大島公園→三原山山頂口→元町港か岡田港から14時30分発ち竹芝桟橋19時45分着である。

大島へは高速ジェット船もあって1時間45分で着いてしまうのであるが、フリーととなるとバスの移動時間なども調べなくてはならないので、兎に角一度行って観る事にする。

竹芝桟橋などはあそこらあたりであろうとの感覚しかなかったが、JR浜松町駅から歩いて10分もかからない。旧芝離宮公園の前を通って信号渡ればすぐである。熱海に行った時に、初島に渡り、大島は東京からは遠い感覚であったが、船の乗り場が解ればどうということもなかったのである。竹芝桟橋からレインボーブリッジが見え、乗船が楽しみになった。

期待した通り、夜遅いので静かに出港するが、周りのビルの灯りや東京タワーの灯りを眺めつつレインボーブリッジの下を潜って行く。デッキは寒さのためもあって人はまばらである。この船は横浜港にも寄るのである。船の案内で聞いたところ、週末は横浜に行きと帰り寄るのだそうで、横浜港着23時20分ころである。23時過ぎに再びデッキに出る。今度は、横浜ベイブリッジである。長くて、巨大な柱である。レンガ倉庫群もボンヤリとした灯りを受けて見えてくる。

桟橋にどう横付けされるのか下を見ていると、船が傷つかない様に大きなスポンジのようなものが岸壁に張られていて、船体はそこにぶつかっては跳ね返されている。帰りは明るいうちに大島の岡田港を離れ、途中富士山の左横に太陽が沈み、横浜港では再び夜景の世界で18時ということもあって、横浜大さん橋で座って船の出入りを眺めている人も結構いる。富士山がレンガ倉庫と倉庫の間からぼんやりと顔を出している。竹芝桟橋に近ずくころは、某テレビ局のビルが色鮮やかに目まぐるしくライトアップしている。夜遅く静かに出港した船もまだ時間が早いので堂々と到着である。

途中の長い乗船時間中は、静かに読書も出来、満足の船の往復であった。たとえば、鎌倉辺りを散策して、横浜港から竹芝桟橋までの船旅を組み込むのも一計である。

大島といえば波浮港と思って居たら、客船の行き来は元町港と岡田港で、その日の海の様子によってどちらの港を使うかが決まるらしい。前日は強風のため出航停止で、大島に着いた日は富士山も見えこんなに良く見える日は少ないとのこと。

今回は、三原山から北側の観光で、南にあたる波浮港の方までは行かないのである。大まかな大島の観光地形は把握出来た。

 

映画『ゆずり葉の頃』

『ゆずり葉の頃』は、東京ではまだ公開前である。5月23日(土)~6月19日(金)岩波ホールで上映される。

映画館で手にしたチラシに、八千草薫さんと仲代達矢さんが向き合って写っており、その間に <中みね子監督デビュー作> とある。何んとこの監督さんは、岡本喜八監督夫人の岡本みね子さんである。この映画を撮影時は76歳ということで、素晴らしい監督デビューである。

八千草薫さんは、谷口千吉監督夫人でもあり、岡本喜八監督は、谷口監督のデビュー作『銀嶺の果て』でサード助監督をを務めいる。『銀嶺の果て』は原作・脚本が黒澤明監督で、三船敏郎さんのデビュー作品でもある。銀行強盗犯人である志村喬さんと三船敏郎さんが山小屋に逃げ込む。人物像、山岳映像が見る者を引きつけ雪山でのアクションはワクワクしながら見た。この時代にこんな山岳映像を撮っていたのだと驚いた。演じる方もスタッフも大変であったであろう。雄大な自然に負けない、三船さんの野性味と志村さんの情が絵になっている。

『ゆずり葉の頃』は、一枚の絵が導く過ぎし日への旅のようである。岡本喜八監督は亡くなられる前、次の映画として『幻燈辻馬車』の脚本も書かれていたが実現しなかったわけで、その礎を受けられてのことか、新たに岡本みね子さんが、中みね子監督として脚本も担当されて映画監督デビューされたのである。

岡本監督の映画『ブルークリスマス』は、SF的でありながら秀作である。この映画には岡本みね子さんも出演されている。仲代さん演じる国営放送局報道部員の奥さん役で、フランス語の習得に熱中していて、食事をしている間もヘッドホンをかけたままであるという一ひねりされた奥さんである。八千草さんも異端の科学者とされてしまう妻役で出演されている。『ブルークリスマス』はUFOを目撃してその光を浴びた人の血液が青に変わってしまい、秘密裡に権力によってあぶりだされ消滅させられてしまう話しである。SFでありながら、映画は日常的な流れの中で描かれていて、もし特殊であると規定されたら隠ぺいされ闇から闇へ葬りさられてしまう権力の非情さを感じさせる。

前半はテレビ界での話しかと思ったら、その放送界も暗躍する権力を修正する力はなく、後半は押しつぶされていく若者が主軸となっていく。見ていて話しの構成展開が岡本監督と違うなと感じていたら、エンディングクレジットに脚本・倉本聰さんの名前があり、やはり岡本監督ではなかったと納得した。若い二人が田舎の列車の停車場で途中下車をしてホームで話しをする場面は、二人の前を何本か列車が通りすぎ、時間が経過したことを表し、二人が深刻な状況であることがわかる。そのあたりを列車の動きで表すあたりが岡本監督の<動>である。この若者が勝野洋さんと竹下景子さんで、竹下さんは、『ゆずり葉の頃』にも出演されている。(「ブルークリスマス」作詞・阿久悠、作曲・佐藤勝、歌・Char)

『ゆずり葉の頃』の音楽は、山下洋輔さんで、山下さんのソロピアノが入るらしい。そして、画家の宮廻正明さんがこの映画のために、絵を提供されている。

『ゆずり葉の頃』の撮影・瀬川龍さんは、『銀嶺の果て』の撮影・瀬川順一さんの息子さんである。

ゆずり葉・・・若い葉が芽吹いた後、役目を終え、譲るように落葉することから、親が子を育てるたとえになぞられてきた。縁起ものとされ、お正月のお飾りなどにも使われている

監督・脚本・中みね子/撮影・瀬川龍/音楽・山下洋輔/出演・八千草薫、風間トオル、岸部一徳、竹下景子、六平直政、嶋田久作、本田博太郎、仲代達矢/劇中画・宮廻正明

 

 

加藤健一事務所 『ペリクリーズ』

カトケン・シェイクスピア劇場『ペリクリーズ』とある。

加藤健一事務所『ブロードウェイから45秒』 でのお店に貼られていたポスターが、今回公演の『ペリクリーズ』である。前回公演の時に訳本が売られていたので購入。観劇前日に読む。シェイクスピアと聞いただけで身構え、覚悟して読み始めたが、言葉に惑わされずに読めた。

最初は、ある国の王の近親相姦の話が出てきて、悩み多き王子が現れると思いきや、この若き領主は邪淫の父娘をあっさり捨て、争いを避け、賢き臣下の意見に耳を傾け、自国から放浪の旅へと船出するのである。このツロの若き領主が<ペリクリーズ>である。

冒険譚であり、家族愛の話でもある。筋が解り、修飾語や例えの長い台詞は少ないので、ハムレットのように悩む必要もないであろう。この話がどう展開し、どう役者さんたちは演じるのか、興味はそこに尽きる。

船で旅立ったペリクリーズは、ある国で姫を娶り、ツルへと向かうが、船は嵐に合い妻は娘を産んですぐに亡くなってしまう。乳飲み子を連れて船出するわけにもいかず、ある国の領主に娘を預ける。この娘が美しく清い心の持ち主として成長するが、それが災いし運命に翻弄される。しかし、娘は回りの人間を清めつつ自分の人生をつき進み、目出度く父と再会するのである。

ところどころで周りの状況を説明する語り部の話によると、幾つかの国がでてくるが、人の道に背いた領主は、最終的には、領民によって見放されて滅びていったようである。それは、ペリクリーズが訪ねた国である。舞台でペリクリーズは幾つかの国を訪れるわけである。それも船に乗って。

舞台措置で活躍したのが、大きな三角の布である。それが、▽ となり △ となり、役者さんたちが上手く作動して場の変化をつけていくのである。

一役なのは、ペリクリーズの加藤健一さんだけで、後の役者さんは何役かの掛け持ちである。女性人たちに限って言えば、お化粧のためもあり、女郎屋のおかみさんが那須佐代子さんとは最後まで気がつかなかった。パンフレットを見て気がついた。女性は3人しか出ていないのに見抜けないでいた。付き人役とはあまりにも違う役である。加藤忍さんは、ペリクリーズとの出会いを愛らしく演じ、その娘役は静かに嘆きつつも相手を諭しつつ突き進んでゆく。矢代朝子さんは、悪と女神の両極端を、どちらも、不可思議な信念を醸し出していた。

男性陣は、幾つかの国の、太守や、臣下や、漁師や、騎士やなどとなり、ペリクリーズがその国へたどり着いたことを表し、ペリクリーズの旅を想像させ、航海の大変さへの想像をも助ける。

紙に印刷されていたものが、このように肉付けされ、舞台化されるのかと、その立体化された舞台空間を楽しんだ。主なる役の本筋をとらえ、違う場面では、それとは違う空気の流れを起こす。そして、ペリクリーズの波乱に満ち人生とその家族愛の成就を完結するために作り上げていくのである。その中心として、加藤さんのペリクリーズは力強く進み絶望へと至り、娘に救い出される。

シェイクスピアは苦手なのである。シェイクスピアとはなんぞやというところへは行けそううにもない。めでたしめでたしである。

訳・小田島雄志/演出・鵜山仁/出演・加藤健一、山崎清介、畑中洋、福井喜一、加藤義宗、土屋良太、坂本岳大、田代隆秀、加藤忍、那須佐代子、矢代朝子

 

三津五郎さんの<眼>

歌舞伎舞台に立てなくても、三津五郎さんの<眼>で後輩たちの指導をし続けていただきたかった。療養生活が長くなることは予想できた。むしろ、ゆっくり療養されて欲しいと願っていた。

歌舞伎の舞台に立つとどうしても長期間となり健康管理も大変なので、時々漏れ聞くお元気そうな情報にこのまま<眼>だけは光らせていただければ充分と思っていた。

北陸新幹線の開通する前にと、一月末に福井まで足を伸ばし、帰りに松本城に寄ってきた。『坂東三津五郎 粋な城めぐり』を、行く前はバタバタして読み返していなかったので、帰ってから開きなるほどと楽しみ、月見櫓から眺めたお堀の風景などを思い出していた。

そして、つい先頃、三津五郎さんのお城に関する番組が放映された。三津五郎さんの生真面目さのうかがえるお城紹介であった。三津五郎さんが好きなことをされるだけの体調になられたのだと少し安心したのである。

視ていてくれるだけで、次世代の役者さんはどんなに心強かったであろう。

観客として、もちろん三津五郎さんの舞台復帰は望むところであるが、それが駄目であれば、三津五郎さんの<眼>があればそれで充分であった。無念である。 合掌。

 

ドラマ・リーディング『死の舞踏』

朗読劇である。台本を持っての台詞のバトルである。スウェーデン出身の脚本家・ストリンドベリの作で、まさしくバトルであった。バトルを繰り広げたのは、仲代達矢さん、白石加代子さん、益岡徹さんの三人である。

老夫婦の夫と妻は、お互いに反目しあっている。観客が思うにこの夫婦は相当長い時間お互いの相容れない部分の突っつき合いをしているらしく、時には、その修練の見事さで笑わせられる。 仲代さんの夫は、のたりのたりとソフトな感じで語りかけ、妻はそんな手に乗るものかと、ポンポン返してゆく。妻は自分の言葉が夫の言葉に吸い取られて雲散霧消にされないようにと警戒しつつもじわじわと攻撃を起こす。

そんな二人の間へ、友人のクルト・益岡さんが加わる。二人はクルトを自分の理解者として引きずり込むための会話へと変化させていく。何が噓で何が事実なのか。クルトは二人に翻弄される。観客も翻弄されるが、この毒気の可笑しさはどこから来るのであろうか。白石さんの気鬼迫る言葉の激しさが次第に快感になってきたりする。にこやかに噓を隠している人よりも、自分の悪をさらけ出す人のほうが愛すべき人なのかもしれない。表面を繕うことの虚しさまで感じさせるのである。

そんな妻に、夫はクルトの人生さえも掌握したように見せかけ、実はそれが噓であったという筋書きまで作るような人である。したたかに見えないでいて軽くかわす夫。それでいて、男としての威厳も主張する。

夫婦二人は、クルトを味方にしようとしていたのか、単なる二人の餌食として食い殺すことに喜びを感じていたのか。夫がなくなってからの妻の独白。夫婦の<憎>は実は<愛>だったのか。

バトルの後のワルツが最高である。

人間は美辞麗句に飾り讃えられるより本質を暴かれた方が素晴らしいワルツを踊れるのかもしれない。

『百物語』を続けられた白石さんだけに、言葉の抑揚に狂いはない。台本は手放してはいけないし、覚えていながらも台本を見続けなければならないという状況に挑戦された仲代さんは、演技が少し加わり動けるところでは、水を得た魚に見え笑わせてくれる。益岡さんは、二人の夫婦と名優に翻弄されながらも、何んとか自分を保ち、二人を客観的に見据え、自分精神と身体を静かに二人から引き離すことに成功したようである。

【 45分 <休憩> 60分 】のドラマ・リーディングは劇的で、2ラウンドが一段と白熱であった。

ラストのお三人が優雅で素敵であった。愛憎劇もかく美しく完結しえるのである。

原作・ストリンドベリ/上演台本・笹部博司/演出・小林政広

東京公演 博品館劇場 2015年2月17日~22日

新潟公演 りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館  2015年2月24日、25日