歌舞伎座 八月納涼歌舞伎 雑感

初めて観る演目(『恐怖時代』『信州川中島合戦』)もあり興味深い観劇となった。総体からの印象を書き散らす。

役者さんから云うなら、三津五郎さんの安定感(体力的にもこれからも慎重にされて欲しい)、扇雀さんの観ていなかった演目での活躍がやはり若手の中心力となっている。脇での萬次郎さん、彌十郎さんの抑え。そして、思いがけない発見が、『恐怖時代』の七之助さんの役の面白さと、児太郎さんの片外しの武家の妻役である。七之助さんの感情を表さない部分が今回の役では思いがけない一貫性があった。児太郎さんは、じっくり古典を覚えていって欲しい。この若さで片外しが似合うとは思わなかった。そいうタイプの役者さんなのかもしれない。まだまだ時間はかかるであろうが是非一つの道としてほしい。。

外してならないのが、『たぬき』での七緒八さん。まだ回らない口調での台詞が却って功を奏し、子供が、仮面ライダーや、変身の主人公に成りきるように、役になりきっている。息子によって、<たぬき>は、人間に戻るのである。変身を見抜かれてしまうのである。子供にとっては、そのものなのである。

今回の演目には、二人の小説家の作品が並んだ。谷崎潤一郎さんの『恐怖時代』と大佛次郎さんの『たぬき』である。『恐怖時代』は人間の醜き欲望を、残酷な美しさへと転換する谷崎美学であり、『たぬき』は、『鞍馬天狗』で杉作少年を登場させ、大人も子供も夢中にさせた大佛さんらしい締めくくりの舞台である。

一番話題であったのは、納涼奮闘公演の『怪談地乳房榎』と思うが、勘九郎さんに対し、一つ疑問に思ったことである。下男正助である。笑いの取り方が勘三郎さんのテクニックのみの受け取り方と、私には見えたのである。そのため『恐怖時代』の茶坊主珍斎も構成全体から笑いにはみ出し、作品の登場人物として何か違うように受けてしまった。『やぬき』の太鼓持ちの蝶作。笑いよりも先ず、登場人物の人物を見極めてから自然とその生き方、仕草が笑いに通じることを考えて欲しいと感じた。「えっー!」「えっ~?」で笑いを取るたびに、申し訳ないが<芸>ではなく、<テクニック>として見え、勘九郎さんらしくないと思えたのである。

勘三郎さんは映画の中で、<中村屋は、組織的なお客様がいないのだから、新作をやっていかないとお客様に逃げられるんだよ>と言われていて驚いた。<中村屋>というよりも、歌舞伎がと言い換えるなら納得できる。若いお客さんに勘三郎さんの新しい歌舞伎で親しんでもらって、古典歌舞伎も観てもらいたいとの思い。私の周辺では、勘三郎さんは、今やりたいことをやってそれから古典の比率を増やしてくれると思い待っていたのである。思いはそれぞれだから致し方ないが、勘三郎さんがやり残した古典作品への勘九郎さんへの期待は、観ることが叶わない年代の人々にとっても大きいと思う。

 

2014年の<郡上おどり>

2年連続の郡上八幡での<郡上おどり>となった。郡上八幡を訪れるのは、三年連続である。昨年も無計画の思い立ったが吉日の旅であったが、今年もである。友人が今年は踊りに行くというので、<郡上おどり>のDVDを貸す。そしてはたと考える。ここは2日空いている。ここで、そうだ郡上おどりに行こう。

初めて郡上八幡を訪れた時、郡上八幡博覧館で<郡上おどり>に出会い、DVDを購入。かつて日本舞踊一筋だった友人にDVDを送り付け、彼女ににわか仕込みで習い<郡上おどり>に初参加。今年は出かける3日前に、彼女を誘ったところ「行く!」の即決。誘って良かった。一応、教えを受けたお返しの一部となった。付き合いが長いから突然の誘いにも驚かないし、3回目であるからこちらも旅の先導は出来る。

岐阜から郡上八幡へのバスに乘る人たちの中の一団の女性達は、キャリーバックを引きどうやら浴衣を持参でのおどりの参加の方々のようである。こちらは今回も思い立って突発の旅なので、下駄だけはと思ったが、誘った以上は帰るまでが旅なので、靴での参加とする。

<郡上おどり>は有名なので、観光化していない<まち>と<人々>と<おどり>に友人は驚いて 「こんな所が日本に残っていたの!」 と喜んだり、感嘆したりと忙しい。踊ったあとの感想も。「こんなに無心になって踊れるおどりも珍しい。」 「見ている人がほんの少数ね。」 見物するおどりではない。自分が踊るおどりである。そして、いつしか無心になって踊っているのである。「誰が世話役さんなのか、地元の人なのか、よその人なのかわからないわね。」「基本の形を守って美しい踊り方をしている人が沢山いて凄い。」 よそ者でも踊りに参加させえてくれる場を提供してくれることに感謝しつつ、静かに溶け込んでいく。この美しいというのは、優雅というのとは違う。農耕民族の形と私などは思っている。

この日は、宗祇水神祭(そうぎすいじんさい)の日であった。<郡上おどり>は縁日おどりでもあり、神社仏閣の多い郡上八幡では、自然に夏に多い縁日に欠かせないものとなったようである。7月半ばから9月初めにかけて30夜踊られるのも、町内の縁日に合わせている。 <宗祇水>は、藤原定家を祖とする東常縁(とうのつねより)から和歌を学ぶため宗祇がこの泉のそばに草庵を結んだことに由来してつけられた名である。8月20日には、宗祇忌に合わせ宗祇水神祭が行われ、地元本町の自治会が朝から町内を掃除し、宗祇水も丁寧にみがかれる。町内のかたが、御供え物をあげておられ準備されていた。夕刻には神事が執り行われたようである。常縁と宗祇に因み連句奉納もあるらしい。本町に出る石畳の道には両脇に、句の書かれた行灯が下がり、夜にはほのかな灯りで石畳を照らす。

そして、夜には宗祇水のそばの小駄良川(おだらがわ)で水中花火があり、清水橋から水中花火を楽しむのである。水中花火は初めてである。花火筒に点火して川に投げ込むと、一つの火玉が幾つかに分れ、流れの急なところで、その分散した光の玉が水中を潜っていき水の下から見えるのである。可愛らしい涼やかな光の玉である。 花火の終わった頃、本町では<郡上おどり>が始まる。昨年は岸剱神社(きしつるぎじんじゃ)川祭だったので、郡上城の下の城山公園でのおどりであった。今回は町中でのおどりである。何処の場所でも屋形を軸にその地形に沿った輪が出来ておどりが始まる。最初の歌から参加する。「かわさき」から始まった。やはり足がもたつく。

友人と熱中症になったら困るから水分とろうと言っていたのに、二時間近く隣でおどりながら口を利くこともなく自分の世界に入っていた。今年も<郡上おどり>を現地で踊れた! 別の友人達はこれから現地初おどりである。

東常縁が、郡上を発つ宗祇に送った歌

もみぢ葉の ながるる竜田 白雲の 花のみよし野 おもひわするな

宗祇の返歌

三年ごし 心をつくす 思ひ川 春たつさわに わきいづるかな

 

昨年の郡上おどり

郡上八幡での<郡上おどり> (1) 郡上八幡での<郡上おどり> (2)   郡上八幡での<郡上おどり> (3)

 

加藤健一事務所 『If I Were You~こっちの身にもなってよ!~』

『あとにさきだつうたかたの』『請願~核なき世界』 二回続けてシリアスではあるが、時には立ち止まって考える必要のある問題をテーマとした作品を上演してきたが、今回はコメディである。しかし前半は、イギリスのある家庭の、いや何処にでもあるような、家庭上の問題が、それぞれ我慢の限度を越えようとしている状態での、突然の出来事。

劇作家のアラン・エイクボーンはこの壊れそうな家族に、夫婦が入れ替わるという手法を試みた。身体が変わっただけで、その身体の動きはそのままである。それは、役者への挑戦状でもある。男女が入れ替わる。夫と妻の役割が入れ替わる。妻は夫の愛人と夫として電話で話す。妻の好みなど知らない夫が妻の洋服を着る。ところが、これが妻のほうが上手くやってしまうのである。

舞台装置は一つである。夫・マルと妻・ジルそして息子・サムの住む家で、ダイニングルーム、リビングルーム、ベッドルームが設定されている。この舞台が、マルの職場である、家具店のショールームとしても使われる。上手い発想である。夫妻にはもう一人娘・クリッシーがいて、その夫・ディーンは、マルと同じ職場である。マルと ディーンが同じ職場で、家の様子と職場の様子が観客に見せれるわけで、マルとなったジルが職場でどのような行動をとっているかもわかるわけである。このことは、マルとジルが入れ替わってどう行動するかの役者の大変なところでもある。

妻のマルは、意外や職場を夫のマルより上手くまとめてしまう。夫のジルは悪戦苦闘するが、娘と婿の問題を上手く解決の方向に持っていき、自分の理解していなかった息子のこともわかりかけるのである。娘はマルのお気に入りで、利発である。夫婦が入れ替わる前から母に仕事に出るように勧めていた。それが、入れ替わることによってジルは自信を取り戻す。娘は利発なだけに自分たち夫婦の問題は隠していた。ところが、入れ替わることによって、その問題も表面化し解決へと向かうのである。

結果的にこうまとめあげれるが、それは、ドタバタしているようで、それぞれの人物像、人間性はきちんと演じられているからである。前半は丁寧に問題点を時間をかけて見せ、突然の事件と困惑も夫婦二人の力で乗り越えた達成感へと持っていく。

一つ問題は、マルは自分がいなければと思っているタイプである。それを、妻のマルがことも無く自分の仕事をこなしてしまうのであるから、プライドが傷つくのではと思う。そこを、息子に対する婿の態度に怒り、それがお気に入りの娘に助力するという形で、マルは達成感に浸れるのである。ここのところを役者さん達の人物像がきちんとしていてくれたからこその成果である。アルと ディーンに対するサム。そうではなく一人、一人の人間性があるのである。

入れ替わることによって見えてきた、人間の長所と短所、見たくない部分だけが増幅していく人間関係。 <こっちの身にもなってよ!>

作・アラン・エイクボーン/訳小田島恒志 ・小田島則子/演出・高瀬久男/出演・加藤健一(アル)、西山水木(ジル)、加藤忍( クリッシー)、石橋徹郎( ディーン)、松村泰一郎(サム)

 

『平和の申し子たちへ!』

8月15日、終戦記念日である。

10代から20代にかけて、大人はどうして戦争を始めたのであろうかと考え、大人たちはだらしが無いと思って居た。なんで戦争に反対しなかったのかと。色々本などを読んでいくうちに、当時戦争反対を唱えることは、自分の命と引き換えであることがわかってきた。その覚悟でなければ、国の動きを停めることが出来ない状況であった。

しかし、その前に反対出来る時間は無かったのか。今回、集団的自衛権が閣議決定され、そうかこういう事か。こうした、大丈夫ですよ的空気で気がついて見れば、反対するのに命をかけることになるのだと、わかってきた。いつのまにか絡めとられて、戦争の中に抛りこまれるのである。

そして、今の子供達にどうして大人は戦争に反対しなかったのと悲しい眼でみつめられる時があってはならない。これからの子供達も<平和の申し子>でいられる権利はある。

8月15日は、いつまでも、終戦記念日でよいのである。

なかにし礼さんの <『平和の申し子たちへ!』 泣きながら抵抗をはじめよう>の詩は賛同できるので部分的ではあるが載せさせてもらう。

 

2014年7月1日火曜日  集団的自衛権が閣議決定された

この日 日本の誇るべきたった一つの宝物  平和憲法は粉砕された  (中略)

巨大な歯車がひとたびぐらっと  回りはじめたら最後  君もその中に巻き込まれる  いやがおうでも巻き込まれる

しかし君に戦う理由などあるのか 国のため?大義のため? (中略)

君は戦場に行ってはならない  なぜなら君は戦争にはむいていないからだ 世界史上類例のない  69年間も平和がつづいた  理想の国に生まれたんだもの

平和しか知らないんだ  平和の申し子なんだ  平和こそが君の故郷であり  生活であり存在理由なんだ  (中略)

俺は臆病なんだ  俺は弱虫なんだ  卑怯者?  そうかもしれな  しかし俺は平和が好きなんだ  それのどこが悪い?  弱くあることも  勇気のいることなんだぜ

そう言って胸をはれば  なにか清々しい風が吹くじゃないか

怖れるものはなにもない  愛する平和の申し子たちよ

この世に生まれ出た時  君は命の歓喜の産声をあげた  君の命よりも大切なものはない

生き抜かなければならない  死んでははならない  が  殺してもいけない

だから今こそ!  もっとも弱きものとして  産声をあげる赤児のように 泣きながら抵抗を始めよう  泣きながら抵抗をしつづけるのだ  泣くことを一生やめてはならない

平和のために!

 

 

歌舞伎 『謎帯一寸徳兵衛』 (前進座)

夏となれば怪談である。歌舞伎で怪談といえば、『四谷怪談』。そして、鶴屋南北となるが、この『四谷怪談』の前に鶴屋南北の『謎帯一寸徳兵衛』がある。面白いのは、『謎帯一寸徳兵衛』の登場人物は、『夏祭浪花鑑』と重なる。『夏祭浪花鑑』の56年後に『謎帯一寸徳兵衛』は上演され、その14年後に『四谷怪談』が上演される。

『夏祭浪花鑑』と『謎帯一寸徳兵衛』の登場人物は同じ名前であるが、内容は『四谷怪談』の内容に重なる部分もある。鶴屋南北がなぜ、『夏祭浪花鑑』と『謎帯一寸徳兵衛』の登場人物を同じ名前にしたのかは私にとっては、疑問の段階である。鶴屋南北さんの戯作者としての手法なのであろうか。このことはこの辺にしておく。

『謎帯一寸徳兵衛』は、2006年に、前進座75周年記念公演が国立劇場であり、その放映を録画していたのである。<徳兵衛>の名から、そういえば何かあったなあと思って調べたら残っていた。前進座の記録としても面白し、歌舞伎の流れの一つとしても興味が増し、戯作者・鶴屋南北さんも亡霊のようにぼんやり姿を現してくれた。それにしても南北さんの書いた作品の筋を書くのが大変。鶴屋東西南北と改名してもらっても良いかも。

釣舟三吉はお磯を見受けするため、実家の道具屋から<浮き牡丹の香炉>を盗み出し、大島団七にその香炉で金を工面してもらう手筈をつける。団七はもとより三吉をだますつもりで、それを三河屋義平次に渡し、義平次の娘お辰を嫁に欲しいと申し出る。お辰はすでに吾妻屋徳兵衛に嫁ぎその願いはかなわず、香炉は貸した50両のうちの20両分のかたにとられてしまう。団七はかつて仕えていた家の玉島兵太夫に出会う。兵太夫の持参している名刀・<千寿院力王>とお辰に瓜二つの娘のお梶に目をつける。団七は策をめぐらし、兵太夫を殺し、自分が殺しながら敵をとることを約束し、奥女中の兵太夫の妹・琴浦の前でお梶と祝言をする。

入谷団七住居の場は、団七とお梶が、『四谷怪談』の伊右衛門とお岩を思い起こさせる。団七は病身のお岩が使う蚊帳を遊興のために金に変える。三吉が団七を訪ね、香炉を返すか金を渡せとせまる。そこへ義平次も現れ、三吉を香炉を盗んだ盗人として訴えると脅す。三吉は仕方なくその場を去る。その時雪駄を片足間違って履いてゆく。義平次は団七に残りの30両を揃えろと迫る。団七は、お梶を義平次に渡し後金の変わりとしようとするが、もみ合ってお梶の頬に焼き串を当ててしまう。このあたりは『夏祭』である。傷があっては駄目だと、義平治は、団七の娘・お市を駕籠に乗せ連れていく。それを追うお梶。さらに追う団七。入谷の田圃で団七はお梶をなぶり殺しにし井戸に突き落としてしまう。その場を偶然通りかかるのが、徳兵衛とお辰である。ここで徳兵衛がやっと出てくるのである。この徳兵衛さん、知的なかたで、お金に振り回されている人々を後目に、きちんと犯人を捜し当てていく。

徳兵衛の住居に三吉は、お辰によって匿われている。そこへ、団七が、三吉の片方の雪駄を持参し、自分の女房お梶が殺されたところに落ちていて、女房殺しの三吉を出せという。お辰は徳兵衛に内緒なので、その場を収め団七は引っ込む。今度は義平治が、お辰に親孝行させるためもうひと稼ぎさせたいから徳兵衛に去り状を書けと迫る。外では物乞いの老女がやかましい。その物乞いは、三河に置き去りにされた義平次の女房・張り子の虎であり、義平次が、お祭りの夜、玉島兵太夫の二人の娘の妹お辰を連れ出し逐電したと告げ、お辰の父は兵太夫で姉がお梶と知れる。義平次は外に放りだされる。

徳兵衛は用事で外出し、外は雷が鳴り響く。お辰は蚊帳に逃げ込み、団七も同じ蚊帳に逃げ込む。そてを徳兵衛は不義密通とし団七と刀を合わせる。団七の抜いた刀は、<千寿院>であった。徳兵衛は、団七の刀を抜かせ確かめたかったのである。義平次が仲間を連れてきて団七を逃がす。義平次は<浮き牡丹の香炉>を落としてゆき、隠れていた三吉はお屋敷からの預かりものの香炉が見つかり実家へと走り出す。

須崎の土手で、徳兵衛とお辰は、父と姉の敵の団七を討つため駆けつけ、立ち回りとなる。土手の後ろには、夏祭りの山車の上の大きな飾りが姿を見せ通っていく。後ろの絵幕が落とされ木場の風景になり、お辰、団七、徳兵衛の三人と傘をもった花四天を並べ決まって幕となる。『夏祭浪花鑑』『四谷怪談』に重なるので惑わされるが、書いていくとよくまとまっている。原作はもっと長いわけで、芝居の場合、見せ場と筋の通し方で、見るものに与える印象も相当に違うものである。お梶とお辰を一人二役によって、お梶は亡霊になって出なくても、お辰が変わって敵を討ってくれるわけで二役の意味がしっかりしている。『四谷怪談』ではやはり怪談物でそうはいかなくなるのである。

団七(嵐圭史)、徳兵衛(中村梅雀)、お梶・お辰(河原崎國太郎)、奥女中琴浦(瀬川菊之丞)、釣舟三吉(嵐広也・現嵐芳三郎)、お磯(山崎杏佳)、兵太夫(中村鶴蔵)、お虎(中村靖之介)、義平次(藤川矢之輔)

芝居の間に、中村梅之助さんの「前進座七十五周年記念公演口上」がある。昭和6年市村座で旗揚げ公演があり、そのとき梅之助さんは1才4ヶ月だったそうである。30周年には『五重塔』『巷談本牧亭』『阿部一族』『左の腕』などの前進座の作品が出来上がっていた。50周年の記念公演のときは、松竹の永山会長と大川橋蔵さんのご厚意で歌舞伎座公演ができたといわれ、大川橋蔵さんは、自分の公演月を譲られたようだ。そして前進座は75周年、80周年も超えられた。新しい世代の出番である。

映画 『喰女ークイメー』は、『四谷怪談』も関係するらしい。10月の新橋演舞場は鶴屋南北作品が二つある。『金幣猿島郡(きんのざいさるしまだいり)』『獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』。8月歌舞伎座は怪談物『怪談乳房榎』である。

 

映画 『ジゴロ・イン・ニューヨーク』 『書かれた顔』

坂東玉三郎さんの『書かれた顔』が上映されている。かつて見ているが、よく判らなかったのでともう一度挑戦することにする。その前に、ウディ・アレンの映画も見ておいてと思ったら、その間の時間が空きすぎる。検討の結果、二つの映画の間は戸栗美術館で『涼のうつわー伊万里焼の水模様ー展」で涼を楽しむ。これが涼やかな企画で、水のある風景、雨、雪、富士山と夏向きである。団扇を庶民が使い始めたのは、江戸時代からで、中国から渡って高貴な方々だけが使っていた。庶民が使うようになれば絵柄は多種多様、役者絵も出てくるわけである。扇子は日本で生まれている。では映画のほうへ。

『ジゴロ・イン・ニューヨーク』。見終って、これがアレンなの、随分素直、お歳かなと思ったらアレンは出演だけある。監督・脚本はジョン・タトゥーロ。帰ってからチラシを見て判った。書き込みする前で良かった。余計なことを書くところであった。 ひょんなことから、タトゥーロはジゴロになり、その斡旋人がアレンである。この二人長いつき合いのようで、アレンは本屋であったが閉店に追い込まれ、花屋でアルバイトのタトゥーロをジゴロにしてしまう。この二人何となく揉めるが、何となくまとまる。タトゥーロのジゴロは何となく買われて、何となく幸せにしてしまう。そして何となく恋をして、何となく振られて、辞めるはずが、何となくジゴロに後戻り。あり得ない大人のおとぎ話である。買うほうの女性にシャーロン・ストーンが出ているのも楽しい。皮膚科の医者のストーンがタトゥーロに「あなた恋してるわね」と言うが、心療内科医も務まりそうである。タトゥーロが日本の生け花の手法を花束に使うのも、多民族共存文化のこだわりのなさの地域性か。

『書かれた顔』。監督はダニエル・シュミットで、彼の他の映画は観ていないが難解そうである。1995年に制作され、19年前である。女形に対する玉三郎さんの考え方は変っていないであろうが、表現者としての玉三郎さんは、あの頃と変化していると思う。『鷺娘』から始まって『鷺娘』で終わる。それも、始まりが鷺がくずおれて息絶える『鷺娘』のラストで始まり、そのラストでエンドという構成である。この映画の時、玉三郎さんがどのように感じられていたか判らないが、この時『坂東玉三郎舞踏集1~6』は撮り終えておられ、生身の若さの終盤としての想いがあったように思える。自分を消して女形を造り、生身の年令を越えて芸の女形の美しさを追求していく。その時、意識は様々な分野での女形への挑戦があった。映画、バレー、和太鼓、京劇、他の日本の芸能、そして、泉鏡花の世界など。

この映画で好きな場面は、前回もそうであったが、八千代座で演じる玉三郎さんを、もう一人の玉三郎さんが舞台の奈落へ降りていき音に誘われて歩いていくところである。何があるのと不思議そうに狭い通路を辿って行く。それは、私が玉三郎さんは今度はどんな世界を見せてくれるのと幕が開くのを楽しみにしているこちら側でもある。

監督はその後、女形としても玉三郎さんに切り込んでいく。玉三郎さんは女性でありながら女形であるとして、杉村春子さんと武原はんさんをあげられる。お二人のインタビューも紹介される。玉三郎さんは、足も不自由で背も高過ぎるというハンデを美しさに変えていった。老け役の多かった杉村さんは、美人俳優の中に合って、女の細やかな感情を見事に表現した。踊りに向く体つきではない武原さんは踊りで女を写し出した。そして、映像作品としての玉三郎さんの女形が映し出される。

白塗りに花飾りのついた帽子を被る舞踏家大野一雄さんの港での動きは、その長い指は空を舞い表現しつくしても答えがなく、或は無数にある答えをまだ探し求めているようである。

あの奈落を少し楽しげに彷徨う玉三郎さんが、これからのあの後をどう表現者として映し出してくれるのかが、楽しみである。あれがあの時<書かれた顔>なら、その後も新たな<書かれた顔>を見せてもらった。そして今度、<書かれる顔>はどんな顔であろうか。

『書かれた顔』 オーディトリウム渋谷 8月7日 16時50分~

『ジゴロ・イン・ニューヨーク』よりも混んでいた。

 

 

映画 『楽聖 ショパン』 『愛の調べ』

ワンコインで買えると手が伸びるDVD。『楽聖 ショパン』と『愛の調べ』が封を切らずにあった。クラッシク音楽音痴の私にも、これは事実とはかなり違うなと判るが、クラッシク音楽部門に入る門としては、入りたくなる気分に誘ってくれる。

『楽聖 ショパン』。ショパンの祖国がポーランドとは、知りませんでした。ポーランドの歴史は正確には把握していないが、ショパン存命のころは、<ポーランド立憲王国>と思われる。ロマノフ朝のロシア皇帝がポーランド王を兼任し事実上は、帝政ロシアの従属国のようだ。映画に戻ると、ショパン11歳から亡くなるまでを描いている。ショパンは少年の頃から我が強く、与えられた曲よりも自分の作曲した曲を弾きたがり、ショパンの才能を伸ばした指導者ジョゼラ・エルスナーを困らせる。ショパンはポーランドの政治的現状に不満で改革派の集会にも参加する。そんな中、演奏会での演奏の話がくる。ここで面白いのは、その演奏会の演奏者に、ショパンの前にパガニーニがチラリ出てきたことである。なるほど同じ時代の音楽家であり、パガニーニが外せない音楽家としているのである。演奏者が待っている場所は食事の運ばれる配膳室である。、それは、貴族たちの食事の間に演奏するという添え物の演奏である。ショパンは、アンコールを求められるが、ポーランド総督閣下が同席し、虐殺者の前では弾かないと演奏するのを拒み席を立ってしまう。逮捕を恐れ、皆に勧められエルスナーと共にパリへ亡命する。

パリで、フランツ・リストとジョルジュ・サンドに見い出され社交界でもてはやされる。ジョルジュ・サンドは、ポーランドを思うショパンの政治性に反対し、身体の弱いショパンにひたすら音楽だけに身をゆだねることを勧め、エルスナーからも離し、自分の世界に取り込んでいく。エルスナーに再会したショパンは、祖国の苦難を知り、捕らわれた人々の保釈金のために、お金になる演奏会の旅にでる。演奏会は大成功であるが、ショパンはそのことによって、命を削り死出の旅立ちとなってしまう。 このリストさんは、『愛の調べ』にも出てきて、社交界と音楽家を結びつける役割をしている。ジョルジュ・サンドとショパンの事も知らなかった。映画では、ジョルジュ・サンドが自己愛の強い傲慢の女性に描かれていて、マール・オベロンが力演であり、彼女の衣装も見どころである。映画の中で彼女の肖像を描いているのがドラクロワである。そして、ショパンは<ポロネーズ>を最後まで自分のなかでの祖国の原点と考えていたようである。

『愛の調べ』。作曲家ロベルト・シューマンと天才女流ピアニストクララ・ヴィークの結婚から結婚生活、シューマンの死、そしてクララの夫の作品を演奏会で弾き続ける姿を描いている。さらにクララに恋心を抱くブラームスも登場し、この時代はクラッシク音楽の黄金期だったのであろうかと驚いてしまう。何んといってもさすがのクララのキャサリン・ヘプバーンである。この映画は、キャサリンの出ている映画としてすでに見ている。今回は新しい音楽を創造するそれぞれの苦難の作曲家の映画としても見れた。

クララは、自分の御前演奏会で、アンコールにシューマンの曲を演奏する。それが、「トロイメライ」である。それを聴いた皇太子が、楽屋に来て「とても良かった」と緊張して挨拶をする。ラストで、皇太子は国王になっていて、クララの演奏を聴き、昔を思い出す。クララは国王に向かって「覚えておられないでしょうが」と言って、アンコールに「トロイメライ」を演奏する。

クララは8人の子供を産み、与謝野晶子さんのようであるが、夫の経済を助けるため一度だけと夫の了解をとり演奏会を開く。帰ってみると、女の子のユーリエがはしかになっていて、ユーリエを二階に隔離し同居していたブラームスが面倒をみる。ユーリエはクララと同じ目をしている子で、ブラームスに「私のこと好き?」と聞くと「ああ」と答える。「マリーより好き?」「皆好きさ」。「ママよりも好き?」ブラームスは間を置いて「大人の好きは、また別なんだよ。」と答える。子供のあどけなさの使い方が上手い映画である。 なかなかシューマンの歌曲は認められず、頭痛や耳鳴りが酷くなる。リストとブラームスは後押しをして、リストはサロンの自分の演奏会でシューマンの「献呈」を演奏し、「ファウスト」の公演へと道を開く。このサロンでの演奏の時、「余興はまだかね。リストは何かをやるよ。」と客がいうが、ピアノ線を切ってしまい他のピアノに移り弾き続ける。パガニーニも二本の絃を切り一本で演奏しつづけたが、この当時こういうお楽しみがあったのであろうか。この時のリストの弾き方に異議を唱え弾きなおすクララの自信も凄い。「ファウスト」の公演はシューマンの体調不良で失敗に終わり、彼は入院し、亡くなってしまう。

家から出ないクララを外に連れ出したブラームスは、結婚を申し込みクララも心動かされるが、楽団のヴァイオリン弾きがシューマンの曲を弾く。それを聴いたクララは、シューマンの作品を世に広めるため自分のピアノで演奏活動を続ける決心をするのである。

どこまで接触があったのか定かではないが音楽、美術、文学の芸術がはなやかに開花していった時代のようで、まだ一般庶民のものではなくサロンを中心としたモノだったのかもしれない。クラッシク音楽音痴が随分楽しませてもらった。パガニーニさんとギャレットさんのお蔭である。もっと言えば、『天守物語』が人気があり過ぎということになる。

 

 

映画 『パガ二ー二 愛と狂気のヴァイオリ二スト』 『不滅の恋 べートーヴェン』 

歌舞伎座の『天守物語』の一幕見を観ようと思い立ち寄ってみた。並んでいる人は15人弱である。少ない。暑いからであろうかと思ったら、そうでは無かった。既にお立見ですと係りの人に言われる。皆さん一幕目から通しで買われているようだ。少し並んでいたが、自分のこの状態では良い観劇は無理と判断する。既に観ているものが壊れては何もならない。確かウディ・アレンの映画をやっていたはずと日比谷の映画館へ向かう。

暑いため、ウディ・アレンではなく、音楽伝記映画『パガ二-二 愛と狂気のヴァイオリ二スト』選ぶ。映画の内容よりも、ヴァイオリンの演奏が暑さを吹き飛ばすほどの音のように思えたのである。予想は当たった。デイヴィッド・ギャレットのヴァイオリン演奏にノックアウトされた。まかり間違えば不快な音になりそうな極限の音を心地良い音にしているという感じで、アップテンポさも暑い夏に効きそうである。

映画の筋は、19世紀のイタリアで、天才ヴァイオリ二ストの愛と狂気、その天才ゆえの栄光と挫折である。世間に認められていない二コロ・パガ二ー二は、敏腕のマネージャーと手を組み、その才能を世の中に認めさせていく。名を上げれば上げる程、パガ二ー二は、女、アルコール、賭博にのめり込んでゆく。マネージャーは、その性癖をパガニーニの演奏を鋭敏にするものとしてコントロールしていく。ロンドンに住む指揮者が、パガニーニをロンドンの演奏会に呼び、やっとパガニーニを捕まえることが出来る。パガニーニは指揮者の娘・シャーロットと恋に落ちてしまい歌手志望のシャーロットに歌を送る。演奏会の出番時パガニーニの姿が無い。指揮者は蒼白であり、シャーロットも探し回る。とヴァイオリンの音がして、客席の後ろの入口からパガニーニが現れる。この時のパガニーニ、いやデイヴィッド・ギャレットが最高である。そして、シャーロットは、パガニーニに誘われ送られた歌を披露し拍手喝采となる。しかし二人の愛は周りの思惑から壊れてしまう。それまでも素行の悪いパガニーニは、世間から非難を浴びシャーロットを失った痛手は彼を立ち直らせることはなかった。映画の内容としては天才にありがちな定番であるが、演奏場面と、とにかく、演奏が良い。聴くに値する映画である。 パガニーニは、ショパン、リスト、シューベルトも心酔したと言われているヴァイオリン二ストであるが、この映画を観るまで全く知らなかった。<映画って本当に面白いですね。><映画館が学校だった。>

監督がバーナード・ローズで『不滅の恋 べートーヴェン』の監督でもある。友人とパガニーニの映画の事をメールし合って、『不滅の恋 べートーヴェン』の話になった。彼女は二回観たという。こちらは、観ているのに内容が思い出せない。<「不滅の恋」の内容はべートーヴェンの死後の手紙が誰に宛てたものかを探って行く物語で、三人の女性に聞きながら不滅の恋人は誰なのかを探るストーリーです。> 思い出せない。<それで誰が不滅の恋人?><弟のお嫁さん!あの手紙を読んだときの泣き顔最高にセクシーだったな~!ラスト思い出した?><思い出せない!> 織田作さんの書き込みしつつやり取りしているとは言えショック!<最愛の人がべートーヴェンの子を宿したまま、ちょっとしたすれ違いから誤解が生じ、彼女は弟と結婚する。かなり辛い人生。弟は自分の子供と信じてる。怨み憎しみあってる二人。第九を聞き最愛の人はべートーヴェンを許す。憎しみ怨みが創造の源だったみたい。べートーヴェンの心からの手紙を読み、初めてべートーヴェンを理解して号泣する姿を窓越しに弟子が見ててエンディングです。>

この映画のDVDのレンタルを探しまわる。VHSであるが渋谷にあった。不滅の恋人はもちろんだが、二人の恋人との関係も興味深い。時代背景がよくわからないのと、べートーヴェンの作品を熟知していないので、音楽のつぼを上手く捉えていけない。ナポレオンがのし上がって敗れて行く時代で、べートーヴェンはナポレオンに期待している。ところが、ナポレオンもまた貴族の一人に過ぎなかったと絶望する。自分は耳が聴こえず、それでいながら、自分の中では音楽が鳴り響いている。時代をも描こうとし、自分の歴史をも描こうとしている。そして、自分の恋も。その恋も、弟子が名前のない<不滅の恋人>を探すという、ミステリアスな流れとなっている。<不滅の恋人>を探し当てて一件落着なのであるが、どうも記憶に無かったのは、べートーヴェンという人の一断片であって、底知れぬ自分の世界に住んでいた彼がチラチラして、一件落着にはならなかったようだ。今もであるが。

<不滅の恋人>に関しては友人が上手く説明してくれて助かった。その時メールでは、ゲイリー・オールドマン、『レオン』、『グロリア』、イザベル・ロッセリー二、イングリッド・バーグマン等の文字も飛び交っていたのである。こちらの蛍は忙しい思いをしたことであろう。

 

織田作さんの『蛍』 (小説・演劇・映画)

織田作さんの『蛍』は、映画、舞台になっている。

小説では、主人公登勢は両親に死に別れ、彦根の伯父に引き取られ、十八のとき伏見の船宿の寺田屋に嫁ぐ。寺田屋は後妻の姑・お定が仕切っており、そのお定は頭痛を言い訳に祝言の席にも出てこない。  「そんな空気をひとごとのように眺めていると、ふとあえかな蛍火が部屋をよぎった。祝言の煌々(こうこう)たる灯りに恥じらう如くその青い火はすぐ消えてしまったが、登勢は気づいて、あ、蛍がと白い手を伸ばした。」 夫の伊助は、病的な潔癖症であり姑はすぐに病で寝たきりとなる。お定は寺田屋の家督を娘の椙(すぎ)に継がせたかったがそうならず、椙は好きな男を追い家を出てしまう。登勢はひたすら働く。あるとき赤子の鳴き声がし、登勢はその捨て子をお光と名づけ育てる。お光が四歳のとき千代が生まれ、姑は亡くなる。 「蚊帳へ戻ると、お光、千代の寝ている上を伊助の放った蛍が飛び、青い火が川風を染めていた。あ、蛍、蛍と登勢は十六の娘のように蚊帳中をはねまわって子供の眼を覚ました」 登勢は今度は女の子を産み、浄瑠璃を習い始めた伊助は、お光があってお染がなかったら野崎村にならないと、お染と名付ける。お染は四歳のとき疫病で亡くなり、お光は実は椙が実家に捨て子した子で、自分の子をむかえに来たと言って連れ去ってしまう。

間もなく登勢は京の町医者の娘お良を養女にする。世の中は騒がしくなり、寺田屋で薩摩の士が同士討ちとなり、逃げた登勢の耳に<おいごと殺せ>という言葉が残った。 「有馬という士の声らしく、乱暴者を壁に押さえつけながら、この男さえ殺せば騒ぎは鎮まると、おいごと刺せ、自分の背中から二人を突き刺せ、と叫んだこの世の最後の声だったのだ。」 やがて、薩摩屋敷から頼まれ坂本龍馬をあづかる。伊助は京の寺田屋の寮にしばらく移ることにした。奉行所の一行が坂本を襲って来た時、お良は裸のまま浴室から飛び出し坂本にその急を知らせた。このお良を坂本は娶って、二人は寺田屋から三十石船に乘り長崎に旅立った。翌日には、登勢の声がした。 「それはやがて淀川に巡航船が通うて三十石に代わるまでのはかない呼び声であったが、登勢の声は命ある限りの蛍火のような勢一杯の明るさにまるで燃えていた。」

淡島千景さんの最後の舞台となったのが、平成22年の<劇団若獅子>の『蛍火ーお登勢と龍馬ー』の舞台でお登勢を演じられた。織田作之助/原作(「蛍」より)で脚本は土橋成男さん、演出は<劇団若獅子>代表も笠原章さんである。題名からも分かる通り、お登勢と龍馬に焦点をあて、お登勢は龍馬の進むべき道に自分の心意気を託すような形となる。淡島さんは、すでに高齢であったが、培われてこられた身体の動きを凛として見せ、まさしく青い光をはなたれておられた。椙が恋人の五十吉を追いかける場面で蛍が飛び立つ。寺田屋騒動の場面を出し、お登勢が有馬を抱きかかえ最後を看取るかたちにしている。そして、龍馬がお良を連れてきて、寺田屋の養女にと頼む。お登勢の龍馬への想いも描かれ、最後の別れのあとの蛍だけが美しく輝くのである。

淡島さんは映画『蛍火』にも出られている。監督・五所平之助さん/脚本・八住利雄さんである。映画は観ていないのであるが、花嫁衣裳の淡島さんが手を広げると蛍がその手の内にある場面はみている。インタビューで、織田作さんの作品の事を聞かれ「作品が短いので、色々な思いを込めれるのではないでしょうか。演じていて面白いです。」と答えられていて、その通りであると思った。

この作品<前進座>でも公演していて、脚本は八木隆一郎さんである。「蛍」の題名で、脚本を読むことが出来た。お杉がお光を連れ戻しに来た夜蛍が飛んできて、伊助が祝言の夜の蛍を捉まえようとしてお登勢が手を伸ばした思い出をお登勢に話しかける。お良は養女になっていて、寺田屋騒動も伊助とお登勢の話の中で出てくるだけである。竜馬が登場し、ここが竜馬が死んだという寺田屋なのですなあと語る。竜馬を挟んでお登勢とお良の微妙な心の揺れがあり、竜馬とお良が去った後、伊助とお登勢の前に蛍が飛んでくるのである。

それぞれの捉え方で、舞台になり映画にもなっているのである。

 

宝塚と義太夫

歌舞伎学会の講演会があった。 ≪演劇史の証言 酒井澄夫氏に聞く≫ 講演名は「宝塚義太夫歌舞伎研究会」である。宝塚と義太夫とどんな関係があるのか興味が湧いた。

酒井澄夫さんは、宝塚歌劇団理事・演出家ということである。申し訳ないことに宝塚は一度も見ていないのである。組も数種あり、スターも多くて何をどう見ればよいのかわからなく、観たものが、この程度なの宝塚はと思うような観方もしたくないと思ったりするのであるが、深く考えないでそのうちなんとかしよう。

公演は、エポックの部分が明らかになった感じで面白かった。

時代は昭和27年から昭和43年まで、宝塚の生徒さんが、<宝塚義太夫歌舞伎研究会>として自主的に義太夫歌舞伎の発表会(公演)をしていたという事実である。酒井さんの話では、こちらから見てスターでも、宝塚内部では皆さん生徒さんなのだそうである。皆さん、教えに対しては呑み込みが早く、言われた通りに身体で受け止め、それが舞台に立った時、華があるかどうかという事のようである。その事から一つ納得したことがある。

続・続 『日本橋』 で、淡島千景さんのインタビューに触れたが、多くの監督さんの作品に出られていて、それぞれの監督さんの印象について聞かれたとき、印象がないと言われていた。習いに習うだけで自分のことで精一杯で、監督さんを観察する余裕などなかったし、冗談を言い合うということも無かったんです。謙遜なのかと思ったが、宝塚で身につけられていた<習う>という基本がつながっていたのであろう。

講演資料によると始まりは、昭和26年の「義太夫と舞踏会」「宝塚義太夫の会」「宝塚歌劇と義太夫」、昭和27年「宝塚歌劇と義太夫」では、専科花組生徒出演者の中に、有馬稲子さんと南風洋子さんの名前がある。そして義太夫歌舞伎公演の第一回が開かれている。活躍したのは、天津乙女さん、春日八千代さん、神代錦さん、南悠子さん、富士野高嶺さん、美吉佐久子さん等である。名前をよく耳にするのは、天津さんと春日さんである。南悠子さんは、淡島千景さんと久慈あさみさんとともに<三羽烏>といわれたらしいが、やはり映画に移られたかたの名前がメジャーになってしまう。

この研究会の指導者が、義太夫が娘義太夫で活躍した竹本三蝶さんで歌舞伎は、二代目林又一郎さんである。このお二人の名前も今では表に出てこられることはない。二代目又一郎さんは初代鴈治郎さんの長男であるが、身体が弱く芸の力がありながら大きな役を続ける体力がなかったようである。又一郎さんの息子さんは戦死され、孫が林与一さんである。上方歌舞伎の衰退の時期に、この<宝塚義太夫歌舞伎研究会>の自主公演は行なわれていたのが興味深いことである。

美しい宝ジェンヌが、『壺坂観音霊験記』」の沢市や『車引』も演じていて、写真を見た限りでは違和感がなく、『車引』は雰囲気がよい。酒井さんが見始めた頃も、女がという違和感はなかったようである。天津乙女さんの『鏡獅子』の素踊りの映像を見せてもらったが、晩年とは云え、獅子になってからも力強かった。二代目又一郎さん、三蝶さん、天津乙女さんが亡くなられて<宝塚義太夫歌舞伎研究会>は立ち消えとなる。詳しく正確なことは、『歌舞伎と宝塚歌劇ー相反する、蜜なる百年ー」(吉田弥生編著)に書かれてある。

私は、かつての元宝塚出身の映画での役者さんでしか見ていないが、月丘夢路さん、乙羽信子さん、淡島千景さん、久慈あさみさん、新珠三千代さん、八千草薫さん、高千穂ひづるさん、有馬稲子さん、南風洋子さん、鳳八千代さんなど沢山の方々が、美しさだけではない個性を感じさせてくれる人物像をされていて好きである。そしてそれぞれに色香がある。それは、習って色をつけ、その色を自分のものにして、そしてまた習う。常に習う場所を空けておいているからであろう。ただ今のかたは、同じに見えてしまうのはどうしたことか。それだけの力を引き出してくれるかたも居ないということか。見るほうが駄目なのか。

「歌舞伎学会」の講演は誰でも聞きに行けます。資料代があり有料ですが。