深川江戸資料館 ごっつあんです

江東区『深川江戸資料館』へ新内を聴きに行った。常設展示室の火の見やぐらの下まで流してきて、簡単な解説を入れて新内を聴かせてくれ、また流していく。少し休憩があって、また流してきてとこれが一時間の間に三回ある。

資料館での「新内流し」は初めての体験である。演者は新内多賀太夫さんと新内勝志壽さんである。演目は『狐と弥次郎兵衛』で、新内と言えば心中物とされるが、『狐と弥次郎兵衛』のように滑稽な内容の物もありチャリ物と言われると説明がった。

内容は、弥次郎兵衛が喜多八とはぐれてしまい、赤坂の松並木で自分に化けた小狐に会い一緒に踊ってしまい、狐は逃げ出してしまう。その話を簡単に置き、クドキなどの三つにわけ、三回分のそれぞれの聴きどころを押さえて語られたのである。吉原かぶりのこと、縞の着物は新内が流行らせたこと、三味線は細いヒモで支えられていること、上調子の三味線のバチがとても小さいことなどを説明してくれ、新内に少し近づいた気分にさせてくれ、高音で聴かせどころを語ってくれた。

知らなかった新しい知識ももらい楽しかった。帰ってからCDで『蘭蝶』を聴いてしまった。こちらは端物という。

企画展『杉浦日向子の視点 ~江戸をようこそ~』(11月10日まで)とゴールデンウイーク特別展『深川モダン ~文化で見る近代のKOTO~』(5月6日まで)も開催されていて、いやいや、ごっつあんです、である。

杉浦日向子さんとはアニメ映画『百日紅』以来であろうか。 『肉筆浮世絵 美の競艶』展

杉浦日向子さんの原作でもう一本映画があるのを知る。映画『合葬』である。彰義隊の若者たちの青春群像を描いている。漫画の実写化で原作は読んでいないが何となく杉浦日向子さんの社会性から少しずらした若者の心情が出ていて漫画の一コマはこんな絵かなと想像してしまう。

三人の若者が彰義隊に参加する。徳川慶喜が江戸を去る時に見送った秋津極は、その姿をみて慶喜の敵討を決意する。福原悌二郎は妹・砂世が極と婚約しているのでそれを反故にするのかと極にせまる。そこに居合わせた吉森柾之助は養子先の父が仲間内の争いで殺されその仇を義母から言い渡され、都合の良い養家からの追放であった。三人は幼い頃から知っており、写真を撮り三人の若者が彰義隊に参加する。

徳川慶喜が江戸を去る時に見送った極は自分から彰義隊に入るが、柾之助は行くところがないので何となく引っ張られて入隊。長崎で蘭学を学んだ悌二郎は彰義隊など意味がないとして解散を説得するためについてゆく。彰義隊の指導的立場の森篤之進は、新しい生き方を望む者は去らせ、それでも志を曲げない者たちの死に場所を作ってやりたいと思うが、上のほうは何の方針もなく、ただ若者たちを鉄砲玉の替りとしか考えていない。

腰抜けだと森は若い彰義隊に殺されてしまう。森の想いを知っていた悌二郎は、彰義隊を離れるが妹のお嫁に行く前に極に一度会いたいという想いを遂げさせるため再び彰義隊にもどる。そして開戦に居合わせ、二人だけ死なせるわけにいかないと残るのである。

柾之助が好きになった娘が極を好きであったりと淡い恋い心も挿入されている。そして三人のその後は・・・

(監督・小林達夫/出演・柳楽優弥、瀬戸康史、岡山天音、門脇麦、オダギリジョー)

杉浦日向子の視点』の展示内容も杉浦日向子さんの江戸ワールドが展開されている。江戸で人気があった三男が火消、力士、与力とある。これは、『一日江戸人』にも書かれていることであるが、与力とあるのが面白い。与力は上下色の違う裃(継裃)であったが、幕末には羽織となる。しゃべり方が「来てみねえ」「そればっかり」「そんななァ嫌(きれ)ぇだよ」と庶民に親しみを与え、金銭的にも余力があり、こせこせせず遊びにも精通していたようである。杉浦日向子さんの好みと研究の深さがわかる展示である。

もう一つ『深川のモダン』の展示は、深川の出てくる書物を探し出しその書物を展示し、さらにそれを書いた著者も紹介している。その数が多いのである。よく探し出されたと思って係りの人の尋ねたところ、この資料館の館員さんたちが探し出したのだそうである。

小津安二郎監督、谷崎潤一郎さん、永井荷風さん、泉鏡花さんなども別枠となっていて、泉鏡花さんはタウン誌『深川』で特集「鏡花と歩く深川」となっており、これでまた鏡花さんの歩いた深川めぐりを楽しむ機会が増えた。


第15回下町芸能大学『荷風』

浅草の東洋館に初入場。それも永井荷風さん関連の企画を鑑賞でき、さらなる満足である。永井荷風さんの生誕140周年記念だそうで、「下町芸能大学」は東洋興業株式会社が主宰して続けてきた催しのようです。

会長の松倉久幸さんによるプログラムの案内文によりますと「下町の芸能文化を発掘し直し、みなさまに広くご紹介する機会を設けたいと考え、下町ゆかりの作家の作品を主題とした講演、また新作の新内・講談・幇間芸・舞踏などを公演してまいりました。」とある。

松倉久幸さんも『荷風先生と浅草』ということで、お話された。東洋館の正式名は「浅草フランス座演芸場 東洋館」だそうです。久幸さんのお父さんが、ロック座を建て替える時に荷風先生に何か良い名前はと尋ねられ「フランス座」はどうかとの言葉から命名されたそうで、今も正式には「フランス座」の名前を大切にきちんとつけているのだそうである。久幸さんのお父さんは、差し入れを持ってよく来る方がオペラ館で上演された『葛飾情話』の永井荷風先生と知り、それからはフリーパスとなったようである。

昔も今も、荷風先生、浅草に通わなければ、長期にわたりこんな親しみを込めた接し方はされなかったかもしれない。

岡本宮之助さん、文之助さん等の新内から始まった。宮之助さんは岡本文弥さんにも師事されており、樋口一葉さん、正岡子規さんなどの新作作品も語られておられる。今回良いアドバイスを頂いた。邦楽はよくわからないと言われますが、母音を伸ばしますから、物語を追いかけたい人は子音を追ってください。もう一つの聴き方は、伸ばすところで良い声だなあとか、三味線の上調子などを味わってもらえればと。確かに。

江本有利さんの歌謡ショー『下町艶歌』もありまして、最初に歌われたのが『また来て下さい向島』という歌なのであるが、歌詞の一番に桜橋、二番に言問橋、三番に吾妻橋が入っていた。東洋館に行く前に、こちらは、吾妻橋を渡って向島側の隅田公園を歩き、東武鉄橋言問橋を左手にながめつつ進み、桜橋を渡って浅草側の隅田公園を歩いてきたので、歌詞をみてトットちゃんではありませんが「あらまぁ!」である。

浅草関連映画の事もあっての散策でもあり、桜も終わり花見客も居ず、いままで気に掛けなかったことの幾つかの発見あり。「鬼平情景」として<鬼平犯科帳ゆかりの高札>があり、16ケ所にあるとのこと。その内の①「吾妻橋」と④「みめぐりの土手」の高札に出会う。鬼平犯科帳の作品を味わいつつ高札めぐりの散策コースもあり、その他にも散策コースが数種あるらしい。

そして勝海舟の銅像。水戸徳川邸の跡を使った庭園。

よく映画に登場する東武鉄橋を眺め右手には牛島神社。言問橋を眺めて右手下に三囲神社の鳥居が上半分頭を出している。隅田川方向から鳥居を眺めたことがなかったのでその鳥居が目に入った時には感動。

葛飾北斎さんの「新版浮絵 三囲牛御前両者之図」の案内板もあり、牛島神社が左で鳥居の頭がでている三囲神社が右に描かれている。かつて牛島神社は今の長命寺近くにあったため、牛島神社と三囲神社の位置が今と反対の位置関係になるわけである。

かつての牛島神社にあった常夜灯が残っていてその位置を示してくれるらしい。映画にもこの常夜灯は姿を現しており、そこまで行く予定であったが、時間がせまったいたので次の機会にまわし、桜橋を渡って浅草側にでた。

桜橋を渡りたかったのは、映画『菊次郎の夏』でマサオくんと菊次郎が出会う場面でもあるからである。その周辺をもう一度ながめたかったのである。

桜橋は歩行者専用の橋で向島と浅草側の中央に円錐形のモニュメントがあり、桜橋架橋10周年事業とあり、桜橋が1985年にできているから、1995年頃に設置されたことになる。対面の形で向島側には「瑞鶴の図」が彫られ、浅草側には「双鶴飛天の図」が彫られている。(平山郁夫原画、細井良雄彫刻)

そんなわけで、北野武監督の映画の場面のあとは、ビートたけしさんの修業の場であった東洋館へのコースへとつながった。東洋館のエレベターが狭く、エレベーターボーイなんて邪魔なくらいなのではと思われたが、そこが浅草ということなのでしょうか。江本有利さんが歌われた『業平橋』の一番に「三囲りの 石鳥居」とあり、三番には「そっと 掌を置く 撫で牛の」と三囲神社と牛島神社も出てきてこれまた上手い具合いにつながってしまった。

そして悠玄亭玉八さんの幇間芸である。『四畳半襖の下張り』国際版で、色っぽくて、笑わせてくれて、幇間芸の高度さを味わわせてもらった。三味線を真横に持って爪をはめてひかれていた。とにかく多くの分野に精通しつつお座敷芸にするという手腕が必要のようである。今回は「荷風」さんあわせてであるが、お座敷では目の前のお客様に合わせてそのさじ加減を調整するのであろう。

締めは岡本宮之助さん(浄瑠璃)、新内勝志壽さん(三味線)、岡本文之助さん(上調子)で、新内『濹東綺譚』(詞章・野上周)である。玉ノ井でのお雪さんと主人公の出会いから、お雪さんが病に伏したと聞くところまでを哀感を込めた情愛でかたられた。小説の方は、主人公が作家と言うことを隠していて、書き進んでいる小説のことなども語り、冷静な観察眼も披露されるが、そこは省かれていてる。

永井荷風さんの特集は三回目だそうで、荷風さんの世界を芸能に生かそうとの心意気を感じさせてくれる文学の世界とは一味違う時間であった。

通称「浅草東洋館」は、いろもの(漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなど)専門の寄席で、隣の浅草演芸ホールで落語と一緒にたのしませてもらったことがあるが、いろものだけというのも今度たのしませてもらうことにする。

京マチ子映画祭・浅草映画・『浅草の夜』『踊子』

今、京マチ子さんの映画祭は大阪(シネ・ヌーヴォ)で開催されているようである。OSK出身でもありその身体的表現は古風な日本女性の規格からはみ出していて魅力的である。踊りも和洋どちらも画面からあふれ出る<生>がある。男を翻弄する役もパターンがない。はじけるような<生>から能面のような表情へと変化したり飛んでいて、こんなに愉しませてくれる女優さんとは思わなかった。

黒蜥蜴』などは、フライヤーで「京マチ子のグラマラスな肢体も必見。」とある。ミュージカル調で鞭をもって京マチ子さんが踊る場面がありそれを強調しているのであろうが、もっと見どころがある。明智小五郎の裏をかき、着物姿の婦人から、背広姿の若い男性になってホテルから逃走するのである。そのときの動きが、OSKの男役のしどころで、軽やかでキュートで、映像でこんな素敵な歌劇団風の動きを観た事がない。これを観れただけで内容はともかく京マチ子さんの「黒蜥蜴」は満足であった。

映画『浅草の夜』(1954年)、『踊子』(1957年)ともに、京マチ子さんは、浅草の劇場でのレビューの踊子という場面が出てくるが、人物設定は全く違っている。『浅草の夜』では、若尾文子さんの姉の役で、『踊子』では、淡島千景さんの妹役である。自ずと立場が違うので役柄も違って来る。浅草の多くの風景が楽しめる。

映画『浅草の夜』は、原作・川口松太郎/脚本・監督・島耕二監督で、情の絡んだ娯楽映画になっている。踊子の節子(京マチ子)には、おでん屋で働く妹・波江(若尾文子)がいて、節子は妹の親代わりで頑張って生きてきた。ところが妹の恋人が画家・都築(根上淳)と知って恋人との付き合いを禁じる。節子の恋人・山浦(鶴田浩二)も節子のその態度が腑に落ちない。そのわけは・・・。

山浦は劇場の脚本家で、そこの古参の演出家が首になる。それに加担しているのが劇場のボス(志村喬)でその息子(高松英郎)は波江に惚れている。これだけの材料がそろえば内容的は何となくわかる。画家の大家に滝澤修さん、おでん屋のおかみに浦辺粂子さんと豪華キャストである。それだけに、今観れば内容的には薄いが、外国で日本映画が認められてきた時代、浅草モノの定番娯楽映画として島耕二監督は腐心している。山浦を好きでありながら自分の主張は変えない節子。そんな性格を知って姉妹のために一肌脱ぐ山浦。それぞれの役者の役どころを何んとかおさめようとしているのがわかる映画で、そういうところが面白い。

島耕二監督は、この映画の前『浅草物語』(1963年)を撮っている。観たいがいつ出会えるであろうか。

映画『踊子』は、原作・永井荷風/監督・清水宏/脚本・田中澄江である。京マチ子さん、『浅草の夜』と違って自由奔放である。というか、感情のおもむくままにこちらの方が自分にとって得であり好みであるといった生き方である。が、それにしがみつくことなく、深く考えることがない。高峰秀子さんの『カルメン純情す』は同じ踊子でも踊りは芸術だと思って嘲笑されながらも自分で考えて一生懸命であるが、『踊子』の千代美(京マチ子)は、全くそんな考えなどなく踊子として華があるがそんなことに執着しないのである。面白いキャラクターである。京マチ子さんならではの役ともいえる。

姉の花枝(淡島千景)さんが浅草の踊子で、一座の楽士で恋人の山野(船越英二)と同棲している。経済的に苦しいから狭いアパート住まいであるが、そこへ妹の千代美が転がり込むのである。踊子になった千代美の京マチ子さんは屈託なく画面いっぱいにその踊りを披露し、淡島さんの踊りが上品にみえるのが面白い。観ていてもこれは人気をとると解るが、楽しくてしょうがないと踊っていながらその踊りもさっさと捨てるあたりが、これまた千代美ならではの生き方なのである。

捉えどころがなく、子供までできてしまう。それが誰の子なのか。花枝は、自分はもう子供が産めないとあきらめ、千代美の子供を育てることにする。展開が千代美の行動によって動いて周囲は翻弄されるが、姉の花枝がしっかりしていて、子供がその渦に巻き込まれることはない。そこが、この映画の爽やかなところかもしれない。映画の京マチ子さんの洋の踊りとしてはこれが一番見事かもしれない。

この二つの映画だけでも、その役柄によって対称的な役を愉しませてくれる手腕をみせてくれる。台詞のトーンや間も変化に飛んでいて、聴かせどころも押さえられている。

映画『夜の素顔』などでは、意識的に男を誘い込み日舞の家元の地位を上り詰めていくが、さらに、子供のころから自分を食い物にしてきた母親の浪花千栄子さんとの争うシーンなどは、『有楽町で逢いましょう』のあのお二人がと思わせる場面で、役者さん同士なにが飛び出すかわからない期待感も持たせてくれる。

『美と破戒の女優 京マチ子』(北村匡平著)が手もとにあるが、まだ開かないでいる。もう少し時間がたって京マチ子さんの魅力の強烈さが薄れてから読ませてもらおうと思う。

追記1 : 永井荷風さんの小説『踊子』を読んだ。映画では、山野と花枝は、千代美の産んだ子・雪子を連れて浅草から山野の兄のいる田舎で保育園の手伝いをして静かな生活に入る。雪子は、保育園児と共に山野の弾くオルガンで楽しく踊っている。それを花枝と一緒にそっとみる千代美であった。

原作では、雪子は風邪から脳膜炎を患い亡くなってしまう。雪子の死が、山野と花枝を浅草の地を立ち去らせる動機としている。

小説では、山野は<わたし>として語っている。そして、浅草で十年間一日も休まずに舞台のごみをかぶりながらジャズをひいていられた<平凡な感傷>に触れている。

舞台ざらいの夜明けの浅草を一座の芸人達と話しながらの帰り道。「いつも初めてのように物珍しく感じて、花枝や千代美とわたしの間のみならず、一緒に歩いて行く人達の身の上までを小説的に想像したくなるのです。何んという馬鹿馬鹿しい空想でしょう。何んという卑俗な、平凡な感傷でしょう。

このわたしの<平凡な感傷>は映画では表しえない浅草への感傷でもあろう。

追記2 : 黒澤明監督の『野良犬』を観なおした。拳銃をとられた若き刑事がそれを必死で探すのであるが、<感傷>もテーマとなっていた。犯人と戦後すぐの日本の状況。犯人をかばう浅草の若い踊子と、自分と同じように復員してすぐリュックを盗まれる自分と同じ目に遭った犯人への若き刑事の感傷。それを自戒させるベテラン刑事。やはり説得力のある映像である。

浅草映画・『ひとりぼっちの二人だが』

久しぶりの浅草映画である。近頃、出会えるのに時間がかかる浅草映画となっている。観たり観ないようだったりが『ひとりぼっちの二人だが』である。観ていた。だが、浅草の場面は飛んでいた。観た頃は浅草にそれほど興味が無かったからである。江東区古石場文化センターの「江東区シネマプラザ」で月イチの映画鑑賞会を開催しており、『ふたりぼっちの二人だが』を上映される情報を得た。

 

江東区古石場文化センターには、小津安二郎監督の「小津安二郎紹介展示コーナー」もあり訪れるのは久しぶりである。小津監督の喜八モノと言われる作品には小津監督が子供時代に深川で目にした庶民の姿を作品に挿入されていた。

 

映画『東京画』(1985年)を観たばかりだったので、小津監督作品の解説などもさらに近く感じられた。映画『東京画』は、ドイツの映画監督・ヴィム・ヴェンダースが小津監督の鎌倉のお墓を訪れ、映画『東京物語』(1953年)に出てくる風景を30年後の1985年(昭和60年)に東京と尾道をたずね、東京の風景は様変わりである。笠智衆さんや小津組の名カメラマン・厚田雄春さんにインタビューしているが、厚田雄春さんが、小津監督の死後他の映画に参加したが、どうしても小津監督の撮影法が忘れられず、小津映画に殉死するかたちで映画を辞めることになったと言われたのが強く印象に残った。

 

ひとりぼっちの二人だが』(1962年)は、吉永小百合さん(田島ユキ)が踊りの会で踊る場面から始まる。ユキは芸者置屋の叔母に育てられ水揚げされることが決まったいる。ユキはそれが嫌で逃げるのである。浅草寺でユキはつかまりそうになるが同級生の浜田光夫さん(杉山三郎)と出会い助けられる。そこまでくるとこの映画観ていると気が付いた。とにかく吉永小百合さん浅草を走り回る。1962年(昭和37年)頃の浅草が映される。チンピラの三郎は兄貴分の命令で柳橋一家からユキをかくまうことになる。追われて飛び込んだのがストリップ劇場である。そこで、もう一人の同級生・坂本九さん(浅草九太)に逢うことになる。

 

九太は、コメディアンを目指していた。浅草で育ち小中同級生の三人はそれぞれの道を歩いての再会であった。ところが、三郎の兄貴分がユキをかくまうことが自分の所属する組にとってまずく自分の身も危ぶないこととなる。三郎は兄貴分からユキを連れてくるように言われる。ユキに心を寄せ始めた三郎はそれに逆らいリンチを受けつつもユキを助けることになる。もう一人ユキの兄の高橋英樹さん(田島英二)が登場する。ユキの本当の兄ではないが叔母のところを飛び出し行方不明になっていたが、今はボクシングの新人戦を目指し、ユキの倖せのために助力するのである。三郎が嫌な命令には従うなと仲間たちに訴え、最後はハッピーエンドとなる。

 

先に映画『上を向いて歩こう』(1962年)があり、舛田利雄監督をはじめ出演者も同じである。坂本九さんの主題歌『ひとりぼっちの二人』も作詞・永六輔さん、作曲・中村八大さんである。坂本九さんのキャラが光っていて、九ちゃんの音楽性とコメディぶりが見ものでもある。

 

とにかく浅草たっぷりの映画である。逃げる立場であるから吉永小百合さん中心に走る、走るで、観ている方も浅草の風景を早回しで観ているような感じであるが、花やしきの人口衛星塔のゴンドラが映像の中では主役級であった。この映画の浅草については『昭和浅草映画地図』(中村実男著)で詳しく書かれているので読んでから観ると映画の中の浅草の風景への集中度がちがうであろう。

 

吉永小百合さんの芸者役では『夢千代日記』のどこか儚さの漂う夢千代さんが代表的であるが、映画『長崎ぶらぶら節』の愛八さんもいい。三味線を芸者の刀にしているようなきりっとした名妓ぶりである。大衆演劇で『ぶらぶら節』を踊るのを観たが着流しであった。悪くはなかったが映画の関係上芸者姿でのが観たかった。

 

先頃、松竹映画で吉永さんののデビュー作映画『朝を呼ぶ口笛』(1959年・生駒千里監督)を観た。『ひとりぼっちの二人だが』は高校に行けない若者の屈折した部分も描かれているが、『朝を呼ぶ口笛』は、新聞配達をしつつ高校受験を目指す中学生を周囲の皆が応援するという内容である。吉永さんは、主人公を励ます配達先のお嬢さんの役で、彼女は引っ越すことになるが彼女とさよならしつつも主人公は元気に新聞配達に励むラストとなる。映画『朝を呼ぶ口笛』ではビルの上から浅草方面が見える映像があり、仁丹塔が見えていた。

 

京マチ子映画祭・『有楽町で逢いましょう』と『七之助特別舞踏公演』

映画『有楽町で逢いましょう』(1958年・島耕二監督)と『七之助特別舞踏公演』とどんな関係があるのかと言えば、七之助さんのトークからつながってしまったのである。千葉市民会館での鑑賞だったのであるが、七之助さん市民会館から千葉駅へむかいぐるっと回って市民会館まで散策したのだそうである。駅が大きくて「そごう」があって凄いですねと話される。千葉市民会館の緞帳には「千葉そごう」の名があったので、こちらはその前から反応していたので、さらに反応してしまった。

 

映画『有楽町で逢いましょう』は、フランク永井さんの歌の『有楽町で逢いましょう』の歌謡映画ともいえるが、歌は「そごうデパート」の宣伝用でもあった。今はもう宣伝ソングとは知らずにフランク永井さんの代表曲として受け入れられている。こちらもそんな話を聞いたことがあるなと思いつつ映画を観るまでどこかに飛んでいた。映画を観て、この歌は、フランク永井さんのあの声と佇まいのダンディな雰囲気が成功し、有楽町のそごうがあこがれの場所となったことが想像できた。その後この歌は自立し、大人の恋の歌となる。

 

有楽町駅前の読売会館に「そごう」が東京進出を果たしたが、閉店して今はビックカメラが入っている。その同じ建物の8階の映画館で『有楽町で逢いましょう』の映画を観ているのであるから不思議な感じであった。映画を観終ってから建物を眺めたが映画の中のおしゃれさはないが、建物はそのまま残っていて、そばにレンガ造りの電車の高架下も残っており今もそのアーチ下を通れるのは嬉しいことである。映画を観ると、二階の喫茶に座りレンガの高架を走る電車も実際に見たかったと思う。この建物は今も電車から見ることができる。

 

有楽町の「そごう」は、都庁が西新宿に移転、それが大きな痛手であったようである。都庁あとが東京フォーラムである。大阪の心斎橋にあったそごうも今は無いようである。有楽町の「そごう」に入ったことは無いように思う。

 

映画『有楽町で逢いましょう』は、クレジットが入る前にフランク永井さんが『有楽町で逢いましょう』を歌う映像がでる。フランク永井さんが出るのはそこだけで映画の流れとの関連性はなく、斬新である。そして大阪城が映り、パリから帰った新進デザイナー・小柳亜矢(京マチ子)が大阪のそごうでファッションショーを開いている。映画は東京と大阪を行ったり来たりもする。亜矢は今は東京に住んでいるが大阪生まれである。早々、東京の有楽町のそごうでもファッションショーを開く。エスカレーターを使ってのショーで、おそらく今のエスカレーターであろう。

 

弟で大学生の武志(川口浩)と亜矢のお客で大学生の篠原加奈(野添ひとみ)が、ひょんなことから恋仲になる。加奈の兄・練太郎(菅原謙二)は建築技師で大阪から東京への列車の中で亜矢とは偶然顔見知りであった。歌の歌詞は若い武志と加奈の恋愛模様に合っている。武志は家出して大阪に住んでいたころのばあや(浪花千栄子)の家に転がり込む。東京の家には祖母(北林谷栄)がいて、若い者をそれとなく後押ししている。大阪と東京の二人の老女の演技もそれぞれに光っている。

 

歌の『有楽町で逢いましょう』のB面が『夢見る乙女』で、道頓堀と思うが武志とばあやの娘がボートに乗っていてそこから『夢見る乙女』を歌っている藤本二三代さんが見える。歌詞が「花の街かど有楽町で 青い月夜の心斎橋で」で始まる。大阪から東京へのそごう店を意識して使われたのかもしれないが、映画の中の武志はこの歌から東京の加奈を思い出す。そして加奈は武志を想っている。この二人のデート場所が有楽町のそごう二階のティ―ルームなのである。その下に女神像が掲げられていたらしい。入ってすぐにティ―ルームへの階段がありおしゃれである。

 

大阪のばあやの家で亜矢と武志そして練太郎も加わり若い二人のことを話し合う。亜矢と練太郎も言いたいことを言い合っていたが好意をもったらしい。二人は大阪の帰り、仕事、仕事、と忙し過ぎるからと箱根に寄ってゆっくりする予定が、やはり仕事優先となる。そして「有楽町で逢いましょう。もっと頻繁に。」ということになるのである。軽いコメディタッチの娯楽映画であり楽しめる映画である。京マチ子さんのデザイナーとしての洋服も着物もしっかり着こなしていて仕事優先の気持ちが伝わる。

 

菅原謙二さんの建築現場から江戸城が見えておりあの近辺の開発も急ピッチですすんでいたのであろう。かつてはその中で高級感と新しさの夢を売っていたのが、今は欲しい物を安く手に入れようという庶民の買い物の場所になっており時代の流れである。他の開発が周囲に影響を与えると言う事は多い。

 

ここからが、七之助さんの驚いた話しにつながるのである。七之助さんは、千葉駅と駅前が高層化していて驚いたのである。そしてなるほどと思って歩き進み橋を渡ったところから、風景が一変したのだそうである。摩訶不思議な気持ちで市民会館にもどられたようでその話をしてくれたわけである。会場、会場で違う話がでてくるのだそうであるが、司会の澤村國久さんが、地元の話しがこんなに出たのは初めてですねと言われていた。

 

少し調べてみたところ、千葉市民会館の場所がかつてのJR千葉駅だったのです。ですからそこから伸びる栄町と言われる町はかつては活気ある千葉の商店街だったのでしょう。ところが戦災に合いその後千葉駅はそこから西に移動して建てられ開発もそちらに移動してしまったわけで、今の千葉駅前があるわけです。そういう事情があって七之助さんが歩かれた場所は開発とはほど遠い地域となってしまったところのようです。七之助さん、その落差に初めて歩いた街で突然遭遇し驚かれたのでしょう。

 

さて舞台のほうですが、舞踊『於染久松色読販より 隅田川千種濡事(すみだがわちぐさのぬれごと)』の四役早替りにの七之助さんには観客は声をだして驚かれていました。歌舞伎座の見慣れたお客さまとは違う新鮮な驚きかたです。帰りの出口のところではポスターを見て、こんなに全部演じていたかしらできるわけがないと主張されているかたもいました。どこで替わったのかしら、どこか解らないけど替わったのよ、などの声もあり、もめないでお帰りくださいと思いました。主張するかたのお気持ちもわかります。とてもスピーディーにスムーズでかつ美しい早替わりでした。

 

トークの時に登場人物やどんな関係かも説明され入りやすかったと思いますが、お光、お染、久松、お六とそれぞれの役が一人一人にうつりました。だからお客さまも同じ人が演じているわけがないと思われたのでしょう。お光の久松を想っての踊りがやはり心に残りました。(猿廻し夫婦・いてう、國久)鶴松さんの舞踊『汐汲』は扱う物も多いのでそのバランスなどに目をとられてしまうところがありました。可憐さがありますが、物語の世界と登場人物と同じ気持ちに入り込めるところまでには至りませんでした。時間がたってみると両演目とも、もう一度観てたしかめたいなあという気分である。

 

時代の移り変わりで街も変われば、役者さんたちの成長も変わって来る。しかし芸は、伝えたいと思う気持ちと踏ん張りどころで、伝えたいことはつながっていくのではないだろうか。それにしても、変化に飛んだお話と舞台でよい刺激をいただき、さらに大阪から有楽町そして千葉へとつながりました。

 

追記: Eテレの『にっぽんの芸能』で「中村七之助 歌舞伎の里に舞う」の放送あり。4月5日(金) 午後11:00~11:55 再放送 4月8日(月) 午後0:00~。

 

ヒッチコック映画『暗殺の家』『知り過ぎていた男』(4)

  • ドリス・デイが「ケ・セラ・セラ」を歌うサスペンス映画『知り過ぎていた男』(1956年)は、映画『暗殺の家』(1934年)をヒッチコック監督が自らリメイクした映画である。『暗殺の家』はイギリスでのトーキー時代の映画で、『知り過ぎていた男』はアメリカへ渡ってからの作品で、絶頂期の作品郡に入るといえる。
  • イギリスでのサイレント時代の作品もあって、『下宿人』(1926年)だけはみれた。『下宿人』で驚いたのは、下宿人が歩き回っているところをガラス張りにして下から撮っていることである。サイレント時代に、もうすでにこの手法を使っていたのかとヒッチコック監督の探求心に恐れ入る。同時セリフが無いだけに、登場人物の心理描写を映像で工夫して見せるという試みをしているのである。下の住人が上の下宿人の動向を気にしている気持ちを現わしている。表現方法に欠けている部分があれば、違う方法は無いかと追及するところが素晴らしいと思わされた。
  • 暗殺の家』と『知り過ぎていた男』は大幅に変えている。ある国の政府高官の暗殺計画があり、そのほんの一部の情報をある家族が知ってしまう。その情報を漏らさないように家族の子供が誘拐されるのである。子供の安全を考え、警察の手を借りることができず、夫婦は自分たちで子供の行方を探すことになる。探しているうちに暗殺計画があるということに行き着くのである。いつどこで暗殺が行われるかを知った夫婦の妻は暗殺を未遂に終わらせ、夫も無事子供を救出するのである。この軸は同じであるが、場所が全く違い、子供もも女の子を男の子と変え、人間関係の設定も全く変えている。22年目のリメイクであるから時代の流れの新しさも加味したのであろう。
  • 知り過ぎていた男』のほうを先に観ていた。どういう歌の入れ方をしているのかが気になっていた。今は医者の妻であるジョー夫人(ドリス・デイ)はかつてはミュージカル歌手であったが結婚して引退のかたちである。フランス領のモロッコに家族三人で旅の途中である。夫婦は旅で知り合った男と夕食に出かけることになっている。そのためジョー夫人は寝る前にと息子に唄ってあげるのが「ケ・セラ・セラ」である。この歌はよく歌ってあげてるようで息子もママと一緒に楽しんでいる。そして、この歌は息子が誘拐され、居場所が分かった時に活躍するのである。
  • 一緒に行くはずだった男は用事が出来たと夕食に欠席する。ところがこの男と次に会った時には、男の背中にはナイフが刺さっており、夫のベン(ジェームス・スチュアート)は謎の言葉を託されるのである。夕食の時隣席したイギリス人の夫婦が親切に警察に行っている間息子を預かってくれるという。ところが、この夫婦が息子を連れ去るのである。この夫婦を追ってベンとジョーはロンドンへ行く。
  • そして、アルバート・ホールでのオーケストラの演奏会で某国の首相の命が狙われるのを知るのである。オーケストラを指揮しているのが、映画の音楽担当のバーナード・ハーマンで演奏されているのが『スートム・クラウド』という曲らしく、この音楽も重要な働きをしている。最後のほうに大きなシンバルの音が一回入るのである。「バーン!」と、その音に合わせてピストルで首相を暗殺するのである。
  • この演奏場面は映画のオープニング・クレジットの時に映されて見る者を引きつける。そして暗殺場面でということで効果てきめんである。ジョーはこれを知って大きな声を出す。そのため未遂となるのである。命を救ってくれたお礼に後日大使館へと招待されていたので、息子が大使館に連れ込まれたことを知った夫妻は、その夜伺いたいと大使館に乗り込むのである。暗殺を指揮した人間が大使館の中にいたのである。
  • ジョーは歌手であったことから歌を所望される。夫はその間に息子を探すので妻に唄うようすすめる。ジョーは息子に聴こえるようにと大きな声で「ケ・セラ・セラ」をうたうのである。大使館の人は、普通はオペラを聴いているのであろうか。ジョーの歌に顔を見合わせ当惑ぎみであるが、そのうち楽しそうに耳を傾ける。ベンはそっと抜け出し息子の居場所を探す。息子は母の歌に口笛で答え、父が救出に飛び込むのであった。きっちりとサスペンス映画の流れのなかに「ケ・セラ・セラ」の歌は挿入されていたのである。
  • 暗殺の家』は、スイスのサンモリツが最初の舞台で、スキー競技などをしている。女の子がその会場で犬を放しちょとトラブルになる。そこで後に誘拐される暗殺団の首領と出会う形となる。母は射撃の名手でそこでの優勝者が、暗殺の射撃手となる。そして殺されるのが母とダンスを踊っていた知人で、ホテルの部屋のブラシをと告げて亡くなる。夫はその男の部屋の髭剃り用のブラシからメモをみつけ、暗殺団に口止めされ娘を誘拐されるのである。
  • 暗殺団のアジトは怪しい宗教の教会で、暗殺に失敗した暗殺団と警察との銃撃戦となる。夫は教会に娘を助けに行くが捉えられて怪我をしてしまう。娘は一味から逃れて屋根にのがれるが例の射撃手が追ってくる。母は自分の腕にかけ射撃手を射殺して娘を助けるのである。暗殺場面は、こちらもオーケストラの音楽が活躍し、合唱団員の顔をアップし合唱団の歌詞で緊張感を増していく。シンバルは『知りすぎていた男』より小さめであった。
  • 教会は『知りすぎていた男』でも出て来て、謎の言葉から探しあてるのはジョーであった。しかし、ここは一時的なアジトで、大使館がジョーの歌声の出番であった。このようにリメイクしたのかと興味深かった。あのオーケストラの一方でポップな「ケ・セラ・セラ」を挿入するとは凄い発案と実践力である。ドリス・デイはこの歌を始め子供の歌として気に入らなかったようであるが、自分のテレビ番組の曲としても使ったそうである。この後ドリス・デイの映画『二人でお茶を』をみたが、こちらはユーモアたっぷりの楽しいミュージカル映画であった。ドリス・デイのタップも軽快で、ジーン・ネルソンが階段を使ってのタップが見事である。
  • 追記: ヒッチコック映画50本鑑賞終了。 未鑑賞作品→「快楽の園」「山鷲」「下り坂」「シャンパーニュ」

京マチ子映画祭・映画『婚期』

  • 死語になりつつあるのかもしれない結婚適齢期の「婚期」。今は結婚する時が婚期よということになる。映画『婚期』は水木洋子さんのシナリオなのでずうっと観たかったのであるが、DVDは高いので出会えるまでと待っていました。コメディに仕上がっていて、映画館であまり笑い声を上げてもと控えつつ笑いました。水木洋子さんのがっちり社会派作品とこうした喜劇作の差がお見事。結婚適齢期に囚われている小姑が二人、離婚して一人暮らしの姉のところで兄嫁をこき下ろしている。言いたい放題である。

 

  • ではその兄嫁とはどんな人なのかと実家にカメラは移る。兄嫁の静は、家事に一生懸命である。ばあやが「奥さま、腰巻が出てます。」と注意する。「腰巻ではなく下着なの。」と奥さまはいう。スカートから下着が出ているのである。それが兄嫁の京マチ子さん。ばあやが北林谷栄さん。小姑の長女が高峰三枝子さん。次女・波子が若尾文子さん。三女・鳩子が野添ひとみさん。さて夫はというと、船越英二さんである。この夫、家に帰って来ても女たちの戦の中から逃避し、仏間でお経を読んだりするが、これまた曲者なのである。

 

  • 兄嫁と波子と鳩子姉妹の攻防戦が小気味よいくらいのテンポのよさで、その台詞の面白さに感心してしまう。そこへ、ばあやが加わるのである。波子は書道を教えこづかい程度の収入である。鳩子は劇団に入っているが一言台詞がやっとである。「おふろが冷めますからどなたか入って下さい。」「書道をみてしまわなければ。」「台詞の練習をしなければ。」いつものことと困ったもんだと引っ込むばあや。あくびの兄嫁。

 

  • こんなものではない。姉妹は、兄嫁宛に差出人不明で、兄の浮気と子供まであるという手紙を出すのである。兄嫁の様子を観察する姉妹。「バレたらどうしよう。」「ケ・セラ・セラよ。」出ました!ヒッチコック映画『知り過ぎていた男』の中でドリス・デイが歌う曲名である。日本でも「ケ・セラ・セラ なるよにになるわ」と歌われました。ついに姉妹は長女のところへ行くと家を出ようとする。そこへ兄嫁がお見合いの話しがあることを告げる。途端に態度が変わる波子。その変わり身がこれまた結婚願望の強い波子の現金なところである。

 

  • これほど「婚期」(結婚適齢期)という言葉をおもちゃにされていじくられている話もめずらしいかもしれない。『細雪』も雪子の婚期が問題であったが、この姉妹は「婚期」に条件をさげたりして果敢に挑戦している。兄嫁も「婚期」の後期に我が実家にお嫁に来ているのでそれも気に食わないのである。ばあやは長女の夫がふさわしくない人で、その結婚生活を見て波子と鳩子は結婚に幻滅したのがよくなかったという。しかし自活するだけの意気地もないので嫁いびりとなるのである。兄嫁が天然なのか、これまた反応が鈍いのである。それがまた姉妹には気に食わないのである。その感じがよくでている。

 

  • とにかくたたみかける台詞の面白さや応酬のテンポや間が快活で気持ちよいくらいである。そこへぼそぼそっと自分の考えをいうばあや。だれも真面目に受け取らないのがこれまた可笑しさを誘う。しかし行動もきちんとする。脚本のセリフを読んでも面白いのかもしれないが役者さんたちの腕でセリフもさらに生きたと思う。そんな中で、家長としての夫は地位を保つのであるが、外ではこれまた勝手なふるまいで、それでいてやはり女の知恵に四苦八苦である。最終的には誰の勝利となるのか。本妻は強しである。

 

  • 監督・吉村公三郎/脚本・水木洋子/撮影・宮川一夫/美術・野間茂雄/他の出演者・藤間紫、弓恵子、片山明彦、六本木真、中条静夫

 

  • 角川シネマコレクションとして京マチ子さんの映画のDVD化がなされ、嬉しいことにかなり手に入れやすい値段になった。水木洋子さんの映画シナリオで京マチ子さんが出演されているのは『あにいもうと』『婚期』『甘い汗』『妖婆』である。『妖婆』はまだ観ていないのでDVDを購入にした。

 

  • 水木洋子さん映画シナリオ作品は『女の一生』(原作・徳永直)『また逢う日まで』『せきれいの曲』『安宅家の人々』『おかあさん』『丘は花ざかり』『ひめゆりの塔』『夫婦』『愛情について』『あにいもうと』『にごりえ』『山の音』『浮雲』『女の一生』(原作・山本有三)『ここに泉あり』『驟雨(しゅうう)』『夜間中学』『あらくれ』『純愛物語』『怒りの孤島』『裸の大将』『キクとイサム』『おとうと』『婚期』『あれが港の灯だ』『もず』『にっぽんのお婆ぁちゃん』『甘い汗』『怪談』『氷点』『妖婆』の31本でさらにリメイク版が3本である。観れる予定がたっていないのが太字の7本である。

 

  • 池袋の新文芸坐で『没後50年 名匠・成瀬己喜男 戦後名作選』が3月12日(火)~22日(金)まで上映される。その中に『夫婦』と『驟雨』がはいっている。あらすじを読むと『驟雨』は観たような気もする。どちらにしても時間がとれないので残念である。調べたところ『驟雨』は2017年に神保町シアターで観ていた。ささやかな多少倦怠期もみられる夫婦の日常で大きな事件も起こらない。1956年の作品で、何も起こらないという日常が時代の流れの中から見るとかえって貴重で大切な時間である。

 

京マチ子映画祭・ 浅草映画・『浅草紅団』

  • アルフレッド・ヒッチコック監督作品の映画に没頭していたところ「京マチ子映画祭」を開催しているのを知る。(角川シネマ有楽町)京マチ子さんは、『羅生門』(1950年)、『源氏物語』(1951年)、『雨月物語』(1953年)、『地獄門』(1953年)、『鍵』(1959年)など、海外で脚光を浴びた作品に出演され、その演技力は周知の通りである。

 

  • しかし、その他の映画での京マチ子さんも魅力的で、この方の出ている映画は飽きないのである。リアルさとは違う独特の人物像を作って披露してくれるのである。驚いたのは『愛染かつら』で、田中絹代さんのイメージを変えて京マチ子版にしてしまっていたことである。映画の中での舞台映えがするのである。一応探しあてられるだけのDVDはレンタルして観たのであるが、今回は一挙に32本の映画上映である。

 

  • 映画『浅草紅団』は川端康成さん原作であるが、『浅草紅団』ではなく『浅草物語』のほうの映画化らしい。脚本が成澤昌茂さん、美術が木村威夫さんで、監督は久松静児さん。京マチ子さんは、女剣劇の紅座の座長・紅竜子役で地方をまわりをしてやっと浅草で興行できることになった。それも浅草の顔役・中根の力で、さらにその中根に子供の頃浅草寺そばで拾われここまでにしてもらった恩義がある。この顔役が悪い奴という定番である。

 

  • 中根が狙っているのは、おでん屋の娘でレビューに出ているマキの乙羽信子さんである。お金を貸して返せないなら俺の女になれという。マキは島吉という好きな人がいる。島吉の根上淳さんは、中根からマキを守ろうとして子分を刺し浅草から身を隠したが、島吉が戻って来たという声が飛び交う。マキは中根がねらっている島吉を浅草に来させたくないが島吉は浅草に顔を出すのである。島吉は上野で田舎から出てきた女に浅草に行きたいのだがと行き方を尋ねられる。地下鉄で一本だと島吉は教えるが、女は不安だから連れて行って欲しいと頼むのである。それは中根の差し金の竜子の誘いであった。竜子は気風のよい島吉を守る形となる。そして、竜子とマキの関係が島吉を通じて明らかになるのである。

 

  • 筋としては目新しいものではないが、マキの乙羽信子さんの笑顔の「百万ドルのえくぼ」が画面いっぱいにあふれ、明るく歌う。そして、京マチ子さんの剣劇が格好いいのである。マキと島吉を舞台の背景の道具の後ろに隠し、その前での立ち回りはたっぷりと見せてくれる。乙羽信子さんのえくぼと京マチ子さんの剣劇をを見れただけでも満足である。マキちゃん!竜子!と声を掛けたくなる雰囲気である。映画のなかでの観客はもちろん声をかける。京マチ子さん、リズム感があって動きがよい。それでいてピタッときまるのである。そして目力もたっぷりである。舞台映えの生きる映画でもある。それも浅草での女剣劇である。近い目線。当時の女剣劇の人気度がわかる。

 

  • 浅草寺から六区あたりもたっぷりで、時代設定としては瓢箪池の埋め立て工事が始まった頃としている。瓢箪池が埋められたのが1952年で映画『浅草紅団』の公開が1952年であるから同時代の浅草の映像である。久しぶりの映画館での浅草であった。浅草の映写とセットが上手く合って楽しませてもらった。

 

映画『ホワイトナイツ/白夜』『愛と喝采の日々』(2)

  • 映画『愛と喝采の日々』(ハーバート・ロス監督)は『ホワイトナイツ/白夜』よりも7年前に制作されていている。かつてバレーダンサーとしてライバルだったディーディー(シャーリー・マクレーン)とエマ(アン・バンクロフト)の二人が、長い時間を経て逢う。エマはバレエダンサーの現役でバレエ公演がディーディーの住む街で開催されたのである。ディーディーは今、三人の子持ちの主婦で夫のバレエスクールの手伝いをしている。ディーディーはかつてエマと主役の取り合いを巡って心に引っかかることがあった。そのことをはっきりさせたいとの思惑がエマに逢う事によって強くなる。その心理葛藤と二人の女優の演技力が見どころである。

 

  • エマの長女はバレエをやっておりその優秀さからエマの所属するバレエ団に入団する。そのため、ディーディーも娘・エミリアン(レスリー・ブラウン)の世話のため一緒に他の家族から離れてニューヨークで二人で暮らすことになる。バレエ団に接することによって、ディーディーは妊娠してバレエから離れたことに忸怩たる想いが芽生える。そして、エマはエマで年齢的に現役でいられない分岐点であることに正面から向き合わなければならなくなる。その二人の間で輝き始めていくのがエミリアである。

 

  • アン・バンクロフトはバレエダンサーでもなく年齢的な事もあり、練習風景などそのあたりは上手く処理し、その分、プリンシパルであるユーリのミハイル・バリシニコフやレスリー・ブラウンやそのほかのバレエダンサーがカバーしている。特にミハイル・バリシニコフは存分に古典バレエを披露してくれる。その姿にエミリアが恋してしまうのももっともなことであるが、ユーリは浮気者でエミリアは裏切られる。そのため酔っぱらって公演に遅れて来て、エマに大丈夫だからと酔っぱらいつつ舞台で踊るのが可笑しさを誘う。

 

  • ユーリはエミリアの元に戻るが、エミリアは一段階成長していてバレエにかける心構えが強くなっていた。そうした経過の中で、ディーディーとエマは体ごとぶつかる喧嘩をして、今までの自分を認め、これからの自分を取り戻す。そのあたりの心境の微妙さやあけすけなやりとりが上手く出ている。こうしたライバルバレエ映画は、近年では映画『ボリショイ・バレエ 二人のスワン』(2018年・バレーリー・トドロフスキー監督)にもつながっている系列である。

 

  • シャーリー・マクレーンは独特の表現力を示す女優さんで、ヒッチコック監督の『ハリーの災難』でもそれは発揮されていてこの映画がシャーリー・マクレーンの初映画出演である。ヒッチコック監督は自分がシャーリー・マクレーンを有名にしたと言われているようだが、『ハリーの災難』はヒッチコック映画でも珍しいコメディー溢れるミステリーである。ハリーというのは死体で、誰に殺されたのかということが謎で、次から次へと殺した人が変わり、その度に埋められた、掘り起こされたりするのである。

 

  • シャーリー・マクレーンはハリーの妻で、ハリーから逃げて息子と暮らしていたのである。死体を見つけたのが息子で、息子に知らされて死体を確かめにくるが、見なかったことにするようにとさっぱりとあっけらかんと言うのである。ここに住む村人全員がどこか可笑しな人たちでまさしくハリーにとっては災難であった。いやハリーも可笑しな人であったと思える。その妻もやはり変わったキャラで、シャーリー・マクレーンならではであり、今もって映画『素敵な遺産相続』『あなたの旅立ち、綴ります』で存在感を充分に発揮している。

 

  • 映画『愛と哀しみのボレロ』(1981年・クロード・ルルーシュ監督)は、ジョルジュ・ドンのバレエ『ボレロ』から始まる。これまたバレエ『ボレロ』が見事である。今まさにユニセフと赤十字・チャリティーショーが開催されているのであるが、映画はここから過去に戻される。別々の国や場所で4つの家族がそれぞれ第二次世界大戦をくぐりぬけ、その4家族の生き残った次の世代が引きつけられるようにユニセフと赤十字・チャリティーショーに集まるという構成である。

 

  • ナチス強制収容所に送られる途中で赤ん坊だけでもと手放し拾われて育った子、父親が人気楽団を率いていた娘、ヒトラーと写真におさまった演奏家と親子と知らない娘、ボリショイバレエ団に関係していた人の子などがお互いの人生を知らないままに一つの大イベントのために同じ時間にそこに立っているのである。解ることは戦争という大きな時代に呑まれていた多くの人々をこの家族が代表しているということである。ジョルジュ・ドンのバレエ「ボレロ」が哀しみを象徴するような身体表現で、バレエが出てくる異色作といえる。どれもバレエダンスから目が離せない作品である。

 

 

映画『ホワイトナイツ/白夜』『愛と喝采の日々』(1)

  • 昨年の11月に三浦雅士さんの講演『ベジャール/テラヤマ/ピナ・バウッシュ』の中で、どんな関連からであったのか忘れたが、映画『ホワイトナイツ/白夜』の最初に出てくるバレエがバッハの『若者の死』であるということを言われた。映画の記憶としてはダンスが良かったということは残っているがその他は記憶が薄れている。まあ見直せばよいと思って見返したら初めて観るようなハラハラドキドキであった。

 

  • ミハイル・バリシニコフが踊るバッハ『若者の死』は、ジャン・コクトー台本で振り付けはローマン・プティである。導入から画面に釘付けになる。そこから主人公は飛行機事故で旧ソ連のシベリアに不時着。主人公は奇怪な行動に出る。次第に明らかになるのだが、主人公はソ連からアメリカに亡命したバレエダンサーで、亡命者はソ連では犯罪者である。主人公はKGBの監視の下に置かれるが逃れて脱出を試みるというサスペンス的な緊張感である。

 

  • もう一人、アメリカ人でベトナム戦争で白人より黒人の戦死者が多いのに疑問を持ち脱走兵としてアメリカから亡命した男性がいる。アメリカではタップダンサーであった。彼はソ連の女性と結婚していて、この夫婦は主人公を監視しつつバレエ公演に出るように説得する役目を担わせられる。お互いに心が通じ、脱出を計画する。そのため監視カメラの前で二人並んで踊る場面がいい。タップに合わせた音楽を作り、さらに振り付けが二人を光らせる。

 

  • もう一人脱出に協力するのが主人公の元恋人である。彼女はバレエの相手役でもあり恋人だったので彼が亡命した後はKGBから尋問を受けるなど苦境を強いられた。そのため主人公には再会の時怒り心頭であったが、自由なバレエダンスを求める主人公のバレダンサーとしての気持ちを理解して協力するのである。この元恋人がヘレン・ミレンで彼女は実生活で、この映画のティラー・ハックフォード監督と結婚している。ミハイル・バリシニコフも実際にアメリカに亡命していてる。ソ連時代のエリートは許せる限りの自由と豪華な生活の保障があったが、それだけではないバレエに対する窮屈さがあったのであろう。

 

  • 映画はソ連ではロケできなかったが、レニグラードをこっそり撮影している。映画での車の移動はセットで、背景は実際のレニグラードの映像で合成している。批評家がこの合成が下手だといい、レニグラードの場面は全てヘルシンキだろうと言ったが、撮影した人に迷惑がかかるのでレニングラードを映したとは当時は言えなかったと映像特典で監督が語っている。そういう時代の映画でもある。

 

  • KGB幹部の役のイエジ―・スコモリフスキが上手い。世界的バレリーナをソ連で再び受け入れて舞台に立たせれば、その寛大さが賞賛され彼の手柄となる。その手柄を自分の物にできる絶好のチャンスである。必死である。一度舞台に立たせ、その後は尋問にするという計画である。この役者さん、この映画をたっぷりと盛り上げてくれる。アメリカ領事館へ主人公にピッタリくっついて向かい、メディア関係のカメラに微笑むのも見どころであるが、さらなる展開もありなかなか手が込んでいる。タップダンサーの妻役が、イザベラ・ロッセリーニで初々しくて美しい。

 

  • タップダンサー役のグレゴリー・ハインズも映画の中で、みすぼらしい小さな場所で『ポギーとベス』を演じていて、場面場面で見事なタップを披露する。ミハイル・バリシニコフが出るのでバレエ映画と思っていたら思いがけない展開が始まり、バレエ、タップ、バレエダンサーとタップダンサー共演のダンスという場面ありで驚いたことを思い出したが、再度観ても面白さは薄れなかった。

 

  • ティラー・ハックフォード監督は映画『愛と青春の旅立ち』(1982年)で興行的に大成功だったようで次が映画『カリブの熱い夜』(1984年)でミステリアスな展開をさせ、そして映画『ホワイトナイツ/白夜』(1984年)となる。『愛と青春の旅立ち』『カリブの熱い夜』も見直したが懐かしかった。そして、同じ<愛>でもバレエ映画となれば『愛と喝采の日々』(1977年)であろう。こちらの映画にはミハイル・バリシニコフが浮気なプリンシパルとして登場する。