- 『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』では、グレース・ケリーの最後の出演映画『上流社会』(1956年・チャールズ・ウォルターズ監督)の撮影が終わる。撮影セットでの車から降りるグレース・ケリー(ニコール・キッドマン)は白いフードつきのコートを着ている。映画『上流社会』でこの場面は、フランク・シナトラがグレース・ケリーの運転する車に乗せられ、上流社会のお屋敷が税金のために売られたり、維持費がなく閉じられたりする情景を案内されるシーンである。スピードを出す運転など車の事故で亡くなることと重なるのを意図してであろうか。
- 1961年12月、ヒッチコック監督がモナコ宮殿を訪れグレース大公妃と会う。『マーニー』の出演依頼のために。その時、ヒッチコック監督は『鳥』(1963年)の脚本をケリー・グラントに渡したのでその意見を聞かなくてはならないと言っている。まだ『鳥』の撮影には入っていず、ミッチの役は、ケリー・グラントに要請したようであるが、実際には、ロッド・テイラーとなった。グレース大公妃はマーニーの役が気に入り、遣り甲斐があるとして映画出演に心動かす。ところがモナコは大変な時期であった。
- この時期のモナコとフランスの関係はこの映画から知った。ただ映画からなので偏るかもしれないが。フランスはド・ゴール大統領の時代である。アルジェリアに手を焼いており、戦費調達を急務としていた。そのためモナコが無税で誘致した企業に所得税を払わせフランスに納めさせ、フランス企業の誘致を中止するように言ってくる。その大変な時期にグレース大公妃がアメリカ映画『マーニー』に出演するとの情報が流れる。グレース大公妃は発表の時期の機会をうかがっていて秘密にしていた。ところがモナコ宮殿内から漏れ、アメリカ映画会社ユニバーサル側は急きょ発表したのである。時期が時期だけにグレース大公妃はモナコから逃げるのかと非難される。
- フランスはさらにモナコ国民にも課税してフランスに納めるようにと言う。モナコ大公は要求を一部飲むがモナコは独立国だとして拒否する。国境は封鎖される。食料も水道も電気も全てフランス経由であった。グレー・ケリーはモナコ大公妃としての古くからの礼儀作法を学び直し、モナコ大公妃になりきる訓練を始める。モナコはオナシスの提案で、ヨーロッパの首脳に集まってもらいモナコ支援を取り付けようとするが、ド・ゴール暗殺失敗の情報が入りこの集まりもとん挫する。そして、モナコ大公の実姉夫婦がフランスと親密な関係であることが発覚。まるでヒッチコックのサスペンス映画のようである。
- グレース・ケリーはヒッチコック監督に映画出演を断る。ヒッチコック監督は忠告する。フレームの端によりすぎないようにと。グレースは、大公妃主催の国際赤十字慈善舞踏会を催し、世界各国からの著名人を招待する。そこで、モナコが独立国であることを各国に披露するのである。ド・ゴール大統領も出席した。これが、グレース大公妃の切り札であった。モナコ国民にも愛される圧倒的存在感のモナコ大公妃である。
- 人の集まる重要な場面にオナシスがいて、深くかかわっていたようである。投資したものは守らねばという。複雑極まりない世界である。グレース・ケリーもこのモナコとモナコ宮殿の複雑さに困惑気味で、ヒッチコック監督の映画出演で自分の力を発揮し、本来の自分をとりもでしたい希望を持ったのかもしれない。しかし、その希望を封印しグレース大公妃への演技力に全力を傾ることになる。赤十字のパーティーで、マリア・カラスが歌劇『ジャン二・スキッキ』(プッチーニ)より、「私のお父さん」を歌う。それを聴くグレース・ケリーは、お父さん見ていて私はしっかりやりとげて見せるわよと静かな闘志を秘めているようである。
- 1963年5月にフランスの徴税の要求を取り下げ国境の封鎖は解除した。ラストには、映画『上流社会』のセットの中で白いマントのグレース・ケリーが座って静かにクールな微笑みを浮かべる。それはかつてのグレース・ケリーである。どう、この私が最後に到達した演技はこんなものじゃないでしょ。完璧だったでしょうと言いたそうである。
- 忘れていたが映画『ヒッチコック』のことを記していた。 「ヒッチコック」と「舟を編む」 ヘレン・ミレンに関しては映画『ホワイトナイツ 白夜』を見直すことになりこの映画に出ていたのかと改めてその演技力を確信する。好みというものはそう変わらないのかもしれないが嫌いなものもそう変わらないものである。
- 『マーニー』(1964年)はヒッチコック映画では人気度がそれほど高くないようであるが面白かった。女性が歩いている後ろ姿。左腕脇に黄色のバックが抱えられている。右にはスーツケース。髪は黒。黄色のバックがアップされる。観客の目をひき大切なものが入っていることを察知させ、さらにその女性は何者か、観客は黙って彼女の後をつける。そして、その後の彼女の行動を覗き見る誘惑の中にいる。
- 彼女は会社の金庫から多額のお金を盗んでいた。何回もやっているようである。ショーン・コネリーが演じるマークは、マーニーが自分の会社の社員として雇う。盗難にあった取引き先で彼女を見かけていた。マーニーはそれを知らない。マークは彼女に盗癖がありそれが病気のようであり、どうしてそうなったのか興味を持つ。マークはその原因となる過去を究明するのである。
- マークは言う。このままだと刑務所か乱暴されて身の破滅となるだけだと。それでもマーニーは結婚してまで自分を守ってくれようとするマークを拒否して自由を求める。マーニーは赤の色に異常な反応を示す。その場面は赤の色が画面一面に重ねられる。これは、『裏窓』(1954年)で、主人公が殺人者から身を守るとき焚かれるカメラのフラッシュの時にも出てきた手法である。そしてマーニーの実家を訪ね母親から明らかになる過去。原作では、一人の女性に二人の男性という関係だそうだが、映画では、マークの死んだ妻の妹が加わり、二人の女性に一人の男性という設定である。
- ショーン・コネリーのマークがさすが頼もしくて格好良い。そのマークを拒否してまで自由を求めるマーニーの謎を観客は知りたいと思う。マーニーの美しさに加えて病理的疑問からマークがマーニーに魅かれたことは、マーニーにとっては幸いであったし、サスペンスとしても面白くなった。美人女優の起用の多いヒッチコック監督は、当然男優人も美男子が多い。しかし脇俳優もしっかりと計算している。脇役の女優陣がベテランの演技力をみせてくれる。『ロープ』の家政婦、『裏窓』の看護師、『鳥』のミッチの母親、『マーニー』のマーニーの母親などもその例で、ユーモアを加えてくれたり深みを出してくれたりしている。
- 映画『ヒッチコック』では、ヒッチコック監督が『サイコ』(1960年)の女優を誰にするか決めかねている。グレース・ケリーなら何を演っても許されるのにとつぶやき、妻に王妃なんだから無理よと言われる。最終的に妻のジャネット・リーはどうと言われて決まる。ヒッチコック監督の机の上に女優のポートレートが重ねられている。妻はその写真の一枚に、自分のイヤリングの一つを置く。その写真がグレース・ケリーの写真で、グレース・ケリー大公妃の出演依頼を暗示しているようにも思える。出来るものならやってみたら。
- 映画『ヒッチコック』(サーシャ・ガヴァシ監督)は内容も興味あるが、ヒッチコック監督役のアンソニー・ホプキンスと妻・アルマ役のヘレン・ミレンの演技上のぶつかり合いも見どころであった。
- 女優グレース・ケリーのことは今までもにも多少見聞きしたことがある。両親に認められることを願っていたが、特に父親が女優という職業をよく思っていなくてグレース・ケリーの努力を認めてくれなかったというようなことなど。ドキュメンタリー映画『グレース・ケリー 公妃の生涯』(ジーン・フェルドマン監督)ではそうしたことまでは触れず父母の生い立ちや、グレース・ケリーの生涯を個人的波風は少なく公的に追っている。
- 『喝采』(1954年・ジョージ・シートン監督)でアカデミー賞主演女優賞を受賞したグレース・ケリーは、モナコ大公レーニエ3世と出会い結婚(1956年)へと進むのである。映画『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』(オリヴィェ・ダアン監督)では、モナコ大公妃になってからの1961年から1963年までの大公妃の身に起ったこととして描かれている。
- アルフレッド・ヒッチコック監督の『鳥』を見直すことにした。引き延ばしにしていた確かめたかったことがあった。オペラ映画のフライヤーに『マーニー』が載っていて、ヒッチコック監督も映画にしているのを知り『マーニー』を続けて鑑賞する。そして、この二つの映画が、モナコの大公妃となっていたグレース・ケリー大公妃に『マーニー』出演を依頼と関係していたことを知る。
- 『鳥』で確認したかったのは、主人公メラニーが魅かれている男性・ミッチの妹を学校へ迎えに行く場面である。教室では子供たちが歌を歌っており、もう少しで終るというのでメラニーは外のベンチで煙草を吸いながら待っている。後ろの遊具にカラスが一羽。メラニーのアップから後ろの遊具を映すと二羽、三羽と増えていく。この時のBGMがどんなであったか確かめたのである。子供たちの歌声が続いていた。これからの展開を何も知らず歌う子供の声。それに反し、彼女はイライラしている。イライラしているのにはそれまでにいたる鳥による体験による。
- 彼女は飛んでくる一羽のカラスに目をやり、視線はその後を追う。カラスが行き着いた遊具はカラスでおおわれていた。彼女は学校に飛び込み教師に窓からその様子を知らせる。ガラスなどは簡単に割られてしまい襲われるので、誘導して子供たちを避難させることにする。逃げる子供たちに襲いかかるカラス。CGのない時代なので、実際の撮影用に訓練したカラスと飛んでいる鳥の映像とを編集して作り上げている。この映画に出てくる多くの鳥の場面は本物と作り物の鳥を混ぜて、観る人の錯覚を利用したらしいが、映像の切り替えなどから、あれはニセモノと思わせる時間を与えなかった。
- メラニーはミッチが探していた<愛の鳥>を届けるためにミッチの住む町に来たのであるが、カモメに襲われたり、ミッチの家では驚くべき数のスズメが暖炉から部屋の中に飛び込んできたりする。ミッチの母が鶏がエサを食べなくなったので同じ状態の知り合いの農家を訪ねていったところ、その農夫は目をえぐられて死んでおりカモメに襲われた思われる。母は家にもどり寝込んでしまい学校に行っている娘のことが心配だということでメラニーが様子を見に行ったのである。
- 『鳥』の前が『サイコ』で、『サイコ』に関しては、映画『ヒッチコック』が詳しくその撮影にいたる経過を教えてくれる。ヒッチコック監督は新しい試みの映画を作りたいと考えていて実際の事件を題材にした『サイコ』の映画製作に入るが、どこも企画を受け入れてくれず家を抵当に資金は自分持ちとする。夫婦間の問題、撮影現場、俳優とのやり取り、映画公開の仕掛け方などが盛り込まれている。
- ヒッチコック監督は『サイコ』は失敗だと認めるが最終的に妻が編集に加わりシャワーの殺人場面に音を入れる。ヒッチコック監督は音を入れることに反対するが、これが臨場感を生み出し効果抜群となる。映画館のロビーで監督自身もシャワー場面の観客の悲鳴と音に大満足である。映画の最後に、ヒッチコック監督のいつもながらのしゃべりがあり、ヒッチコック監督の肩にカラスが止まって奥さんの呼ぶほうへ去っていく。次の映画の予告である。『鳥』では音は鳥の鳴き声など最小限にしている。
- 『鳥』のメラニー役のティッピ・ヘドレンはモデルでこの映画が初めての映画出演であった。ヒッチコック監督は美人が好きである。ファッションに関しても女性があこがれそうな衣裳を着せ、そこに恋愛も含ませ女性の入りやすいサスペンスとしている。そして男性の気をそそる色香も忘れない。『鳥』の場合はミッチとの最初の出会いの場面と男性の住んで居る場所で事件に巻き込まれるため洋服は二着である。二着目は理由のわからぬ鳥の襲撃など想像もできないさわやかな若草色系である。鳥と緑の調和のイメージが見事に崩壊する。
- サスペンス映画よりもスリラー映画に近い。ただ、ミッチの母がメラニーを見る目が敵視しているようで謎を秘める。母は息子を恋人に取られるのが恐怖であった。ところが、鳥の出現で、母は自分が守られることしか考えていなかったのが、最後にはメラニーを守る強さが生まれていた。そのあたりも恐怖だけではない人間心理の変化も加味されている。そして、この母の心理が『マーニー』ではもっと複雑になるのである。さらに、主人公のマーニー役をヒッチコック監督は、グレース・ケリー大公妃に依頼していたが断られ『鳥』に出演していたティッピ・ヘドレンに決定するのである。
- アメリカ映画『12人の怒れる男』(1957年)は、1997年に『12人の怒れる男 評決の行方』(ウイリアム・フリードキン監督)でアメリカでリメイクされている。1957年版のオリジナルが上映時間96分で1997年版が117分である。1997年リメイク版は基本設定は変わっていないが陪審員の人物像が強くなっている。
- 1997年版は、陪審員10番がスラムに住む人々に対する悪意が他の陪審員から病的だといわれるほどである。映画では、休憩時間にトイレで陪審員同士が話しかけるところがあり、その人の生活感や他の陪審員に対する見方が出てくるのがひかれる。野球観戦に行きたかった陪審員がセールスマンで、8番にあんたは優秀なセールスマンだと皮肉をいったり、他の陪審員が自分は職人で、面倒なことは親方がやってくれるからこういうのは苦手だという。ところが、目撃者の状況見直しのときにはその職人の労働経験が生かされるのである。
- スラムに住んでいる陪審員は、飛び出しナイフの持ち方を知っていて、少年が上から被害者を刺殺したという疑問に呼応する。証拠の飛び出しナイフの使い方を実演し、下から上に刺すと話す。この陪審員はオリジナル版ではスラムに住んでいたことがあるとしている。無罪にいたる陪審員の生活感もオリジナル版よりリメイク版のほうが濃い演技を要求しているしアップなどで協調している。
- 自分の経験してきた生き方や私憤などをぶっつける陪審員は、はっきり主張し、その人に対してその考え方は違うだろうという感情を他の陪審員に与える。そのことがなおさら、目撃者が目撃したという事実が本当かどうかを検証していく冷静さが加わるのである。自分の経験が生かされると思った時、人は自分のこととして真剣になる。リメイク版の陪審員8番はジャック・レモンで、こちらのほうが雄弁である。ヘンリー・フォンダのほうが疑問があれば知りたいという朴訥さである。1997年版は、環境の違う場で生活していることが物の見方にも相違があり、それぞれの人々がそれぞれの意見があるのだということを思い起こさせる。
- ニキータ・ミハルコフ監督版『12人の怒れる男』(2007年)は、始まりから驚かされる。戦闘のあった後の場所に雨がふり、死んだ人が見え、そこを犬が雨に濡れながら走って来る。この場面は最後にも出て来る。上映時間が159分と長い。少年が自転車で田舎を走り、母親に「ロシア語を話して」と何回か言う。これはどうもちょっと違うな。ニキータ・ミハルコフ監督版だなと覚悟する。
- 殺人の設定はチェチェンの少年が養父であるロシア元軍将校を殺したとの容疑である。現代のロシアの問題も大きく取り込んでいる。ニキータ・ミハルコフ監督も陪審員2番で出演している。そて陪審員2番が陪審員長となり、最後に有罪を主張するのである。それはなぜか。有罪で刑務所のほうが少年は長く生きれるというのである。無罪となりこの少年は誰も頼る人がいない。この少年は真犯人を探すであろう。真犯人はこの少年を殺すであろう。だから刑務所のほうが安全なのだと。
- 容疑者である少年も映像にかなり出てくる。少年はチェチェン紛争の戦闘で父母を亡くし孤児となり戦闘の中で見つけられ引き取られるのである。そのため少年の体験した過去の映像が挿入されている。独房での少年の動きも映される。始めは寒さのために、規則的に動く。次第に身体を回転していく。これは、少年が兵士から踊りながらの独特のナイフさばきを見せられ一緒に踊る場面と重なることがわかる。アメリカ版とはナイフも違う。
- 陪審員室が改装中で12人の陪審員が案内されたのは学校の体育館である。パイプがむき出しになっていて、こんなところで子供たちが学んでいるのかなどロシアの現状に対しても12人の陪審員の目がいく。そしてその意見のやりとりが強烈である。アメリカ版よりも一人一人の意見や生き方がもっと複雑でそれぞれを観るお互いの交差線も複雑である。上映時間が長い分陪審員の一人一人の発言も長い。
- 目撃者の検証も体育館の体育道具なども使い舞台のような映像である。さらに少年の住んでいた建物が立ち退きを要請されていたことがわかる。ここもアメリカ版とは大きく異なるのである。新たな展開となり、陪審員2番の危惧が生じるのである。しかし、無罪であると思っているのでの評決は無罪となる。このあと、そうなるのであるかという状況が映される。大きな問題を抱えつつ、無実になった少年のその後までを考えたのがロシア版である。ラスト最初の雨の中の犬が次第に近づいて来る。この映像、メッセージがありそうである。
- 笑いの多い『12人の優しい日本人』。4本の映画を観た後で気がついて笑ってしまった。三谷幸喜さん、そこまで考えていたのであろうかと疑問であるが、この映画での被告が無罪になった後はどうなるか。ハッピーである。5歳の息子と今まで通りに生活できるのである。ここまで深く考える必要があるのかどうか疑問であるが、そこまで考えても大丈夫なような設定である。恐るべし。
- 映画『フィラデルフイア』でトム・ハンクスが弁護士のデンゼル・ワシントンに聴かせるオペラが『アンドレア・シェニア』の中のマッダレーナのアリア「亡くなった母を」である。歌うのは、マッダレーナ役のマリア・カラスで、それを聴きながら説明するトム・ハンクスと耳を傾けるデンゼル・ワシントンの二人の顔に暖炉の火の灯りが照らしたり消えたりするのが効果的な見せ所の場面であるが、その名場面は置いておく。
- この映画は法廷映画でもあり法廷の場がこれまた見せ場である。弁護士・ジョー(デンゼル・ワシントン)はよく理解できないことに関しては、私が6歳の子だと思って説明をという。弁護士・アンドリュー(トム・ハンクス)の訴訟に関しての話しには、2歳の子だと思って説明をという。いよいよ陪審員が集まり評決を話し合う時、一人の陪審員がいう。「雇い主はアンディを並みの弁護士だというが、その彼に大切な顧客の重要な訴訟をまかせた。彼の実力をみるためだと。敵地に3億5千万ドルのジェット機を飛ばすとする。操縦士をだれにするか。実力をみたいからといって青二才をつかうか。経験豊かな操縦士にするか。そこが不思議だ。6歳の子だと思って説明してくれ。」
- その陪審員の言葉で映画『12人の怒れる男』を思い出し見返したくなった。そしてこの際だから『12人の優しい日本人』も見ようと。ところが『12人の怒れる男』が二回映画でリメイクされていた。ということはその二本も観なければ。
- 『12人の怒れる男』(1957年・シドニー・ルメット監督)は、陪審員の評決の様子を描いた映画である。簡単に「有罪」の結論がでる事件のようである。ところが一人だけ「無罪」という。11対1である。無罪といった男性(陪審員第8番・ヘンリー・フォンダ)も無罪というこれといった確証はない。被告は18歳の少年で有罪となれば死刑である。陪審員8番はもっと話し合おうと提案する。
- そこから被告の18歳の少年の犯行が明らかになっていく。そして生い立ちも。スラムに生まれ、9歳で母と死別。父が服役中は1年半施設に預けられ、その後も父のDVの中で育った。その少年が父親を殺したとして裁かれようとしていた。目撃者も二人いる。討議していくうちに無罪とする陪審員が1人増え、2人増え、無罪が12人全員となるのである。その間、スラムに住む者への強い偏見を持つ人、自分と息子の関係からそれを被告の少年と重ねる人、早く終わらせて野球観戦に行きたい人などの人間性も明らかになっていく。
- 最初にこの映画を観た時の強い印象は忘れられない。こんなことが起りえるであろうかと。無罪を主張する人が1人から次第に数が増えていく。話し合っているうちに目撃者の証言の真偽が問われていく。そして1人よりも2人、2人よりも3人のほうが視る観点の違いと同意がはっきりしてくるのである。わくわくして観た記憶があるが、見返したら内容も知っているためかサスペンス的なわくわく感は薄れていた。そして登場人物のこの人の人間性はもう少し強くなければなどと思っていたりした。ここで話し合わなければ一人の少年の命が短時間で決められてしまったわけでその怖さは今回のほうが強かった。
- 『12人の優しい日本人』(1991年・中原俊監督)は、『12人の怒れる男』をもじっての題名とも思えるが、日本にはない陪審員制度(日本は裁判員制度)を想定して三谷幸喜さんが主宰劇団・東京サンシャインボーイズのために書かれた戯曲を映画化したものである。映画『12人の怒れる男』の日本版パロディとしても楽しめる。陪審員が飲物の注文ができるという予想外の行動から始まるのである。それとか、無記名投票で決をとると13票であるという奇怪なこともある。そのあとの投票用に有罪、無罪と書き、丸をするという用紙を作っておくという人も現れる。人物描写が細かいのである。
- 始めは全員が無罪とするのであるが、そのあとで一人有罪と主張する人が現れる。『12人の怒れる男』と逆パターンである。陪審員8番ではなく陪審員2号である。このあたりから別の設定の映画として切り替えて観始めた。被告は美人の5歳の息子がある離婚歴のある女性である。元夫に呼び出されて会うが話がもつれ彼女は逃げる。追ってきた夫と人気のないバイパスでもみ合いとなり、元夫はトラックに引かれて死んでしまうのである。元夫を突き飛ばしたかどうかが重要な点である。次第に有罪が増えていく。ところが今度は無罪を主張する人が一人いて、話し合いは続く。無罪が増えていく。
- 『12人の怒れる男』では証拠品のナイフがあったがこちらはない。そのかわりピザの配達を頼むのである。食べるためではない。ピザの大きさを知るためである。その展開が可笑しい。被告と元夫が会った居酒屋のチェーン店のメニューなどもでてきて日本の日常性や生活感がにじみでてくるのが笑えるところである。有罪を主張した陪審員2号の他は無罪と決める。なぜ陪審員2号が有罪を主張したのかそのことが最後に明らかになる。無罪と決まり陪審員が帰るとき、直接評決には関係ないが、少し重要なことも明らかとなる。有罪から無罪に変わるとき活躍した陪審員11号のこともその一つである。
- 『12人の怒れる男』の社会問題上の根深い偏見を主題にしているのと比べると『12人の優しい日本人』は弱い感じもする。しかし、陪審員制度が日本人に適用されたら長い物には巻かれろ式で人を裁いてはいけませんよと話し合いへの警告も含んでいるのかもしれない。そこが無罪→有罪→無罪としつこく展開させているところかも。可笑しさを増してくれるが重要なところでもある。
- 出演・陪審員1号から/塩見三省、相島一之、上田耕一、二瓶鮫一、中村まり子、大河内浩、梶原善、山下容莉枝、村松克己、林美智子、豊川悦司、加藤善博/守衛・久保晶、ピザ屋の配達員・近藤芳正
- 美容室で美容師さんに映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観たかどうか尋ねたら彼も観たいが観ていないという。最近映画館で観た映画を尋ねられたので『私はマリア・カラス』と答えたら、誰ですかと聞かれてしまった。その後で『ボヘミアン・ラプソディ』を観たら、フレディ・マーキュリーがマリア・カラスの『カルメン』のレコードをかけたので驚き桃木である。先に映画を観ていれば美容師さんに『ボヘミアン・ラプソディ』の映画に出て来るわよと答えられたのに残念。
- 確か二枚目のアルバムを作る時だったと思う。レコード会社でフレディが『カルメン』のレコードをかけて次はオペラのようなものにすると宣言するのである。クイーンは同じようなものは作らないと仲間も同調。驚きつつ、咄嗟に第一は声かなと。それから制作が始まるが、ロジャーが声が壊れるよと抗議するがフレディは、もっと!もっと!と要求する。曲の『ボヘミアン・ラプソディ』は6分以上になり不評であった。字幕で歌詞を見ていると何かを心から吐き出し、それでいて語りかけている。
- クイーンのフレディ・マーキュリーを主人公にしているが、他の三人のメンバーの映しかたもそれぞれ個性が感じられ素敵である。意外と四人一緒で、これは映画のためかと思ったらこの四人は公的には行動を供にし、プライベートはそれぞれが大切にするということだったようである。一時フレディがソロとなり3対1となるが、音楽に関しては仲間意識が強く、再びフレディを受け入れる時も3対1が一呼吸置いてぱっと4人になるという爽やかさで、クイーンあってのフレディ・マーキュリーの印象である。フレディは多額の契約金でソロとなり他のバンドとやってみるがイエスマンばかりで、音楽に対しては貪欲に言い争いつつ臨むクイーンがやはり本来の居場所であった。
- そして家族を持つことのないフレディにとって仲間は孤独を感じさせる場所でもあった。それは、フレディにとってはどこにいても通過しなければならないことであったと思う。恋人であったメアリーが友人となるまでの葛藤。危うさの中で、フレディは帰る場所を間違わなかった。彼は声が出にくくなっていたが、チャリティーコンサート「ライヴ・エイド」出演の練習では、少し待ってくれ声を取り戻すからと言って当日は見事な歌声を披露し観客を魅了するのである。フレディは、ロックであっても声を大切にしていたのである。マリア・カラスのレコードをかけた時の想いは続いていたのである。
- 映画『フィラデルフイア』が公開された時にはフレディは亡くなっていた。『フィラデルフイア』では主人公がオペラが好きで、マリア・カラスの歌声を弁護士に聞かせ死を目の前にした自分のぎりぎりの気持ちを伝える。この映画からはエイズに対する差別の感情がよく伝わってくる。主人公は優秀な弁護士であったが彼が勤務する法律事務所は彼がエイズとわかり解雇する。病気を理由に解雇することは法に触れるため仕事上のミスで解雇する。それも巧妙な罠をしかけてである。彼は法の力を使って闘うのである。
- フレディは、そのことについては強く語らないが音楽で闘っている。結論も勝利も見えはしないがこのままで何が悪いんだ。ラストのライブは圧巻である。声を出したり、手を叩いても良い「ボヘミアン・ラプソディ応援上映」というのがあるらしい。体験したくなる。
- DVD『クイーンヒストリー』は、1973年から1980年までの「クイーン」のライブ映像を含めての「クイーン」の経過がわかる。ロックの流れの中での「クイーン」の位置づけ。ブライアンのギター奏法の解説。クイーンの作品がどう変わっていったかなど。「クイーン」に詳しい人は作品に対してはそれぞれの想いがあるから異論もあるかもしれないが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で「クイーン」に接した者にとっては流れがわかりフレディの私的なことを離れて鑑賞できた。そしてスタジアムロックを意識的に目指したということがわかった。「クイーン」聴きたくなる。
- 『沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)』。実際の舞台でも落城前の大阪城での臨場感ある場面には圧倒されたが、映画は表情がよくわかるので息を詰める箇所もあった。あの淀君が、千姫を連れ出そうという徳川側の動きを察知して止め、怒り心頭である。さらにそれを企んだ主要人が舌を噛み切って自害するのであるから、なんたる失態かと局たちへの叱責も次第に増大するばかりである。居たたまれない千姫はその場から消え、城を出る。
- 次第に淀君の心は壊れていく。自分の両親を殺した秀吉と一緒になり秀吉亡き後は、秀頼の母としてその権力を握ったわけであるが、今、それが崩れる寸前である。自分と秀頼の位置を脅かそうとしている者たち。そばに仕える者に対する猜疑心。それらがかみ合わさって壊れていくしかない淀君。
- そんな母を見るに耐えない秀頼。この芝居の中の秀頼はマザコンではない。しっかり母親の姿を見据えていて憐れんでいる。この母の姿を広く周知させてはならないと母を殺し、自分も自害しようとする。周囲は、正気に戻るからそれまで待ってくれと懇願する。正気に戻る淀君。秀頼のことは認識できた。しかし、元の母ではない。秀頼は自分が豊臣家としての判断をしなくてはならないと腹を決める。そして側近たちの意見に耳を貸し、徳川に降伏することを決断するのである。
- 映画を観て、この秀頼は凄いと思った。見終わった後、友人と淀君はあの最後の秀頼を育て上げただけでも凄いよと感じ入ってしまった。まさか淀君は自分を客観的に見つめ決断するだけの判断力があるとは思っていなかったのではないだろうか。自分が守らなければの母としてのいつまでも子供である意識である。ところが息子はしっかり最期を自分で決めるまでに成長していたのである。
- さらに観ていて面白かったのは、玉三郎さんという役者さんの大きな壁に向かって他の若い役者さんたちがぶつかっていく姿が大阪城の落城の異常な緊迫感を漂わせているのである。その玉三郎さんの淀君に負けまいとしつつも冷静に心の内をおさえつつ臨む七之助さんが現実と芝居を一致させているところに深さがでた。もしこの壁のない若手同士でやるときはどうするのか。仮想の壁を自分たちで作らなければならないのである。今でもその心構えは必要と思う。いらぬ心配かもしれないが。(松也、梅枝、米吉、児太郎、坂東亀蔵、彦三郎)
- 『楊貴妃』は、『沓手鳥孤城落月』の世界からすると、浄土の世界である。玄宗皇帝は亡き楊貴妃が忘れられないでいる。方士に楊貴妃の魂を探し出すように命じる。方士というのは特別の能力がある人のことを指すようで、方士の徐福は秦の始皇帝から不老不死の薬を探すように命じられる。和歌山県新宮市に徐福の墓があった。日本にも来たことになっていて伝説が残っている。
- 『楊貴妃』のほうの方士も難問を命じられたわけである。日本ではイタコという死者の言葉を口寄せで語るのがあるが、『楊貴妃』は姿を現すのである。そして、自分と会った証拠にと簪を方士に与えるのである。シネマ歌舞伎の前に先の映画予告『七つの会議』があって、方士の中車さんが香川照之さんで凄い顔で映っていた。
- 現れた玉三郎さんの楊貴妃は、もう阿弥陀様になられているのを楊貴妃の姿にもどって出てきたという感じである。本来の趣意としては、私も玄宗皇帝のことを想い続けていますよということなのかもしれないが、そういう人間性はもう飛んでいる感じで、玄宗皇帝あなたももうそろそろ救われた気持ちにおなりなさいという風に思えた。これはもしかすると映像のためかもしれない。舞台ではそう感じなかったので。舞台と映像では、違った見方となるのが面白い。
- 映画のあと、友人が『平家物語』の講話を聴いているというので、義仲、義経、頼朝の源氏の同族争いのことや、義経のゲリラ戦術などの話しを聞いた。埼玉県嵐山町散策の後だったので復習のようなかたちとなって楽しかった。嵐山町を案内したいが、足が不自由で無理なのが残念である。
- マリア・カラスが貧しい中から才能を開花させたのと同じように貧しい環境から才能を開花させた人は多いであろう。アメリカのフィギュアスケート選手トーニャ・ハーディングとウクライナ生まれのバレリーナのセルゲイ・ポルーニンもそうである。この二人についても映画で知った。
- 映画『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』は、1994年のライバル襲撃事件を題材にしている。ノルウェー・リレハンメル冬季五輪の米代表選手選考委員会で優勝候補のナンシー・ケリンガンが何者かにひざを殴打されて欠場した。優勝したトーニャ・ハーディングの元夫らが容疑者として逮捕され、トーニャ自身も関与していたとの疑いがかかる。トーニャは幼い頃からフィギュアスケートの訓練を受け、トリプルアクセルを成功させた。彼女になにが起こったのかを描いている。
- トーニャ役のマーゴット・ロビーはこの映画のプロデューサーもつとめ、撮影の4ヶ月前から猛特訓を受けているが、バレエとアイスホッケーの経験があったという。スキャンダルも興味あるところだが、そのスケートの演技に驚いてしまった。もちろん編集はしているが、どこからどこまでなのであろうかとその演技力に舌をまく。
- トーニャは、毒舌家できびしく時には手も飛んでくる母に育てられる。母も働いたお金をトーニャのスケートレッスン料につぎこむのであるから並みの性格の人ではない。トーニャはそんな環境でもスケートが好きだったとしか思えないほどの成果をあげてゆく。ところが好きなって結婚した男もDVの常習であった。観ているとこんな環境でよく五輪に出れる才能を開花させたものであると信じがたいのであるが、トーニャはやりとげるのである。
- ところが、トーニャが嫌がらせの手紙をもらったことで、ライバルのナンシー・ケリンガンに対する疑いが生まれ仕返しを考える。それは脅迫手紙だけのつもりが思わぬ展開でナンシーへの襲撃ということになってしまう。トーニャの幼い頃からの閉ざされた環境からくる展開でもあるが、もし彼女が違う環境ならこういうことにはならなかったのではと想像すると残念である。ただ、トーニャは自分の環境を他と比較できる状況にはなかったであろうし、それを受け入れて実力をつけていく強さには賞賛を送ってしまう。それだけに、アメリカスケート協会からの永久追放には胸にくるものがある。ただし悪は悪である。
- 映画でありながらスケート場面の力の入れようが、一人の女性の生きざまを浮き彫りにした。マーゴット・ロビーのトーニャのしたたかさをも感じさせる演技力は、同情だけに終わらせない人の生きることの複雑さをも映し出す。最後に流れる一人息子と元気に暮らしているというトーニャのメッセージがなによりである。したたかに、しなやかに違う人生を築いてほしい。襲撃事件の被害者であるナンシー・ケリンガンの精神力にも驚いてしまう。恐怖と怒りが渦巻いていたであろうがリレハンメルオリンピックでは銀メダルをとるのであるからお見事である。
- ドキュメント映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』。最初から大丈夫なのと思わせる。開演まえ控室で薬を飲む。心臓の薬、栄養剤、米軍用に開発された薬、鎮痛剤など。これだけの薬の服用は彼だからなのかそこのところはわからないが、それだけ舞台が肉体を酷使するものであるということなのだろう。彼は、ウクライナ・ヘルソン出身で幼い頃から股関節が柔らかで体操から始めてバレエにかわる。
- キエフ国立バレエ学校に入学させ母とセルゲイはキエフに移り住む。学費を払うため父はポルトガルへ、母方の祖母はギリシャに出稼ぎに行く。11歳のとき学年トップとなり、ロイヤルバレエ学校を受け入学。母はウクライナにもどり、英語が話せないセルゲイは一人英国へ。家族ばらばらとなる。
- セルゲイは成功してとにかく家族を一つにしたかった。ロイヤルバレエ団入団一年後には第1ソリストに昇格。19歳のときロイヤルバレ団の最年少のプリンシバルとなる。ところが、彼が15歳のときに両親は離婚している。セルゲイは決して両親を自分の舞台に招待しなかった。母の子供時代の厳しさ、思いもしなかった離婚で特に母には反発を感じていた。セルゲイの生活はコカイン、タトゥー、パーティー、うつ症状など乱れていき、絶頂期にロイヤルバレ団を退団。タトゥーのあるバレダンサーをアメリカでも受け入れてはくれなかった。
- モスクワでスター扱いされずにテレビ番組で売りこみ、モスクワ音楽劇場のバレ監督・イーゴリ・ゼレンスキーに認められゲスト出演。しかし2年で単調さを感じバレエをやめることを決心。最後の踊りとしてハワイのマウイ島で「テイク・ミー・トウ・チャーチ」の曲で踊り動画で配信。それを見た小さい子がセルゲイの踊りに憧れてテレビの前で踊るのを知る。彼はウクライナに帰り子供の頃の楽しかったバレエ学校にも顔を出し、母とも話しあう。彼はやめれると思ったバレエから離れることができない自分を知る。国立モスクワ音楽劇場の舞台に初めて両親と祖母を招待する。
- その時代その時代のセルゲイの踊る映像が挿入され、その踊りは見事である。才能あるがゆえに、その才能が家族を壊しているということに対する苦悩は、才能=破壊という図式で彼を苦しめたのであろう。観ている方は、何という素晴らし才能であろうかとその踊りに感動するだけである。そして、この踊りが観られないとすれば観客にとってなんという損失かと残念がるしかない。映画を観て初めてセルゲイ・ポルーニンを知ったわけで、やはり映画は未知の世界が観れて知れるという点では嬉しい文明の利器である。セルゲイ・ポルーニンはその後映画俳優としても活躍している。
- 映画『永遠のマリア・カラス」は、晩年のマリア・カラスがアパートメントに引き籠って外に出なくなり、それを心配した友人がマリア・カラスの映画を企画する。声は期待できないので彼女の演技力で『カルメン』を映像化して、かつての若い頃のマリア・カラスの歌を編集して合体させるという試みである。
- マリア・カラス役がファニー・アルダンで演技力抜群である。外見や雰囲気などをマリア・カラス本人と比較するのもいいが、ファニー・アルダンの作り上げた歌姫が映画『カルメン』にどう向かいあい、挑み、創り上げていくかで観ていても圧倒される。そのことがマリア・カラスを描くことに通じている。それは、マリア・カラスの友人でもあり、マリア・カラスの舞台を演出したことのあるフランコ・ゼフィレッリ監督が描きたかってであろうマリア・カラスと一致したのである。
- 今回新たに知ったが、フランコ・ゼフィレッリ監督は、ルキノ・ヴィスコンティ監督のもとで仕事をしており、ルキノ・ヴィスコンテ監督はマリア・カラスの舞台演出をしていてマリア・カラスとは、相性が良かったらしくオペラも成功している。『マリア・カラスの真実』でもヴィスコンティ監督とテレビ出演しているマリア・カラスが真摯に監督の話を聞き答えてもいる。『マリア・カラスの真実』をどうして映画館で観なかったのであろうかと、フライヤーをさがして納得。フライヤーが好きでなかったからである。スキャンダルを追っているのではないかと想像したのである。実際の映像はきちんと調べて冷静にマリア・カラスの一生を追っていた。今回見逃さなくて良かった。
- マリア・カラスはヴィスコンティ監督から演技を学んでいたであろう。おそらく呑み込みは早かったと思うし努力もしたであろう。歌を学んだ時のように。マリア・カラス自身も演技力には自信があり、声が出なくなったマリア・カラスにその演技力を求めたのが、映画の中での友人でプロモーターのラリーで、この役がジェレミー・アイアンズなのである。これまた完璧な役どころである。そして、歌と切り離して演技というところでマリア・カラスを復活させようとしたのがフランコ・ゼフィレッリ監督の狙いでもあろう。もしかすると、パゾリーニ監督が上手くマリア・カラスの演技を引き出せなかったことへの対抗心かもしれない。そう思わせるほど、フランコ・ゼフィレッリ監督のマリア・カラスへの友愛が感じられる。
- ロックバンドなどをプロモーターしていて忙しいラリーはマリア・カラスを引っ張り出す企画を考え、若いスタッフがマリア・カラスは過去の人だというのを聞いて益々燃えあがり、逼塞して隠れるように生きている彼女をもう一度よみがえらせようと行動にでる。自分も資金を提供し、儲かるぞと資金提供者も集めいよいよ、撮影に入る。難色を示していたマリア・カラスも撮影が始まると水を得た魚のように、まるで鯉のように飛び跳ねたりもする。
- 撮影のマリア・カラスに、オペラの舞台にのぞむマリア・カラスがいる。完璧主義で、時には傲慢で専制君主のようなところもあるが、生き生きとしている。この撮影場面やその場その場のマリア・カラス(ファニー・アルダン)の表情も眼が離せない。試写も終わりマリア・カラスも大満足。ラリーは次は『椿姫』だと意気込む。ところがマリア・カラスは次は『トスカ』で、今の声で歌って映像化するという。今の声ではお金にならないと資金提供者たちは納得しない。マリア・カラスは今の自分を冷静にみつめ決心する。
- 『カルメン』を破棄してくれとラリーに伝える。この場面の撮り方も淡々としていながらマリア・カラスの言葉を深く心に刻ませる。やはりあの『カルメン』はニセモノである。「マリア・カラスはペテン師だった!」とは言われたくない。ラリーに「私のせいで破産?」と問いかける。ラリーは大丈夫と答える。このふたりの最後の会話がいいのだ。これは創作の世界だからこそできた場面であろうし、ここがまた、フランコ・ゼフィレッリ監督のマリア・カラスへの友愛の熱さである。
- 脇役の女性評論家サラのジェーン・ブローライトの演技も光る。驚いたのは撮影が映画『王女メディア』と同じ人であった。『カルメン』は多数映画化されているが、1954年アメリカのミュージカル映画『カルメン』が長く感じて途中だれてしまった。マリア・カラスが録音したオペラ『カルメン』のCDを聴いてわかった。オペラも長いのだ。CDも2時間40分はある。解説文によると、ビゼーのオペラには、メリメの原作には出てこないドン・ホセの許嫁であるミカエラが登場する。これは、柄の良くない人間が多く登場し、最後は殺人でおわるため、もっと明るく愉しい雰囲気をだすため純情可憐な田舎娘を加えたのだそうだ。
- 「マリア・カラス」とは、個人的にはオペラへの入口となった。作品をどう理解しその真意をどう伝えるか。マリア・カラス関連映像を観ているとオペラの作品に対するのめり込みかたにすざまじさがある。『私は、マリア・カラス』で語る、家庭とオペラを両立できないというマリア・カラスの言葉にうなずけるのである。
- 2019年も災害の多い年となるのであろうか。まだまだ災害の爪痕が回復していないところもあるというのに、不安をつのらせる現身の世の中である。そんななか楽しい年であることを願いつつ、そうあるべきように祈りつつ、「マリア・カラス」から始めることにする。
- 昨年の続きということである。昨年12月、ドキュメンタリー映画『私は、マリア・カラス』をみて、マリア・カラス関連の見れる映画や舞台映像、ドキュメンタリー映像などを観た。創作部分の多い映画『永遠のマリア・カラス』は、映画館で観た時よりも創作にマリア・カラスへの愛が感じられて観ていてさらに心に沁みた。作った人の温かさがある。
- 「マリア・カラス」をどのようにまとめたらよいのか。書きつつその流れに任せることにする。『永遠のマリア・カラス』は、マリア・カラスの名前は知っているが歌もきちんと聞いたことはないし、ゴシップ的なマリア・カラスといってもそれほどくわしくはないしで、「マリア・カラス」ってどんな歌手だったのかと興味を持たせてくれた映画である。その映画のあとパリデビューの公演DVD『歌に生き、恋に生き』を購入したらしい。らしいというのはパリデビュー自体がよくわからず、観ておそらく途中で投げ出しているようだ。『永遠のマリア・カラス』は、『カルメン』が主なのである。『カルメン』なら聞きなれた歌もある。ところが、『歌に生き、恋に生き』は素晴らしい声なのであるが、こちらの気持ちとかけ離れていたのであろう。
- 『私は、マリア・カラス』では、声が出なくなってからコンサートに切り替えて歌うマリア・カラスの表情が好きであった。『歌に生き、恋に生き』のマリア・カラスは挑むような表情で入りこめなかった。それに比べ、サーカスで子象に観客席まで押されて、子象のお尻を軽くたたくマリア・カラスには生身のキュートさがあった。最後のコンサートは日本で札幌であった。完全主義でもあったであろうし、傲慢でもあったであろうし、とにかく突出している才能を発揮した歌い手であった。
- 『私は、マリア・カラス』では、年齢と共に衰えるであろう声に関して、オペラ歌手を続けられるかどうかということに対しては常に頭にあったようである。パゾリーニ監督の映画『王女メディア』に出演するときも、新しいこともやっていかなければと話している。家庭にあこがれるが、家庭と仕事の両立は難しく自分には無理であると語る。どの時点でのインタビューの答えかということが問題になってもくるが、普通の家庭に対するあこがれが非常に強かった。それは、両親が離婚して母に才能をみつけられ鍛えられて自分が望まずに歌い手になったことにもよるのであろうし、オナシスを完全に信じ歌を捨てて家庭に入っても良いと思ったことにもよるのであろう。
- 『私は、マリア・カラス』では、マリア・カラスへのインタビューを中心に、その答えかたなどでマリア・カラスの生の魅力を引き出そうとしている。マスメディアでの写真や映像が次々とでてきて、その着こなし、一瞬一瞬の表情の多様性に驚いてしまう。これはドキュメンタリー映画『マリア・カラスの真実』でなぞが解けた。こちらのドキュメンタリーのほうが、マリア・カラスの生い立ち、母との確執、オペラ歌手としての成功、結婚、離婚、オナシスとの関係、最後のコンサートまでの一生を客観的に描いている。舞台衣装も映されて、その豪華な舞台が想像できる。
- 痩せて美しい歌姫となったマリア・カラスの洋服をデザインしていたのがミラノのデザイナーでプッチー二の孫娘のビキ。太っていたころのマリアはスリッパをはいてリハーサルへ行き、ビキは「晴れ着の百姓女」とまでいっている。そこまで言えるのはいかに変身させたかという自信があってのことであるが、1957年にマリアはベストドレッサーに選ばれている。これであの着こなしの素晴らしさの仕掛け人がわかった。マリア・カラスは、洋服にいつどこで着たかラベルをつけたそうでその整理の緻密さには驚いてしまう。そして表情であるが、マリアの演技力である。マリア自身が前奏曲のときに表情で観客を引きつけるといっている。自分の歌い始めからではなくその前に引きつけるのである。
- 『私は・マリア・カラス』で次々と紹介されるマリア・カラスのその時々の映像の表情が、演技なのかどうかはわからないが、あらゆる表情があってそこが見どころでもあり魅力的でもある。ただ『歌に生き、恋に生き』を今回観て、その表情は演技力が過剰すぎるきらいがあり歌よりもその強烈さからこちらは引いてしまった。パリデビューは、1958年1月のローマ歌劇場で『ノルマ』第一幕で出演を中止させ怒号の幕切れとなった後の、1958年12月パリ・オペラ座公演である。これがパリデビューである。キャンセル問題から一躍マリア・カラスを再び頂点に引き上げた公演でもある。ここで成功するかどうかは重要な分岐点でもあったが大成功を収める。ただすでに声は下降線であるという人もいる。
- このパリ公演『歌に生き、恋に生き』はモノクロの映像なのであるが、『私は、マリアカラス』では、カラーに直し真っ赤な衣装となっている。映画『マリア・カラスの最後の恋』では同じ衣裳がグリーンにしていてこれにはちょっと驚いた。こちらの映画はオナシスの人の利用の仕方の凄さがわかりそこが面白い。オナシスは死ぬ前に病身でありながらマリア・カラスを訪ねている。償いをしたともいえ、そういう点では最後までマリア・カラスを愛していたのか。それとも彼特有の見せ場としたのか。海運王になるくらいの人であるから、これも彼の最後の演出だったのかもしれない。当人どうしがわかればよいことである。
- パリデビュー公演はテレビでも放映された。そういう意味では、マリア・カラスの演技力はオペラに馴染のない人々にとってもオペラを親しみやすくさせたことだろう。それまでのオペラが退屈なものであるという固定観念をくつがえしたのもマリア・カラスである。ただ、テレビというものが、時間をかけて舞台に完璧主義をもとめたマリア・カラスにとって仇となる。テレビの出現によるスピードはそんなに時間をかける必要はない。人気のある演目をやればよい。そのため『ノルマ』などは80回近く歌うこととなる。こうしたことにもマリア・カラスは不満を募らせていく。そうしたマリア・カラスのオペラに対する姿勢を生き返らせたのが、映画『永遠のマリア・カラス』である。