映画『おぼろ駕籠』と『大江戸五人男』(2)

大江戸五人男』は、『おぼろ駕籠』と同じ伊藤大輔監督で、脚本が八尋不二さん、柳川真一さん、依田義賢さんの三人なのです。原作が無いだけ束縛がないですが、三人でどのように話合われたのでしょうか、興味のあるところです。

五人の男は、幡随院長兵衛、水野十郎左衛門、白井権八、魚屋宗五郎、そして五人目が架空の歌舞伎役者・水木あやめです。魚屋宗五郎も架空でしょうが、水木あやめは、実在の芳澤あやめにかけているのでしょうか。

戦いのない時代になってみれば旗本の価値も下がり、そうなると町人をいじめては刀を振り回す傍若無人な徒党を組んだ幾つかの集団となり、白柄組(しらつかぐみ)もそんな旗本奴の集団のトップなのです。その組頭が水野十郎左衛門で、その旗本奴をかばう方に大久保彦左衛門が出てきたのにはちょっと驚きました。

山村座では、女方・水木あやめの道成寺がかかっており、所化たちの踊りが始まっています。舞台横には<菖蒲道成寺>とあります。そこへなだれ込むのが白柄組で、当然、幡随院長兵衛が花道から止めに入りますが、水野十郎左衛門は御簾席からではなく土間の枡席からの対峙となり、遺恨の蓋はあけられます。

幡随院長兵衛の家には、鈴ヶ森で出会った白井権八がいて、見ているとあなたは引っ込んでいて余計なことはしないのといいたいほど勝手な行動をとります。そのことによって幡随院長兵衛は水野の屋敷へ行くことになり、結果的には幡随院長兵衛の名を天下に残すことにもなるのですが、ちょっとあきれてしまうふるまいです。

権八は身分を偽って花魁道中で見初めた小紫太夫に会うため吉原に出向き、吉原にはもうこないようにと小紫に軽くいなされます。ところが小紫は、白柄組の近藤登之助に言い寄られ、思いつきで権八を自分がいいかわした人であると紹介し、権八も自分は長兵衛の身内の者だといきがり、白柄組はそれを聞いて権八を待ち伏せして喧嘩となり長兵衛の子分たちが駆けつけこれを撃退させますが、捕らえられたのは長兵衛の身内だけで、水野側はお咎めなしでした。

このことがあってから権八と小紫は事実上の恋仲となります。

水野十郎左衛門にも悩みがあり、腰元のおきぬを寵愛していますが、白柄組の頭としてお金が必要で、近藤から勧められた妙姫とお見合いをしますが気がすすみません。そんなおり旗本奴たちの会合を持ち吉原に乗り込むことになり、そのお金は自分が用意すると請け合い、家康公から拝領の南蛮絵皿を道具屋に売るようにとおきぬに申しつけていましたが、おきぬは自分の一存から売りませんでした。

それを知った水野は自分の男を下げる気かとおきぬを斬ろうとします。おきぬはそれを避け倒れ、皿の入った箱を足で蹴ってしまいます。それを見ていた近藤登之助は、水野がおきぬと別れないのをだらしがないと常日頃から言っており、ここぞとばかりに皿をあらためさせます。一枚、二枚、、、、。十枚目が割れていました。水野はおきぬを成敗することとなり、斬られたおきぬは井戸へ落ちてしまいます。

おきぬの実家は魚屋で兄夫婦がおります。兄が魚屋宗五郎で、おきぬの同輩から事情を聴きお酒を飲み水野の屋敷にいきますが、相手にされません。酔いつぶれた宗五郎を見つけた権八は、長兵衛に水野に掛け合うべきだといいますが、長兵衛は取り合いません。松平伊豆守のほうから、これ以上騒ぎを起こすなとの使いが来ていて、その使いが大久保彦左衛門でなるほどここで使うのかとおもいました。長兵衛は自分が大江戸八百八町の町衆を守ると言い彦左衛門を帰しますが、本当にそうかと振りかえります。

権八はさらに、水野がおきぬを斬ったことを、村山座の座元、戯作者、水木あやめをまえにして話し、これを芝居にしてはどうかと持ち掛けます。あやめは乗り気になり、他の二人は旗本相手ですから躊躇しますが、権八は長兵衛が後ろ盾になると勝手に約束して舞台にあげます。それが「播州皿屋敷」で、青山鉄山がおきくを殺す場面が評判になります。この舞台映像がなかなか面白いのです。おきくは井戸に縛り上げられなぶり殺しにされるのです。こういうやりかたもあるかと刺激になりました。

当然、青山鉄山は水野十郎左衛門とわかり、舞台をみた水野は水木あやめを屋敷に連れて行き、長兵衛に引き取りに来いといいます。長兵衛は小紫から権八がしくんだことだと知りますが、自分は本当に町人の味方であったのだろうかと思うところがあり、一人で出かけていくのです。もし帰らない時は、迎えにきてくれ。しかし、絶対戦いの恰好では来るなと子分たちに言い聞かせます。ここで争いがあったならどちらも容赦はしないという松平伊豆守からのお達しがあり、喧嘩両成敗、こちらが手だししなければ、旗本奴が罰せられるのだからと告げます。

水野の屋敷での長兵衛と水野のそれぞれの言い分のやり取りも見どころです。どうして、あの芝居を上演したのかということですが、水木あやめは長兵衛親分の知らぬことですといいますが、長兵衛は、旗本衆の町人を蔑む態度が、江戸八百八町の町の衆全部にあの芝居を書かせたのだといいきります。

水野は長兵衛の気持ちがわかり、わかった湯に入ってお互い遺恨を流し今夜は飲み明かそうと言います。水野にウソはなかったのですが、他の白柄組の侍は納得がいかず、白柄組の頭として水野自らが長兵衛を殺すこととなるのです。

このことで水野はお家断絶、切腹を申し渡されます。

水野の屋敷から長兵衛の遺体を運びだし、女房のお兼、息子・伊太郎、棺桶を担ぐ子分たちが町中をすすみます。お祭りの日なのに出入りがあると提灯の灯を消して戸を閉めていた町の衆に、もう大丈夫ですから灯りを入れて下さと言いなが通ります。特に息子の声には、涙が出てしまいます。終わり方も上手くできていました。

背中を丸めての阪妻さんには、もっと胸を張ってもいいのではと最初おもいましたが、町民の言葉からこれでよいのかと思考する長兵衛で、こういう長兵衛もありだなあと思いました。芝居は江戸の衆全部で考えたのだというところで、自分たちが主役ではないという想いがあり、そういう長兵衛像にしたのでしょう。こちらから見れば勝手気ままな高橋貞二さんの権八の気持ちまで汲み取り、権八を小紫に頼むあたりに長兵衛の大きさが出ました。

違う時代であれば、もっと違う意地の通し方もあったであろうと思わせる水野十郎左衛門の市川歌右衛門さん。周りに流されていた自分にふっと気がつきますが、遅かったようで、仲間を押さえる事が出来ず最後は白柄組の頭として、旗本奴の長として長兵衛を槍でつくこととなります。

お一人お一人が自分の役どころがわかっていて、それを映像に構成しまとめ上げた監督もさすがです。劇中劇もしっかりしていましたので、長兵衛と水野の対決の面白味が増し、さらに江戸時代、こういう感じで歌舞伎というものはその時に起こって皆が観たいと思うものを瞬時に舞台化したのだなということがわかる映画でもあり、脚本の力を感じました。

出演俳優では、水木あやめの川原崎権三郎さんはその後の三代目河原崎権十郎さんということで、劇中劇「播州皿屋敷」の青山鉄山は二代目権十郎さんということでしょう。魚屋宗五郎の月形龍之介さんは、その出番だけをしっかりまもります。

長兵衛の女房・お兼の山田五十鈴さんがこれまた押さえのきいた女房役で水野の屋敷へ行く長兵衛に羽織を着せるのをためらいますが、長兵衛の死後は腹の座ったところをみせ、じっーと脇としての存在感が大きいです。おきぬの高峰三枝子さんは、腰元という立場に不安を感じつつも、権現様からの品物を売っては水野の名前に傷がつくと心から心配し、小紫の花柳小菊さんは美しく威厳ある太夫で、若い権八を愛しく想いつつも姉のように心配します。

近藤登之助の三島雅夫さんがねちねちとした憎らしい悪役を好演で、最初に白柄組に道を邪魔される外様大名の高田浩吉さんに外様の意地があり、松平伊豆守の市川小太夫が大久保彦左衛門の山本礼三郎さんにピシッと采配を言い渡し、その下で働く町奉行の大友柳太郎さんも切れがいい町奉行です。悪役の多い進藤英太郎さんが、長兵衛の下で働く唐犬権兵衛です。

水野の小姓の澤村アキオさんは、長門裕之さんです。水野の見合い相手の妙姫は松竹歌劇団の小月冴子さんで個性的な演技をみせてくれます。

松竹30周年記念映画ということもあってか、とにかく俳優さんが多いです。撮影は『おぼろ駕籠』でも担当した石本秀雄さんでした。

長くなりましたが、映画の一場面一場面が密接に関連していて、そのつながりがどれも重要でくさりのように繋がっています。最初にお祭りの映像がながれますが、そのお祭りの灯が消え幡随院長兵衛の死によって各家の提灯に灯りがともされていくのが象徴的です。「もう喧嘩はありません。幡随院長兵衛が請け合います。どうぞ、提灯に火をお入れくださいませ。」「どうぞ提灯に火をお入れくださいませ。」

 

映画『おぼろ駕籠』と『大江戸五人男』(1)

映画『おぼろ駕籠』、『大江戸五人男』は1951年(昭和26年)に上映された伊藤大輔監督の映画です。『大江戸五人男』が面白く、やはり伊藤大輔監督はこうでなくてはと納得しました。

記憶違いでなければ、国定忠治が病から体が不自由で座ったまま捕縛と苦しい闘いをするサイレント映画の一部が、京橋のフイルムセンターの展示室で放映していたとおもいます。伊藤大輔監督作品で忠治は大河内伝次郎さんです。

おぼろ駕籠』(大佛次郎原作、依田義賢脚本)は、時の権力者・沼田隠岐守(菅井一郎)を気ままに暮らす夢覚和尚(阪東妻三郎)がやっつけるという内容です。

それは御殿女中お勝が殺されるという一つの殺人事件から始まるのです。お勝は殺される前、想いをよせていた旗本の次男・小柳進之助(佐田啓二)と会い、自分が中臈(ちゅうろう)にあがることになれば進之助と会えなくなると打ち明けていたのです。そしてお勝の殺されたそばには進之助の脇差があり、進之助は無実の罪のため逃げ、夢覚和尚と世を嘆いて隠遁している旗本・本多内蔵助(月形龍之介)に出会うのです。

お勝の殺されたそばには、女性の紙入れも残されており、その紙入れの紋をたどっていくと持ち主が中臈になった三沢(山田五十鈴)のものでした。お勝が殺されるまえに、怪しい駕籠が映され、それが、「おぼろ駕籠」ということなのでしょう。

つかみどころにない夢覚和尚は、実はかつて心中していて女だけが死んでしまったことが内蔵助から語られます。そんな夢覚和尚に惚れるのが深川芸者のお仲(田中絹代)です。お仲は三沢が犯人と知り、三沢の許嫁が彼女に会うことが叶わず自害したことを告げます。三沢は自分が沼田隠岐守に利用されていたことを知り、命を絶ちたいとしますが、夢覚和尚は今はならぬと告げ、生き証人として沼田隠岐守のもとに出向きます。

この時、夢覚和尚は河内山宗俊になりすまし、三沢は京人形の箱に入れられていきます。歌舞伎の二つの趣向をとっています。沼田隠岐守の悪が押さえられ、役目を果たした三沢は自害し、進之助は無実が晴れ、恋人も出来ています。内蔵助はひょうひょうとして現状維持で、お仲の気持ちを知りつつ夢覚和尚はその想いをはぐらかしてしまうのでした。

中臈三沢の山田五十鈴さんに中臈の威厳があり大写しが映えます。一方、田中絹代さんの芸者が向いていなかったですね。芸者お仲が三沢をさとして、三沢は自分の立場がわかるのですが、そう簡単に説き伏せられるような山田さんではない迫力ですし、ちょっと違うな、これが商家の女将さんだったら田中さんもやりようがあったのにと思いました。夢覚和尚との関係も地味で、面白可笑しくこの世を浮かれた感じの阪妻さんとの波長が良い響きとはなりませんでした。

河内山宗俊と京人形の趣向も、歌舞伎の趣向を取り入れましたという感じでつめが甘いです。かといって推理ものの面白さにも行かず、男と女のひたむきな愛なぞもからめたかったのでしょうが理屈っぽさもみえで、阪妻さんの破天荒かなと思われる夢覚和尚にかつて心中しての足かせをしてしまい、見る方は中途半端な気分でした。

伊藤大輔監督で依田義賢さんの脚本で出演者も豪華となると見る側の期待感も大きかったのですが、上手く俳優さんの組み合わせが面白いほうには回りませんでした。

その他の出演・伊志井寛、清水将夫、安倍徹、市川笑猿(岩井半四郎)、加東大介、川津清三郎、山本礼三郎、折原啓子、

大江戸五人男』は、題名からして出演者の役者さんを立ててのオールスターものの顔合わせで、幡随院長兵衛と水野十郎左衛門の対立に「番町皿屋敷」を入れ込んでいるということで、なんで「番町皿屋敷」をと思ったのですが、この映画は練に練っていて流れも継ぎ目が目立たず良く出来ている映画でした。

歌舞伎関係の芝居を盛り込んだ映画では、中村錦之助(萬屋錦之介)さんの映画『江戸っ子繁盛記』と同類の上手くいった映画でしょう。

京都の島原について知ったので、内田吐夢監督の映画『宮本武蔵 一乗寺の決斗』を見直しましたが、武蔵と吉野太夫との場面は緊張感といい、吉岡一門との最後の決闘のへの武蔵の心のやりどころへの場面として効果抜群です。六条でしたので、島原が六条柳町にあった頃の設定となっているわけです。本阿弥光悦との出会いといい剣豪宮本武蔵に全く違う世界に触れさせた名場面です。

吉岡一門について、検索していましたら「染司(そめつかさ)よしおか」に行きあたりました。剣術流派に吉岡流の家があって、大阪冬の陣には豊臣側につきその後は、家伝の染物業に専念し、その流れで今「染司よしおか」という染物屋さんがあるというのです。ちょっと不思議な流れでした。

 

映画『おぼろ駕籠』と『大江戸五人男』(2) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

信州の旅・御代田(4)

長野駅からしなの鉄道は軽井沢までいきますが、その途中の御代田に『真楽寺』があるのを思い出しました。映画『ゆずり葉の頃』でロケ地となったお寺さんです。そこへ寄ってから軽井沢へ向かい、横川へのバスを調べたところ12時までには横川に着けます。となると遊歩道<アプトの道>の道を歩いてレンガ造りの『めがね橋』へ行けます。帰りは坂本宿を通って横川へ帰れれば、葛飾北斎さんの歩いた道を少し歩くことが出来るわけです。いいではないですか!

<アプトの道>は、かなり前に友人たちが歩いていて地図を貰っていたのですが、先に行きたい所優先で計画しなかったのですが、今回上手くはまってくれました。

真楽寺』へは御代田駅から徒歩1時間弱なので約二時間の時間をとり、御代田駅から行きはタクシーを使い、帰りは徒歩としました。リュックはコインロッカーがなく御代田駅で預かってくれました。

タクシーはお寺の境内まで運んでくれましたので、映画の主人公の市子(八千草薫)さんは藁葺屋根の仁王門から入って行きますが、こちらは仁王門から出ていくかたちとなり、少し味気なかったです。映画『ゆずり葉の頃』の映像そのままの三重塔です。こちらの塔は、自己主張の少ないすっきり安定形で時間の長さを思わせます。

 

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このお寺は浅間山の噴火を鎮めるように祈願して創建された古刹です。観音堂には本尊聖観音菩薩が安置され別名「厄除観音(やくよけかんのん)」と呼ばれています。屋根は残念ながら銅板葺きです。茅葺を維持することが今は大変な時代です。

 

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そして、観音堂と三重塔から下がったところに、『ゆずり葉の頃』でも重要な場所である湧き水で水の美しい<諏訪明神出現大沼の池>があります。映画では<龍神池>といわれ、ここで東京から疎開してきていた市子と真楽寺の息子である謙一郎のほのかな心のやりとりがあり、健一郎は龍神のようにここから飛び立つと語り、市子に飴玉を手渡します。

その想い出を市子に呼び覚ましたのが、世界的画家となった健一郎の個展が軽井沢で開かれているということを新聞記事でした。その新聞には、市子と思われる、赤ん坊を背負った少女の絵「原風景」が載っていました。もう一枚の印象的な絵は、龍神が空に向かって力強く進んでいく作品で、そこには三重塔も描かれています。

ここから市子の人生での思い残すことのない次への一歩を踏みだすまでの静な時間が湧きだすのです。本当に綺麗な水の池で、八千草薫さんの姿が映っていますが、周りの木々も全て水が吸い込むように水面に写しだし、水草と戯れているようです。どこからどのように撮影したかがわかりました。

『ゆずり葉の頃』を見直しましたが、丁寧に語られる台詞のひとつひとつの間がなんとも言えない味わいでした。(余談ですが、映画『お父さんと伊藤さん』のセリフの間もちょっと気に入りました。) 映画『ゆずり葉の頃』の涙

諏訪明神出現大沼の池>の碑によりますと、昔近江の伊吹山の麓に、甲賀という大富豪がいて太郎、次郎、三郎の三兄弟がいました。父が亡くなる前、三郎に全てを任せると言い残したため、二人の兄は三郎を殺すことにします。三郎は兄たちによって深い穴底に落とされ、横道を進んで行くと大沼の池にでましたが、水に映った姿は蛇体でした。そこに住むうちに大きくなり、そこから諏訪湖に移動して諏訪明神となり、一年に一回大沼におみ渡りされるのです。

 

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そうした言い伝えが<龍神祭り>となって、勇壮な甲賀三郎龍の舞い姿となっています。

 帰りにはお寺の後方には浅間山がくっきりと見え、駅までは平坦な道で40分くらいで行き着けました。そして、軽井沢へ至りバスで横川へと向かいお昼には横川に到着でき予定通りでした。

 

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軽井沢と横川間のバスで<めがね橋>に停車するのは、期間限定で、上下線の一本づつです。ほとんどの期間、徒歩の人は横川から往復歩くしかないのです。

 

信州の旅から群馬へ・碓氷めがね橋(5) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

 

浅草映画『乙女ごころ三人姉妹』

乙女ごころ三人姉妹』は成瀬己喜男監督の浅草の門付け芸人を母にもつ三姉妹のそれぞれの生き方を描いた作品です。原作は川端康成さんの『浅草の姉妹』で、脚本は成瀬己喜男監督です。川端康成さんは一高生時代に浅草で暮らしており、その後も浅草に住み浅草を散策していまして、『浅草の姉妹』も浅草物作品の一つです。

川端康成さんは映画にも興味を持ち、衣笠貞之助監督の『狂つた一頁』では、脚本に参加していまして、この作品は大正モダニズムのアヴァンギャルドな映画です。見た時、これが衣笠監督の映画かと驚きました。

成瀬監督の映画のほうに舵をとりますが、<映画監督・成瀬巳喜男 初期傑作選 >特集の中から『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)『サーカス五人組』(1935年)『旅役者』(1940年)と見たのです。『乙女ごころ三人姉妹』の長女が細川ちか子さん、次女が堤真佐子さん、三女が梅園龍子さんで、堤さんと梅園さんは、『サーカス五人組』での団長の姉妹となって登場していました。

乙女ごごろ三人姉妹』 母親が三味線を抱えて民謡や俗曲などを歌って流す門付けの置屋のような商売をしていて、そんな母親に育てられた実子の三人姉妹のそれぞれの生き方をえがいています。実子のほかにも何人か女性の流しの芸人を抱えています。

この仕事はいつ頃まであったのでしょうか。三味線を抱え、浅草の繁華街の飲食店ののれんをくぐり聴いてくれるお客を探して歩きます。三人姉妹のうちこの仕事をしているのは、次女のお染だけで、なかなか厳しい仕事で、くじける妹弟子におこずかいをそっと渡したりします。酔ったお客にからまれたり、お店の女給さんなどから、あなた達に用はないわよとばかりにレコードをかけられたりします。民謡などのレコードも出てきている時代で先の無い仕事にみえます。

妹弟子たちは、母から厳しく稽古をつけられたり、勝手にお金を使ったと叱責をうけたりします。そんな生活をいやがり、長女のれんはバンドのピアノ弾き(滝沢修)と駆け落ちし、三女の千栄子はレビューの踊子になっています。

お染は性格が優しく、姉のことを心配し、妹に恋人(大川平八郎)がいることを喜びます。そんなとき姉と浅草の松屋の屋上で会います。姉はよくこの屋上が好きでそこから下を眺めていました。話しに聞く1931年(昭和6年)にできた浅草松屋の屋上のロープウェイ「航空艇」もしっかり見ることができ、これが見れる貴重な映画です。屋上とその下の生活の違いをうかがわせるように下の風景が映しだされます。れんは下の生活のみじめさをじっと眺めているようです。

れんは浅草の不良仲間では名前を知られていましたが、駆け落ちして夫もバンド仲間からはじかれてピアノの仕事が出来ず胸をわずらい、夫の故郷に行くことをお染に告げます。お染は見送りに行くことを約束しますが、妹の恋人が不良仲間に因縁をつけられているのを見てその場に飛び込み刺されてしまいます。それを隠して姉を見送りに駅に行きます。

姉は汽車賃を得るために、知らずに妹の恋人を不良仲間のところに案内する役目をしていました。お染は何も言わず、妹に恋人が出来たことを嬉しそうに姉に告げ姉夫婦を見送るのでした。

次女の堤真佐子さんと、三女の梅園龍子さんは、創立間もないPCLの売り出し中の新人で、堤真佐子さんは初主演です。見始めたときは、あまりのオーソドックな演技に、ものすごく古い映画を見ているような感じでした。細川ちか子さんのれんに、かつては粋がっていたが今は生活に押しつぶされそうな雰囲気が出ていて、三人姉妹の境遇にもそれなりの厚みが増します。

細川ちか子さんは、演技に対しては一言申しますといった気概があり、お化粧も個性的な新しさがあります。梅園龍子さんは榎本健一さん代表の「カジノ・フォーリー」の踊子さんでもあり映画でも彼女のレビュー舞台姿が映されます。川端康成さんはカジノ・フォーリーに出入りしていて、それが作品『浅草紅団』となります。大川平八郎さんは二枚目で、『音楽喜劇 ほろ酔い人生』『乙女ごころ三姉妹』『サーカス五人組』『旅役者』にも出演されていますが、スターという二枚目ではなくおとなしめです。

藤原釜足さんも出られてました。弟子が民謡を稽古するのをそばの住人が聴いてそれに合わせて仕事をする桶屋です。子供達が、流しの彼女たちを「お客さん、ご馳走して。」とはやし立て、はじかれていく一方で、その歌に調子を合わせるという生活もあったわけで、このあたりの表現の交差は成瀬監督ならではの細やかさです。

お店でレコードがかかる場面で、レコード時代が到来しているときなのであろうかと思ったのですが、タイミングよくテレビで『人々を魅了した芸者歌手』という番組がありまして時代背景がわかりました。

民謡や小唄などをすでにプロとしてお座敷で披露していた現役の芸者さんが、歌手としてレコード録音するのです。藤本二三吉さんの『祇園小唄』が1930年(昭和5年)で、その後、<鶯芸者三羽がらす>の市丸さん、小唄勝太郎さん、赤坂小梅さんが、故郷の民謡と同時に新民謡を広めるんです。

門付けの三味線を抱えての流し芸は、持ちこたえられる時代ではなくなっており、三人の姉妹はそうした変化の中で無理解な母のもとでもがいて各自の道を探すのです。そして、人々は浅草からもっとモダンな銀座へと移って行った時期でもあるのでしょう。

この映画は映画の中だけでなく、出演している俳優さんの経歴の違い、さらに演劇と映画、浅草と文学、浅草の時代性、さらに日本のその後など、様々な切り込みのできる映画でもあるといえます。この時代の浅草を映像で残してくれた貴重な映画でもあります。

話しは飛びますが、市丸さんが浅草橋で住まわれた家が改装され、今は「ルーサイトギャラリー」となっております。このギャラリーの信濃追分店は、「油や~信濃追分文化磁場~」となっていまして、堀辰雄さん、室生犀星さん、立原道造さんなどの文学者にゆかりのあるかつての油屋旅館で、一階はギャラリーで二階は宿泊できるようなったようです。

「油屋」は中山道追分宿の旧脇本陣で、一度火事にあっています。私が訪れた時は、建物はありましたが公開はしていませんでした。思いがけないところで新しい「油屋」さんを知りました。追分宿にひとつ景観がよみがえったわけです。しなの鉄道の信濃追分駅から徒歩20分位で近くには、堀辰雄さんの旧居が堀辰雄文学記念館になっています。

 

川島雄三監督映画☆『箱根山』(俳優・藤原釜足)

藤原釜足さんの脇役で出演されている映画は沢山ありますが、川島雄三監督目的で見に行った『箱根山』に出演されていて、物語の展開からもかなり重要な役どころでした。

箱根山』 加山雄三さんと星由里子さんを主人公にした青春ものといえますが、その周辺の大人たちに演劇力ある俳優さんたちをきちんと配置して、その大人たちをも越える新しさで若い人が自分たちの生き方を目指すというコメディ映画です。

箱根の山は天下の嶮の箱根が観光開発で交通関係会社が二分する争いの中、二つの老舗旅館はもとは血縁同士なのですが150年以上前から犬猿の仲です。玉屋には老齢ながらかくしゃくとした老女将・里、大番頭、若番頭(東山千栄子、藤原釜足、加山雄三)が、若松屋にはアマチュア考古学研究で商売がお留守な主人、女将、女子高生の娘(佐野周二、三宅邦子、星由里子)がおります。

観光開発会社のワンマン社長(東野英治郎)は、箱根にも乗り出し観光化に驀進しています。視察にきた社長に社員が、富士山のすそ野に見える木々を「じゃまですから切りましょうか」と言うと「あれが無くなったらただの山じゃ。そのまま。」と言います。自分は発想が違いそれで成功したのだということを強調しているような発言ですが、富士山をただの山というのが逆説的で可笑しかったです。俺の手に架かればという強気です。

加山雄三さんの乙夫は、父が外国人で本国に帰り、日本人の母は亡くなり玉屋の里に育てられ、里に恩義を感じていますが、今の箱根と旅館の状況をよく分析しています。若松屋の星由里子さんの明日子とはロミオとジュリエットのような関係ですが、明日子は名前の通り、先のことしか考えていません。

なんと乙夫はワンマン社長の会社に就職します。観光化の波に自ら飛び込み学ぼうじゃないかという考えです。明日子も自分も女将業の勉強をして何れは二人で新しい旅館経営を考えようということなのです。

大番頭はそこまでのことを知ってか知らずか、二人の仲を知っていながら里には隠しています。

玉屋が火事にあってしまい里は、若松屋で明日子に優しくしてもらいます。里はお礼を言いつつも、若松屋に助けられた自分が情けなくご先祖様に申し訳ないと寝込んでしまいます。ところが、お金をつぎ込んで温泉を掘っていたのですが、お湯がでましたとの大番頭の報告に、床を上げさせこうしちゃいられない負けてなるものかと闘志を燃やすのです。それを聞いた若松屋の主人も、よしうちも負けられないとご先祖からのいがみ合いはまだまだ続きそうです。

大番頭は、里にごもっともですと仕え、温泉を掘る職人(西村晃)の機嫌をとったり、里の命令通りあちらこちらに気を回しながら忙しく動き回ります。大人たちの思惑とは関係のないところで若い人たちの生き方が、大番頭の苦労をねぎらってくれそうな予感ですが、深く考えてはいなくて、ただその場その場を里のために動く大番頭の藤原釜足さんが番頭そのもの色で好演です。

老政治家の森繁久彌さんがお馴染みの玉屋を訪れ、その扱いかたの東山千栄子さんの老女将がこれまたいい味です。政界から身を引いている森繁さんと東山さんがでてくることで、老舗の格が上がり、老舗旅館の女将とはこういうものであろうという空気が出ています。東山千栄子さんは『紀ノ川』では、孫娘を嫁がせる旧家の祖母としての品ある貫禄で存在感のあるかたです。

ホテルの中で一日遊ぶというリゾート型の新しいホテルの支配人の有島一郎さんなど役者を上手く使う川島雄三監督の手法は、この作品でも生かされています。

原作は獅子文六さんの『箱根山』で、脚本は井手俊郎さんと川島監督です。原作にはモデルがあるようで、場所は箱根の芦之湯で、<芦之湯バス停>から元箱根に向かうバス停一つ先には、<曽我兄弟の墓バス停>があり、されに一つ先には<六地蔵バス停>があり、このあたりは石仏群もある歴史の古い場所です。この辺りのことは 映画『父ありき』 に書いています。

藤原釜足さんは黒澤明監督の常連でもあります。脇役で出られている作品は沢山あります。『天国と地獄』でも、犯人が身代金に入っていたバックを自分の勤めている病院の焼却場で焼きますが、煙突から警察の仕掛けて合った赤い煙があがります。焼却場の仕事をしているのが、藤原釜足さんです。刑事に質問される短い時間ですが、知らないことをマネして演じるというより、そのままの雰囲気を無理なく演じられていて空気のようにふーっと出てふーっと消えます。

黒澤明監督は、今井正監督の『青い山脈』で次のように話されています。

何でも一番最初の作品がたいていよくてさ、すぐ『青い山脈』か『伊豆の踊子』ってなっちゃうんだから。今井監督のこれはとてもハツラツとしているし、釜さん(藤原釜足)の所なんかすごく良いでしょ。 (『黒澤明が選んだ100本の映画』黒澤和子編)

釜さんのでていた所が全然頭に残っていません。録画していないかと探したのですが無いんですよね。釜足さん、濃い色は出されていないと思います。自然にそこにいるんですよ。

『祇園祭』にも、戦いで無くなる大工役で、その意志を息子が継ぐという流れでした。

これからも見る映画のなかで、おっ!釜さん出ましたという出会いがあるでしょう。

監督・川島雄三/原作・獅子文六/脚本・井手俊郎、川島雄三/出演・加山雄三、星由里子、東山千栄子、藤原釜足、佐野周二、三宅邦子、東野英治郎、有島一郎、小沢栄太郎、中村伸郎、藤田進、西村晃、藤木悠、児玉清、北あけみ、塩沢とき、森繁久彌、

 

映画『音楽喜劇 ほろよひ人生』『サーカス五人組』『旅役者』(俳優・藤原釜足)

古い映画を見ていると、この方が主役をやっておられたのかと驚かされたり、その後もしっかり脇を押さえられて、沢山の映画に出られている俳優さんたちがいます。ここ数カ月注目度の高かったのが、このかた藤原釜足さんです。

日本初のミュージカル映画とされる『音楽喜劇 ほろよひ人生』(木村荘十二監督)に主役で出演されているのが藤原釜足さんです。<音楽喜劇>とあるようにミュージカルというより音楽劇が妥当だとおもいます。

シネマヴェーラ渋谷の「ミュージカル映画特集Ⅱ」のアメリ映画の中に、邦画の『舗道の囁き』と『音楽喜劇 ほろよひ人生』が特別上映されたのです。『舗道の囁き』(1936年)は見ていましたのでパスしました。 映画 『破戒』『乾いた花』『鋪道の囁き』(2)

『音楽喜劇 ほろよひ人生』『突貫勘太』『シンコペーション』と見て、大谷能生さん&瀬川昌久さんのトークショーがありました。別の日にすでに『音楽喜劇 ほろ酔い人生』のあと、矢野誠一さん&瀬川昌久さんのトークショーがあり、この日は『音楽喜劇 ほろよひ人生』のお話は少なかったです。三本続けて大丈夫かなと気がかりでしたが、それぞれに楽しみかたが違い、見たい作品でしたのでゆるやかな疲労感ですみました。

洋画のミュージカル映画に『突貫勘太』(1931年)という題名は驚きます。この映画で歌われる「Yes, Yes, My Baby Said Yes, Yes!」(エディ・キャンター)が『音楽喜劇 ほろよひ人生』(1933年)でも使われています。榎本健一さんの映画でも使われたようです。

音楽喜劇 ほろよひ人生』 実際にあったのかどうかビール会社の宣伝もあったようですが、駅のホームでビールを売っていまして、その売り子・エミ子(千葉早智子)に恋するアイスクリーム売りのトク吉(藤原釜足)が、お金はないけれど一生懸命で、エミ子が人気の「恋の魔術師」の歌が好きと言えば練習したりするのです。ところが、彼女は「恋の魔術師」の歌を作った男性(大川平八郎)と結婚してしまいトク吉はふられてしまいます。

ルンペンになり、偶然泥棒が元恋人の新婚家を狙っていること知り、侵入する泥棒たちを退治します。トク吉は、その後ビアホールで成功し、彼女の写真を飾っています。元恋人は夫と何も知らずその前を通り過ぎてしまうという話です。

駅のホームの様子、泥棒たちの動き、泥棒退治騒動などを可笑しくえがき、歌も入るといったもので、音楽学校校長の徳川夢声さん独特の台詞や、古川緑波さんが意味もなく歌ったりして花をそえています。見ていて藤原釜足さんが主役なのには驚きましたが、喜劇で釜足さんがひょうひょうとしたコミカルさをだしていて違和感がありませんでした。

洋画『突貫勘太』の方が、パン製造工場の女子工員がレビューさながらの衣装で軽やかに働いたり踊るのと比べると何んとクラッシクなのかと思えてしまいますが、当時の日本としては、大正時代のモダニズムの流れが感じられる作品です。

『日本近代文学館 夏の文学教室』で川本三郎さんが(一日目、二講時)関東大震災のあと驚くべき速さで復興し、歓楽街は浅草から銀座に移ったと言われましたが、トク吉のビアホールも銀座なのかもと思えます。

映画会社のPCLに藤原釜足さんを紹介したのは、丸山定夫さんで、この映画では丸山さんはルンペンで出演しています。後に丸山定夫さん、藤原釜足さん、徳川夢声さん、薄田研二さんの4人で劇団「苦楽座」を立ち上げています。

藤原釜足さんの喜劇性は、『サーカス五人組』(1935年、監督・成瀬己喜男)や『旅役者』(1940年、監督・成瀬己喜男)でも発揮されています。

サーカス五人組』 五人の楽団が催しものがある町を回っていますが、頼まれた運動会が無期延期となり、仕事にあぶれてしまいます。巡業中のサーカス団の団長が横暴のため団員はストライキとなり、団長はこの五人組の楽団を雇います。サーカス団長の娘などとの交流も加わり、音楽だけではなく得意芸も見せ、五人の人物像も照らしだされます。旅回りという不安定な境遇の悲哀を可笑しさで包む作品です。五人の一人藤原釜足さんは女好きでドジで、捨ててたきた女性の清川虹子さんに追いかけられ捕まるという、皆を笑わす愛嬌者を引き受けています。

芸達者がそろう成瀬監督の旅芸人もので、原作は古川緑波さんの『悲しきジンタ』で、<ジンタ>という言葉も大正時代につくられた造語です。今では死語になってしまいました。雰囲気のただよう単語です。

五人組(大川平八郎、宇都木浩、藤原釜足、リキー宮川、御橋公)、団長(丸山定夫)、団長の娘・姉妹(堤真佐子、梅園龍子)

旅役者』  成瀬己喜男監督(原作・宇井無愁「きつね馬」)も旅芸人もので、こんどは旅回り一座の馬の脚専門の役者が藤原釜足さんです。これが研究熱心な馬の脚役で、本物の馬をみては研究し、弟子(柳谷寛)に教えるのに余念がありません。このコンビの関係もほのぼのとしていて良い具合です。映画では藤原釜足さんが主役です。

劇団の名前は「中村菊五郎一座」で、田舎の人々は、菊五郎が来るのかと驚きます。このあたりからもう怪しい雲行きです。馬の脚役者は、町へ行っても、かき氷を食べながら、座敷では芸者(清川虹子)に馬の脚の重要性を話して聞かせ、関心も持たれてしまいます。そのあたりが嫌味がなく、自分の脚役に自信をもっています。それも、この一座の一番の出し物は『塩原多助』なのです。

ところが、興行者をめぐるいざこざから、かぶり物の馬の顔が壊されてしまい、舞台には本物の馬を使うことになり、馬脚役者には、本物の馬の世話が回ってきます。舞台に出なかったことを芸者に言われ、それでは見せてやると修繕してキツネのような顔になった馬をかぶって走り回り、馬小屋を壊し逃げる馬を追いかけるのです。まるで、本物の馬が芝居の馬の勢いにおびえて逃げるようで、馬脚役者の一世一代の舞台でした。

前と後ろ脚のコンビの馬の脚のことしか考えない真面目さが、肩に力の入らない自然さで、そこがまた共感できる可笑しさでもあるのです。藤原釜足さんのテンポになぜか巻き込まれているのです。

リアルとも違い、演技をしているという感覚をこちらには与えず、こういう芸人もいるかもなあと思わせてくれます。

この三本が、藤原釜足さんの主役と主役級のこの数カ月で出会った作品です。その他にあるのかもしれませんが、それは今後の出会いにまかせます。

 

映画『幕が上がる』

昨年の『近代文学館 夏の文学教室』で平田オリザ(劇作家・演出家)さんの講演の後、平田オリザさん原作の映画『幕が上がる』をDVDで見ていたのですが、書く機会を逸してしまいました。

映画『幕が上がる』は、高校演劇全国大会を目指す高校生の話しです。監督が『踊る大捜査線』の本広克行監督と「ももいろクローバーZ」の5人が主役です。「ももいろクローバーZ」というメンバーは知りませんでした。ですから「ももいろクローバーZ」の5人というより、その役を受け持った俳優さんとしてみました。

彼女たちが住む場所は静岡の岳南鉄道の通るところで、岳南鉄道の吉原駅と比奈駅のホームがでてきました。岳南鉄道吉原本町駅をでたところが、旧東海道の吉原宿ですが、ここは新吉原宿で、かつては、田子の浦そば、駿河湾近くに吉原宿がありました。波風が強く、津波も被害もあり、中吉原宿、新吉原宿と移転したのです。場所によっては旧東海道でも富士山がすそ野までの姿を表わし、歩いているところなので、ここが舞台なのと親しみがもてました。

一年前ですので再度見直しました。今回は全国大会を目指す演劇部長が、『銀河鉄道の夜』を脚色した台本でもあったので、一年前に見た時より深さを感じとることができました。

もうひとつは、今回、平田オリザさんが全国高等学校演劇大会について触れられたことにより全国高等学校総合文化祭というのがあるのを知りました。

2017年の全国高等学校演劇大会は歴史が古く第63回で、全国高等学校総合文化祭は第41回です。今は文化祭の演劇部門として重ねて開催されているようですが、演劇部の生徒にとっては、全国大会決戦の場なのです。今年は宮城県の仙台が会場でした。

演劇部の全国大会は厳しく、地区大会、県大会、ブロック大会があり、全国大会となります。ブロック大会(9ブロック12校が決まる)は11月から1月の間に行われ、さらなる全国大会は次の年の夏なので、ブロック大会に出た三年生は全国大会には出場できないのです。

このあたりのことも今回知りましたので『幕が上がる』も演劇部員の行動もよくわかりました。

地区大会で負けた富士ケ丘高等学校の力量のない演劇部は、先輩の三年生がいなくなり部長は高橋さおりときまります。顧問の溝口先生は頼りにならず、新入生のオリエンテーションで『ロミオとジュリエット』の抜粋をやりますが観る人もまばらで相手にされません。そんな時、新任の美術の吉岡先生からアドバイスをもらい、自分たちの家族を紹介しつつ自分の肖像を描く『われわれのモロモロ 七人の肖像』を外部の観客を呼んで公演します。これが評判がよく、自信がでてきました。

かつて学生演劇の女王と言われた吉岡先生の口から、全国大会を目指すことを提案され、東京での合宿へと怒涛の展開となっていきます。しかしそのために台本の作成の重荷を部長のさおりは担うことになり、実力演劇部の高校から転校してきた中西に相談します。中西は、さおりに全国高等学校演劇大会へのボランティアスタッフとしての参加をすすめます。それが2014年の<いばらぎ総体>です。

上演時間は60分。その中に20分のしこみ(上演舞台の設置)時間がありますから上演は40分です。高温度の高校生の演劇への情熱を体感したさおりは中西に演劇部への入部を誘います。その場面が岳南鉄道比奈駅の夜のホームなのです。その時さおりは、『銀河鉄道の夜』の脚本を書くアイデアを中西からもらいます。

二人の旅の岳南鉄道は車両が一両で、車窓からの風景などが印象的です。富士山もですが、この地域は水が豊富なので、製紙工場など工場群でもあるのです。そして、演劇部の全国大会の様子も興味深いです。

東京合宿へは中西も参加しました。吉岡先生は東京で演劇を目指す人が星の数ほどいることを教えてくれます。練習の甲斐が合って地区大会で県大会への参加校3校に選ばれます。県大会へ向けてさおり部長のもと練習が続きます。そこには吉岡先生はいません。そして県大会の今を、富士ケ丘高校の演劇部員は味わっています。

現実の全国高等学校演劇大会を軸に、その代表として一つの高校演劇部が紆余曲折して県大会の今に行きつく映画です。昨年見た時は、よくある青春映画と思っていましたが、今回は演劇部とさおり部長の脚色した『銀河鉄道の夜』の練習場面や大会での舞台の切れ切れを見ながらその関連性と<ももクロ>メンバーの俳優への一歩一歩も重なりました。

幕が上がる、その前に。彼女たちのひと夏の挑戦』というメイキングDVDも出ていて、これも二回目ですが、平田オリザさんのワークショップもあり、アイドルを払拭した俳優一年生から挑む彼女らの真面目さも、一層気持ちよく受け止められました。編集のためでしょうか、本広克行監督が<ももクロ>メンバー一人一人の特性を生かし、彼女らと一緒に作り上げていくのが印象的です。監督からの強い語調の場面がなく、カットしたのと思うほどです。それほど、彼女たちの演技の感性の良さに、彼女らの力の出る状況を作り出す配慮をしておられました。

演劇世界の果てしなき先を目指す高校演劇部員の映画です。

監督・本広克行/原作・平田オリザ/脚色・喜安浩平/音楽・菅野祐梧

頼もしくなっていくさおり部長(百田夏菜子)、お姫様から実力派に変身のユッコ(玉井詩織)、ひょうきんでがんばり屋のがるる(高城れに)、演劇を捨てなかった中西さん(有安杏果)、失敗も多いが可愛がられる二年生の明美ちゃん(佐々木彩夏)、頼りないが語りたがる顧問の溝口先生(ムロツヨシ)、いつも毅然として部員のあこがれ吉岡先生(黒木華)、抜群の声の持ち主滝田先生(志賀廣太郎)、オジサン演出家の名前は知っているさおりの母(清水ミチコ)、演劇部の杉田先輩(秋月成美)、演劇部員2年生(伊藤沙莉、大岩さや、吉岡里帆)、演劇部員1年生(金井美樹、芳野京子、那月千隼、松原奈野香)、最後にやっと登場(松崎しげる、笑福亭鶴瓶)、ちらっと映る(平田オリザ人形)

 

全国高等学校総合文化祭で選ばれた「演劇・日本音楽・郷土芸能」の三部門の最優秀校、優秀校は、東京の国立劇場で発表会があるのも知りました。(今年は8月26日、27日ですがチケットぴあでの予定枚数すでに無し。残念。)

スーパー歌舞伎にたずさわり、さらに、スーパー歌舞伎II(セカンド)『ワンピース』の脚本を担当されている横内謙介さんは神奈川県立厚木高校演劇部時代、全国高等学校演劇大会に出場され優秀賞と創作脚本賞を受賞されています。経歴としては知っていましたが、全国大会の実態が今回わかりました。全国の高校演劇部員、頑張れ!

 

アニメ映画『君の名は。』まで(2)

『新海誠展』にあった女性用のヒールの靴は、『言の葉の庭』で出会いました。映画が終わり、エンドクレジットになってしまい、あの靴は出てこないのであろうかと不満に思っていましたら、その後で登場しました。手が込んでいます。にくい手法です。

高校生の秋月孝雄は、雨の新宿御苑の休憩場所で会社をさぼったらしい年上の女性と出会います。孝雄は雨の日は授業一限目をさぼってこの場所で靴のデッサンなどをしていました。彼は靴職人を目指しているのです。どこか波長が合い、雨の日はいつもお互いに出会うのが楽しみとなるのです。

新海誠さんの作品には、片親がいない設定が幾つかあり、この作品も孝雄には父親がいないらしく、母親と兄が働いているため食事は彼が作っています。『星を追う子ども』のアスナも母親にかわって家事をして、台所仕事の場面も多く、これが生活感を匂わせ、日常と物語性が微妙に絡み合っているのも新海監督の魅力のひとつです。孝雄が作ったお弁当と女性の作ったお弁当。そこに味覚という暗示も含まれています。

題名が『言の葉の庭』とあるように当然言葉へのこだわりもあり、万葉集の歌もでてきます。この女性の部屋にある本が映し出され、ぱっと変わりましたので、どんな本を読む女性かなと思い、一時停止で捉えましたら『額田王』(井上靖)『一絃の琴』(宮尾登美子)『千載和歌集』でした。この女性に関してはこれくらいの情報で見たほうが作品の展開と心の内を捉えるためにも良いとおもいます。

新宿御苑、それほど魅力的な場所とも思えませんでしたが、映像の雨とか緑をみていますと、時間のある時、久しぶりに寄ってみようかなと思わせられました。

新海監督は信州の小海線の小海町出身ですが、新宿とか渋谷の風景が好きなんだそうです。『君の名は。』の宮水三葉も住んでいる山奥の田舎が嫌いで、東京に住む立花瀧と入れ替わって、東京に自分がいるということが嬉しくてという感じでした。それは三葉が宮水神社の娘で巫女の仕事もさせられ、狭い土地にさらに何かに縛られているという感覚なのでしょう。作品では宮水神社もキーポイントの重要なひとつです。

女生徒の三葉と男子生徒の瀧が入れ替わるというのは、すでに幾つかの映画で観ていますので驚きはありませんでした。ただ時間差などでどういうことなのと混乱はしましたが、二人が入れ替わるのは夢の中なんですよね。夢の中というのは時間の観念がちがいます。捉えられない時間です。とまあそう思う事にしました。夢での事なので、名前も忘れてしまう。だから 君の名は。 でピリオドで締めとなり、夢の中での感覚がかすかに残っていてそれを探し求め、新たに名前をたずね合うのです。

しかし、三葉は現実に東京に来ていて、瀧と会っているのです。それが、組みひもというキーポイントです。夢の中と現実の時間が組みひもでつながっていたのです。再度、<君の名前は>ということになります。

「夏の文学教室」で平田オリザさんが<賢治の祈り、東北の祈り>で、『銀河鉄道の夜』のジョバンニは友人のカムパネルラの死を受け入れられるまで、遠い銀河を旅するほどの長い時間が必要だったのですというようなことを言われました。あの作品を平田オリザさんはそのように読まれるのかと読み返しました。

ジョバンニは、カンパネルラと銀河鉄道を旅して、結果的にはカンパネルラを別の世界へと送っていってあげることになります。銀河鉄道の旅のその時間はひとりひとり違います。夢の時間のように計ることのできない時間です。その時間を経て、ジョバンニは父が帰って来ることを母に告げるため走り出します。

新海監督の主人公たちもよく走ります。助けるために。探すために。宇宙でも夢の中でも。そして現実でも。

ほしのこえ』『星を追う子ども』『君の名は。』と見ました。『ほしのこえ』の特典映像に『彼女と彼女の猫』があって、新海監督は語りもしていますが違和感がなく素敵な語りです。彼女の猫が全然リアルではなく、猫の語らいが字幕なのもひねっていてオシャレです。新海監督猫好きです。

映像の中の登場人物を追いつつ、時として黒板に板書するチョークの粉が散ったりする細かさにおっ!と思わされたりするのも愉しいところですし、ロケ現場探しのように風景を探して忠実に描いているというのも現実感から遊離させすぎない計算なのでしょう。

喪失からの新たな旅は、次の作品ではどう展開するのか、それとも全く違ったテーマとなるのでしょうか。

彼女と彼女の猫』(2000年)『ほしのこえ』(2002年)『雲のむこう、約束の場所』(2004年)『秒速5センチメートル』(2007年)『星を追う子ども』(2011年)『言の葉の庭』(2013年)『君の名は。』(2016年)

 

アニメ映画『君の名は。』まで(1)

「日本近代文学館 夏の文学教室」の一日目一講時の長野まゆみさん(作家)の講演から、深海誠さんのアニメ映画に飛んでしまいました。この時点ではまだ『君の名は。』は見ていません。

大岡信さんが亡くなられたこともあり、三島駅のすぐそばなので『大岡信ことば館』へ旅の途中で寄りました。開催していたのが『 新海誠展 「ほしのこえ」から「君の名は。」まで』でした。

書きつつ思ったのですが『君の名は』ではなく『君の名は。』で  がついているのですね。

アニメ映画『君の名は。』はヒット作品であることは知っていましたが、その監督が新海誠さんであることは自分の中に刷り込まれていませんでしたので、あの映画の監督さんなのだと、入場券を買う時に知ったのです。映画よりも先に、その創作過程を見た事になります。

絵コンテなどから、光と色にこだわっておられることがわかりました。中高校生時代を主人公にしているので日常生活に使う文房具や手紙、携帯のメール、通学路の風景などリアルに細かく描かれていました。傘の閉じた時と開いた時、靴の形と色とその底裏の部分、登場人物の背の高さなど物語を作る過程の作業の細かさに驚きました。

新海監督の作品を見ると解りますが、これだけ細かい作業をしていても、映し出されるのは一瞬でテンポが速いです。これだけ時間をかけたらその映す時間を長くしたくなりそうなものですが、あっ!あれだと思う間に映像は流れていきます。

バイクのカブの展示もあり、特別な靴なのでしょう、女性用の大人っぽさのなかに可愛らしい結び紐のついた靴の展示もありました。これらのものがどの映画に出てくるのか映画の題名は覚える気もなく、どの映画のどんな場面ででてくるのかが見てのお楽しみでした。この時点で新海誠監督のアニメ映画を見ようと決まっていましたので。

実写の映像がありまして、中村壱太郎さんが踊られています。巫女さんが踊る舞の振りつけを考えられたのが壱太郎さんで、神楽鈴についている朱色の紐を上手く舞に取り入れた素敵な舞になっていました。映画では、全てを映しませんので、これは展覧会での映像のほうが舞としては美しいです。これだけは、『君の名は。』であることを記憶しました。

展示物からみますとSF的な作品もあるようです。大岡信さんのコーナーで大岡さんを偲んで、その帰りレンタルショップへ。

映画を見てから『新海誠展』を見ると、あの映画のものだと展示物を注視しするのでしょうが、こちらは反対で、映画を見ながらあのことかと反復することとなりました。

秒速50センチメートル』『雲のむこう、約束の場所』『言の葉の庭』の順番でみて、そのあとに「夏の文学教室」の長野まゆみさんの講演「宮沢賢治をナナメに読む」だったのです。参考資料は薄茶の封筒に入ったはがき大4枚の藍色を使った今までに手にしたことのない可愛らしい資料でした。ただ字が小さいのです。長野まゆみさんがその小ささについて意地悪をしたのではなく、自分が宮沢賢治を読んだときルーペを使って読んだその想いがあらわされていたのです。

そして話の内容が、宮沢賢治さんの『春と修羅』の言葉からでてくる光と色でした。この時点で、新海誠さんのアニメ映像とつながりました。蜘蛛の糸についても言及され、即こちらは『スパイダーマン』を思い出していました。そんなわけで、「夏の文学教室」のこちらの捉え方がかなり飛んでいますので、これからも「夏の文学教室」に触れていても講演者の高尚な内容とは距離があります。報告ではありませんので。

その後の他の講師の方々の講演からの啓示があり、新海誠監督の作品に宮沢賢治さんが、ちらっ、ちらっと顔出されるのです。

最初に見た『秒速5センチメートル』はとても気に入りました。<秒速5センチメートル>は、さくらの花びらの散る速度なんだそうです。この作品は「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の三つの短編で構成されていて、「秒速5センチメートル」が一番短いのです。まさしく「秒速5センチメートル」の短さです。

特に興味を引いたのは「桜花抄」で、小学卒業で東京から栃木へ引っ越した篠原明里に会うため、遠野貴樹が電車に乗るのです。中学1年生になっていますが、栃木遠いなあという貴樹の感覚がわかります。それも、明里の待つ駅はJR両毛線の岩舟駅で、今は新宿からなら湘南新宿ラインがありますから小山まで一本でいけますが、貴樹のときは、大宮まで行き、そこから小山に行き、両毛線に乗り換えます。両毛線は時には一時間に一本です。

こともあろうにその日は関東が夕方から大雪になってしまいます。下校してからの旅で貴樹はきちんと電車の時間を調べていました。両毛線に乗り換えが上手くいくかどうかが問題ですのに雪。貴樹の不安が伝わります。その描き方がいいのです。電車が雪のため遅延していきます。知らせのアナウンス。調べた時刻表など関係なくなります。

携帯のある時代ではありません。連絡のつけようもない。時々点滅する電車のなかの蛍光灯。電車の連結部分の描写。止った駅で座っていられず、開いた電車のドアから雪と駅を佇んで眺める貴樹。突然ドアが閉められます。在来線にある手動の開閉ボタンつき電車で、寒いためドアの近くに座っていた乗客がボタンを押してドアを閉めたのです。びっくりして気がつき謝る貴樹。ああいいよという感じの乗客。そこらあたりの描写がリアルで細かく見ているなと感心します。

アニメでありながらこのリアルな丁寧さと繊細さ。貴樹の不安とあきらめと、とにかく進むというおもいが交差します。その心理を映し出す場面設定。映像テンポははやいです。この部分で新海監督やりますなと思ってしまいました。そして、明里は駅のベンチで待っていてくれたのです。

貴樹は、そのあと鹿児島に転校してしまいます。そこでのことが「コスモナウト」で高校時代はカブで通学します。澄田花苗と見上げる、打ち上げられたロケットの行く先。貴樹が見ている先。途絶えてしまった明里との経験した時間。

そこから抜けだせない貴樹は、東京で社会人となっても彼女を探しています。踏切ですれ違った女性。走る電車が過ぎ去ってしまったあとの踏切の先には女性はいません。

ロケットは相手との距離感をあらわし、踏切りも新海監督の映画には重要なシチュエーションとなります。当然電車は新海監督の映像で多く通ります。言葉では説明できない交信できた人との別れの喪失感。これがテーマとなります。ただ探します。そのための遠い冒険の旅にもでます。喪失感を埋める旅が果てしない危険を要する冒険ともなります。それほどの振幅が心の中で存在する闘いとしてあるということです。

 

映画『祇園祭』

京都祇園祭の期間に京都文化博物館のフイルムシアターで上映される『祇園祭』を見ることが出来ました。今年は7月16、17日、24日の三日間で6回の上映があり、24日にしました。この映画を見るという事を第一目的として計画しましたので、実際の祇園祭は調べもせず、24日の山鉾巡行(後祭)を観ようと思えばみれたのでしょうが、計画には入れませんでした。

この暑さ。外に出るのも嫌なので、京都駅から地下鉄で烏丸御池まで直進です。

京都文化博物館のフイルムシアターで出してくれた映画『祇園祭』の解説によりますと、『祇園祭』が制作されるまで紆余曲折がありました。

1950年、立命館大学の林屋辰三郎教授が中心となって紙芝居『祇園祭』を作って巡回公演したのが発端で、当時京大の学生だった大島渚監督、加藤泰監督も参加していました。

伊藤大輔監督が映画化の企画を始め、1961年西口克己さんが紙芝居に基づいて小説『祇園祭』を発表。伊藤監督は、小説を原作として中村錦之助さんを主役で東映に企画を提出しますが製作費の関係から東映は断念。

その後、プロデューサー・竹中労さんが京都府に府政百年記念事業として企画を持ち込み、京都府が全面協力を表明。しかし、意見の違いから製作開始後スタッフの竹中労さん、八尋不二さん、加藤泰監督、伊藤大輔監督の名前が消え、構想・企画段階とは違うロマンスよりの内容となりました。上映が1968年(昭和43年)です。

監督・山内鉄也/原作・西口克己/脚本・鈴木尚之、清水邦夫/撮影・川崎新太郎/音楽・佐藤勝/美術・井川徳道

応仁の乱後の50年は、戦乱に続く戦乱で京都は疲弊し農民は高い納税に土一揆を起こし京の町を襲います。土一揆に加勢するのが農民の悲惨さを見ている米などを運ぶ馬借たちで、京の町衆は町が焼かれたりして土一揆を憎み、侍が自分たちを守ってくれていると思っています。

ところが、侍だけでは土一揆をおさえられず、町衆にも武器を持って、山科の土一揆の拠点を叩きつぶすようお達しがあります。武器を持つことに躊躇する町衆ですが、お上には逆らえず戦うこととなりますが、侍たちは自分の身を守るため町衆を見捨てて逃げてしまいます。

疑問に思うのが役人に母を殺された染物職人の新吉(中村錦之助)です。関所では、新たに人と荷物に税金がかけられます。関所で新吉は見ます。馬借が運ぶお上用のお米なら通行税がかからないのです。しかし運ぶ人に通行税かかるのを知った馬借の熊左(三船敏郎)は、運ぶのはやめたといって米俵を関所前に投げ出して行ってしまいます。新吉と熊左とは、山科で敵として闘った相手でした。

新吉は戦さの時弓を頼んだ弓師(渥美清)に弓を渡される時、弱い者同士が殺し合いをしてどうするんだと言われていました。

新吉は通行税に抵抗し、京都を町衆でおさめられないか考え、町衆をまとめるための方法が何かないかと考え、祇園祭祀を復活させることを思いつきます。

新吉は祇園ばやしの笛の名手の老人が亡くなるときその笛を預かっていました。公家の山科言継卿(下元勉)は途絶えてしまった正調祇園ばやしを作り出すのは新吉の役目であるといい、笛の名手のあやめ(岩下志麻)と会わせす。新吉はあやめの笛の音に魅せられ、二人はすでに会っていて愛し合った仲でした。あやめは河原者の庭師・善阿弥(永井智雄)の娘で、河原者である自分の身の上から、あやめは新吉と会うのを避けていました。

河原者としての立場から世の中を見ていたあやめは新吉と会ったとき、農民と町衆がお互いに血を流すのはおかしい、新吉は物事をきちんと見ていないといさめていたのです。しかし、今は素直に笛を教えることを承諾します。

新吉が体を張って交渉し馬借の熊左は木材を運んでくれ、染め物職人は鉾に使う布を染め、織り師は錦を織ります。土一揆で子供を死なせ、自分も左腕が不自由になり土一揆を憎んでいた桶職人の助松(田村高廣)も、大きな木車を作りあげます。

しかし権力者からの横やりがあり祭祀とは認められません。それでも新吉は町衆たちのただの「祇園祭」でいいと主張し、「祇園祭」を強行し、一番先頭の長刀鉾の音頭取りとして助松と二人で扇をふりかざします。新吉は町衆、馬借、弓師、河原者全ての人々の力が集まった祭りなのだと力が入ります。その前に、侍たちが立ちはだかり矢を放ち祭りの進行をさえぎり、その一本の矢が新吉の胸を射抜きます。新吉は戸板に乗せられながらも扇をかざし、長刀鉾は町衆に見守れながら進むのでした。

超豪華娯楽時代劇に仕上がりました。ゲスト出演が高倉健さん、北大路欣也さん、美空ひばりさんなどがおられます。名前に中村津雄さん、香山武彦さんもありましたが気がつきませんでした。

滝花久子(新吉の母)、佐藤オリエ(新吉の妹)、新吉の染物屋主人(志村喬)、善阿弥の弟子(田中邦衛)、助松の妻(斉藤美和)、大工の源七(藤原鎌足)、松山栄太郎(新吉の職人仲間)、下条正巳(山科甚)、小沢栄太郎(門倉了太夫)、伊藤雄之助(赤松政村)etc

168分という長い上映時間で、少しだれさせるところもありますが、萬屋錦之介さんは主役としての貫禄があり引っ張て行く力があります。藍で染まった新吉の両手を見ていると、『紺屋と高尾』の久造がその手を隠して高尾に会ったことを思い出させました。

あやめの岩下志麻さんは美しく河原者としての屈折を感情の激しさで新吉に対峙させます。三船敏郎さんは三船さんの手慣れた役どころで花を添えます。怒りの方向性を助けた子供を亡き息子の代わりとして育てていくうちに新吉の考えに同調する田村高廣さん。周囲の押さえの俳優さんも揃いました。

稚児さんとして長刀鉾に乗っていたのが現又五郎さんに似ていたのですがそうであったのかどうかはわかりません。米吉さんの名前がクレジットにあったのですが、このあたりは疑問符です。

出来れば、長刀鉾の組み立ての場面ももう少し欲しかったですね。縄だけで縛って組み立てるなどの場面も躍動的に映してほしかったです。これだけの映画は、やはり地元の方たちの協力がなければ撮影は無理だったことでしょう。

二回目も見ました。目的は達成されました。

祇園祭はあの暑さの中ですから、祇園祭だけで計画したほうが良いように思います。京都文化博物館の前の三条通りは、夜の還幸祭の三基の御神輿が通るところであると知りました。御神輿の出発時間が別々で、廻る道順も違いますから通る時間がはっきりしません。二回目の映画を見たあと待ちましたが時間がわからず、三条通りを烏丸通りに向かって歩く途中で白い馬に乗った稚児さんの一行に会い、そろそろなのかなと思いそのまま進み、子供たち中心のお囃子に耳を傾けます。丹波八幡太鼓の場所は人が集まって待っていますが、なかなか始まるようで始まらずあきらめました。

第二の目的は高野山の<丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)>へ行く事でしたのでその夜は大阪宿泊だったのです。

朝から夜まで見学するなら、地図と時間と道順を照らし合わせ、休憩場所を考慮しつつ計画が必要と思いました。暑いですから、観る方も凄い体力が必要のようです。ちょっと再度の「祇園祭」観光計画には興味がそそります。

 

<丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)> →   2017年7月28日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)