『ワンピース』からラスベガス映画(4)

ラスベガス映画の最終は、歌がたっぷりの映画と実話に基づいた映画とします。先ずは『ラスベガス万才!』(1964年・ジョージ・シドニー監督)。ドキュメンタリー『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』でエルビス・プレスリーについてマイケル・ケインは語る。

「エルヴィスは衝撃だった。驚いたのは歌でも世間の騒ぎでもない。あの動物的な感じだ。人生で初めて誰かを見て自由だと思った。何にもとらわれない自由。」

映画『オーシャンと11人の仲間』は1960年のラスベガス。映画『ラスベガス万才!』は1964年のラスベガスである。『ラスベガス万才!』の冒頭でラスベガスの街並みが映り、エルビスのラッキーが入っていくのがホテル「フラミンゴ」のカジノである。ラッキーはラスベガスで行われるカーレースに出場する予定である。そのライバルがイタリアのスピード王・マンチーニ伯(チェザーレ・ダノヴァ)であるが、恋のライバルともなる。二人の前に現れたのがラスティ(アン・マーグレット)。

名前も判らず、マチーニ伯は踊り子であろうと想像し、二人はクラブを次々訪ねショーの中に彼女がいないか探すのである。7軒訪ねる。『オーシャンと11人の仲間』で出てきた、サンズ、フラミンゴ、サハラへも行く。それぞれのショーを楽しませてもらえる。もちろんエルビスの歌も。

予想と違い、ラスティはホテルのプールでコーチをしていた。ラッキーはプールに落ち、お金を紛失してしまう。レースカーのエンジンを買うためホテルの従事員となり、賞金めあてに従事員の歌のコンテストに出場。優勝するが賞金はでなかった。仲間がエンジンを手配してくれ何とかレースに出場でき見事優勝する。カーレースの模様や周囲のラスベガスの風景も映像として見どころである。ラッキーとラスティは結婚しハッピーエンドである。

エルビスの歌声もたっぷりである。(「テキサスの黄色いバラ」「レディ・ラブズ・ミー」「好きだよ ベイビー」「恋の賛歌」「ホワッド・アイ・セイ」「愛の証しを」「ビバ・ラスベガス」「独りぼっちのバラード」)とにかく明るく楽しくエルビスの魅力を楽しみましょうの映画である。

次の映画は、「フラミンゴ」を創設したマフィアの男の『バグジー』と、ラスベガスを牛耳っていたマフィアがラスベガスから一掃される『カジノ』である。二作品ともかつて観ていたがつないで観ていなかったので今回あらためて観て、ラスベガスの誕生と流れが二作品で表面的ではあるがわかった。

映画『バグジー』(1991年・バリー・レヴィソン監督)は、マフィアの一員であるベンジャミン・シーゲルをモデルにした映画で、ラスベガスにカジノホテル「フラミンゴ」を建設しマフィアのラスベガス進出の道を切り開いた男の話しである。

ベン(ウォーレン・ベイティ)は、ニックネームをバグジーと言われていたが彼はこれを嫌っていた。俺は虫であっても虫けらではないと。ハリウッドで幼馴染の俳優ジョージの撮影現場で売れない女優のヴァージニア(アネット・ベニング)と出会い、恋仲となる。俳優という仕事にも興味がありキャメラテストを受けたり、発音の練習などもしている。

ラスベガスのギャンブル場を任され、ヴァージニアと仲間のミッキー(ハーヴェイ・カイテル)を連れ立って行ってみると小さな汚い建物であった。ヴァージニアはこんな汚いところに何の価値があるのかとくさす。しかし、売り上げは良いのである。ベンは砂漠の何もない場所で思いつく。ここにカジノ付きの豪華ホテルを建てることを。

1945年、ホテル「フラミンゴ」の建設のためマフィアの仲間たちから100万ドルの資金を調達する。ところが、建設予定は次々と変更され予定金額がドンドン超過してしまう。最終的にはは600万ドルと膨れ上がる。マフィアたちはバグジーが私腹を肥やしているのではと疑い始める。幼馴染のマイヤー(ベン・キングスレー)もバグジーを信用してきたがもうかばい切れないと手をひく。

やっとオープンにこぎつけるが、大雨で客足は少なく、雨漏りまでする始末で、バグジーはしばらく閉館すると伝える。バグジーはマフィアたちに呼ばれ飛行機で立つときヴァージニアが現れ自分は200万ドルを自分の物にしていたことを告げる。バグジーは取っておけといい飛行機で飛び立つ。そして彼は殺される。その後、マフィアがラスベガスに進出するのである。

バグジーがスマートに描かれているが、実際は相当の抗争をへて上り詰めて行ったであろう。ハーヴェイ・カイテルがいたって静かで、『ガンジー』俳優のベン・キングスレーの耳を傾けながら、ウォーレン・ベイティの計算なしの夢を追う姿をささえている。アネット・ベニングが200万ドルかすめながら可愛い女としていての位置で、バグジーの死後、200万ドルを返還してすぐバグジーの後を追って自殺しているとしている。

とにもかくにもバグジーはラスベガスにマフィアを呼び込んだ人ということになる。1945年というと日本は原爆を落とされている。

映画『カジノ』(1995年・マーティン・スコセッシ監督)は実話に基づいているとある。上半身ピンク系で決めた男性が車に乗るとその車が爆発する。そこから(1983年)から10年前に話はもどされる。この男性は、エース(ロバート・デ・ニーロ)と呼ばれる予想屋で非常によく当たるので、マフィアの親分衆はエースから情報を得て儲けさせてもらっている。親分のリモはニッキー(ジョー・ペン)にエースの身辺護衛を命じる。

エースはそれほどの野心もなかったが、ラスベガスのカジノの「タンジール」を任せられることになる。エースは賭博関連で捕まったこともあり州法での免許がとれないが、申請していれば許可が下りなくても営業ができ、仕事の肩書を次々返ればいいと言われる。「カジノ支配人」「飲食店責任者」など。そうすると書類が後ろに回され申請中で営業が続けられるということになる。エースは仕事に対しては慎重で引き受けることにする。

カンザスシティーの親分たちへの上納金もそれ専用のルートがあり。親分たちも満足していた。そんな時、ニッキーがラスベガスに現れた。ニッキーは激情型でなんでも暴力で力を持つタイプであった。エースは少々問題のある女性・ジンジャー(シャーロン・ストーン)を気に入り結婚する。ところがニッキーとジンジャーは問題を起こし、FBIには目を付けられ、親分衆にも監視される。

1980年、FBIの盗聴器により「タジール」に検査が入り賭博管理委員会はエースのカジノ免許について審問会を開き、免許申請拒否の動議が通ってしまい無免許営業で叩かれる。

親分たちの身も危なくなり事情の知っている者は次々と消されていく。ニッキーも弟と一緒に消されてしまう。エースは車に爆弾を仕掛けられ爆発するが奇跡的に助かる。ラスベガスはその後様変わりし、大企業がカジノを買い占めデズニ―ランドの様相であると。その後エースは、ギャンブルの神様と言われた勘は健在で、一から始めての予想屋で相変わらず当てている。

映画『カジノ』はマフィアの世界そのもので、無情な殺し合いが繰り広げられる。ニッキーはエースが嫌な顔をするようにこちらが観ていても手が付けられないという感じである。どちらにしても悪事はそう長くは続かないと言う事でありそうであってもらわねば困る。バグジーがフラミンゴを建設してから35年以上(1945年から1980年頃まで)はマフィアの支配が続いたことになる。そして『オーシャンと11人の仲間』の1960年から『ラスベガス万才!』の1964年ころはハリウッドとも上手く共存していたということであろうか。

日本のカジノは始まるまえから怪しい雲行きである。「フォー・ホースメン」がイリュージョンで暴露してくれるとすっきりするのであるが。他にもはっきりしてもらいたいことが沢山ある。

映画『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』にロバート・デ・ニーロがでてきたのには驚いた。彼の両親は画家で、ペギーの画廊に絵を出してもらったのだそうで援助してくれたらしい。ロバート・デ・ニーロが三歳のときだそうである。ペギーの生前のインタビューから構成されている映画だが驚くべき人である。お金も使い方でこうも違うものなのかと思ってしまう。

追記: トム・ハンクスはエルヴィスの伝記映画の撮影のためオーストラリアで新型コロナを発症したのでしたね。回復してよかった。TV映画『ELVIS エルヴィス』(2005年)では、母の誕生日のプレゼントにレコードを作成しそこからスター・エルヴィスの誕生となるのであるが、1968年のテレビスペシャルの撮影までとなっている。エルヴィスは海外公演を望むがマネージャーのトム・パーカーが移民でアメリカの永住権をもっていないため再入国できないことをおそれてあきらめるのである。そして、ラスベガスでのショーへと。トム・ハンクスがトム・パーカー役である。超期待してしまう。

追記2: 映画『トラブルINベガス』。キム・ベイシンガーが出ていたので観た。ハーモニーがエルヴィスのなりきりさんに会うとその人は事故死してしまう。ベガスのエルヴィスなりきりさん大会へ行くことになり、すべてのなりきりさんが事故死。事故死の原因が見どころ。ハーモニーは少女時代エルヴィスに会っていてそれは幸福を呼び寄せる力があった。軽いラブロマンスコメディ。

同じような軽さで映画『トラブル・イン・ハリウッド』あり。プロデューサーのロバート・デ・ニーロが撮影現場や映画関連の人間に振り回される。本人役でショーン・ペンとブルース・ウィリスも登場。どちらも期待半分でかるーく鑑賞されたし。

『ワンピース』からラスベガス映画(3)

ラスベガスでイリュージョンのショーをしつつ、パリの銀行からお金を盗むのが映画『グランド・イリュージョン』である。この映画に出会ったのは、この映画に出演しているマイケル・ケインと関係している。

映画『イエスタデイ』でビートルズについてもう少し知りたくて、ドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYZ A WEEK~』(2016年・ロン・ハワード監督)を観た。リバプールから出発して、世界中をまわり、ツアーをやめてスタジオにもどるまでが描かれている。日本での公演は、武道館を使うことは許さないと右翼が主張し警察に囲まれての移動にはビートルズも驚いたようである。駆け足でビートルズの経緯はわかった。

ドキュメンタリー映画『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』はマイケル・ケインが案内するイギリスの60年代である。マイケル・ケインが若い頃に主演した映画『アルフイー』の映像を使って進行に役立てている。アルフィーは、正面を見て観客にたびたび説明したり話しかける。その映像を利用しナレーターの言葉に替えている。60年代の若者の様子の映像であるから、若いマイケル・ケインと上手く合っている。そして時には、現在のマイケル・ケインがナレーターに現れたりと、彼が現実にその時代を生きた証が伝わってくる。

イギリスは、社会階級がはっきりしていて、マイケル・ケインは労働者階級であった。アクセントが違うらしく、彼は劇団でしゃべり方を練習していたので、映画で若き将校役を貰えたが監督がアメリカ人だったからで英国人なら駄目であったとしている。そして、俳優組合に名前を登録する時、好きなハンフリー・ボガートの映画ポスター『ケイン号の叛乱』が目に入りマイケル・ケインとする。

リバプールではビートルズがブルースの店で自分たちの歌を歌う。「世間は突然才能ある労働者階級の存在に気がついた。豊かな才能だ。革命だった。」貴族の真似をしない若者がロンドンに集まった。60年代のヴォーグは言葉の訛りでモデルを除外したが、ツィギーは、コックニー訛り(ロンドンの労働階級の英語)でモデルになった初めての女性である。これは知りませんでした。

1945年、労働党政権が始まると医療保険制度ができたり食生活も改善し、皆が教育を受けられるようになった。ポール・マッカートニーも「グラマースクールに行けたよ。無料でいい教育を受けられた」と発言している。面白かったのでマイケル・ケインの出演映画をつらつら検索していたら『グランド・イリュージョン』にぶつかったわけでラスベガス映画に加えた。

映画『グランド・イリュージョン』(2013年・ルイ・レテリエ監督)。4人のスーパーイリュージョニストが「アイ」に導かれて「フォー・ホースメン」を結成する。初めての仕事が、ラスベガスでショーをしているうちにパリの銀行の金庫からお金を頂戴しその模様を観客に見せると言うものである。

「アイ」とは、古代エジプトにあったといわれる秘密集団である。彼らは巧みなマジックで、王の食べる物を奪い奴隷に分け与えた。その目的は、マジックで正義の天秤を守ること。「フォー・ホースメン」はその信奉者なのであろうか。奪ったお金は、ショーの観客にばらまかれる。

リーダーのアトラス。脱出の天才・ヘンリー。メンタリスト(催眠術)・メリット。カードの奇術師・ジャック。

この4人のパトロンが保険王のアーサー・トレスラーがマイケル・ケインである。そして、「フォー・ホースメン」のショーの種明かしをする老マジシャンのサディアス(モーガン・フリーマン)。盗みをするわけであるから当然「フォー・ホースメン」はFBIの捜査官に追いかけられる。この逃走劇も見ものである。

イリュージョンと銀行強盗の種明かしもあるので、これは騙されて深く考えずに観るのが良いであろう。映画だからできるのだと思わずに、こんな場面を実際に観れたら楽しいだろうなと思って気軽にそのスピード感に突き合うのが暑さしのぎになるかも。おたのしみが半減するので、映画の内容はここまで。

アトラス(ジェシー・アイゼンバーグ)、ヘンリー(アイラ・フィッシャー)、メリット(ウディ・ハレルソン)、ジャック(デイブ・フランコ)、FBI捜査官・ディラン・ローズ(マーク・ラファロ)、フランス人の女性捜査官(メラリー・ロラン)

続編の『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』(ジョン・M・チュウ監督)は、新たに「フォー・ホースメン」が仕掛けるのは巨大IT企業オクタ社の陰謀の暴露である。オクタ社の代表を催眠術にかけ全て公表させるというねらいであったが、何者かにショーはさえぎられてしまう。ホースメンは逃走。気がついたときには4人はマカオにいた。これこそ最強のイリュージョンなのか。敵はだれか。

敵から出された命と引き換えの条件は、全ての情報に潜入できるコンピューターのチップをマカオ科学館から盗み出すこと。チップをカードにはめ込んで4人がパスし合い、警備員の目をごまかすのが格好いい。8割がた実際に俳優が練習しての実演だという。さすが『ステップ・アップ2: ザ・ストリート』『ステップ・アップ3』の青春ダンス映画のジョン・M・チュウ監督である。動線は美しくである。それにしても大掛かりな映画を担当したものである。ラストに謎解きがあるので、そこから映画を俯瞰する必要がでてくる。

ヘンリー→ルーラ(リジ―・キャプラ)、天才エンジニア・ウォルター(ダニエル・ラドクリフ)

また話しが飛ぶが、『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』の飛行機のトリックから大林宣彦監督の映画『北京的西瓜』(1989年)を思い出した。実際にあった話で、八百屋さんが中国の留学生のために八百屋がつぶれそうになるまで応援援助するのである。中国に帰った留学生たちは八百屋さん夫婦を中国に招待し皆で再会することとなる。

この映画を撮った時、中国では天安門事件があり、撮影のために中国から全面協力すると言われる。大林宣彦監督は守られて撮影するのであればこの映画の意味がないと、飛行機で八百屋夫婦が移動する場面は、航空会社の練習用の飛行機のモデルで撮影し、その理由も説明するという方法をとったのである。大林監督の時代のなかで起こった歴史を残す一つの試みであった。

またまた飛んでテレビドラマ『半沢直樹』で、重要書類をPCの中の秘密の部屋に隠すが半沢側と黒崎側とで消去と開示の闘いが緊迫感を与え面白かった。このくらいのハイテクの導入は実際にありそうで納得してワクワク感を増幅させるが、凄すぎてよくわからなかったというところまでいくと観客不在となることもある。「オーシャンズ」も「イリュージョン」もそのあたりの匙加減が大切と思える。

さらにドラマで猿之助さんの台詞の繰り返しも話題になったが、歌舞伎の源氏店では一人の呼びかけも「ご新造さんえ、おかみさんえ、お富さんえ、いやさお富」というのがあるのを思い出し表現が上だよなと。現在、幸四郎さんが歌舞伎座で言われている。そして繰り返しのとどめが「土下座野郎!」も河内山の「馬鹿め!」がぱっと浮かび笑ってしまった。

現代ドラマでの歌舞伎役者さんの土下座野郎は中車さんが最初ではありません。海老蔵さんが松本清張さんの『霧の旗』(2010年)で土下座しています。この作品は桐子という女性が主人公なのですが、海老蔵さんを主人公にしていたのがちょっと不満でした。

今回の書き込みは盛り込みすぎかも。ラスベガス関連映画は『グランド・イリュージョン』一作ですのに。

『ワンピース』からラスベガス映画(2)

映画『オーシャンと11人の仲間』と『オーシャンズ11』は、人を殺すことなくラスベガスのカジノの売り上げを頂戴するという内容である。『オーシャンと11人の仲間』ということは12人で仕事をしたということになる。『オーシャンズ11』は、続編『オーシャンズ12』『オーシャンズ13』があり、さらにダニー・オーシャンの妹が女性陣でオーシャンズを組織する『オーシャンズ8』がある。

映画『オーシャンと11人の仲間』(1960年・ルイス・マイルストン監督)と『オーシャンズ11』(2001年・スティーブン・ソダーバーグ監督)との間にはほぼ40年の経過がありラスベガスの町並みも違うしホテルの規模も違う。『オーシャンと11人の仲間』では、五つのホテル(サハラ、リビエラ、デザート・イン、サンズ、フラミンゴ)のカジノの売り上げを盗み、それぞれのホテルに仲間が分散して盗み出し、お金はごみ収集車一台で次々と回収していく。この仲間たちの関係は、第二次大戦のときの出撃部隊・82空挺部隊の仲間なのである。任務は数百ドルの解放である。実行開始日は大晦日。

12人の仲間たちが集まるまでが長い。泥棒の計画も全員がそろってから話が具体的になるのでそれまでが少し退屈させる。ジミー(ピーター・ローフォード)の富豪の母が何回も離婚しており、今回再婚する相手が曲者で、後にオーシャンたちの盗みに介入してくる。オーシャンの妻とその愛人。トニー(リチャード・コンテ)の元妻なども複線として登場する。

五つのホテルに侵入した仲間たちの偵察と仕事ぶりに入ると面白さが急増する。ここからは仲間のお手並み拝見である。楽しんでいるうちにお互いの顔を順番に眺める思いがけないラストへと突入。

オーシャンがフランク・シナトラ、サムがディーン・マーチン、運転手のジョシュがサミー・デイビスJr.は実際にラスベガスのショーに出演していて、彼らのショーには客席にそうそうたるスターの顔があったらしい。今に比べると場所も狭く舞台と客席は和気あいあいとして親密であったとのことである。

映画の中でサムは歌手として歌いつつ女性客を魅了し、偵察の役目を果たしている。トニーは電気関係担当でその仕事をしている途中で邪魔になったのが酔っぱらいの女のシャーリー・マクレーンである。それを上手くあしらうのがサムである。

ここで飛ぶが、映画『何という行き方!』(1964年・J・リープ・トンプソン監督)でシャーリー・マクレーンがディーン・マーチンをはじめ、ディック・V・ダイク、ポール・ニューマン、ロバート・ミッチャム、ジーン・ケリーを相手に多種多様の演技をみせているのには驚く。近い映画では『素敵な遺産相続』、『あなたの旅立ち・綴ります』でもしっかり存在感を示している。

映画『オーシャンズ11』は、三つのホテル(ベラジーオ、ミラージュ、MGMグランド)のカジノの売り上げがベラジーオの金庫に収まるので盗みに入る場所は一箇所である。ただこの三つのホテルを経営するべネディックが相当な冷血無比な男である。ホテルに関しては全て細かく把握している。金庫への通過の暗唱番号も毎日変えている。

ダニー・オーシャンは仲間のラスと二人で、仕事に必要な能力を持った仲間の人選をしていく。そのため仕事が始まるとどうしてこの人が選ばれたのかが観る側も納得できるようになっている。ただダニーはお金だけではなくもう一つべネディックから盗む、いや返してもらう目的もあった。元妻のテスである。テスはベラジーオ美術館の館長をしていてべネディックの恋人になっていた。

実行はボクシング大会のある日が売り上げも多いと言うことでその日にきまる。『オーシャンと11人の仲間』の頃に比べるとホテルも巨大化しハイテクの警備網も完備している。オーシャン側もそれなりの準備が大がかりである。そこに変装(詐欺師)というなりすましの仕事が必要となる。その腕がまだないのがライナスである。ライナスの気の焦りがこの仲間の弱点であるがどうにかカバーされる。そして強奪成功である。

さてテスの方は、べネディックがテスよりもお金が大事だということが映像でテスに知らしめダニーはテスの愛をとりもどすことに成功。ダニー、テス、ラスの車を、べネディックの部下が尾行する。続くのかなと思わせられる。

ダニー・オーシャン(ジョージ・クルーニー)、ラス(ブラッド・ピット)、フランク(バーニー・マック)、ルーベン(エリオット・グールド)、モロ兄弟(ケーシー・アフレック、スコット・カーン)、リビングストン(エディ・ジェイミソン)、バシャ(ドン・チールド)、イエン(シャオボー・チン)、ソール(カール・ライナー)、ライナス(マット・ディモン)、べネディック(アンディ・ガルシア)、テス(ジュリア・ロバーツ)

オーシャンズ12』(2005年)では、べネディックに命と引き換えにお金を返すことを要求され金策のためテスも参加することになる。盗まれたお金は保険で補てんされていたのであるがべネディックは許さなかった。ラスの恋人が登場したりとこちらもなかなか面白い。ラスのいつも何かを食べてるシーンは減るが。

ただオーシャンたちの盗みの見せ場はない。代わって一人華麗に行動してくれる人は用意されている。そしてライナスの母親が登場したのは嬉しい驚きであった。父のボビーが有名な泥棒であることらしいのは話の中に出てきたが、母親もとは。話しが過去と現在に交差して複雑であるが、一人一人のキャラは分かっており意外な展開が笑わせてくれる。ラスベガスでのことではないのでこのへんで。

オーシャンズ13』(2007年)は、アル・パチーノがでるので期待したが大御所の魅力の引き出し方が弱かった。場所はラスベガスであるがウィリー・バンク(アル・パチーノ)のオープンするカジノホテル・バンクは架空のホテルでもあるので簡単に進める。

オーシャン一味のリーベンがホテル王であるウィリーに裏切られ、そのことが原因で倒れ意識不明となる。さっそくオーシャン一味はウィリー報復を考える。しかし資金がないこともありあのべネディックに力を借りることにする。もちろん、べネディックがウィリーを快く思っていないことを知ってである。ウィリーはホテル格付の最高位「5ダイヤモンド」をもらっていた。べネディックはそのダイヤを盗むことを条件にした。

ライナスが腕をあげていたが、今度は父親のボビー登場で中々親離れさせてもらえない落ちがつき、いつも喧嘩しているモロ兄弟が意気投合するというおまけもあるが、期待度の高さに比して盛り上がりがいまいちであった。

オーシャンズ8』(2018年・ゲイリー・ロス監督)は、観る気がなかったが流れのついでと観たらドキュメンタリー映画『メットガラ ドレスをまとった美術館』(2017年)につながる内容で満足。女性陣もなかなかやります。

ダニ―・オーシャンの妹・デビ―・オーシャン(サンドラ・ブロック)が、ファッション界最大級のイベント「メットガラ」に登場するカルティエ貸し出しの宝石に挑戦するのである。これまた仲間を7人選んでいく。盗む場面は女性ならではの細やかさでアクションは少ない。ところが、兄の仲間のイエンを登場させ、あの軽業師のしなやかな動きで他の宝石もいただいてしまうという見せ場を作っていた。さらに、ダニーは裏切った恋人にも復讐をするというおまけつき。

メットガラ ドレスをまとった美術館』は、米ヴォ―グ誌の編集長・アナ・ウインター主催によるニューヨーク・メトロポリタン美術館で開催された「メットガラ」の準備の模様からドキュメントしたもので、大変興味深いものだった。そのアナ・ウインターも『オーシャンズ8』に顔を出しており、上手い所に照準をあてた。華やかさも加わり、デビ―が兄のお墓で祝杯をあげて語るのがおしゃれである。

一応これで<オーシャンズ>から解放させてもらうことにする。

『ワンピース』からラスベガス映画(1)

アニメ映画『ワンピース フイルム ゴールド』とテレビアニメ『ワンピース シルバーマイン編』を観た。

ワンピース フイルム ゴールド』の方を先に観た。黄金船「グランド・ゾーロ」の主でカジノ王がテゾーロである。金大好き、お金大好きである。それには生い立ちの体験が関係しているがそれは略す。「グランド・ゾーロ」に乗り込むルフィ一味。このカジノでルフィはつきにつきまくって勝ってしまうが突然つきが逃げてしまい大負けをして船底の牢獄へ。

ゾロは黄金で固められ公開処刑がきまる。上流人にばけて行動するナミたち。さて運命はいかにである。

複線としてナミのかつてのライバルであるカリーナが登場。テゾーロ側である。ナミとカリーナの関係も混戦模様。さてテゾーロのエンターテイメントであるゾロの公開処刑は成功するのであろうか。ナミとカリーナの勝負はいかに。

このアニメ映画から頭の中はラスベガスに飛んだ。歌舞伎の弥次喜多の宙乗りよりも一足飛びである。そのため見せ場は無い。

その前に『ワンピース シルバーマイン編』を少し。島全体が銀の鉱山である。そこを根城にしているのがシルバー海賊連合でトップがビル。地下は線路の迷路でその上を走るトロッコ人間・テベロンがユニークなキャラである。当然ルフィを追撃する。

ルフィを神髄しているバルトロメはルフィと行動を共にしてルフィの活躍のたびに感動する。感動しまくるのが笑える。そして黄金船のテゾーロの部下であるタナカさんがここに出ていて、シルバーからゴールドにつながっているのがわかる。ビルはタナカさんを通してテゾーロに上納金を納めていたのである。シルバーの上にゴールドの存在があることがわかる。納得。

ラスベガスへ飛ぶのは映画『オーシャンズ11』(2001年)であるが、これは映画『オーシャンと11人の仲間』(1960年)のリメイクであるが、時代差もあり内容はかなり違っている。ただ『オーシャンと11人の仲間』のラストの落ちが好きである。

映画『オーシャンズ11』にも出てくるカジノホテル「ベラージオ」の前では噴水ショーをやっているようだが、そこで新作歌舞伎『獅子王』(2016年)を演じたのが染五郎(現幸四郎)とその仲間たちである。

https://www.kabuki-bito.jp/special/more/more-other/post-japankabuki/

獅子王』はテレビでも放映された。観た時、背景が千々に変化し物語の中に没入するというより与えられるものに振り回されるという感じであった。今想うに、さらに積み重ねてという前提があるので、第一歩は早すぎることはないのだということである。今回のように積み重ねの道が突然さえぎられることもあるのだから。

映画『母』・『どっこい生きてる』

映画『』(1963年・新藤兼人監督)。場所は広島で、広島に原爆が落とされてから18年後の広島が映されている。18年後の広島がどんな様子かを見れる映像としても貴重である。

夫に捨てられた母親が三人の子供を育て、その娘が三回結婚し母親としてどう生き抜いて自分を取り戻していくかが描かれている。観ていると主人公である民子がこのままもっと悪い状況にはまり込んでいくのではと心配になる。ところが民子は自分を取り戻し、自分で選択し新しい命を宿すのである。

民子の最初の夫は戦死してしまう。二回目の結婚では夫の放蕩から息子・利夫を抱えて離婚。利夫は目がかすみ脳腫瘍であることがわかる。岡山の大学病院でなら手術できるという。しかしお金がなく民子は入院費を出してくれると言う田島と三回目の結婚をする。

民子は利夫を宿した時、この夫の子供は産みたくないと思ったことを思い出し利夫がいっそう不憫でならなくなる。手術は成功するが再発してしまい、3、4ヶ月の命と告げられてしまう。生きている間、利夫の望みは何でも叶えてやりたいと盲学校へも通わせ、オルガンも買ってやる。

オルガンは民子の弟・春雄がお金を出してくれたのである。春雄は母の期待から大学まで行かせてもらうが大学をやめバーで働いていた。その春雄が遊覧ヘリコプターに乗り上から広島市内をながめる。このあたりは脚本も書かれた新藤監督の上から広島を映したいとの意思を感じる。この優しい春雄がバーのママのパトロンと争い亡くなってしまう。

利夫も民子の腕の中で息をひきとる。気がふれたのかとおもわれる民子。病室のベットの上で民子は母から妊娠してることを知らされる。母は田島との結婚は一時しのぎのつもりですすめたのにと告げる。民子も田島を夫として受け入れられるか自問し続けてきた。

田島は利夫のために貯金を使いさらに借金までしてくれた。朝早くから夜遅くまで印刷機械に向かってやっとためたお金である。民子は一緒に働いていてよく知っていた。民子は自分の意志で田島を受け入れることを決めたのである。民子は宿った命に生きる力をもらっていた。利夫が点字で読んだ言葉が民子を包み込む。

母・芳枝の生き方と娘・民子の生き方を提示してもいる。それが杉村春子さんと乙羽信子さんなのであるからそれだけでも見どころありである。民子が自分の意志で命を宿すところは自分で判断する女、新しい母親を描いている。流されてきた自分をしっかりつかまえる民子。民子は時々頭痛に悩まされていた。それは民子の心から発信されていた何かへの抵抗だったのであろう。

利夫、田島、田島の娘、春雄に助けられ民子は新たな母となって再生された。

』の題字が岡本太郎さんである。

民子(乙羽信子)、芳枝(杉村春子)、利夫(頭師佳孝)、春雄(高橋幸治)、長男・敏郎(加藤武)、田島(殿山泰司)、医師(佐藤慶)、医師(宮口精二)、バーのマダム(小川由美子)、マダムのパトロン(武智鉄二)、文学座等。

バーのマダムのパトロンが武智鉄二さんで、なかなかの貫禄である。武智鉄二さんの映画『源氏物語』は、光源氏の衣裳が豪華で美しかった。衣裳が松竹衣裳とあり、あれだけの衣裳を新調はできなかったであろう。最後まで孤独な光源氏で衣裳が豪華で美しいだけに虚無感がただよっていた。

核兵器禁止条約の批准に43か国が参加。発効には50カ国・地域の批准が必要だそうである。被爆国がなんで批准しないのか。風化することを待っているのであろうか。待っていれば何でも国民は忘れると思われているようだ。

映画『どっこい生きてる』(1951年・今井正監督)。今井正監督の独立プロ第一作目の作品である。

日雇い労働者の生活をリアルに描いた映画である。朝早く駈けてどこかへ向かう人々。公共職業安定所に向かっているのである。そこで一日だけの仕事をもらうのである。一日働いて240円。ところが雇われる人数は決まっているからあぶれてしまう人も多い。

かつては職人を二人置いてオモチャのプレス工場をやっていたこともある毛利は戦争もあり、今は日雇い労働者である。家に帰ると大家が土地の権利を売ってしまったから家を壊すので出てくれとの催促。どうすることもできず妻・さとは子供二人を連れて姉のところへ行くことにする。

毛利は簡易宿泊所に行く。そこには日雇い仲間の花村もいた。求人募集の広告から毛利は旋盤工に雇われ喜ぶが、雇われても月給であるからそれまでが生きていけない。日雇いの仲間の水野に相談に行く。水野は秋山の婆さんに相談。婆さんは仲間を集めて給料日まで貸してやってくれと頼む。皆なけなしのお金を出してくれる。この頃一円も札である。423円集まり、毛利は水野と秋山の婆さん励まされる。

簡易宿泊所では花村も喜んでくれるのである。ところがである。花村がバクチに勝ち焼酎を一升瓶で買いご馳走してくれる。気のゆるみから毛利は酔っぱらい、かつては自分は二人の職人を持つ主人であったと自慢し始める。そして酔いつぶれる。気がつくとお金は無くなっていた。さらに工場にいってみると旋盤工の職もクビと宣告される。

意気消沈して秋山の婆さんを尋ね事情を話すとこっぴどく怒られてしまう。秋山の婆さんは観る側の代弁をしてくれる。観ていて何をやっているのかと思っていた。いまさら主人であったことを自慢して何になる。こういうところがあるのが人間なのかもしれない。

花村がお金になる仕事があると誘う。人の敷地に入って金属を盗むのである。朝鮮戦争特需で金属は高く売れた。泥棒と追いかけられ簡易宿泊所にもどると警察へ連れていかれる。妻と子供が東京に戻って来るのにお金がなくキセルで捕まったのである。姉のところも頼れる状態ではなかった。毛利は一家心中を決意する。花村が分け前のお金を渡してくれた。

最後の贅沢である。子供たちは遊園地ではしゃぎまわる。何んとか思いとどまってくれることを願う妻。そんな時、息子が池でおぼれる。必死に助ける毛利。

日雇いの職安に毛利の姿があった。心配していた水野は毛利を見て笑顔でむかえる。秋山の婆さんの姿も見える。どっこい生きている。

毛利(河原崎長十郎)、さと(河原崎しず江)、花村(中村翫右衛門)、水野(木村功)、秋山の婆さん(飯田蝶子)、大家(河原崎國太郎)、前進座等。

飯田蝶子さんの統率力のあるお婆さん役はいつもすばらしい。リアルで生き生きしていてへこたれない。長十郎さんの気の弱さと、どうやってでも生きていく翫右衛門さんのリズム感ある動きの対象もおもしろい。若い梅之助さんも話し方でみつけられた。

』も『どっこい生きてる』も暗い映画のイメージがあり、気持ちが沈むのではないかとおもいがちであるが、どっこい、当時の映画人の気迫が伝わってくる。そして名もなき人々の支えがどこからともなく湧き出してくる力がみえる。気をもらえる。

ドラマ『半沢直樹』から歌舞伎雑感

堺雅人さんとなればドラマ『半沢直樹』である。続編に入ったが、歌舞伎役者さんが増えて濃い。半沢直樹のあの屈託のない笑顔を奥さんの花ちゃんに向けるのはいつの事であろうか。次回も満面の笑顔は見れない可能性が高い予感。

歌舞伎って隈取が派手で見得を切って顔力が強く、顔で演技するように思われる方も多いかもしれませんが、歌舞伎は身体表現です。顔の演技は抑え気味で、身体全体でその役柄を観せる芸能です。猿之助さんや中車さんも歌舞伎では顔芸はおとなしい。時には新歌舞伎で披露する場合もあるが。猿之助さんは、今回は思いっきり楽しんでいるふしがある。

こちらは「ルフィ~、どこへいったの。もしかしてルフィまでどこかに閉じ込められてしまったのか。伊佐山め!」である。

他に注目度の高いのは、及川光博さんの渡真利である。京マチ子さんの映画を観ていてドラマ『晴れ着、ここ一番』に出会った。及川さんは京マチ子さんの孫で、祖母の教育方針の締め付けから失語症になってしまっている。その役がぴったりで気に入り、偶然テレビで及川さんを見た時は今度はどんな役か注目する。なるほど、微妙な演技差で役柄を現わしていますなと納得している。ただしそのドラマを見続けると言うことは無い。前作の『半沢直樹』は一気に観たので、今回も、半沢直樹を助ける情報源の収集役には満足。

金融庁・黒崎の愛之助さんもこれからの出演なので、どうなることか。ねっちりくるんでしょうね。松也さんを含めてテレビでの演技の濃さは別として自然です。かつては歌舞伎役者さんがテレビに出ると間やセリフ回しに違和感を覚えることもあった。浮いてしまうというか。近頃は浮くどころか鳴門の渦です。

さて歌舞伎は『新版 雪之丞変化』について。このフラウヤーを観た時、中車さんが5役でこれは無理であろうと思った。いくら玉三郎さんが特訓をしてもそれほど簡単に習得できる歌舞伎ではない。さらに、浪路の名前がない。橋蔵さんの映画では浪路は大川恵子さんで、長谷川一夫さんの映画では若尾文子さん。重要な役である。疑心暗鬼のわくわくドキドキ感である。

中車さんの顔が映像で大きく映った時には笑ってしまい納得でした。そうきますか。それなら5役も務まります。顔芸は得意ですから。今まで玉三郎さんと共演して出来上がった役どころは身体と台詞で勤めあげられた。そこらへんは玉三郎さんもぬかりはありません。浪路も役者としては出現しませんでしたが話しとしてはきちんと登場し押さえられていた。

そしてもう一人映画では登場しなかった秋空星三郎の七之助さん。中村雪之丞の玉三郎さんの役者より上になる役者で、色々芸について雪之丞に教えるのである。「はい、はい」と神妙になって聴く雪之丞。七之助さんやりずらいのではと内心思いましたがしっかりと雪之丞に自分の役者魂を伝えてました。

親の仇をとってそこで役者として終わりではなく、その後も役者として雪之丞は立派に精進していくということになるのである。上手く3人の役者さんでまとめたなとの感想であった。ただ名前がないが狂言回しのような役を若い役者さんがつとめられ、なかなかの力演であった。これを書くにあたり捜したら玉三郎さんが語られていた。その中でお名前を知りました。(鈴虫・尾上音之助、坂東やゑ六のダブルキャスト)どちらの方だったのかはわからないのであるが、いいお役をもらったとおもいます。

玉三郎が語る、『新版 雪之丞変化』|歌舞伎美人

新版 雪之丞変化』が昨年の8月なのである。ふり返ってみればコロナのこの時代、出演人数を制限しての新作歌舞伎がすでに試みられていたと言うことになる。昨年は若い役者さんも沢山出演されていた。

その後、染五郎さんと幸四郎さん、團子さんと猿之助さんは、『連獅子』に挑戦された。染五郎さんはそのたくましさにいまだにあれは染五郎さんのバーチャルとしか思えないのである。友人が染五郎さんがテレビに出ているのを見て色気があるという。舞台ではおっとりとしたマイペースかなと思っていて色気は感じられなかった。見方はさまざまである。そこで、『連獅子』を勧めたら大満足で観劇後はいつものところでカンパイだったそうである。

團子さんと猿之助さんの『連獅子』を観た友人は感想のメールがこない。2日後に会う予定なのでと会ったとたん開口一番「メールではなく直接言いたかった。年齢的にも最強の組み合わせ。」と超興奮であった。こういう時は勧めた方も一安心である。「いつもの『連獅子』と違っていたわね。」澤瀉屋型である。この二つの『連獅子』を並べてシネマ歌舞伎かDVDにしてほしいものである。こういう時代なのでDVDがいいですね。

前回の『半沢直樹』を観ていた友人は、2019年6月の『封印切』の丹波屋八右衛門の愛之助さんについてドラマと重なったみたいである。黒崎のねちねち感が八右衛門にも出ていて押さえた演技でよかったとのこと。わたしは悪くはないが、八右衛門の我當さんのあのテンポの可笑しさと憎たらしさにはかなわなかったと。友人は我當さんのは観ていなかった。ドラマって見る眼に影響するのだと知る。

女車引』は初めてで、松王丸の妻・千代(魁春)、梅王丸の妻・春(雀右衛門)、桜丸の妻・八重(児太郎)の舞踏なのである。児太郎さんが魁春さんと雀右衛門さんに囲まれて大丈夫であろうかと少しはらはらして観ていたが、なかなかしっかりとつとめられていて次第にゆったりと鑑賞した。友人は、雀右衛門さんの後ろの襟首に色気を感じてずっと雀右衛門さんを眺めていたそうである。これまたそれぞれの見方で面白い。

壽式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』は、松江さんの千歳が抜群に良かったと一致。松江さんはこういう雰囲気が合っているのかと再認識。幸四郎さんと松也さんの三番叟は、やはり踊り込んでいるかどうかの差が出たと思う。松也さんは少しテンポが遅れていた。幸四郎さんは、操り三番叟の動きが所々で垣間見えていた。踊りは役者さんの踊り方があって、その踊り方が好きというお客さんも多い。たとえば松緑さんはきちんと基本が決まっていて好きであると言うお客さんの声をきいたことがある。友人も幸四郎さんの踊り方も好きで松緑さんの踊り方も好きだという。

吉右衛門さんと仁左衛門さんは別格。そんな感想を勝手気ままにしゃべりまくるのも観劇の楽しさである。出来れば数日おいてしゃべる方が冷静になって話題が増える。

生の身体表現がみたくなる。八月の歌舞伎座は迷いが増す。無事に迎えて無事に終わって欲しい。

映像ではドキュメンタリー『マイヤ・プリセツカヤ』が神業であった。こんなバレエであったのかとじっくり観れたことに歓喜である。これからも映像での時間が続く。DVDの紹介にアニメ映画『ワンピース フイルム ゴールド』が映った。これ観なくては。そして『ワンピース フイルム ゴールド』映画連動特別編『シルバーマイン』があった。さあこれからかたずけなければ。

半沢直樹がんばれ! 奥の手は伊佐山へのルフィからのパンチと大和田のポケットに新種の昆虫をもぐりこませること。

テレビドラマ『BG~身辺警護人~』の最終回に海老蔵さんが出演とのこと。観た事が無いので最終回みてみよう。テレビ朝日 30日(木)夜9:00~

追記

歌舞伎座の中の観劇は安心です。松竹さんも最大限に注意されています。その前から行き慣れた劇場ですので、一幕で休憩も無いので静かに入って静かに去ればいいことと思っていました。多分観劇されるお客さんは、そこまでの行き帰りの途中と道を検討されると思います。車でいければ安心度は高いです。そうできない時は悩みます。外にいる時間の長い、人との接触の少ない移動を検討。そのため乗る電車のいくつかのシュミレーションを検討。あとは暑くなりますので観劇者の自己体調との対話です。家を出て家に帰るまでが、今は観劇の作法ですから。

これからの観劇の一つの目安となることを願っています。

追記2

5日の歌舞伎座の三部が公演中止になったようです。即対応されました。舞台関係者の方々が自分の体調について言いやすい環境であってください。今はそれが大切です。この時期の重圧に押し潰れませんように。

追記3 歌舞伎、演劇など無観客舞台無料配信や動画などで愉しませてもらい、愉しませてもらっている。近頃あやしいコロナの動きなので、無観劇観客へ方針転換も考慮し始める。そこにいなくても誰かが潜んでいます。夏の怪談話。ただし、おあしは払いましたので足はあります。油断大敵。

劇映画『沖縄』・ドラマ『ニセ医者と呼ばれて~沖縄・最後の医介輔~』

劇映画『沖縄』(1970年・脚本・監督・武田敦)が、DVD化されていて観ることができた。沖縄のアメリカ軍統治下時代の映画は観ていなかったのでとても参考になり勉強になった。戦争の悲惨さは映画『ひめゆりの塔』などで観ていたがその後から日本復帰までは実感として自分の中では希薄であった。

山本薩夫監督が製作にあたっている。山本薩夫監督の映画の中でストーリー性があり印象的な作品も多く、『華麗なる一族』(1974年)、『金環食』(1975年)、『不毛地帯』(1976年)などは豪華俳優陣で俳優さんたち一人一人の演技をみているだけで惹きつけられ、さらにドラマ展開に釘づけにさせられる。

武田敦監督は、主に山本薩夫監督に師事していて、初監督作品は『ドレイ工場』(1968年)である。劇映画『沖縄』でメッセージが映る。「この映画は、『ドレイ工場』の土台の上にみんなでつくりみんなでみる運動としてさらにひろい人々によってつくられました。」

ドレイ工場』には次のようなメッセージが映る。「この映画は、1000をこえる団体と個人の呼びかけによって10万人の労働者が資金をだしあい、専門家と一体となってつくりあげました。」

劇映画『沖縄』に入る。<劇映画>としているのは、沖縄の歴史的事実を調べましたが、実証を細かくやっていくのは時間のかかることなので、<劇映画>と規定しますとの製作側の誠実さのように思える。この映画をもとに知りたければ各自が書物などで調べてみるのもよいであろう。

映画は第一部「一坪たりともわたすまい」(昭和3X年)、第二部「怒りの島~太平洋のかなめ石~」(昭和4X年)からなりたつ。一部の十年後が第二部の時代設定で、父母時代から父母の背中をみて育った子供世代に話は進んでいる。

第一部は、アメリカ軍によってアメリカ軍用地として沖縄の人々の農地が強制接収されてしまう。一応借りると言うことであるが、煙草10円の時借地料は、ひと坪当たり1年間1円8銭である。代替地は石と砂利でさとうきびも育たないようなところで、代わりに軍の従業員として雇ってくれるという。

主人公の三郎(地井武男)は、20歳前で軍の従業員としても雇ってもらえず、アメリカ軍の物資をかすめ取ったり、危険を犯して基地内の演習後の砲弾の空やっきょうを盗みだしたりして生活費をかせいでいる。母とアメリカ人との間に生まれた弟と祖母を抱える朋子(佐々木愛)も野菜を売ったり、基地内の演習後の弾丸のやっきょうを集めてひたすら生活のために働いている。

父母世代は、農地を取り戻そうと闘う者と、アメリカ軍関係から残飯を払い下げてもらい家畜会社を設立する者など、それぞれの生き方が別れていく。一坪運動の中心になっているのが中村翫右衛門さんでまったく力の入らない演技と語り口でありながら存在感がしっかりしていて、抵抗する者の土着性を現わしてくれる。新しい事業を起こすのが加藤嘉さんで、その狡猾さも時代に乗ろうとする生き方のひとつであり、息子をアメリカ留学させるという目標もある。

朋子の祖母は、基地の鉄条網のすぐそばに借りた畑を細々とたがやしている。演習の飛行機が飛べば身をこごめる。そしてその実弾射撃演習の弾をを受けて亡くなってしまう。基地の中にある先祖伝来のお墓に骨を埋めて朋子と弟は親戚に引き取られ、若者たちもそれぞれの道を歩むのであった。

第二部では、若者たちの10年後である。三郎は、軍用地の従業員として働いていた。従業員たちは組合を結成していた。ベトナム戦争もあり、従業員たちの仕事は残業続きで危険性もあった。そんな中で三郎は朋子と再会する。彼女はスクラップを集めて売る仕事を立ち上げたくましく成っていた。

父と一緒に一坪運動を続けた息子は、買い取った土地にサトウキビを植えていた。アメリカに留学した息子は、高校の教師となって赴任してきた。三郎は朋子の弟のわたるとも再会する。わたるは高校三年生になっていた。わたるは、スナックをやっている母と一緒に暮らしたくないので朋子の元には帰らず、山城運輸でアルバイトをして学校は長期欠席である。担任になったのが新興企業のアメリカ帰りの山城の息子であった。

三郎は、パスを取り上げられ働けなくなった二人の従業員の嘆願をする。ところが助ける条件としてアアメリカ軍側は三郎に組合の情報を提供するように持ちかける。三郎は拒否するが、朋子を手伝った密輸の現場写真を突き付けられる。船をかした仲間も同罪だとおどされる。組合はストを計画していて三郎は苦しい立場に追い込まれる。

わたるは青信号で渡ったのにアメリカ軍の自動車に轢かれてしまう。その車には拘束された三郎が乗っていた。目撃者の山城教諭は軍の裁判で証人として立つが認められず運転していたアメリカ軍人は無罪になってしまう。山城教諭は沖縄の現状を知る。

三郎は解放され彼のおかれた立場も仲間に理解されストに参加する。そこで三郎はかつてつるんでいたひろしに再会する。ひろしは一家でアメリカのボルネオに移住したが沖縄に戻っていた。7年間働いて貯めたお金を強盗によって奪われ、父母は殺されていた。ひろしの旅券は、琉球人と書かれ、発行責任者はアメリカ高等弁務官で、どこの国の保護も受けられない無国籍者で、どんな目にあわされても泣き寝入りだと泣く。山城も他の教員と共にストの応援にかけつける。

ストは大きな流れとなってうねりはじめた。それはアメリカ軍基地の完全撤去、沖縄の即時無条件全面返還要求の声となり、沖縄の本土復帰への道へと続く。その時沖縄と本土は一つとなっていた。

地井武男さんの映画初主演作品でもあった。演技がしっかりしていて、あの人なつっこい笑顔がやるぞーという元気を与えてくれる。朋子の佐々木愛さんは細い体でありながら何回も打ちのめされながらも立ち上がる芯の強さをみせる。三郎と朋子は寄りかかり過ぎず上手い具合に呼応し爽やかなコンビで前に前に進む。当時の沖縄の現状がよく映し出され、では現在はという問いかけをも観る者に考えさせる。

もう一つの作品はテレビドラマで『ニセ医者と呼ばれて~沖縄・最後の医介輔~』(2010年・脚本・遊川和彦、演出・国本雅広)である。

<医介輔>とは初めて聴く言葉である。沖縄は1945年、アメリカ軍に統治され日本から引き離され、深刻な医師不足であった。アメリカ国民政府は医師免許を持たない医療従事経験者(戦争中の衛生兵等)を離島や無医村地区に<医介輔>として医者の代わりに派遣したのである。

1951年に実施された試験に合格した126名の医介輔の方々は地域医療をささえることに一生を捧げられたのである。但し医者ではないので医療機器や薬などは限定され、何かあれば町の病院に回すということになる。それは医者でもそうしたことはあるが、<医介輔>ということで、患者さんの自分を見る眼を意識し、心のどこかに負い目があったようである。

実際に診療にあたっていた医介輔・宮里善昌さんをモデルにしてつくられたヒューマンドラマで、宮里さんは、60年間、87歳で引退するまで勤め上げられ沖縄最後の医介輔の道をまっとうされた方である。

宮前良明(堺雅人)はいつも患者に笑顔で接している。それは患者さんにとっては安心感を与えるものである。だが同時にそれは宮前医介輔にとっては、ニセ医者として思われているように感じている彼の心の闇を隠す笑顔でもあった。

診療所は小さく、時間があれば自転車で布袋にわずかな医療器具などをつめ往診にまわり村の人々の心の支えであった。農地をアメリカ軍に接収された患者もいて診療代を催促できず貧乏で、それを支えているのが妻のハナ(寺島しのぶ)であった。

娘が学校で作文にお父さんの職業を医者と書いて皆にニセ医者といわれ傷つく。ハナはニセ医者ならどうして診療所に毎日あんなに沢山の人がくるのかと説明する。心の内を明かさない夫をハナはじっと見つめているだけであった。

そんな時一人の妊婦・仲間由美(尾野真千子)が診療所にきて宮前医介輔は自分の心の闇と由美の闇を共有することになる。それはとてつもない闇を引き受けることになるが、いつかは白日の下に姿を現すことであった。悲しい結末となり、宮前医介輔はこの仕事を辞めると決心する。それをくつがえさせたのもハナであった。

町の病院に患者に付き添っていっても小さくなっている宮前医介輔と、村人に信頼されている宮前医介輔のいつも笑顔であるのが何ともつらくなるが、心から笑える日もおとずれるのである。そんな医介輔の複雑な心境を堺雅人さん流の笑顔の演技が效を奏している。本当の笑顔を引き出させるまでじっと見ていた寺島しのぶさんのハナさんの胆力も相当である。

沖縄の歴史の中で様々な事情がありその中で生き抜いてきた人々が映画やドラマなどフィクションの世界でも語られることは知らなかった者にとってはありがたいことである。美しいところだけに隠され続ける闇はその美しさと対等に語りつがれることが大切である。

追記

ドキュメンタリー映画『米軍が最も恐れた男 ~その名はカメジロー~』(2017年・佐古忠彦監督)。沖縄のジャーナリストで政治家であった瀬長亀次郎さんの生き方をえがいている。戦後のアメリカ統治時代からのことがよくわかる。アメリカは分析している。弾圧することによって瀬長亀次郎を英雄にしてしまったこと。

日本映画専門チャンネルにてドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』(2018年・三上智恵、大矢英代監督)。陸軍中野学校出身者が指揮した沖縄戦での少年兵の事、住民を守るのではなく秘密保持のために犠牲にしていく過程などを沖縄県民は話す。この時代まで知られなかった事実を知ることができる。話す方々の長い沈黙の時間と、死して語ることのできない魂が重なり合ったのである。

暑い夏に放送される番組は一から考えさせてくれます。

https://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10009159_0001.html

映画『箱根風雲録』

映画『箱根風雲録』は、箱根用水の完成までを描いた作品である。箱根の西側の三島は水がないため稲作ができなかった。そのため箱根の芦ノ湖から湖尻峠を掘り進め芦ノ湖の水を三島に通すことを考える。これが箱根用水である。箱根用水が出来上がるまでの農民や民衆そしてそれを請け負った浅草の商人・友野与右衛門と村の名主・大庭源之丞を中心とした人々の苦難の道のりが時代劇として描かれている。

前進座が新星映画社と提携して1952年に山本薩夫監督(原作・タカクラテル『ハコネ用水』)で制作している。

時は徳川四代将軍家綱の時代である。友野与右衛門は、商人でもあるのでこれが成功すれば新田開発にもなると考えていた。芦ノ湖側と三島側の両方から掘り進めて、貫通するようにした。よく江戸時代にこれだけの土木事業ができたものである。

ところが幕府としては民間人が成し遂げては幕府の失墜とばかりに色々邪魔をする。与右衛門にいわれなき罪をかぶせて捕えようとする。その時助けてくれたのが、野盗の蒲生玄藩である。玄藩は与右衛門の土木の腕と農民たちをまとめる力を見込んで幕府を倒すため仲間にならないかと誘う。与右衛門は断り自分の仕事に没頭する。

しかし、工事は難航し資金の援助も絶たれる。賃金をもらえない農民や民衆たちの気持ちが土木工事から離れ始める。与右衛門の妻・リツは江戸へ金策にでかける。リツは浅草の家屋敷を全て売って帰って来る。そして自分たちの家はここである。ここが自分たちの骨をうずめる場所であると皆に伝える。与右衛門も始めた時お金儲けも考えていた自分を恥じた。再び皆工事に励んでくれる。

今の箱根神社は箱根権現といわれそこの快長僧正も与右衛門を応援してくれ力となってくれた。かつては芦ノ湖の水利権は箱根権現社が所有していたわけでそこのトップである快長僧正の協力を得て後ろ盾となってくれたことはありがたい事であった。しかし快長僧正は京都のお寺に左遷されてしまう。トンネルは水が出たり難題ばかりである。トンネルの中では与右衛門の闘う姿に動かされた玄藩がそっと隠れて工事を手伝っていた。

三年の月日がたちそろそろ両方のトンネルが合わさるときが近くなった。そんな時にまたまた与右衛門は役人に捕えられてしまう。牢から与右衛門はトンネルが貫通した知らせの狼煙を待っていた。玄藩は一味を従え役人たちと一戦交え討死してしまう。

トンネルが貫通する。農民たちは大喜びである。狼煙が上がった。感無量で狼煙を眺める与右衛門。背後から悪の刃が。与右衛門は無念の最後を遂げる。何も知らずに農民たちは流れる用水の後を追う者、用水の中に入いる者等喜びをかみしめていた。

与右衛門がどんな商売をやっていたのかわからないのであるが、新田開発を考える人であるから測量などの出来る人である。映画の中でもひたすら図面を広げ資料を調べて熟慮している。両方から掘り進んでそれを合体するなど思いもよらないことを与右衛門は自信をもって進めている。そのトンネルの合体が1メートルの違いということであるから驚くべきことである。

実際には、芦ノ湖の水を静岡県の深良川に合流させ、正式には深良用水(ふからようすい)とされる。大庭源之丞も深良村の名主である。三島は富士山の水がきていた。「メモ帳 5」でも三島の「楽寿園の庭園の池はかつてはたっぷりと富士山からの水で満たされていた」とある。ところが富士山に近い麓は表層部が火山灰を含む地質で水もちが悪かったということである。(深良村は現在、静岡県裾野市)なるほどである。

前進座の役者さん総出演である。友野与右衛門(河原崎長十郎)、蒲生玄藩(中村翫右衛門)、快長僧正(川原崎國太郎)、大庭源之丞(瀬川菊之丞)で、その他、女優陣には友野与右衛門の妻・リク(山田五十鈴)、蒲生玄藩の情婦・サヨ(轟夕起子)、トラ(飯田蝶子)らのベテランがそれぞれの立場を演じている。

DVDには中村梅之助さんのインタビューもあり、トンネルのセットは前進座の庭に設置され撮影は寒い時期で水が冷たかったらしい。梅之助さんは体調を崩しそれでも現場に行こうとしたが、病気を治すのが一番だと翫右衛門さんに止められたとか。梅之助さん、座員一同頑張っているので自分が歯がゆかったのであろう。

時代劇としてスペクタルな面も加えた映画になっている。色々検索して位置的な関係もはっきりし、映画からは江戸時代に機械もなく手で成し遂げた凄さを見せてもらった。また一つ整理できました。

ひとこと・映画『イエスタデイ』

たのしくて、おかしくて、ビートルズが聴きたくなり、そして深い映画。『イエスタデイ』(2019年)。発想に先ず驚く。ばかばかしくなりそうなのにそうはおもわせず上手い。ビートルズの歌ってこんなにもよかったのか。そして、主人公がビートルズの曲名をメモに書いて張り出すのだが、時期的に「香港のレノン・ウォール」と重なってなんか深いところへもさそってくれた。コメディ度も優秀な高さ。

映画『リヴァプール、最後の恋』からグロリア・グレアム出演映画(5)

グロリア・グレアムさんも今回が最終章でしょうか。映画『復讐は俺に任せろ』(フリッツ・ラング監督)のデビー役はこの人あっての映画と思わせてくれた。ギャングの情婦の役であるが、身体表現のリズム感が何とも言えないのである。この映画のグロリアは『リヴァプール、最後の恋』のグロリア役のアネット・ベニングの表情と一致するところが多い。生き生きとしていて、演じている感の無い自由さがあって魅力的である。

記録係りの警察官・トムが自殺する。その担当となったディヴ警部(グレン・フォード)は何かがあるとにらむ。ところが警察の上層部も署長もディヴが深入りすることを許さない。町を牛耳っているギャングのラガーナと警察とは癒着していたのである。さらに自殺したトムの妻が夫の握っていた遺書の情報でラガーナをゆすっていた。

最悪なことに、ディヴの最愛の妻が自家用車を爆破され亡くなってしまう。ディヴは警察を辞めて復讐へと立ち上がる。そんな時ラガーナの子分であるヴァンスの情婦であるデビ―(グロリア・グレアム)はディヴと出会い、その男気に魅かれる。そのことを知ってヴァンスは激情し、熱いコーヒーをデビ―の顔にかける。火傷をおったデビ―はディヴのところへ助けをもとめる。そして自分の知っている人間関係を話すのである。

ディヴは妻を殺した犯人に復讐し、自殺したトムの妻も殺害しそうになる。なぜなら、トムの妻は自分のつかんでいる遺書を自分が死んだら新聞に発表するように手はずしていたのである。ディヴに代わってデビ―がトムの妻を殺し、さらにヴァンスの顔に熱いコーヒーをおみまいする。しかし、ディヴが駆けつけた時にはデビ―はヴァンスに撃たれていた。救急車に連絡し、ディヴはヴァンスを追い詰めて捕まえ警察にひき渡す。

デビ―は瀕死の中でディヴに亡くなった奥さんの事を話してくれという。ディヴは奥さんの様子を話す。観客は仲の良かった二人の様子を見ているから、そうだよなあと思って聞いている。

デビ―は「良かった。仲よくなれそう。」といって亡くなるのである。オシャレな言い方である。私も復讐を手伝わせてもらった甲斐があったわ。あちらの世界で会うのが楽しみともよみとれる。グロリアのデビ―がいなければこれほど面白い映画にならなかったであろう。『孤独な場所で』では、ローレン・バコールならと思ってしまった。申し訳ない。

次の『仕組まれた罠』(フリッツ・ラング監督)は『復讐は俺に任せろ』と同じ監督で、主人公もグレン・フォードである。グロリアの役柄は、悪女ということになる。映画の始まりが列車の走行場面で外の景色が飛び、グレン・フォード(ジェフ)が機関士として運転していてスピード感があり期待を持たせてくれる。列車は終着駅に到着する。その駅に勤務する鉄道員が関係するのである。操車場なども映り目新しい場面である。

この映画は、殺人が列車の客室で起こり、最後にグロリア(ヴィッキー)が夫(カール)に客室で殺され、列車が重要な役割を果たしている。問題のある夫婦にジェフが巻き込まれながらも二人から上手く逃れることができたという筋立てである。それを仕組むのが美貌で若い妻のヴィッキーである。ヴィッキーの語りを信じれば子供の頃から苦労してそこから何とか這い上がろうとする生き方にも同情できる。ジェフも同じ気持ちであったが、夫殺しにまで手を染める程ジェフは正常心を失ってはいなかった。破滅はカール夫婦のみで終了となる。

面白い場所設定であるし、ジェフが帰還兵で戦争での殺人と一般人の殺人についてもからませているが、話しの展開としては単純である。グロリアの熱演が生きなかったのが残念。『復讐は俺に任せろ』と続けて観たので肩透かしの感じであった。

2017年の7月から8月にかけてシネマヴェ―ラ渋谷で上映した『フイルム・ノワールの世界Ⅱ』のフライヤーが出てきた。その時はフイルム・ノワールには興味なしである。そこに書かれているフイルム・ノワールの定義を紹介しておく。

「フランスの映画批評家のニーノ・フランクが、『マルタの鷹』など第二次世界大戦中アメリカで作られた犯罪映画をこう呼んだことが始まり。多くは低予算のB級映画として製作され、上映時間や俳優の起用に厳しい制限があった。

ドイツ表現主義にも通じる影やコントラストの強調、夜間ロケーションを多用したモノクローム映像、モノローグや回想による時系列が錯綜した物語展開などが特徴。ファム・ファタール、私立探偵、警官、ギャングなど、一筋縄ではいかない登場人物たち。彼らの相互の裏切り、それに伴う殺人、主人公の破滅が、しばしば映画のストーリーの核となる。」

ラストはミュージカル映画『オクラホマ!』(フレッド・ジンネマン監督)である。叔母と二人で大草原に住む娘・ローリーが、恋人のカウボーイ・カーリーと横やりが入りつつも結婚にこぎ着ける。手伝いのジャッドが嫉妬から二人を殺そうとするが、反対にカーリーに殺されてしまう。判事がいたので急遽裁判となり、自己防衛とされ、二人は無事新婚旅行へ向かう。明朗快活な作品である。グロリアのアニーは、言い寄られるとすぐ心が動いてしまうという三枚目役でコメデイータッチの花をそえている。シャーリー・マクレーンに似ていた。

映画はちょっと長すぎるなの感想である。前半のクレモア駅でのタップがたのしい。若者たちがお祭りに行く途中でローリーの家に寄り、娘たちは身なりを整えたりする。その時の娘たちのダンスが、バレエの基本がしっかりした人たちで振り付けも面白かった。残念ながらその後、心惹かれるダンスは無かった。明るく楽しく鑑賞しましょうと言ったところである。

グロリア・グレアムさんは、8本の映画でも様々なキャラクターの人物を演じていて、演じるのが好きで、最後まで演者として全うされた女優さんであったというのが結論である。

追記 

映画『拳銃の報酬』(1959年・ロバート・ワイズ監督)が観れた。出だしの光の陰影、反射の映像に見とれてしまう。フイルムノワールである。三人の男が銀行強盗を計画し実行する。刑務所帰りの元警察官パーク(エド・ベグリー)、前科者で情婦・ロリーに食べさせてもらっているスレイター(ロバート・ライアン)、博打好きで借金だらけの酒場の歌手ジョ二ー(ハリー・べラフォンテ)。ハリー・べラフォンテの歌う場面がさすがである。

スレイターは人種差別意識が強くでジョ二ーとの仕事に難色をしめすがパークがなだめて実行へ。しかし、スレイターとジョ二ーの気持ちのづれが失敗へと導く。パークは警官に撃たれて死亡。ジョ二ーはスレイターのやり方に怒り彼との銃撃戦へ。ラストが壮絶。途中のテンポにだらける部分があるのが残念。

グロリア・グレアムはスレイターと同じアパートの住人でロリーとも付き合いがある女性ヘレン。スレイターに挑発的な色仕掛けを。ロリーは情のある女性で、ジョーの別れた妻も子供を育てるしっかり者である。そんな中で、違うタイプの女性を登場させている。その役目をグロリア・グレアムははたしている。

ウエストサイド物語』「サウンド・オブ・ミュージック』がロバート・ワイズ監督だったとは。さらに『市民ケーン』の編集をしている。驚きである。グロリア・グレアムさん、たくさんの情報をありがとうございます。