4月4バージョンの旅・B

  • B・歌舞伎関連バージョン/ 嵯峨野線の終わりが園部駅で、終わりと言っても山陰本線に続いているのですが、その園部に日本最古の天満宮『生身天満宮』があります。菅原道真公をご存命中から御祭伸としてお祀りしたので「生身(なまみ)」と称したのです。
  • 月刊社報の説明によりますと、かつて園部の地に、菅原道真公の邸殿があり、当時、園部の代官だった武部源蔵は京都からこられる菅原公と交流がありました。太宰府左遷のおり、菅原公は八男慶能君を隠し育てるように源蔵にたくします。源蔵はこれを引き受け、菅原公の姿を御木像として刻み、ひそかに祠を建てお祀りしました。生祠(いきほこら)で、これが『生身天満宮』の始まりで、武部源蔵は、当宮の始祖なのです。
  • 歌舞伎『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』では、武部源蔵は寺子屋の先生で、菅原道真公も学問の神様です。そういうことが関係するのかどうかわかりませんが、園部駅から学校が多いです。『生身天満宮』まで歩いて15分くらいですが、静かな田舎の登り坂、下り坂の道で土地としては狭いのですが、新しい学校が建っていて珍しい風景でした。小高い上にお城の櫓がみえ、行きませんでしたが園部城のようで、高校の敷地にあるのだそうです。
  • 生身天満宮』鳥井前に一つだけ大きな常夜灯があり、もしかすると道をつくるか何かのために一つだけ残ったのかもしれません。表参道の左手には厳島神社国定国光稲荷神社がありました。

 

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  • 生身天満宮』に進みますと上の本殿を拝する所に屋根があり腰かけもあり、御神楽の舞台でしょうか、そことつながっていて珍しい形でした。当然使いの牛があり頭をなでなで。社務所にここを訪れたかたの情報が掲示されており、猿之助さんも亀治郎時代にテレビ番組で来られていました。松也さんもお詣りに来られています。武部源蔵を祀る『武部源蔵社』とお墓もあり、やはり歌舞伎、文楽などにとっては縁の濃い天満宮と言えます。

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  • 武部源蔵を祀る『武部源蔵社』とお墓もあり、やはり歌舞伎、文楽などにとっては縁の濃い天満宮と言えます。

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  • 駅にもどると裏山に樹木の字が。「子のべ」? 「そのべ」でした。頭に浮かびました。「子らよ学べそのべの地」。駅で観光パンフをゲット。園部から美山への周遊バスがあるのを知りました。美山へは観光バスで行きましたが違う方法もあったのです。

 

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  • 嵯峨野線で京都へもどる途中、せっかくなので保津峡で降車。水尾川にかかる赤い保津峡橋を渡り上から保津峡駅と保津川をながめる。徒歩でトロッコ保津峡駅まで15分、ゆずの里水尾まで一時間、鳥居本まで一時間の案内表示あり。歩けそうななコースである。

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  • 亀岡駅から保津峡駅まで「明智越ハイキングコース」がある。明智越えは光秀が京都の愛宕山に参籠した時通った道で、これは3時間30分(10キロ)できつそうである。亀岡には、元愛宕と呼ばれる愛宕神社があり、京都の愛宕神社はここから勧請(かんじょう)されたとしている。光秀が京都の愛宕山で詠んだ句「ときは今あめが下たる五月かな」。歌舞伎の『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』では実悪の美しい武智光秀である。紫紺の衣裳がこれまた色香があり恰好いいのです。黒もあり、色によって印象が違うのも面白いです。
  • 大阪の歌舞伎関連場所は、行けそう出て行けなかった、「合邦辻閻魔堂」である。天王寺上町台地の一心寺と天王寺動物園そばの天王寺公園北口信号の歩道橋下にあった。そんな大きな道路に面しているとは思わず、松屋町筋のどこか路地のなかと思ってしまい、地元の人に尋ねたら、「こちらにいらっしゃい。あの歩道橋の下にありますよ。」と教えられる。地下鉄恵美須町駅からきて申し訳ないことに見事通りすぎていた。「浪花名所 合邦辻閻魔堂」の石碑は見落としても「玉手の碑」に目もくれなかったとは嘆かわしい。時間的に戸は閉まっており、またのお出でをということでしょう。歌舞伎『欇州合邦辻(せっしゅうがっぽうつじ)』の玉手は時間の要する役で、そろそろ次世代もじっくり取り組んでいただきたい役である。

 

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  • 新世界に寄ると、「グリル梵」の広告板がすぐ目に入った。チョッパーがささやいた。お肉食べて。席が空いていた、ラッキー。新世界が本店というのがいい。カレーにする。よかった!お腹がすいていたのでカツともども完食できた。仁左衛門さんのサイン色紙があり、十三代目に見えてしまいご主人にお聞きすると十五代目さんでした。お付き合いが長く、楽屋で書いていただいたそうです。目の焦点の悪さは、他のサイン色紙がどなたのものか全く判別できませんでした。どうやら、谷崎潤一郎さんの『盲目物語』あたりの引きが強いのかもしれません。

松竹座『ワンピース』歌舞伎

  • 猿之助さん・ルフィの復帰航海はやはりこの眼で確かめなくてはと大阪松竹座へ電車の旅。まだ痛みや、不自由さがあるのでしょうが、そんなことは忘れさせてくれる全開の猿之助ルフィでした。ルフィはやはりゴム人間だ!ただひたすら楽しませてもらいました。

 

  • 松竹座は空間が狭く芝居小屋という気分にもさせてくれる。松竹座の周辺が、芝居小屋の前という賑わいでワンピース歌舞伎の世界と拮抗しているのが大阪ならではの空気である。商店街の歩く場所に座る場所が設置されているのが、人の波に疲れた人に優しい。おみやげ店が面白い。日本一小さな金平糖があった。フエキ糊の赤いお帽子、黄色いお顔、おめめクリクリの容器に薬用クリームを入れて売っていた。糊と間違えそう。道頓掘に着手したのは安井道頓で、テレビドラマ『けろりの道頓 秀吉と女を争った男』で知る。

 

 

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  • さて音楽が始まるともう『ワンピース歌舞伎』の世界で、そうそうこの感覚。観客の多くがよく知っていて幕が開くともう大きな拍手である。支配人ディスコの第一声のタイミングが難しいくらい。ルフィ登場。空白時間がなかったような継続感。今回は、ルフィが猿之助さんと尾上右近さんのダブルキャストで、イワンコフも浅野和之さんと下村青さんとのダブルキャスト。そのため4バージョンあるのだが、猿之助さんと浅野和之さんのAバージョンのみの観劇。残念であるが、自分の旅もあるので我慢。基本をもう一度。

 

 

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  • <女ヶ島・アマゾン・リリー>では、過熟女の観客の笑い声が。もちろんこちらも負けてはいない。メロメロメロ・・・・。大向うさんの掛け声もさわやかで、エースの登場の<平!>では切れが良く気持ちがよい。<ニューカマ―ランド>では、イワンコフの台詞を聴きつつ笑い、即集中しまた笑う。焼き鳥の台詞あったけ?しぐさに爆笑。蚊、カ、か ~ ~ ~。何回観ても笑わせられる。美女軍団も乗りに乗っている。下村青さんはどうされるのか興味津々。

 

  • ファーファータイムも、待ってましたの時間。上手くはまってしまってなくてはならない世界になってしまった。「ゆず」の『TETOTE』の歌もさらに乗りやすく歌いやすく響く。時間が経つにしたがって一層気持ちにぴったりしてくるから不思議。運命は不思議だね。猿之助さんにとっては手のうちであったのか。

 

  • 海軍本部と海賊団の闘いも見どころ満載で、紙吹雪も劇場いっぱいに乱れ飛ぶ。下からささえるアクショングループの切れの良い動きに、役者さんも負けじと大作烈。そんな中で、白髭の海賊団の家族としての複雑さと想いもきちんと伝わってくる。ルフィとエースの絆も台詞の力の入れ方抜き方が前よりも心地よく伝わってくる。役者さんが交代しても、基本は変わらず楽しみが加わる再演舞台となった。

 

 

3月 歌舞伎座、国立劇場・歌舞伎

  • 3月ももうすぐ終わってしまう。急がねば。映画『ウィンストン・チャーチル』での特殊メイクアーティスト・辻一弘さんに触れたが、今月の歌舞伎座で驚くべき変身ぶりのかたがいる。松緑さんである。美しい白拍子桜子になって登場する『男女道成寺』。昨年の11月国立劇場での歌舞伎公演のトークショーで、もし女形でしたらどんな役をされたいですかと聴かれて、考えたことがありませんと答えられていたので、本当に松緑さんなのと思ってしまった。

 

  • 男女道成寺(めおとどうじょうじ)』は、<四世中村雀右衛門七回忌追善狂言>で、現雀右衛門さんがお父上と『二人道成寺』を踊られ、どちらを観ればと迷ったが次第に四世雀右衛門さんを観ることになってしまった。御高齢なのに可愛らしいのである。現雀右衛門さんは、四世さんよりも近代的な可愛らしさで可愛らしさだけでは終わらない自意識が感じられる。桜子は実は男で狂言師左近であることがわかってしまい、男と女ということになるので、それぞれの踊りを安心して楽しむことができた。

 

  • 今回は2月に続いて名コンビの出演なのであるが、このコンビもよかった。『芝浜革財布(しばはまのかわざいふ)』での芝翫さんと孝太郎さんである。よく知られている落語の『芝浜』であるが、魚屋政五郎(芝翫)と女房・おたつ(孝太郎)のやりとりが自然で、動きも無理がない。働かない政五郎のダメさ加減、それをささえる女房。店を構えてからの女房・おたつのおかみさんとしての落ち着き。こせこせしていない政五郎。この変化も安心して見せてくれ芝居の中に誘いこんでくれる。

 

  • 財布を拾って気持ちが大きくなり近所の仲間と飲み騒ぐが、橋之助さんと福之助さんの演技にこれまた演じているというとげのようなものが消えその場に合う芝居になっていて、襲名披露公演での舞台回数が血となり肉となった結果を見せてもらえた。

 

  • 国姓爺合戦(こくせんやかっせん)』は明国が韃靼(だったんこく)に滅ぼされ、明国再興をかけて親子三人が他国へ渡るのである。和藤内の父・老一官は明国のひとで、明の皇帝にさからい日本に逃れ日本人の渚と結婚し、和藤内がうまれる。明が韃靼(だったん)に滅ぼされ何とかしたいと三人は韃靼国に到着する。老一官は自分の娘・錦祥女(きんしょうじょ)が獅子ヶ城主・甘輝(かんき)の妻になっているので助力を頼む。

 

  • まずこの親子関係を理解しなくてはならなく獅子ヶ城楼門まえでの解説的芝居となる。老一官の東蔵さんの台詞がとつとつと語りきかせ、錦祥女の扇雀さんが親子の対面を感動的にする。次に義理の母親・渚の秀太郎さんが情と毅然さをもって自分を縛らせ城の中へいれさせる。ここまでが、力のない人が演じるとだれてしまうがきっちりと芝居を運んでくれた。この後は、夫(芝翫)が和藤内を助けやすいように自害する錦祥女。それをみて一人死なせてなるものかと自害する母。義理の親子でも気持ちは一つである。

 

  • 和藤内の力をみせる虎退治がないのが、愛之助さんには気の毒であったが、花道での飛び六法が荒事の形をしめす。秀太郎さんの渚は長い芸歴の体当たりである。それを東蔵さんが支え、扇雀さん、芝翫さんが受けて近松門左衛門の義理人情を海を渡って持ちこたえさせてくれた。

 

  • 於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』は、かつてお仕えしていた人のためにお金を工面しようと考え、それが悪の可笑しさに変化するという鶴屋南北の作品である。お金の工夫を考えているのが土手のお六の玉三郎さんでその亭主が鬼門の喜兵衛が仁左衛門さんである。

 

  • 油屋の丁稚久太郎がフグにあたって死んでその棺桶を油屋に運び込み、喜兵衛とお六はゆすりをかけるのである。そこが今回の見せ場である。ここまでは夫婦二人の悪だくみがとんとんと進み、ベテランのゆすりの場面の貫禄の面白さである。ここからが、作者の遊びともおもえる展開で、お灸をすえると久太郎が息を吹き返すのである。悪の夫婦は、仕事の失敗にもこりず籠をかついでの引っ込みである。

 

  • これは、仁左衛門さんと玉三郎さんの『お祭り』への変化物といった感がある。大阪で起こったお染久松の心中物を鶴屋南北が江戸におきかえてお六と喜兵衛の悪が加わったようで、それが『於染久松色読販』の<油屋>と『お祭り』が続くことで、江戸の悪と粋ががらっと趣きを変えて楽しませてくれたということである。息の合ったお二人の出演はやはり舞台に華をそえてくれる。

 

  • 大阪では『新版歌祭文』で、野崎詣りを有名にさせた。野崎観音はJR野崎駅から15分と近い。想像に反し、駅前の小さな川に久作橋がかかっていて、その橋の名ぐらいが芝居のなごりであろうか。『於染久松色読販』で嫁菜売りの久作が油屋の手代に打擲されたのが柳島妙見堂で、久作の出来事を久太郎に入れ替えてゆするのである。この柳島妙見堂は残っていて、近くには四世鶴屋南北のお墓のある春慶寺もある。行く予定が映画『三月のライオン』の映像場面場所で終わってしまった。そのことは後日。

 

  • 滝の白糸』は、泉鏡花の作品『義血侠血』を舞台化したもので、<滝の白糸>は水芸の太夫の名前である。この舞台はその水芸も見せてくれるというお楽しみつきである。ただお楽しみだけではなく、芸にかけてきた芸人が、他人ではいたくないと思う相手と出逢ってしまう。その人は、法学を学びたいとおもっている貧乏な青年である。滝の白糸は、その青年・村越欣弥に東京行きをすすめ、学費を送ることを約束する。滝の白糸が壱太郎さんで、村越欣弥が松也さんである。

 

  • 学資の援助の話しがでるのは二人が二度目の出会いのときで、金沢の浅野川の卯辰橋(うたつはし)となっているが、実際には天神橋のことで、<滝の白糸碑>は天神橋よりも木でできた梅の橋の近くに設置されている。橋の雰囲気が梅の橋のほうが趣があるからであろうか。

 

  • 二人のつながりは皮肉な運命によって法廷で判事になった村越欣弥の前に滝の白糸は立つことになる。欣弥への仕送りのためのお金を奪い取られ、途方に暮れた白糸は判断力を失い人を殺めてしまう。白糸はお金は盗られていないと主張し、お金を奪った出刃の投げ芸の南京寅吉に殺しの疑いがかかっていた。欣弥は白糸の本名・水島友と呼び、あなたの芸のお客に対し正直に答えなさいと欣弥は告げる。自分が水島友の芸によって得たお金で勉強に励むことができた。それは、白糸のお客様が白糸の芸に支払ったお金で、その芸に誇りをもち水島友としては正直になりなさいとさとしているように聞こえた。

 

  • 欣弥が白糸から援助されたお金は綺麗なものであった。そのお金で犯罪を裁く立場となった者としては、きちんと裁かなければそのお金は汚いものになってしまう。そこを汚しては滝の白糸の芸も汚れてしまうと言いたいように思え胸にぐっときた。そして、彼は法廷を出て自殺してしまう。そのピストルの音は水島友にも聞こえた。

 

  • 法廷では水芸の舞台で正面きって華やかに演じる白糸の滝とは違い、後ろ姿である。観ている方は、欣弥と白糸がどんな目線を合わせたのかはわからない。壱太郎さんは、その後ろ姿と台詞で白糸と水島友の微妙さを伝えてくれた。今回の松也さんの台詞のトーンには満足であった。声の良さがあだとなり気持ちの機微が伝わらないところがあったが、そのあたりが今回は聞く者に伝わって来た。白糸を心配しつつ支える春平の歌六さんが役柄通りに押さえ、水芸の一座の様子と投げ出刃芸とのいさかいなどもすんなりとはまって終盤の二人の関係までもっていってくれた。(演出・坂東玉三郎)

 

  • 観たあとに竹田真砂子さんの小説『鏡花幻想』を読み、奥さんとなるすずさんとの出会いからの師・紅葉との関係など鏡花の小説家としての日常世界をみさせてもらい、小説でありながら納得できる鏡花の空間であった。

 

  • 国立劇場の演目は『増補忠臣蔵 ー本蔵下屋敷ー』と『梅雨小袖昔八丈 ー髪結新三ー』である。上方での代表的な成駒屋の中村鴈治郎さんと江戸での代表的な音羽屋の尾上菊之助さんの新たなる世代の東西の舞台が一つの劇場で上演された。

 

  • 本蔵下屋敷>は、家老の加古川本蔵が師直に賄賂を渡し、師直を嫌っていた主人の桃井若狭之助は師直への遺恨を吐き出す機会を失う。さらに、本蔵は塩谷判官の刃傷沙汰のとき判官を止めに入り、世間は若狭之助を厳しい眼でながめている。若狭之助は本蔵を屋敷に蟄居(ちっきょ)させ、さらに、自分の妹であり判官の弟の許嫁である三千歳姫も預けている。その本蔵下屋敷に若狭之助がくる。

 

  • 本蔵下屋敷では、三千歳に横恋慕する井浪伴左衛門が皆殺しを狙い茶釜に毒を入れる。主人に恥をかかせたとして若狭之助は本蔵を斬るといいながら、伴左衛門を成敗する。若狭之助は本蔵が、大星由良之助に切られる覚悟であることを分かっていて、本蔵の今生での忠義にも感謝し来世でも、主従の関係がかわらないことを告げ暇をとらせ、餞別として、虚無僧のための一式と師直の屋敷の図面を渡す。

 

  • 主従の最後の盃。三千歳も縁ある人との関係が絶たれ、本蔵もまた縁が結ばれたであろう人に切られるために向かう人であり、その人の別れに箏を弾き、唄う。若狭之助は本蔵との別れを惜しみ、去る本蔵を近くに呼び戻し、再度、主従の関係を確認する。『仮名手本忠臣蔵』の九段目「山科閑居」の前の話しであり、塩谷判官と大星由良之助の主従関係と相対し裏ともなる主従関係を描いている。

 

  • 若狭之助が鴈治郎さん、本蔵が片岡亀蔵さん、三千歳が梅枝さん、伴左衛門が橘太郎さんである。芝居としては、もうすこし練り込んでほしかった。鴈治郎さんは台詞術が豊富な方であるが、若狭之助の心の在り方の変化が、感情の起伏で台詞に力が入り過ぎ、わかっていながらその裏をかいているという深さが壊れてしまったように思える。最後の別れで素顔の若狭之助が心から別れを惜しんでいる気持ちが本蔵によく伝わり涙をさそわれた。締めがよかっただけにその経過が少し残念であった。梅枝さん、箏がここでも活かされ、ひとつひとつの積み上げということを実感させられた。

 

  • 髪結新三>は、優等生のイメージの強い菊之助さんがどう小悪党の新三を見せてくれるのかという点にある。材木問屋白子屋での門口で立ち聞きする新三の菊之助さん、眼の動きにこれは面白くなるという小悪党の計算が見えていた。手代の忠七の梅枝さんが、女形がやる忠七としてよく勉強されていたとおもう。このあと、花道からの出から素にもどっている新三と対峙する忠七の戸惑いが次第に、観る者の笑いをさそうほど世間知らずであり、新三の悪が光出してくる。

 

  • <梅雨>と題名にあるが上手いなあと改めて思わされる。傘の小道具。菊之助さんは初役にかかわらず髪結いの小道具の使い方など修練されていて軽快であった。傘も上手く使い粋に永代橋を渡っていく。弥太五郎源七の團蔵さんとのやり取り、一枚上手の大家の片岡亀蔵さんとのやり取りなどスムーズに芝居はすすむ。歌舞伎座では抱っこされていた菊之助さんの息子の和史さんが、元気に丁稚長松で出演。菊之助さんの台詞を聞いていると河竹黙阿弥の台詞を目でも追いたくなった。そう思わせてくれる舞台であった。というわけで今回は筋書ではなく上演台本を購入。

 

安土城

  • お芝居の中で旅巡りをすると、実際の旅について記しておきたくなる。琵琶湖に飛び出した安土城。残念ながら、安土城跡には行っていないのである。JR安土駅に降り立ち、観光案内へ。琵琶湖線を挟んで湖側に安土城跡があり内陸側に『安土城考古博物館』と安土城の天主を再現した『信長の館』がある。安土城跡と博物館側の二つをつなぐ農道があるという。

 

  • 映画『火天の城』を観ていたので、城の建物を優先。駅そばの『安土町城郭資料館』。安土城の天守閣の模型があって、左右に分離されるようになっていて内部の造りをみれるのです。映画『火天の城』は、熱田の宮大工・岡部又右衛門が建物の責任者で苦難のすえ築城するという内容です。信長に天守閣を吹き抜けと言われてそれに背いて設計します。吹き抜けにすると火事になったとき火の回りが早いので、天主に住むという信長を守れないと主張。信長は岡部又右衛門の設計を選びます。

 

  • 安土町城郭資料館』の模型は四層が吹き抜けになっていました。さらにその吹き抜けの中心には宝塔があったのです。実際に見てみないと解らない面白さ。安土城は築城して三年後には焼失してしまう。映画『火天の城』では信長自らが馬に乗り槍をなげ繩張りをしている場面があるが、実際の縄張は城の設計者をさす。赤穂城でもきちんと名前が記されてあった。お城は、土で成すと言われ、形あるお城の建物だけに注目するが縄張り全体がお城ということである。

 

 

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  • 信長が築城に参考にした佐々木六角氏の観音寺城のジオラマもあり山城というのがどういうものであるかを知った。安土城は平山城で秀吉や家康の城造りに影響を与えたとある。城で人々をあっと言わせて権威を誇示したいという信長らしい発想である。平城、平山城、山城の違いがよくわかった。屏風絵には城下町へ通ずる橋は一つ百々橋。町には三階建ての日本はじめてのキリシタン神学校セミナリヨも描かれていた。

 

 

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  • 安土城考古博物館』までの周囲は畑地で、かつては湿地帯だったそうである。徒歩20分ほどであるが次の機会にはレンタルサイクルにする。左手には安土城跡の小山がみえる。博物館で、安土城の土による城の土台がジオラマでみれてよくわかった。土塁虎口曲輪などで成っており、驚いたのは連続竪掘である。城の山の斜面にたて方向に堀が何本も掘られていて、水の張られた内堀を越えても急斜面に竪堀である。どうやっても登れるとは思えない。

 

 

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  • 曲輪(郭)は、山をけずり、堀や土塁で区画した場所で後にこれを「丸」と呼ばれようになり、曲輪は遊郭のことを示すことばともなります。初春の歌舞伎座で『双蝶々曲輪日記』の<角力場>を浅草公会堂で<引窓>が上演されましたが、「廓」と「曲輪」の違いは、偶数は二つに割れやすいから縁起が悪いので奇数にとの考えがあり『双蝶々郭日記』ではなく『双蝶々曲輪日記』のようにする場合があるようです。<引窓>は若手にしてはよく頑張り良い芝居になりました。

 

  • 映画『火天の城』でも石垣の先鋭集団・穴太衆(あのうしゅう)がでてきました。信長の美意識はやはり新しい。石垣、礎石建物、瓦、さらに高層天守を供えた近世城郭の新しい形を作ったのである。大手門を入ると大手門道がずうっと続いているのである。実際にはその跡を見ていないのであるがそこを歩くことを想像するとわくわくする。登る途中の右手に前田利家邸、左手に羽柴秀吉邸があった。秀吉邸の復元模型があり、坂になっているので上下二段の造りとなっている。下に櫓門、上に高麗門があり立派である。

 

  • 信長の館』に移動。この施設のある場所は文芸の郷といわれ、『旧安土巡査駐在所』、『旧宮地家住宅』、『旧柳原学校校舎』も移設されておりレストランもある。観光案内の方が、見学の時間設定は観る方によって異なると思いますと言われたが正解である。1992年「スペイン・セビリア万国博覧会」で安土城天主の最上部5階と6階部分を原寸大で展示された。万国博終了後、旧安土町が譲り受け、さらに発掘されたものから再現を加えて『信長の館』で展示されている

 

  • 五階は仏教世界の宇宙空間を表現しての八角形で天井には天女が舞っている。柱、床は朱塗りで中は金箔と釈迦説法絵図。六階は中も外も金箔で中の襖絵の回りの柱、天井には黒を使っている。下の四層の吹き抜けの柱も黒で印象的であったが、一気に宝塔の上に天界の間を造り、城郭に仏教界を閉じ込め、さらにその上に信長自身の権威を示したような感がある。狩野永徳に描かせた金箔の襖絵、金を入れた瓦、金箔のシャチホコ、柱に飾られた彫金、木工の彫り物などあらゆる工芸の名人を集めたと思われる。階段があり近くから内部をのぞくことができる。

 

 

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  • 信長は天主から琵琶湖を見下ろし、京をはじめに全国制覇を目指して四方を眺めたのであろう。今は埋め立てられ、安土城跡からは琵琶湖は見えないとのこと。安土城跡を歩くときは、賑わっていた城下町、家臣たちが登城した道、その前にある信長と一体の豪華絢爛な安土城を想像しながら登り、見えない琵琶湖の光輝く水面を想像する力が必要のようである。その想像力が浮かぶ余力のない状況だったので安土城跡は次の機会とした。しかし、もう一つの展示物がその後の想像を加えてくれた。

 

  • 天正十年 安土御献立 復元レプリカ』。天正10年(1582年)5月15日、16日、信長が、家康の武田氏征伐の武勲を祝するために饗宴にだされた食事である。家康が到着してすぐの膳がおちつき膳でレプリカでも食べてみたいと思う一品、一品である。2日間で4食、総計120品である。饗宴役が明智光秀。将軍の御成りのような支度でいきすぎているとして信長は光秀を饗宴役からおろしてしまう。それが19日。22日には、光秀は、備中(岡山)の毛利と戦う秀吉の支援を命じられる。6月2日が本能寺の変である。そのためこの家康饗宴が光秀を本能寺へ向かわせた原因のひとつとされている。食は安土城にあり。

 

 

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  • 安土城は光秀の手に渡るが、秀吉が光秀を滅ぼす。安土城の天主と本丸は焼失。その後、清須城での織田家の後継者選びの清須会議があります。信長の二男・信雄(のぶかつ)、三男・信孝そして本能寺の変で亡くなった長男・信忠の子で信長の孫・三法師。結果的に三法師ときまる。その後安土城には、秀吉の庇護のもとで信雄と三法師が入城。天正13年小牧長久手の戦いで信雄は秀吉に屈して織田家は終わり、安土城も廃城となる。

 

  • 清須会議は、映画『清須会議』が駆け引きや人物像など面白可笑しく描かれている。信雄は巳之助さんで、周囲に持ち上げられる信雄の戸惑いをそれとなくお得意のおとぼけぶりで発揮。やはり清須城へも行かなくては。光秀となれば、歌舞伎の『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ) 馬盥(ばたらい)』が浮かぶ。敵役の心の内を腹におさめての外への色気と覇気を役者さんがきめてくれた時は、芝居の光秀が本物と思って魅了される。

 

  • 歌舞伎の信長では、大佛次郎作の『若き日の信長』がある。十一代目團十郎さんにあてて書かれた作品で、十二代目團十郎さん、海老蔵さんへとつながり演じている。新しい芝居なだけに時代の時間差が縮まり、信長のうつけ者の雰囲気と戦乱の孤独感の感情の起伏の出し方、伝え方が難しい作品である。映画『若き日の信長』は市川雷蔵さんで、時間が長く映像ゆえ、戦乱の背景などがわかり理解しやすかった。白鸚さんが染五郎時代で信長のお守役のじいの三男で出演。芝居は映画と違って限られた時間のなかでリアルタイムに観客に一瞬一瞬を見せる勝負物であると感じさせられた。ここまでくると、観ていない映画にも気がむく。

 

国立劇場『通し狂言 世界花小栗判官』

  • 播州赤穂から歌舞伎の関連の場所としてもう一箇所、信太森葛葉稲荷神社へ向かった。安倍晴明の母・葛の葉のふるさとである。阪和線北信太駅に着くと「小栗判官笠かけの松」「照手姫腰掛けの石」の絵看板があり、想像外のお知らせである。外は夕暮れで神社とは反対方向なので後日調べたところ小栗街道(熊野街道)が近くを通っているらしいことが判明。小栗判官と照手姫が熊野へ向かった道ということになる。国立劇場での『通し狂言 世界花小栗判官』はどうなるであろうか。

 

  • 小栗物の歌舞伎作品『姫競双葉絵草子(ひめくらべふたばえぞうし)』よりとある。大きな流れとしては、足利義満の時代に足利家に倒された新田義貞の子孫が盗賊・風間八郎となって足利家に恨みを晴らす企てをするということである。小栗判官は将軍から照手姫との結婚を許されているが、父を風間八郎に殺され、足利家の宝も盗まれその詮議のため、照手姫とも生き別れとなる。

 

  • 照手姫は小栗判官の元家来の漁師浪七にかくまわれが、風間八郎の手がのびる。浪七は命をかけて照手姫を逃がすが、その後照手姫は人買いによって万屋の下女となり、そこで小栗と再会。さらに万屋の女主人お槙は照手姫の元乳母であった。万屋の娘お駒は小栗と祝言できるはずが照手姫の出現でそれもかなわず、誤って母に殺される。死してお駒の嫉妬と怨みから小栗判官は病持ちとなり、照手姫は小栗判官の乗る車を引いて熊野詣で。那智山で待ち受けていた風間八郎に捕らわれるが、熊野権現の霊験で小栗判官の病も本復し、重宝も手に入れ、風間八郎との対決は後日ということで幕となる。

 

  • <大詰>は別とし、盗賊・風間八郎が菊五郎さん、小栗判官が菊之助さん、照手姫が尾上右近さん、浪七が松緑さんで人物設定はわかりやすい。お槙は時蔵さんで足利家の執権・細川政元も。お駒は梅枝さんで、浪七の女房・小藤も。細川政元は白拍子となって風間八郎の策略を見抜き、ここが少し謎解き。小藤は夫・浪七と共に照手姫を守り、兄・鬼瓦の胴八に殺されてしまう。浪七宅の場は、可笑し味も出現させ息抜きの場でもある。

 

  • 最初の見どころは、小栗判官が馬さばきの名手で、碁盤の上で馬に乗って馬を二本脚で立たせるところである。馬との息もあって馬のあしらいかたを面白く見せてくれる。暴れ馬でそれをけしかける横山大膳親子(市川團蔵・彦三郎)の悪役の台詞のとめのにくにくしさもほどよい。小栗判官と照手姫はあくまでも美しくである。場所は鎌倉で

 

  • 場所は鎌倉、江の島と進み、浪七宅は堅田浦で琵琶湖の大津近くとなり季節は。立ち廻りは浪七の松緑さんが引き受け、笑いは、鬼瓦の胴八(片岡亀蔵)、膳所の四郎蔵(坂東亀蔵)、瀬田の橋蔵(橘太郎)のトリオである。万屋は青墓宿にあり、青墓宿は岐阜の大垣市青墓町にあった宿場だそうである。お駒が小栗判官に出会うのはの紅葉の中。母娘の悲劇の場となってしまう。

 

  • 熊野権現の霊力にすがって那智山目指す小栗判官と照手姫の花道からの出。。二人を待つ風間太郎は、自分が新田義貞の子孫であることを告げ小栗判官を谷底に突き落とせと。風間太郎の言うとおりにならない照手姫は木に縛られ『金閣寺』の松永大膳と雪姫を思わせる。時代も足利義満の世である。熊野権現の霊験たる三羽のカラスが現れ照手姫を助け、那智の滝の場面となり小栗判官が病も癒え宝も手にしていた。一同が居並び一件落着。那智滝の水しぶきがキラキラ光っている。

 

  • 登場人物の台詞も無理がなく、馬術問答も楽しく聴ける。権十郎さんの万屋の下男も勿体ないぐらいの出の少なさであるが、照手姫への思いやりがその身の哀れさをさそう。最初の場で殺される小栗判官の父の楽善さんの風格やそれに仕える奴の萬太郎さんなど、皆さん役に合うだけの台詞と動きが安心して観ていられ物語に入って行ける。『一條大蔵譚』での菊之助さんは出が若すぎ雰囲気で損をしていたが、優雅な小栗判官で魅せる。『ワンピース』の尾上右近さんは全く違う赤姫でその違いも楽しませてくれ、梅枝さんは、『京鹿子娘道成寺』の怨みも増幅して嫉妬も絡み怨念さが上手くでた。松緑さんは歌舞伎座に続く立ち回りで安定感あり。時蔵さんの女方と立役の細川政元の気品がいい。菊五郎さんの新田義貞の子孫の盗賊が大きく時代を超えた因縁が納得でき基本線がしっかりした。

 

  • いつもの国立劇場の初芝居の通し狂言であるが、早変わりもなく、主なるかたの何役もの受け持ちもなくあっさりタイプであるが、小栗物がこのように簡潔にできあがるのかと面白かった。やはり台詞術の流れにそれだけの技が加わっての構成と思う。それぞれの役者さんへの感想が沢山あるがこれにて締めとする。

 

歌舞伎座 新春高麗屋三代襲名

  • 歌舞伎座新春は37年ぶりの高麗屋三代襲名披露公演。三代襲名ということも凄いが、37年前に続いての再度の三代襲名が実現したのであるからお目出度いことこの上ない。こればかりは予定していてできることではない。巡り合わせの幸運である。そういう襲名公演であるが、幸四郎さんが口上で、自分にとって襲名は関所であると言われた。口上の後に『勧進帳』の弁慶がある。実感のこもった口上である。

 

  • 幸四郎さんの弁慶は、弁慶という役と闘い、そして吉右衛門さんの富樫と闘い、義経の染五郎さんを守るために闘っていた。闘いの力の入った弁慶である。誰が何んと言おうと自分と闘う弁慶を見せればいいのだと思う。長唄の名曲『勧進帳』。富樫が命を懸けて義経と弁慶の主従関係に感嘆するという設定。判官びいきの日本人の心情を鷲掴みにする作品である。簡単には弁慶役者の心に添わせてくれるような作品ではない。

 

  • こちらも『勧進帳』を自分成りに解体して改めて考えてみた。富樫は義経一行であると知りながら関所を通す。そして再び登場して弁慶にお酒をすすめる。なぜ。弁慶も断って早くこの場を立ち去るべきである。富樫は自分の死をかけてまで関所を通す弁慶という人物との時間を持ちたかったのであろうか。讃えたかったのか。弁慶が断らなかったのはわかるような気がする。弁慶は富樫のために舞って礼を尽くしたかったのである。幸四郎さんが、扇をかなり遠くまで投げた時、そう思った。富樫に対する気持ちを舞いに託したのではなかろうか。今まで長唄の演奏に乗る弁慶の動きだけを観ていて考えもしなかった。『勧進帳』は演じる時常にさらなる強固な関所が待っている。染五郎さんは、『東海道中膝栗毛』『大石最後の一日』『勧進帳』と一つ一つ関所越え中。

 

  • 車引』は基本形に添っての若々しい三兄弟であった。桜丸(七之助)、梅王丸(勘九郎)、松王丸(幸四郎)。三つ子の兄弟であるが、幸四郎さんにはもう少し太々しい押しがほしい。俺が一番だ!『阿弖流為』が荒事になったらどうなるか。幸四郎さんとなっての新たな妄想を。

 

  • 寺子屋』はやはり名前が変わっても芸の重みは変わらない白鸚さんの松王丸である。何回も観ていて謎解きがわかっていながら、その裏の気持ちが伝わるしどころの決まりの上手さ。主君のことを思って他人の子を身代わりにする側(梅玉、雀右衛門)とその心をわかって自分の子を犠牲にする側(白鸚、魁春)。現代であればとんでもないお話。お互いが疑心暗鬼にぶつかる身体と心の流れと止めが気持ちよく収まり、それでいて深さがある。間の合い具合の妙味。猿之助さんの涎くりが大人たちの場面ではひたすら手習をし、花道での愛嬌がほっとさせる。これだけの配役の『寺子屋』。若い役者さん、目にしておいてほしい。

 

  • 箱根霊験誓仇討』(はこねれいげんちかいのあだうち)は初めて観る作品。箱根での仇討とはこれいかに。小栗判官と照手姫のような出の勝五郎と初花夫婦。初花は敵に連れ去られるが、夫と母の前に戻って来て滝の霊験に身をまかせ飛び込んでしまう。弔う勝五郎は立つことができ、目出度く仇討ができるという話。勘九郎さん、七之助さん夫婦に敵役と奴の二役の愛之助さんで、秀太郎さんが母としての貫禄をみせ話として簡潔におさまる。

 

  • 双蝶々曲輪日記ー角力場』(ふたわちょうちょうくるわにっきーすもうば) 芝翫さんの濡髪長五郎に愛之助さんの放駒長吉。愛之助さんは山崎屋与五郎のつっころばしとの二役。愛之助さん早変わりのためか、長吉のほうに稚気が薄い。長五郎に勝ち有頂天で、長五郎と並んでそれに対抗して幾つかのしどころがあるのだが、その間が早くさらさらとやってしまいアクセントがない。自意識過剰の若造のおかしさの間がほしい。芝翫さんの出は大きいのだが色気が少ない。ご自身の襲名が一段落した安堵感中であろうか。稚気と大人の色気のコンビネーションをお願いしたい。

 

  • 締めは舞踊三題。『七福神』はお目出度い楽しい踊り。七福神が揃って踊るのは60年ぶりということで、どなたかなと分からなかったのが布袋の高麗蔵さん。大黒天の鴈治郎さんが弁財天の扇雀さんを誘いだすという神様もやはり女性を見る眼は同じというユーモアもあり、又五郎さん(恵比寿)、彌十郎さん(寿老人)、門之助さん(福禄寿)、芝翫さん(毘沙門)と神様でもほのぼのとさせるゆとりである。『相生獅子』も初春に観ると扇獅子で艶やかさが増す。扇雀さんと孝太郎さんで、七福神の役者さんたちの後に控える要の年代の孝太郎さんは少し力が入っているかなと。『三人形』は傾城(雀右衛門)、若衆(鴈治郎)、奴(又五郎)の吉原での様子であるが、踊りが現代に合わせた具体的な振りではなくよくわからず仲の之町の雰囲気だけ味わう。踊りがあると舞台の味わい方にも変化がでます。

 

『坂東玉三郎新春舞踊公演』とシネマ歌舞伎『京鹿子娘五人道成寺・二人椀久』

  • 大阪松竹座の新春は、お年賀の口上から始まる。玉三郎は舞踏公演で台詞がなく声をお聞かせするという意味でも口上をもうけましたと。新春から大阪で壱太郎さんと江戸と上方の役者が並べることを嬉しく思いますと二代目鴈治郎さんのことにも触れられる。何を踊りたいか聞いてもなかなか言わなかった『鷺娘』を踊る壱太郎さんは、玉三郎さんの踊りはもちろんであるが、小道具、照明、舞台装置などあらゆる発想が印象に残ると。テレビの『にっぽんの芸能』(NHK・Eテレ)で玉三郎さんが『京鹿子娘道成寺』の鈴太鼓は子供用を用いていると言われて驚いた。身体の動きからそうなったと。そばで壱太郎さんは様々な驚きを受け取られているのだろう。

 

  • 今、玉三郎さんは、後輩たちと同じ舞台に立つことが伝えるということに一番有効な手段と考えておられるようだ。後輩たちは緊張と新鮮さの連続なのであろう。シネマ歌舞伎『京鹿子娘五人道成寺』(全国上映中)でもそうであったが、心に粘着性の突起を装置して触れる驚きや教えをすばやくとらえ、それを心の中に取り込んで再考し活かす方法を模索しているようである。七之助さんは、他のテレビ番組で勘三郎さんは穴を掘れというがどう掘るかを教えてくれないで、何やっているんだ掘れとだけ言うが、玉三郎さんはきちんと掘り方を教えてくれて優しいですと言われていた。その教えを聴く耳の鋭さも必要のようです。

 

  • 舞踊は賑やかな『元禄花見踊』から始まる。詞は花見の様々な様子がでてくる。着ている衣裳の様子、北嵯峨、御室の地名、お酒の大杯など、そして上野のはなざかりとなる。さらには囃子詞(はやしことば)も入りまるで花見の酔いに任せた詞の蛇行ジャンプである。ここは玉三郎さんの朱色の組みひもの優雅な動きに操られて楽しく花見客の見学である。ヨイヨイヨヤサ・・・

 

  • 秋の色種』は大好きな長唄である。CDを購入。詞に合わせた振りもいい。「衣かりがね声を帆に、上げておろして玉すだれ」声を帆に・・・で扇を少し開いたり閉じたり、玉すだれ・・・でゆらゆらと。この踊りの扇使いは見とれてしまうだけである。お箏は、玉三郎さんと壱太郎さんのお二人で。『秋の色種』の演目が入っていたからこそ、大阪へと思ったのである。はかないですね。観ている時はそうこことおもいますが、記憶が薄れていく。季節はずれの秋の溜息。後輩たちも、千穐楽、もう終わってしまうんだと溜息でしたね。

 

  • 鷺娘』は、玉三郎さんが<玉三郎の鷺娘>として一つの完成を極めた感のある演目である。それに壱太郎さんが一か月果敢に挑戦することを決め、それも玉三郎さんと同じ舞台でということで、なかなかいいだせなかったという気持ちもわかる。玉三郎さんの『鷺娘』が脳裏に残っている人が多い。玉三郎さん以外では、魁春さんの、黒の塗り下駄での出をされたものと、福助さんは透かしの印象的な傘にされた踊りが記憶に残る。恋の妄執に責めさいなまれ息耐えるというテーマのある作品なので観るほうもそこに気持ちが集約されていく。

 

  • 踊り手に鷺の精町娘との変化が要請され、一度観ていると綿帽子の白無垢に黒帯の出では、鷺の精の鷺娘としてそこにいる。そこから引き抜きがあり、明るい町娘となり ~縁を結ぶの神さんに 取りあげられし嬉しさも~ となる。ところが引っ込んで出てくると、神さんへの怨み言となる。引き抜きがあって傘づくし。壱太郎さんは小さな傘を二本使い若さが映える。もろ肌脱ぎの赤になり、鷺のぶっ帰りで終盤に入る。短いなかに引き抜きが入り、観客に鷺娘の心模様を伝えつつ最後は鷺の精にも抗い難い責め苦へと入っていく。

 

  • 人に恋してしまった鷺の許されない道。玉三郎さんの『鷺娘』は終盤、玉三郎さんが踊られてるのは重々承知していながらなにものかに身体が操られていて内面の妄執のすさまじさと悲しさを感じる。壱太郎さんの場合はまだ壱太郎さんの意志の力で踊られていて激しい踊りであると認識してしまう。この観客の気持ちをこの後どう鷺娘の心に吸引していくのかたのしみでもある。『鷺娘』は変化物の一つとして踊られていて、それが一つの舞踊作品として独立したものである。最後の責めの分部を加えたのが九世團十郎さんでロシアバレエのアンナ・パブロワが来日して『瀕死の白鳥』を観て着想を得たという。 

 

  • 真っ暗な舞台にぽつぽつと灯りがみえる。あれはなんであろうか。ぱっと明るくなって吉原仲之町。松の位の『傾城』。チラシの玉三郎さん。髷(まげ)は伊逹兵庫(だてひょうご)。左右あわせて12本の長い簪(かんざし)。中央には櫛が三枚。その後ろの左の松葉の簪が二本。右後ろには玉簪が二本。まじまじと髷と飾りをみる。花魁道中の風情を軽く見せて暗くなる。歌舞伎座と違ってこの場面は短い。再び明るくなり、廓での間夫とのやりとりが踊りとなっていく。喧嘩したり仲直りしたり、戸を叩く音を水鶏にだまされたりと動きはゆったりしているが饒舌な舞踊で、季節感豊かなありさまである。

 

  • 実際にそこにはいないのに映像でその場面や人物を映し出すことをバーチャルというなら、芝居や踊りなどはその心を自分で映像化するバーチャルである。『京鹿子娘五人道成寺』は、五人の花子の心をこちらは受け取ることになり超バーチャルな場所にいることになる。人工的バーチャルに対する五人の花子の肘鉄。歌舞伎役者さんの素と役の扮装と技はこれまた時空を超えさせる。その映像は、その場にいて観忘れた所作などが確認できる。烏帽子の脱ぎ方など。いつもと違っていた。

 

  • 映画『二人椀久』では、椀久の最後は倒れて終わるのであるが、勘九郎さんは、大木に体を支えるようにして終わる。傾城松山が夢の中に現れ楽しく踊るのであるが、いつのまにか椀久は松山がそこにいるのに触れることができない状態になっていく。花道でも捕らえようとしてとらえられない。そして完全に松山の姿は消え椀久は一人残され、たまらなくなって大木に体をゆだねるのであるが、命あるものに触れていたいという椀久の寂寥感伝わってすっと幕がおりた。実際に観てたよりも寂しさが心にささる。

 

  • 友人の住んでいる近くの映画館でもシネマ歌舞伎を上映しているので薦めたら行っそうで、映画館へ一人で行くのは生まれて初めてで朝4時に目が覚めて不安だったと。彼女に言わせると玉三郎さんは神技で、若手に苦言を呈し、意気盛んな感想である。来月、『籠釣瓶花街酔醒』も見に行くと。行く前と後の彼女の話しの様子に笑ってしまう。苦言の多いこちらが、しきりに若手の弁護にまわっていた。『籠釣瓶花街酔醒』の縁切りの場で『傾城』が流れる。

 

  • 鷺娘』に関しての九世團十郎さんとアンナ・パブロワとの件は、パブロワさんが来日した1922年には九世團十郎さんはすでに亡くなっていますので間違いです。『鷺娘』を最初に踊ったのは江戸時代(1762年)二代目瀬川菊之丞さんで、明治に九世團十郎さんが復活して人気を得ました。玉三郎さんが踊られている『鷺娘』の振り付けは六世藤間勘十郎(二世勘祖)さんである。『商業演劇の光芒』(神山彰編)の中で水落潔さんが「東宝歌舞伎と芸術座」で書かれている。長谷川一夫さんが座長で新演技座旗揚げ公演の演目に『鷺娘』(1941年)が入っていて「『鷺娘』は勘十郎さんが『瀕死の白鳥』をヒントに創作した舞踏・・・」とあるので実際に『鷺娘』と『瀕死の白鳥』を結びつけたのは、六世藤間勘十郎さんであったと思います。その後、踊る方によって変化していることでしょう。

 

  • 判らないことが多く、研究しているわけではないから出たとこ勝負。壱太郎さんの『鷺娘』の二本の傘も現藤十郎さんが扇雀時代に初演で二本傘なのを復活振り付けされたのを踊られたことを知る。『名作歌舞伎全集第19巻』の『鷺娘』に1961年にNHK「日本の芸能」でのテレビ放送のときで扇雀時代の写真が載っていて傘の大きさは普通の大きさである。壱太郎さんと藤十郎さんの『鷺娘』のこんなところにつながりがあったのかと、観た事がさらにしっくり落ち着いた。

 

  • シネマ歌舞伎の『籠釣瓶花街酔醒』を観れなくて、セット券が一枚残ってしまう。有効期限は2月。東劇で『京鹿子娘五人道成寺』『二人椀久』を延長して上映してくれていた。二回目の鑑賞である。上記の『二人椀久』の最後、間違って記していた。<勘九郎さんは、大木に体を支えるようにして終わる。>としたが、そのあと立ち膝になり羽織を抱きしめて幕であった。大木に寄りかかるところが強い印象でそこで記憶は終わったらしい。二回観て訂正できてよかった。落ち着いて鑑賞でき二回目なのに新鮮であった。

 

メモ帳 3

  • 国立劇場で伝統歌舞伎保存会第21回研修発表会があり、本公演も観劇。『今様三番叟』は箱根権現が舞台。源氏の白旗を使いさらし振りがあり女方がみせる変化にとんだ三番叟で楽しさも。『隅田春妓女容性』<長吉殺し>は、同じところに用立てるお金を巡って梅の由兵衛(吉右衛門)と義弟の長吉(菊之助)の義理立ての姿が悲しい。観劇二回目なので、もう少し芝居に濃い味があってもと思う。今度、亀戸天神と柳島妙見堂へ行こう。

 

  • 研修発表会のまえに時間は短いが『お楽しみ座談会』(吉右衛門、東蔵、歌六、雀右衛門、又五郎、錦之助、菊之助) 『本朝廿四孝』で先輩に習ったときのことなどを披露。映像での勉強が多い今の時代に苦言も。<十種香><狐火>が研修発表舞台。皆さん内心は別なのであろうが堂々と演じられる。米吉さんの八重垣姫が<狐火>引き抜きのあと、着物の左袂から下の赤い袂が出てしまう。振りが横向きの時に左腕が後ろになって戻した時直っていた。その後も問題なし。狐の化身になっているので赤の出過ぎは禁物。立女方としての心意気で最期を締めた。

 

  • 研修発表舞台に刺激されてその後、歌舞伎座『楊貴妃』の一幕見へ。立ち見ですと言われたが、2、3席空いていた。時間が短いので自分の観たい場所での立ち見の人が多い。詞を反復して行ったので、よくわかった。つま先の優雅な動き。揺れる衣裳。二枚扇の使い方。扇の左右の位置関係も綺麗に見えた。今回は集中でき音楽も声も耳に心地よく、それと玉三郎さんの舞いが一体化。中車さんの動きも良い。玉三郎さんが、玉すだれから現れる時、拍手が邪魔。納得いく『楊貴妃』で、今年の観劇も終了。

 

  • 全身の動きの線を見せる踊りのバレエ。購入してしまえばとおもうほどレンタルするのが、バレエドキュメンタリー映画『ロパートキナ 孤高の白鳥』。ロシアバレエ団マリインスキー・バレエのプリンシパルのウリヤーナ・ロパートキナ。残念なことに今年引退を表明。古典からプティやバランシンの作品にも挑戦され自分のバレエにされる。自分に合う作品を選び最高の表現者となる。大好きなバレエ表現であり映像である。観終るとなぜか歩いて返しに行く。

 

  • フラメンコの映画『イベリア 魂のフラメンコ』。スペインの偉大な作曲家、イサーク・アルベニスのピアノ組曲「イベリア」にフラメンコを中心としたダンスで構成した映像である。カルロス・サウラが脚本・美術・監督を担当していて、その構成はフラメンコダンスも背景も照明も音楽も飽きさせない。鏡などを使い、顔や衣裳にあたる照明も美しい。切れ味がよく変化に富みフラメンコに魅せられた。

 

  • カルロス・サウラ監督が気に入り映画『サロメ』『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』を見る。『サロメ』は舞台稽古をしている設定からで出演者にフラメンコとの出会いや経歴なども聴く。そして「サロメ」を通しで演じるダンサーたち。「サロメ」をどう作りあげたいかがよくわかり、舞踏「サロメ」も圧巻。さすがカルロス・サウラ監督作品。『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』は題名通り、天才劇作家、ロレンツォ・ダン・ポンテとモーツァルトが出会って、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」が出来上がるという筋。新説らしいが旧説も知らないのでただ流れのままに。

 

  • 渋谷のル・シネマでカルロス・サウラ監督の映画『J:ビヨンド・フラメンコ』が上映中。スペインのアラゴン地方が発祥とされる「ホタ」といわれるフラメンコのルーツのひとつ。いままでの映画のフラメンコのタップの音が耳についているので、こちらはタップがほんのわずかでさみしいが、カスタネットが軽快に鳴り響きつま先がよく動く。民族舞踏なだけに地方にそれぞれルーツが残っているのであろう。歌と音楽も素晴らしい。

 

  • 映画『花筐/ HANAGATAMI』おそらく2017年締めの映画館での鑑賞。大林宣彦監督がデビュー作『HOUSE/ハウス』よりも前に書かれた脚本「花かたみ」。原作は檀一雄さんの初短篇集『花筐』で映画化の許可をもらっていた。檀一雄さんの本の解説も語られる。映画を観始めて乱歩と思ったら、エドガー・アラン・ポー『黒猫』の英語の授業の場面が。大林監督の映像の多様性。戦争を前にした個々の青春からほとばしるぎりぎりのポエム。文学者、映画監督などの様々な群像も重なり合う。芥川龍之介の不安さえもそこにはある。唐津の風景と唐津くんち。何のために流すのか。真っ赤な血。有楽町・スバル座で上映中。

 

  • 檀一雄さんの『花筐』。この作品載っているかなと本をだしたら〇印。これは読んだ印。まったく覚えていない。いつ檀一雄さんの作品を読もうと思ったのか。どんなきっかけで。記憶にない。映画チラシに『花筐』を読んで三島由紀夫さんは小説家を志したとある。この落差。『花筐』を読み返すより掃除でもしたほうが良さそうだ。頭の中も。大林宣彦監督の観ていない作品も来年ゆっくり。小説『花筐』も。も、も、も、づくし。

 

  • 昨夜、大林宣彦監督の映画『この空の花 長岡花火物語』を観てしまったら午前2時半を回ってしまう。『ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』で式場隆三郎さんの資料と会い、甲府での『影絵の森美術館』では山下清さんの作品に会い、映画『この空の花 長岡花火物語』は、山下清さんの「 世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界 から戦争が無くなるのにな」の言葉に出会う。何かつながってしまった。長岡の花火にイベントを超えた人々の想いが込められていたのを初めて知る。平成29年もあと10分。平和に暮れるであろう。このしあわせがいつまでも。よき新しい年を。

 

昇仙峡

 

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影絵の森美術館』  藤城清治展

 

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メモ帳 ー吾輩はメモ帳であるがまだ名前はないー

  • 国立劇場 『今様三番叟』雀右衛門さんの鼓のリズムに乗った動きか軽快で艶やか。『隅田春妓女容性(すだのはるげいしゃかたぎ)』 菊之助さんの女房役にやっと満足できてうれしい。娘役と女房役の境界線が成立。

 

  • 単色のリズム 韓国の抽象画』(東京オペラシティアートギャラリー) 画家の生き方など関係なく作品のみ目の前にある。紙に傷をつけたり、線を引いただけだったり。観てしまうとこれって出来そうと思わせるところがいい。できっこない。

 

  • 歌舞伎座12月 中車さんの台詞の上手さが生きた。『瞼の母』の渡世人・忠太郎の形も驚くほど。彦三郎さんのほどよさもあり半次郎の兄貴分になっていた。母役の玉三郎さんへ体当たり。関西弁『らくだ』が達者な愛之助さんとのコンビでいつもと一味違う。橘太郎さんの柱の蝉の素早さに不意打ち。

 

  • 土蜘』の松緑さんの僧の足使いが良い感じで面白く気に入った。今月の歌舞伎座は『ワンピース』の出演者が新橋演舞場から大移動で『蘭平物狂』の捕手などに活躍大奮闘。脇からの次世代の地固めが始まっている。

 

  • 民藝『「仕事クラブ」の女優たち』(三越劇場) 小山内薫亡き後の築地小劇場とそれを取り巻く演劇状況。左翼劇場との合同公演を機に女優達が悩み、迷い、生活の糧を求める。新劇界の空白分部をよく調らべ、そこを芝居で埋めた、新劇による新劇史。奈良岡朋子さん演ずるなぞの女性。そばにいてくれると弱い心が救われる存在感。

 

  • シネマ歌舞伎『め組の喧嘩』 十八代目勘三郎さんの粋な火消鳶頭の辰五郎の動きをしっかりと見つめる。わらじを履くとき踵をとんとんと強く叩く。どうしてなのか知りたいところである。橋之助さんは芝翫となり、片岡亀蔵さんのらくだの足先までの上手さが、時間を交差させる。芝居後の勘三郎さんの映像が涙で一気にゆがむ。

 

  • 映画「忠臣蔵」は各映画会社が競って制作。これぞと役者さんをそろえる。大映映画『忠臣蔵』は長谷川一夫さんの内蔵助に歌舞伎役者、映画スター、新劇俳優の豪華さ。内蔵助の長女役の長谷川稀世さんが新橋演舞場では貫禄の戸田局。大河ドラマ『赤穂浪士』の右衛門七の舟木一夫さんが内蔵助。堀田隼人の林与一さんが吉良上野介。時の流れの速さ。(映画『忠臣蔵』16日 BS朝日 13時~)

 

  • 新橋演舞場『舟木一夫公演 忠臣蔵・花の巻・雪の巻』 昼の部と夜の部の通し狂言。通しでありながら昼だけ夜だけにも気を使う構成の難題に挑戦。芝居だけを続けて観たいのでコンサートは失礼して泉岳寺へ。短慮な内匠頭の刃傷沙汰を承知で、自分たちで物語を作ってしまう舟木一夫さんの内蔵助。上杉家も家を守るため必死である。この役者陣なら3時間半くらいの芝居で一気に観たかった。

 

  • 朝倉彫塑館『猫百態ー朝倉彫塑館の猫たちー』へ猫大好きの友人と。新海誠監督の『言の葉の庭』の雨描写が好きというので急遽新宿御苑へ。東屋を探す。東屋4つあり全部見て歩く。池のそばなので正解は見つけやすい。藤棚が二つ。モデルはわかる。加えたり削ったり。入口は千駄ヶ谷門か?。印象的な坂道が。満足したニャン!

 

  • レンタルショップに映画『忌野清志郎 ナニワサリバンショー 〜感度サイコー!!!〜』があり、初めて忌野清志郎さんと対面。ライブも面白いが映像の構成もラジオからという設定で渋い。ナニワの風景も楽しい。めっちゃナニワのノリノリライブ。あれっ、獅童さんも。ナニワの砦が一つ消えたような。ファンでなくてもしんみり・・・

 

歌舞伎座11月吉例顔見世大歌舞伎(2)

十三世仁左衛門さんの映画で、『伊賀越道中双六』の<沼津>が映し出されます。十三世が平作で当代が孝夫時代の十兵衛です。平作の出からで十兵衛は声が主です。当代仁左衛門さんは声もセリフもいいですが、上方言葉が身につかれていますからそのアクセントと抑揚に味があります。平作も柔らかいリズム感で荷物を担ぐには怪しい体力ですが、なんだかんだと言うところに愛嬌があります。

『恋飛脚大和往来』の<封印切>のでの我當さんの八右衛門は実際にも憎らしくて面白かったですが、当代仁左衛門さんの忠兵衛とのやりとりのたたみかける間は関西歌舞伎ならではの間です。関西歌舞伎を残すということは大変で、三味線の音締めからして違うそうで、雰囲気を残すということになるでしょうと。

十三世は研究熱心で型もよいところを組み合わせて自分のものにされていますので当代仁左衛門さんもその方向性なのだと思います。

仮名手本忠臣蔵(五・六段目)』の当代の仁左衛門さんは、映画の中で舞台での父は自分よりも若いんですよねといわれていましたが、その言葉をお返しできる勘平です。勘平自身とささやかな猟師の一家族が仇討ちのために翻弄される悲劇です。そこが猪を撃つところから始まるのがよくできています。婿を喜ばそうとの家族の気持ちが運命を狂わせます。秀太郎さんの一文字屋の女将の上方言葉もながれに軽さを加えますが、女将の出した財布が勘平への一つの刃です。勘平は絶望的におかる(孝太郎)を抱きとめます。二つ目の刃は千崎弥五郎(彦三郎)、不破数右衛門(彌十郎)の仲間とは認められないという言葉です。仁左衛門さん浅葱色の紋服が悲壮な色に変わっていきます。勘平は刃を自分にむけるしかありませんでした。これらを目にした義母(吉弥)の悲劇。染五郎さんの定九郎は色悪風。

十三世仁左衛門さんは、義太夫狂言など、口三味線で全てのセリフを言いつつお稽古をつけ、その調子がこちらに伝わりお稽古のときに涙してしまいます。口三味線や口お囃子はその方の身体の一部なので情愛が濃く伝わるものだなあと思いました。皆さんこの音が入っていますので、お稽古というよりもお互いの音を確かめて一致させ、立ち位置をきめ、その上で主役の動きを察知し絡んでいくわけです。セリフ、所作はすでに入っていて、さらに音が身体に入っていなければいくら言われても良い動きができないことになります。ここが歌舞伎の練習日数の少ない凄いところです。

恋飛脚大和往来(新口村)』は忠兵衛と孫右衛門と二役されたりもしますが、藤十郎さんは忠兵衛だけです。藤十郎さんはこの役の全てが身体に染み込まれておられますから脚が弱られてはいますが、その忠兵衛の気持ちはよくわかります。扇雀さんの梅川も藤十郎さんに気を使うところを、梅川が忠兵衛の立場と孫右衛門の立場を想う気遣いに代えて演じられます。孫右衛門の歌六さんは、何も言葉に出して言えない忠兵衛の気持ちを親の側から独特の声で切々と語られ、逃げ道を教えます。背景が雪で埋まる裏道となり一瞬美しさを現わし即哀切漂う風景の中を忠兵衛と梅川は逃げ、孫右衛門が抱える新口村の標識が涙を誘います。

十三世仁左衛門さんは、不自由なのが目で良かったと言われています。耳なら音も相手のセリフもわからないからやりようがないと。夜中に目を醒ましてもああやろうこうやろうと芝居のことを考えると楽しいとのことで、目の不自由なことで周りに癇癪を起すことはなかったそうです。

元禄忠臣蔵(大石最後の一日)』は、幸四郎さん、染五郎さん、金太郎さんがこのお名前で三人で歌舞伎座に出演される最後の舞台となります。

大石内蔵助の幸四郎さんは、セリフのトーンを一定に近い状態で「初一念」を貫く最後の腹を示されました。自分だけではなく同志たちにも「初一念」を崩さぬよう心をくばられます。ところがおみの(児太郎)という女性が夫婦約束した磯貝十郎左衛門(染五郎)の本心が聞きたいと現れます。会わせるのを迷う内蔵助でしたが、二人を会わせ磯貝のウソの無い真をさらけださせます。満足したおみのは全て無かったことにするため自刃します。児太郎さんと染五郎さんが役にはまっていました。金太郎さんの細川家の若君も雰囲気を出し、上使役の仁左衛門さんの押し出しが、赤穂浪士の格をあげます。幸四郎さんの大石は最後に名を呼ばれ、「初一念」が揺らぐことなく自分の役割を果たせた安堵感とともに静かに切腹の場へと花道を進んで行きます。