歌舞伎座12月『妹背山婦女庭訓』

今月の歌舞伎座は坂東玉三郎座長公演の感がある。若い歌舞伎役者さんをどこまでの基準に到達させ、その上に玉三郎さんの芸を乗せることが出来るかどうかである。若い役者さんが頑張ってくれて、芝居を損なうことにはならなかった。

『妹背山婦人庭訓(いみせやまおんなていきん)』 酒屋の娘お三輪が、求女に恋をしてその一途さが自らの死を招いてしまい、その死が想い人求女の役にたち、義憤も消えて死んでいくのである。

お三輪は、<杉酒屋><道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)>の場を七之助さんが、<三笠山御殿>を玉三郎さんが受け持った。求女は松也さん。求女に恋するもう一人の女性・橘姫を児太郎さん。お三輪を刺し、求女が実は藤原鎌足の嫡男・藤原淡海で自分は鎌足の家臣で、お三輪の血が敵の蘇我入鹿を滅ぼせるとお三輪に告げるのが鱶七(ふかしち)の松緑さんである。

<杉酒屋>は、東京では54年ぶりの上演だそうで、お三輪と求女が出逢った場所がわかり、そこへ橘姫が訪ねてきて三人の関係と赤と白の苧環の最初の役割がわかるのである。糸が巻いてありそれに手を持つところがついていて、糸を引くと糸巻きがくるくるまわるのである。

お三輪は隣に住む烏帽子売りの求女と恋仲である。今夜は七夕で、赤糸と白糸の苧環に願をかけている。(七夕は色々な意味が重なっているお祭りである)里では井戸替えをしているが求女は身分を隠しているから近所付き合いも悪い。そんな世間から浮いた求女のところに橘姫が訪ねて来る。丁稚の子太郎(ねたろう)の團子さんが達者で、里人にお酒を注いで回ったり、お三輪に求女のところへ橘姫が訪ねてきたことを知らせたり、後家の歌女之丞さんと大家の権十郎さんの間に入って動いたりと勘所が良い。

お三輪は求女を呼び出し、お互いの気持ちが変わらない様にと赤糸の苧環を渡し、自分は白糸の苧環を持つ。

<道行恋苧環>は、求女を挟んでのお三輪と橘姫との恋の駆け引きである。入鹿討伐の志がある求女は素性を表すわけにはいかない。のらりくらりの色男ぶりの松也さん。気の強い里の娘お三輪の七之助さん。おとなしそうだが芯が強そうな児太郎さん。足並みはそろった。求女は橘姫の袖に赤い糸をつけ、お三輪は求女の裾に白い糸をつけ、相手の行き先をたどれるようにするが、白い糸は切れてしまう。ここで縁は切れるのであるが、お三輪はそこで諦めない。二人を捜して入鹿の屋敷に紛れ込むのである。

<三笠山御殿>は、入鹿の屋敷である。七之助さんは、お三輪の恋に一途な気の強い里娘をしっかり玉三郎さんにバトンタッチした。縁の切れていない求女と橘姫。橘姫は入鹿の妹であった。求女は橘姫に入鹿が手に入れた朝廷の宝剣を兄から盗んで来ることを承諾させる。引き受ける橘姫もなかなかである。

三笠山御殿で登場するのが、鱶七という漁師で、どてらに白と黒の大きな格子縞の裃姿である。この衣装と、台詞が合っていてなかなかいい役である。鎌足が入鹿に仕えるという書状を持ってくるのである。漁師であるから鎌足のことを「鎌どん」と言ったりして愛嬌がある。松緑さん、愛嬌は薄いがすっきりとした鱶七である。貫禄ある悪の入鹿の歌六さんに負けない荒事の心意気である。

御殿に迷い込んだお三輪の玉三郎さん、豆腐を買いに行く腰元のおむらに会う。中車さんである。この役女形ではあるが、忙しそうに一人芝居をして結構言いたいことをいって去り拍手を貰える役である。橘姫と求女が祝言をすると聞かされる。そんなことさせられないとはじめは思うが、勝手のわからない場所で、官女たちに邪魔される。気はあせるが、官女は示めし合わせいじめがエスカレートしていく。心細さと恥ずかしさで涙するお三輪。求女に会いたい一心が、官女に置き去りにされ、祝言の祝いの声を聞いてお三輪は一転嫉妬の念にかられ着物も髪も乱れてしまうが、そこで鱶七に刺されてしまう。

なんという口惜しくておぞましいことか。鱶七は事の次第を話す。横笛に二つの種類の生血を注いで吹くと入鹿が正体を失うのである。一つは黒爪の鹿の生血でもう一つが嫉妬に狂った擬着の相の女の生血である。

これを聞いてお三輪は得心するが、一目求女に会いたいと苧環を抱きしめて息をひきとるのが健気である。御殿に紛れ込んでからのお三輪はあらゆる娘の姿を映し出してくれる。それを描く玉三郎さんの芝居を支えるだけの基本を守れたのであるから、若い役者さんも立派であった。亀三郎さんと、亀寿さんも脇の堅めがしっかりしている。

お三輪が死んだ後の、最後の納めも松緑さんすっきりと気持ちよく締めてくれた。

 

国立劇場『研修発表会』『神霊矢口渡』(4)

三幕<生麦村道念庵室の場>。托鉢をして歩く道念(橘三郎)の庵室に、義興の弟・義岑(歌昇)と傾城・うてな(米吉)がかくまわれていた。道念は、元新田家の旗持ちで、義岑の素性を知っていて、新田家伝来の白旗を渡す。そこへ、若い男女が道念の庵室に入ったのを見たぶったくりの万八(吉三郎)が百姓を焚き付け二人を捕らえにやってくる。それを察知した道念は隣にある、稲荷大明神のお堂に隠す。

この稲荷大明神の鳥居の額のところに狐のお面がかかっていて、これは何か意味があるのであろうかと観ていたところ、道念はこのお面をかぶり、お堂から稲荷大明神となって飛び出し、万七の行いの悪さを百姓にお告げして退散させるのである。たわいないが、これが橘三郎さんの動きと百姓の恐れおののくタイミングが合い滑稽である。二幕目と歌昇さんと米吉さんの落人の物悲しさからちょっと息抜きさせる場でもあり、二人を力づける場でもある。

ついさきごろまでは、歌舞伎は都合のよいところに、お堂があらわれると思っていたが、お堂しかないのである。

旧東海道を歩いていると、淋しい道中に小さなお堂がある。金谷坂の途中には、庚申堂があって、そこは、大盗賊の日本左衛門が夜働きの着替えた場所とされ口碑として残っているということで、堂横には見ざる聞かざる言わざるの三猿を彫った庚申塔があり可笑しさを誘う。庚申塔はかなり時間が経っているらしく剥離している。村人が長く信仰して守っているものがあり、当時暗闇に稲荷大明神が現れたのを信じてもおかしくない状況があったと思えた。この庚申堂は、猿田彦命を祀っていて旅人の安全をも守っていてくれる。

もう少し触れると、この金谷の地域の人々は江戸時代の旧石畳がわずか30メートルだけ残し、コンクリート舗装だったのを掘り起こし、町民約600人で石畳の道を430メートル復元されたのである。そこを、往時をしのびつつ歩かせて貰ったのである。ところで現在の生麦村はと考えたら、川崎から神奈川まで歩いていないようである。生麦はビールと生麦事件の碑だけであった。抜けていた。

そんなわけで、他愛無さそうでいて、結構江戸時代の村人の様子でもあると思える。

大詰め<頓兵衛住家の場>。お舟の芝雀さんの中に四代目雀右衛門さんが早くも降りてこられていた。芝雀さんはお舟が初役ということで、ちょっと驚いた。筑波御前とお舟を同時に観させてもらい、女形というもの奥の深さを知った。年齢を超える芸の被膜である。動きの少ない時も、激しい動きの時も娘で居なければならない。米吉さんは、大変な時に同じ役への挑戦であった。吉之助さんほか若い役者さんたちにとっても、大きな先輩達が前に立ちはだかってくれるということは、風よけをしていてくれるわけで、この風よけがなければ、上手く飛び出せないともいえる。

お舟は一目惚れで義岑のために突き進むが、義岑の身分と落人であるということ。さらにその原因が父親の頓兵衛にあり、お舟は父親自身の極悪非道さとも戦うのである。或る面では恋から人間性に目覚めたともいえる。義岑があの世では添い遂げようと言ってくれた言葉に自分の純化もかけてしまっている。玉手とかお三輪の流す<血>と通ずるところがある。義興の亡霊(錦之助)もお舟の想いによって出現したように思えてくる。

歌六さんも、筋の通った武士から、強欲な極悪さとがらっと変えて観せてくれた。

お舟の心をとらえたのは、美しさと品格と憂いであろうが、歌昇さんはそれに充分答えていた。米吉さんは、機転を利かせ歌昇さんを新田の白旗を掲げ諌めるのであるから、もう少し腹が欲しい。

種之助さんは、六蔵という凄い役をもらってしまった。ちょっと抜けていておかし味があり、お舟を恋して、頓兵衛という主人を持ち、お舟を止めなければならないしと大忙しである。引き出しに納まったであろうか。

頓兵衛の花道の引っ込みは、弁慶に源内さんが対抗してと思ったが、どうもそうではないらしい。頓兵衛が大役になったのは、天保2年5月の江戸河原崎座で七代目市川團十郎が演じて大きな役になったらしい。その時、蜘蛛手蛸足の引っ込みをしたかどうかは定かでないが、その時演じた役者さんによって極悪非道な登場人物が大役に変身したのである。

頓兵衛にかんしては、国立劇場脇にある伝統芸能館の中の図書館で知った。歌舞伎座での真山青果さんの元禄忠臣蔵の『仙石屋敷』の脚本を読むためであったが、『神霊矢口渡』が載っている書籍がその個所を開いて並べてあったのである。お陰で、思いもかけず短時間で情報収集ができた。

矢口の渡し付近へも散策に行かなければ。

国立劇場『研修発表会』『神霊矢口渡』(3)

二幕目<由良兵庫之助新邸の場>。初代吉右衛門さんが上演されてから100年目の上演場面である。この場が座談会でも出たが『熊谷陣屋』と類似しているのであるが、兵庫之助には協力者がいた。

由良兵庫之助新邸とあるが、兵庫之助は足利尊氏に寝返り新しい領地をもらったのである。そこには、妻の湊はいない。息子の友千代が腰元たちと遊んでいる。そこへ、兵庫之助(吉右衛門)が尊氏側の江田判官(歌六)を伴って帰ってくる。江田判官は別室に下がる。

偶然にも湊と筑波御前は新邸に一夜の宿を頼む。夫とは違い滅びた新田家に仕えしっかり筑波御前を守っている湊は、夫に考え直してくれるよう懇願するが、兵庫之助はにべもなく二人を追い出してしまう。

今度は怪我をした南瀬六郎がたどり着き、裏切り者の兵庫之助に立ち向かうが、徳寿丸は助けてやると言われ隣室に入る。そこへ、足利の重臣・竹沢監物(錦之助)が犬伏官蔵(大谷桂三)と焼餅坂下で徳寿丸の顔を見た長蔵らを伴って南瀬六郎と徳寿丸の首を渡せとせまる。兵庫之助は躊躇することなく六郎を弓で射る。六郎は無念とばかりに自刃する。兵庫之助は、徳寿丸の首を差し出す。長蔵が徳寿丸だと証言するので監物らは引き上げる。六郎は無念なことであろう。

そこへ筑波御前と湊が馳せ参じ驚愕する。兵庫之助は二人を残し冷ややかに奥へ引っ込む。筑波御前は自害しようとするが、兵庫之助が徳寿丸を抱きかかえて現れる。実は、六郎の守っていた子は兵庫之助の子・友千代で腰元たちと遊んでいたのが徳寿丸だったのである。兵庫之助は事の次第を語り始める。

兵庫之助は、義興から不興を買い扇子を投げられる。そこには、徳寿丸を頼むとあり、六郎も加わって尊氏から徳寿丸をまもる計略を立てていたのである。六郎の死も最初から尊氏側を欺くための覚悟の上であった。

隠れて話を聞いていた長蔵は、尊氏に諌言しようとするが、江田判官に殺されてしまう。判官は兵庫之助を敵ながらもあっぱれと、お互いに戦場での再会を約束するのであった。

首実験の時に、湊と筑波御前もおらず、六郎が自刃して敵を欺いてくれたので、熊谷と違い、寝返った悪しき兵庫之助を崩さずに吉右衛門さんは押し通す。そして、わが子の死に対し湊と共に豪快な笑い泣きとなり、その辺りが流れとして二面性が一気に露出して兵庫之助に膨らみがでた。役者さんも揃い、首実検もしっかり行われ疑う事の無い騙され様であった。

兵庫之助の吉右衛門さん、江田判官の歌六さん、湊の東蔵さん、筑波御前の芝雀さんと徳寿丸で大きさが出て幕となる。

どうして通しで上演されて来なかったのであろうか。次の三幕目も面白いし、新田義興の怨念が娘お舟の力添えによって成就するというのが流れとして判ると<頓兵衛住家の場>が今までよりしっくりと落ち着く。何か納得していなかったのである。

国立劇場『研修発表会』『神霊矢口渡』(2)

『研修発表会』の前に<お楽しみ座談会>があり、これは先輩方が若手のためにお客さんを呼び込んで下さっている一因にもなっている。そして今月の国立劇場での芝居のことも聞けるので、観客にとっても有益である。

司会・織田紘二/出演者・中村吉右衛門、東蔵、芝雀、錦之助、又五郎、歌六

吉右衛門さんが若手のためお見苦しいところはご勘弁をと言われる。<焼餅坂の場><由良兵庫之助新宅の場><道念庵室の場>は百年経っての上演であるから、皆さん初役である。そのため<初々しく>が合い言葉となり、場内笑いが。吉右衛門さんが、平賀源内は土用の丑の日にウナギを食べることを考えたり、浄瑠璃も江戸発信で江戸周辺を舞台にしていて、時代は南北朝時代で、平賀源内さんと新田家の子孫のかたが訪ねて下さり、今に繋がっていることに驚かれていた。歌六さんが、新田神社の破魔矢を出されて、この破魔矢を考えたのも源内さんであると。又五郎さんは、又五郎さん演じる南瀬六郎宗澄の子孫の方も訪ねてこられたということで、吉右衛門さんは、ずっと昔のことでも歌舞伎は今につながっておりますので、歌舞伎をどうぞ宜しくと歌舞伎の宣伝もしっかりとされる。

源内さんは恐らく歌舞伎を色々調べて『神霊矢口渡』を書かれたであろうから、他の作品にもと思わせる場面があり、東蔵さんは、色々な引き出しを開いて、こうであろうかと毎日考えているので、まだ固まっていないと言われる。それを受けて歌六さんは、違う引き出しを間違えて開かない様にしなければと。子息の米吉さんのお舟のことを聞かれると、芝雀さんに全てお任せしているので。芝雀さんは、筋の良いご子息なのでと言われ、自分は身体が硬いので、訓練して何んとか海老反りにもっていってますと言われ、五代目雀右衛門襲名については、すでに緊張の毎日とのことである。

又五郎さんは、六郎は、兵庫之助に対等な役と思うので兵庫之助に負けない心構えですと。錦之助さんは、義岑の役と思っていたのに若い人に取られ、線が細いので心配ですが、敵役的な竹沢監物と義興の霊をやり、義興の霊は気持ちの良い役なので、次にこの芝居に出る時には義興の霊がやりたいと笑わせられた。

通し狂言『神霊矢口渡』を観たあとでのお話しだったので、役と較差させて楽しく聞かせてもらった。

序幕<東海道焼餅坂の場>は、東海道の戸塚宿に向かう途中にある坂で、武蔵と相模の国境にある。その坂は焼餅坂と名付けられそこで茶店と宿を兼ねている亭主(吉三郎)が旅人に焼餅坂の名の由来を教えようとするが旅人は時間がないと聞いてはくれない。

ご亭主あなたがその坂で焼餅を売っていたので焼餅坂と言われたと現代の案内板にありました。別名、牡丹餅坂の名もあります。戸塚の東海道の絵には、焼餅坂の様子と焼餅を食べている旅人の姿が描かれています。

序幕から歩いた場所で、江戸の人にとっても身近な場所と思える。上方で人気があった演目ということで、上方からすると遠い江戸のことのほうが、想像力が喚起され楽しんだのかもしれない。容易に行けない場所が芝居で見れるという感覚を源内さんは判っていて当て込んだのかもしれない。

戸塚宿の手前の焼餅坂で、義興の奥方・筑波御前(芝雀)と家老・由良兵庫之助の妻・湊は馬子と雲助に戸塚宿と言われ騙されてしまう。馬子の寝言の長蔵(吉之助)と雲助願西(又之助)は、筑波御前と湊に言い寄るのが目的であったが、湊が機転をきかせてその場を逃げてしまう。筑波御前と湊は生き別れとなった徳寿丸を捜しての旅の途中であった。

その後に、南瀬六郎が徳寿丸を笈(おい)に隠し背負い巡礼者となって坂にさしかかるが、長蔵たちに褒美の金目当てで襲い掛かられるが、怪我をしつつも追い散らす。

役の名前など、どこか源内さんが楽しみつつ付けたような感じがする。馬子と雲助が湊に見事騙されてしまう可笑し味の場面であるが、東蔵さんの気強い柔らかさに対し吉之助さんと又之助さんは可笑し味を誘うまでの柔らかさが足りない。こういう役どころが難しい。もう一人の雲助野中の松の吉兵衛さんは元相撲取りで儲け役であった。

芝雀さんはお舟との二役なので、女形としての奥方と娘役の二通りを見せて貰えるのである。女形の被膜を被り、そこにさらに、役の被膜が加わると言うことで、アニメ的にはならないということがどういうことであるかが解かって貰えると思う。そこに女形の難しさとやりがいがあるところであろう。

歩いたところなので、出だしから楽しませてもらった。

 

国立劇場『研修発表会』『神霊矢口渡』(1)

10月に続いて、若い役者さんの『研修発表会』が開催された。今回の通し狂言『神霊矢口渡』の序幕<東海道焼餅坂の場>と三幕<生麦村道念庵室の場>は百年以上上演がなく、二幕<由良兵庫之助新邸の場>は百年目の上演である。

大詰め四幕目の<頓兵衛住家の場>は、『神霊矢口渡』となればここの場しか上演されていなかったので、お舟という娘が一目ぼれした相手のために命がけで太鼓を叩く話しとして記憶されている。それと、お舟の父親の極悪非道さである。身代わりとなった娘を刺しておきながら、賞金が手に入らなくなると言ってさらに娘をなじるのである。

この父親・頓兵衛の一番の見せ場は、賞金のかかっている落人を追い駆けるため花道を駆けだすのであるが、その引っ込みが<蜘蛛手蛸足(くもでたこあし)>と言われる動きで、さらに刀のつばをカタカタ鳴らすのである。

作者が、様々なことに挑戦した平賀源内さんで、福内鬼外の名でこの浄瑠璃を書いたのである。<ふくうちきがい>と読ませているが、福は内、鬼は外である。頓兵衛の引っ込みも弁慶の引っ込みに対抗して考えたのではないかと思ってしまう。

その後、お舟の見せ場で下男六蔵に邪魔されつつも、死に物狂いで太鼓を打つのである。この芝居を初めて観たときは、八百屋お七に似ているなと思った。この太鼓は、落人が捕まったから包囲を解いてもよいという知らせなので、太鼓を叩くことによって落人が逃げれるのである。

お舟が一目惚れしたのは、足利尊氏との争いに負けて逃げる新田義岑(にったよしみね)である。善峯の兄の義興(よしおき)は、渡し守頓兵衛が舟の底に穴を空けていて水死していたのである。それが、この矢口の渡しである。頓兵衛は報奨金も手に入れ、さらに善岑を捕らえ褒美の金を手に入れようとの強欲な父親である。

しかし、神は許さなかった。義興の霊が現れ、頓兵衛は義興の怨念の一矢をうけるのである。この最後に義興の霊が現れることによって、話しがぴしっと納まった感じがした。

もう一つ、義岑は恋人の傾城うてなを伴って、頓兵衛の家に一夜の宿を頼むのである。一目惚れしたお舟はうてなが妹であればよいと思い義岑に尋ねると妹だという。お舟は、大胆にも言い寄るのである。義岑もその願いを叶えるとしたところで、二人は何かによって気を失ってしまう。それを見たうてなは、新田家の白旗をかかげると、目覚めるのである。この現象でお舟のほうは、何か神がかり的な暗示をもらったのではないかというのが、私の推理である。人目惚れの恋心の力だけで、刺されていながら太鼓を打つまでのあのエネルギーが出せるであろうかと思ってしまうのである。それぐらい長丁場なお舟のしどころである。それは個人的考えなのでこちらに置いておく。

研修会の配役

お舟(米吉)、義岑(蝶之介)、うてな(京由)、下男六蔵(吉兵衛)、船頭八助(吉二郎)、しっかり候兵衛(蝶一郎)、二ぞろのびん助(蝶三郎)、三とめの十蔵(吉助)、義興の霊(京純)、頓兵衛(吉之助)

船頭八助が仲間に紐でつないだ銅錢の一束を渡すことによって、頓兵衛がどうして振る舞うだけのお金があるかがわかる。こういう台詞がきちんと聞こえるか聞こえないかで、芝居の理解度が違う。それと役者さんの向きで聞こえづらいときもあるが、しっかり聞こえた。

お舟の米吉さんの出は可愛らしいが、義岑を思うしぐさなどは、可笑し味もある場面であるが、まだ身にしっくりとはいっていず、アニメ的な可愛らしさであった。それが、変貌してくるのが、頓兵衛に刺されて、頓兵衛と向かい合い海老反りになったあたりからである。六蔵と渡り合い、六蔵を斬り殺し、刀の鞘を持ち太鼓を打つまでは若さの勢いで見せてくれた。

頓兵衛の吉之助さんは、憎憎しさなどの表現はまだであるが、大きな頓兵衛になる可能性を秘めている。花道の引っ込みも可笑しさに欠けるが、しっかりと身体を動かしていた。

六蔵の吉二郎さんは、お舟の動きに合わせようと努めていて、自分の役を出すまでには至らなかったように思える。その他の役者さんも、一生懸命で、10月でも思ったがもう一回位は演じさせてあげたかった。

10日ほど先輩たちから指導を受けたそうで、歌舞伎としては異例の練習時間である。ドキドキ、ハラハラの激動の経験であったであろうが、先輩たちもかなり気にかけておられた様子であった。これから国立劇場観劇の方は、一段とゆとりのある大きな芝居が観れるかもしれない。

豊島区民センターで 舞台写真家・福田尚武さんの「歌舞伎写真展」を開催している。23日の今日までであるが、最終日は2時までのようである。池袋東口から歩いて5分くらいの場所で無料である。迫力があり、役になりきった役者さんの姿とお顔は、舞台の神様に微笑みかけられたような一瞬で圧倒されました。

 

 

 

歌舞伎座 11月『勧進帳』『河内山』『実盛物語』『若き日の信長』『御所五郎蔵』

『勧進帳』。幸四郎さんの弁慶。義経が松緑さん。富樫が染五郎さん。松緑さんの口紅が赤いと書いたが、他の役者さんの義経も赤が強かった。こちらのイメージが勝手に創造していたらしい。富樫の染五郎さんは、セリフで幸四郎さんの弁慶に負けているのか、富樫が動き過ぎと感じてしまった。富樫は、富樫で役目がらと、弁慶の義経に対する忠誠心を目の当たりにして見逃すわけであるが、そこのこらえが弁慶に押されて動きで対抗しようとしているように映った。

お酒を飲んだあとの幸四郎さんの動きが、愛嬌、悲哀、勇壮と変化に富んでいた。宗之介さんが駿河次郎で大丈夫かなと思ったが声もしっかりしていた。今回の幸四郎さんの弁慶は、ベテラン相手の弁慶ではなく、若手をどう引っ張って『勧進帳』を作り上げるかという、違う意味での工夫の弁慶であるように思えた。

『河内山』。海老蔵さんだけでなく、今の役者さんたちは何とか歌舞伎に親しんでもらおうとの思いからか、サービス精神がいい。それはそれで一生懸命なのは理解できるが、時間は限られているわけで、自分の修行の時間も大切にしてほしい。今しか学べないことも多い。観客席を沸かせることに腐心していると、<芸>の神様が意地悪するかもしれない。松江出雲守の梅玉さんは、河内山に対する不快感を家来を呼ぶ手のたたき方一つで、その気持ちや、感情の押さえられぬ性格を表していた。動きが少なくても、言葉が少なくても、人物像を表す手段は、歌舞伎の中にはある。

緋色の衣に「ばかめ!」。それだけでも、歌舞伎の培われた練がある。

『実盛物語』。染五郎さんの実盛は、まだではないかと思ったがハマっていた。悲惨な戦の話の中でも、親子の情愛がからまり、それを上手くまとめる実盛の知恵者としての面白さのある役である。亀鶴さんの瀬尾は、女の片腕を生まれた子供といいくるめられ、さらに、その片腕の女の小万が自分の子であり、孫に自分を討たせ手柄としてやるあたり意外にもきちんと収まった。小万が思いを伝えるため生き返るのも、秀太郎さんならではの役どころである。児太郎さんの葵御前も、若い風格がある。九郎助夫婦も芝居にそう。

『若き日の信長』。これこそ、海老蔵さんが思うままにやってよい演目と思うのであるが、うつけにはなられなかった。信長(海老蔵)を想うお守役の政秀(左團次)、人質の弥生(孝太郎)などが周囲にいるのであるが、その人たちにも自分の進むべき道を理解させるのは難しい。それを引きずっていては今川との戦いには勝てない。誰も今川がやぶれるとは思っていない世の中である。その中で情を捨て一人だけの道を進むしかなかった。そばに一人、声をかければ飛んでくる藤吉郎(松緑)がいた。

『御所五郎蔵』。黙阿弥の七五調を菊五郎さん、左團次さんが安定した台詞できかせ、仁左衛門さんが仲裁に入る。傾城皐月に魁春さん、傾城逢州に孝太郎さんである。ベテラン人の余裕のある演目となった。

吉例顔見世大歌舞伎・十一世市川團十郎五十年祭。多くの役者さんの顔が揃い、今の歌舞伎界の世代の層の一端が見える。若い世代がこれから、多種多様の役に挑戦し、主も脇も実績を積んで行かなければならない時期のように思える。歌舞伎を面白くするために。

 

歌舞伎座 11月『江戸花成田面影』『元禄忠臣蔵』

旅で戯言の言わない友人から「あなたの歌舞伎は上から目線よね。」と言われる。来ました。戯言は言わないが、ツッコミはくるのである。それが許せる仲ではあるが。「勘三郎さんと三津五郎さんの喪失は、次の世代には兎に角痛手でこれを埋めるためには若い役者さんたちに頑張ってもらうより方法がないと思っているので、大先輩達がいるうちに、学んでおいて欲しいのよ。」

歌舞伎は良い意味で大家族主義であり、血縁関係主義である。これが、長く続いてきた根源でもある。しかし、<芸>を考えるなら実力をつけて頂かなくては、伝統芸能の意味がない。伝統芸能だからというブランドで観るのか、<芸>があるからこそ伝統芸能であると認めるのか、それは観る側の問題でもある。

演劇とか芝居とかは、スポーツのように一位です二位ですとか、勝ちました負けましたという判定がつけられるものではないし、好みもあるし厄介なしろものであり、同時にだからこそ面白いという事もある。そして、こちらも迷走しつつ楽しんでいるのである。そういう楽しみ方をしていると、思い入れも加わり、友人に指摘される観方になってしまったということである。

11月の顔見世は十一世市川團十郎五十年祭ということもあってか、昼夜、重い演目が並び、舞踊は曾孫の堀越勸玄さんの初お目見得ということもあって『江戸花成田面影』だけである。初お目見えと初舞台は同じと思っていたが、どうも別らしい。役がついての初登場が初舞台らしい。芸者の藤十郎さん、鳶頭の梅玉さん、染五郎さん、松緑さんと艶やかで粋で華やか踊りに、仁左衛門さん、菊五郎さんも加わり、誠に御目出度い一幕であった。千穐楽までもう少しの頑張りである。

今月で一番面白かったのは、初めての『元禄忠臣蔵』<仙石屋敷>である。心理推理小説の舞台をみているようであった。討ち入りを果し仙石屋敷にて、内蔵助を筆頭に浪士たちがそろい、伯耆守(ほうきのかみ)からの尋問に答えるのである。300余人いた浪士がなぜ四十七士にまで減ってしまったのか、仇討ちの真意は、吉良邸での灯りに松明は使ったのか、など次々尋ねていく。これは、台本がないと正確に書けないがその答えが心理情況も踏まえ聞かせるのである。雪あかりと月あかりで外は明るかったとか、引き上げるときは、世情を騒がせぬため両国橋は渡らなかったなど、耳をそばだてる。以前、深川の芭蕉記念館に寄ったとき、赤穂浪士が通ったところとしていたので不思議であったが、映画に出てくるような江戸庶民に騒がれるような引き上げかたでは無かったのかもしれない。

仙石伯耆守の梅玉さんが尋ね、大石内蔵助の仁左衛門さんが答える。内蔵助の語りは、浪士たちの苦労を踏まえての一致した心情を雄弁にかつ、奢ることのない語り口で、伯耆守も深く感じ入る。

他の浪士たちも、尋ねられると本懐を遂げた安堵感からか、それぞれの役目など話していく。そして、それぞれがお預けの屋敷が伝えられ最後の別れを惜しむのであるが、内蔵助と15歳の主税は別々の預かり場所となる。内蔵助は主税が最後に見苦しき振る舞いをしないことのみ願い、主税は大丈夫であることを父の前に再度手をつきしっかり父を見つめるのである。主税が千之助さんである。相手が仁左衛門さんであるから、情愛と臨場感が増す。

それぞれの役者さんのセリフのトーンが頭に残っているうちに、もう一度、文字で確かめたい作品である。長いセリフは観客を引っ張り通す<芸>が必要である。

旅の前の戯言

歌舞伎座11月、話題は「十一世市川團十郎50年祭」に血筋の堀越勸玄さんの初お目見得であろう。花道から海老蔵さんに手を引かれての堂々の登場である。舞台正面にきちんと正座して、子供独特の言い回しでの自己紹介である。その可愛らしさとあどけなさと真摯さはどの役者さんもかなわない。プロとしての初舞台大成功である。

幼い頃からプロとして舞台に立つ運命であり、そこを成長に従ってどう埋めていくのか測り知れない道が続くのである。先輩の左近さんが『勧進帳』の富樫の太刀持ちをしている。左近さん、10月は丁稚長松を無難にこなされた。今月はじーっとお行儀よく、富樫のこれぞというときに太刀を渡す。大先輩たちと同じ舞台にあって、その空気を意識せずに身体に吸い取っていくのであろう。

勸玄さんもそうした経験をこれから沢山積んでいくわけである。煩い外野の声を聞きつつ答えのない道を歩き続けるわけである。初舞台の真摯な目で、観客席をにらみ返すことを願っている。

その勸玄さんに銘じて余計なことを少し。『若き日の信長』の海老蔵さんの発声に疑問。籠ったたような声を押し出して響かせていたが、信長の人物の味を薄めてしまう言い回しの発声である。

『河内山』では、目での演技が多く、河内山の腹がない。ふっと小馬鹿にしたような視線はいいが、絶えず心のうちの視線であろうか動く。腹の座った愛嬌は何回も見せては価値がさがる。玄関での見せ場があるのであるから。

これまた、左近さんに免じて松緑さんへも一言。義経の台詞の声は、工夫が伺え松緑さんの初めて聞く声質である。それは良い。しかし、義経の顔の作りが濃すぎるように思えた。『若き日の信長』での藤吉郎では、癖ある藤吉郎をあえて信長の影に隠れて仕えるという押さえた顔の作りでよかった。義経は品格を持っての隠れての逃避行である。口の赤さも気にかかった。

気の置けない友人との旅の前のあわただしさの中で、言わなくても良い戯言を言ってしまった。旅の準備にかかる。雨の日がありそうだ。本数の少ない路線バスを使う日にぶつかりそうである。言わなくても良い戯言は言わない友人たちなので、大いに助かる。

国立劇場 『研修発表会』『伊勢音頭恋寝刃』(2)

『研修発表会』の『伊勢音頭恋寝刃』は<古市油屋店先の場><古市油屋奥庭の場>である。若い役者さんだけではなく、いつもは脇を固めておられるベテランの役者さんも大役に挑まれる。

福岡貢(中村亀鶴)、仲居お万(中村鴈之助)、油屋お紺(中村梅丸)、料理人喜助(松本錦弥)、今田万次郎(中村春之助)、油屋お岸(中村春希)、油屋お鹿(中村東志也)、仲居千野(中村蝶紫)

春之助さんの万次郎を見たとき、〔つっころばし〕というのは難しい役どころだと思った。これは時間のかかる役どころである。貢は〔ぴんとこな〕といわれる型で、柔らかいのであるが、武士の一面をものぞかせるといった役で、亀鶴さんは強さの中に柔らかさがあるといった配分であった。梅丸さんのお紺は、幼さが見受けられ若すぎると思ったが、貢に愛想づかしをするあたりから、乗ってきて不自然ではなくなっていた。鴈之助さんのお万と亀鶴さんの貢とのかけひきも体形的に立派なので上手く見せてくれる。

梅丸さんが、折り紙を貢にぽんと投げるところなどは、幼さが却ってよくやってくれたと思わせる。名刀・青江下坂を抜いてからの亀鶴さんは、妖刀に操られているといった感じを強く出し、刀に引っ張られる感じで、それはそれで面白かった。一回の舞台であるからか、全てを出し切りたいとの思いが強いであろうが、動きは丁寧に次第に芝居に乘って来る感じで邪念なく演じられていたようで、気持ちのよい舞台となった。それぞれが、自分もモチベーションに力を尽くし、それが芝居の形を上手く作り上げ見応えある舞台となった。

『通し狂言 伊勢音頭恋寝刃』は序幕から初めてであるから興味津々である。油屋のお岸(梅丸)等を連れての今田万次郎(高麗蔵)の花道からの出、放蕩好きの頼りない万次郎を高麗蔵さんがよく表している。この後も、そんな頼りなさでいいのと思わせる程のつっころばしである。将軍家に献上する名刀・青江下坂は質に入れ売り払われ、折紙(おりがみ・刀の鑑定書)は持っているから、刀を捜すようにと奴・林平(亀鶴)にいうが、その折紙も侍に化けた阿波の商人に騙し取られてしまう。

伊勢の御師で、万次郎の叔父・左膳(友右衛門)の配下である貢(梅玉)は、左膳に刀を捜すよう頼まれる。貢の実家は今田家に仕えていたことがあり、貢は今は御師の福岡孫太夫の養子となっていた。左膳の逗留する宿で、貢と万次郎は会い阿波国のお国騒動の絡んでくるのがわかる。

奴・林平は、万次郎のそばにいた大蔵(錦弥)と丈四郎(梅蔵)が裏切者であることを知り、敵がわの密書を手に入れるべき大蔵と丈四郎との追い駆け合いとなり可笑しさを誘う場面となる。亀鶴さんは、研修発表会も終わったためか弾けていた。

貢も加わり、夜明け前の二見ケ浦でのだんまりは綺麗に決まっていた。夫婦岩から朝日が差し手に入れた密書を貢が読むというこれまたユーモアに富んだ場面となる。

貢養子先での場<太々講>である。養父の孫太夫は留守で、弟の彦太夫(錦吾)の甥・正直正太夫(鴈治郎)が、孫太夫の娘を口説いたり、今田家の敵側から刀を手に入れば侍にするとの密書が届いていたため、貢の伯母・おみね(東蔵)がまだお金を払ってはいないが、青江下坂を持参していたのを、手に入れようとする。その為、太々講の奉納金を盗んだりと大忙しである。そこには、油屋のお紺(壱太郎)も貢を訪ねてきていてややこしいことになっているが、伯母はお紺に貢のことを頼み、名刀・青江下坂のいわれを話す。この刀を手に入れた貢の父はその刀で人を斬ってしまい、子孫まで相性が悪い刀だから、心して扱うようにと伝え聴かす。

この刀のいわれと、お金も無いのに刀が貢の手に入るのが、ここでの面白さで、狂言回しが正直ではない正直正太夫の役どころで、あたふたと軽妙に鴈治郎さんは演じられる。

これで、貢と刀との関係、お紺との関係、万次郎との関係が明らかになり、後は、刀を早く万次郎に渡し、折紙を捜すことである。ここから、油屋の場へと移るのである。先は見えてきているのに、油屋の仲居万野がそこに立ちはだかってしまう。父がここ刀で人を斬ったのも、朋輩に罵らからであり、貢も同じ道を歩むこととなる。今度は、お紺の心を知らずに、衆人の中でお紺にまで愛想づかしをされたという義憤が加わり大勢の人を斬り殺す結果となってしまう。

お鹿の松江さんは、身体は女形としてはスムーズではないが、声が女形としても自然の声で台詞はよくわかった。お鹿の出をじっと待って愛想づかしの壱太郎さんの一途さがある。お岸の梅丸さんは、今度は健気に、貢さんの怒りを静めようとする。

貢は武士の出といっても早くに養子に出ているわけで、自然な身体の柔らかさの中に主に仕える志がうかがえる。魁春さんの万野とのやりとりも上手く相対している。伯母に刀のことを言われながらも、違う刀を手にしていると思っているわけで心ならずも妖刀に引きずられていく。

通しで観ることによって、油屋の場面の因果関係がより明確になった。お紺の愛想づかしも、<太々講>で伯母に認められ、ここで貢さんのために何かしなくてはとの想いがあったから、後でことの次第を話せばよいと考えたのであろう。しかし、刀への作用が違う方に傾いてしまうのである。貢と万野のやり取りにしても、可笑し味を誘い、この演目はそうした可笑し味を多く取り入れつつ終局にもってくるように計算されて構成されているのである。

国立劇場 『研修発表会』『伊勢音頭恋寝刃』(1)

「伝統歌舞伎保存会」という組織があり、初めて『研修発表会』(第16回)を観た。その月に公演されている演目を若手の歌舞伎役者さんたちが演じるのである。

10月の国立劇場『通し狂言 伊勢音頭恋寝刃』をまだ観ていないので、若手の役者さんのを先に観ることとなった。『研修発表会』の前に、<お楽しみ 座談会>があり、中村梅玉さん、中村東蔵さん、中村松江さん、中村壱太郎さん、中村鴈治郎さん、中村魁春さんが出席され葛西聖司さんの司会で文字通りお楽しみなお話しであった。

今回の『通し狂言 伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』は、国立劇場では初めての上演で、二幕目の<太々講(だいだいこう)>は歌舞伎座上演から53年ぶりということである。鴈治郎さんによると、二代目鴈治郎さんの時には、<太々講>のみの上演が何回かあり、この場面だけでも観客に喜ばれていたようで、ただ、どのような音楽が入っていたのかなどの記録がないので、新たに作られていったとのことで、4代目を襲名された年に二代目の得意とした正直正太夫の役で演目を復活されての出演は興味深いところである。

<太々講>で、妖刀とも言える名刀・青江下坂のいわれも分かり、その場面が可笑しみのある一幕なわけで観た事のない者にとっては楽しみである。さらに、序幕も初めてである。東蔵さんが、この作品では一番多くの役を演じられている。松江さんが、お鹿をされるのには驚きである。立ち役のお鹿ではなく、女形のお鹿として田之助さんに習われたそうで、笑いをとるお鹿ではなく、貢を一心に思うあまりの可笑しさにしたいと語られた。

お紺の大役を受けて、壱太郎さんは、大詰の油屋のところだけの出と思っていたら<太々講>にもお紺が出てくると初めて知ったそうで、松江さんが国立劇場開場の年の生まれなら、その時壱太郎さんはまだこの世に登場していないのであるから、当然である。

魁春さんは、万野は自分の性格と似ているからそのままでやってますといわれたが、貢の梅玉さんから、もう少し強くでていいよとの注文もあったようである。梅玉さんは、襲名の時が貢の初役でそのときの配役の豪華も話された。葛西さんが、歌右衛門さんに強く出れたのは魁春さんだけだそうですがの問いに、魁春さんが父の意見が長くなったので、「もうわかりました」と言っただけですの答えに、梅玉さんは「とても言えません」。どなたも言えなかったでしょう。

今回の研修会でも刀のことがはっきり出てくることを前提に梅玉さんは指導され、江戸と上方とあるが、江戸のほうでやらせてもらいましたと。鴈治郎さんは、料理人喜助も演じられている。喜助が鞘を取り換えられた本物の青江下坂を貢に渡し、万野に刀が違うから貢を追いかけて刀を取り換えてくるように言われ、花道で「ばかめ」というところを「あほうよ」とだけ言わせてもらっていると。

1796年5月に起こった事件を題材に、7月には大阪で上演されている。凄い早さである。憧れの伊勢参りの場所が舞台であるから、江戸でも大阪の芝居の話が話題になったことであろう。人形浄瑠璃になったのは1838年だそうで意外と時間がかかっている。

<お楽しみ座談会>は、『研修発表会』、本公演を見るうえで大変参考になり、楽しかった。