長唄舞踊『小鍛冶』 と 能『小鍛冶』

『十八世 中村勘三郎   一周忌メモリアルイベント』が行なわれ七緒八くんが歌舞伎舞踊に参加されたのをテレビの芸能ニュースでチラリと見たが、足が滑ったのに何事もなかったように踊り続け恐れ入ってしまった。目がいい。身体を動かした方向に遅ればせながら目が動く。能に多少こちらも目がいき、能の『小鍛冶』の録画を見て、勘三郎さんの勘九郎時代の『小鍛冶』も見直したばかりであった。勘三郎さんの『小鍛冶』での三条小鍛冶宗近の形と目が好きである。面白い事があると本当に楽しそうに笑うその顔付ではない。目もきりっとしていて怖いくらいである。あの目でみつめられると、勘九郎さんも七之助さんも、何を言われるかと小さくなったであろうと思われる目である。七緒八くんにもあの目がありそうで嬉しくなった。その世界に入り込んだら入りきる目である。

私が見た歌舞伎の『小鍛冶』は、勘太郎時代の現勘九郎さんも出ていて、17才のときであるから、1999年頃のNHKの「芸能花舞台」の録画である。「芸能花舞台」のほうで『小鍛冶』に関連して、『釣狐』と喜多流の『小鍛冶』を断片的に紹介してくれた。能の『小鍛冶』は後シテに出てくる狐の頭の毛の色によっても演出が違うらしく、赤頭、白頭、黒頭がある。狐の足を表現する狐足なども変わってくるようだ。

能『小鍛冶』は、一条帝の宣旨により、橘道成が勅使で三条小鍛冶宗近(宝生閑)に剣を打つよう伝える。宗近は相槌(あいづち)にふさわしい人が見当たらず途方に暮れ稲荷明神に祈願する。すると一人の童子(観世清和)が現れ、日本武尊の草薙剣(くさなぎのつるぎ)についてなど語り、宗近の討つ剣は草薙剣にも劣らぬと告げ姿を消す。宗近が剣を打つ準備を整えたところへ、稲荷明神の使者の狐(観世清和)が槌を持って現れ、宗近と共に剣を打ち剣はできあがる。表に小鍛冶宗近、裏に小狐と銘を打ち、狐は稲荷山へ帰って行く。

長唄の『小鍛冶』は、小鍛冶(勘三郎)と使者の橘道成(翫雀)が並んで舞台中央からせりあがる。そして能の後半部分の稲荷明神の神霊。(勘太郎)が花道すっぽんから現れ、宗近と共に刀を打つ。歌舞伎の場合、この刀打ちの槌の音をリズミカルに出させ躍動的である。神霊の動きも足を狐足にしたり、跳躍したりと、勘太郎さんは緊張しつつも一心に努めている。勘太郎さんの若いころからの性格をみるようである。

澤瀉屋には、義太夫と長唄とを取り入れた『小鍛冶』があるようである。

この三条小鍛冶宗近の三条は、京の三条に刀打ちの小鍛冶が多く住まいしていたところで、粟田神社、鍛冶神社、三条通りを挟んで相槌稲荷神社あたりにその痕跡があるらしい。粟田神社は行きたいと思っていた場所でいつも青蓮院どまりなので、是非行く機会を作りたい。さらに友人が狂言の和泉流『釣狐』と宝生流『小鍛冶』の録画をダビングしてくれ、そのタイミングの良さに嬉々として臨んだが、映らないのである。機種の相違か未設定であろうが、残念でならないない。クシュン!

 

追記: その後、粟田神社、鍛冶神社、相槌稲荷神社へ行けました。携帯からの写真で写りが不鮮明。

          粟田神社。この境内に鍛冶神社があります。  

          相槌稲荷神社

解説版には次のように書かれていました。

「ここは刀匠三条小鍛冶宗近が常に信仰していた稲荷の祠堂といわれ、その邸宅は三条通りの南側粟田口にあったと伝える。宗近は信濃守粟田藤四郎と号し粟田口三条坊に住んだので三条小鍛冶の名がある。稲荷明神の神助で名剣小狐丸をうった伝説は有名で謡曲「小鍛冶」もこれをもとにして作られているが、その時相槌をつとめた明神を祀ったのがここだともいう。なお宗近は平安中期の人で刀剣の鋳も稲荷山の土を使ったといわれてれる。 謡曲史跡保存会」

追記2:  時間を経て 2021年に和泉流『釣狐』と宝生流『小鍛冶』の録画を観ることができました。

<桶>の連想伝達

能 『融』の潮汲みの<桶>からすぐ連想が移ったのは、『義経千本桜』の「すし屋」のすし桶である。

いがみの権太の父・弥左衛門は、梶原景時の詮議の帰り道、一人の若侍の亡骸に出くわす。弥左衛門は何を思ったかその首を持ち帰る。もしものときには、自宅にかくまっている重盛の子・維盛の首として差し出すつもりなのかもしれない。この亡骸は、討ち死にした維盛の家来・小金吾である。すし屋の自宅に帰り弥左衛門はその首を、すし桶に隠す。

その前にいがみの権太は、父親の居ない間に、母に銀三貫目を無心してまんまと手に入れ、父親の帰りを知ってすし桶に隠すのである。どのすし桶に、お金が入り、首が入っているか、観客は知っている。

すし屋の娘・お里は維盛に思い焦がれている。そこへ、維盛の妻・若葉の内侍と子・六代がたずねてくる。お里は父の意思どうりこの親子を逃がしてやる。その様子を見ていたいがみの権太は弥助が維盛と知り、お金の入ったすし桶を持って訴人すると駆け出すのである。しかし、このすし桶には、小金吾の首が入っているのである。観客は知っている。ありゃりゃ!である。さらに、七三でいがみの権太はすし桶を抱えて見得を切る。拍手しつつも、お金でないことに気が付いたいがみの権太はどうするのであろうかと気にかかる。このからくりの一部を、それも見得を切らせて見せて、次の展開で、「ここまで推測できた、あなたは」と問いかけられてもいるのだと、何回か観て思った。このすし桶を間違えたことが、いがみの権太の運命を左右し、どんでん返しとなるのである。

芝居としては見せない部分である。すし桶を開けて、そこに首を見たいがみの権太は驚き、理解する。父が維盛を逃がし、梶原景時に維盛の首としてこの贋首を差出すのだと。しかし、内侍若君をどうするのだ。この時、いがみの権太の女房・小せんが、親に対する孝行は今しかないと自分たち母子が身代わりになることを申し出る。

維盛の首を持ち、内侍若君を引っ立ててのいがみの権太の登場である。上の見えない部分は後で父に刺されての死に際の権太の語りで分かるのである。権太の語りを聞きつつ観客は巻き戻しをして、あの時は、そういうことだったのかと自分の見方の不足部分を補うのである。そうして涙するのである。もしくは、もう一度見て、ここでこうなるのだが、やはり見抜けないのは当たり前などと納得したりするのである。ジェームス・ディーンの「エデンの東」での、父にも母にも受け入れられない若者の姿が浮かんだりする。

それだけに、いがみの権太の家族の場面が重要になってくる。女房小せんは夫いがみの権太に惚れている。世間から悪く言われ爪弾き者であるが、時として見せる夫の愛嬌に本心の一部をみているのであろう。だからこそ、身代わりになれるのである。そうすることによって、夫は父親から認められる。ここは、貴族でもなく、武士でもない、一般庶民の心意気である。

歌舞伎には首実験の場があり、それが贋首であったりして、話のどんでん返しとなるのである。戦の場合大将の死は一番戦意喪失させることであり、勝利への近道である。それだけに、本物なのかどうかは重要なことである。本当に死んでいるのかどうか。『熊谷陣屋』『盛綱陣屋』は、贋首によって武士の主従関係、親子関係にスポットライトを当てる。時代性と武士の世界観からの首桶である。

 

十月 歌舞伎座『義経千本桜』 ・ 国立劇場『一谷嫩軍記』『春興鏡獅子』 (2)

内田康夫さんの推理小説に『風葬の城』がある。内田さんの推理小説に手がいくのは、行った場所、行きたいと思っている場所の名が出てくるからである。<風葬>は会津を思い出させた。戊申戦争では、死者達の埋葬を許されなかったのである。小説を読んだ後、司馬遼太郎さんの『街道をゆく 33 白河・会津のみち』を読む。義経のこと、佐藤継信、忠信兄弟のことも出てきて芝居にエッセンスを振りかけてくれた。

『道行初音旅』は『吉野山』ともいわれる舞踏である。『大物浦』が重々しい心理劇も担っているので、気分を変え、京から満開の吉野山への静と忠信(実は狐)の道行である。藤十郎さんと菊五郎さんがおおらかに踊られる。義経は大物浦から九州にむかうが、吉野に逃れてくる。その義経のもとへ行こうとしているのである。ここで忠信の兄継信が屋島で、平教経の放った矢を義経の身代わりとなって受けて死ぬ、戦話も展開される。あくまでも踊りの形で見ている側もそうであったかとうなずく感覚である。江戸時代の人は平家物語など熟知していて、そうそうそうなのよ!の感覚だったのであろう。

『木の実』『小金吾討死』『すし屋』は、どんでん返しの庶民の悲哀となる。武士の話に庶民を主人公とする話もきちんと入れるところが、何とも心にくいところである。奈良の下市村のすし屋の弥左衛門は平維盛を奉公人弥助としてかくまっている。勘当されているすし屋の息子・いがみの権太は、維盛を尋ねてきた妻・若葉の内侍、若君の六台、家来の小金吾からお金をだまし取り、若葉の内侍親子と維盛の首を頼朝の家臣梶原景時に差し出してしまう。

それを知った、父親の弥左衛門は息子・いがみの権太を刺してしまう。実は、差し出した維盛の首は家来・小金吾の首で、若葉の内侍親子は、自分の妻と息子なのである。仁左衛門さんは今回は、要所ごとに自分の心の内を表にだした。自分の妻と子供を差し出すところは、ここは捕り手の松明の煙が目に染みると涙を隠すくらいであったが、その前にも辛さを表情にだし、花道を去る妻子にすまないという気持ちを出している。これで維盛親子を助けられる。親父に親孝行が出来ると喜んで「とっつあん!」と振り向いた時、事実が分からない弥左衛門は権太を刺すのである。ここから権太の嘆きが始まるのであるが、悪事を企む権太と、情を見せる権太の入れ代わりが、一人の人間の表裏の切なさとなるような変わり方であった。

『熊谷陣屋』で義経が<一枝を切らば一指を切るべし>と敦盛を助けろと熊谷に命じたように、梶原が褒美に与えた陣羽織には維盛を出家させるようにとの暗示が隠されていた。どちらも死んだという風聞は必要なのである。生かすとなると誰かが犠牲にならなくてはならない。そのあたりも組織の非情さがうかがえる。

奈良から観光バスで吉野に向かう時、ガイドさんが「この先にいがみの権太の住んでいた場所があります」と説明してくれた。モデルとなるようないがみの権太が実際にいたらしい。下市村あたりだったのであろう。それにちなんだすし屋さんもあるらしい。驚いた。

『川連法眼館』は狐忠信の畜生でありながら、親を思う情愛を見せる芝居である。知盛が吉衛門さん、義経を梅玉さん、静御前を藤十郎さん、いがみの権太を仁左衛門さん、狐忠信を菊五郎さんと、『通し狂言 義経千本桜』として通したわけである。『川連法眼館』は年齢的にみて菊五郎さんには負担過ぎる動きだったのではないだろうか。今回動きに捉われて情愛が薄くなったのが残念であった。飛び込んだりとかの動きを少なくしても、情愛がでれば、それはそれで芝居として面白いと思う。忠信として、団蔵さんと権十郎さんに挟まれ引っ込まれる時の立派さからすると、違う方法もあったのではと考えてしまった。団蔵さんと権十郎さんも出は少ないがきちんと役を作られるので出が楽しみである。

国立の『春興鏡獅子』は染五郎さん。美しい品のある弥生である。もう少し身体に貯める部分も欲しかった。獅子はシャープで切れの良さが魅力的であった。

 

 

 

十月 歌舞伎座『義経千本桜』 ・ 国立劇場『一谷嫩軍記』『春興鏡獅子』 (1)

今月は大御所達の登場である。歌舞伎での義経は控えめである。考えてみると不思議である。兄頼朝に追われる身になってからの義経を描いていて、あくまでも控えめな気品ある義経である。『勧進帳』などは、ずうっと控えている。動きの少ない中で、いかに気品を出すかが義経役者の芸である。『勧進帳』は能を取りれているが。今回は鳥居前は菊之助さん、国立は友右衛門さんで押さえられていたが、なんといっても、梅玉さんであろう。

『一谷嫩軍記』の陣門で熊谷直実の子・小次郎が花道から走り出てくる。梅玉さんが小次郎よりも数倍の年齢であるのに小次郎で出られたときがあった。年齢に関係なく小次郎であった。その走り方、若者のはやる心の表し方、これが歌舞伎の芸なのだと思わされた。今回は染五郎さんであったが、その形は成りきれていなかった。そこが歌舞伎の不思議なところなのである。

義経は天皇から初音の鼓を賜る。この鼓を義経が打てば、兄頼朝を討つことを意味するので、義経は自分の後を追ってきた静に形見として与え、ついて来ることを禁じる。その場所が伏見稲荷で狐と関連する場所でもある。この鼓の皮となった狐の子供が親を慕い、静を守る家臣佐藤忠信に成りすますのである。<鳥居前>での弁慶は義経に、鎌倉側の軍兵を殺した事を叱責されオイオイと泣き、忠信も狐が化けていることが分かるような派手な勇壮な姿である。近頃、亀三郎さんと亀寿さんがキラと光始めている。松緑さんもこの年代の舞台を締めている。

<渡海屋><大物浦> 平知盛の義経への復讐劇である。義経たちは九州へ逃れるため渡海屋で舟の出を待っている。死んだはずの知盛は生きていて、舟宿の主人・銀平となって、義経主従が船出したなら殺そうと待ち構えていた。知盛はさらに、死んだ知盛の亡霊がやったことにするため銀平から知盛に変わるときは白装束である。この知盛は吉右衛門さんの当たり役で、世話的銀平の柔らかさから亡霊知盛へ。しかし、義経を討つこと叶わず失敗に終わり、悲壮感と平家一族の悔恨とを碇を体に巻きつけて海に身を投げ出す場面は、今この場で平家のあらゆる感情をこれ以上この世に浮かび上がらせはしないと、全てを海に沈め、同時に鎮めるほどの迫力がある。いつもながらの大きさである。安徳帝を義経が守る約束をしてくれ、銀平の妻・典侍局(すけのつぼね)も先に自害。芝雀さんも舟宿の女房と帝の乳人との変化を上手く出していた。

『熊谷陣屋』の熊谷の妻・相模の魁春さんもやはり安定している。こちらは武士の妻であるが、思いもかけなかった自分の息子の首を突然見せられるのである。女は陣屋に来てはいけないと言われていながら、息子小次郎の身が心配で来てしまう。夫からは、敦盛の首を討ったと聞き、涙しつつも一縷の安堵の気持ちはあったであろう。それが一変する。熊谷も敦盛の話をきかせつつ、若者の戦での悲壮の死を伝え、事実が分かった時の妻の動揺を押さえたいとおもったであろう。その辺の幸四郎さんの押さえも大きく、自分以外の人間全てに悟られまいとする心のうちが、いつもより息つぎが穏やかでかえってよく伝わってきた。

今回、歌舞伎座と国立を一緒にしたのは、見ていて戦という中での人間の嘆き悲しみが、どちら側も同じであったからである。主従関係。敵味方。どちらにも抜き差しならぬ悲劇の塊である。

 

歌舞伎座 『九月花形歌舞伎』 (2)

歌舞伎座新開場記念 新作歌舞伎 『陰陽師』

作・夢枕獏 / 脚本・今井豊茂 / 補綴・演出・斎藤雅文

『陰陽師』に、<滝夜叉姫> と添え書きされている。観ての概略は、平将門が都から東国に帰り乱を起こす。将門の友である俵藤太に将門討伐の勅命が下る。藤太は将門の行動が納得できず、自分の目で確かめた上でどうするかを決めようと考える。しかし将門は、藤太が知っていたかつての将門ではなく藤太は将門を討つこととなる。

それから20年後都では、盗賊が荒らしまわったり、子供を宿した 母親が殺されたりと不穏な空気で満たされている。そんな時、帝の命で、陰陽師の安倍晴明が平貞盛の病を治すべく様子を見に行く。晴明には、常に友であり笛の名手の源博雅がそばについている。博雅の笛の音に魅せられて現れた美しい娘は、将門の娘滝夜叉姫で、盗賊を率い、貞盛の病も滝夜叉姫が係っていた。

将門を焚き付け乱を起こさせたのは興世王で、将門亡き後、将門を慕う娘・滝夜叉姫を利用し将門討伐に加わった者たちを亡き者とし、将門の再生を企んでいたのである。この時には興世王は実は藤原純友なのである。しかし、それも晴明の陰陽師の力によって打ち負かされてしまう。最後は、将門と藤太の友情、晴明と博雅の友情が前面に出され、滝夜叉姫も博雅の美しい笛の音に心穏やかになることが出来るのである。

俵藤太はムカデ退治で有名な藤原秀郷で、将門討伐への途中、ムカデ退治の場面もある。さらに、将門の愛妾桔梗の前と藤太はかつては恋仲であり、藤太を将門の闇討ちから逃がしてやり、興世王に殺される。将門と桔梗の前との子供が滝夜叉姫である。

場面は現在、20年前、現在、20年前、現在と設定し、20年間その怨念を興世王を通じて純友は育て続け将門再生を企てるのである。ただ、将門の死までの前半は面白味にかけていた。後半からの晴明の信太(しのだ)の森の白狐の血を受けているという事を前提としての陰陽師としての力に対する晴明の微かな悲哀と、揺るぎなき血を受けている博雅の屈託ない交流が場面を、明るくしてくれる。そして、興世王の呪縛から解き放された将門と藤太の将門に対する友情が締めてくれた。

『忍夜恋曲者』の滝夜叉姫のイメージがあるので、今回の<滝夜叉姫>の副題は必要ないような気もする。最初の何かに乗って現れた滝夜叉姫の出ももう少し工夫が欲しかった。後半の心理劇の加わりによって助けられたように思う。

安倍清明・ 染五郎 / 平将門・ 海老蔵 / 興世王・ 愛之助 / 桔梗の前・ 七之助 / 源博雅・ 勘九郎 / 俵藤太・ 松緑 / 滝夜叉姫・ 菊之助

平将門が都を去ることを告げる時と藤太と東国で会う場面は興世王に操られているということなのか海老蔵さんが全然生かされてなかった。興世王の企みに従わず再生を拒んだところでやっと見せ場がありホッとした。染五郎さんの狐を使っての晴明の心を遊ばせて自分を解放させる下りは、笛の音と共に美しい場面であった。その晴明の心の内を理解することなく、屈託なく、自分は晴明、君の友達だよと云う勘九郎さんと晴明のコンビが中々良い。松緑さんもまだ形と無らない動きなのでしどころに精彩がなかった。愛之助さんと染五郎さんの異界での争いであるが、その辺は納得出来た。時々出没する蘆屋道満の亀蔵さんも異界の愛嬌者として活躍していた。菊之助さんが将門を慕う気持ちはでているのだが、妖艶な滝夜叉姫としての輝きどころがなかった。

小説も映画も観ていないので、こういう事なのかと楽しませては貰った。

 

歌舞伎座 『九月花形歌舞伎』 (1)

「新薄雪物語」は、恋を裂かれた息子と娘のために、双方の父親が切腹し犠牲となり子供を逃がす話である。好きな芝居ではないが、幸崎伊賀守の息女薄雪姫の腰元籬・まがきの七之助さんの芯のある演技に見惚れて見続けられた。年代的に親子を演じるには無理な配役設定である。薄雪姫の梅枝さんは、腰元籬の助けを借りて恋する姫君の可憐さをだしていた。

一方、園部兵衛の子息・左衛門の勘九郎さんは時として動きが、狐忠信を思い出させ少し違うなと感じた。もう少し柔らかさが欲しかった。園部兵衛の家臣・奴妻平の愛之助さんは籬の七之助さんと恋仲で共に薄雪姫と左衛門の中を取り持ち、<花見>の幕切れは、薄雪姫に横恋慕する藤馬軍団との、たぷり返しの立ち回りがある。<花見>の段は桜の名所清水寺で腰元たちが、愛宕山、マツタケの名所稲荷山などと遠くの山々を指さすのも清水寺から周囲を遠望するようで楽しい。

天下をねらう秋月大膳の海老蔵さんは思いのほか小さく、家来の団九郎の亀三郎さんが惡役として光る。<詮議>の場で、左衛門と薄雪姫に味方し扇の下で二人の手をそっと重ね合わせる葛城民部・海老蔵さんとの三人の場面もどうも腹がなく味が薄かった。秋月大膳の惡と葛城民部の腹の大きさの違いを際立たせて欲しかった。

<合腹>は、相手方の親に預けられた子供を、それぞれの親が逃がし、相手に悟られないように腹を切り子供に代わって責任を取るのであるが、双方の父親は相手の気持ちを理解しての腹切りである。

伊賀守の松緑さんは『熊谷陣屋』での代役を成し遂げたゆえであろうか、老け役に違和感がない。兵衛の染五郎さんは、高音が若々しく損である。菊之助さんの兵衛の妻・梅の方は、伊賀守の家来が左衛門の首を切った刀を届けたため、伊賀守が首桶を持って現れると動揺する。伊賀守の娘・薄雪姫は逃がしたのに何たることか。夫・兵衛にそのうろたえを叱責され、伊賀守と兵衛の合腹を知り三人笑いになるあたりまで上手くつないだ。若過ぎる配役ではあるが、長い場面をよくもちこたえさせた。

『吉原雀』は、七之助さんのしめやかな美しさに勘九郎さんも合わせた踊りとなった。少々、おきゃんなところがあっても良いかなとも思うが、今の七之助さんの美しさを壊す必要もないのかもしれない。『新薄雪物語』の最後の重さを軽くする出し物である。

新橋演舞場の『男女道成寺』『馬盗人』の芝居の間への入れ方も気分を変えてくれ変化に富んでいた。

 

新橋演舞場 『九月大歌舞伎』

坂東三津五郎さんが病のため休演である。歌舞伎座の8月に心満たされる演技を受け、舞踏「喜撰」がよく掴めていないのでDVDも出ていることだし、少し探って見ようかなどと考えて居た矢先である。友人で同じ病で手術をし、体力がつくまでかなり時間を要したのを知っているので、ゆっくりと治療にあたって戴きたいものである。それまでDVDで堪能して心静かに待つことにする。

『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』の綱豊は中村橋之助さんである。この役は橋之助さんに合う役であると思って居たのでゆったりと観ることが出来た。役の大きさはまだでも、台詞が納得させれるか、そこが真山青果作では重要である。片岡我當さんの新井白石と、赤穂の浪士たちに仇討をさせたいものだと吐露し、白石が手で目頭を押さえるあたり綱豊の考えが固まっていくのがわかる。赤穂浪士・富森助右衛門が御浜御殿での浜遊びを見学したいと知り、吉良の面体を確認するためなら仇討があるのかもしれないと綱豊は読み、助右衛門を傍近くに呼び探りを入れる。仇討を悟られてはいけないし、吉良の顔を確認したいし、そのあせる気持ちを中村翫雀さんはソワソワしたり、ふてぶてしさを見せたり、綱豊との対決に面白味を加えた。

浅野大学によって浅野家再興が認められれば、仇討は意味がなくなる。その鍵を握っている綱豊は明日浅野家再興を願い出るという。行き場の無くなった助右衛門は、妹の手引きで、吉良を討つことに決める。これから舞台に出ようと能装束に身支度した吉良上野介に槍を突く。それは、吉良の身代わりの綱豊卿で、助右衛門の知慮のなさを叱責する。大石は自分の手で浅野家再興を差出し、自分の手から仇討という大義名分を逃してしまうかもしれない立場にある。その苦しみは如何ばかりか。そこに至る道を考えろ。そこに至る事が大事なのだ。橋之助さんは能装束姿の美しさと、台詞により仇討への過程の美しさをきちんと押し出して絞めてくれた。演じるにしたがい、大きさは加わっていくであろう。

『不知火検校』、悪がどんどん増幅されていき面白かった。河内山宗俊よりも非情で、不知火検校からすればお数寄屋坊主の河内山などはお人よしの悪人なのかもしれない。魚売りの富五郎は自分の子が生まれるための金欲しさから、親元に帰る途中の按摩を殺しお金を手に入れる。ところが、生まれてきた子は目が見えなかった。この子は不知火検校という盲人の最高位の所に弟子入りし富の市と名乗り一人前の按摩となる。小さいころから手癖も悪く、悪巧みにたけている。まるで悪のツボを心得ているように、そのツボを確実に一針うち悪を成功させていく。相手が騙されたと思った時にはすでに手の出しようがないのである。その辺りを松本幸四郎さんは富の市や自分の師匠を殺し二代目不知火検校になるまでの一針を手もとを狂わせることなく、時としては嬉々として、非情に成し遂げていく。その成し遂げる過程が、最後花道で一般庶民は検校に嘲られるが、嘲られるのが当たり前なくらい、ただただ、えっ、そうなるわけとあっけにとられるのである。

台詞の中に、熊谷宿の場面では、生首の次郎に呼び止められると、呼び止められた敦盛ではあるまいになどと、敦盛と熊谷直実の場面を引き合いに出したり、歌舞伎座での演目『新薄雪物語』や、常盤御前に例えたりとチラリチラリと台詞に色を添えてくれる。歌舞伎独特の江戸の悪の華、堪能しました。富の市や不知火検校に接するとき、相手は、どこか自分のほうが優位に居ると思っているところがあり、そこが、ねらい目でもあるわけである。油断をさせて置いて、全ては自分の手の内である。ただ、不知火検校の悪の大きさに恐れをなした小者が、不知火検校の弁慶の泣きどころであった。

 

八月納涼歌舞伎(歌舞伎座) (2)

八月納涼歌舞伎の、雑感を加える。

『野崎村』のを観るのは久し振りのような気がする。六月の『助六』。海老蔵さんの助六、実は曽我五郎のヤンチャぶりが面白く、それを支える福助さんの揚巻がしっかり者で、そのコントラストが舞台を生き生きとさせていた。それがあったので、今回のお光はどうなるであろうかと楽しみであった。この作品、前半のお光が久松との祝言の浮き浮きした様子、久松の奉公先のお嬢さん・お染が出現して焼きもちをやく様子と可笑しみの場面に捉われて、お光が久松とお染を結ばせるため尼になるところが弱くなる事がある。福助さんはその辺りも心して演じられ、可笑しみが悲恋へと変化する流れを上手く演じられた。駕籠と舟で別々に帰る久松とお染の旅路もいずれは一つと成る喜びを含ませているのに、お光にとっては、そこにとり残されながら一人旅となる悲しさを押さえつつしっかり表現していた。友人は、何年振りかの歌舞伎なのでお染・七之助さんが、一つ一つの仕種と表情が丁寧で成長したのに感動していた。

『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』(髪結新三)は、名場面は沢山あるが、今回は、新三・三津五郎さんと弥太五郎源七・橋之助さんとのやり取りに緊迫感があった。新三は小悪党で弥太五郎源七は乗物町の親分である。新三は親分が事を大きくしたくないために我慢しているのを良い事に言いたい放題である。新三の子分の勝奴・勘九郎さん、これがまた小憎らしい。観ている方も弥太五郎源七の顔を潰され刀に手をかけたくなるのが分かる。それほど三津五郎さんはキリキリと親分を嘲弄し、大きく構えてきた橋之助さんもドンドンプライドを潰されていく。そのため、深川閻魔堂での親分の仕返しが納得でき、この新三は何時かは誰かに殺される小悪党である事が宿命と思える。その小悪党が苦手な大家・彌十郎さんとのお金のやり取りも程々で気を抜いてくれる。

『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』(かさね)は、因縁が分からないと理解しがたい踊りのように思える。単にお岩さんのように醜くなりその恨みと思うが、そうではなく、与右衛門が殺したかさねの父親がかさねに憑りつくのである。かさねはその為に本来のかさねではなくなり、与右衛門はかさねを殺すことになる。殺しの美学的所作事が、今回は暗すぎ気が乗らなかった。福助さんと橋之助さんのコンビ、息が合うはずなのにしっくりしなかった。こちらの見方が悪いのかも知れない。五月の『廓文章(くるわぶんしょう)』(吉田屋)の仁左衛門さんと玉三郎さんコンビが良く映らなかったので、ショックを受けており、自信がない。

『狐狸狐狸ばなし』は可笑しさと同時に、シリアスな話でもあると思った。いつも笑わせられるだけでなのであるが、伊之助・扇雀さんと又市・勘九郎さんが浮気な伊之助の女房おきわ・七之助さんを仕返しに気をふれさせ、<「狐狸狐狸ばなし」だねえ>と言いながら花道を去る時、本当に狐と狸の化かし合いだと思わされる。さらにもう一つの化かし合いが加わり、終わることのない『狐狸狐狸ばなし』である。適度のダマし合いは笑いで済まされるが、これが際限なく続くとなると笑いでは済まない『はなし』となる。扇雀さんと勘九郎さんが体の動きで笑いを誘ってくれる。

 

八月納涼歌舞伎(歌舞伎座) (1)

勘九郎さんの『春興鏡獅子』、勘九郎さんのものになっていた。
勘三郎さんの弥生の愛らしさが頭の中にあるので、その姿とだぶるのではと危惧していたが、全く勘九郎さんの弥生であった。体形が違うので、勘九郎さんは自分の体形で美しく見える形を追求し、その身体的美しさに惚れ惚れしてしまった。相当身体的負担を自分に課していたことと思う。扇に余り気を使い過ぎない方が良いらしいが、二枚扇も綺麗であったし安定していた。そして眼が良い。視線が無理なく体の動きに合わせて涼やかすうーっと伸びる。迷いや力みがなく、江戸城の御殿で指名されて素直に踊りの世界に入っている弥生である。その為、獅子頭が蝶と戯れて動き出す時の驚きも、踊りの世界に入っているその世界で起こったことのように、現実に戻る前にすーっと引っ張っていかれたようで最後までその身体は美しく花道を消えていった。
獅子になって出てきたときが立派で、やはり、弁慶役者に成れると思った。大きく、ジャンプ力もあり、膝を痛めたことがあるのに大丈夫なのだろうかと心配になったほどである。友人が、涙するのではないかとハンカチを用意していたが、大丈夫であったようである。彼女は、勘三郎さんを勘九郎さんを通して思い出すと思ったようである。私は、勘三郎さんを自分の回りから消し、勘九郎さんの『春興鏡獅子』にした練磨に涙した。これからさらに、どんな『春興鏡獅子』にしてくれるのであろうか。今はただ<勘九郎>その人の『春興鏡獅子』であった。これを観て、これは『棒しばり』が面白くなると、心が踊る。期待した通りであった。
三津五郎さんが、やはり上手い。手を棒に縛られていても、下半身と足さばきはさすがである。勘九郎さんも対等に自分の踊りを披露する。狂言舞踊ということで楽しい踊りであるが、腕が固定されているだけに、身体のバランスと動きがあからさまにもなる。それをやはり優雅さも加味しつつ楽しさへともっていかなければならない。程良い次郎冠者と太郎冠者の明るさと連れ舞いの息の合い具合。主人が帰ってきて<お酒を飲んだであろう><わたしは知りません>の最終やり取りも、二人が存分に飲み踊りあかし、それを楽しませて貰った観客も、<知りません>と一緒に言いたくなる可笑しさである。
勘三郎さんと三津五郎さんコンビの『棒しばり』は忘れることはない。だが、新しい組み合わせで前進する役者さんの心意気には拍手を惜しまない。

歌舞伎座『七月花形歌舞伎』

花形歌舞伎となっているので若手と云うことになる。演目は昼夜とも通し狂言で、昼が「加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)」と「東海道四谷怪談」である。

どちらも筋が分かり易かった。これが良いのかどうか。観ているとすーっと流れてこうなってこうなるのかと話が見えてくる。もしかするとこれは人物の描き方が薄いのではないかと思い始める。何処かで役者の台詞廻しや演技に引き込まれこちらの感情の起伏も波打つのであるが、その波が静かである。

「加賀見山再岩藤」は「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」の後日譚である。「鏡山旧錦絵」では中村芝翫さんのお初が忘れられない。町娘出の尾上を浪人の娘お初が一生懸命に尾上の気持ちを盛り立てつつかばうのである。そして主人の尾上を死に至らしめた岩藤を討ち、お初は二代目尾上となり、その後日譚なのである。

尾上はお初の成りをして主人尾上のお墓参りの後に、岩藤の亡骸の捨ててある場所で弔いをする。すると岩藤のバラバラになっていた骨が寄せ集まり亡霊となり、次の場面ではいとも楽しげに桜の花の満開の上空を嬉々として円遊するのである。この骨寄せの後の亡霊の場面はあまり手を入れず役者さんの芸だけでやって欲しかった。そのほうが舞台の宙乗りでの岩藤の肉体を持った喜びの意味が返って強調されるように思う。

岩藤はお家転覆を狙う望月弾正に乗り移り二代目尾上に仕返しをするが、それとは別に現闘争の犠牲となる鳥居又助の悲劇がある。浪人中の主人求女を助け、その帰参のため弾正の政略にはまり主君の奥方を誤って殺してしまう。そのことを知った又助は盲目の弟志賀市の弾く琴の中で自害する。この又助の疑う事無く奸悪に翻弄される人間の巡りあわせと盲目の志賀市が無心に弾く琴の場面は見せ所となった。(又助・松緑/志賀市・玉太郎)

「東海道四谷怪談」は伊右衛門とお岩の話であるが、民谷伊右衛門は塩冶判官(えんやはんがん)の家中にいて今は浪人である。その隣に住む塩冶判官の敵である高師直(こうのもろなお)の家臣の伊藤喜兵衛の孫娘が伊右衛門にほれる。そのため伊藤家は親切を装い産後の肥立ちの悪いお岩に顔形が崩れる薬を血の道の薬と称して届ける。お岩は伊藤家のほうに何度も手を合わせその薬を飲む。菊之助さんのお岩の一つ一つの仕種が丁寧で細かい。そのこととは別で非常にストイックなお岩である。その為幽霊となって出てくるのは当たり前と思わせるがこちらにゆとりを与えない。もう少しお岩に可愛さがあると膨らみも出る。染五郎さんの伊右衛門も殺人鬼の印象が強い。単なる幽霊話のアニメではなく人間界の話である。操られているだけではない人間の感情の機微が欲しい。

何役かスムーズにこなされている。その出方も綺麗である。幽霊の仕掛けも自然に場の空気を廻している。これからなのかもしれない。伊右衛門とお岩の<蛍狩>は夢ではない心の交流の合ったものたちの芳香を感じ取らせる。戸口前の送り火にほのかに照らし出される伊右衛門のふっとした淋しさにもその兆しがあった。