柿葺落四月大歌舞伎 (一)

新しい歌舞伎座で一番拍手を贈りたいのは三階席から花道の七三(すっぽん)が見えることである。ここが見えるのと見えないのでは物によっては芝居が半減するものもある。今回の観劇で感じたのは、役者さんたちが気持ちを引き締めていることである。これだけの数の歌舞伎役者が同じ舞台に立つということは滅多にあることではない。この機に、幹部たちは芸を伝えようとし、次の世代はそれをしっかり受け止めようとの気迫がある。それはやはり、新しい歌舞伎座出演を成し得なかった方々への鎮魂と魂の引継ぎであろう。華やぎの中にも静謐さがある。

【第一部】 一、壽祝歌舞伎華彩(ことぶきいわいかぶきのいろどり) 鶴寿千歳

宮中での祝いの舞と新歌舞伎座の祝いを掛け合わせた舞踊で厳かな中にも艶やかさがある。染五郎さんの春の君と魁春さんの女御の踊りの後、権十郎さんと高麗蔵さん率いる宮中の男性と宮中の女性10人が並ぶと華やかさが増し、そこに長寿の象徴の藤十郎さんの鶴が降り立つと、新歌舞伎座開場を供に寿ぐ気持ちにさせられる。染五郎さんは先月一條大蔵卿を演じられているので一層貴族の優雅さが増したように観える。衣裳の扱いも美しい。おそらく若い役者さんで初めて着る衣裳の方もあるであろうが、一ヶ月その衣裳と付き合えると云う事は体に馴染むわけで貴重である。金の鶴を飾った冠に薄物の白の衣裳でゆったりと鶴の形を見せつつ踊る藤十郎さんのほんのりした柔らかさがほのぼのとさせてくれた。

二、お祭り  十八世中村勘三郎に捧ぐ

勘三郎さんゆかりの役者さんたちが明るく踊ってくれる。幕が開き浅黄幕のとき「十八代目中村屋」のお向こうさんの声がかかる。浅黄幕が下りると三津五郎さんの鳶頭を中心に、橋之助さん、彌十郎さん、獅童さん、亀蔵さん。芸者衆が福助さん、扇雀さん。若い者、手古舞と賑やかである。途中勘九郎さんと七之助さんと、なんと勘九郎さんの息子の七緒八くんが花道から登場である。予想外のサプライズである。舞台真ん中の床几に行儀良く座り動じることなく、開いた扇を持って動かしたりして皆の踊る様子などをみている。驚いたのは勘九郎さんが踊りの最後右袖を左手で少し上げ見得を切ると七緒八くんが同じように座ったままで可愛らしく見得を切ったのである。今回、この一番小さい七緒八くんから始まり、国生くん、宗生くん、宜生くん、虎之介くん、金太郎くん、大河くん、玉太郎くんがきちんと役にはまり子役としての力量を示してくれた月でもあった。

三津五郎さんと巳之助さんがおか目とひょっとこのお面で踊るのを観ていると、三津五郎さんと勘三郎さんの「三社祭」がふっと浮かぶ。勘九郎さんが左足で立ち右足をたっぷり引いて間を置き大きく前にせりだしいい形に決まると、勘九郎さんが膝を痛めたとき勘三郎さんが「俺さらはなくても踊れるよ。代わろうか。」と言われてた映像を思い出す。七之助さんは、厳島での連獅子の時毛振りを注意されていた。もっともっと勘三郎さんに怒って注意して欲しかったと思う若い方は多いであろう。怒られてもこの人ならと思える関係はなかなか得られるものではない。そんな事をつらつら考えつつ「お祭り」を楽しませてもらった。

 

国立劇場 『通し狂言 隅田川花御所染 女清玄 』

若手の大抜擢での公演であるが、残念ながら若手の魅力が伝わってこなかった。

入間家の執権粂平内左衛門(くまのへいないざえもん・実は平家の残党)がお家乗っ取りを企み、入間家の桜姫の許婚頼国を殺す。平家側の北條によって滅亡した吉田松若丸は魔界から現れ平内と手を組み頼国に成りすます。松若丸は桜姫の姉の花子の許婚なのであるが、行方知れずとなって三年立つため花子は剃髪し清玄尼となる。

清玄尼は夢の中で松若丸と結ばれる。清玄尼は清水の舞台から飛び降りる。松若丸が清玄尼を助ける。清玄尼は松若丸を恋い慕う余り仏の道を踏み外して行き、清玄尼に思いを寄せる船頭の惣太に殺されてしまう。妹の桜姫も許婚の松若丸を追い松若丸に巡り逢うが、二人に嫉妬する清玄尼の霊が現れ、苦しめられる。

大詰めで、吉田家の郎党軍助や忠臣粟津六郎により清玄尼の煩悩の世界も打ち払われるのである。

短く整理するとこんな感じであるが、実際には、それぞれの思惑があり一筋縄ではいかない話である。中心は深窓のお姫さまが突然一人の男に対する恋慕の情から狂い始めるわけで、そこにお家乗っ取りの話が加わるわけであるが、上手く回転していかなかった。それは、複数の若手抜擢と、25年ぶりの復活狂言ということで基本経験の薄い若手が新たに役作りをしなければならなかったことにあると思う。福助さん(花子・清玄尼)一人で引っ張る形となった。錦之助さん、翫雀さん、男女蔵さんが出てくるとほっとしてしまう悲しさ。宗之助さんは形になっていました。何を言われようと大きな役をやり通されたのですから、次の挑戦の機会を松也さん、新悟さん隼人さん、児太郎さん達は虎視眈々と狙って欲しいと思います。

残念な事に赤坂の勘九郎さんの舞台は観れなかった。新しい歌舞伎座となるが若手の歌舞伎を見続けると、歌舞伎を成り立たせていく役者さんの修練の必要時間の長さと脇役の重要性を感じてしまう。一つ一つぶつかっていくしかないのであろう。

こちらもまとめつつ本当にそうなのかと自分の見方、感じかたに疑問視しつつ、ぶつかっているのである。次の時にはもっと自信をもって納得したいと願いつつ。

 

新橋演舞場 『三月花形歌舞伎』 (夜の部)

「一條大蔵譚」(檜垣・奥殿)

この作品については2012年12月3日に<国立劇場12月歌舞伎『鬼一法眼三略巻』(2)>で、中村吉右衛門さんの一條大蔵卿について書いている。その甥の市川染五郎さんの初役である。染五郎さんは外見は二枚目であるが、二枚目半か三枚目の時のほうが伸び伸びと地なのであろうかと思わせられる楽しさがある。三枚目を演じているという空間がなく自然である。それゆえ<作り阿呆>は上手く演り通せるであろうと予想した。

吉右衛門さんに習われたのであろう。きちんと準えている。声の含みの自在さはこれからであろうが、柔らかさは申し分ない。あとは正気になってからのハラの深さであろうが、こちらは時間が必要と思う。時代の大きなうねりの中での一人の人間を演じる時、背中に時代を背負い、そこに踏みとどまりおのれの意思を通す人物像が見えてこなければならない。その空気を伝えるのは大変難易度が高いと思う。

吉右衛門さんは柔らかさと愛嬌に苦労されていたように思う。それを上手く出せたとき、本来の心理描写の上手さと合体し絶妙な大蔵卿となった。先人の歩いた道を辿らせてもらえばその距離感はわかる。それを何度か繰り返すと違う道からもと挑戦したくなり失敗したり手応えを感じたりして面白みが加わるのかもしれない。染五郎さんも憧れていた役であり、大蔵卿の支度をして宣伝写真を撮るときの喜びは大きかったようである。その喜びの分はこちらにも伝わってきた。次が楽しみである。

「二人椀久」

染五郎さんと菊之助さんである。美しい椀久と松山である。夢の中でやっと逢えた二人である。二人の連れ舞は美しさだけではなく、ほのぼのとした喜びと嬉しさと楽しさが欲しい。染五郎さんは初役ということもあるのか、踊りに硬さあった。菊之助さんは踊りこんでいる感がありリードされていた。それは松山が椀久を夢の世界に引き込むという点からすれば良いのだが、松山が消えてしまい現実では無かったのだという時、あの楽しそうな二人の世界をこちらにもう一度彷彿とさせ酔わせてもらいたかったのである。

 

新橋演舞場 『三月花形歌舞伎』 (昼の部) 

四月となり新しい歌舞伎座での四月柿葺落興行が目出度くも始まっているのに、三月の観劇の足跡を訪ねてうろうろとしている。飛ばしても良さそうであるが自分の中ではそうもいかないのである。

「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん) 三笠山御殿」

造り酒屋の娘お三輪(菊之助)は七夕に愛の成就を願ってお供えした赤い糸の苧環(機織の麻糸を巻いたもの)を恋人の求女(もとめ・亀三郎)に渡し、自分は白い糸の苧環を持つ。ある夜、求女は苧環の赤い糸を橘姫(たちばなひめ)の裾に付けてついて行ってしまう。それを知ったお三輪は、自分の苧環の白い糸を求女の裾につけ後を追うのである。

橘姫は蘇我入鹿の妹で三笠山の入鹿の御殿に入ってゆく。官女は姫の裾の赤い糸をたぐり求女を中に入れる。だが、求女の裾に付いている白い糸はぷっつりと切ってしまう。ここに求女とお三輪の縁が切れお三輪の悲劇が始まり、お三輪の見せ所となる。今回はこの苧環が強い印象として焼きついた。それもお三輪の白の苧環が。

糸を切られたお三輪は迷いつつも御殿にたどり着く。ところが求女と橘姫が今夜祝言をあげると聴き、気も狂わんばかりの心境で何とかその祝言を見たいと官女たちに頼む。この官女たちが意地悪で散々にお三輪をいじめる。この辺りは菊之助さんは可憐に辛抱強く耐え形も綺麗である。いじめられつつも奥の様子が気になり何とか一目求女に会いたい気持ちが伝わる。官女達はお三輪を置き去りにして去ってしまう。我慢に我慢を重ねたお三輪の耳に求女と橘姫の祝言が終わったとの知らせ。お三輪は怒り狂う嫉妬が顔に表れる。そのお三輪を漁師鱶七(ふかしち・松緑)が刺し殺す。何という理不尽か。

鱶七は入鹿と敵対する藤原鎌足の家臣で特別の鹿の血と激しい嫉妬の人相の娘の血を横笛にそそいで吹くと、入鹿が正体を無くし入鹿を倒すことが出来、求女は実は鎌足の息子であるとお三輪に告げる。それを聴いたお三輪は求女の役に立てた事を喜び旅立つのであるが、この話を聴いたときからのお三輪の糸の切られた白い苧環を愛しそうに抱きかかえつつ表現する菊之助さんの悲しさと儚さと淡い満足感が何ともいえない。この時の苧環の使いかたは絶品であり、記憶に残したい場面である。淡く消えそうであるが。

「暗闇の丑松」

この話は暗くて好きな部類ではないと思っていたら、若手で見たら、若者の信じていた者に裏切られた悔しさと、世の中からはみ出した鬱屈したやるせなさが伝わり面白かった。祖父二世松緑さん、父三世松緑さんが演じられ現松緑さんは初役だそうである。お二人のは見ていないが、何回か演じられると若さだけではない深みが出るかもしれない。

丑松の女房お米の梅枝さんも血の気の多い丑松に対比して古風で芯を秘めた悲恋の感じを出し、丑松が怒りを爆発させる原動力となり納得できた。

簡単にあらすじを。丑松にはお米という恋女房があるが、その母親がお米を妾奉公に出そうとしたため、丑松はその母を殺してしまう。丑松はお米を信頼していた兄貴分に預けるが、この兄貴分がお米を女郎にしてしまい、偶然にもお米は客として丑松と会ってしまう。丑松は兄貴分を信じていて、お米が自分から他の男に騙されて身を崩したと思ってお米の話を信じない。お米は絶望し死を選ぶ。事実を知った丑松は兄貴分を湯やで殺す。

丑松とお米が想像もしていなかった場所で会ってしまう丑松の驚き。この女の為に俺は人を殺めたのか、何という馬鹿であったか。恥ずかしくて居たたまれないのに、自分の話を信じてくれない夫への絶望感。死を覚悟しそっと夫を部屋の外から覗くお米。その二人の繋がらない糸の切ない空間を心理的にもよく出していた。ここまでは期待していなかったので面白かった。

江戸時代の湯やの様子を楽しめる作品である。

尾上菊之助さんは私生活では綺麗に糸が結ばれたようで喜ばしいことである。

 

 

 

ル テアトル銀座 『三月花形歌舞伎』

海老蔵さんの誠実な舞台であった。等身大の舞台と感じた。口上を聞きさらに納得していた。海老蔵さんは父上團十郎さん、勘三郎さんに教えを受けたことを幸せと率直に受け止め今はひたすらそれを自分の身体でなぞることに喜びを感じているようであった。特に今回は、團十郎さんと親子で「オセロ」の舞台の予定であったが、團十郎さんの歌舞伎座柿葺落4月公演に備え「オセロ」から「三月花形歌舞伎」の話があった時、即、勘三郎さんの追悼公演にしたいと思い、勘三郎さんから教えを受けた「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」と「高坏(たかつき)」を選んだそうである。

想像であるが、勘三郎さんの映像は見ずに教えられた言葉を思い出しつつ、共演の役者さん達とのバランスを取りつつ作られていったのではないだろうか。中村亀鶴さんの一寸徳兵衛と団七の組み合わせが良い。団七も徳兵衛も人に引き立てられてやっと今現在男だてとして生きていられる身分である。その仲間意識が二人の立ち姿ですっきり見せてくれる。良い対称である。いざ一人になってみると団七は強欲な義父・義平次に助けられ男だてになったが、牢にも繋がれ、その間義平次の娘で自分の嫁・お梶と倅の面倒をも見てもらっている。義平次は金のため、団七の旧主の恋人を他所へ斡旋しようとする。それをされては団七の男が立たない。この義平次(片岡市蔵)の団七のなじり方は、それまで爽やかな男だてだった団七に浪花のじっとりした暑さをじわじわと感じさせる。ついに団七は義父を殺す事となる。そこからの見得の形の善さは、海老蔵さんきっちり身体一面の刺青を生かして決めてゆく。花道が無く、通路が花道である。義平次殺しも泥は使わず水のみである。賑やかな神輿の一群の人々について観客の間を逃げてゆく。

今回は屋根上の捕り物がつき、花形歌舞伎の若さも満開である。

「口上」では勘三郎さんとの思い出、團十郎さんの人柄などを湿っぽくならないように愛情込めて楽しそうに話される。このお二人に身近に教えを受けたことに心から感謝されているのが伝わる。特に十二代目團十郎さんは父十一代目が早くに亡くなられ殆ど教えを受けていない状態であり、その事を考え合わせると海老蔵さんの中で何かが芯となって残されているように思われる。<歌舞伎を宜しくお願い致します>の最後の締めは歌舞伎をこよなく愛した勘三郎さんと團十郎さんの願いでもある。

「高坏」は勘三郎さんがされていた仕草だと思われる愛嬌の箇所が幾つかあったが、おとぼけは海老蔵さんならではの雰囲気である。以前から亀鶴さんの行儀のよい踊りに何時か伸びると思っていたが、高足売り、なかなかよかった。砕けすぎず、次郎冠者のとぼけた所を崩さずに騙してしまった。爽やかな「高坏」であった。

 

日生劇場 二月大歌舞伎

口上』『吉野山』『通し狂言 新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)』

口上』は幸四郎さんお一人で染五郎さんの復帰の喜びとお詫びとお礼である。情報も途絶え危惧したが、本当に喜ばしいことである。

吉野山』での静御前の福助さんが美しかった。特に花道での笠・杖などの持っている位置がよく綺麗に決まる。自分が待っていた福助さんの美しさで満足であった。義経が初音の鼓を託す位なのであるから古典的な美しさであって欲しいと思った。その想いにピタリとはまり目が離せなかった。染五郎さんもそれに並び美しかった。ただ戦語りの部分は私自身がどうあるべきという姿が描けてないので、その役者さんごとに異なる。染五郎さんの場合は少し線が細いように思われた。平家の大将能登守教経(のとのかみのりつね)が船から義経めがけて放った矢を忠信の兄継信(つぎのぶ)が胸板に受け死ぬ様を物語るのであるが感覚的なだけの捉え方なので、もう少し言葉と動きをしっかり捉えたいと思っている。狐の正体を現すところは押さえ加減がよく邪魔にならず良い形であった。

通し狂言 新皿屋舗月雨暈』。これは、幸四郎さんの魚屋宗五郎の酔っていく変化を期待していたが、期待どうりの面白さであった。「弁天堂」から始まるのでお蔦が嵌められていく過程がよく解かる。旗本磯辺主計之助(かずえのすけ)の染五郎さんがお酒を飲むと人が変わる様子を上手くだし、お蔦の悲劇性を大きくする。宗五郎宅での役者が揃い特に亀鶴の三吉は私の中では一番である。染五郎さん、勘太郎さん、松緑さん、三津五郎さん等観ているが、宗五郎を止めに入った後などの引っ込みで芝居が切れるのであるが、亀鶴さんの場合自然で止まらない。といって出しゃばっているのではない。その場の空気を止めないのである。幸四郎さんの動きに合っているのであろう。女房おはま(福助)、父親太兵衛(大谷桂三)、真相を告げに来る召使おなぎ(市川高麗蔵)。上手く大げさにならずに宗五郎の動きに付いて行っている。安心して宗五郎の変化を楽しむことが出来る。妹が殺されているのに他愛無いと言えばそれまでだが、旗本に対し庶民が一人で怒りをもって手を上げるという事のまかり通らぬ所を酒で通すという儚い抵抗である。それが共感を呼び演じ続けられているのであろう。

十二代目の大きさ

十二代目市川團十郎さんが亡くなられた。大病を抱えて舞台に立ち続けられた。この病気については友人の家族を通じ目にしており、本人と家族の闘病の姿を知っているので、團十郎さんの舞台姿に喜び、休演に心配し、ご本人がどんなに不安と気力の狭間におられることだろうかと想像していた。舞台は道具の移動などでホコリなども多く、荒事の重い衣裳と動きで体力を消耗されるだろうによく頑張られると敬服していた。

ご自分の芸についても、病気についてもあまり深くは語られなかった。いつも穏やかにご自分の役目を熟知されているような大きさと温かみがあった。ここ数年ご自分の芸についても語られはじめ、代々続いてきたご自分の位置を踏みしめられておられるように見えた。

若くして十一代目との別れがあり、想像もつかないような鍛錬をされてこられたであろう。それを力で他の方に強要するようなことはなっかた方に思える。

荒事に身を投じられ、細やかな心理を表現する役者さんではなかったが、その事を自分に封印していたようにも思える。平成21年に国立劇場での『歌舞伎十八番の内 象引』は今までにみられない鷹揚さがあり愛嬌があり力を抜いて楽しまれている様子があり驚き、何か今までにないオーラを発していた。

あちらから成田屋の<にらみ>を発し、歌舞伎と十二代目と同じ病気で頑張られている方々に成田屋光線を届けて下さる事でしょう。

お疲れ様でした。感謝。

 

 

国立劇場 『西行が猫・頼豪が鼠  夢市男伊達競』 (3)

雪ノ下にある市郎兵衛宅。北條家の伝内(團蔵)と伴六(亀蔵)が訪ねてき、痛めつけられた返礼として市郎兵衛を打ち据える。市郎兵衛は大江家に災いせぬ様にと我慢する。伝内は帰り際、白金の猫の置物を見つけたのでこれから鎌倉に持参すると小脇に箱を抱えている。市郎兵衛は大江広元がその役を担ったので何とか手に入れたい。その父の思いを知っている息子の市松(藤間大河)がその箱を奪おうとして箱を落としてしまい中の猫の置物を壊してしまう。大変な失態で市郎兵衛は自分の手で市松を差し出すと明言する。実はこれは偽物で明石がそれを知らせてくれる。市郎兵衛は大磯に本物があるらしいとの情報から、女房のおすま(時蔵)の妹・薄雲(時蔵)のつとめる廓・三浦屋へ向かう。侠客・夢の市郎兵衛一家の一体感を市松を中心に上手くまとまった。市郎兵衛の子分、権十郎さんと亀寿さんも無理の無い任侠ぶりを体で示す。侠客の子分はその雰囲気を出すのが難しい。若いと形にならず襟を直したりと手の持ち場に困ったりしそれを見ている観客も困ってしまう事が多い。

ここで七福神の踊りがある。日本橋の七福神と思っていたがここで先にお会いしてしまった。毘沙門天の松緑さんの手と指の形の美しさに驚いた。仏像の美しい手を感じた。毘沙門天と弁財天(時蔵)は義仲と巴御前に変身して踊る。これが岩佐又兵衛の絵を見ているようであった。

薄墨は大の猫好きで愛猫の玉を亡くし供養に出かけていた。そこへ虚無僧の深見十三郎(松緑)が現れお互いに魅かれる。十三郎は猫が苦手のようで薄墨は猫に関係する物は全て片付ける。新造胡蝶(菊之助)はどうも十三郎が信用できない。その辺りの探りあいも丁寧である。胡蝶は十三郎の後を追う。十三郎は義仲であった。巴に似ている薄墨に近づいたのである。廓の世界も役者さんの為所がよくその空気を漂わせているので荒唐無稽の話でも楽しめる。

三浦屋の台所で胡蝶と鼠の妖術を身に付けた義仲の戦いとなる。これがアニメの世界である。胡蝶はその様子からして猫の精だなと解かるので違和感無くアニメの世界へ突入である。台所用品が大きくて胡蝶が小さいのである。猫になってしまったのである。猫と鼠の戦いである。胡蝶が二本の長い棒をあやつる。次に短いのに。棒を平行に持ったりするのでこれは太鼓の撥のような働きをするなとピンときた。やはり色々な物を叩き音楽性もだした。猫と鼠だから身も軽い。しかし、胡蝶は義仲に負け深手をおう。

胡蝶は玉の化身で薄墨を助け、さらに白銀の猫の置物も携えていた。胡蝶は置物を市郎兵衛に渡し薄墨に見取られ息をひきとる。

義仲は市郎兵衛の持つ白銀の猫の置物を突きつけられ消えてしまう。病の治った頼朝(左團次)、頼家(萬太郎)、大江広元(松緑)が現れる。ここで客席に笑いが。頼朝を苦しめていた頼豪の亡霊と頼朝が左團次さんの二役なのであるからまことしやかな頼朝が可笑しい。仕組まれたのかも。広元は市郎兵衛の褒美として家の再興を願い出るが、市郎兵衛は町人の暮らしが善いとして、男伊達を貫くのである。<夢市男伊達競>

3日の夜中・4日の早朝 1時からこの芝居がNHKBSプレミアムで放送される。亀治郎の会さよなら公演も同時放送である。舞台の全体像が見れるので楽しみである。

 

国立劇場 『西行が猫・頼豪が鼠  夢市男伊達競』 (2)

原作は河竹黙阿弥の『櫓太鼓鳴音吉原(やぐらだいこおともよしわら)』である。先月は黙阿弥没後百二十年の祥月でありそれに因んで黙阿弥の埋もれた作品を取り上げたようである。題名から想像するに、相撲と吉原を舞台とした芝居と思える。

原作をかなり変えているようであるが、一言で云えば入り組んだ筋でありながら解かりやすく、楽しく、役者さんたちの動きも為所も役に合い、物語りの中であれこれ遊べて堪能できた。

源頼朝の執権北條時政と執権大江広元の争いに、頼朝に討たれた木曽義仲が頼朝を恨み、その恨みに自分の恨みを重ねた頼豪阿闍梨(らいごうあじゃり)の亡霊が義仲と合体して鼠の妖術を使い頼朝を苦しめる。この二人の執権の争いと頼朝と義仲・頼豪の亡霊の争いを複線に侠客の夢の市郎兵衛が活躍する筋立てである。頼豪は平家物語にも出て来てこの人の恨みはあとで説明する。

頼朝が鎌倉市中に現れる大鼠の影に気を病み、その退治祈願のため頼朝上覧の相撲を開催する。この頃、相撲は神事の役も担う事があったわけである。北條方のお抱え力士が仁王仁太夫(松緑)で、大江方のお抱え力士が明石志賀之助(菊之助)である。明石の花道からの出が美しい。着物は地味に押さえ色白で大きく見える。明らかに松緑さんの方は敵役である。その前に團蔵さんが北條方として憎々しく演じてくれているし、大江方の梅枝さんがいつもの女形ではなく、なかなかしっかりすっきりした立役で楽しませてくれているので、どちらが善か悪かがはっきりしている。明石の弟子・朝霧の亀三郎さんが愛嬌があり明石に明るさを添えている。この場で仁王と明石の睨み合いとなるがそこへ仲裁に入るのが行司の田之助さん。今回前方の席だったので、田之助さんの為所が無いようで居て息を詰めたり遠くからは解からぬ為所のある事を見せてもらった。

明石と仁王の取り組みは明石の勝ちとなり、明石は<日下開山(ひのもとかいざん)>今で言う横綱の称号をもらう。負けた北條は、明石を待ち構え襲撃(亀蔵)しようとするがそこへ明石の義兄の市郎兵衛(菊五郎)が現れ痛めつける。明石の黒の羽織の背中には白で右に[日下開山]左に[明石志賀之助]と名前が入り、市郎兵衛の衣裳と並んで派手であるが初芝居に相応しい。

頼豪は「平家物語」では三の巻きに出てくる。白河天皇は、ご寵愛の中宮賢子(けんし)の皇子誕生を望み、三井寺の頼豪阿闍梨に祈祷を頼み願い叶えば望みの褒美をとらせると約束する。望み通り皇子が誕生し、頼豪は三井寺に戒壇建立を願い出るが比叡山がそれを認めないであろうから世の乱れとなるとして白河天皇は聞き入れなかった。頼豪は無念と自分が祈って誕生させた皇子だから連れてゆくと言い残し断食し死んでしまう。この皇子は四歳で亡くなられた敦文親王である。「平家物語」では木曽義仲も善くは書かれていない。義経との比較もあるのか木曽の山の中で育ったということもあるのか頼朝に人質として息子をあずけ前線で戦いつつ京の罠にはまってしまった感がある。

歌舞伎では頼豪は願いを妨げた延暦寺を恨み鼠に化けて延暦寺の経文を食い破るがなお恨みが消えず、義仲を助け義仲と合体するのである。義仲は鼠の妖術を使い頼朝への復讐と天下取りを狙う。芝居では頼豪は左團次さん、義仲は松緑さん。

<頼豪が鼠>に対し<西行が猫>とは。西行は頼朝から褒美として白金の猫の置物を賜るが、西行はそれを見知らぬ子供に与えてしまう。この白金の猫の置物こそ妖術の鼠を退治する力を所持していたのである。元大江の家臣であった市郎兵衛は、大江家のため白金の猫置物を密かに捜す手伝いをする。

 

国立劇場 『西行が猫・頼豪が鼠  夢市男伊達競』 (1)

『夢市男伊達競(ゆめのいちおとこだてくらべ)』

芝居の事は後にまわします。なぜなら、岩佐又兵衛さんと会ってしまったのです。どこで。本の1ページ目で。どんな本。「日下開山 明石志賀之助物語」(中村弘著)。

この芝居にも出てくる、初代横綱・明石志賀之助の事を書いた本が国立劇場の売店にあった。相撲は興味が薄いのだが本を手にした。二冊あり厚いのから薄いのへ、その薄いほうの1ページから岩佐又兵衛勝似の名前が飛び込んできた。厚いほうの本篇に対する別冊のようである。明石と又兵衛とが直接関係しているわけでは無いが、その出だしは興味深いものであった。

結論から云うと、明石は陸奥の出羽上山の藩主ご覧相撲に招かれていて、その事を日記に書き綴っていた人がいる。藩主の側近くにいた中村文左衛門尚春でその記録は「上山三家見聞日記」として残っている。

この尚春が又兵衛の三番目の姉とつながりがあるのである。「明石志賀之助物語」によると、又兵衛の父・荒木村重は明智光秀の家臣で織田信長と対立する。城は落城するが村重と次男村基、三女荒木局、又兵衛が難を逃れる。荒木局は50年後老中松平伊豆守や春日局の推挙で大奥にあがり、春日局の下で要職を与えられる。春日局が亡くなると松山局が力を持ち不正事件を起こし松山局は惨罪となり荒木局も巻き込まれ江戸から出羽上山に配流となる。このとき幕府に仕官していた甥の荒木村常(兄村次の子・荒木局が養母)が推挙した村常の友人の遺児・中村文左衛門尚春がお供をし、「上山三家見聞日記」をかくのである。

又兵衛はこの姉の力で福井から将軍家筋の用命をうけ江戸に出て来たのであろう。将軍家光の娘千代姫の婚礼調度品を製作したり、川越東照宮の再建拝殿に三十六歌仙の扁額を奉納する仕事をしている。本によっては伯母の力ともあるが、荒木局が村常の養母からそうなったのかもしれない。又兵衛の姉・村重の三女が荒木局で、春日局とともに大奥で活躍していたとあれば、面白い現象である。

又兵衛は「西行図」も描いている。目も口も優しく笑みを浮かべている。その他平家物語関係では「文覚の乱行図」。ここでは文覚が神護寺修復の勧進で白河法皇の前で暴れる様子を。「俊寛図」では砂浜に取り残された俊寛を小さく描いている。「虎図」は竹に体を巻きつけるようにして牙をむき出し吼えているようであるがなぜか可笑しいのである。

「夢市男伊達競」の筋書きの表紙が鼠の影とそれ見詰めている猫の前身の絵で裏表紙にその原型の絵が載っている円山応挙の「猫」である。芝居に合わせなかなか凝っている。四国金比羅宮・表書院・虎ノ間の虎たちを思い出す。数日前に二回目の対面をしてきたのである。

菊之助さんが美しく作り上げた明石志賀之助やそのほかの芝居のはなしはこの次である。