新橋演舞場『お江戸みやげ』『紺屋と高尾』

新橋演舞場での<七月名作喜劇公演>は、『お江戸みやげ』と『紺屋と高尾』です。波乃久里子さんと喜多村緑郎さんの喜劇役者開花の舞台でした。

お江戸みやげ』(演出・大場正昭)は川口松太郎さん作で笑いと切なさの川口松太郎ワールドを久里子さんが細かいしぐさと演技力を発揮されました。この作品は女方に当てて書かれたそうで、藤山直美さんがそれを女優で挑戦する予定だったいうことですが、直美さんが療養中で久里子さんが代役となり、お父上の十七代目勘三郎さんが初演で演じられたお辻で、不思議な巡り合わせということでしょうか。

直美さんは、しばらく舞台がないなと思っていましたが、女性の喜劇役者さんとして喜劇舞台になくてはならない役者さんですからしっかり療養され復帰をお待ちしております。

結城から結城紬の反物を背負い、一年分の生活費を稼ぐため江戸に行商に来ている後家のお辻とおゆうは少し売れ残りはあるがまずまずの首尾と湯島天神の茶店でほっとする。おゆうが萬次郎さんの女方で久里子さんとのコンビが上手く出来あがりました。お辻は倹約家で、おゆうはお辻の一つ上ですがそこそこ遊びのしどころをわかっていて、上手くことを運んでいきます。この辺が非常に上手く書かれていて役者さんもそこをリアルさとテンポでよく表現されていました。

茶店は宮地芝居のお茶屋も経営していて、そこの女房のお長(大津嶺子)のお客の対応が上手いのです。タイミングよく役者の紋吉(瀬川菊之丞)が芝居の間に好きなお酒を飲みにきて、倹約家のお辻も芝居の一幕を観ることになります。お長が薦めたのは阪東栄紫の『保名』です。

お酒を飲むと心が乱れ、気が大きくなるというお辻は、『保名』の栄紫に心奪われ、おゆうが気を利かせてお長に頼み、お辻と栄紫を会わせます。栄紫の緑郎さんはすでに先に舞台に出ていまして歌舞伎役者役として出来上がっていますが、このお辻と会う場面はお客さまに接する役者の態度に嫌味がなく、情を出しお辻がますます憧れるきっかけを自然にもっていきました。役者として中村座の名題であるのに今は宮地芝居でその悔しさを愚痴りもして当時の位の違いや要請があれば小屋を変わる当時の役者の様子がわかります。田舎者のお辻にはそんなことはわかりません。

ここで一反乱。おときを金持ちに嫁がせようとする常磐津の師匠の母(仁支川峰子)も加わりその母の根性を見抜いていた田舎の人の情。お酒の勢いでお辻は啖呵をきってしまうのです。

溜息をついての湯島境内でのお辻とおゆう。二人を追いかけて来る栄紫と結婚相手のおとき(小林綾子)。そこでまたおゆうが取り計らい、お辻は栄紫から感謝の言葉と<お江戸みやげ>をもらうことになります。

角兵衛獅子の兄(竹松)弟も通り、江戸に来て故郷へ帰る人の動きなども哀愁をただよわせます。

役者さんのしどころが上手く収まり、味わいのある芝居となり、笑いの中にもほろっとさせられます。川口松太郎さんは、こういう名もなき人々の情愛を拾って芝居にのせますが、今の時代、役者さんの力量でこの感覚を伝えるのは難しい時代になってきているような気がします。今回代役を立て『お江戸みやげ』が次の『お江戸みやげ』につなげた功績は大きいと思います。

久里子さんは十七代目のお辻を観ていて、萬次郎さんは、平成23年の『お江戸みやげ』(お辻・三津五郎/おゆう・現鴈治郎)で紋吉を演じていたので、観たり体験していた芝居が役者さんの中で上手く重なり新たな面白さになったのでしょう。

お紺と高尾』(口演・一竜斎貞丈/脚本・平戸敬二/演出・浅香哲哉)は講談、落語などでお馴染みですが、きちんと観るのは初めてでした。大阪の紺屋の職人が吉原の花魁道中で高尾太夫に一目惚れをして、ついに女房にむかえるというお話です。

花魁道中の一目惚れは歌舞伎では『籠釣瓶(かごつるべ)』でもありましたが、紺屋の職人久造は、佐野次郎左衛門と同じように夢心地となってしまいます。大阪に帰っても、寝ても覚めても高尾太夫、高尾太夫です。

佐野次郎左衛門と違って、久造は紺屋の職人ですからお金がありません。そこで親方に頼み今まで預かってもらっていたお金と一年間一生懸命に働いたお金を持って高尾太夫に会いにゆきます。高尾太夫は久造の一途さに来年の3月15日年季があけたら女房になると約束し証文を書き、3月28日に大阪の久造のもとに到着するのです。

久造の喜多村緑郎さんで、今までの芝居から考えるとこの方は喜劇は無理なのではないかと思っておりました。ところが化けてくれました。こうなるとは思いませんでした。ボケ具合。間のとり方。くり返し詞の強弱と高低。それに付随する体の使い方。意外でした。

職人ですから、吉原のことなど何も知りませんし、会う方法もわかりません。それを指南するのが、久造の恋煩いをふらふら病と名づけた医者の山内玄庵で、大阪の米問屋の若旦那のお大尽になりすましての吉原乗り込みですが、山内玄庵の曾我廼家文童さんとの息も合い、高尾太夫の浅野ゆう子さんを前にしてのお大尽ぶりと素性を告白し謝り事情を話す真面目さに、高尾が心動かされる流れに持って行くいきかたもよかったです。

浅野ゆう子さんの高尾も、花魁道中は美しく、三浦屋では遊女の裏の部分を垣間見せ、しかし凛とした太夫ぶりをみせ、久造にも芯のあるところを見せ、さらに久造の母親をも納得させるところまで持っていきます。

親方の紺屋吉兵衛の萬次郎さん、女房おかつの大津嶺子さん、娘お紺の小林綾子さん、久造の母の藤村薫さんんらが大阪の紺屋の場面をかため、吉原の三浦屋は三浦屋主人の瀬川菊之丞さん、三浦屋の女将の仁支川峰子さんらが押さえ、全く場所柄の違う雰囲気と人物をしっかり描いてくれたので、緑郎さんの喜劇性も上滑りすることなく受けてもらえていたと感じます。

『お江戸みやげ』も『紺屋と高尾』も、邦楽だけという舞台で、台詞のめりはりリズムはそれぞれの役者さんにかかっており、その辺もクリアできる役者さんたちであったということです。子役さんも江戸時代の涙を可愛らしく照らします。

その他の出演・曾我廼家玉太呂、武岡淳一、いま寛大、大竹修造、佐々木一哲、吉永秀平、戸田都康、鍋島浩、大原ゆう etc

 

音楽劇『マリウス』と前進座『裏長屋騒動記』

3月日生劇場での音楽劇『マリウス』は、映画監督山田洋次さんが脚本・演出で、5月国立劇場での前進座『裏長屋騒動記』は、脚本が山田洋次監督で演出が小野文隆さんでした。

『マリウス』(「マリウス」「ファニー」より)は原作がフランスのマルセル・パニョルで、日本映画としては日本を舞台として山本嘉次郎監督の『春の戯れ』、山田洋次監督の『愛の讃歌』があります。

あらすじとしては、フランスの港町のマルセーユで恋仲のマリウス(今井翼)とファーニー(瀧本美織)が将来を約束しますが、マリウスは船乗りになる夢が捨てがたく、マリウスの気持ちを尊重してファニーは彼を後押しして海に出してしまうのです。ファーニーはマリウスの子どもを身ごもっていて、マリウスが数年してもどったときにその事実を知りますが、ファニーは、お金持ちの商人・パニス(林家正蔵)と結婚していました。

マリウスは自分の子どもであると主張しますが、その時マリウスの父・セザール(柄本明)がマリウスにいう言葉が心に沁みます。「あの赤ん坊は生まれたときは4キロだった。今、9キロもある。その5キロがなんだかお前にわかるか。情愛ってやつだ。その5きろのうち情愛を一番たくさんやってるのがパニスだ。」

ここにきて、セザールの柄本明さんが、この台詞で全部持って行かれた感じでした。それに負けじと最後は今井翼さんが、『男はつらいよ』のテーマソングから始まるフラメンコを披露してくれました。新橋演舞場での『GOEMON 石川五右衛門』のときよりもフラメンコの腕が上がっていました。

フラメンコは盛り上がりましたが、音楽劇のためか、港町の様子の人物設定などはよく作られたと思いますが、セザールが経営しているカフェでの人々の動きに物足りなさを感じさせられ、そのあたりが残念でした。

映画『春の戯れ』(1949年)は、高峰秀子さんと宇野重吉さんの共演とあって数年前に観たので記憶が薄れていますが、場所は明治の始めの品川で、初めのほうの、宇野重吉さんのマドロスには違和感があり、後半は高峰さんがしっかりした奥さんになっており、二人が再会しての高峰さんと宇野さんの台詞のやり取りにはさすが聞かせてくれますという場面でした。その程度の記憶でしたので、『マリウス』と『春の戯れ』が同じ原作と知り、あの違和感は日本の設定にしたということのように思えました。

映画『愛の讃歌』(1967年)のほうは、舞台と違いカメラが動いてくれますから、設定場所も自在に動いてくれます。場所は瀬戸内海の港町で伴淳三郎さんの食堂を手伝いながら小さい妹を育てるのが親のいない倍償千恵子さんで、恋人役が中山仁さんです。この食堂に集まるのが、個性派の千秋実さん、太宰久雄さん、渡辺篤さん、左卜全さんと医者の有島一郎さんたちです。

海からもどってきた息子は事実を知って父の伴淳さんと対立して飛び出し、その後父親は亡くなってしまいます。倍償さん親子と妹を預かっていた有島さんは、倍賞さんに居場所のわかった中山さんのところへ行くように勧め、見守っていた食堂の仲間たちは、港から倍償さんと子供を見送ります。亡き伴淳さんの親心に対し有島さんがこれでいいだろうというところが、この映画の心でもあります。

港の人々の生活感や心情などからしますと、映画『愛の讃歌』が一番若い二人を支える心情がしっくりくる作品となりました。

前進座と山田洋次監督のコラボ『裏長屋騒動記』は、落語の「らくだ」と「井戸の茶碗」を合わせての喜劇そのものとなりました。裏長屋に嫌われ者の<らくだの馬>と「井戸の茶碗」の<浪人朴斎とお文の父娘>を隣同士に住まわせるという設定がよかったですね。突然らくだが朴斎の家にフグを料理するために庖丁を借りに来たのには驚きと笑いでした。別の噺の登場人物がお隣さん同士なのです。考えてみればありえますよね。

この噺とお隣さん同士をつなぐのが、くず屋の久六です。自然に行き来できる人物で大活躍です。

それを取り巻く長屋の住人。井戸端と共同便所。これで、裏長屋で二つの噺が展開できます。落語では、らくだは嫌われものであったということですが、芝居では嫌われ者のらくだの馬が登場して、亡くなっても長屋の人々はホッとするのがよくわかります。

馬の兄貴分の緋鯉の半次がこれまた強面のごり押しの人物ですから長屋の人もさっさと帰ってしまい、そこからは半次とくず屋と大家と死人の馬とのやり取りですが、これはよく知られているのではぶきます。

朴斎は元武士ですから考えが硬いのです。くず屋は朴斎から買った仏像を高木作左衛門に売りますが、その仏像から50両でてきます。作左衛門はお金は受け取れないとし、朴斎も受け取れないとくず屋は行ったり来たりあたふたです。生真面目な売り手買い手と、とんでもないキャラの作左衛門の藩主赤井剛正が登場したりしますが、お文は作左衛門とめでたく結ばれ、長屋から木遣りのなか嫁入りとなります。

笑い満載の『裏長屋騒動記』でした。お芝居の基本がしっかりしていて、それを膨らます役者さんの芸もそろい、気持ちのよい笑いを楽しむことができました。前進座の大喜劇作品が一つ加わりました。

くず屋久六(嵐芳三郎)、緋鯉の半次(藤川矢之助)、らくだの馬(清雁寺繁盛)、朴斎(武井茂)、お文(今井鞠子)、高木作左衛門(忠村臣弥)、赤井綱正(河原崎國太郎)

先代の國太郎さんが出演している『男はつらいよ』12作「私の寅さん」は、旅に明け暮れる寅さんが、おいちゃん夫婦と博・さくら一家が九州に旅行に行ったため留守番をするという逆パターンの作品で、寅さんは自分が心配しているのに電話をしてこないと怒ります。そこから自分がいつも心配されていることには一向に気がつかないという寅さんらしさが可笑しいのです。

マドンナの岸恵子さんが売れない絵描きで、その恩師が國太郎さんで、出は少ないですが、岸さんが想いを寄せていた人が他の人と結婚することをさりげなく告げるという重要な役どころです。岸さんのコートの裏があざやかな緋色なのも印象的な作品です。

前進座が創立80周年記念作品として上演された『秋葉権現廻船噺』は観ていないのですが、日本駄右衛門が主人公で七世市川團十郎も演じています。7月歌舞伎座は海老蔵さんが通し狂言『駄衛門花御所異聞』で演じられます。楽しみですが、海老蔵さん飛ばし過ぎのときがありますから、しっかりとした作品に仕上げられることを期待しております。

 

映画『ぼくと魔法の言葉たち』と劇団民藝『送り火』

映画『ダ・ヴィンチ・コード』のパンフレットが池袋の新文芸坐で安く売っていまして、いまさらと思いましたが購入しました。そこから、出演の俳優さんの出ている他の映画を見て、トム・ハンクスの初期や他作品などをみているうちに、映画『メリー・ポピンズ』に行き着きました。

チムチムニィ チムチムニィ チムチムチェリー ~~ のメロデイは、口ずさめます。でも映画は観ていませんでした。ディズニー映画です。そこへ行き着く前に映画館で『ぼくと魔法の言葉たち』の予告編を観ていまして、これは観たいと思っていましたので、行き着く先がディズニー映画というのも面白い方向性でした。

そして、映画『ぼくと魔法の言葉たち』を観てから劇団民藝の『送り火』を観劇したのです。おそらく映画『ぼくと魔法の言葉たち』を観ていなければ、『送り火』の主人公・吉沢照さんのお芝居の中での人生を深く納得し実感できなかったとおもいます。

ぼくと魔法の言葉たち』はドキュメンタリー映画です。ピーターパンになったオーウェンくんとフック船長になったお父さんが、楽しく役になりっきて遊んでいます。オーウェンくんは言葉を発しています。ところが、突然オーウェンくんは言葉を発しなくなります。二才の時(チラシによると)です。自閉症と診断されました。

四歳の時、言葉を発しますが、それは、意味の伴わないオウム言葉であると言われてしまいます。その後何か一人で言っている言葉が、ディズニー映画の台詞であると気づいたお父さんが、オームの<イアーゴ>になりっきて台詞をいいますと、オーウェンくんは次の台詞を返しました。お父さんは、オーウェンくんが言葉がわかり、物語のすじも理解していることを確信します。

オーウェンくんは大好きなディズニー映画の台詞を覚えていて、言葉の意味も理解し、映画の内容もわかっていたのです。物語は、完結します。何回観ても同じ完結です。物語とは違って現実世界はどんどん続いてしまいます。オーウェンくんは、次々と続く、現実世界の早い流れについていけなかったのです。次々起こる新しい出来事に不安になり、どうやって対処しコミュニケーションをとっていいのかわからず閉じこもってしまったのです。

そこからの経過はこと細かには語られていませんが、事あるごとにディズニー映画の世界にもどり、物語と現実世界との往復を家族はくり返したのだと思います。彼のために学校をさがしいじめにあったりもします。そして、彼にとって居心地の良い学校を卒業し、一人暮らしをはじめることとなり、さらに仕事もみつけるのです。

小さい頃、いかに不安であったかということが理解できます。今も新しいことに対しては不安なのですが、楽しみでもあるといいます。不安になったり、何かが出来たりしたとき、ちょっと待って、このディズニー映画のこの場面を見させてといって早回しをして、確認しホッとしたり、よしと次のステップに向かったりします。

自分は主人公にはなれないが、脇役の守護者にはなれるからと、脇役の絵を描いたり、脇役に囲まれての物語を書いたりします。彼の不安をアニメで描く手法が、見る者にオーウェンさんの不安の実態を受け止めやすくしてくれます。こうした障害の方のひとりひとりが違う不安とか、受け入れられないものとか、自分の中で整理されなくて納得できない何かを抱えているのでしょう。

オーウェンさんの場合は、それを包んでいてくれたのがディズニー映画の世界だったのです。現実の友達が欲しいとも思っていたのですが、そのコミュニケーションの方法がみつからず、六歳の時、彼を見つめ続けていた家族によってその扉は開かれるのです。

心の中にはいろいろな感情がありますが、オーウェンさんによって<不安>という感情をわかりやすく教えてくれるドキュメンタリー映画でもあります。その感情を乗り越えて進める方向をみつけていかなければならないのでしょう。

劇団民藝『送り火』は、場所は愛媛の山間の集落のひとつで、認知症の症状がでてきた女性・吉沢照(日色ともゑ)が、一人暮らしで、自分が自分のことをできるうちにと、ケアハウスに入ることを決心します。施設に入る前日の夕刻の話しで、照を訪ねてくる人々から、照の人生が照らし出されます。そしてその日はお盆の最後の日で、送り火をたく日でもあったのです。

本家のお嫁さん(船坂博子)は、照の兄が赤紙をもっらて逃亡し、非国民の親戚となってしまったことを話していきます。次に訪れた近所の泰子(仙北谷和子)は、兄が一緒に逃げたとされる女性の妹です。康子を迎に来た夫(安田正利)は、本当であれば照と結ばれていたかもしれない人です。このご夫婦は、何かと照を助けてくれていた人でもあり、夫はチカチカしている蛍光灯をとり替えてくれ話しをしていきます。

照は、それぞれの人に、色々な想いをじっと受けとめたり、思っていたことを語ったりしますが、自分が過ごしてきた厳しい現実を不思議なくらい怨みごととしてではなく、慈しむように話します。劇中の言葉は、愛媛の今治市の方言だそうで、訪ねてくる人に出されるのが、「イギス」と「夏ミカンの飴炊き」と「たくあん」です。それを食しながらお茶を飲み、茶のみ話のように、穏やかに語られていきます。

その会話から、照が保育園の先生をして、一人で両親を看取り、今その家を人手に渡し、ケアハウスに入所することにしたこともわかります。ケアハウスに持っていく物の中に、照の好きな『ナルニア国物語』の<カスピアン王子のつのぶえ>があり、ちゃぶ台の上にそれが置かれています。

照は、保育園で園児に童話を読み聞かせながら、自分もその世界に入り込んでいました。アリスは不思議の国へ、ハイジはアルプスの山から町へ、ウェンディはネバーランドへ、ジョバンニは銀河鉄道の旅へとみんなその場所から外へと飛び出していきます。照も飛び立ちたかったことでしょう。非国民の家族というレッテルの張られた場所から。しかし、それはできませんでした。

迎え火をたきましたが、認知症のため照はそのことが思い出せません。会いたいと思っていた兄(塩田泰久)の魂が帰ってきます。照は、どこかで生きていてほしかったと兄に告げます。兄の逃げた理由を聞き、兄に<カスピアン王子のつのぶえ>を読んでもらい、照はやっと不安のともなう先へ進んでいけそうです。

兄に何かやりたいことはと尋ねられ、「童話を書いてみたい」と言います。

不安でいっぱいの中で過ごし、童話の世界と行き来していた照は、家を守り、きちんと送り火で家族を送り出し、新たな不安を抱えつつも前に進んで行きます。照さんの童話はできあがることでしょう。

演劇とは思えないほどの自然な日常会話が、大変な時代を生きてきたことを知らしめ、そして照さんの不安の中に閉じ込められていた時間が空気がわかります。まだ自分で判断できるうちにとすべてを整理し先へ進む道を決めた照さんですが、きっとこの先も、童話の世界に助けられながら未知の世界を静かに一歩一歩踏みしめらるのです。

作・ナガイヒデミ/演出・兒玉庸策

さあ!頑張らずに、頑張ろう!

 

新橋演舞場『恋の免許皆伝』『狐狸狐狸ばなし』

新橋演舞場の二月は喜劇名作公演で、松竹新喜劇の役者さんと劇団新派の役者さんに、中村梅雀さん、大和悠河さん、山村紅葉さんが加わっての舞台です。

松竹新喜劇からは、渋谷天外さん、曾我廼家八十吉さん、曾我廼家寛太郎さん、藤山扇治郎さん、劇団新派からは、波野久里子さん、喜多村緑郎さん、河合雪之丞さんなどです。

一、恋の免許皆伝 二、狐狸狐狸ばなし

これが、昼の部、夜の部別演目と勘違いし昼夜の切符を取ってしまい、あわてて昼の部を友人に行ってもらうことにし、昼の部と夜の部の間に友人と短時間のティータイムをもてたので結果的には良い風向きとなりました。切符を用意する段階での不注意だったのですが、お芝居のようにアタフタさせられました。

友人はドタバタ喜劇は嫌いであると言っていたのでどうかなと懸念しましたが、「あなた面白かったわよ。」の一言にホッとしました。

恋の免許皆伝』は、私も初めて観る作品で、前半は真面目に進み、後半に向かって次第に笑いが起り、真面目さが笑いの中でほろりとさせるという展開になります。この芝居、喜劇として見せるにはかなり難しいと思います。単純なだけに役者さんがものをいいます。

武芸指南役の家にうまれた娘・浪路(大和悠河)が婿養子を取ることとなり、娘も相手の頼母(中村梅雀)を気に入っており上手くいきそうです。指南役の家に婿養子に入るのですから、その娘より剣の腕前が劣っていては恥と、二人は勝負をして、婿殿が見事勝って目出度く祝言という話しになります。ところが娘のほうが剣の腕が上で婿殿は負けてしまいます。潔く婿殿は修業にでます。そして、年月は過ぎ、修業からもどり晴れて夫婦にと。その前に、勝負!婿殿あなたは何をやっていたの。娘よ真面目過ぎ。

今度会う時は、誰かが出演できない状態でしょうね。きっと。

浪路の父・曾我廼家八十吉さんと、叔母・磯路の波野久里子さんがしっかり武家の雰囲気を押さえ、若い二人に情愛を示し見守ります。梅雀さんが婿ですからかしこまって演技も押さえていますが、時間と共に、登場する場面場面で変化をみせてくれます。姿変わろうとも、頼母と浪路の恋心は変わることはありませんでした。

やきもきしつつも二人にそれぞれ仕える藤山扇治郎さんと、石原舞子さん。曾我廼家寛太郎さんが、皆にいじられ役。武家の女中たちや武士の若者たち、中間などそれらしい動きと台詞で、邪魔されることなく芝居の流れについていけました。

友人が「歳のせいなのか、うるうるときてしまった。」と言っていましたが、こちらもうるうるきました。この芝居をそこまで持って行けたのは役者さんの力でしょう。

狐狸狐狸ばなし』は、色々な役者さんで観ているので、またかとおもったのですが、こちらも無理せずに騙されるながれになっていました。

女房が大好きな男と、好きな坊主がいる女房と、惚れられる女を都合よく選ぶ坊主とそれに乗っかる周囲の人々という、狐と狸の騙し合いの連続です。

住職の重蔵(喜多村緑郎)と一緒になりたいおきわ(河合雪之丞)は、夫の伊之助(渋谷天外)を染粉で殺します。ちょうどその夜は愛するおきわのために伊之助はフグ鍋を作っていたので、フグにあたって死んだことにされてしまいます。殺されたはずの伊之助が生きていて、もう一度殺そうということになり、伊之助に雇われていた又一(曾我廼家寛太郎)が、伊之助にこき使われ怨みがあるから自分が殺すといってからの場面では、又一と伊之助の殺し殺されるところが面白い場面になっていました。

笑わされて客は疑う事も無く騙されてしまうというおまけつきです。

伊之助一人に対しこちらは複数で一致団結していて、まさかこの中に裏切者がいたとは誰も思いません。筋を知っていながら、天外さんと寛太郎さんの演技はその場面どおりに見させられてしまいます。

一致団結して、お蕎麦をたべる場面が、後半の笑いを緩やかに濃くしていきます。

さらに事態は一転二転とかわります。友人は、始めて観る作品なのですが、「絶対何かあると思っていた。」と言っていまして、騙されつつ真実はいかにと楽しむ作品でもあります。さらに「幕前での動きなど面白かった。」と喜劇ならではの動きの芸もあり満足したようでめでたしめでたしですが、芝居のほうは、簡単にめでたしめでたしとはならず騙し合いは続くようです。

緑郎さんは、おきわとおそめ(山村紅葉)に惚れられる住職ですが、さらりと癖のない単純ないいとこどりの住職で、歌舞伎とは違う芝居づくりでかなり力の抜け具合が出てきているように見えました。雪之丞さんは、発声が歌舞伎の女形で、驚き具合の声の調子ももう少し細やかさが欲しいです。これからですね。新派の細やかさと闘うのは。

天外さんと寛太郎さんは息のあったそれでいてずれ具合の良いやりとりで、ドタバタにしないで、芸の面白さで喜劇を演じられていました。

加藤泰監督の映画を見続けていて、『車夫遊侠伝 喧嘩辰』の曾我廼家明蝶さんの可笑しさを含んだ貫禄、『明治侠客伝 三代目襲名』の藤山寛美さんの軽そうでいて極道の刹那的な影もある演技などは、松竹新喜劇の芸の深さを感じさせられます。そうそう『車夫遊侠伝 喧嘩辰』の主人公とヒロインも、お互いの気持ちのずれで結婚に至るまで三つ山を越えます。

劇団新派も松竹新喜劇も、今の演劇の流れのなかでお客さんをつかみつつそれぞれに続く芸を継承していくのは大変なことですが、初めて観た人が面白かったということもありますから頑張ってほしいものです。

 

新橋演舞場『舟木一夫特別公演』

友人と暖かくなったら会いましょう、涼しくなったら会いましょうと言っているうちに一年が過ぎ、はや年末であります。今年のうちに会いましょうと、新橋演舞場での観劇となりました。

一、『華の天保六花撰 どうせ散るなら』 二、シアターコンサート

天保六花撰とは、河内山宗俊、片岡直次郎、三千歳、金子市之丞、暗闇の丑松、森田屋清蔵の六人のことらしいです。

歌舞伎では、河内山、河内山の弟分の直次郎、直次郎の情婦の三千歳、三千歳を想う市之丞、直次郎の弟分の丑松といった関係で登場しますが、今回の芝居は全くそれにこだわらず、6人が、自分たちの面白いと想う生き方をしようという無頼の徒のお話しです。筋書は市之丞が考えます。

金子市之丞(舟木一夫)、河内山宗俊(笹野高史)、片岡直次郎(丹羽貞仁)、森田屋清蔵(外山高士)、三千歳(瀬戸摩純)、丑松(林啓二)

市之丞の道場に、宗俊がある藩の家老・北村大膳(小林功)を案内してきます。「さあ、さあ、さあー」と。笹野の<ささ>と音をかけているらしいのですが、こちらは、出始めから河内山が北村大膳を案内してきてどうするの、「ばかめ!」はこの芝居にはないのであろうかと思いました。そこは齋藤雅文さんのこと、これが上手く回っていくのです。

北村大膳は松江藩の家老で、その松江藩のお殿様(真砂京之介)相手に、河内山は高僧に化けて直次郎の許嫁の腰元・おなみを助けに行くのですから。河内山は行きたくありません。河内山は市之丞にぼやく、ぼやく、超ぼやくです。すでに大膳に顔は知られていてウソが発覚する確率は高く、ウソとわかると命は無いものと思ったほうがよいのです。

河内山ぼやきつつも、知恵者の市之丞から人差し指を一本出されたり、「ご老中」とのヒントをもらうと、まあ弁の立つこと、見得まで切ってしまいます。笑ってしまいます。

笹野さんが河内山宗俊をすると聞いたら、勘三郎さんはきっと「え!」と言って面白がったことでしょう。「あなたが演るなら、私も演りますよ。その時は観に来てくださいよ。」と言われたとおもいます。

河内山は市之丞の作戦通り「ばかめ!」とのたまって花道を去ります。なるほどこうくるのかと流れの自然さに拍手です。

もうひとつ大きな人の情の流れがあります。直次郎の母(富田恵子)が、田舎からでてきます。直次郎は母に殿様になっているとウソをついており、市之丞の発案で天下の影の実力者である中野石翁(里見浩太朗)の別宅を拝借するのです。この直次郎親子と市之丞に生じる情愛。

そして、勝手に屋敷を拝借したことが石翁に知れてしまいます。筋を通す市之丞と石翁との心に通う後戻りできない人の世。家斉の死によって石翁は権力が失墜し老中水野忠邦の改革の時代で、そばに仕えていた者が忠邦の実弟で(田口守)屋敷には捕り方が。

石翁の中に自分と同じ無頼をみた市之丞は死に場所をみつけます。そして、そこには、河内山と丑松もいました。空には守田屋の上げた花火が大きな音をたてます。

最後の<どうせ散るなら>の立ち廻りは圧巻です。久しぶりに時代劇映画の実践版を楽しめました。捕り方の六尺棒の扱いに動きがあり、そろって床に倒す音もきまり、舟木さんも美しくきっちり受けを決められ殺していきます。

市之丞と石翁の場面も、時代劇の良き時代の空気が漂い、時代劇ファンにとっては、見る機会の少なくなってきた風景の生の舞台と思います。今の若い人たちの殺陣とはまた違った息があります。

笑いあり、涙あり、立ち廻りあり、豪華な舞台装置と、若い人では出せない芝居となりました。

ピンポイントで面白いこともありました。直次郎の母が、直次郎の座っている椅子を、和尚さんの座るような椅子に座ってというのですが、まさしくで、台詞細かいと思いました。京橋のギャラリーで和紙展をみてきましたので、舞台の行灯、唐紙、障子、市之丞が盃を拭く<和紙>の果たす効用などにも目がいきました。

流れる音楽にも注目です。

作・齋藤雅文/演出・金子良次/その他の出演・伊吹謙太郎、川上彌生、近藤れい子、真木一之

二、『シアターコンサート

こちらは、あっけにとられていました。どうしてこんないい声がでるのであろうかと。友人は高橋真梨子さんのファンなのですが、舟木さんの歌を聞いて、コンサートのあと「これは相当訓練しているわよ。それでなかったら、芝居のあとにあんな声出ないわよ。舟木さん歌い方変えたわね。舟木さんは音を長くつなげる歌い方で、こんな響きのある歌い方ではなかった。もともとじょずな人だけど、今の歌い方のほうがいい。」といっていました。

私は柳兼子さんの「みなさん、年を取ると歌えなくなるのではなくて、歌わなくなるんでしょ」の言葉を思い出しました。

舟木さん歌の途中でトークしてくれましたがよく覚えていません。A面とB面のとき、A面はこういう流れでいこうという指針があっての曲が多いですが、B面はそれに比べると結構その流れでないものがあって面白いものがあるとそんなことを話されていました。

コンサートも重くならずに、流れがよく声の響きを愉しませてもらっているうちに終わってしまいました。歌って芝居より儚いものですね。

友人も行きたいとは言ってくれましたが、暮れに時間をとらせて満足してもらえなかったらどうしようと案じましたが、愉しんでくれてホッとしました。私も、齋藤雅文さんの舟木さんとの三部作見れたので、一丁上りです。

友人がこんなことも言ってました。「里見さんは流石の貫禄ね。でもいつも変わらないのよね。この方、天狗にならないのよ。」言われてみるとなるほどと思いました。

かつての時代劇映画見始めると止まらなくなります。年末には厳禁です。

 

劇団民藝『SOETSU 韓(から)くにの白き太陽』

<SOETSU>(そうえつ)というのは、柳宗悦さんのことです。正確には<やなぎむねよし>ですが<そうえつ>と呼ばれることのほうが多いとおもいます。民藝運動に力をいれたかたで、私的には「名もなき人々のつくった生活のための工芸品の価値を高めた人」との認識で、宗悦さんの本は難しそうで読んでいません。

私が三回足を運んだ世田谷美術館の『志村ふくみ展』の志村ふくみさんは、第五回日本伝統工芸展に<秋霞>を出品して宗悦さんから破門されています。「民藝を逸脱し、個人の仕事をした」ということなんですが、友人にいわせると、二人の子供を抱えているんだもの、可能性も見極めて自由にしてあげたんじゃないのかなという意見で、破門されたことによって個人としての名前を出して突き進む道ができたということでもあります。

柳宗悦さんは『日本民藝館』を設立する前に、韓国に『朝鮮民族美術館』を設立開館させています。その時代は日韓併合の日本が朝鮮総督府をおいて朝鮮を統治している時代で、朝鮮の独立運動の三・一などが起こった時代でもあったのです。そういう時代に宗悦さんは、朝鮮の人々が日常に使われている食器や膳、中国の青磁とは違う白磁の壺などに<美>を感じてそれを残そうと行動するのです。

作者は長田育恵さんで、井上ひさしさんに師事された時期がありました。様々な人々と交流のあった宗悦さんですから全体像は難しいですが、その中でも時代的に日韓併合時代に焦点を合わせられ、この時代をよく判らない者としては、少し時代の裂けめを感じることができました。

登場人物が、柳宗悦、宗悦の妻であり声楽家の柳兼子、宗悦の書生の南宮璧(ナングンビョク)、浅川巧・浅川伯教(のりたか)兄弟、宗悦の妹・今村千枝子、総督府の役人である千枝子の夫・今村武志、宗悦と同じ学習院出身の軍人・塚田幹二郎、斎藤実総督、宗悦が朝鮮で定宿とした女将・姜明珠(カンミョンジュ)、明珠の養女やその婚約者の独立運動家などで、それぞれの思惑が交差します。

朝鮮総督府は三・一独立運動で威圧的な武断政策から、文化政策に変更します。そうしたなかで宗悦さんは周囲の協力のもと『朝鮮民族美術館』を設立して朝鮮の民藝を残そうとします。朝鮮の人からは、文化政策の懐柔的戦略の一つに過ぎないとみなされたりもしますが、残すことに意味があると開館までこぎつけるのです。

宗悦さんの奥さんである兼子さんは資金集めのため、朝鮮でコンサートを開いたりして経済的に宗悦さんを助けます。

千葉県我孫子市に『白樺文学館』があり訪れたことがあるのですが、この地は白樺派の武者小路実篤さんや志賀直哉さんも住んだところで、『白樺文学館』近くの志賀直哉邸宅跡には書斎部分が残されています。『白樺文学館』には兼子さんが使われていたピアノがあり、地階は音楽室になっていて兼子さんの歌曲が流れていました。その時購入したCD(「柳兼子 現代日本歌曲選集 第2集 日本の心を唄う」)のなかには、80歳すぎてから録音されたものもあり「みなさん、年を取ると歌えなくなるのではなくて、歌わなくなるんでしょ」といわれています。

宗悦さんが我孫子に住まわれたのは叔父の嘉納治五郎さんの勧めがあってなのです。プーチン大統領の日本人で尊敬するひとの嘉納治五郎さんが叔父さんだったとは。本通りから狭い坂道を入ったところに、宗悦さんの住まわれて三樹荘跡があり、敷地内は非公開ですが、その前にある嘉納治五郎別荘跡は緑地となっていて入れたとおもいます。

浅川巧さんは、甲府にある山梨県立美術館に行く途中で大きな映画の案内があり、韓国との友好を成した人のようで、ここの出身のひとなのだと思ってそのままにしていたのですが、芝居をみていて、このかたかなと思って調べましたらそうでした。映画『道~白磁の人』(監督・高橋伴明)。

朝鮮の山が伐採だけで、植林されないのを何とかしたいとしていて、兄の関係から宗悦さんと巡り合い、朝鮮白磁の収集に協力します。そして韓国で骨を埋めます。

日本人に好意的な宿の女将との交流などが続く中、時代の流れの中で、人の想いにも変化がおこります。そうした経験を経てその後の日本での民藝運動の柳宗悦へとつながっていくのだと暗示させられます。

宿の女将・姜明珠の最後の宗悦に対する詞が本心だったのか、子どもをかばうための言葉だったのか、それとも両方だったのかが観客の自分のなかではっきりしませんでした。

朝鮮王朝は朝鮮の人民に不当な扱いと貧困の苦しみを与えていたようですが、それを救うとしてその国の生活の美しさを壊してはならないという想いが柳宗悦さんを動かしたのでしょう。そんな宗悦を篠田三郎さんは、ひょうひょうとしながら言いたいことは主張して突き進む意志の強さをあらわしました。実在のかたははっきり見えてくるのですが、フィクションであると思われる人物は、今回は時代と異国ということもあって演じるのに苦労されたように思われました。

別々にそれぞれの生き方で芝居一本出来てしまうような登場人物をなんとか宗悦でつなげたことの大変さには敬服します。

作・長田育枝/演出・丹野郁弓/出演・柳宗悦(篠田三郎)、柳兼子(中地美佐子)、姜明珠(日色ともゑ)、浅川巧(齊藤尊史)、浅川伯教(塩田泰久)、今村武志(天津民生)、今村千枝子(石巻美香)、南宮璧(神敏将)、塚田幹二郎(竹内照夫、斉藤実(高橋征郎)etc

日本橋・三越劇場 12月18日まで

 

工藝に関してはこれでお終いかなと思っていましたら、『21世紀鷹峯フォーラム』(第二回)というのをやっています。ガイドブックを高倉健さんの追悼特別展で手にしたのですが、100の連携、300におよぶ工芸イベントがのっていて驚きです。

もちろん「日本工藝館」ものっていますが、<創設80周年特別展 柳宗悦・蒐集の軌跡>は11月で終わっています。このフォーラム、2016年10月22日~2017年1月29日までですが、無料のギャラリーもあって、日本の工藝をあらためて愉しむことができます。残念ながら終わったところもあってもう少しはやく知りたかったと思うものが沢山ありました。これは来年までつながります。

追記: 映画『道~白磁の人』(監督・高橋伴明)みました。国家間が政治的に争っている時でも、芸能、芸術、文化はひっそりと、時には凛として光り輝いているのが素晴らしいですね。知らなかったことを教えてくれる演劇、映画の力も素晴らしいです。

 

『頭痛肩こり樋口一葉』『恋ぶみ屋一葉』

樋口一葉さんの『大つごもり』のようにお金の拝借はしないで年はこせそうですが、時間はどこからか盗んできたいところです。

見なければよいのに『頭痛肩こり樋口一葉』『恋ぶみ屋一葉』の録画をみてしまったのです。やはり面白かったです。かなり時間がたった舞台ですので、現在入りの良い舞台などの比較としても面白い現象の変化がみれます。

一番見落としていて今回驚いたのは『恋ぶみ屋一葉』の脚本が齋藤雅文さんであったということです。こういう物も書かれていたのだと新しい発見でした。

録画の『頭痛肩こり樋口一葉』は1984年の「こまつ座」旗揚げ公演です。

脚本・井上ひさし/演出・木村光一/出演:一葉・香野百合子、母の多喜・渡辺美佐子、妹の邦子・白都真理、母が奉公していた旗本稲葉家のお嬢様のお鑛・上月晃、父の八丁堀同心時代の隣組の中野八重・風間舞子、幽霊の花蛍・新橋耐子

樋口家の明治23年から明治31年のお盆までの出来事としています。お盆としているのは花蛍という記憶喪失の幽霊が登場するためでもあります。あの世とこの世の世界を同じ次元としていて、そこには悲しみはありません。ここが井上ひさしさん独特の構成でもあり、樋口一葉という若くして亡くなった悲劇の女流作家を悲劇にはしないで笑いを起こして描き表わしているのです。それでいながら一葉さんが伝わってきます。

江戸から明治維新を上手く乗り越えられなかった旗本や下級武士の生活。吉原での源氏名が花蛍という幽霊の怨みがめぐりめぐって一葉をも通過して中島歌子から皇后さまにまでいたる人の気持ちの影響力。一葉の作品の登場人物と同じ生き方をしてしまう重なりぐあいなど味わいどころは一杯なのです。

旗揚げ公演ということもあってか、動きが大きく、歌も入るので、それまでの新劇の枠を超えていて、観客の笑い声が大きいのです。この飛んだり滑ったりの観客を笑わせ入場客を一杯にする今の演技術につながっています。ところが、この作品はその後、動きよりも聞かせどころに移行していきます。私が観た範ちゅうではということですが。

2000年新橋演舞場の新派公演。

演出・木村光一/出演:一葉・波野久里子、多喜・英太郎、邦子・紅貴代、稲葉鑛・水谷八重子、中野八重・長谷川稀世、花蛍・新橋耐子

2009年浅草公会堂

演出・齋藤雅文/出演:一葉・田畑智子、多喜・野川由美子、邦子・宇野なおみ、稲葉鑛・杜けあき、中野八重・大鳥れい、花蛍・池畑慎之助

新派は動きを押さえ、当たり役の新橋耐子さんの幽霊の動きを際立たせるという感じで、浅草は新橋耐子さんの当たり役に挑戦した池畑慎之助さんが、踊りの訓練をしているしなやかな動きで幽霊の動きを見せるというところが印象的でした。さらに浅草公会堂での舞台装置が、菊坂の借家の路地の階段をあらわし、菊坂の雰囲気充分でした。

1984年の時、笑い満載だったものを、その後は、一葉さんの作品と重なることが伝わるようなゆったりさをもたせていました。同じ作品で登場人物や演出、舞台装置、音楽などで違った印象を与えるものです。録画のほうは、脚本も読んでいてみたので、笑いも作品の重なる部分もたっぷり堪能でき、井上作品が当時新しい風をおこしたであろうことが十分理解できました。

浅草公会堂で井上ひさしさんをお見かけしたのが最後のお姿となりました。講演会などでのユーモアがあって深いお話も聞くことが出来なくなり時間は過ぎていきます。

恋ぶみ屋一葉』は1994年に読売演劇大賞最優秀作品賞を、杉村春子さんが大賞と最優秀女優賞を受賞されています。

作・齋藤雅文/演出・江守徹/出演:杉村春子、杉浦直樹、藤村志保、榎本孝明、寺島しのぶ、英太郎

杉村春子さんが、88歳のときです。何がそうさせるのかという激しい動きもないのに可笑しいのです。笑いつつふっと今のどこが可笑しかったのかと疑問視しているのですが、わからないのです。間なのでしょうか。弦に触れて出る音がかすかなのに微妙にその違いが苦労なくとらえさせてくれるのです。構えていなくても伝えてくれるのです。ドタバタにしなくても伝わる可笑しさ。こんな女優さんはもうでてこないでしょう。

脚本もよくて、登場人物が思いもしなかった巡り合わせとなり、そこに『シラノ・ド・ベルジュラック』のように、恋文の代筆がからんでくるのです。

尾崎紅葉の門下生である前田奈津(杉村春子)は、一葉のような女流作家を目指しますが、今はあきらめて下谷龍泉寺町で吉原の遊女などの手紙の代筆業をしています。紅葉門下の後輩である加賀見涼月(杉浦直樹)は売れっ子小説家となっていて、二人は文学の話しも通じるよい距離感の仲なのです。涼月はかつて芸者の恋人・小菊(藤村志保)との仲を、師の紅葉に裂かれてしまい、小菊は川越にお嫁にゆき若くして亡くなってしまいます。奈津と小菊は親友で、奈津は涼月とともに小菊を懐かしみます。

ところがこの小菊が生きていたのです。そしてさらに小菊の息子・草助(榎木孝明)が小説家になりたくて涼月のところの書生になっていて、息子を川越にもどすべく小菊が奈津の前にあらわれます。草助は吉原の芸者・桃太郎(寺島しのぶ)と恋仲に。実は草助は涼月との子どもだったのです。お決まりの感じですが、それがなんともいい雰囲気で話が展開していくのです。芸の力です。

奈津はかつて小菊の涼月への恋文の代筆もしていたのです。杉村春子さんと杉浦直樹さんのコンビの間のずれ具合も絶妙でした。

この公演は、最初齋藤雅文さんの別の作品で制作発表もしたあとで、どうも違うとの判断から、映画『午後の遺言状』の撮影をしていた杉村春子さんにも了承をえに行き、前売りぎりぎりで差し替えたのだそうです。

齋藤雅文さんは、関連するものを集めてオリジナルとして組み立てるのが上手い脚本家さんです。『恋ぶみ屋一葉』の題名もすっきりしています。奈津さん、一葉さんが欲しいと眺めていたという簪をもらうんのですが、フィクションの使い方も自然で、ほど良い作品としてのアクセサリーにしてしまいます。

『頭痛肩こり樋口一葉』『恋ぶみ屋一葉』で、樋口一葉さんとの<大つごもり>も早めに楽しく終わることができました。

 

 

2006年舞台 『獅子を飼う―利休と秀吉』

平幹二朗さんが亡くなられました。平さんはテレビで、健康と体力維持もかねて歩いて移動し、途中に銭湯があればよく寄られて汗を流されると話されていたことがあり、それ私もやりたいと思ったことがあります。

平さんの舞台は、『王女メディア』と『獅子を飼うー利休と秀吉』を観ています。蜷川幸雄さんと平幹二朗さんの『王女メディア』は演劇界にセンセーションを巻き起こした舞台です。

1998年5月に < 復活!! 平幹二朗の「王女メディア」! 世界に船出した伝説のギルシャ・アクロポリス公演から15年 > のチラシの言葉に心躍らせて観に行った記憶があります。場所は世田谷パブリックシアターで、これが『王女メディア』なのかと芝居の内容よりも、蜷川さんと平幹二朗さんの『王女メディア』を観れたという既成事実に満足したところがありました。

丁々発止の台詞のやりとりでは、2006年1月の平幹二朗さんと坂東三津五郎さんが共演された『獅子を飼うー利休と秀吉』です。1月21日~26日ですから上演期間が短かったのに驚きます。これは、利休の平さんと秀吉の三津五郎さんのぶつかり合いがすざまじく、利休と秀吉が命をかけて闘い、役者同士のぶつかり合いもあって面白かったのですが、内容が一筋縄ではいかない作品でした。

最初はお互いに楽しんで競い合っていたのが、お互いの関係が微妙になりはじめた頃からの話しとなり、そのすき間がずれてきて、利休の死ということになるのです。

2006年作品は、NHK衛生第2の「山川静夫の新・華麗な招待席」で放送され録画していましたので、今回見直しましたが、お二人の台詞と演技の見事さを、改めてじっくりと鑑賞させてもらいました。

ひょうご舞台芸術第33回公演とありまして、少し込み入りますが、この「ひょうご舞台芸術」というのは、建物を作る前に、実際の舞台芸術を発信しようということで最初に発信したのが、1992年第1回公演で初演の『獅子を飼う』です。建設にとりかかっていた「芸術文化センター」は、1995年の神戸・淡路大震災が起こり文化は後回しといった風潮のなかで、芸術顧問の山﨑正和さんが、兵庫の阪神間は文化的産業で生きてきた街で、ここでもう一度文化を復興させることが大切との考えを広め、2005年12月に「兵庫県立芸術文化センター」が完成します。その第1回公演が2006年1月10日~15日までの『獅子を飼う』で、14年ぶりの再演となり、1月21日から東京公演となったのです。

建物ができあがるまで、「ひょうご舞台芸術」は、舞台芸術を発信しつづけていたのです。

『獅子を飼う』の脚本を書かれたのが山崎正和さん。演出の栗山民也さん、平幹二朗さん、坂東三津五郎さんの初演メンバーでの再演となったのです。初演時は三津五郎さんは八十助時代で、おそらく年齢的にも再演のほうが、役者どうしの駆け引きも深くなっていたと想像しつつ録画を観ていました。

神戸・淡路大震災を通過して『獅子を飼う』という舞台が獅子奮迅して再演に至ったようにもおもえてきます。

秀吉は、帝を聚楽第にお招きし、お茶席をもうけ利休とともに歓待し無事大役も終えますが、同時に成し遂げた達成感よりも焦燥感が大きくなってきています。

小田原の北条氏をまだそのままにしていて、全国制覇をしていません。なぜか北条攻めを残していて、大明国への出兵などに次々と手を染めていきます。利休は、お茶という文化を秀吉のもとで次々と発進し続け、茶に関しては、利休の一言で価値が決まるまでになっています。

利休は、秀吉のたてがみを振るい立たせていた勢いと自分の茶に対する美意識とをぶつかり合わせることに、恐れと快感を味わっていました。自分の中に秀吉という獅子を飼っていて、それがどうあばれ、それをどう静めるかに、自分の命をかけているところがあります。

秀吉は、いくら城を造っても利休の茶よりも価値がないのでは、ということに囚われはじめます。ところが鶴松が生まれ、自分の死後も秀吉の功績が続くことが確信でき、利休の力の必要性もなくなり、最後の仕上げの北条小田原攻めを決めます。小田原攻めも成功しますが、弟の秀長の死とともに、鶴松の死も知らされます。

その少し前に、秀長のはからいによって利休と秀吉は茶室で久しぶりで二人だけで向かいあっていたのです。鶴松の死の知らせのあと、利休の茶道職を辞すという文が届きます。鶴松が死んで、秀吉は再び利休を必要としているのを知っている利休に拒否された秀吉は利休を殺すことを命じます。

戦さが終ればそれに代わる発進は文化であることを秀吉は知っています。ところが、利休の手を借りなければ世の人々にさすが秀吉様といわれることができないのも秀吉は知っているのです。

利休は利休で、茶人はお客様の鏡であって生身の茶人を見せてはならないのに、自分はお上(秀吉)に甘えていたと語ります。茶人としての道をはずれていたのなら、今は勝ちにでます。宗易(利休)は死にません。宗易の茶はお上のすみずみにまで染み込んでいます。お上が茶室に一人座れば宗易は天地の風のように満ちているのですと。

時代の流れ。茶々の存在も意識しつつのねね。利休と秀吉の複雑な関係の間に立つ秀長。利休を快くおもっていない石田三成と津田宗及。利休に囲われている於絹。キリシタンの弥八郎。陶工の新三郎。イスパニア人のドン・ペドロ・ロペス。それぞれが、自分の生き方と生きるための損得を計算する登場人物。それらが交差しあっていますので、そこから利休と秀吉の人間像を浮かび上がらすということも加わり、こうであると決めるのが難しいところです。

秀吉だってぞうり取りから天下をとった男です。それだけに本心がどこにあるかわかりません。秀長は利休に秀吉の素顔を見ようとするなと助言します。しかし利休にとって秀吉は自分の茶に対する素顔をみたくなる獅子であるわけです。自分を獅子のエサとして喰らわされたとしてもぶつかる存在であってほしかったのです。自分の茶を武器にしてしまった利休の自我の強さともいえます。

個人的には小田原攻めがでてくるとアンテナが動きます。北条氏がよくわからなくて、三回目の小田原城で友人とああじゃらこうじゃら話しあって、やっと秀吉の小田原攻めまでの過程が組み立てられました。八王子城の悲惨な最期を知っての影響もあります。秀吉がなぜ北条攻めを決めるまで2年もかけたのかという芝居上の設定も時代性を想起させてくれました。

利休と秀吉の関係は、謎です。それだけにその関係は一筋縄では表せない面白さでもあります。

映画でも『利休』(勅使川原宏監督)、『千利休 本覺坊遺文』(熊井啓監督)、『利休にたずねよ』(田中光敏監督)があり、名作ぞろいです。

平幹二朗さんの利休も、舞台人としての作り上げの緻密さを感じさせてくれました。 (合掌)

作・山崎正和/演出・栗山民也/キャスト・利休(平幹二朗)、秀吉(坂東三津五郎)ねね(平淑恵)豊臣秀長(高橋長英)、於絹(大鳥れい)、ドン・ペドロ・ロペス(立川三貴)、津田宗及(三木敏彦)、石田三成(石田圭祐)、弥八郎(渕野俊太)、新三郎(檀臣幸)、(篠原正志、坂東八大、坂東大和、松川真也、大窪晶)

劇団民藝公演『篦棒(べらぼう)』

<篦棒>(べらぼう)と読み、はじめて見る漢字で眺めていてもすご~く難しい題名です。1980年代からの現在までの経済のながれも関係しているらしく多少気を重くして観にいったのです。

役者さんの一人が「べらぼう!」と発して気がつきました。その<箆棒>だったのかとあっけにとられました。

辞書によりますと次のようありました。 ①ばかげたさま ②はなはだしいさま 例文「べらぼうに寒い」

「べらぼうめ!」です。

「べらぼう!」の台詞を発した舞台の人物はフレチレストランを始め、それを大きく大きく飲食店グループにまでするのですが、お金の問題、家族の亀裂などがありそれも乗り越え、そこに待っていたものはといった流れですが、きちんとそれを取り巻く社会状況の動きも分かるようになっています。

「べらぼう!」の奥さんの大友凛さんが、夫である大友信勝さんとの出会いから語りはじめます。そして、大友家の応接間兼居間のリビングルームだけの場所で、大友家の人間関係から経済の流れから震災も含めてどう人々が生きてきたのかがわかるようになっています。

大きな動きが実は小さな場所で渦巻いていたのです。そして当然それは大きな渦へとつながっているのです。中津留章仁さん作、演出の『箆棒』は気が重くなるどころか、次はどうなるのかとその展開に舞台上の人々と同じように驚きとこの家族はどうなるのであろうかと好奇心いっぱいで引きつけられていました。

家族だけではなく、事業をし経営するということはどいうことなのか。震災に対し企業や東京に住む人々は本当に真摯に向き合っていたのか、消費するということに思考は必要ないのかというような疑問符がピッピッと弾けていきます。

ごく日常的な会話のなかで、それらが垣間見えてくるのです。ではそのことについて討論しましょうではなく、こういう問題は日常の当たり前の場所でも派生しているのだということが披露されています。

こういう考えの人いますいます。役者さんたちの技量もそなわり、日常のあちこちにいる普通の人々が会話しているように抵抗なく受け入れられ、芝居の流れの思いがけない展開が、芝居に弾みを加えてくれます。

現代を時間差なく展開する中津留章仁さんの作品と劇団民藝の役者さん、特に樫山文枝さんの役をさらに役者を浮き彫りにするかたちとなりました。夫の信勝に意見できるのは妻である凛がもっともふさわしく、その静かながらあきらめの中からうまれた自信に充ちた立ち居振る舞いの樫山さんにその力がありました。

2時間55分。約3時間。全然長いと思いませんでした。

日本の自殺者の数が世界で上位にあるということは悲しいことです。べらぼうめ!

作・演出・中津留章仁/出演者・樫山文枝、西川明、齋藤尊史、飯野遠、みやざこ夏穂、神保有輝美、河野しずか、桜井明美、境賢一、小杉勇二、白石珠江、山梨光國、松田史朗、竹内照夫、山本哲也、吉田陽子、吉田正朗、竹本瞳子

紀伊國屋サザンシアター 9月28日~10月9日(日)

書いていない『二人だけの芝居 クレアとフェリース』『炭鉱の絵描きたち』についても少し。

『二人だけの芝居 クレアとクレアとフェリース』は奈良岡朋子さんと岡本健一さんの題名のごとき二人芝居でした。女優である姉のクレアと劇団を率いる作家でもあり俳優でもある弟のフェリースが、劇団員には逃げられ、劇場に閉じ込められてしまいます。とにかく二人だけでも芝居をしようと練習をはじめるのですが、クレアがなんだかんだと文句を言い始め、幼い頃の話しなどをもちだします。

フェリースは姉に翻弄されないように姉に合わせ、何とか芝居の練習に集中させようとします。その経過のなかで、この二人には、芝居の台詞の中にしか二人をつなぐ言葉がないように思えてきました。もう芝居などやりたくはない文句をいう姉は、やはり芝居の台詞をしゃべりたがって、いやなはずなのにそれしかないのです。そこにまたもどってしまうのです。フェリースは姉を安息させ、自分もその中で安息できるのはお互いが芝居の台詞の中と気がついていて、いつまでもふたりだけの芝居がつづくようにおもわれました。

考えても結論はでないであろうと途中からは、こういう動きをするのか、こういう台詞のいいかたをするのかとお二人のせりふと動きを楽しんでいました。

作・テネシー・ウイリアムズ/訳・演出・丹野郁弓/出演・奈良岡朋子・岡本健一

『炭鉱の絵描きたち』はイギリスの炭鉱に文化部のようなものができて美術を学ぼうというので美術の先生がきて講義をしてくれるのであるが、全然わからないので実際に絵を描こうということになります。

ここで絵の才能を見出される人もいて、展覧会も開かれ、埋もれていたものは石炭だけではなかったということですが、今まで知らなかった世界をみてどんどん楽しくなる明るさがほしかったです。イギリスということもあり、遠さがあり身近にせまってこなかったのが残念です。

映画の『リトル・ダンサー』の作家の作品でもありますが、『リトル・ダンサー』の少年が、ラストでマシュー・ボーン振付の「白鳥の湖」の主役になっていたという驚くべき感動があったので、『炭鉱の絵描きたち』のほうは地味すぎる舞台に思えてしまったとおもわれます。

作・リー・ホール/訳・丹野郁弓/演出・兒玉康策/出演・安田正利、境賢一、杉本幸次、和田啓作、横島亘、神敏将、新澤泉、細川ひさよ、伊藤聡

新橋演舞場 九月新派特別公演(2)

『振袖纏(ふりそでまとい)』  川口松太郎さん作で、しっかり最後涙を誘います。実際の話しを参考にしたようでモデルがあるようです。川口松太郎さんは<親は誰だか判らない>と語られていて若い頃苦労されていているので、市井の人々の悲喜こもごもを小説や芝居にされていますが、その人情味は実感がこもっていて新派が隆盛だった頃の観客がすっぽり入りこめる世界でした。

映画監督の松山善三さんが先頃亡くなられましたが(合掌)、高峰秀子さんが、演出助手だった松山善三さんと結婚するとき、「なにがなんでも川口先生に彼を見てもらった上で決めよう」とおもったほど川口さんの「人の見る目」を信頼していて「あの男はまるでおまえの亭主になるために生まれてきたみたいな奴じゃねえか」と太鼓判をおされ即座に決心したと書かれています。(「人情話 松太郎」高峰秀子著)

その川口さんの本も後半までの話しにダレがきてしまいます。それは、纏持ちに憧れた芳次郎(松也)が大店の実家・大黒屋から勘当されても自分のやりたい道に進み、ち組の頭・藤右衛門とお徳(春猿)に世話になります。そこの娘・お喜久(瀬戸摩純)と夫婦となりますが、大黒屋の番頭に子供が出来たら跡取りのいない大黒屋に子供を渡すという約束をします。この約束と、勘当された身だからと生まれた子供を捨て子として大黒屋の前に捨て、その子を番頭が拾い、捨て子として育てられるのですが、現代の感覚からすると、そう簡単に約束するの、捨てる必要性があるのと突っ込みたくなるのです。

ただこの設定が後半の泣かせどころとなるのですが、前半の観客の突っ込みをいれない工夫が現代では必要になってきます。貧富の差は現代でも判りますが、暗黙の了解の当時の身分差などが通じなくなっているということです。『婦系図』で、お蔦の姉貴分にあたり酒井先生の世話にもなる芸者の小芳に主税が手をついて挨拶しますが、酒井先生は、お前は芸者に手をつくのかと怒るところがあります。これは驚きますよ。そういう風の吹いている時代なのです。

その辺りが芝居の中にしかない感覚となってしまい、庶民がすっぽり芝居の中に入れないところに新派のジレンマがあります。『振袖纏』も、前半は番頭の田口守さんが持ちまえの演技力で頑張ります。猿弥さん、春猿さんが纏の頭の一家としても雰囲気を出します。そして、後半になって松也さんと摩純さんも芝居に乗って来て、立松昭二さんと伊藤みどりさんが大黒屋夫婦として締めるという形となります。この前半が説明的にならず時代を表せるかどうかが、課題となるとおもいます。

『深川年増(ふかがわとしま)』  北條秀司さんの喜劇作品です。浅草の十二階の凌雲閣の場面から始まり時代が何んとなくわかります。さらに、歌舞伎の演劇改良運動のことが出てきます。明治の西洋化の風潮から歌舞伎を外国人にも観て貰えるように改革しようとしたのです。九代目團十郎さんの時代で同時に川上音二郎さんの新派の誕生とも関係してくる時代です。

改良運動により歌舞伎役者の身辺もきれいにしようということで、地位の低い歌舞伎役者・三十助(緑郎)も囲っているおきん(八重子)と別れることにします。そのおきんに別れ話をもっていくのが、三十助の弟子の伊之助(猿弥)です。三十助は良い役が回ってくるようにときんつば屋に婿に入っており、おきんのことも女房のおよし(英太郎)にばれているのです。当然すったもんだがあるわけです。

北條さんのことですから細工は流々で、おきんはお金持ちの奥様になりすまし、きんつば屋へ乗り込んでくるのです。その前に三十助との間の子供まで送り込んできます。

欲をいいますと緑郎さんは喜劇のテンポはまだこれからの感があります。猿弥さんとは澤瀉屋での長い時間がありますのでツーカーですが、八重子さんや英さんとの間の取り合いはこれからの時間のなかで修練され絶妙さに進んでいかれるとおもいます。話しの面白さが構成されているとその展開にのりつつ、いかに自分の置き場所をみつけるかが喜劇の場合難しいです。

それにしても、劇団新派は沢山の作品をすぐれた作家のかたから書いてもらっていました。『振袖纏』も『深川年増』も初めて観る作品でした。

新派の芝居は奉公人が使いに行く時前掛けに品物を隠して出かけたりなど、今は見かけなくなった細かい時代の動作のしどころをも伝えてもらえます。

『婦系図』などは、黒御簾から「勧進帳」の長唄が流れ、小芳が娘に会えて涙するところは、「ついに泣かぬ弁慶の~」と流れます。

お蔦が妙子さんがきてお茶を入れる時、焙烙(ほうろく)でお茶を焙ってからいれたりと、座布団の外しかたなどその時代の身についた動きかたが新鮮に目にとまります。

そしてそうした動きも立場のちがいによっても変わってくるのです。そうした細かな動きを学んだ新派の役者さんたちが、喜多村緑郎さんが誕生したことによって、新しい作品をもっと学んで披露していければ今回の襲名も大きな成果となって現れることでしょう。

国立研修生の同期である春猿さんと猿弥さんの澤瀉屋そして 音羽屋の松也さんを迎え、新しい緑屋の二代目喜多村緑郎さんの襲名披露公演にふさわしい旅立ちにまずは拍手を。

その他の出演者・佐堂克実、尾上徳松、半田真二、村岡ミヨ、鴫原桂、山吹恭子、市村新吾、英ゆかり、只野操、三原邦男、筑前翠瑶、鈴木章生、児玉真二、久藤和子、川上彌生、川崎さおり、矢野淳子 他