テレビドラマ『天切り松 闇がたり』

「近代文学館 夏の文学教室」での浅田次郎(作家)さん(三日目 三講時)の講演は『「天切り松 闇がたり」の大正』でした。

小説『天切り松 闇がたり』関係の参考本に『天切り松読本』(浅田次郎監修)がありまして、作品に出てくる、浅草、上野、本郷、銀座、丸の内等の地図や写真が掲載されてい風景が具体化されて面白いです。<天切り市電マップ>というのもありまして『天切り松 闇がたり』はもちろんですが、ほかの作品でも市電がでてくれば参考になるとおもいます。〔洲崎〕とあれば映画『洲崎パラダイス』が浮かびます。

さらに『天切り松 闇がたり』上演一覧というのがありまして、すまけいさんと鷲尾真知子さんとの朗読劇が載っていました。このお二人の朗読劇でこの小説を知ったのです。沁みる朗読劇でした。テレビドラマにもなっていまして、そのことは、『天切り松 闇がたり』第三巻(集英社文庫)の解説を十八代目勘三郎さんが書かれていてテレビドラマとなることに言及していますが、このテレビドラマがDVDになっていたのです。

2004年7月30日放映(フジテレビ) 監督・本木克英/脚本・金子成人/出演・松蔵(中村勘九郎・18代目勘三郎)、安吉(渡辺謙)、栄治(椎名桔平)、寅弥(六平直政)、志乃(篠原涼子)、きよ(井川遥)、永井荷風(岸部一徳)、東郷平八郎(丹波哲郎)、逆井重美(中村獅童)他とあります。

嬉しいことにとんとん拍子に動いてくれて、DVD、レンタルできたのです。

テレビドラマ『天切り松 闇がたり』は、「黄不動見参」「百万石の甍」「昭和俠盗伝」「衣紋坂から」が編集・脚本されて、松蔵が語ります。

警察の留置所に出入り自由の村田松蔵は、今夜も雑居房で六寸四方にしか聞こえない夜盗の声音、闇がたりで自分の歩んできた道を語っています。

松蔵は、盗賊の安吉一家に九歳のとき預けられますが、親分から黄不動の栄治に修業をまかされ天切りを教えこまれます。天切りとは江戸時代から続く屋根を切って忍び込む夜盗の技なのです。黄不動の栄治は、手広くやっている建設会社花清の妾腹の子で、母子は体よく追い払われ、口は悪いが腕のいい棟梁に育てられ一通りの大工仕事はしこまれています。

花清は実子を亡くし、前田侯爵を通じて安吉親分に栄治を花清の跡取りにと話しがありますが、栄治は前田侯爵邸から仁清の色絵雉香炉を盗み、育ての棟梁に急ぎ汚い長屋に床の間の部屋を普請してもらいます。そこに香炉を鎮座させ、棟梁の腕を花清の実の親に見せ、あるべきところにあるという心意気をみせ、栄治は後継ぎの話しを断ります。

修業は積んだが大きな仕事のやっていない松蔵が奮い立つときがきました。兄貴分の寅弥は二百三高地で戦った経験から、「どんな破れかぶれの世の中だって人間は畳の上で死ぬもんだ」という想いがあります。ところが大切に世話をしていた上官の子供の姉弟の弟に赤紙がきたのです。怒る寅弥。寅弥に頼まれ姉弟の面倒を見て来た松蔵は決心します。

「生きた軍神」の東郷平八郎が持つ大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)を盗みだすことでした。東郷平八郎の寝屋に忍び込んだ松蔵は眠りを継続させる栄治兄貴から習った息移しに失敗し、東郷平八郎は目を覚ましてしまいます。そこで松蔵は話します。勲章をお借りしたいと。

「紙切れ一枚でしょっ引いて親、兄弟を泣かせるお上の仕方は女郎屋の女衒と同じ心だと存じます。だが俺たちは表立ってお上に邪魔立てできゃしねえ。戦に駆り出される若いものに、そんな勲章なんて欲しがるなと言って送り出してやりとうござんす。」

東郷平八郎は、承諾する。誰に盗られたのかを本名を言うわけにいかないからと、<天切り松>と二つ名をつけてくれるのです。忠犬ハチ公の除幕式がありその銅像のハチ公の首に勲章が架かっていました。

松蔵の子役の場面が続くなかで、この話しは勘三郎さんの松蔵でやはり見せてくれます。闇がたりの松蔵はかなりの老年になっており、それはそれで勘三郎さんの話術の聴かせどころですが、若い松蔵の動き、感情の導入や押さえなど、期待していた演技力と台詞です。こういうところを突き抜ける勘三郎さんのその後が観たかったです。

留置所の新入りの逆井を諭すように、おまえは女衒とおなじだと姉・さよが吉原に売られそれを捜しあてた時の話しをします。松蔵は吉原の遊郭の息子と友達となり姉が白縫花魁となっているのを知ります。兄貴分の寅弥が日にちをかけて花魁のもとへ通い身請けし、松蔵はむかえに行きます。その時姉は、スペイン風邪にかかり助からない状態でした。

雪の中姉を背中に結わえておぶり姉の言われるままに三ノ輪に向かいます。背中で姉は亡くなり、途中で永井荷風に会い浄閑寺を教えられます。追いかけて来た遊郭の息子と永井荷風と松蔵の三人は、姉のために「カチューシャの歌」を歌います。

役者さんも揃い、テレビドラマとしても『天切り松 闇がたり』を充分味わわせてもらい満足でした。

原作に出てくるような大正時代の建物を映すことが出来ないので映像的に苦労するところですが、その分、勘三郎さんの滑舌がものをいいました。松蔵があこがれる安吉親分の渡辺謙さんと栄治兄貴の椎名桔平さんも大正時代のお洒落なダンディズムがあり、寅弥兄貴の六平直政さんは怖い顔をして情あらわすことで違う風を吹かせます。丹波哲郎さんの達観したような動じない老境さも魅力的でした。

そんな人々に自分は作られてきたのだという松蔵の恍惚感と使命感が闇のなかで妖しい光を放っていました。

こう涼しい夏の夜ともなれば、『天切り松 闇がたり』を開き、勝手気ままな一夜を愉しむのもいいかもしれません。

 

映画『幕が上がる』

昨年の『近代文学館 夏の文学教室』で平田オリザ(劇作家・演出家)さんの講演の後、平田オリザさん原作の映画『幕が上がる』をDVDで見ていたのですが、書く機会を逸してしまいました。

映画『幕が上がる』は、高校演劇全国大会を目指す高校生の話しです。監督が『踊る大捜査線』の本広克行監督と「ももいろクローバーZ」の5人が主役です。「ももいろクローバーZ」というメンバーは知りませんでした。ですから「ももいろクローバーZ」の5人というより、その役を受け持った俳優さんとしてみました。

彼女たちが住む場所は静岡の岳南鉄道の通るところで、岳南鉄道の吉原駅と比奈駅のホームがでてきました。岳南鉄道吉原本町駅をでたところが、旧東海道の吉原宿ですが、ここは新吉原宿で、かつては、田子の浦そば、駿河湾近くに吉原宿がありました。波風が強く、津波も被害もあり、中吉原宿、新吉原宿と移転したのです。場所によっては旧東海道でも富士山がすそ野までの姿を表わし、歩いているところなので、ここが舞台なのと親しみがもてました。

一年前ですので再度見直しました。今回は全国大会を目指す演劇部長が、『銀河鉄道の夜』を脚色した台本でもあったので、一年前に見た時より深さを感じとることができました。

もうひとつは、今回、平田オリザさんが全国高等学校演劇大会について触れられたことにより全国高等学校総合文化祭というのがあるのを知りました。

2017年の全国高等学校演劇大会は歴史が古く第63回で、全国高等学校総合文化祭は第41回です。今は文化祭の演劇部門として重ねて開催されているようですが、演劇部の生徒にとっては、全国大会決戦の場なのです。今年は宮城県の仙台が会場でした。

演劇部の全国大会は厳しく、地区大会、県大会、ブロック大会があり、全国大会となります。ブロック大会(9ブロック12校が決まる)は11月から1月の間に行われ、さらなる全国大会は次の年の夏なので、ブロック大会に出た三年生は全国大会には出場できないのです。

このあたりのことも今回知りましたので『幕が上がる』も演劇部員の行動もよくわかりました。

地区大会で負けた富士ケ丘高等学校の力量のない演劇部は、先輩の三年生がいなくなり部長は高橋さおりときまります。顧問の溝口先生は頼りにならず、新入生のオリエンテーションで『ロミオとジュリエット』の抜粋をやりますが観る人もまばらで相手にされません。そんな時、新任の美術の吉岡先生からアドバイスをもらい、自分たちの家族を紹介しつつ自分の肖像を描く『われわれのモロモロ 七人の肖像』を外部の観客を呼んで公演します。これが評判がよく、自信がでてきました。

かつて学生演劇の女王と言われた吉岡先生の口から、全国大会を目指すことを提案され、東京での合宿へと怒涛の展開となっていきます。しかしそのために台本の作成の重荷を部長のさおりは担うことになり、実力演劇部の高校から転校してきた中西に相談します。中西は、さおりに全国高等学校演劇大会へのボランティアスタッフとしての参加をすすめます。それが2014年の<いばらぎ総体>です。

上演時間は60分。その中に20分のしこみ(上演舞台の設置)時間がありますから上演は40分です。高温度の高校生の演劇への情熱を体感したさおりは中西に演劇部への入部を誘います。その場面が岳南鉄道比奈駅の夜のホームなのです。その時さおりは、『銀河鉄道の夜』の脚本を書くアイデアを中西からもらいます。

二人の旅の岳南鉄道は車両が一両で、車窓からの風景などが印象的です。富士山もですが、この地域は水が豊富なので、製紙工場など工場群でもあるのです。そして、演劇部の全国大会の様子も興味深いです。

東京合宿へは中西も参加しました。吉岡先生は東京で演劇を目指す人が星の数ほどいることを教えてくれます。練習の甲斐が合って地区大会で県大会への参加校3校に選ばれます。県大会へ向けてさおり部長のもと練習が続きます。そこには吉岡先生はいません。そして県大会の今を、富士ケ丘高校の演劇部員は味わっています。

現実の全国高等学校演劇大会を軸に、その代表として一つの高校演劇部が紆余曲折して県大会の今に行きつく映画です。昨年見た時は、よくある青春映画と思っていましたが、今回は演劇部とさおり部長の脚色した『銀河鉄道の夜』の練習場面や大会での舞台の切れ切れを見ながらその関連性と<ももクロ>メンバーの俳優への一歩一歩も重なりました。

幕が上がる、その前に。彼女たちのひと夏の挑戦』というメイキングDVDも出ていて、これも二回目ですが、平田オリザさんのワークショップもあり、アイドルを払拭した俳優一年生から挑む彼女らの真面目さも、一層気持ちよく受け止められました。編集のためでしょうか、本広克行監督が<ももクロ>メンバー一人一人の特性を生かし、彼女らと一緒に作り上げていくのが印象的です。監督からの強い語調の場面がなく、カットしたのと思うほどです。それほど、彼女たちの演技の感性の良さに、彼女らの力の出る状況を作り出す配慮をしておられました。

演劇世界の果てしなき先を目指す高校演劇部員の映画です。

監督・本広克行/原作・平田オリザ/脚色・喜安浩平/音楽・菅野祐梧

頼もしくなっていくさおり部長(百田夏菜子)、お姫様から実力派に変身のユッコ(玉井詩織)、ひょうきんでがんばり屋のがるる(高城れに)、演劇を捨てなかった中西さん(有安杏果)、失敗も多いが可愛がられる二年生の明美ちゃん(佐々木彩夏)、頼りないが語りたがる顧問の溝口先生(ムロツヨシ)、いつも毅然として部員のあこがれ吉岡先生(黒木華)、抜群の声の持ち主滝田先生(志賀廣太郎)、オジサン演出家の名前は知っているさおりの母(清水ミチコ)、演劇部の杉田先輩(秋月成美)、演劇部員2年生(伊藤沙莉、大岩さや、吉岡里帆)、演劇部員1年生(金井美樹、芳野京子、那月千隼、松原奈野香)、最後にやっと登場(松崎しげる、笑福亭鶴瓶)、ちらっと映る(平田オリザ人形)

 

全国高等学校総合文化祭で選ばれた「演劇・日本音楽・郷土芸能」の三部門の最優秀校、優秀校は、東京の国立劇場で発表会があるのも知りました。(今年は8月26日、27日ですがチケットぴあでの予定枚数すでに無し。残念。)

スーパー歌舞伎にたずさわり、さらに、スーパー歌舞伎II(セカンド)『ワンピース』の脚本を担当されている横内謙介さんは神奈川県立厚木高校演劇部時代、全国高等学校演劇大会に出場され優秀賞と創作脚本賞を受賞されています。経歴としては知っていましたが、全国大会の実態が今回わかりました。全国の高校演劇部員、頑張れ!

 

アニメ映画『君の名は。』まで(2)

『新海誠展』にあった女性用のヒールの靴は、『言の葉の庭』で出会いました。映画が終わり、エンドクレジットになってしまい、あの靴は出てこないのであろうかと不満に思っていましたら、その後で登場しました。手が込んでいます。にくい手法です。

高校生の秋月孝雄は、雨の新宿御苑の休憩場所で会社をさぼったらしい年上の女性と出会います。孝雄は雨の日は授業一限目をさぼってこの場所で靴のデッサンなどをしていました。彼は靴職人を目指しているのです。どこか波長が合い、雨の日はいつもお互いに出会うのが楽しみとなるのです。

新海誠さんの作品には、片親がいない設定が幾つかあり、この作品も孝雄には父親がいないらしく、母親と兄が働いているため食事は彼が作っています。『星を追う子ども』のアスナも母親にかわって家事をして、台所仕事の場面も多く、これが生活感を匂わせ、日常と物語性が微妙に絡み合っているのも新海監督の魅力のひとつです。孝雄が作ったお弁当と女性の作ったお弁当。そこに味覚という暗示も含まれています。

題名が『言の葉の庭』とあるように当然言葉へのこだわりもあり、万葉集の歌もでてきます。この女性の部屋にある本が映し出され、ぱっと変わりましたので、どんな本を読む女性かなと思い、一時停止で捉えましたら『額田王』(井上靖)『一絃の琴』(宮尾登美子)『千載和歌集』でした。この女性に関してはこれくらいの情報で見たほうが作品の展開と心の内を捉えるためにも良いとおもいます。

新宿御苑、それほど魅力的な場所とも思えませんでしたが、映像の雨とか緑をみていますと、時間のある時、久しぶりに寄ってみようかなと思わせられました。

新海監督は信州の小海線の小海町出身ですが、新宿とか渋谷の風景が好きなんだそうです。『君の名は。』の宮水三葉も住んでいる山奥の田舎が嫌いで、東京に住む立花瀧と入れ替わって、東京に自分がいるということが嬉しくてという感じでした。それは三葉が宮水神社の娘で巫女の仕事もさせられ、狭い土地にさらに何かに縛られているという感覚なのでしょう。作品では宮水神社もキーポイントの重要なひとつです。

女生徒の三葉と男子生徒の瀧が入れ替わるというのは、すでに幾つかの映画で観ていますので驚きはありませんでした。ただ時間差などでどういうことなのと混乱はしましたが、二人が入れ替わるのは夢の中なんですよね。夢の中というのは時間の観念がちがいます。捉えられない時間です。とまあそう思う事にしました。夢での事なので、名前も忘れてしまう。だから 君の名は。 でピリオドで締めとなり、夢の中での感覚がかすかに残っていてそれを探し求め、新たに名前をたずね合うのです。

しかし、三葉は現実に東京に来ていて、瀧と会っているのです。それが、組みひもというキーポイントです。夢の中と現実の時間が組みひもでつながっていたのです。再度、<君の名前は>ということになります。

「夏の文学教室」で平田オリザさんが<賢治の祈り、東北の祈り>で、『銀河鉄道の夜』のジョバンニは友人のカムパネルラの死を受け入れられるまで、遠い銀河を旅するほどの長い時間が必要だったのですというようなことを言われました。あの作品を平田オリザさんはそのように読まれるのかと読み返しました。

ジョバンニは、カンパネルラと銀河鉄道を旅して、結果的にはカンパネルラを別の世界へと送っていってあげることになります。銀河鉄道の旅のその時間はひとりひとり違います。夢の時間のように計ることのできない時間です。その時間を経て、ジョバンニは父が帰って来ることを母に告げるため走り出します。

新海監督の主人公たちもよく走ります。助けるために。探すために。宇宙でも夢の中でも。そして現実でも。

ほしのこえ』『星を追う子ども』『君の名は。』と見ました。『ほしのこえ』の特典映像に『彼女と彼女の猫』があって、新海監督は語りもしていますが違和感がなく素敵な語りです。彼女の猫が全然リアルではなく、猫の語らいが字幕なのもひねっていてオシャレです。新海監督猫好きです。

映像の中の登場人物を追いつつ、時として黒板に板書するチョークの粉が散ったりする細かさにおっ!と思わされたりするのも愉しいところですし、ロケ現場探しのように風景を探して忠実に描いているというのも現実感から遊離させすぎない計算なのでしょう。

喪失からの新たな旅は、次の作品ではどう展開するのか、それとも全く違ったテーマとなるのでしょうか。

彼女と彼女の猫』(2000年)『ほしのこえ』(2002年)『雲のむこう、約束の場所』(2004年)『秒速5センチメートル』(2007年)『星を追う子ども』(2011年)『言の葉の庭』(2013年)『君の名は。』(2016年)

 

アニメ映画『君の名は。』まで(1)

「日本近代文学館 夏の文学教室」の一日目一講時の長野まゆみさん(作家)の講演から、深海誠さんのアニメ映画に飛んでしまいました。この時点ではまだ『君の名は。』は見ていません。

大岡信さんが亡くなられたこともあり、三島駅のすぐそばなので『大岡信ことば館』へ旅の途中で寄りました。開催していたのが『 新海誠展 「ほしのこえ」から「君の名は。」まで』でした。

書きつつ思ったのですが『君の名は』ではなく『君の名は。』で  がついているのですね。

アニメ映画『君の名は。』はヒット作品であることは知っていましたが、その監督が新海誠さんであることは自分の中に刷り込まれていませんでしたので、あの映画の監督さんなのだと、入場券を買う時に知ったのです。映画よりも先に、その創作過程を見た事になります。

絵コンテなどから、光と色にこだわっておられることがわかりました。中高校生時代を主人公にしているので日常生活に使う文房具や手紙、携帯のメール、通学路の風景などリアルに細かく描かれていました。傘の閉じた時と開いた時、靴の形と色とその底裏の部分、登場人物の背の高さなど物語を作る過程の作業の細かさに驚きました。

新海監督の作品を見ると解りますが、これだけ細かい作業をしていても、映し出されるのは一瞬でテンポが速いです。これだけ時間をかけたらその映す時間を長くしたくなりそうなものですが、あっ!あれだと思う間に映像は流れていきます。

バイクのカブの展示もあり、特別な靴なのでしょう、女性用の大人っぽさのなかに可愛らしい結び紐のついた靴の展示もありました。これらのものがどの映画に出てくるのか映画の題名は覚える気もなく、どの映画のどんな場面ででてくるのかが見てのお楽しみでした。この時点で新海誠監督のアニメ映画を見ようと決まっていましたので。

実写の映像がありまして、中村壱太郎さんが踊られています。巫女さんが踊る舞の振りつけを考えられたのが壱太郎さんで、神楽鈴についている朱色の紐を上手く舞に取り入れた素敵な舞になっていました。映画では、全てを映しませんので、これは展覧会での映像のほうが舞としては美しいです。これだけは、『君の名は。』であることを記憶しました。

展示物からみますとSF的な作品もあるようです。大岡信さんのコーナーで大岡さんを偲んで、その帰りレンタルショップへ。

映画を見てから『新海誠展』を見ると、あの映画のものだと展示物を注視しするのでしょうが、こちらは反対で、映画を見ながらあのことかと反復することとなりました。

秒速50センチメートル』『雲のむこう、約束の場所』『言の葉の庭』の順番でみて、そのあとに「夏の文学教室」の長野まゆみさんの講演「宮沢賢治をナナメに読む」だったのです。参考資料は薄茶の封筒に入ったはがき大4枚の藍色を使った今までに手にしたことのない可愛らしい資料でした。ただ字が小さいのです。長野まゆみさんがその小ささについて意地悪をしたのではなく、自分が宮沢賢治を読んだときルーペを使って読んだその想いがあらわされていたのです。

そして話の内容が、宮沢賢治さんの『春と修羅』の言葉からでてくる光と色でした。この時点で、新海誠さんのアニメ映像とつながりました。蜘蛛の糸についても言及され、即こちらは『スパイダーマン』を思い出していました。そんなわけで、「夏の文学教室」のこちらの捉え方がかなり飛んでいますので、これからも「夏の文学教室」に触れていても講演者の高尚な内容とは距離があります。報告ではありませんので。

その後の他の講師の方々の講演からの啓示があり、新海誠監督の作品に宮沢賢治さんが、ちらっ、ちらっと顔出されるのです。

最初に見た『秒速5センチメートル』はとても気に入りました。<秒速5センチメートル>は、さくらの花びらの散る速度なんだそうです。この作品は「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の三つの短編で構成されていて、「秒速5センチメートル」が一番短いのです。まさしく「秒速5センチメートル」の短さです。

特に興味を引いたのは「桜花抄」で、小学卒業で東京から栃木へ引っ越した篠原明里に会うため、遠野貴樹が電車に乗るのです。中学1年生になっていますが、栃木遠いなあという貴樹の感覚がわかります。それも、明里の待つ駅はJR両毛線の岩舟駅で、今は新宿からなら湘南新宿ラインがありますから小山まで一本でいけますが、貴樹のときは、大宮まで行き、そこから小山に行き、両毛線に乗り換えます。両毛線は時には一時間に一本です。

こともあろうにその日は関東が夕方から大雪になってしまいます。下校してからの旅で貴樹はきちんと電車の時間を調べていました。両毛線に乗り換えが上手くいくかどうかが問題ですのに雪。貴樹の不安が伝わります。その描き方がいいのです。電車が雪のため遅延していきます。知らせのアナウンス。調べた時刻表など関係なくなります。

携帯のある時代ではありません。連絡のつけようもない。時々点滅する電車のなかの蛍光灯。電車の連結部分の描写。止った駅で座っていられず、開いた電車のドアから雪と駅を佇んで眺める貴樹。突然ドアが閉められます。在来線にある手動の開閉ボタンつき電車で、寒いためドアの近くに座っていた乗客がボタンを押してドアを閉めたのです。びっくりして気がつき謝る貴樹。ああいいよという感じの乗客。そこらあたりの描写がリアルで細かく見ているなと感心します。

アニメでありながらこのリアルな丁寧さと繊細さ。貴樹の不安とあきらめと、とにかく進むというおもいが交差します。その心理を映し出す場面設定。映像テンポははやいです。この部分で新海監督やりますなと思ってしまいました。そして、明里は駅のベンチで待っていてくれたのです。

貴樹は、そのあと鹿児島に転校してしまいます。そこでのことが「コスモナウト」で高校時代はカブで通学します。澄田花苗と見上げる、打ち上げられたロケットの行く先。貴樹が見ている先。途絶えてしまった明里との経験した時間。

そこから抜けだせない貴樹は、東京で社会人となっても彼女を探しています。踏切ですれ違った女性。走る電車が過ぎ去ってしまったあとの踏切の先には女性はいません。

ロケットは相手との距離感をあらわし、踏切りも新海監督の映画には重要なシチュエーションとなります。当然電車は新海監督の映像で多く通ります。言葉では説明できない交信できた人との別れの喪失感。これがテーマとなります。ただ探します。そのための遠い冒険の旅にもでます。喪失感を埋める旅が果てしない危険を要する冒険ともなります。それほどの振幅が心の中で存在する闘いとしてあるということです。

 

戦没学生のメッセージ(戦時下の東京音楽学校・東京美術学校)

メディアで、東京音楽学校から学徒出陣として出征され自決された村野弘二さんが作曲されたオペラの譜面がみつかったということを知りました。そのオペラは、岡倉天心さんの原作で歌舞伎の『葛の葉』にもある狐と人間の物語です。残されていた譜面は狐の<こるは>が月に向かって命の恩人である<保名>を助けるために人間に姿をかえてくださいと祈る場面です。

これは、声なき声の強いメッセージと思えました。その他の方々の作品も含めてコンサートが上野の東京藝術大学の奏楽堂で行われました。(2017年7月30日)

コンサートの前にシンポジウム「戦時下の東京音楽学校・東京美術学校~アーカイブ構築に向けて」もあり参加させてもらいました。アーカイブとはなにか、今どうして学徒出陣なのか、などの問題提起から、どう活動しているのかということを報告されました。

大きな要因は、学徒出陣に関して大学にその記録がきちんとされていないこと、今やらなければ学徒出陣時代の人々が高齢化していて生きた証言が残せないということでしょう。学徒出陣というと、明治神宮外苑競技場での雨の中の行進する出陣学徒の壮行会が映像として残っていて映画などにもこの映像がつかわれますが、ではその実態はとなるときちんとした記録がないのです。

壮行会の送る側にいらした作家の杉本苑子さんも今年の五月に亡くなられました。杉本苑子さんの小説はフィクションとわかっていてもしっかり調べられているという信頼感がもてます。若い頃に戦争を体験されている方々は誤った情報を体験していますので、その分調べることにこだわられる世代でもあるように思われます。

学徒出陣は高等教育機関に在籍していた学生でエリートということもあり、エリートを特別視しているようで検証するのが遅れたということもあります。今多くの大学で調査されているようです。

美術関係ではすでに信州の戦没画学生慰霊美術館「無言館」があり、遺族の方々が亡くなったあとも保存、展示してくれる場所ができています。まだ訪ねていないのでこの夏に訪れる目的地の一つです。

コンサートのトークショーには、「無言館」の設立のために同級生たちの絵を集められた野見山暁治さんも出演されました。遺族を訪ねられた時、帰りにお母さんがコートを着せてくれて背中に手を押し付けられ、その辛さで遺族を訪ねるのは止めようと思ったこともあったそうです。生き残った方達の罪悪感は想像できない苦悩でもあった話はテレビなどでも静かに語られます。

シンポジウムが二時間でコンサートが三時間だったのですが、内容が濃く、それでいてこれはほんの一部で、まだまだしっかり調査して、保存と公開を続けていきますという今の時代のメッセージが伝わってきました。シンポジウムの調査経過の報告で、いかに大変で時間を用することかがよくわかりました。

コンサートでは、トークショーや作品解説などもあり、同じ作品の複数の譜面から作り手の考えを探ったり、今回はこちらの譜面で演奏しますなど、より作品に寄り添うというコンサートでした。

聞きたいと思っていた村野弘二さんの<こるはの独唱>は永井和子さんの独唱で蘇り最後はやはり感極まりました。感情面だけではなく『葛の葉』が洋楽になるとこんな感じなのかという同じ作品の多様性も鑑賞することができました。当時「出陣学徒出演演奏会」でも演奏されたということで、皆さんどんな気持ちで聞かれたのでしょうか。帰ってこれるということはどなたも思っていないわけですから。

まだまだ静かに探してくれるのを待っている作品もどこかにあるのでしょう。こういうことをしているということを知り、こういうものがあるのですがという事もこれからあることでしょう。

時間を超えて言葉ではいい伝えられない気持ちを交信できたような素晴らしい催しでした。

主催:東京藝術大学演奏芸術センター・東京藝術大学 / 協力:東京藝術大学大学美術館・戦没画学生慰霊美術館「無言館」・野見山暁治財団

 

夏の汗だく文学教室 <第54回 日本近代文学館 夏の文学教室>が始まり2日目が終了しました。今回は「大正という時間 ー 文学から読む」ということで、明治と昭和に挟まったすき間に差し込んだ庶民文化の兆しの短さというような雰囲気で、短い時代ということもあるのでしょうか講師の方々の語りも熱く感じられます。気のせいでしょうか。

思いがけない視点をいただいて楽しませてもらっていますので、書き込みはしばしお休みです。今回は報告はなしで、いただいたものから飛びたいと思います。おそらく映画のほうへ飛ぶことが多くなると思います。

2017年7月31日(月)~8月5日(土)午後1時~4時20分 (有楽町よみうりホール)

 

劇団民藝『熊楠の家』

和歌山となれば、、南方熊楠(みなかたくまぐす)さんをはずせないでしょう。どうして南方熊楠の名前を知ったのかは記憶にありませんが、風変わりで、自分の好きなことを貫き、凄いことをした人がいたのだと驚愕し、その方が芝居でとりあげられるのを知り観劇したのですが、初演の22年(1995年)ぶりの再演ということですから22年前の初演に観た事になります。

小幡欣二さんが劇団民藝に書きおろされた9作品の最初の戯曲で、この面白い作品が22年も再演されなかったのかと不思議な気がします。今年は南方熊楠生誕150年ということです。

『熊楠の家』で初めて劇団民藝の演劇をみたことになります。舞台での南方熊楠さんも魅力的な空気をまき散らしてくれました。

南方熊楠さんは外国語が出来て、民俗学から生物学と文科系と理科系の両方の研究者で、東洋、西洋とはず文献を調べ、アメリカ、キューバ、イギリスを遊歴し、父の遺産を使い果たし帰国し、熊野の那智周辺で植物採取をはじめ、粘菌の研究に没頭していきます。海外での論文発表で、海外の専門家に知られていたかたでもあります。

南方熊楠さんを日本で有名にしたのは、昭和天皇が南紀行幸の際、南方熊楠さんに講義を依頼されたことで名前が知れ渡りました。『熊楠の家』でも、田辺で結婚してからの熊楠さんと家族、そしてそれを取り巻く人々の様子、昭和天皇に御進講までの半生を描いています。その御進講の際の粘菌の標本箱にキャラメルの空き箱を使ったという話は、熊楠さんの豪放さをあらわす話しとして残されています。それだけ貧乏でもあったわけですが。

初演の時の芝居の詳細は忘れていますが、熊楠は米倉斉加年さんで、南方家のお手伝いさんの老婆お品が北林谷栄さんで、お二人とも声と台詞術に特徴がありますから薄くなってはいますがチラチラと浮かびます。チラシが残っていまして演出は観世栄夫さんでした。

今回(2017年6月15日~は26日 紀伊國屋サザンシアター)は、演出が丹野郁弓さんで、熊楠が千葉茂則さん、お品が別府康子さんで、熊楠さんの写真からしますと千葉茂則さんのほうが熊楠に似ており豪快さが出ておられ、別府康子さんも個性的なお品となっており力強い土着性が出てました。

初演と再演に出られているのが、熊楠の娘・文枝のダブルキャストの中地美佐子さんが再演で熊楠の妻・松枝で、床屋の久米吉の横島亘さんが再演で熊楠の友人の眼科医・喜多幅武三郎でした。齋藤尊史さんが、男イだったのが熊楠の弟子・小畔四郎だったのには時の流れを感じました。

周りの人々を巻き込んでひたすら自分の道の研究に没頭する南方熊楠さん。周りには、石屋、洋服屋、生け花の師匠、床屋などが熊楠と交流していて、熊楠の専門の研究の話しがわかりやすい話へとかわる話術に魅せられていく様も熊楠の計り知れない魅力の一つです。

自然を守るために神社合祀令に反対しこますが、自分の粘菌の研究のためだけの反対だろうと反撃されたり、自分も父のようになろうと励む長男・熊弥は脳を患ってしまい、親としての苦悩も重なります。そんななか、熊弥と同じ若さの昭和天皇が植物の研究をされていて自分のような在野の粘菌の研究に興味を示され話しを聞きたいというのです。昭和天皇が自分の研究を知っておられたということだけでも心躍ることだったでしょう。

そのことを知った県政の人々が地域の利益のためにと右往左往し、熊楠の想いとの違いも感じとれました。

観ているこちら側も熊楠さんの研究はよくわかりませんが、とにかく豊な才能がある人がこれだと思ったときにとる行動の一途さ、そこから巻き起こる驚きと可笑しさを舞台という狭い場所で、磁場のように発揮された演劇作品になりました。

新劇にとっても時間の経った再演は、役者さんも違い、初演を越えられるか心配と思いますが、観ているほうも年を重ね、多少の経験から細かいところまで目がゆきましたが、それに答えてくれる舞台となり、作品として教えられ気がつかせてもらったところも沢山ありました。

それだけ、役者さんたちも頑張られ、新しい役者さんが育ってきているということなのでしょう。

作・小幡欣二/演出・丹野郁弓/出演・千葉茂則、中地美佐子、大中輝洋、八木橋里紗、別府康子、横島亘、安田正利、山本哲也、境賢一、齋藤尊史、平松敬綱、平野尚、齊藤恵太、梶野稔、天津民生、本廣真吾、大野裕生、望月香奈、吉田正朗、相良英作、大黒谷まい、保坂剛大

 

熊楠の息子の熊弥さんが一時藤白神社ちかくに家を借り看護人付きで暮らしていたという記述がありました。<藤白神社>それは、内田康夫さんの未完の小説『孤道』に出て来た神社です。内田康夫さんは病気療養のため休筆宣言をされ、未完の『孤道』を刊行され、完結作品を公募されました。納得できる完結作品を是非読みたいものです。

 

和歌山かつらぎ町<丹生都比売神社>

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)>へは、JR和歌山線の笠田(かせだ)駅から丹生都比売神社行きのコミュニティーバスが出ていました。駅にかつらぎ町の地図があったのですが、紀ノ川とJR和歌山線に分断される細長い町です。平成の大合併でそうなったんだそうです。

バスの運転手さんがいろいろ説明してくれました。紀ノ川を渡るとき下流側のこの先には蛇島というのがあり、有吉佐和子さんの『華岡青洲の妻』はその近くが舞台ですと教えてくれました。蛇島と言われるのは雨のあと死んだ蛇が沢山流れついたからではないかとのことです。

『紀ノ川』では、主人公の花さんが亡くなるとき、家の守り神であるとされる白い蛇も死んで映画の中では三度姿を現しました。

2015年の和歌山国体でこの道も良くなったということで、かなりのカーブが続く山の中を走行していきます。この山道の先に平地があり視界が開けますからと教えられましたが、そこは田んぼの稲が青々した米どころ<天野の里>でした。標高約450メートルだそうで人は平地を求め高い場所であっても生きるための食物を育てる場所を求めて開墾していくのですね。ただ途中に閉校になった学校が二つもあり人口の少なさへの変化が実態となってわかります。

その<天野の里>の上に<丹生都比売神社>があり、九度山で<丹生都比売神社>までは無理と教えてくれた方が子供の頃この辺に住んでおられたのがよくわかりました。こんなに開けた田畑の場所とは想像ができませんでした。

 

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鳥居の前には、カーブのきつい赤い太鼓橋が印象的でした。階段のようになっていて一段一段登って下ります。<丹生都比売神社>は参拝に時間のかからない広さで、拝殿奥の本殿の檜皮葺(ひわだぶき)が新しくたっぷりとした厚さがありました。

 

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主祭神である丹生都比売大神は別名を稚日女命(わかひるめのみこと)といい、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の妹さんにあたるんだそうで、空海さんを導いた二頭の犬を連れた狩人はこの女神のお子さんの高野御子大神(たかのみこのおおかみ)が化身されたとの言い伝えがあるようです。

九度山と高野山をつなぐ意味でも重要な位置をしめ、天野の里を見れたので古(いにしえ)の山の中にひっそり暮らす村落に出会えたような風景でした。アスファルトの道は風情に合いませんが、現在生活されている人々にとっては安全で快適な道です。

高野町石道にある六本杉まで20分とあり、少し歩いてみようかと歩きはじますとと、<自然遊歩道六本杉までの近道>とあり、そちらの道を歩いてみることにしました。急な登りで一人歩けるほどの細さで10分位歩いたのですが引き返しました。暑いので歩かなくても良いところとして計画に入れましたので、素直に計画に従うことにしました。

帰って来てから映画『紀ノ川』を見ましたが、やはり花さんが紀の川を船でお輿入れする場面から始まっていました。船でのお輿入れはなく有吉佐和子さんが考えた事らしいですが、フィクションもここまで考えられれば紀ノ川も満足と思います。

映画『紀ノ川』は、花の巻・文緒の巻とあり、司葉子さんの花とその娘・文緒の岩下志麻さんの生まれた時代の生き方の違いでもありますが、司葉子さんの迷うことなく紀ノ川と一体となって流れていく生き方を再度時代を感じつつ楽しみました。花の夫・真谷敬策(田村高廣)の弟・浩策(丹波哲郎)が文緒に紀ノ川に取り込まれない川が鳴滝川で俺もお前も鳴滝川だよという台詞が生き方の違いを表した印象的な言葉でした。

お箏の音色が素敵でした。静かな時の紀ノ川の流れに合っています。

花さんは九度山から六十谷(むそた)の真谷家へ嫁ぐのですが、JR阪和線に六十谷駅というのがありました。阪和線に乗ると映画にも出てくる六十谷の鉄橋を渡ることができるのです。一度<道成寺><紀三井寺>から<伊賀上野>への電車で通過しているのですが、その時は『紀ノ川』の意識が薄く<六十谷>を気に留めませんでした。残念です。

今回はの旅の友の本は『忍びの国』でしたので、伊賀上野も関係していたのです。映画『忍びの国』が上映中ですが、本のなかの登場人物が自分流に出来上がっているのと、信長がどうして伊賀攻めに至ったかの和田竜さんの仕掛け方が面白いので、すぐには見たくない気分なのです。

随分話が飛んでしまいましたが、自分の中では地図が埋められていってはいるのです。

 

九度山と映画『娘道成寺 蛇炎の恋』『真田十勇士』(1)

映画『祇園祭』

京都祇園祭の期間に京都文化博物館のフイルムシアターで上映される『祇園祭』を見ることが出来ました。今年は7月16、17日、24日の三日間で6回の上映があり、24日にしました。この映画を見るという事を第一目的として計画しましたので、実際の祇園祭は調べもせず、24日の山鉾巡行(後祭)を観ようと思えばみれたのでしょうが、計画には入れませんでした。

この暑さ。外に出るのも嫌なので、京都駅から地下鉄で烏丸御池まで直進です。

京都文化博物館のフイルムシアターで出してくれた映画『祇園祭』の解説によりますと、『祇園祭』が制作されるまで紆余曲折がありました。

1950年、立命館大学の林屋辰三郎教授が中心となって紙芝居『祇園祭』を作って巡回公演したのが発端で、当時京大の学生だった大島渚監督、加藤泰監督も参加していました。

伊藤大輔監督が映画化の企画を始め、1961年西口克己さんが紙芝居に基づいて小説『祇園祭』を発表。伊藤監督は、小説を原作として中村錦之助さんを主役で東映に企画を提出しますが製作費の関係から東映は断念。

その後、プロデューサー・竹中労さんが京都府に府政百年記念事業として企画を持ち込み、京都府が全面協力を表明。しかし、意見の違いから製作開始後スタッフの竹中労さん、八尋不二さん、加藤泰監督、伊藤大輔監督の名前が消え、構想・企画段階とは違うロマンスよりの内容となりました。上映が1968年(昭和43年)です。

監督・山内鉄也/原作・西口克己/脚本・鈴木尚之、清水邦夫/撮影・川崎新太郎/音楽・佐藤勝/美術・井川徳道

応仁の乱後の50年は、戦乱に続く戦乱で京都は疲弊し農民は高い納税に土一揆を起こし京の町を襲います。土一揆に加勢するのが農民の悲惨さを見ている米などを運ぶ馬借たちで、京の町衆は町が焼かれたりして土一揆を憎み、侍が自分たちを守ってくれていると思っています。

ところが、侍だけでは土一揆をおさえられず、町衆にも武器を持って、山科の土一揆の拠点を叩きつぶすようお達しがあります。武器を持つことに躊躇する町衆ですが、お上には逆らえず戦うこととなりますが、侍たちは自分の身を守るため町衆を見捨てて逃げてしまいます。

疑問に思うのが役人に母を殺された染物職人の新吉(中村錦之助)です。関所では、新たに人と荷物に税金がかけられます。関所で新吉は見ます。馬借が運ぶお上用のお米なら通行税がかからないのです。しかし運ぶ人に通行税かかるのを知った馬借の熊左(三船敏郎)は、運ぶのはやめたといって米俵を関所前に投げ出して行ってしまいます。新吉と熊左とは、山科で敵として闘った相手でした。

新吉は戦さの時弓を頼んだ弓師(渥美清)に弓を渡される時、弱い者同士が殺し合いをしてどうするんだと言われていました。

新吉は通行税に抵抗し、京都を町衆でおさめられないか考え、町衆をまとめるための方法が何かないかと考え、祇園祭祀を復活させることを思いつきます。

新吉は祇園ばやしの笛の名手の老人が亡くなるときその笛を預かっていました。公家の山科言継卿(下元勉)は途絶えてしまった正調祇園ばやしを作り出すのは新吉の役目であるといい、笛の名手のあやめ(岩下志麻)と会わせす。新吉はあやめの笛の音に魅せられ、二人はすでに会っていて愛し合った仲でした。あやめは河原者の庭師・善阿弥(永井智雄)の娘で、河原者である自分の身の上から、あやめは新吉と会うのを避けていました。

河原者としての立場から世の中を見ていたあやめは新吉と会ったとき、農民と町衆がお互いに血を流すのはおかしい、新吉は物事をきちんと見ていないといさめていたのです。しかし、今は素直に笛を教えることを承諾します。

新吉が体を張って交渉し馬借の熊左は木材を運んでくれ、染め物職人は鉾に使う布を染め、織り師は錦を織ります。土一揆で子供を死なせ、自分も左腕が不自由になり土一揆を憎んでいた桶職人の助松(田村高廣)も、大きな木車を作りあげます。

しかし権力者からの横やりがあり祭祀とは認められません。それでも新吉は町衆たちのただの「祇園祭」でいいと主張し、「祇園祭」を強行し、一番先頭の長刀鉾の音頭取りとして助松と二人で扇をふりかざします。新吉は町衆、馬借、弓師、河原者全ての人々の力が集まった祭りなのだと力が入ります。その前に、侍たちが立ちはだかり矢を放ち祭りの進行をさえぎり、その一本の矢が新吉の胸を射抜きます。新吉は戸板に乗せられながらも扇をかざし、長刀鉾は町衆に見守れながら進むのでした。

超豪華娯楽時代劇に仕上がりました。ゲスト出演が高倉健さん、北大路欣也さん、美空ひばりさんなどがおられます。名前に中村津雄さん、香山武彦さんもありましたが気がつきませんでした。

滝花久子(新吉の母)、佐藤オリエ(新吉の妹)、新吉の染物屋主人(志村喬)、善阿弥の弟子(田中邦衛)、助松の妻(斉藤美和)、大工の源七(藤原鎌足)、松山栄太郎(新吉の職人仲間)、下条正巳(山科甚)、小沢栄太郎(門倉了太夫)、伊藤雄之助(赤松政村)etc

168分という長い上映時間で、少しだれさせるところもありますが、萬屋錦之介さんは主役としての貫禄があり引っ張て行く力があります。藍で染まった新吉の両手を見ていると、『紺屋と高尾』の久造がその手を隠して高尾に会ったことを思い出させました。

あやめの岩下志麻さんは美しく河原者としての屈折を感情の激しさで新吉に対峙させます。三船敏郎さんは三船さんの手慣れた役どころで花を添えます。怒りの方向性を助けた子供を亡き息子の代わりとして育てていくうちに新吉の考えに同調する田村高廣さん。周囲の押さえの俳優さんも揃いました。

稚児さんとして長刀鉾に乗っていたのが現又五郎さんに似ていたのですがそうであったのかどうかはわかりません。米吉さんの名前がクレジットにあったのですが、このあたりは疑問符です。

出来れば、長刀鉾の組み立ての場面ももう少し欲しかったですね。縄だけで縛って組み立てるなどの場面も躍動的に映してほしかったです。これだけの映画は、やはり地元の方たちの協力がなければ撮影は無理だったことでしょう。

二回目も見ました。目的は達成されました。

祇園祭はあの暑さの中ですから、祇園祭だけで計画したほうが良いように思います。京都文化博物館の前の三条通りは、夜の還幸祭の三基の御神輿が通るところであると知りました。御神輿の出発時間が別々で、廻る道順も違いますから通る時間がはっきりしません。二回目の映画を見たあと待ちましたが時間がわからず、三条通りを烏丸通りに向かって歩く途中で白い馬に乗った稚児さんの一行に会い、そろそろなのかなと思いそのまま進み、子供たち中心のお囃子に耳を傾けます。丹波八幡太鼓の場所は人が集まって待っていますが、なかなか始まるようで始まらずあきらめました。

第二の目的は高野山の<丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)>へ行く事でしたのでその夜は大阪宿泊だったのです。

朝から夜まで見学するなら、地図と時間と道順を照らし合わせ、休憩場所を考慮しつつ計画が必要と思いました。暑いですから、観る方も凄い体力が必要のようです。ちょっと再度の「祇園祭」観光計画には興味がそそります。

 

<丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)> →   2017年7月28日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

 

新橋演舞場『お江戸みやげ』『紺屋と高尾』

新橋演舞場での<七月名作喜劇公演>は、『お江戸みやげ』と『紺屋と高尾』です。波乃久里子さんと喜多村緑郎さんの喜劇役者開花の舞台でした。

お江戸みやげ』(演出・大場正昭)は川口松太郎さん作で笑いと切なさの川口松太郎ワールドを久里子さんが細かいしぐさと演技力を発揮されました。この作品は女方に当てて書かれたそうで、藤山直美さんがそれを女優で挑戦する予定だったいうことですが、直美さんが療養中で久里子さんが代役となり、お父上の十七代目勘三郎さんが初演で演じられたお辻で、不思議な巡り合わせということでしょうか。

直美さんは、しばらく舞台がないなと思っていましたが、女性の喜劇役者さんとして喜劇舞台になくてはならない役者さんですからしっかり療養され復帰をお待ちしております。

結城から結城紬の反物を背負い、一年分の生活費を稼ぐため江戸に行商に来ている後家のお辻とおゆうは少し売れ残りはあるがまずまずの首尾と湯島天神の茶店でほっとする。おゆうが萬次郎さんの女方で久里子さんとのコンビが上手く出来あがりました。お辻は倹約家で、おゆうはお辻の一つ上ですがそこそこ遊びのしどころをわかっていて、上手くことを運んでいきます。この辺が非常に上手く書かれていて役者さんもそこをリアルさとテンポでよく表現されていました。

茶店は宮地芝居のお茶屋も経営していて、そこの女房のお長(大津嶺子)のお客の対応が上手いのです。タイミングよく役者の紋吉(瀬川菊之丞)が芝居の間に好きなお酒を飲みにきて、倹約家のお辻も芝居の一幕を観ることになります。お長が薦めたのは阪東栄紫の『保名』です。

お酒を飲むと心が乱れ、気が大きくなるというお辻は、『保名』の栄紫に心奪われ、おゆうが気を利かせてお長に頼み、お辻と栄紫を会わせます。栄紫の緑郎さんはすでに先に舞台に出ていまして歌舞伎役者役として出来上がっていますが、このお辻と会う場面はお客さまに接する役者の態度に嫌味がなく、情を出しお辻がますます憧れるきっかけを自然にもっていきました。役者として中村座の名題であるのに今は宮地芝居でその悔しさを愚痴りもして当時の位の違いや要請があれば小屋を変わる当時の役者の様子がわかります。田舎者のお辻にはそんなことはわかりません。

ここで一反乱。おときを金持ちに嫁がせようとする常磐津の師匠の母(仁支川峰子)も加わりその母の根性を見抜いていた田舎の人の情。お酒の勢いでお辻は啖呵をきってしまうのです。

溜息をついての湯島境内でのお辻とおゆう。二人を追いかけて来る栄紫と結婚相手のおとき(小林綾子)。そこでまたおゆうが取り計らい、お辻は栄紫から感謝の言葉と<お江戸みやげ>をもらうことになります。

角兵衛獅子の兄(竹松)弟も通り、江戸に来て故郷へ帰る人の動きなども哀愁をただよわせます。

役者さんのしどころが上手く収まり、味わいのある芝居となり、笑いの中にもほろっとさせられます。川口松太郎さんは、こういう名もなき人々の情愛を拾って芝居にのせますが、今の時代、役者さんの力量でこの感覚を伝えるのは難しい時代になってきているような気がします。今回代役を立て『お江戸みやげ』が次の『お江戸みやげ』につなげた功績は大きいと思います。

久里子さんは十七代目のお辻を観ていて、萬次郎さんは、平成23年の『お江戸みやげ』(お辻・三津五郎/おゆう・現鴈治郎)で紋吉を演じていたので、観たり体験していた芝居が役者さんの中で上手く重なり新たな面白さになったのでしょう。

お紺と高尾』(口演・一竜斎貞丈/脚本・平戸敬二/演出・浅香哲哉)は講談、落語などでお馴染みですが、きちんと観るのは初めてでした。大阪の紺屋の職人が吉原の花魁道中で高尾太夫に一目惚れをして、ついに女房にむかえるというお話です。

花魁道中の一目惚れは歌舞伎では『籠釣瓶(かごつるべ)』でもありましたが、紺屋の職人久造は、佐野次郎左衛門と同じように夢心地となってしまいます。大阪に帰っても、寝ても覚めても高尾太夫、高尾太夫です。

佐野次郎左衛門と違って、久造は紺屋の職人ですからお金がありません。そこで親方に頼み今まで預かってもらっていたお金と一年間一生懸命に働いたお金を持って高尾太夫に会いにゆきます。高尾太夫は久造の一途さに来年の3月15日年季があけたら女房になると約束し証文を書き、3月28日に大阪の久造のもとに到着するのです。

久造の喜多村緑郎さんで、今までの芝居から考えるとこの方は喜劇は無理なのではないかと思っておりました。ところが化けてくれました。こうなるとは思いませんでした。ボケ具合。間のとり方。くり返し詞の強弱と高低。それに付随する体の使い方。意外でした。

職人ですから、吉原のことなど何も知りませんし、会う方法もわかりません。それを指南するのが、久造の恋煩いをふらふら病と名づけた医者の山内玄庵で、大阪の米問屋の若旦那のお大尽になりすましての吉原乗り込みですが、山内玄庵の曾我廼家文童さんとの息も合い、高尾太夫の浅野ゆう子さんを前にしてのお大尽ぶりと素性を告白し謝り事情を話す真面目さに、高尾が心動かされる流れに持って行くいきかたもよかったです。

浅野ゆう子さんの高尾も、花魁道中は美しく、三浦屋では遊女の裏の部分を垣間見せ、しかし凛とした太夫ぶりをみせ、久造にも芯のあるところを見せ、さらに久造の母親をも納得させるところまで持っていきます。

親方の紺屋吉兵衛の萬次郎さん、女房おかつの大津嶺子さん、娘お紺の小林綾子さん、久造の母の藤村薫さんんらが大阪の紺屋の場面をかため、吉原の三浦屋は三浦屋主人の瀬川菊之丞さん、三浦屋の女将の仁支川峰子さんらが押さえ、全く場所柄の違う雰囲気と人物をしっかり描いてくれたので、緑郎さんの喜劇性も上滑りすることなく受けてもらえていたと感じます。

『お江戸みやげ』も『紺屋と高尾』も、邦楽だけという舞台で、台詞のめりはりリズムはそれぞれの役者さんにかかっており、その辺もクリアできる役者さんたちであったということです。子役さんも江戸時代の涙を可愛らしく照らします。

その他の出演・曾我廼家玉太呂、武岡淳一、いま寛大、大竹修造、佐々木一哲、吉永秀平、戸田都康、鍋島浩、大原ゆう etc

 

九度山と映画『娘道成寺 蛇炎の恋』『真田十勇士』(2)

映画『娘道成寺 蛇炎の恋』は、歌舞伎女形の村上富太郎に唯一女弟子として認められた詩織が師匠に恋をしてしまう。富太郎は生身の男を殺して芸の世界に没頭していて『京鹿子娘道成寺』は女を殺してしか踊れないと詩織にいいます。しかし彼女は女を殺すことはできないと舞踏家としてのは舞台発表の前に花子の衣装で自殺してしまいます。

詩織と双子である姉の遥香は期待されている洋舞のダンサーですが、妹の死に疑問が残り富太郎の『京鹿子娘道成寺』を見て『京鹿子娘道成寺』を教えて欲しいと頼み許されます。ところが妹と同じように富太郎に恋心を持ってしまいますが、富太郎の引退を決めての高野山での奉納舞の『京鹿子娘道成寺』を見、師匠亡き後、師匠の生き方がわかり自分の踊りを目指そうと決めるのです。

師匠の幼年時代から、この人は自分に流れる血に忠実に生きることを自分に戒めていてそれが崩れることがありません。その芯を福助さんは踊りの映像と共に伝えます。

『京鹿子娘道成寺』の映像部分がたっぷりで、その切り込みかたも面白く、さらに、高野山での踊りの映像は圧巻です。朱色の根本大塔の前で白の衣装で踊り、踊りで白を赤に染めたいとの思いが、赤の衣装にかわり、その赤がバックの朱色から浮き彫りになるのも、富太郎の踊りの心を表し同時に福助さんの踊りをうつしだします。

富太郎は何色に染めてもいい。自分の色で染めなさいといいます。心の中では自分の教えた清姫が教えた相手の身体に残っていることを確信していてそれだけでいいと思っています。詩織には受け入れられなかった富太郎の意志は、遥香にはわかってもらえたのです。

男女のどろどろした部分はカットしましたのであしからず。富太郎中心です。福助さんの踊りと、素の富太郎になった時の福助さんの演技を観ていると浮き出てくるものがこういうことなんです。

DVDのほうは、特別版で、安珍、清姫の<道成寺>の釣鐘は二代目でこの釣鐘も戦乱のため京都妙満寺に安置されていたのがお里帰りをして2004年に福助さんが『京鹿子道成寺』を奉納された映像つきです。これが、当日は雨で、雨の中での『京鹿子道成寺』となりましたが、それがまた美しいのです。雨がレンズと福助さんの間で透明感を増しているような感じで、踊りづらさなど感じさせない心を込められて奉納舞でした。

監督・高山由紀子/脚本・高山由紀子、たかやまなおき/企画・綜合プロデューサー・岡本みね子/出演・村上富太郎(福助)、詩織・遥香(牧瀬里穂)、富太郎の子供時代(児太郎)、富太郎の弟子秀次(須賀貴匡)、大衆演劇の女形・花丸(風間トオル)、遥香の友人(真矢みき)

真田十勇士』は、猿飛佐助が勘九郎さんです。この映画アニメから始まって途中で、「この映画はアニメではありません。数分後には本編が始まります」と字幕があらわれ笑わせられます。アニメと実写とが違和感のない登場人物たちが次々とあらわれます。勘九郎さんの猿飛佐助のしぐさが一番アニメチックで楽しいです。間合いが何とも言えない愛嬌者です。才蔵さんはマントのひるがえりが恰好いい。

ここに出てくる真田幸村は、実は腰抜けで何の戦略も知略もない人物として設定されていて、大阪城での軍議にも佐助と霧隠才蔵が色々考えだして幸村に伝えるという形をとり、出城の「真田丸」もちょっとした手違いから発案となるのです。

幸村を本物の武将にしたてあげようとの佐助の計略が進みます。冬の陣では大活躍となりますが和議により外堀は埋められ、夏の陣では裸同然の城を後にして家康の首を狙い家康の本陣を目指す赤い鎧の真田軍団。幸村は本物になれるでしょうか。

家康役の松平健さんが何もこれといった演技をしているわけでは無いのに可笑しいんです。なんと言ったらいいのでしょうか兎に角なんか笑えてしまうのです。この映画の功労者かと思えます。

根津甚八は幸村の影武者となったとの話しもありますが、この映画では豊臣秀頼の影武者になれと言われたりします。秀頼を守れとの幸村の遺言に佐助たちのとった行動は。淀君の裏切りなど引き込まれて観ていたらどんでん返しがありました。さてそれは見てのお楽しみ。

抜け忍の佐助と才蔵を狙う忍び者や才蔵を慕う幼馴染の火垂などが入り乱れての時代劇アクションでもありますので、乗せられて見ていればよい映画です。

伝説の真田十勇士は、九度山に蟄居中の幸村のために集まった勇士なのです。伝説のほうの穴山小助が映画では抜けて、幸村の息子の大介が加わっていました。若い俳優さんたちで名前が初めての方が多く間違わず入力できるか心配です。

映画の真田十勇士/猿飛佐助(中村勘九郎)、霧隠才蔵(松坂桃季)、根津甚八(永山絢斗)、筧十蔵(高橋光臣)、三好青海(駿河太郎)、海野六郎(村井良大)、三好伊三(荒井敦史)、真田大助(望月歩)、望月六郎(青木健)、由利鎌之助(加藤和樹)

真田幸村(加藤雅也)、淀君(大竹しのぶ)、火垂(大島優子)、徳川家康(松平健)

監督・堤幸彦/脚本・マキノノゾミ、鈴木哲也/衣装デザイン・黒澤和子

 

和歌山かつらぎ町<丹生都比売神社> | 悠草庵の手習 (suocean.com)