映画『ダ・ヴィンチ・コード』から映画『メリー・ポピンズ』(2)

やはり気になるのが、ルーヴル美術館での撮影です。パンフレットによると、閉館後の撮影許可がおり皆さん感動されたようです。ロン・ハワード監督は、一人ルーヴルの中に立つと人類の作り出した宝物、至高の美術品と一緒に洞窟の中にいる気分だったと表現しています。もちろん殺人現場などはセットで、このセットの美術監督が、アラン・キャメロンさんで、名画は背景画家のジェームズ・ジェミルさんが150もの絵を描いています。

絵画の複写は、オリジナルカメラで撮影したものを拡大し、壁に投射し、その上から描いていってすべての絵をオリジナルとまったく同じように描き、つや出しやひび割れをもほどこしています。光が反射したとき印刷か描いた物かがわかってしまうのだそうです。

緻密に計測し、幅木や窓周りの大理石に合わせて大理石のサンプルもつくり、グランドギャラリーの床は大工係りがベニヤ板で床板を作って、それを写真に撮ってプラスチックのシートに印刷して床に敷いたのだそうです。今度見直すことがあったらその辺もしっかり見ることにします。

映画の大半はヨーロッパの歴史的な名所でのロケで、そこで小さなドアを通たり、はいつくばったりしてラングランをより深く演じることが出来たとトム・ハンクスさんは語ります。

ロン・ハワード監督とトム・ハンクスさんは、この役について話し合った時、『アポロ13』の時と同じようなポジティブな感覚を味わったそうですが、私とトム・ハンクスさんの映画との出会いは『アポロ13』なんです。ここから映画鑑賞の復活だったのです。それまで空白だった洋画を、ここから埋めていきました。

先ず『アポロ13』に出て来た、トム・ハンクス、ケヴィン・ベーコン、ゲイリー・シニーズ、エド・ハリスなどの出ている映画を映画好きの友人から次から次へと教えてもらいレンタルして観ました。観ては、そこにでてくる気に入った他の俳優さんの作品を教えて貰い、好きな映画に偏りそうなので、都民劇場の映画サークル会員になったりもしました。今は映画サークルはなくなったようです。

アメリカン・グラフィティ』にロン・ハワード監督が俳優として出ているのを教えてくれたのも友人でした。アメリカの青春映画の代表作ですね。

アメリカ映画は、俳優は人気がでてくると、先輩スターとの共演があったり、スター同志の共演があり、そのガチンコが面白いです。

マグダラのマリアの子孫であるソフィー役のオドレイ・ヌヴ―は『アメリ』でした。おかしな映画で、アメリのお父さんが医者で、お父さんが診察してくれるとドキドキして、お父さんは心臓病だと診断して、学校に通わせず自宅でお母さんの家庭教師で過ごし、感覚が人と少し違うんですよ。それでどうなっちゃうんだっけと思って見直しました。

ちょっと人と違うキャラクターのアメリですが、何となくアメリのペースで他人同志の関係を上手くさせたり失敗したりして、アメリ流のやりかたで自分の恋人を見つけてしまうのです。コメディぽくもあり、ミステリーの謎がとけるようなラストで、これがフランス流なのかなあと不可思議でした。。あの大きな目が『アメリ』ではもっと発揮されていました。

修道僧シラスは、アリンガローサ司教に敬虔なしもべで、言いつけ通りに従う狂犬的存在で不気味さも醸し出し、ポール・ベタニーさんは初めてで、ロン・ハワード監督の『ビューティフル・マインド』に出ているというので見ました。この映画は、ロン・ハワード監督がアカデミー賞の監督賞を受賞しています。エド・ハリスさんも出演していました。

最初は全然見ている方も分からないのですが、途中で主人公が<統合失調症>のため幻覚を見ているということが分かるのです。主人公がラッセル・クロウさんで、でルームメイトがポール・ベタニーさんです。ところが、このルームメイトは幻覚で実際には存在しない人物なのです。主人公も自分が病気であると知りますが、その後も様々の幻覚はあらわれます。ルームメイトには姪がいまして、姪が一緒に出現しますが、年数が経ってもその姪が成長しないのに気がつき、ルームメイトが幻覚の中の人であることに気がつきます。

雑誌などあらゆるものから、暗号として読み取り組み立ててしまいます。その能力がかわれて秘密機関に暗号解読の任務を任せられますがそれも幻覚です。そうした病気がありながら、後にノーベル経済学賞を受賞したジョン・ナッシュさんという方の実話に基づいた映画です。

自分の病気を自覚しつつ、それと折り合いをつけつつ研究に勤しむのですから、つらいだろうなと思いました。自分自身の本質を確かめ確認しつつ進まなければならないのですから。

<統合失調症>という言葉は耳にしていましたが、症状は様々でしょうが、こういう状態との闘いの中にいる人もおられるのだということを知りました。見えすぎてしまうということも辛い事です。

ロンドンのスタジオに作られたリー・ティービングの暮らす書斎などは、ティーヴィングの性格を考えながら小道具のデザインをしてキャメロンさんは楽しかったと語っています。

ティービング役のイアン・マッケランさんは、『ロード・オブ・ザ・リング』のガンダルフ役ということですが、好きな分野の映画ではないので見ていなかったため、今回、三部の<王の帰還>を見ることにしました。

 

映画『ダ・ヴィンチ・コード』から映画『メリー・ポピンズ』(1)

映画『ダ・ヴィンチ・コード』のパンフレットがでてきました。捨てに捨てていますのですっきりしてきました。もっと早くにやっておけばよかった。時間が経過してしまい、テンションが上がりませんので、DVD『ダ・ヴィンチ・コードの謎』『ダ・ヴィンチ・コード・デコーデット』というのを見つけ、見てみました。

ダ・ヴィンチ・コードの謎』を見て、錯覚を起こさせられたことを思い出しました。ダ・ヴィンチさんの絵「岩窟の聖母」はパリとロンドンにと二枚ありまして、パリのルーヴル美術館のほうの絵でマリアが右腕に回している子供がヨハネですが、こちらがイエスと最初思ったのです。

よく見ると、マリアの右横の子は、下の子に手を合わせているのです。ヨハネが下のイエスに手を合わせ、左下の子は、ヨハネに対して右手で祝福をあらわしており、マリアがその子の頭上に左手をかざしているのですからイエスなのです。ヨハネのほうが位置的に高く、マリアに近いので優位に見てしまいイエスと見誤ったのです。ところが、この優位がヨハネがイエスより上であったということを表しているというのです。洗礼者ヨハネを端に発するキリスト教のもう一つの解釈があってそれを暗示しているというのです。

ロンドンのナショナル・ギャラリーほうの「岩窟の聖母」は、依頼者によって書き直されたと言われています。ヨハネに十字架を持たせ、イエスとヨハネに光輪を加え、ヨハネを指さしていた天使ガブリエルの指さす手は消されています。私が誤って見たように見られないようにはっきりさせたのでしょう。最初に描いた時、ダ・ヴィンチはヨハネがイエスよりも上の立場であるということを意識して描いたとの解釈もなりたつということです。

娼婦とされたマグダラのマリアもカトリック教会は1969年に娼婦ではなかったと従来の見解が誤りであったことを認めたとのことです。

『ダ・ヴィンチ・コードの謎』は、『ダ・ヴィンチ・コードの謎を解く』の著者であるサイモン・コックスさんが制作していて、『ダ・ヴィンチ・コード』の著者・ダン・ブラウンさんも出て次のように述べられています。

「カトリック教会は他のキリスト教義を異端と見なし排斥し続けてきた。『ダ・ヴィンチ・コード』はマグダラのマリアを<イエスの子どもたちの母>と位置づけている。この仮説は13世紀悪名高き異端審問のはるか以前に十字軍による血の粛清を引き起こした。フランス南部のカタリ派信者大虐殺である。残念ながら僕には絶対的な信念はない。でも常に探しもとめている。」

最後に「私は歴史の歪曲がどのように起きたのか、未来にどう関わるのかを書きたいと思った。」としています。

イエス中心ではなく、ヨハネ中心の時があり、それがイエスに置き換えられ、またマグダラのマリアの力をを恐れて男性優位の世界に位置づけしたということです。と、私は解釈したわけです。それにしても、ダ・ヴィンチさんは巧妙に見る者に錯覚をおこさせる手を使います。この手法が謎に謎を生んでいて、ワクワクさせるわけです。凄いプロデュースぶりです。後の世の人をこれだけ巻き込んでしまうのですから。信じるか信じないかはそれぞれの思いで映画『ダ・ヴィンチ・コード』を楽しむには参考になりました。

ダ・ヴィンチ・コードデコーデット』では、ダン・ブラウンは、次のように言っています。

「有史以来、歴史は、勝利者によって記されてきました。社会や信仰は征服し生き残った側のものです。」

<歴史は、勝利者によって記されてきました> これはトンチンカンな私でも心に沁みて納得できます。後の世に何が残るのか。残した者の勝ちです。信仰は難しいです。制服しようとしまいと信仰という行為は続いているでしょうから。信仰を権力とつなげたいと思う人が現れれば信仰ゆえにそれに従ってしまうことになるでしょうし。

研究者5人ほどが自分の説を説いていますので盛りだくさんで書きようがないのですが、「レンヌ=ル=シャトーの謎 イエスの血脈と聖杯伝説』の共著の一人であるヘンリ・リンカーンさんが、「私は区別したいと思っている。信仰の象徴のキリストと歴史上の人物イエスを。キリストの子孫の話じゃない。キリストは信仰の象徴だよ。だがイエスは人間だ。」その人間としてのイエスを研究するのは、他の歴史的研究と同じに考えて欲しいということです。信仰とは別に研究するのは自由だと思います。

『ダ・ヴィンチ・コード』では、ルーヴル美術館の館長ソニエールが殺されたことから謎ときが始まるわけですが、19世紀に実際にフランスの田舎の教会にソニエールという名前の司祭がいて、その司祭がまた謎の行動をしているのです。

若い司祭ソニエールは、南フランスのレント=シャトー村の教会に赴任して教会の修復にかかります。そのあとで、豪華な別荘を建て家政婦と住むのです。急に金使いが激しくなり、教会の修復で財宝を見つけたか、あるいは教会を揺るがすような重要秘密を握って大金を得たのではないかという説があるというのです。

こうした書物らも読み、ダン・ブラウンさんは小説構成の参考にされていることでしょう。テンションを上げつつ、他の資料からは潔く敗退し、これから見るトム・ハンクス出演のDVDを横眼で眺めつつ『ダ・ヴィンチ・コード』の映画の美術や出演俳優の他の出演作品に移りますが、ダ・ヴィンチさんが異教徒だったかどうかは別として科学者ですから、偶像イエスよりも人間イエスのほうに強い関心があったように思います。偶像化に対しては斜に構えていたと思います。

それが、天才ゆえに、色々なところに謎を残したのかもしれません。「最後の晩餐」しかりです。

『ダ・ヴィンチ・コード』が<歴史は、勝利者によって記されてきました>に一石投じたかたちとなったことは間違いないでしょう。

そうしたこととは別に、テンプル騎士団が現代の銀行のかたちを考え出したというのには驚きました。『ダ・ヴィンチ・コード』の中でティービングが言います。「ヨーロッパの貴族にとって、金塊をかかえて旅をするのは危険きわまりなかったが、テンプル教会はそれを預かって、ヨーロッパじゅうのどこのテンプル教会でも引き出せる仕組みをつくった。」「必要なのは適切な書類と、、、ちょっとした手数料だ。」そういうことを知る楽しみもこの作品にはあります。

パンフレットで、アリンガローサ司教役のアルフレッド・モリーナさんが、次のような冗談を言われています。

<妻とバケーションに行った時、ホテルのプールサイドで10人が『ダ・ヴィンチ・コード』を読んでいたんだよ(笑)。そのとき考えたのは、本に対する興味よりも、ダン・ブラウンって奴は、相当儲けてるなってことだよ(笑)>

こちらは取りかかるのが遅かったので、古本で手にいれましたので、貢献度は低いです。

 

 

『築地にひびく銅鑼』と映画『さくら隊散る』

憲法記念日です。教育勅語を暗記するなら、日本国憲法の前文を朗読したほうが、崇高な気持ちになれるとおもいます。憲法について話し合うことは良いことだと思います。しかしどうも、今の政府は都合の悪いことは隠し、言葉巧みに解釈し、棄民しそうで不信感をつのらせます。国民を守るといいつつ、法規制ばかり強化して、いいように解釈されそうで素直な気持ちにはなれません。かなり疑っています。

広島で被爆され亡くなった俳優の丸山定夫さんの伝記小説『築地にひびく銅鑼 - 小説 丸山定夫』(藤本恵子著)を手にして、さらに新藤兼人監督の『さくら隊散る』を見ることができました。

丸山定夫さんは、新劇のかたたちの間では伝説化されているかたでもあり、同じ劇団で被爆され亡くなられた園井恵子さんは宝塚出身で、坂東妻三郎さんの映画『無法松の一生』の吉岡夫人として知られています。この映画『無法松の一生』は見ていましたので知っていましたが、園井さんが宝塚で男役であったのは知りませんでした。

映画での楚々とした吉岡夫人から宝塚の女役と思っていました。稲垣浩監督から「園井さん女になってください」と言われたそうで、どうしたらよいかわからず、まず母親になろうと吉岡少年役の沢村アキヲ(後の長門裕之)さんと撮影の合い間に一緒にいて話しなどをしたということです。

それに比して丸山定夫さんの情報が少なく、藤本恵子さんの本で、こういう経過をたどられたかただったんだという事がわかりました。藤本さんは、評伝ということではなく、伝記小説として書きたいとして書かれているので読みやすく、登場人物もいきいきと描かれています。

丸山さんは、広島での歌劇団から出発していて、浅草では榎本健一さんとも仕事をしています。そして、下火となった浅草オペラの状況から、榎本さんに<新劇>にむいているかもしれないよと言われます。「築地小劇場」の設立に参加するかたちとなり研究生となり、築地小劇場の開幕招待日の小山内薫さんの挨拶のあと、銅鑼を鳴らす役を丸山さんは任され、そのことから『築地にひびく銅鑼』が本の題名となったのでしょう。

この劇場に住み込み、新劇への道にはいるのですが、小山内薫さんの死後劇団内部の対立が表面化して、土方与志さん側の丸山さんは他の5人(山本安英・薄田研二・伊藤晃一・高橋豊子・細川ちか子)とともに「新築地劇団」を結成します。

1930年になると国の検閲がきびしくなり、再び榎本健一さんの「エノケン一座」に加わっています。このとき榎本さんは何も言わず百円という大金をさしだしていて、かつて一緒に巡業した時丸山さんがお金を作ってくれた時のお返しでした。

丸山さんは、榎本さんに「帰るのか?えっ、あのしちめんどくさい、エラソーなお芝居に」と悪態をいわれつつも解かってくれている榎本さんの一座を後にし、「新築地劇団」に復帰、東宝の前身であるPCLの専属俳優となります。

戦局は激しくなり、「新築地劇団」は満州巡演にでます。もどって二か月後、国情に適さないとして劇団は解散させられます。活動は11年でした。

1942年、徳川夢声さんの声かけによって、丸山定夫さん、徳川夢声さん、薄田研二さん、藤原釜足さんの四人で「苦楽座」を結成します。薄田研二さんは、私たちが見られる時代劇映画では品ある家老から人のよいじい、さらに悪役などもこなすお馴染みの役者さんですが、この時、俳優の芸名が廃止され本名の高山徳右衛門に改名しています。また藤原釜足さんは、大化の改新での功臣の名前を使うとはけしからんとして鶏太に改名した時期でもあります。

「苦楽座」の<苦楽>は、丸山定夫さんが、1924年に創刊された『苦楽』に小山内薫さんの名前があり、小山内さんの名前に魅かれて買った雑誌が頭にあったようです。

私が雑誌『苦楽』を知ったのは、鎌倉の<鏑木清方記念館美術館>と横浜の<大佛次郎記念館>でです。 雑誌『苦楽』の大佛次郎と鏑木清方

新たなる仲間を募り、日本移動演劇連盟に加入し<苦楽座移動隊>として各地で公演し、1945年6月22日<苦楽座移動隊>は<桜移動隊>と名をかえ東京を出発します。そして広島での8月6日を迎えるのです。

その後のことについては、新藤兼人監督作品『さくら隊散る』が詳しいです。桜隊に参加されていた方々については多くの関係者がインタビューで語られています。

<桜移動隊>で被爆されたかたは9人で、丸山定夫さん、園井恵子さん、高山象三さん、仲みどりさん、森下彰子さん、羽原京子さん、島木つや子さん、笠絧子さん、小室喜代さんで、皆さん即死されたり、8月に亡くなっておられます。

高山象三さんは、薄田研二さんの息子さんで、演出のほうを勉強されていました。時代劇映画では悪役の上手い薄田研二さんが出てくると、今回は主人公の味方なのと思ったりして楽しませてもらっていた役者さんに、こんな悲しい事実があったとは知りませんでした。

仲みどりさんは、やっとのおもいで広島から東京にもどり、東大病院で診てもらいます。白血球の数が異常に少なく、検査間違いではないかと疑われます。放射線医学の権威である都築正男教授がいたため、仲みどりさんは、人類はじめての原爆症患者に認定されますが8月24日に亡くなられてしまいます。仲さんの臓器の一部は標本として保存され、その後すぐ、都築正男教授は広島入りをして原爆症にたずさわるのです。そんなこともはじめて知りました。

目黒区にある五百羅漢寺には「桜隊原爆殉難碑」が建っていまして徳川夢声さんが中心なって建立されたようで、かなり以前、五百羅漢寺で見ていましたが深くは知りませんでした。

丸山定夫さんの名前は知っていても、演技は見た事がありません。映画館ラピュタ阿佐ヶ谷で丸山さん出演の『兄いもうと』(木村荘十二監督)を上映していますので昨日観に行ったのですが、到着が遅くて満席とのことで観ることができませんでした。定員48名という小さな映画館ですが、みたい人がいたということで良しとします。東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品ですのでまた出会えるでしょう。

追記1: 神保町シアターで上映している『旅役者』は、昭和15年という戦時色強い中での成瀬己喜男監督の喜劇で驚きました。主人公が藤原釜足さんで、クレジットには藤原鶏太とあり、成瀬監督の新劇人のスピリットに対する応援と思いやりと映画人としての逆説的心意気のようにも感じました。見ている方も気持ちよく笑わせられました。成瀬己喜男監督の変化球味わいました。

追記2: 日米共同研究機関「放射線影響研究所」(放影研)が設立70周年の記念式典(2017年6月19日)で現理事長さんが、放影研の前身である「米原爆傷害調査委員会」(ABCC)が、治療はしないで調査だけをしていたことに言及し謝意を表明されました。悲しい事実ですが、きちんと知らしめ、犠牲者の苦しみを再度思い起こすことは大切なことと思います。

 

 

四世宗家新内仲三郎披露・七代目家元新内多賀太夫襲名披露演奏会

国立劇場大劇場での<四世宗家新内仲三郎披露・七代目家元新内多賀太夫襲名披露演奏会>大盛況でした。予定があり、前半だけ鑑賞させてもらいましたが、盛りだくさんで後半には菊之助さんと染五郎さんの踊りと津川雅彦さんの浄瑠璃もあったのですが、残念でした。

多賀太夫さんの浄瑠璃『道中膝栗毛 ー赤坂並木の段』には、こんな新内もあったのかと新内に対するイメージを拡大させられました。<赤坂並木>とありますが、赤坂宿まえの<御油の松並木>のことでしょう。弥次さんが狐のお面をかぶり、喜多さんを驚かすという流れで、三味線もその雰囲気の調子で、浄瑠璃の節回しとのミックスさがなんとも楽しいです。

『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)』は、歌舞伎でよく知っていますから聴いていてもよくわかります。『明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)』『蘭蝶』などは新内の代表作ですが、歌舞伎でよかったという記憶がなく気が乗りませんでした。ところが、『明烏』を『明烏異聞録』として朗読の語りを入れて三味線だけではない楽器を加えて新内とのコラボでやってくれまして、新内だけの『明烏』とは一味ちがうそれでいて新内の印象も深いものとなりました。

その前に『口上』がありまして、松本幸四郎さんが中央で紹介されご披露されたのです。歌舞伎役者幸四郎さんの声が国立劇場大劇場にぴしっと響き、よい口上となりました。高麗屋と新内仲三郎さんとのご縁は初代白鴎さんからのつながりがあり長いとの事。新内仲三郎さんの長男である剛士(たけし)さんが、祖父の名跡である七代目新内多賀太夫を襲名されたわけです。新内は直接生活の場に流れ親しまれた古典芸能でもありますが、時代の流れで今は劇場内での楽しみ方にかわってきています。そうした流れの中で、新・多賀太夫さんは期待されているかたです。

『口上』のあと休憩がありまして、面白いチラシをみつけました。『日本音楽の流れⅠ』「日本の伝統音楽の楽器に注目し、その音楽の歴史について紹介する新シリーズ〔日本音楽の流れ〕。第一回の今回は<筝>を特集し、多彩な筝曲をお届けします。」面白そうです。さっそくチケット売り場でゲットしました。

次の演奏『明烏異聞録』にお琴が二面加わっていました。お琴の音色を頭の中で浮かべると出てくる感じがありますが、それとは違う低い音のお琴が一面ありまして、その効果にも注目しました。チケットを買ってのすぐのお琴との対面で興味ひかれます。

その他、笛、尺八、パーカッションが加わり、語りは、風間杜夫さんと名取裕子さんです。そこに新内多賀太夫さんの弾き語りが加わるのです。そのバランスが絶妙でした。新内の弾き語りもきちんと浮き立ち、若旦那・時次郎と遊女・浦里の心中への物語性もしっかり構成され、そこに侵入するそれぞれの楽器の音色も無駄な添え物のまやかしの音ではないのです。

時次郎と浦里が船で逃げて逃げ切れるわけでもなくその上で心中するというのも終わり方としてよかったです。歌舞伎などですと、道行が長くないと見せ所が減りますので、船上での心中は駄目でしょう。良く計算された舞台でした。

この後、新内協会関係者の挨拶があり、理事長の鶴賀若狭掾さんの「古い物をどう伝え、新しいものをどう取り入れていくかが大事である」というようなことを言われていましたが、古典芸能の場合のあらゆるものの課題です。

鑑賞する側としては、迎合して鑑賞者の鑑賞する力を落としてほしくないでし、新しいからといって、その話題性で終わってしまっては、話題性だけを追う観客を育てることになります。

新内を味わうためには、国立劇場大劇場は大きすぎると思いますが、こうした大きな会もやりようによっては面白いという証明になりましたから、七代目新内多賀太夫さんのような若い力の活躍がこれから一層期待されることとなるでしょう。

神保町シアターで<映画監督成瀬己喜男初期傑作選>が始まっています。芸人ものも入っています。『鶴八鶴次郎』『歌行燈』『女人哀愁』は観ていますから他作品がお目当てです。そういえば、風間杜夫さんは、波乃久里子さんと、三越劇場で『鶴八鶴次郎』を演じられていますね。

ついでにとは失礼ですが、染五郎さんと猿之助さんの弥次・喜多コンビ、シネマ映画『東海道中膝栗毛<やじきた>』の宣伝紹介でラップをやっております。こちらも古いものと新しいものとをどう進めて行かれるのか、それぞれの分野での闘いは続いています。

先ずは、<新内>の世間様へのさらなる浸透が大きな任務とおもわれます。期待大です。

 

映画『オーバー・フェンス』

探しているものが見つからないというのは不快ですね。それも、自分の整理整頓の悪さからきているのですから、忸怩(じくじ~PCの変換でないと書けません)たる思いがあります。映画『ダ・ヴィンチ・コード』のパンフレットがみつからないのです。映画『メリー・ポピンズ』へ行き着きたいのですが。

見つかるまで、最近見た映画『オーバー・フェンス』について。池袋新文芸坐での企画 「気になる日本映画達 <アイツラ> 2016 」 の中にも入っていて見に行こうと思っていましたら日程があわず、レンタルとなりました。

監督・山下敦弘/原作・佐藤泰志/脚本・高田亮/撮影・近藤龍人/音楽・オダギリジョー、蒼井優、松田翔太、北村有起哉、満島真之介、優香

函館の作家・佐藤泰志さんの原作で、佐藤泰志さんの映画化三部作『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』の最後の作品です。原作をどれも読んでいないので原作との比較はできませんし、内容というより撮影ロケ場所の点からいえば、『オーバー・フェンス』が一番気に入りました。

作品として重要な位置づけとなる撮影ロケ場所が、函館公園の中にある遊園地<こどものくに>なんです。昨年の春に函館に行った時、この公園に小さな遊園地がありまして観覧車には、「日本国内で稼働する現役の観覧車としては最古であるといわれています。」と案内板がありました。1950年に大沼湖畔東大島に設置され、当時は「空中遊覧車」と呼ばれ、1965年に現在の地に移設されました。

「空中遊覧車」とは当時の夢を感じます。直径10メートル、高さ12メートルです。乗ったのですが風景を見渡す感じではなく、大きな樹の枝と葉っぱがすぐ近いというかんじです。手動で乗る人がいれば止って乗せて動くので、乗る人が多ければ時間が長く、乗るひとが少なければ早く回ってしまいます。乗ったのは2組だけ。

日本最古の現役の観覧車に乗れたのですから満足です。

蒼井優さんが夜はキャバクラで働き、昼間はこの観覧車の係り員のアルバイトをしていて、観覧車に乗ってる子供たちに、「騒いじゃだめよ、落ちると体がぐちゃぐちゃになるからね」と注意しているところに、オダギリジョーさんがあらわれ「ぐちゃぐちゃにはならないだろう」と笑っていうのですが、この台詞が気に入りました。うまいこの台詞。ここでのこの観覧車ならではの名セリフと拍手です。

函館公園には小さな動物園もありまして、この動物園もこの映画作品では重要な意味があるのです。残念ながら動物園はのぞきませんでした。のぞいておけばよかった。

函館公園は、青柳町にあって啄木の歌碑があり、この公園の前の坂を登って行くと、石川啄木さんの住んでいた場所があるのです。下りて市電の青柳町停留所の次の谷地頭停留所の海側に石川啄木家の墓があり立待岬となります。

ミニ遊園地とミニ動物園、佐藤泰志さんの小説に出てくるのでしょうか。出てこないような気がするのですが、そのうち調べてみます。佐藤さんの作品には何らかの出来事で傷ついたり、その環境から抜け出せない人々が登場します。

オダギリジョーさんも仕事人間で離婚を経験していて、東京の会社を辞め、函館の職業訓練校に通っています。そこでの人々も紆余曲折をへて通ってきているのです。そこの仲間の松田翔太さんにさそわれて行ったキャバクラで、オダギリジョーさんと蒼井優さんとが出会うのですが、この二人はその前に偶然の出会いをしていたのです。その出会いも蒼井優さんの印象を強める面白い設定です。蒼井優さんは薬を飲んで精神的均衡を保っている女性で、その危うさのなかで、お互いに魅かれていき、ぶつかりあいながらも、多少の明かりが見えてくるといった流れですが、特に動物園は重要な場面となります。

皆危うくて、どこかで歯止めをかけていて皆の信頼度の高いオダギリジョーさんが、職業訓練校の仲間から誘われて居酒屋に来てみれば、若い子のお遊びのエサにされ、「おまえたちもすぐおじさんおばさんになるんだよ、すぐにな。」といってマジになって切れるところは、何かホッとします。穏やかに争いなくやっている人が時にはひっくり返すところです。こんなのにつき合ってられるかとの思いが、本音だけは言っておくぞといったところがいいです。そのオダギリジョーさんに謝り、気分を鎮めさせるのが、背中一面に入墨のある職業訓練校仲間の北村有起哉さんです。

松田翔太さん、北村有起哉さんも好演で、それぞれの生き方上の性格が表れています。

独特の感情表現をだす蒼井優さんと自分の生きる価値を見いだせないふわっとしたオダギリジョーさんの関係に独特の雰囲気があります。自転者に二人乗りして鳥の羽根を飛ばすあたりには、ありえないメルヘンタッチな映像ともなり自由な心の動きがとらえられます。

映画『海猫』にも少しだけ函館公園がでてきましが、出てきたなと思う程度で、『オーバー・フェンス』は無くてはならない場所としての役割です。

佐藤泰志さん、まさか死後、三部作などとして映画になるとはおもわなかったことでしょうね。

この三部作、函館を映画に取り入れた映画として探さなければ、見なかったかもしれません。

パンフレット探さなければ。五月は、見たい映画もあり、整理整頓月として、腰をすえ、旅はやめよう。

今もやっているでしょうか。函館山頂上の展望台で夜景を見た時、時間が経つと寒くなり、でももう一回見たいなと建物の中に入ったところ、函館の町の映像を上映するという場所があって、誰もいなくて一人だったのですが、昼間観た場所の映像もありなかなか観光客にとっては楽しかったのです。終わって、スクリーンの後ろのカーテンが開き、硝子越しの夜景がばーっと広がった時には、思わず感嘆の声がでてしまいました。凄いサプライズでした。

体も温まり二回目の夜景を楽しませてもらいました。あのサプライズは最高でした。知ってしまうとサプライズは成立しません。

 

映画『ぼくと魔法の言葉たち』と劇団民藝『送り火』

映画『ダ・ヴィンチ・コード』のパンフレットが池袋の新文芸坐で安く売っていまして、いまさらと思いましたが購入しました。そこから、出演の俳優さんの出ている他の映画を見て、トム・ハンクスの初期や他作品などをみているうちに、映画『メリー・ポピンズ』に行き着きました。

チムチムニィ チムチムニィ チムチムチェリー ~~ のメロデイは、口ずさめます。でも映画は観ていませんでした。ディズニー映画です。そこへ行き着く前に映画館で『ぼくと魔法の言葉たち』の予告編を観ていまして、これは観たいと思っていましたので、行き着く先がディズニー映画というのも面白い方向性でした。

そして、映画『ぼくと魔法の言葉たち』を観てから劇団民藝の『送り火』を観劇したのです。おそらく映画『ぼくと魔法の言葉たち』を観ていなければ、『送り火』の主人公・吉沢照さんのお芝居の中での人生を深く納得し実感できなかったとおもいます。

ぼくと魔法の言葉たち』はドキュメンタリー映画です。ピーターパンになったオーウェンくんとフック船長になったお父さんが、楽しく役になりっきて遊んでいます。オーウェンくんは言葉を発しています。ところが、突然オーウェンくんは言葉を発しなくなります。二才の時(チラシによると)です。自閉症と診断されました。

四歳の時、言葉を発しますが、それは、意味の伴わないオウム言葉であると言われてしまいます。その後何か一人で言っている言葉が、ディズニー映画の台詞であると気づいたお父さんが、オームの<イアーゴ>になりっきて台詞をいいますと、オーウェンくんは次の台詞を返しました。お父さんは、オーウェンくんが言葉がわかり、物語のすじも理解していることを確信します。

オーウェンくんは大好きなディズニー映画の台詞を覚えていて、言葉の意味も理解し、映画の内容もわかっていたのです。物語は、完結します。何回観ても同じ完結です。物語とは違って現実世界はどんどん続いてしまいます。オーウェンくんは、次々と続く、現実世界の早い流れについていけなかったのです。次々起こる新しい出来事に不安になり、どうやって対処しコミュニケーションをとっていいのかわからず閉じこもってしまったのです。

そこからの経過はこと細かには語られていませんが、事あるごとにディズニー映画の世界にもどり、物語と現実世界との往復を家族はくり返したのだと思います。彼のために学校をさがしいじめにあったりもします。そして、彼にとって居心地の良い学校を卒業し、一人暮らしをはじめることとなり、さらに仕事もみつけるのです。

小さい頃、いかに不安であったかということが理解できます。今も新しいことに対しては不安なのですが、楽しみでもあるといいます。不安になったり、何かが出来たりしたとき、ちょっと待って、このディズニー映画のこの場面を見させてといって早回しをして、確認しホッとしたり、よしと次のステップに向かったりします。

自分は主人公にはなれないが、脇役の守護者にはなれるからと、脇役の絵を描いたり、脇役に囲まれての物語を書いたりします。彼の不安をアニメで描く手法が、見る者にオーウェンさんの不安の実態を受け止めやすくしてくれます。こうした障害の方のひとりひとりが違う不安とか、受け入れられないものとか、自分の中で整理されなくて納得できない何かを抱えているのでしょう。

オーウェンさんの場合は、それを包んでいてくれたのがディズニー映画の世界だったのです。現実の友達が欲しいとも思っていたのですが、そのコミュニケーションの方法がみつからず、六歳の時、彼を見つめ続けていた家族によってその扉は開かれるのです。

心の中にはいろいろな感情がありますが、オーウェンさんによって<不安>という感情をわかりやすく教えてくれるドキュメンタリー映画でもあります。その感情を乗り越えて進める方向をみつけていかなければならないのでしょう。

劇団民藝『送り火』は、場所は愛媛の山間の集落のひとつで、認知症の症状がでてきた女性・吉沢照(日色ともゑ)が、一人暮らしで、自分が自分のことをできるうちにと、ケアハウスに入ることを決心します。施設に入る前日の夕刻の話しで、照を訪ねてくる人々から、照の人生が照らし出されます。そしてその日はお盆の最後の日で、送り火をたく日でもあったのです。

本家のお嫁さん(船坂博子)は、照の兄が赤紙をもっらて逃亡し、非国民の親戚となってしまったことを話していきます。次に訪れた近所の泰子(仙北谷和子)は、兄が一緒に逃げたとされる女性の妹です。康子を迎に来た夫(安田正利)は、本当であれば照と結ばれていたかもしれない人です。このご夫婦は、何かと照を助けてくれていた人でもあり、夫はチカチカしている蛍光灯をとり替えてくれ話しをしていきます。

照は、それぞれの人に、色々な想いをじっと受けとめたり、思っていたことを語ったりしますが、自分が過ごしてきた厳しい現実を不思議なくらい怨みごととしてではなく、慈しむように話します。劇中の言葉は、愛媛の今治市の方言だそうで、訪ねてくる人に出されるのが、「イギス」と「夏ミカンの飴炊き」と「たくあん」です。それを食しながらお茶を飲み、茶のみ話のように、穏やかに語られていきます。

その会話から、照が保育園の先生をして、一人で両親を看取り、今その家を人手に渡し、ケアハウスに入所することにしたこともわかります。ケアハウスに持っていく物の中に、照の好きな『ナルニア国物語』の<カスピアン王子のつのぶえ>があり、ちゃぶ台の上にそれが置かれています。

照は、保育園で園児に童話を読み聞かせながら、自分もその世界に入り込んでいました。アリスは不思議の国へ、ハイジはアルプスの山から町へ、ウェンディはネバーランドへ、ジョバンニは銀河鉄道の旅へとみんなその場所から外へと飛び出していきます。照も飛び立ちたかったことでしょう。非国民の家族というレッテルの張られた場所から。しかし、それはできませんでした。

迎え火をたきましたが、認知症のため照はそのことが思い出せません。会いたいと思っていた兄(塩田泰久)の魂が帰ってきます。照は、どこかで生きていてほしかったと兄に告げます。兄の逃げた理由を聞き、兄に<カスピアン王子のつのぶえ>を読んでもらい、照はやっと不安のともなう先へ進んでいけそうです。

兄に何かやりたいことはと尋ねられ、「童話を書いてみたい」と言います。

不安でいっぱいの中で過ごし、童話の世界と行き来していた照は、家を守り、きちんと送り火で家族を送り出し、新たな不安を抱えつつも前に進んで行きます。照さんの童話はできあがることでしょう。

演劇とは思えないほどの自然な日常会話が、大変な時代を生きてきたことを知らしめ、そして照さんの不安の中に閉じ込められていた時間が空気がわかります。まだ自分で判断できるうちにとすべてを整理し先へ進む道を決めた照さんですが、きっとこの先も、童話の世界に助けられながら未知の世界を静かに一歩一歩踏みしめらるのです。

作・ナガイヒデミ/演出・兒玉庸策

さあ!頑張らずに、頑張ろう!

 

赤坂歌舞伎『夢幻恋双紙 赤目の転生』

<赤目の転生>とあるように、何かを感じた時右目が赤くなる太郎とその幼馴染みとある家族の転生の話しです。

幼馴染は、太郎(勘九郎)、剛太(猿弥)、末吉(いてう)、静(鶴松)で、そこへ歌(七之助)の家族が引っ越してきて男の子たちは歌に関心が集中します。歌には、病気で寝たっきりの父・善次郎(亀蔵)と無頼の兄・源之助(亀鶴)がいて、引っ越してきたのは、病気の父を抱えての貧しさのためです。

太郎は歌に恋をしますが、性格は純情なのですがのろまな太郎なのです。父の死後歌は自分を陰ながら支えてくれる太郎と結婚します。父を歌にまかせっきりで家によりつかない兄の源之助は、太郎の赤目をみて、この男はダメだと言い放ちます。そういう源之助は、右目が怪我のためか布で覆われています。

結婚した太郎と歌は、太郎がのろまで仕事にもつけず歌の借金もありますます貧しくなっていきます。子供から大人はかつらや着物の丈を調節し、貧しさは、かんざしやくしを外し、着物を裏返しにしたりして話しの流れに支障のないように変化させていきます。勘九郎さん、七之助さん、猿弥さんはこの演技的変化はお手の物です。

太郎は、仕方なく、源之助の悪事に手を貸しお金を得ますが、嫌になり手を引こうとして、源之助に殺されてしまいます。<赤目の転生>です。再び、幼馴染は同じ場所に同じ年齢で生き返っています。しかし、太郎は違う人物として生まれかわっています。太郎の人物像によって幼馴染も太郎に接する態度が違っきますからその人生も違います。太郎の歌を想う気持ちは変わりません。

この一回目の転生が一番歌舞伎役者さんの動きとしては見せ所です。歌と結婚した太郎は江戸時代のゼネコンの親分で、源之助の亀鶴さんの出には笑ってしまいました。無頼の兄が、義弟の下で働く腰の低い子分なのですから、この身体の動きをともなった変化は歌舞伎役者ならではです。元気になっている義父の亀蔵さんは、芝居と関係のないハチャメチャな勝手な動きでキャラの違う笑いをとります。

太郎の仕事を受け持ち、いいように使われ痛めつけられる猿弥さんと勘九郎さんのやりとりも、現代を思わせる江戸で、時代の行き来、役者の身体の行き来、心理の微妙な切れ目が赤くなりはじめます。いてうさんの役どころは、自分の立場を上手く売り込むということで大きな変化はなく、上手くこなしました。静の鶴松さんが、歌のために自分を押し込められていた気持ちが爆発し、太郎の情婦となっていますが、歌の七之助さんと対峙する役どころとしては女形の修業がもう少し必要です。

お金では満たされぬ七之助さんの歌は、兄おもいの妹で、それを見る太郎の目は赤い色を発する寸前なのでしょうが、観客には、まだ、太郎の力にものを言わせる性格のためと映ります。またまた歌を幸せにはできませんでした。

次の転生では、お人よしの太郎となり自分の気持ちを隠し、歌を好いている剛太と歌を結婚させます。そして、太郎の転生は驚くべきことに兄の源之助となり、歌とは結ばれることのできない立場にされてしまうのです。やっと、太郎の赤目は、歌の心の底をみることができるのです。

ここで<赤目の転生>は絶望的な果てしなき転生が続くのかどうか、続こうと、嘆こうと、太郎よ歌舞伎だよ、ここで一丁戦いなよと思いました。はっきりさせな。<夢幻恋双紙(ゆめまぼろしかこいそうし)>の歌を想うなら、源之助になった太郎なら、太郎の世界に最初の源之助を呼び出し挑みなさいよと言いたいです。ここで、太郎、歌、源之助の歌舞伎役者の身体を見せて欲しかったですね。<カブキ>とするなら、歌舞伎役者の身体表現を見せて芝居の展開の面白さもみせるというのが基本と思うんですよ。

ここまできたなら、この後があってもいいのではないか。ここからが、さらなる面白さにつながるのではないでしょうか。蓬莱竜太さんには、もし次に挑戦するのならもっと歌舞伎役者さんを身体的に苛めた方がいいですよ。それを表出するのが歌舞伎役者ですからと伝えさせてもらいます。

 

歌舞伎座四月 『桂川連理柵』『奴道成寺』

桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』は、複雑な親子関係の中で我慢しつつも、賢い女房を持ち穏やかに暮らしていた京の呉服屋の主人が、思いがけない事に巻き込まれ心中の道へと進んでしまうという芝居です。上方の心中ものは、お金と女性問題がからみますが、当事者を詰問するのが憎々しいのと同時に、可笑しさを伴っています。

<帯屋>は、主人公・帯屋長右衛門の店先での場となります。長右衛門(藤十郎)は養子ですが、養父は隠居して呉服店帯屋の主人となっりしっかり店を守っています。養父・繁斎(寿治郎)の後妻・おとせ(吉弥)は、連れ子の儀兵衛(染五郎)に跡を継がせたいと画策しており、おりから、兄の長右衛門が受け取ったはずの百両を兄・長右衛門がくすねたと母に告げます。おとせは、さらに戸棚にしまってある五十両を合鍵で奪い、長右衛門がくすねたことのしようと手ぐすねを引いて待っています。

長右衛門がもどり、詮議がはじまりますが、百両にかんしてははっきりしない言い訳で、五十両は戸棚から出そうとしますがありません。

吉弥さんのおとせは憎々しく、儀兵衛の染五郎さんは、母にくっついて動きまわります。その儀兵衛が、今度は、隣の信濃屋の娘お半と長右衛門がねんごろになっていると言い出し、「長様参る お半より」と書かれた手紙を証拠として出します。鬼の首を取ったように儀兵衛はその手紙を読みあげると、お伊勢参りの旅で長右衛門とお半が結ばれたことが書かれており、養父・繁斎もお金はともかく、お半とのことは何んという事してくれたとなげきます。お半は14歳で長右衛門は40に手が届く歳なのです。

夫の立場をよく知り賢い女房・お絹(扇雀)は、「長様」は「長右衛門」ではなく、隣の信濃屋の丁稚の「長吉」の「長」だといいます。笑いころげる儀兵衛。長吉(壱太郎)は、いつも洟を垂らして空気の少し抜けた風船のようにフワッ~としていてとらえどころがないのです。実はこの長吉がお半を好いていて、長右衛門とお半が結ばれる原因ともなったのです。

儀兵衛はそれなら長吉をここへ呼ぼうといい、ここから長吉と儀兵衛のかけあいで、染五郎さんと壱太郎さんのけったいなやりとりとなります。ところが、女房のお絹の扇雀さんの様子では、それとなく長吉を丸め込んでいたらしく、長吉は、お半さんとねんごろしたのは自分で、お半さんは自分の女房だと言い切ります。

なおせまる儀兵衛にくどいといって繁斎は、主人は長右衛門なのだからとおとせと儀兵衛を座敷ぼうきでせっかんします。悪態をつきつつおとせと儀兵衛の二人は退散です。いじめ役の染五郎さん、寿治郎さんに最後は痛い目にあわせられましたが、殺されるよりはましです。

いよいよ辛抱していた長右衛門とお絹夫婦のお互いの心の内を語る場面です。長右衛門はお伊勢参りの帰り石部の宿で、長吉につきまとわれたお半は、旅の途中で同宿になった長右衛門の蒲団に逃げ込んできて同じ蒲団にてと語ります。ことを荒立てたくないしっかりものの女房お絹は、夫の羽織の繕いをし、話しを聞いても夫が疲れているであろうとそこへ寝かせて奥へ引っ込みます。

信濃屋の暖簾をくぐり、ぽっくりの下駄の音も可愛らしくお半が顔をだし、さっと引っ込んでから、再び姿をを現します。お半の壱太郎さんの可愛いらしい出です。壱太郎さんの二役です。この出は上手く計算されている場面です。壱太郎さんはお半のあどけなさが残りつつ、長右衛門を恋しく想う様子を出します。それでいながら、この娘は一大決心をしていたのです。長右衛門の言葉に得心して帰りますが、長右衛門も胸騒ぎがします。

門口には置手紙と下駄があり、お半は一人で死ぬ覚悟です。お半は妊娠しており、そのことがさらに抜き差しならぬ方向へと向かわせるのです。長右衛門の藤十郎さん、手紙を読み、過ちでありながらも一人で死なせられぬお半への愛おしさを、抱える下駄に込めて後を追いつつ花道の引っ込みです。

この芝居は久しぶりにみました。長右衛門の辛抱役で年の差のある過ちとも、潜んでいた心の内ともとれない難しい役どころです。長右衛門は捨て子で、信濃屋に拾われ、五歳で帯屋に養子にきたのです。お半の小さい頃から長右衛門は、お半を可愛がっていたのでしょうし、長右衛門の立場など頓着なく愛らしい笑顔をお半は見せて慕っていたのでしょう。そんな世界に長右衛門はふっと引き寄せられたのかもしれません。しかし、四十の男のとる責任は死出の道しかなかったのです。

強欲さを笑いで、育ての親と子の情愛は背なかで、理想的な夫婦の完璧さの中で、あどけない美し過ぎる乙女が紛れ込んでしまいます。。和事での罪と罰ということでしょうか。その設定のしかたが恐れ入ったと思ってしまいます。

<石部宿>は、京都から東に向かうとき、最初に泊まる宿なのです。ですから、京都へ帰るときは最後の宿でもあるのです。

奴道成寺』。沈む複雑な心持ちの後に控えるのが、名曲にのせた、たのしい舞踊です。鐘の供養に来た白拍子花子が、烏帽子をとってみれば男であったという道成寺物です。花子に化けていたのは、近くに住んでいる狂言師左近(猿之助)。

例によって大勢の所化が登場しますが、そのなかにリトル所化が参加していまして、初舞台の大谷桂三さんの息子さんの龍生さんです。リトル所化なのにしっかり酒のさかなのタコを持参していました。先輩たちの所化(尾上右近、種之助、米吉、隼人、男寅 、弘太郎、猿四郎、笑野、右若、猿紫、蔦之助、喜猿、折乃助、吉太朗)の真ん中でとっても嬉しそうに踊っていました。笑顔いっぱいの小さな所化さんでした。

猿之助さんのおかめ、大尽、ひょとっこの三面を使っての踊り分けが見事で、首から肩にかけての女性、男性の身体の違いをはっきりとテンポよく変化させます。

花四天とのからみは、花四天のかたたちが、長唄に合わせてとんぼを切り倒れ、その音楽性に驚いてしまいました。きっちりあっていました。日頃の訓練のたまものでしょうか。立ち回りとは違う所作立ての動きでした。名曲にあった変化に富む舞踏に『娘道成寺』とは違う味わいを堪能させてもらいました。

 

 

歌舞伎座四月 『熊谷陣屋』『傾城反魂香』

熊谷陣屋』(「一谷嫩軍記」より)は、一谷の熊谷直実の陣屋での出来事です。須磨の浦での戦いの後であり、須磨の戦さとなれば、熊谷直実と敦盛ということになります。それが、歌舞伎になるとまたまたひねってあるわけです。このあたりは、史実を基本として、ひねってそこに現れる人間模様を役者がどう演じるかという観客の楽しみとするわけです。

熊谷の妻・相模の登場です。『伊勢音頭恋寝刃』での万野で『ワンピース』のルフィの猿之助さんをわざと思いえがきますが吹き飛ばされ、相模を見るとたちまルフィも万野も消えていなくなりました。化けるという不思議な現象です。今回はそんなところから、相模と敦盛の母・藤の方(高麗蔵)の母という立場にかなり目がいきました。そして、この二人の母を前にして、いかに熊谷直実の幸四郎さんが母二人を押さえるかが見どころです。その押さえを制札を使い、長袴を二重舞台から投げ出し見得をきる形の極めどころの迫力に、この型しかないでしょうと思いました。先人は上手くできあがらせました。

直実の幸四郎さんが、花道で右手に持っていた数珠を袖の中にいれます。陣屋で家来の軍次(松江)の後ろにひかえている妻を見て驚き怒ります。この怒りは、直実の中に出来上がっていた思案を脅かすことだったからで、さらに藤の方が出現して直実の気持ちは乱されたことでしょう。

敦盛を討った様子を扇を使いながら、語り聞かせますが、幸四郎さんはその扇を艶やかに使いこなされ、悲劇性を打ち消し艶やかさにして自分をだまし、女ふたりをだましているようでした。そして、本当は敦盛ではなく身代わりとして自分の子・小次郎を殺している事実を、自分の中でも敦盛に仕立て上げているように見えました。自分の気持ちを立て直すため、直実は架空の話しの中に入ったとおもいます。

直実が首実検の用意のため奥に入ります。残された相模と藤の方。藤の方は敦盛の青葉の笛を取り出し、相模は供養になるからと吹くことを勧めます。この場の子の死を悼む二人の母の様子から、さらにこの立場が逆転するという事態をいかに直実は押さえるのか。知っていながら凄いことであると改めて思ってみていました。

首実検です。敦盛は後白河法皇のご落胤です。満開の桜の前の制札には桜の一枝を切ったら一指を切れと書いてあります。直実は、それを敦盛を助けよと理解し、代わりに小次郎の首を差し出そうとするわけです。その首に、相模も藤の方も今までの現実とは反対の展開を見せつけられるわけです。藤の方を制札で押さえ、相模を平舞台下手に下がらせ、次に藤の方を上手平舞台へ。幸四郎さんの大きな制札の見得です。

義経の考えは直実の考えた通りでした。そこで、藤の方へ首をお見せしろと下手の相模にいいます。この位置関係、全ては制札から始まり、制札で二人の母を押さえることができたのです。

我が子の首を抱きくどきの相模の猿之助さん。小次郎が別れる時にっこりと笑った顔。おそらくその笑顔には、母の目には凛々しさよりも幼さの残る笑顔だったのだと思わせる母の想いがでていました。

幸四郎さんの直実、相模の猿之助さん、藤の方の高麗蔵さんで、敦盛と小次郎を囲んでの立体感を強く感じました。かつては義経の命を助けた宗清(弥陀六)の左團次さんと染五郎さんの品のある笑みの義経とのやり取りに、繰り返される戦さの儚くも虚しい風景が見えてきます。最後の直実の幸四郎さんは、役目を果たし、一瞬一人の父親にもどりながらも、仏の道に行き着く前の現実の荒涼とした世界をさまよう人のような引っ込みでした。

傾城反魂香』は、言葉の出始めがどもってしまうという言葉の障害がある絵師・又平の女房・おとくに強くひかれました。このおとくという女房はなかなかの女性なのです。きっちり障害者である夫・又平に寄り添っているのです。

又平夫婦は、今はわび住いの師匠・土佐将監(とさのしょうげん)光信夫婦(歌六、東蔵)を毎日見舞って苗字をいただきたいと頼みにきています。今日は、弟弟子の修理之助(錦之助)が絵から飛び出した虎を絵筆にて消したので苗字をもらい免許皆伝となりました。

はやる気持ちの又平。その夫の気持ちをよく知っているおとくは、いままでは女房である自分が師匠に直接頼んだことはなかったのですが、今日こそはと将監に、死んだ後の石塔に土佐又平と残させてくれと頼みます。光信は、絵の功がないのだから苗字は与えられないといい、おとくは夫に師匠は理にかなったことをいわれているといいます。

そこへ狩野雅楽之助(うたのすけ・又五郎)の早報せがあり、花道での又平の吉右衛門さんは一心張り番をします。師匠に言われたことを全身で守る又平の一途さがうかがえます。そしておとくの菊之助さんもしっかり役目を果たせるようにと夫をみつめます。

しかし、又平の役目はここまでで、おおきな役目は修理之助に渡ってしまいます。自分に障害があるからかと又平は師匠に楯突きます。それをおとくは気違いのようにとたしなめます。夫は妻にまであなどられたとおとくをぶちます。おとくは体を張って夫に意見する女性でもあります。

そして死ぬ覚悟の又平に、死ぬ前に手水鉢に自画像を描きその後で自害し、死して名前をもらいましょうというのです。そして、しみじみと十本の指がありながらと又平の嘆きを代弁します。

ここに生きていたそのままの自分を残しなさいと言っているのです。それは、絵ではわからない障害のある一人の人間の心の内も描くという事です。この絵が抜けるのは、そういう意味もあるのではないかと今回想えました。

結果的にこの芝居は願いがかないハッピーエンドとなるのです。絵が抜けてからは、観ている者もほっとします。又平の吉右衛門さんは子どものように体中で喜びをあらわします。将監の妻・北の方もやっと笑顔がみせれるといった喜び方です。将監も絵の功で苗字を与えられるので自分の絵に対する筋が通り安堵です。又平夫婦にとって倖せは今自分たちのものなのです。

菊之助さんのおとくに、改めてこの女性を見直させてもらいました。きちんと障害のある夫に寄り添い、いうべきことはいい、共に死ぬことを覚悟する女性です。近松門左衛門さんの理想の女性かもと思ったりしました。そしてハッピーエンドとはなんとも憎い計らいです。

 

歌舞伎座四月 『醍醐の花見』『伊勢音頭恋寝刃』

醍醐の花見』は、秀吉(鴈治郎)が催したとされる醍醐寺での華やかな花見を題材とした長唄による舞踏です。北の政所(扇雀)を先頭に、淀殿(壱太郎)、松の丸殿(笑也)、三條殿(尾上右近)、さらに前田利家の妻・まつ(笑三郎)が顔をそろえていて、女たちの争いも艶やか中に見え隠れしています。

北政所の盃を受けるのに淀殿と松の丸殿が争い、利家の妻・まつが年の功で一番に受け周りを押さえます。北政所の扇雀さんとまつの笑三郎さんに苦労を共にした貫禄があります。秀吉の鴈治郎さんは、好色家の秀吉の雰囲気をだします。

この権威の象徴の花見に秀次の亡霊(松也)が現れ、石田三成(右團次)と僧・義演(門之助)に伏せられますが、秀吉の花の散り際を予感するような最後の花見の様相をあらわしています。

醍醐寺では、4月の第二日曜日に「豊太閤花見行列」の行事が行われているようですので今年は9日(日)だったのでしょう。

伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』の今回の配役は初めて観る配役の役者さんが多いので、それなりの愉しみ方をすることにしました。

<追駈け>から始まりまして、観ていると音楽劇の様相を呈しています。阿波国蜂須賀家を乗っ取ろうとする蜂須賀大学側とその謀略にはまってしまった家老の息子・万次郎側との名刀青江下坂をめぐってのやりとりです。

大学側の桑原丈四郎(橘太郎)と杉山大蔵(橘三郎)が、大学から岩次宛の密書を持参していて、万次郎側の奴林平(隼人)がそれを奪うため追い駈けるのです。この三人の追いかけっこがお囃子に合わせて可笑しく楽しく演じられます。<地蔵前>、そして最後は、このお芝居の主人公でもある万次郎側の福岡貢に密書が手に入るという<二見ヶ浦>のコケコッコーの鶏の鳴き声とともに上がる日の出の場となるのです。この伊勢参りの定番の場面設定も歌舞伎の手慣れたところです。

喜劇的な部分もあり、全体を見つめる人というのがいないのです。主人公の貢も、大学側にはめられて、怒り心頭となり常軌を逸してしまいます。そのことが、連鎖反応で多くの人を斬ってしまう結果となります。

万次郎(秀太郎)は名刀青江下坂を探しつつも、古市の油屋お岸(米吉)を気に入ってしまい通いつめどうも頼りないのです。万次郎の後ろ盾の福岡貢(染五郎)は今は御師というお伊勢参りの人を世話する下級神官で、油屋にお紺(梅枝)という恋人がいますが、油屋の仲居万野(猿之助)は、貢は油屋にとって客ではないので、上客の大学側の人間についています。

この万野がお金のためならウソ八百の口からうまれたような女性で、貢に岡惚れのお鹿(萬次郎)に貢からとしてお金の無心の手紙を書きお鹿からお金を受け取っていながら、貢にお金は渡っているとして、お紺や客のいる前で責めたてるのです。この万野の意地悪さと激高しつつも押さえる貢との二人のやり取りが見もので、染五郎さんと猿之助さんコンビのしどころです。

原作者はようも話を複雑にしてくれるという内容で、名刀青江下坂は貢の手に入りました。ところがこの刀、自分の身から離したくないのに、万野が預けるのがしきたりと言い放ち、貢のかつて家来だった料理人の喜助(松也)が預かります。ところが、この名刀を大学側が鞘をすり替えてしまいます。喜助はそれに気がつきますが、鞘のとりかえられた本物の名刀を帰る貢にわたします。感情が高ぶっていますから、おかしいとも思わず貢は立ちかえりますが、刀が違うと戻ってくるのです。

それが本物だと告げるべき喜助は、本物の刀が無いと知った万野の言いつけで貢を追い駈けてすれ違いです。もどった貢は、ふたたび万野の悪態に負け、万野を刀で打ちますが、その時刀の鞘が割れて斬ってしまうのです。<油屋>

そこからは、刀に踊らされるように貢は次々と人を斬ってしまいます。ここからの様式美も見どころです。貢の白のかすりの着物が血で染まっています。<奥庭>

もう一つややこしいのが、この名刀には刀の鑑定書である折紙があってそれがなくては片手落ちですからその行方も捜しているのです。折紙はお紺が、貢に愛想尽かしをして大学側を信用させ、手にいれるのです。最終的には、この事実が、お紺と喜助から知らされめでたしということですが、この芝居で、冷静なのは、お紺と喜助ということになります。じっと聞いていて貢の腹立ちを押さえるお岸もその中に入るでしょう。

今回は歌は歌わないかわりに、形で決めて歌い上げる様式の音楽劇に想えてしまいました。伊勢音頭が加わってレビュウの形ともなり、歌舞伎の人というのは、積み重ねてこういう具合にまでもっていける幅ときまり事を連携にしてしまうのかと、いまさらながらその傾きかたを愉しんだ感があります。

今回は先輩達の芸の視点ではない、歌舞伎の多様な万華鏡をのぞいた視点としておきます。