すみだリバーウォークから横十間川岩井橋へ(2)

朱色が小名木川で「塩の道」の隅田川から旧中川までです。旧中川の空色の丸は「旧中川 川の駅」とあり、ここに江東区中川船番所史料館があり舟の関所の様子がわかります。小名木川と交差している黄色の横十間川。緑が北十間川で隅田川から旧中川までです。

ピンク丸が地下鉄の住吉駅で東京メトロ(営団地下鉄)と都営地下鉄がつながっています。住吉駅から猿江恩賜公園をはさむ新大橋通りを進んで本村橋を渡ります。

東岸はテラスが整備されていますが、西岸はこれからです。東日本大震災、オリンピックで中断となっていたのですが再開されたのだそうです。舟に乗ったときに聞きました。

後ろを振り返るとスカイツリーが何処へ行くのと言っています。

舟から多数の釣り人を見かけましたがきちんと約束事があるのです。黄色は釣り可能、赤は釣り禁止。今日は釣り人はいません。舟のときは休日だったからですね。

大島橋は太陽が反射して写真は写りが悪いので、次の四つの方向に渡れる小名木川クローバー橋。ここで横十間川小名木川が交差しています。

切絵図には三つの橋が架かっています。

朱丸は小名木川に架かる新高橋で矢印の方向に隅田川があります。黄色丸が猿江橋。緑丸が扇橋。空色丸は舟台所と読めますが、船番所です。「小名木川を航行する船を改めた番所。小名木川は、家康が行徳の塩を運ぶために造った川だが、時代が下ると生活物資などを運ぶために利用され、番所が設置されるようになった。」と説明にあります。

小名木川中川が合流するところにも船番所ありましたが、そちらの方が長く役目をしていたようです。

クローバー橋から東を見ての小名木川です。奥の三角三つの橋は小岩駅と越中島貨物駅を結ぶ貨物車専用線の橋梁です。

ではさらに進みます。

すみだリバーウォークから横十間川岩井橋へ(1)

浅草から隅田川吾妻橋を渡り、東京スカイツリーへ行ってすみだリバーウォークを知りました。一つ年内に済ませておきたいことがありました。

東海道四谷怪談』のお岩さんの戸板が流されて着いた「戸板返しの場」の場所が横十間川岩井橋あたりとのことで一度は訪ねようとおもっていました。十八代目勘三郎さんも訪ねていて芝居の場所とは思えない場所に変化していたと書かれています。

小名木川をお岩さんがそのまま流されていれば中川に流れてしまうので途中小名木川の横十間川と交差するところで横十間川に入っていったわけです。

南北さんが芝居の位置関係を調べ、当時の江戸の人々にも想像のゆく設定にしていくのを楽しんで書かれていたのでしょう。あの黒船稲荷神社の位置で考えておられたわけですが、この辺りまで歩かれたようにも思います。

NHK・Eテレ『にっぽんの芸能』で『菊宴月白波』にも「小名木川隠家の場」というのがでてきまして、さすが南北さん黒船のご隠居様ですねとおもいました。

さて浅草の隅田川沿いに東武スカイツリーラインの鉄橋をめざし、すみだリバーウォークへの階段を上ります。

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スカイツリー目指して進みます。

隅田川。左手には言問橋。右手は先日渡った吾妻橋です。吾妻橋の後方に見えるアーチが駒形橋です。

終わり際に、右手前方に水門が。源森川水門。水害が起こらないためにも水門は重要です。隅田川から北十間川に入る場所です。源森川水門ということは源森川があったということでしょうか。水門の前方に枕橋がみえました。

すみだリバーウォークが終了した前の道路が墨堤通り。「鬼平情景」の案内板。<枕橋 さなだや>。

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枕橋というのは江戸時代は源森川に渡る源森橋(源兵衛橋)でした。鬼平の中にはその北詰にある蕎麦屋「さなだや」が一緒に数多くでてきます。「蛇の眼」では、平蔵は「さなだや」であった男をつけると大盗・蛇の平十郎で源兵衛橋に潜り込み逃げられます。鬼平番外編『にっぽん怪盗伝』(「正月四日の客」)では「さなだや」の亭主と客のやりとりが好いとあります。

墨堤通りを渡ると前に隅田公園。右手の東武スカイツリーラインの高架線下にミズマチのショップが始まっています。

テラスの横に北十間川があり、これがのびて旧中川にぶつかります。枕橋からみたスカイツリーと北十間川。枕橋については次の源森橋のところで説明します。

源森橋とその由来の碑。

さてここで旧源森橋(枕橋)と現源森橋について説明します。黄色丸が源森川水門。朱丸が枕橋(元源森橋)。青丸が隅田公園(元水戸下屋敷)。現在地が源森橋。ピンク丸が小梅橋。

切絵図で考えますと、源森橋(朱丸)は水戸家下屋敷に引き込まれていた水路に架かる新小梅橋(朱丸)とが夫婦が枕を並べているようすに見えることから枕橋と呼ぶようになり、明治になり正式に枕橋となりました。水戸家下屋敷の水路は埋め立てられ橋もなくなりました。そこで東にある橋を源森橋としたのだそうです。水色丸の橋と思います。

ここを流れる川が源森川だったと思うのです。青丸は業平橋で下が大横川。

茶丸は埋め立て地で源森川をさえぎり、大横川に流れをかえたという話があります。今は北十間川がさえぎるものもなくのびています。今の小梅橋はあたらしくこの近くに小梅村があったので命名したのではと想像しています。全て勝手な思い込みですのであしからず。

ただ時代劇小説で源森橋が出てきたとき現在の源森橋とは思わないようにご用心。

ミズマチの高架線下には途中に宿泊施設もありカフェは一般客も使えるようです。

小梅橋。

ここまでくるとミズマチも終わりです。味気ない道を通りスカイツリーへと進みソラマチ広場へ。ここから営団地下鉄半蔵門線の押上駅から住吉駅へいきます。スカイツリーから岩井橋までは距離的に歩きが無理なので、横十間川沿いから岩井橋までは途中を地下鉄にしました。

黄色丸がスカイツリーで朱色が岩井橋です。北十間川の途中から直角に横十間川がのびています。

隅田川の吾妻橋から東京スカイツリーへ

すでに終わってしまったのですが、「すみだリバーサイドホールギャラリー」で『2021年度第41回 伝統文化ポーラ賞受賞者記念展』があるということで浅草から吾妻橋を渡って訪ねました。

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吾妻橋を渡ったところに「鬼平情景」の案内板が吾妻橋と鬼平のつながりの解説をしていました。

吾妻橋(大川橋)は江戸時代、隅田川に両国橋、新大橋、永代橋に次いで四番目に架けられた橋です。長谷川平蔵が29歳のときで、町人が幕府に願い出て架かったのです。正式名は大川橋で、吾妻神社の参道でもあるのでまたまた願いが出され吾妻橋となったのは明治になってからです。鬼平犯科帳でもたびたび登場し、その中でも人気なのは「大川の隠居」とかかれています。

伝統文化ポーラ賞を受賞された個人と地域です。

優秀賞 武腰 潤 色絵磁器の伝承・制作 (石川県) 杵屋 勝彦 長唄の伝承・振興 (東京)

奨励賞 四代 田辺 竹雲斎 竹工芸の伝承・制作 (大阪) 新内 多賀太夫 新内節の伝承・振興 (東京)

地域賞 浦川 太八 アイヌ木工芸の伝承・制作 (北海道) 秋保の田植踊保存会 田植踊の保存・伝承 (宮城) 瀬戸本業窯 瀬戸焼の制作・伝承 (愛知) 犬飼農村舞台保存会 襖からくりと地芝居の保存・伝承 (徳島)

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詳しくは下記で。

本年度の受賞者 | 伝統文化ポーラ賞 | 顕彰と助成 | 公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団 (polaculture.or.jp)

フライヤーの表の写真となっている「秋保の田植踊」は下記で動画もどうぞ。

秋保教育文化振興会 (akiuzaidan.com)

​「襖からくり」は、過去にサントリー地域文化賞も受賞しています。こちらも言葉よりも映像がわかりやすいと思います。

サントリー地域文化賞 徳島県 徳島市『犬飼農村舞台保存会』 2分 サントリーチャンネル サントリーCM・動画ポータルサイト (suntory.co.jp)

日本の伝統文化はまだまだ知られていないものがたくさんありますし、進化もしています。

さてそこから戻るのも面白みがないとスカイツリーめざして歩くことにしました。スカイツリーはあまり興味がなかったのです。下はお店がたくさんあって疲れるだけの印象でした。

「塩の道」でスカイツリーそばから出ている舟に乗ったりしているうちに、江戸時代に開削された堀川が残っていて、スカイツリーができてその周辺が整備され、人々が釣りをしたりウォーキングをしたりしている様子から、ムサシ君(スカイツリー)が好きになりました。勝手に<ムサシ君>と呼びたくなっただけで深い意味はありません。自分の中ではムサシ君と呼んでいます。

浅草通りにでないで脇の細い道をいきましたが、面白いものも見つけられませんでしたので浅草通りへ出ましたら「なりひらばし」にぶつかりました。

東武橋の上からすみだ水族館スカイツリーを撮り、下は北十間川です。

下の図の赤丸がおしなり橋でしてそこの下が舟の発着所になっています。ここから二つのコースの舟に乗りまして一応「小名木川」は隅田川と中川の間を舟で移動することができました。その話は「塩の道」のときにします。

案内看板に東京ミズマチとありましたので、隅田川に戻る感じで向きを変えました。東武スカイツリーラインの高架線の下にショップができていました。秋葉原の高架線下と同じような雰囲気でしたのでなるほどとまたスカイツリーを目指してもどりましたが、このまま進めばすみだリバーウォークにつながり隅田川を渡って浅草にもどれたのです。残念でした。次の機会にします。

追記: 伝統文化ポーラ賞受賞者記念展で展示されていた一部の作品を紹介します。ピントが合ってなくてすみません。

武腰潤さんの 色絵磁器

四代 田辺竹雲斎さんの 竹工芸  

瀬戸本業窯 瀬戸焼

東京国立博物館「浅草寺のみほとけ」

浅草寺の仏像で公開の機会が少ない13件17体を観るためにトーハクへ。12月19日までなので間に合いました。本館14室です。人が少なかったので本館入ってすぐの正面の階段が撮れました。テレビドラマ『半沢直樹』や多くの映像で活躍している場所です。

仏像の写真は撮っても黒くなってしまい残念と思っていましたら、受付で解説書があるということでいただきました。これに12像が載っていましてお顔もはっきりしていまして嬉しく、じっとながめています。

比叡山中興の祖・慈恵大師(良源)座像。険しいお顔です。右隣は、角大師座像です。疫病の神を退けた際に自身も鬼の姿に変化されたといわれていて、その姿を角大師(つのだいし)と呼ばれ、護符などの魔除けとして信仰を集めたのです。

10室ー1では、「浮世絵と衣装 江戸(衣装)」。

火事装束(かじしょうぞく) 猩々緋羅紗地波鯉千鳥模様(しょうじょうらしゃじなみこいちどりもよう)。(『江戸の華』とよばれるほど火事が多かった江戸。江戸屋敷に在住する大名家では、男女を問わず、鍛冶に備えて火事装束を調えました。舶来品の鮮やかな毛織物に刺繍で模様を施し、火事場とは思えない華やかさです。防火ににちなみ、波や龍など、水にかかわる模様が好まれました。)それにしても派手ですね。

赤穂浪士が火事装束を用意しても、討ち入りのために用意したとはさぐられなくて済んだのかもしれません。火事のために多めに用意しているのだろうぐらいに思われたのかも。

10室ー2では、「浮世絵と衣装 江戸(浮世絵)」。

「仮名手本忠臣蔵」の浮世絵で葛飾北斎さんをはじめ有名な絵師の初段から十一段まで一枚づつ二通りの浮世絵が展示されていました。葛飾北斎さんの初段には富士山がきちんと描かれていました。五段目はもちろん工夫した斧定九郎が描かれています。中村仲蔵さんもまさか後々まで残るとはおもっていなかったでしょうね。「仮名手本忠臣蔵」の浮世絵は12月25日までです。

12月歌舞伎座『新版 伊達の十役』(5)

1986年の『伊達の十役』の映像から八汐の上方の型を紹介しておきます。

八汐が千松ののど元に懐刀を刺します。そしてえぐります。さらに懐から鏡を出して懐刀の頭をたたくのです。驚きました。そこに解説が入り、めずらしい上方の型だといわれました。初めて見ました。八汐は三代目實川延若さんです。

懐刀の持ち手の先で、そこを右手で持った懐鏡で打つのです。もちろん千松は苦しがります。そして、八汐はその鏡を開いて、左後ろの政岡をのぞき見るのです。

見られているのがわかった政岡は解いていた懐刀の紐を締め直すのです。ここが一つの見どころでもありますが、この型のほうが政岡が紐を巻くきっかけがつかみやすいようにも思えました。紐を巻いて懐刀をぐっと収めることによってさらに感情の起伏をおさえるのです。そのきっかけをどのあたりに持ってくるかがしどころの計算のいるところです。

政岡の感情の流れの母として若君に仕える者としての葛藤の比重は、役者さんによって違うと思いますが、くどきとのバランスからがありますので今回の当代猿之助さんは良かったと思います。

子役さんのセリフが一本調子でおかしく感じた方もいるでしょうが、これが古典歌舞伎の子役さんのセリフの言い方なのです。最初はこれはなにと思いますが、慣れてくるとこのほうが可憐におもえてくるのですから不思議です。

この奥殿の場で様式美的で好きなのが、八汐が千松を手にかけたとき局の沖の井と松島が、懐刀に手をかけ抗議して打掛を翻して横向きになるところです。くるっとそろって向きを変えます。きましたとおもいます。

この『伊達の十役』は『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』を基にしてます。『新版 伊達の十役』もそこを大切にしました。奥殿(御殿)の場では有名な「飯炊き(ままたき)」があります。政岡は警戒を自分でご飯を炊いて若君に差し上げるのです。茶道具を使って炊きます。これがまた政岡の見せどころなわけです。今回はありませんし、やったりやらなかったりです。

2019年8月納涼歌舞伎で、『伽羅先代萩』がかかり七之助さんが初役で政岡で「飯炊き」もされました。七之助さんの政岡は芯の強さが透けて見えるような感じでこれまたよかったです。勘太郎(千松)さんと長三郎(鶴千代)さんも長いのによく頑張っていました。仁木弾正と八汐が幸四郎さんで、巳之助さんが荒獅子男之助した。あの頃はまさか喜多さんの政岡と二木弾正らを観ることになるなど予想だにしていませんでした。

これからも予想のつかない若手の活躍が一層必要とされています。皆さん覚悟はかなりありそうです。

DVDの竹本は葵太夫さんで、いかに伝統芸能というものの芸の山道が長いかが思い致されます。

12月歌舞伎座『新版 伊達の十役』(4)

早変わりは高尾太夫の霊が現れる所から忙しくなります。高尾太夫の霊は妹の(かさね)にのりうつり与右衛門に殺されます。はやわざにどうなっているのとおもわれることでしょう。当然影武者がいるのですが、その役者さんも動きが綺麗で、猿之助さんだと思って鑑賞してもいいくらいでした。

とくれば『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)~かさね』の幸四郎さんとの累を思い出しどうするのか期待するところですが、『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)~かさね』と『伊達の十役』の累とはもとの設定が違うのでさらりとかわされました。さすが思い切りが良いです。

いよいよ渡辺外記左衛門と民部之助親子が仁木弾正の悪事を問注所で裁いてもらい勝訴します。負けた仁木弾正は外記左衛門を待ち伏せして切りつけるという場面があるところですが、今回はそこはなく、民部之介が仁木弾正を見事に討つのです。

民部之介は門之助さんで、巨大なネズミと対峙します。いくら若い民部之介の門之助さんでも巨大ネズミには勝てません。ではどうして勝てたのかといいますと、与右衛門の生血は仁木弾正の術を破る条件がそろっていて、与右衛門は自刃し、その刀をネズミに投げつけます。巨大ネズミから仁木弾正が現れ、民部之介が討つのです。

これで八汐、仁木弾正は討たれました。では栄御前はといいますと足利家の乗っ取りはできなくなります。

細川勝元が現れ、鶴千代に家督相続の許しがでた書状が外記左衛門の寿猿さんに渡されるのです。これで、めでたし、めでたしです。

1986年の『伊達の十役』と十役が一つ違っています。それは、赤松満祐がなくて三浦屋女房が入っているのです。

赤松満祐は仁木弾正の父で、赤松家に伝わる旧鼠の術を弾正に授けるのです。その場面はないので、三浦屋女房にしたのでしょう。

三浦屋女房は、高尾太夫をかかえている廓・三浦屋の女房なわけです。そこへ、頼兼がやってきます。頼兼の履物が、高価な香木の伽羅(きゃら)でできているのです。三浦屋女房はその履物をお盆にのせて大事にあつかうのです。その場もありませんし、頼兼が姿をあらわしてもそのまま連れ去られますし、伽羅の下駄はどこじゃです。

しっかり三浦屋女房が盆にのせてでてきました。伽羅の下駄を猿之助さんが自分でもってこられたのですから、こうくるのかと参りましたような次第です。

無い無い尽くしでありながら充分に満足させてくれた『新版 伊達の十役』です。

もう少し『伊達の十役』のほうに触れますと、赤松満祐は野ざらしのロクロとなっているのですがその眼には鎌が刺さっているのです。この鎌が重要な役割を果たし累も鎌で殺されるのです。この赤松満祐がでてこないのですから鎌もなしとなります。しかしきちんと話は出来上がっています。

それから京潟姫が登場します。鶴千代の母は亡くなっていて、そのため乳母の政岡が鶴千代を守っているのです。京潟姫は頼兼の新たな許嫁なのです。演じているのが先代の門之助さんです。息子さんが局でお父さんがお姫様です。歌舞伎の面白いところです。親子で恋人になったりもしますし、考えてみれば不思議な世界です。女形の芸があるからでしょう。

時代の流れの中で培われてきたわけで、『新版 伊達の十役』が出来上がったのも時代の流れの一つの産物です。

それにしても、今回、何かまだ仕掛けがみえないところで仕組まれているような気がします。考えすぎでしょうか。第六感でしょうか。

12月歌舞伎座『新版 伊達の十役』(3)

栄御前の夫は管領で将軍の次の位なのです。その人が下されたお菓子を千松は食べてお菓子箱を蹴散らすのですから、許される行為ではありません。毒を仕掛けておいてそれが発覚する前に千松ののどを八汐は刺すのですが、千松の無礼な態度として八汐の行為はゆるされてしまいます。

政岡は千松の様子を見れば毒が入っていたのはわかります。とにかく若君の命は助かったのですから下手な抵抗はせずにじっと耐える政岡の猿之助さん。難癖をつける機会を狙うように、千松ののどを懐刀でえぐる八汐の巳之助さん。じっと見つめている栄御前。

弱々し気に声を上げる千松の右近(市川)さん。誰も手出しができません。ついに千松は息絶えます。母と子の忠義は完結します。忠義にはいつも犠牲が伴います。

千松と二人になったとき、政岡の嘆きのくどきがはじまります。竹本は葵太夫さんで、三味線は鶴澤宏太郎さん。猿之助さんのくどきは三味線にのっていました。現代の演劇からすると大げさでおかしいと思うかもしれませんが、これが義太夫狂言の見せ場で、この独特のリズムに乗せた演技で観客の心をゆさぶるしかけなのです。

鶴千代の松本幸一郎さんも、千松の右近さんも行儀よく務められました。顔のつくりもよかったです。右近さんはじっとしているのは大変でしょうが、竹本と猿之助さんのセリフを毎日耳にすることでどこかに蓄積され、いつか何かにつながるかもしれません。

さて後半は「間書東路不器用(ちょっとがきあずまのふつつか)」となり清元となります。

よく考えたと思います。お家騒動の原因でもある、足利頼兼が寵愛した高尾太夫は亡くなっているのです。それをおしえてくれるのが大阪から来た尼僧の猿弥さんと弘太郎さんです。大磯で高尾の墓参りをしようとしているのです。そこに飛ぶのかと笑ってしまいました。このお二人は、尼僧の弥次さんと喜多さんです。

猿弥さんは『図夢歌舞伎 忠臣蔵』で口上をしているのですが、息の長いのに気が付きました。どこで息継ぎしているのかわからないところがあります。なめらかな弁舌はそれも関係しているのでしょうか。

弘太郎さんは珍しい女形ですが、もう少し世間一般の女形を次に期待します。

頼兼は花道で駕籠から姿を現しますが時間がありませんので駕籠から出ないで弾正一味に連れ去られます。ではあの伽羅の履物はとなります。それを三浦屋女房が届けようとしていたときネズミの若武者の玉太郎さんが現れるのです。それが平塚花水橋です。またまたでました。

そうそう頼兼が姿を見せた場所は鴫立沢で西行さんが「心なき身にもあはれはしられけりしぎたつ沢の秋の夕暮」と詠んだ場所です。

江の島の弁財天前での道哲の猿之助さんの踊りには魅了されます。尼僧の妙珍と妙林は道哲に弁当を盗まれたのですが、同じ僧だからと許します。まったくのんきなおふたりですが、このややこしい人間関係の中に出てきて気分転換をしてくれるのですから不思議な力の持ち主さんたちです。

ところが祈りのほうは手を抜いたのか、高尾太夫のお墓にお参りしてくれたようですが、高尾太夫は成仏できずに亡霊となってあらわれるのです。

12月歌舞伎座『新版 伊達の十役』(2)

とにかくチームワークがいいです。安心して観ていられました。

普通であれば幕開きは腰元たちがいて状況を説明しつつ会話をするということでしょうが、短縮ですので局・沖の井の笑也さんと局・松島の笑三郎さんが座られていて、一気に事の重大さを感じさせ二人の心構えもみせてくれます。

そうした中での猿之助さんの政岡の登場。きりっとしています。

1986年には右團次(右近)さんと笑也さんはともに高尾付きの新造でした。小米時代の門之助さんが沖の井で先代の門之助さんと共演されているという珍しい舞台映像です。松島が錦之助さんで信二郎時代です。見間違いでなければ笑三郎さんが腰元で出られています。

腰元ですが、栄御前がお見舞いに来たことを告げるのが腰元・澄の江の玉太郎さん。政岡に皆に知らせるようにと言われ舞台を横切りますが、いい姿と動きです。お姫様役では解らなかった女形のうごきです。

米吉さん、新悟さん、玉太郎さんのリレーインスタライブで、米吉さん、新悟さんは澄の江を経験済みで奥殿は特殊な状況なのですごく緊張したと言われていました。新悟さんが腰元の立場で演じるようにと教えられたそうで、そのことが頭にありました。

腰元は本来、状況にすぐ対応できる立場にいるわけです。そのリアルさ、心構え、敏捷さなど、その場その場で臨機応変に美しく表現できる身体能力が必要とするわけです。だからといってわさわさしていては美しくありません。注目してしまいました。

長刀を持った時の緊張感とその形など。笑野さんの長刀の構えが美しかったです。友人は栄御前についてお菓子をもってきた腰元がよかったといっていました。どなたでしょうか。

玉太郎さんはネズミもやっております。ネズミが化けた若衆姿で三浦屋の女房の猿之助さんと踊ります。猿之助さんと対でこんなに軽やかに踊れることに驚きました。三浦屋女房のゆとりにどちらが遊ばれているのかわからない雰囲気で観ているほうを愉しませてくれました。ネズミさんの着物の文字にもご注目。

着ぐるみのネズミさんの動きも抜群でした。いつもは荒獅子男之助がネズミを踏み押さえているのですが、今回は松ヶ枝節之助でした。初めて聞く役なんです。男之助よりも若々しくきらびやかで猿之助さんにあっていました。文楽では松ヶ枝節之助のようです。

吉右衛門さんが本(『物語リ』)のなかでとんぼのことを書かれていて、30歳すぎまでよくとんぼをやっていたそうです。着ぐるみをかぶってネズミになったことも書かれています。おじさんである十七代目勘三郎さんの舞踏『鳥羽絵(とばえ)』にネズミで出たとき、頭までかぶると頭が重く高くなり、とんぼを切るのが難しいので、顔は出してお化粧をして出たそうです。

今回のネズミさんはそんな難しさを感じさせない動きで、猿之助さんの出番までの楽しい時間を作ってくれました。このネズミの動きで、巨大ネズミとなるのが納得いきます。それぐらいのことはやりそうです。

このネズミさんはどなただったのでしょうか。先月の間者さんかな。先月のとんぼをきる瞬間見逃しているのです。歌昇さんと尾上右近さんの演技に気をとられていて、猿之助さんが当身か何かをしてやっつけるのであろうと思いましたが、立ち上がって消える姿をチラッとみましたがとんぼはみれませんでした。女形でのとんぼです。見逃して残念。

さて栄御前は中車さんです。出に貫禄があります。希望を言えば舞台に上がって客席に向って立つときもう半呼吸じっと立っていただきたかった。歌舞伎の衣装は格を出してくれる役目もしてくれます。裾が富士山のように美しく開いていてその白が立つ人の大きさをあらわしてもくれるのです。そういうものまでも利用することによってより効果を生みます。

お菓子を拒む政岡との対決は面白かったです。栄御前は自分の権力を知っている底意地の悪い典型です。

一方巳之助さんの八汐の憎々しさは、もろに表面にだせる役どころです。仁木弾正の妹だけあります。忠義な千松の市川右近さんがかわいそうでした。それがお芝居のねらいですが。

追記: 玉太郎さんのインスタで、ネズミの着ぐるみの役者さんが判明。尾上まつ虫さんでした。名コンビ!! 名変身かな。

 

12月歌舞伎座『新版 伊達の十役』(1)

イノシシに追い出されたらネズミの妖術につかまりました。

1986年に歌舞伎座にて収録されたDVD『伊達の十役』(歌舞伎名作撰)を観直して予習しておいたのですが、DVDでは3時間のものを今回は1時間50分という短縮で、まさしく『新版 伊達の十役』です。

ということでDVDのほうは人間関係だけを頭に入れておいて、新たに楽しむことにしました。実際に楽しめました。

伊達騒動を題材にしていて鶴屋南北さんが原作ですが、ほとんど台本が残っておらず、猿翁さんが猿之助時代に創作したものです。外題は『慙紅葉汗顔見勢(はじもみじあせのかおみせ)』で通称『伊達の十役』といいます。十役早替わりで勤めるからでしょう。

先月は若手歌舞伎役者さんたちの顔見勢でしたが、今月は猿之助さんが紅葉のように顔を真っ赤にしてお見せしますということなのですが、表面上は涼しいお顔で早替りされていました。

時間短縮のため、前半は芝居じっくり、後半は『獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』での早替り舞踏を取り入れたのだそうで、この時期ならではの構成の組み立ての発想には今月も感心しました。

この条件ではできないとあきらめないで、ではこうしましょうと切り替えの早いのは当代の猿之助術です。

前半で乳母・政岡、仁木弾正、松ヶ枝節之助の三役で、後半の舞踊は絹川与右衛門、足利頼兼、三浦屋女房、土手の道哲、高尾太夫の霊、腰元・累、仁木弾正、細川勝元で仁木弾正が重なっていますから全部で十役です。全て優劣なくこなされていました。

段取りが整い、これから気持ちの上での起伏が出てきてさらなる変化がでてきそうです。

足利家の奥殿では若君・鶴千代がお家乗っ取りのために暗殺される危険があり乳母・政岡と政岡の子・千松が若君を守っています。沖の井と松島の差し上げる食事にも手を付けさせません。

仁木弾正一味の魔の手はのび、毒入りのお菓子が栄御前からもたらされます。それを千松は毒味のために食べて若君の命を守るのです。ところが毒が入っていたのがバレては困ると、弾正の妹・八汐が千松をなぶり殺しにします。

それを見ていた栄御前は、実の子がこんな目に合えば動揺するであろうはずなのに、政岡が冷静さを保っているので、鶴千代と千松を取り替えていたのだと錯覚し、政岡を仲間と認め連判状を渡します。悪人一味があきらかになったわけです。

皆が引き揚げた後、政岡は千松の遺体によくやったと褒めながら押さえていた母としての悲嘆をようやくあらわします。

それを知った八汐が政岡に切りかかりますが、政岡は八汐を討ち千松の恨みをはらします。しかし連判状はネズミに持ち去られてしまいます。

このネズミを取り押さえたのが、松ヶ枝節之助です。ネズミは節之助から逃れます。弾正はネズミの妖術を会得していたのです。ネズミから姿を変え花道のすっぽんから仁木弾正が現れゆうゆうと去っていきます。いつもであれば宙乗りの場面です。

ここから後半の弾正の悪だくみをどうやってやっつけるかが踊りを交えて展開されていくのです。それも大磯から鎌倉までという移動のなかで行われます。その案内役が尼の妙珍と妙林ですが途中で大山にいってしまうといういい加減さです。

というわけで二人にならってここからは話の筋はやめて役者さんの役柄の感想などに切り替えたいとおもいますが、上手くまとまりますかどうか心もとないです。

歌舞伎『花競忠臣顔見勢』から『土屋主悦』(1986年)(5)

土屋主悦』での坂田藤十郎さんの姿が頭に残っていて、東京では観ていないのになぜだろうと気になっていました。映像であろうかと探しましたら録画がありました。NHKBSで放送された「忠臣蔵300年」という番組でした。1986年12月南座で上演されたものです。

土屋主悦が藤十郎(当時・扇雀)さん、お園が秀太郎さん、其角が九世三津五郎(当時・蓑助)さん、大高源吾が吉右衛門さんという豪華メンバーでした。おそらく放送を観たときは、それほど惹きつけられなかったと思われます。今観なおしますと面白いですしさすが上手いです。藤十郎さんの濃密な演技には驚きました。

第一場「向島其角の邸」と第二場「土屋主悦邸」があります。

今回の『花競忠臣顔見勢』では、第二場である「槌谷邸」から始まり、途中に討ち入りの場面を挿入し、再び「槌谷邸」に戻すという構成にしていました。

土屋主悦』では、第一場で大高源吾が別れのために其角を訪ねます。そして明日西国のさる大名に仕えるため旅立ちますと伝えます。そこに落合其月(勘五郎)が来合せ、赤穂浪士たるものが二君に仕えるとは何たることかと大高源吾を足蹴にします。

大高源吾は「武士の真意は上からは見えない」といいます。

其角が大高源吾に差しだした句「年の瀬や水の流れも人の身も」はいさめの句だったのですが、源吾がつけた句は「明日待たるるその宝船」でした。その下の句に新しく仕えることを宝船としたのだと其角はがっかりし、其月はさらに怒ります。

大高源吾は言うに言われぬ苦しみを押さえ去っていきます。

第二場の前にそういう場面があるわけです。

花競忠臣顔見勢』ではその場面は観客が其角の立腹ぶりから想像して槌谷主悦の出方をみつめるわけです。時間の関係もあり、隼人さんは若さの鋭利さで大高源吾の歌の意味を其角とは違う解釈をして眠ったふりをします。

ここらあたりも藤十郎さんは大きな細やかさがあります。その辺の違いも面白いです。

次の大高源吾が現れる場面での主悦との対面では、『土屋主悦』では討ち入りの様子は観客は観ていませんから、源吾は観客に背中を向け主悦との対面に真正面から見つめ合うという時間を一呼吸ながくとり、そのことにより討ち入りに対する濃密な想いをぶっつけあいました。先輩たちも熱いです。

物語の展開を早くして、観客の気持ちを引っ張ていく形と、濃密にたっぷりとみせて引っ張ていく形をそれぞれが観ることができ、さらに物語の見せ方の違いが比較できました。どちらもそれぞれに味わいがあり、楽しみ方も違ってきます。

土屋主悦』の映像のほうは、澤村藤十郎さんと山川静夫さんが解説されていて、『土屋主悦』は関西で『松浦の太鼓』は東京といわれていました。『花競忠臣顔見勢』では上演回数の少ない『土屋主悦』を入れてくれてよかったです。

さらに映像では忠臣蔵ゆかりの場所も紹介されていました。

赤穂浪士は最後の打ち合わせが深川の富岡八幡宮前の茶店ということで、あとは吉良邸での茶会の確かな日取りをまっていたとありました。その重要な日取りを入手したのが大高源吾だと言われています。

深川で浪士たちが情報を交換したとすれば身を隔すのには好い場所だったとおもいます。小名木川は日本橋と行徳を結ぶ「塩の道」で、さらに物資を流通する重要な川で、それにたずさわる人もたくさんいたとおもいます。観光の旅の人もいたでしょうし、見知らぬ人がいてもあまり怪しまれなかったでしょう。吉良邸にも近いですし。

行徳散策から『塩の道』に興味がありまして少したどりましたので、やはり赤穂浪士が赤穂義士になる場所として深川はその条件を満たす重要な立地場所であったようにおもえます。

討ち入りあとに詠んだといわれる大高源吾の句碑(両国橋児童遊園内) ひのおんや たちまちくだく あつごおり 

赤穂義士が泉岳寺へ向かうとき渡った永代橋

泉岳寺で浅野内匠頭のお墓に最初にご焼香したのは間十次郎で、吉良上野介をみつけ最初に槍で刺した功労者だったからだそうです。

隅田川の橋もオリンピック前は覆いがかけられお化粧直しをしていましたが、やっと10月からライトアップして、ナイトクルーズなどで楽しませてくれているようです。おもてなしもいいですが、まずは日本人が日本を楽しまなくてはです。

花競忠臣顔見勢』は忠臣蔵に対する思考回路をさらに広げてくれました。そして<若手歌舞伎役者リレーインスタライブ>では頼もしいくらい勉強されていているようすがわかり沢山の刺激をいただきました。次のステップがたのしみです。

追記: 吉右衛門さんは、歌舞伎であっても人物の心理を描かれるのがやはり上手いと感嘆して映像を観させてもらったばかりでした。残念です。(合掌)

追記2: 12月10日(金)午後9:00~のNHK・Eテレ『にっぽんの芸能』で『松浦の太鼓』(吉右衛門)、『菊宴月白浪』(猿翁)、『盟三五大切』(仁左衛門)のダイジェスト版での映像が放送されるようです。『松浦の太鼓』は『土屋主悦』と比較したり、大先輩たちの芸の大きさと妙味を感じとっていただきたいです。

にっぽんの芸能 – NHK

追記3: 前編は終わってしまったのですが、ドラマ「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」後編を是非ご覧ください。『仮名手本忠臣蔵』五段目に出てくる斧定九郎役を今までとがらっと変えて演じて評判をとった実在の江戸時代の歌舞伎役者・中村仲蔵の物語です。いつか五段目を観たなら、あのことかと面白さが増すと思います。

NHKBSプレミアム・BS4k 12月11日(土) 午後9時から 

追記4: 『仮名手本忠臣蔵』5段目を先に知りたいというかたは、『図夢歌舞伎 忠臣蔵 第三回』(五段目、六段目)でどうぞ。五段目の斧定九郎の出がいかに短いかがわかります。ただ思いもかけぬ斧定九郎との出会いが勘平の人生を狂わせるのです。