笑いの深呼吸

歌舞伎座の五月歌舞伎は一通り観たのであるが、歌舞伎と<リアル>とはどこまで融合できるのであろうかとふっと考えてしまい、そこから動けなくなり歌舞伎のことが全然かけなくなってしまった。

平成16年歌舞伎座の勘三郎(勘九郎時代)さんと三津五郎さんの「棒しばり」のDVDを見る。勘三郎さんを見ると涙するのではと思ったが、声を出して笑った。そこだけが現実とは違う世界であった。勘三郎さんと三津五郎さんのライバル意識は観る側のエッセンスの一部でもあったが、それは無く、太郎冠者と次郎冠者の縛られた形でいかにしてお酒を飲もうかというその事だけである。二人はその事しか頭にない。その為に身体を一心に動かすのである。

小林秀雄さんが正宗白鳥さんとの交遊の一場面を講演で紹介している。正宗宅を訪れ、奥さんがワインを用意してくれ今まさに注がれるという時に何か用事で奥さんがその場を離れてしまった。奥さんはなかなか戻ってこない。自分はお酒が好きだから今か今かと待っている。ところが奥さんは現れない。正宗さんが一言「君、飲みたまえ」とか何とか言ってくれればいいのであるが一言もいわない。酒を飲まない人は酒飲みの気持ちが分からないのである。だから黙っている。正宗さんにしてみれば、飲みたいんなら飲みたい人が「じゃ、いただきます」といえばよいのだ。正宗さんという人はそういう人です。

落語の落ちのようである。それも志ん生でやるのだから堪らない。自分の気持ちを優位に持ってきていながら自虐的でもあり、分からず屋のほうの論理が正統になるという可笑しさである。さらなる落ちは正宗白鳥が面白そうな人だから書く物も面白いのだろうと手をだすとそうではないのである。そう簡単な人ではないのである。

芸にもそういうところがある。

歌舞伎座の8月演目に三津五郎さんと勘九郎さんの「棒しばり」がある。

呼吸の乱れも一つの深呼吸で救われた。