歌舞伎座四月 『醍醐の花見』『伊勢音頭恋寝刃』

醍醐の花見』は、秀吉(鴈治郎)が催したとされる醍醐寺での華やかな花見を題材とした長唄による舞踏です。北の政所(扇雀)を先頭に、淀殿(壱太郎)、松の丸殿(笑也)、三條殿(尾上右近)、さらに前田利家の妻・まつ(笑三郎)が顔をそろえていて、女たちの争いも艶やか中に見え隠れしています。

北政所の盃を受けるのに淀殿と松の丸殿が争い、利家の妻・まつが年の功で一番に受け周りを押さえます。北政所の扇雀さんとまつの笑三郎さんに苦労を共にした貫禄があります。秀吉の鴈治郎さんは、好色家の秀吉の雰囲気をだします。

この権威の象徴の花見に秀次の亡霊(松也)が現れ、石田三成(右團次)と僧・義演(門之助)に伏せられますが、秀吉の花の散り際を予感するような最後の花見の様相をあらわしています。

醍醐寺では、4月の第二日曜日に「豊太閤花見行列」の行事が行われているようですので今年は9日(日)だったのでしょう。

伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』の今回の配役は初めて観る配役の役者さんが多いので、それなりの愉しみ方をすることにしました。

<追駈け>から始まりまして、観ていると音楽劇の様相を呈しています。阿波国蜂須賀家を乗っ取ろうとする蜂須賀大学側とその謀略にはまってしまった家老の息子・万次郎側との名刀青江下坂をめぐってのやりとりです。

大学側の桑原丈四郎(橘太郎)と杉山大蔵(橘三郎)が、大学から岩次宛の密書を持参していて、万次郎側の奴林平(隼人)がそれを奪うため追い駈けるのです。この三人の追いかけっこがお囃子に合わせて可笑しく楽しく演じられます。<地蔵前>、そして最後は、このお芝居の主人公でもある万次郎側の福岡貢に密書が手に入るという<二見ヶ浦>のコケコッコーの鶏の鳴き声とともに上がる日の出の場となるのです。この伊勢参りの定番の場面設定も歌舞伎の手慣れたところです。

喜劇的な部分もあり、全体を見つめる人というのがいないのです。主人公の貢も、大学側にはめられて、怒り心頭となり常軌を逸してしまいます。そのことが、連鎖反応で多くの人を斬ってしまう結果となります。

万次郎(秀太郎)は名刀青江下坂を探しつつも、古市の油屋お岸(米吉)を気に入ってしまい通いつめどうも頼りないのです。万次郎の後ろ盾の福岡貢(染五郎)は今は御師というお伊勢参りの人を世話する下級神官で、油屋にお紺(梅枝)という恋人がいますが、油屋の仲居万野(猿之助)は、貢は油屋にとって客ではないので、上客の大学側の人間についています。

この万野がお金のためならウソ八百の口からうまれたような女性で、貢に岡惚れのお鹿(萬次郎)に貢からとしてお金の無心の手紙を書きお鹿からお金を受け取っていながら、貢にお金は渡っているとして、お紺や客のいる前で責めたてるのです。この万野の意地悪さと激高しつつも押さえる貢との二人のやり取りが見もので、染五郎さんと猿之助さんコンビのしどころです。

原作者はようも話を複雑にしてくれるという内容で、名刀青江下坂は貢の手に入りました。ところがこの刀、自分の身から離したくないのに、万野が預けるのがしきたりと言い放ち、貢のかつて家来だった料理人の喜助(松也)が預かります。ところが、この名刀を大学側が鞘をすり替えてしまいます。喜助はそれに気がつきますが、鞘のとりかえられた本物の名刀を帰る貢にわたします。感情が高ぶっていますから、おかしいとも思わず貢は立ちかえりますが、刀が違うと戻ってくるのです。

それが本物だと告げるべき喜助は、本物の刀が無いと知った万野の言いつけで貢を追い駈けてすれ違いです。もどった貢は、ふたたび万野の悪態に負け、万野を刀で打ちますが、その時刀の鞘が割れて斬ってしまうのです。<油屋>

そこからは、刀に踊らされるように貢は次々と人を斬ってしまいます。ここからの様式美も見どころです。貢の白のかすりの着物が血で染まっています。<奥庭>

もう一つややこしいのが、この名刀には刀の鑑定書である折紙があってそれがなくては片手落ちですからその行方も捜しているのです。折紙はお紺が、貢に愛想尽かしをして大学側を信用させ、手にいれるのです。最終的には、この事実が、お紺と喜助から知らされめでたしということですが、この芝居で、冷静なのは、お紺と喜助ということになります。じっと聞いていて貢の腹立ちを押さえるお岸もその中に入るでしょう。

今回は歌は歌わないかわりに、形で決めて歌い上げる様式の音楽劇に想えてしまいました。伊勢音頭が加わってレビュウの形ともなり、歌舞伎の人というのは、積み重ねてこういう具合にまでもっていける幅ときまり事を連携にしてしまうのかと、いまさらながらその傾きかたを愉しんだ感があります。

今回は先輩達の芸の視点ではない、歌舞伎の多様な万華鏡をのぞいた視点としておきます。