赤坂歌舞伎『夢幻恋双紙 赤目の転生』

<赤目の転生>とあるように、何かを感じた時右目が赤くなる太郎とその幼馴染みとある家族の転生の話しです。

幼馴染は、太郎(勘九郎)、剛太(猿弥)、末吉(いてう)、静(鶴松)で、そこへ歌(七之助)の家族が引っ越してきて男の子たちは歌に関心が集中します。歌には、病気で寝たっきりの父・善次郎(亀蔵)と無頼の兄・源之助(亀鶴)がいて、引っ越してきたのは、病気の父を抱えての貧しさのためです。

太郎は歌に恋をしますが、性格は純情なのですがのろまな太郎なのです。父の死後歌は自分を陰ながら支えてくれる太郎と結婚します。父を歌にまかせっきりで家によりつかない兄の源之助は、太郎の赤目をみて、この男はダメだと言い放ちます。そういう源之助は、右目が怪我のためか布で覆われています。

結婚した太郎と歌は、太郎がのろまで仕事にもつけず歌の借金もありますます貧しくなっていきます。子供から大人はかつらや着物の丈を調節し、貧しさは、かんざしやくしを外し、着物を裏返しにしたりして話しの流れに支障のないように変化させていきます。勘九郎さん、七之助さん、猿弥さんはこの演技的変化はお手の物です。

太郎は、仕方なく、源之助の悪事に手を貸しお金を得ますが、嫌になり手を引こうとして、源之助に殺されてしまいます。<赤目の転生>です。再び、幼馴染は同じ場所に同じ年齢で生き返っています。しかし、太郎は違う人物として生まれかわっています。太郎の人物像によって幼馴染も太郎に接する態度が違っきますからその人生も違います。太郎の歌を想う気持ちは変わりません。

この一回目の転生が一番歌舞伎役者さんの動きとしては見せ所です。歌と結婚した太郎は江戸時代のゼネコンの親分で、源之助の亀鶴さんの出には笑ってしまいました。無頼の兄が、義弟の下で働く腰の低い子分なのですから、この身体の動きをともなった変化は歌舞伎役者ならではです。元気になっている義父の亀蔵さんは、芝居と関係のないハチャメチャな勝手な動きでキャラの違う笑いをとります。

太郎の仕事を受け持ち、いいように使われ痛めつけられる猿弥さんと勘九郎さんのやりとりも、現代を思わせる江戸で、時代の行き来、役者の身体の行き来、心理の微妙な切れ目が赤くなりはじめます。いてうさんの役どころは、自分の立場を上手く売り込むということで大きな変化はなく、上手くこなしました。静の鶴松さんが、歌のために自分を押し込められていた気持ちが爆発し、太郎の情婦となっていますが、歌の七之助さんと対峙する役どころとしては女形の修業がもう少し必要です。

お金では満たされぬ七之助さんの歌は、兄おもいの妹で、それを見る太郎の目は赤い色を発する寸前なのでしょうが、観客には、まだ、太郎の力にものを言わせる性格のためと映ります。またまた歌を幸せにはできませんでした。

次の転生では、お人よしの太郎となり自分の気持ちを隠し、歌を好いている剛太と歌を結婚させます。そして、太郎の転生は驚くべきことに兄の源之助となり、歌とは結ばれることのできない立場にされてしまうのです。やっと、太郎の赤目は、歌の心の底をみることができるのです。

ここで<赤目の転生>は絶望的な果てしなき転生が続くのかどうか、続こうと、嘆こうと、太郎よ歌舞伎だよ、ここで一丁戦いなよと思いました。はっきりさせな。<夢幻恋双紙(ゆめまぼろしかこいそうし)>の歌を想うなら、源之助になった太郎なら、太郎の世界に最初の源之助を呼び出し挑みなさいよと言いたいです。ここで、太郎、歌、源之助の歌舞伎役者の身体を見せて欲しかったですね。<カブキ>とするなら、歌舞伎役者の身体表現を見せて芝居の展開の面白さもみせるというのが基本と思うんですよ。

ここまできたなら、この後があってもいいのではないか。ここからが、さらなる面白さにつながるのではないでしょうか。蓬莱竜太さんには、もし次に挑戦するのならもっと歌舞伎役者さんを身体的に苛めた方がいいですよ。それを表出するのが歌舞伎役者ですからと伝えさせてもらいます。