映画『ぼくと魔法の言葉たち』と劇団民藝『送り火』

映画『ダ・ヴィンチ・コード』のパンフレットが池袋の新文芸坐で安く売っていまして、いまさらと思いましたが購入しました。そこから、出演の俳優さんの出ている他の映画を見て、トム・ハンクスの初期や他作品などをみているうちに、映画『メリー・ポピンズ』に行き着きました。

チムチムニィ チムチムニィ チムチムチェリー ~~ のメロデイは、口ずさめます。でも映画は観ていませんでした。ディズニー映画です。そこへ行き着く前に映画館で『ぼくと魔法の言葉たち』の予告編を観ていまして、これは観たいと思っていましたので、行き着く先がディズニー映画というのも面白い方向性でした。

そして、映画『ぼくと魔法の言葉たち』を観てから劇団民藝の『送り火』を観劇したのです。おそらく映画『ぼくと魔法の言葉たち』を観ていなければ、『送り火』の主人公・吉沢照さんのお芝居の中での人生を深く納得し実感できなかったとおもいます。

ぼくと魔法の言葉たち』はドキュメンタリー映画です。ピーターパンになったオーウェンくんとフック船長になったお父さんが、楽しく役になりっきて遊んでいます。オーウェンくんは言葉を発しています。ところが、突然オーウェンくんは言葉を発しなくなります。二才の時(チラシによると)です。自閉症と診断されました。

四歳の時、言葉を発しますが、それは、意味の伴わないオウム言葉であると言われてしまいます。その後何か一人で言っている言葉が、ディズニー映画の台詞であると気づいたお父さんが、オームの<イアーゴ>になりっきて台詞をいいますと、オーウェンくんは次の台詞を返しました。お父さんは、オーウェンくんが言葉がわかり、物語のすじも理解していることを確信します。

オーウェンくんは大好きなディズニー映画の台詞を覚えていて、言葉の意味も理解し、映画の内容もわかっていたのです。物語は、完結します。何回観ても同じ完結です。物語とは違って現実世界はどんどん続いてしまいます。オーウェンくんは、次々と続く、現実世界の早い流れについていけなかったのです。次々起こる新しい出来事に不安になり、どうやって対処しコミュニケーションをとっていいのかわからず閉じこもってしまったのです。

そこからの経過はこと細かには語られていませんが、事あるごとにディズニー映画の世界にもどり、物語と現実世界との往復を家族はくり返したのだと思います。彼のために学校をさがしいじめにあったりもします。そして、彼にとって居心地の良い学校を卒業し、一人暮らしをはじめることとなり、さらに仕事もみつけるのです。

小さい頃、いかに不安であったかということが理解できます。今も新しいことに対しては不安なのですが、楽しみでもあるといいます。不安になったり、何かが出来たりしたとき、ちょっと待って、このディズニー映画のこの場面を見させてといって早回しをして、確認しホッとしたり、よしと次のステップに向かったりします。

自分は主人公にはなれないが、脇役の守護者にはなれるからと、脇役の絵を描いたり、脇役に囲まれての物語を書いたりします。彼の不安をアニメで描く手法が、見る者にオーウェンさんの不安の実態を受け止めやすくしてくれます。こうした障害の方のひとりひとりが違う不安とか、受け入れられないものとか、自分の中で整理されなくて納得できない何かを抱えているのでしょう。

オーウェンさんの場合は、それを包んでいてくれたのがディズニー映画の世界だったのです。現実の友達が欲しいとも思っていたのですが、そのコミュニケーションの方法がみつからず、六歳の時、彼を見つめ続けていた家族によってその扉は開かれるのです。

心の中にはいろいろな感情がありますが、オーウェンさんによって<不安>という感情をわかりやすく教えてくれるドキュメンタリー映画でもあります。その感情を乗り越えて進める方向をみつけていかなければならないのでしょう。

劇団民藝『送り火』は、場所は愛媛の山間の集落のひとつで、認知症の症状がでてきた女性・吉沢照(日色ともゑ)が、一人暮らしで、自分が自分のことをできるうちにと、ケアハウスに入ることを決心します。施設に入る前日の夕刻の話しで、照を訪ねてくる人々から、照の人生が照らし出されます。そしてその日はお盆の最後の日で、送り火をたく日でもあったのです。

本家のお嫁さん(船坂博子)は、照の兄が赤紙をもっらて逃亡し、非国民の親戚となってしまったことを話していきます。次に訪れた近所の泰子(仙北谷和子)は、兄が一緒に逃げたとされる女性の妹です。康子を迎に来た夫(安田正利)は、本当であれば照と結ばれていたかもしれない人です。このご夫婦は、何かと照を助けてくれていた人でもあり、夫はチカチカしている蛍光灯をとり替えてくれ話しをしていきます。

照は、それぞれの人に、色々な想いをじっと受けとめたり、思っていたことを語ったりしますが、自分が過ごしてきた厳しい現実を不思議なくらい怨みごととしてではなく、慈しむように話します。劇中の言葉は、愛媛の今治市の方言だそうで、訪ねてくる人に出されるのが、「イギス」と「夏ミカンの飴炊き」と「たくあん」です。それを食しながらお茶を飲み、茶のみ話のように、穏やかに語られていきます。

その会話から、照が保育園の先生をして、一人で両親を看取り、今その家を人手に渡し、ケアハウスに入所することにしたこともわかります。ケアハウスに持っていく物の中に、照の好きな『ナルニア国物語』の<カスピアン王子のつのぶえ>があり、ちゃぶ台の上にそれが置かれています。

照は、保育園で園児に童話を読み聞かせながら、自分もその世界に入り込んでいました。アリスは不思議の国へ、ハイジはアルプスの山から町へ、ウェンディはネバーランドへ、ジョバンニは銀河鉄道の旅へとみんなその場所から外へと飛び出していきます。照も飛び立ちたかったことでしょう。非国民の家族というレッテルの張られた場所から。しかし、それはできませんでした。

迎え火をたきましたが、認知症のため照はそのことが思い出せません。会いたいと思っていた兄(塩田泰久)の魂が帰ってきます。照は、どこかで生きていてほしかったと兄に告げます。兄の逃げた理由を聞き、兄に<カスピアン王子のつのぶえ>を読んでもらい、照はやっと不安のともなう先へ進んでいけそうです。

兄に何かやりたいことはと尋ねられ、「童話を書いてみたい」と言います。

不安でいっぱいの中で過ごし、童話の世界と行き来していた照は、家を守り、きちんと送り火で家族を送り出し、新たな不安を抱えつつも前に進んで行きます。照さんの童話はできあがることでしょう。

演劇とは思えないほどの自然な日常会話が、大変な時代を生きてきたことを知らしめ、そして照さんの不安の中に閉じ込められていた時間が空気がわかります。まだ自分で判断できるうちにとすべてを整理し先へ進む道を決めた照さんですが、きっとこの先も、童話の世界に助けられながら未知の世界を静かに一歩一歩踏みしめらるのです。

作・ナガイヒデミ/演出・兒玉庸策

さあ!頑張らずに、頑張ろう!