歌舞伎座四月 『熊谷陣屋』『傾城反魂香』

熊谷陣屋』(「一谷嫩軍記」より)は、一谷の熊谷直実の陣屋での出来事です。須磨の浦での戦いの後であり、須磨の戦さとなれば、熊谷直実と敦盛ということになります。それが、歌舞伎になるとまたまたひねってあるわけです。このあたりは、史実を基本として、ひねってそこに現れる人間模様を役者がどう演じるかという観客の楽しみとするわけです。

熊谷の妻・相模の登場です。『伊勢音頭恋寝刃』での万野で『ワンピース』のルフィの猿之助さんをわざと思いえがきますが吹き飛ばされ、相模を見るとたちまルフィも万野も消えていなくなりました。化けるという不思議な現象です。今回はそんなところから、相模と敦盛の母・藤の方(高麗蔵)の母という立場にかなり目がいきました。そして、この二人の母を前にして、いかに熊谷直実の幸四郎さんが母二人を押さえるかが見どころです。その押さえを制札を使い、長袴を二重舞台から投げ出し見得をきる形の極めどころの迫力に、この型しかないでしょうと思いました。先人は上手くできあがらせました。

直実の幸四郎さんが、花道で右手に持っていた数珠を袖の中にいれます。陣屋で家来の軍次(松江)の後ろにひかえている妻を見て驚き怒ります。この怒りは、直実の中に出来上がっていた思案を脅かすことだったからで、さらに藤の方が出現して直実の気持ちは乱されたことでしょう。

敦盛を討った様子を扇を使いながら、語り聞かせますが、幸四郎さんはその扇を艶やかに使いこなされ、悲劇性を打ち消し艶やかさにして自分をだまし、女ふたりをだましているようでした。そして、本当は敦盛ではなく身代わりとして自分の子・小次郎を殺している事実を、自分の中でも敦盛に仕立て上げているように見えました。自分の気持ちを立て直すため、直実は架空の話しの中に入ったとおもいます。

直実が首実検の用意のため奥に入ります。残された相模と藤の方。藤の方は敦盛の青葉の笛を取り出し、相模は供養になるからと吹くことを勧めます。この場の子の死を悼む二人の母の様子から、さらにこの立場が逆転するという事態をいかに直実は押さえるのか。知っていながら凄いことであると改めて思ってみていました。

首実検です。敦盛は後白河法皇のご落胤です。満開の桜の前の制札には桜の一枝を切ったら一指を切れと書いてあります。直実は、それを敦盛を助けよと理解し、代わりに小次郎の首を差し出そうとするわけです。その首に、相模も藤の方も今までの現実とは反対の展開を見せつけられるわけです。藤の方を制札で押さえ、相模を平舞台下手に下がらせ、次に藤の方を上手平舞台へ。幸四郎さんの大きな制札の見得です。

義経の考えは直実の考えた通りでした。そこで、藤の方へ首をお見せしろと下手の相模にいいます。この位置関係、全ては制札から始まり、制札で二人の母を押さえることができたのです。

我が子の首を抱きくどきの相模の猿之助さん。小次郎が別れる時にっこりと笑った顔。おそらくその笑顔には、母の目には凛々しさよりも幼さの残る笑顔だったのだと思わせる母の想いがでていました。

幸四郎さんの直実、相模の猿之助さん、藤の方の高麗蔵さんで、敦盛と小次郎を囲んでの立体感を強く感じました。かつては義経の命を助けた宗清(弥陀六)の左團次さんと染五郎さんの品のある笑みの義経とのやり取りに、繰り返される戦さの儚くも虚しい風景が見えてきます。最後の直実の幸四郎さんは、役目を果たし、一瞬一人の父親にもどりながらも、仏の道に行き着く前の現実の荒涼とした世界をさまよう人のような引っ込みでした。

傾城反魂香』は、言葉の出始めがどもってしまうという言葉の障害がある絵師・又平の女房・おとくに強くひかれました。このおとくという女房はなかなかの女性なのです。きっちり障害者である夫・又平に寄り添っているのです。

又平夫婦は、今はわび住いの師匠・土佐将監(とさのしょうげん)光信夫婦(歌六、東蔵)を毎日見舞って苗字をいただきたいと頼みにきています。今日は、弟弟子の修理之助(錦之助)が絵から飛び出した虎を絵筆にて消したので苗字をもらい免許皆伝となりました。

はやる気持ちの又平。その夫の気持ちをよく知っているおとくは、いままでは女房である自分が師匠に直接頼んだことはなかったのですが、今日こそはと将監に、死んだ後の石塔に土佐又平と残させてくれと頼みます。光信は、絵の功がないのだから苗字は与えられないといい、おとくは夫に師匠は理にかなったことをいわれているといいます。

そこへ狩野雅楽之助(うたのすけ・又五郎)の早報せがあり、花道での又平の吉右衛門さんは一心張り番をします。師匠に言われたことを全身で守る又平の一途さがうかがえます。そしておとくの菊之助さんもしっかり役目を果たせるようにと夫をみつめます。

しかし、又平の役目はここまでで、おおきな役目は修理之助に渡ってしまいます。自分に障害があるからかと又平は師匠に楯突きます。それをおとくは気違いのようにとたしなめます。夫は妻にまであなどられたとおとくをぶちます。おとくは体を張って夫に意見する女性でもあります。

そして死ぬ覚悟の又平に、死ぬ前に手水鉢に自画像を描きその後で自害し、死して名前をもらいましょうというのです。そして、しみじみと十本の指がありながらと又平の嘆きを代弁します。

ここに生きていたそのままの自分を残しなさいと言っているのです。それは、絵ではわからない障害のある一人の人間の心の内も描くという事です。この絵が抜けるのは、そういう意味もあるのではないかと今回想えました。

結果的にこの芝居は願いがかないハッピーエンドとなるのです。絵が抜けてからは、観ている者もほっとします。又平の吉右衛門さんは子どものように体中で喜びをあらわします。将監の妻・北の方もやっと笑顔がみせれるといった喜び方です。将監も絵の功で苗字を与えられるので自分の絵に対する筋が通り安堵です。又平夫婦にとって倖せは今自分たちのものなのです。

菊之助さんのおとくに、改めてこの女性を見直させてもらいました。きちんと障害のある夫に寄り添い、いうべきことはいい、共に死ぬことを覚悟する女性です。近松門左衛門さんの理想の女性かもと思ったりしました。そしてハッピーエンドとはなんとも憎い計らいです。