『池田学展 ー凝縮の宇宙ー』

このところ高島屋と縁があるというか、友人に誘われて日本橋高島屋の『池田学展』に行ってきました。自分では選ばない展覧会とおもいますが、刺激を受けました。

絵の中に沢山の小さな人、動物、虫、電車、線路、飛行機などが描かれているため絵に近づいて見なくてはいけないので、その場に長くいることになり、人も多くちょっと見るのに苦労しました。それと、絵の前の近くには人がおられるので全体像が観れないのがちょっと残念でした。

まったく友人に聞くまでは知らない方で、緻密な絵だからルーペが必要だといわれましたので、ハズキルーペを持参で、メガネ二つをかけて見ましたが正解でした。

大きな岩山の中に大仏が描かれていて、よく見ると植物や様々なものが描かれています。下絵があってそこに細部を描いたのであろうが、それにしてもこのように描けるものであろうかと不思議でした。

池田学さんが描いてる映像をみて驚きました。細いペンで下絵無しで描きはじめて、ドンドン紙が足されて大きな絵になるのです。頭の中にある程度の下絵はあるのでしょうが、頭の中と、職人的腕の技術の一体化が、想像できない創作過程の中で起こっているわけです。

池田学さんは、自分の日常生活の総てを捨てることなく描く対象にしています。子供時代の自然界への興味、学生時代の山岳部での体験、旅をしたときの風景、その後過ごした場所での日常、家族など、さらに好きなアニメの世界も盛り込まれています。好きな飛行機、電車、線路など何処かにつながる流れが絵の中に隠し絵のように描かれています。

それぞれの眼で発見していくので見る時間が違うため友人とは離れ離れで、その後発見を知らせ合いまた眺めました。矢を射る人。飛ぶ矢がきちんと描かれていました。崩れるお城には、花々が季節感を表し、里見八犬伝の芳流閣の場のように屋根で闘うひと。十二単衣を着た人が空中ブランコ。呑気に一人露天風呂。とにかく発見しては笑ってしまいます。電車をたどって行けばとんでもない所からまた出現したりと、大きなテーマの中で、単純な作業の中で楽しんでいる池田学さんに安心したりします。

葛飾北斎さんの神奈川沖の波のような絵がありましたが、友人によると、波を描こうと思ったのではなく白を描こうとおもったら波になったのだそうです。どの絵に何が描かれていたのか忘れてしまいましたが、千手観音の手がにょきっととびだしていたり、電車が釣り下がっていたり、鳥の巣の中に卵がきちんとあったり、そのデッサン力は小さくてペンの点であってもしっかりされていています。北斎さんのように、なんでもデッサンしておられたとおもいます。

制作年代を見ますと、一つの絵から次の絵まで一年たっていたりしますし、この細かさなら時間を要することがわかります。小さな画面の動物などの絵もあり、リアルかと思うと、亀の甲羅が紫色の宝石だったりとユーモアと発想の転換がたのしいです。

子供のころからの絵やデッサンも展示されていましたが、ポスターなどは色がくっきりしていますが、どちらかというと優しい色使いです。法廷画家もされていて新聞にのったりもしています。そんなアルバイトもされて自分の目指す絵を描かれていたのでしょうが、そうしたアルバイトにも悲壮感なく、確実に自分の腕に教え込んでいる印象でした。

(法廷画家では、映画『ぐるりのこと。』のリリー・フランキーさんをおもいだしました。この方、映画が終わるまで、優しいおっさんなのか、突然へらへらと悪人に変身するのか要注意人物ですよね。すいません。関係のないことでした。)

壊れていきながらも再生していくというイメージで元気をもらいました。本会場が混んでいたので、グッツ売り場の絵のまえで、また発見ごっこをしてしまいました。お城が崩れていく<興亡史>の絵が400枚に切られてメモ用紙になっていて、全部糊しろの接着部分を張ると一枚の絵となりますが、広い何もない壁が必要です。

劇団民藝の『33の変奏曲』を観たのですが、「変容」ということがテーマの一つでもあり、パッと池田学さんの絵が浮かびました。ベートーベンさんと池田学さんがつながった一瞬でした。

飛ぶのはわたしの勝手と、勝手な解釈にも、池田学さんから力をもらいました。