能登の旅・能登演劇堂・無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』(1)

一度は訪れて仲代達矢さんの舞台を観劇したいと思っていた能登演劇堂での『肝っ玉おっ母と子供たち』です。舞台の背後が開かれ、そこにある自然と舞台が創り出す空間はそれだけで感動です。映像ではとらえられない圧倒感であり、舞台は生きているとおもわせてくれます。

スタッフ(ボランティアの方かもしれません)の方に、舞台後ろは、演劇の無い時自由に見れるのですかと尋ねましたら、「見れますが舞台のような風景ではありません。舞台のために造りますので、その為に穴を掘ったりなど造形しているのです。」とのことで、主軸は変わらないのでしょうが、舞台に合うようにあの風景は造られているわけです。灯りの火が燃えていて戦場のその中を進む<肝っ玉おっ母と子供たち>の幌車です。

幌車は幌馬車ではありません。自分たちで引いて移動するのです。時代は「30年戦争」と言われる1618年から1648年なで断続的に続いたカトリックとプロテスタントのキリスト教を二分する戦いで、その戦いの移動とともに<肝っ玉おっ母と子供たち>は商売をしながらついていくのです。

肝っ玉おっ母は、父親の違う三人の子供を育て、真っ当な仕事と信じて兵士たちにお酒を飲ませたり、日用品などを売って生活しているのです。兵士たちは、お金を出して雇われた傭兵です。肝っ玉おっ母の大きいあんちゃんと小さいあんちゃんも肝っ玉おっ母は好きですが、もっとお金が貰えて楽しいことがあると言われると幌車を引くよりもそちらの生活に魅かれてしまいます。

二人の息子は、肝っ玉おっ母の兵になることは死ぬことだという言葉も耳に入りません。肝っ玉おっ母は、プロテスタントに勢いがあればプロテスタントの旗を、カトッリクに勢いがあるとカトリックの旗を掲げて商売をします。休戦になると肝っ玉おっ母は商売にならず、戦争があればこその商売なのです。

しかし、肝っ玉おっ母の生きかたに破たんが生じてきます。確かに肝っ玉おっ母の生き方はたくましく子供を想う愛で満ちていますが、そこにはウソも繕いも偽善もあり、それでも生きて行こうとする民衆の生き方など戦争はサァ―と風が吹けばだれかれ関係なく吹き飛ばしてしまうのです。

末娘は、言葉を発することが出来ず、自分の思っていることを伝えることが出来ません。それだけに、心の中で熟慮しているのかもしれません。しかし、彼女だって、美しい帽子や靴、恋にもあこがれを持っていて、肝っ玉おっ母に対しても全面的に信頼しているわけではありません。そして、彼女は自分の意思に添って行動します。

鉄砲の玉が頭上を飛び交う中、大きな戦争という風の吹く流れの中、どんな生き方をすればいいというのなどと考えている時間もなく、ただ食べ生きていくために生活の糧である幌車を引きながら肝っ玉おっ母は今日も商売相手の軍隊を追いかけるのです。

仲代達矢さんの肝っ玉おっ母は、時には陽気に、時には怒り、嘆き、悲しみつつ子供たちや、肝っ玉おっ母のもとに集まる人々と冗談を言い、お酒を飲み、商売をします。肝っ玉おっ母の生き方が真っ当とは言えないだけに、肝っ玉おっ母の仕事を手伝ってついてきたり、本音を言って自分の利益を推し量ったりする人も登場します。

戦争という風のなかで、真っ当な生き方などできるのでしょうか。人が殺し合う状況の中でこれが正しい生き方であるなどという道など見つけられない空気で覆われてしまうでしょう。

そもそも汚れつつ人は生きて行かなくてはならない宿命なのだとおもいます。迷いつつ、汚れつつ、絵でかいたような美しい生き方などないでしょう。ただ、平和であれば立ち止まって考える時間はあるでしょう。仲代達矢さんの肝っ玉おっ母は、長い戦争のなかでの、そんな矛盾だらけの一人の母の姿を見せてくれました。

語りと唄での場面設定の紹介も、肝っ玉おっ母と子供たちのこれからの場面、場面を静かに暗示してくれます。

美しく美しく生きようとしてもそれは、周囲がまき散らす美辞麗句の飾り物でしょう。その中には、あらゆる混沌が、不純物が含まれています。肝っ玉おっ母には美辞麗句も悔恨もありません。だからといって他にどんな生き方ができたのか。劇作家のブレヒトは、この舞台では一人一人に捜させるということを、観る者に提示するという、冷静さをもった作家だとおもいます。ですから、暗さのみを強調することもありません。

肝っ玉おっ母には、同情したり、そのたくましさに感嘆もしますが、待て待て、本当にそうかと思わされるのです。そのあたりが、単純ではないこの舞台です。

カーテンコールの時、仲代達矢さんの役者人生の道標を示され、無名塾の母であり演出家であった隆巴さんの写真に、無名塾の出演者全員で頭を下げられるのが印象的です。

能登演劇堂は、のと鉄道の能登中島駅から歩いて20分位のところにありますが、金沢駅、七尾駅、和倉温泉駅からの予約制のバスが出ていまして、旅の計画を立てやすくしてくれました。

次の日、奥能登の定期観光バスで、中島町を通りまして、仲代達矢さんと能登演劇堂の関係も紹介してくれました。帰りにも紹介してくれましたので、行ってきましたと申告しましたら、他にも私もというかたがおられ、さらに観光バスの運転手さんのお母さんがボランティアで出演したことがあるということでした。

今回も遠くを歩く傭兵たちは、ボランティアの方々です。

肝っ玉おっ母は、年齢を超えた膨大なセリフの量と動きの〔上演時間80分、休憩20分、上演時間80分〕の舞台です。それをも越えて演じられる役者・仲代逹矢さんというのは何んと表現すればいいのか言葉が出てきません。

 

 

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2017年11月12日まで。

作・ブレヒト/翻訳・丸本隆/演出・隆巴/舞台統括・仲代達矢、林清人/音楽・池辺晋一郎/出演・仲代達矢、小宮久美子、長森雅人、松崎謙二、赤羽秀之、中山研、山本雅子、本郷弦、鎌倉太郎、進藤健太郎、川村進、渡邊翔、井手麻渡、吉田道広、大塚航二朗、十代修介、高橋星音、田中佑果、高橋真悠、上水流大陸、島田仁、中山正太郎

 

2017年10月30日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)