話芸アラカルト(2)

噺を聴かせる話芸の落語は座ったままで様々のしぐさで噺の幅を広げていく。小三治さんの『初天神』は甘いミツたれをつけた団子のそのミツをなめるしぐさと凧揚げの様子が絶妙である。

初天神』はたわいない噺で熊さんが初天神に行こうとすると息子が帰って来ておいらも連れってとねだるのである。息子はあれを買ってこれを買ってとねだるので熊さんは連れて行きたくないのであるが、おかみさんに言われて連れて行くことになる。

熊さんはおかみさんが羽織を出せといったときにサッと出さないから息子につかまってしまったとぐちる。このぐちが道々でてくるが、その繰り返しの間が可笑しい。

案の定、息子は団子をねだるのである。ミツをたっぷりつけてもらうが、たっぷりで垂れるほどである。熊さんはこれじゃ着物もべたべたになると団子についたミツをなめるのである。ミツの垂れるさまを表現しつつのそのしぐさが実演そのものである。味もなくなるほどできれいになめてしまう。仕方がないのでミツの壺に二度づけである。

息子は今度は凧をねだり買ってもらう。おまえは、凧を持って後ろに下がっていいと言ったら凧を離せ。おとっつあんが揚げてやると言ったが最後、熊さん、凧揚げに夢中である。凧が揚がりそれを風に乗せていき小三治さんの糸あやつりの妙味がありありとわかるのである。青い空に舞う凧。おとっつあんが楽しんでいるのか小三治さんが楽しんでいるのか境がなくなり観客もその風景の中にいて凧をみている。つまらないのは息子である。「おとっつあんを連れてくるんじゃなかった。」

噺を聴いているだけでは伝わらない噺も多いのである。『長短』は気のなが~い人と短い人が登場し煙草を吸うのである。キセルで煙草を吸うしぐさが見えなければ楽しさは半減される。煙草を吸うしぐさで気の長短を現わしそれを観客は比較しつつ笑わせられる。

気のなが~い人は、特別に長く、短い人はこうやってこうやってこうだろうとあっというまに一服吸うか吸わないかでぽんと灰落としに火玉を落とす。小三治さんの『長短』は二回聴いている。一回目の時は、気のなが~い長さんが何ともマイペースで愛嬌を感じた。ところが二回目は、国会の答弁ののらりくらりの影響か、気の短い短七さんを応援している。出た!少し言ったほうが好いよ!みたいな感覚である。

ところが落ちは、短七さんはあまりにも動作がはやくて火玉を自分のたもとに入ったのを知らないのである。それを教えるのが長さんであるからたまらない。なかなか教えない。知った時の短七さんの怒りがラストにならない前から可笑しくて早々と笑ってしまった。思うに、たもとに入っているのが今は新型コロナウイルスかもしれないので複雑である。結果がわかるのが、長さんどころの長さではないのであるから。

落語も今の世の中の動きによって感じ方もちがうのであるということに気がついた。

もうひとつ長い時間気がつかないでいたことがあった。志ん朝さんの落語である。テレビ落語といっていいのかも。昭和43年(1968年)からスタートしたTBSの落語研究会の映像(DVD)である。落語研究会というのは伝統があり明治38年(1905年)からはじまり、5次目のTBSの落語研究会から放送用の収録も兼ねたのである。

それを観なおそうと観始めたら、登場人物の違いを手の重ね方とか身のこなしと顔の向き、目線の位置で確実に変えているのである。噺の上手い噺家さんと思っていたし実際に観ていたが、この狂いのない細やかな動きは何なのだと思ってしまった。そして次々と観ていったら全ての噺がそうであった。こんなに神経を使って完璧にしていたのかと感服してしまった。

大人と子供の上下の目線。その位置が大人と子供に変わるたびピタッと同じ位置の目線なのである。放送用でもあり細かいところも映し出されるのである。そのことを非常に意識されていたように思え、テレビ落語ということを感じたのである。

小三治さんは、志ん朝さんとの落語研究会での思い出を書かれている。落語研究会の楽屋はシーンとしていて真剣勝負の空気で、高座間際まで、真っ暗にした楽屋で闇の天井に向かって何か呟いたりして、志ん朝さんも一緒だったと。圓生師匠、正蔵師匠、小さん師匠なども無駄な口をたたく人はいなかったそうです。それだけ伝統ある会で次の人たちに伝える高座という意識も強かったと想像できる。

いいだけ笑わせる小三治さんですが、道しるべとなった言葉としてあげられてるのが、志ん朝さんから聞いた志ん生師匠の言葉「面白くやろうとしないこと。」と小さん師匠からの「無理に笑わそうとしちゃいけない。」の言葉ということである。笑わせられなくても、つまらなかったなとは思わないであろう。いまだ笑わせられなかった事がないのであるが。