菅原道真公

学問の神様である菅原道真公は、実は政治改革にも着手していたのである。NHKの『その時歴史は動いた ~天神・菅原道真 政治改革に倒れる』で知ったのであるが、2月の歌舞伎と文楽のためにDVDを見直した。政治改革について知られるようになったのは近年ということで、学者の方によると、道真は敗者のため勝者によって資料が消されてしまったのではないかということである。勝者とは時の左大臣・藤原時平である。

道真公が時平に落とし入れられ九州太宰府に左遷されて亡くなってから、京の都は転変地異が起る。時平は39歳で世を去り、その子供や時平の血をひく天皇も若くして亡くなり、人々は、道真公のうらみのせいであると言い合う。

藤原氏は、道真の怨霊を鎮めるため北野天満宮の社殿を増築するのである。

道真公は怨んで亡くなったのであろうか。太宰府では罪人として役所に出所することを禁じられ、食べるものにも不自由するような生活であったが、季節の移ろいを詩に詠むことをなぐさめとした。

「京にいるとき、古い友は自自分の食事を分けて食べさせてくれた。家の者たちは私の衣服を洗ってくれた。私はこれまで苦しいながらも、生き続けるよう励まされてきた。死にたいなどと思ってはならない。私は生きるのだ。」

「私の功績が石の柱に刻まれて後世に伝えられることはないであろう」

道真公の政治改革とはどんなものであったのか。菅原家は代々学者として朝廷に仕えてきた家柄で、道真公は33歳で文章(もんじょう)博士に任ぜられる。ところが42歳のときこれを解任されて国司(いまでいう知事)讃岐守(香川県)に任ぜられる。自分は学者なのにと道真にとっては不本意であった。

讃岐に着いて見ると干ばつや疫病で荒廃していて民は国を捨てよその国にのがれていった。当時は実権を藤原氏が握り、税として納めた絹を品質が悪いととがめられる。道真は都人は民の実情をわかっていないと意見書をおくる。それが宇多天皇の目にとまり、46歳のとき宇多天皇近くに仕えることとなり、中央政界に登場するのである。

唐が内乱のため、まず遣唐使を廃止する。そして日本の財政の困窮の原因を考える。当時土地は国の物で一人一人に土地を貸し与え、人から税を徴収していた。ところが、戸籍に登録した成年男子(17歳~60歳)だけに課したので男子でも女子と登録するものが増えた。

有力な貴族や寺院は私有地をもつことができた。そこに目を付けた豪族たちは開墾した土地を貴族たちに寄進し名義料をおさめ実際には自分の土地とした。さらに民衆は苦しいため豪族に土地を売り渡し耕す土地をもたない農民が増える。当然これでは税も入ってこなくなっていたのである。

そこで道真は、人ではなく土地に税をかけることを考えたのではないかと推測されている。そうなると私利私欲に満ちた貴族たちが納得するわけがない。宇多天皇は子の後醍醐天皇に位を譲る。その二年後道真は右大臣に任命される。

藤原氏の勢力を盛り返そうとしていた時平は道真の反対勢力の中心となる。そして、天皇を退けようとしているとして道真だけを呼び出さずに天皇の命令として九州太宰府転勤を左大臣・藤原時平は読み上げるのである。道真、57歳(901年)であった。

902年、時平は実権を握り、改革をはじめる。道真が考えた政策の実行である。豪族の私的な土地の所有を禁じ、民衆にあらためて土地を与え、税は土地に応じてとりたてる。

道真公が亡くなるのは903年2月25日、59歳の時である。

道真公が考えた改革はそのまま時平が受け継ぎ実行するのである。そのことがその後の王朝文化をよみがえらせる。だれがその道筋を作ったのかは、石の柱には刻まれていないのである。

学問の神様としてこんなに多くのひとから親しまれるとは道真公は想像していなかったであろうし、自分の怨霊が彷徨うなどとも考えなかったであろう。怨霊は民衆の怨みが作り出すはけ口だったかもしれない。

ただ道真公は神頼みだけではなく知によって問題解決を考えなさいといわれるように思う。

道真公が江戸の人々の目の前に現れるときは、貴族世界と町人世界を混ぜ合わせたワールドにしないと納得されないのである。江戸時代の芝居小屋では。

追記: 最後の観劇から10日が経つ。その間、予定していた観劇などやめにする。お上のすることは信用できないので自主防衛である。やめれる者はまだいい。友人から仕事が無くなったとメールがある。そうなのである。収入が絶たれる人も出てきているのである。

追記2: 「TOHOシネマズは27日、体調不良や来場を取りやめる利用者について、当面の間、チケットの払い戻しを受け付けると発表した。発熱、せきなどの症状がある場合は、来場を控えるよう求める。」私もこういう方法はと考えていた。うつされるのもいやだが自分がうつすのもいやである。14日過ぎたら次の予定の観劇をと考えていたら中止となってしまった。それはそれで今の段階の決断でしょう。状況によっては実施して払い戻しも一つの方法であると思います。