すみだリバーウォークから横十間川岩井橋へ(1)

浅草から隅田川吾妻橋を渡り、東京スカイツリーへ行ってすみだリバーウォークを知りました。一つ年内に済ませておきたいことがありました。

東海道四谷怪談』のお岩さんの戸板が流されて着いた「戸板返しの場」の場所が横十間川岩井橋あたりとのことで一度は訪ねようとおもっていました。十八代目勘三郎さんも訪ねていて芝居の場所とは思えない場所に変化していたと書かれています。

小名木川をお岩さんがそのまま流されていれば中川に流れてしまうので途中小名木川の横十間川と交差するところで横十間川に入っていったわけです。

南北さんが芝居の位置関係を調べ、当時の江戸の人々にも想像のゆく設定にしていくのを楽しんで書かれていたのでしょう。あの黒船稲荷神社の位置で考えておられたわけですが、この辺りまで歩かれたようにも思います。

NHK・Eテレ『にっぽんの芸能』で『菊宴月白波』にも「小名木川隠家の場」というのがでてきまして、さすが南北さん黒船のご隠居様ですねとおもいました。

さて浅草の隅田川沿いに東武スカイツリーラインの鉄橋をめざし、すみだリバーウォークへの階段を上ります。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_5232-3-569x1024.jpg

スカイツリー目指して進みます。

隅田川。左手には言問橋。右手は先日渡った吾妻橋です。吾妻橋の後方に見えるアーチが駒形橋です。

終わり際に、右手前方に水門が。源森川水門。水害が起こらないためにも水門は重要です。隅田川から北十間川に入る場所です。源森川水門ということは源森川があったということでしょうか。水門の前方に枕橋がみえました。

すみだリバーウォークが終了した前の道路が墨堤通り。「鬼平情景」の案内板。<枕橋 さなだや>。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: DSC_5239-2-1024x576.jpg

枕橋というのは江戸時代は源森川に渡る源森橋(源兵衛橋)でした。鬼平の中にはその北詰にある蕎麦屋「さなだや」が一緒に数多くでてきます。「蛇の眼」では、平蔵は「さなだや」であった男をつけると大盗・蛇の平十郎で源兵衛橋に潜り込み逃げられます。鬼平番外編『にっぽん怪盗伝』(「正月四日の客」)では「さなだや」の亭主と客のやりとりが好いとあります。

墨堤通りを渡ると前に隅田公園。右手の東武スカイツリーラインの高架線下にミズマチのショップが始まっています。

テラスの横に北十間川があり、これがのびて旧中川にぶつかります。枕橋からみたスカイツリーと北十間川。枕橋については次の源森橋のところで説明します。

源森橋とその由来の碑。

さてここで旧源森橋(枕橋)と現源森橋について説明します。黄色丸が源森川水門。朱丸が枕橋(元源森橋)。青丸が隅田公園(元水戸下屋敷)。現在地が源森橋。ピンク丸が小梅橋。

切絵図で考えますと、源森橋(朱丸)は水戸家下屋敷に引き込まれていた水路に架かる新小梅橋(朱丸)とが夫婦が枕を並べているようすに見えることから枕橋と呼ぶようになり、明治になり正式に枕橋となりました。水戸家下屋敷の水路は埋め立てられ橋もなくなりました。そこで東にある橋を源森橋としたのだそうです。水色丸の橋と思います。

ここを流れる川が源森川だったと思うのです。青丸は業平橋で下が大横川。

茶丸は埋め立て地で源森川をさえぎり、大横川に流れをかえたという話があります。今は北十間川がさえぎるものもなくのびています。今の小梅橋はあたらしくこの近くに小梅村があったので命名したのではと想像しています。全て勝手な思い込みですのであしからず。

ただ時代劇小説で源森橋が出てきたとき現在の源森橋とは思わないようにご用心。

ミズマチの高架線下には途中に宿泊施設もありカフェは一般客も使えるようです。

小梅橋。

ここまでくるとミズマチも終わりです。味気ない道を通りスカイツリーへと進みソラマチ広場へ。ここから営団地下鉄半蔵門線の押上駅から住吉駅へいきます。スカイツリーから岩井橋までは距離的に歩きが無理なので、横十間川沿いから岩井橋までは途中を地下鉄にしました。

黄色丸がスカイツリーで朱色が岩井橋です。北十間川の途中から直角に横十間川がのびています。