新橋演舞場 『ワンピース』

『ワンピース』をはっきり耳にしたのは、国立劇場での歌舞伎のとき、観客のご婦人が「若い人が『ワンピース』がお面白いというが、どこが面白いのでしょうかね。」との会話を耳にしたときである。若い人にそんなに人気があるのかと印象に残った。

猿之助さんが『ワンピース』をすると聞いた後と思うが、伊賀に行って忍者屋敷に行った時購入した『忍者の教科書』の後ろに「『NARUTO』と『ONE PIESU』」(吉丸雄哉)の一文が載っていた。この2つの漫画は世界で多くの人々に読まれているらしい。

『NARUTO』は、うずまきナルトという少年忍者の戦いと成長を描いた忍者漫画で、ハリー・ポッターシリーズに似ていて、『ONE PIESU』は、海賊の少年モンキー・D・ルフィが“ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)”を求めて大海原を巡る冒険漫画で『トム・ソーヤの冒険』に似ていると説明されている。そうか、冒険物語なのかとその程度までしか押さえず、<スーパー歌舞伎Ⅱ ワンピース>を愉しむこととなる。とにかく生の芝居で勝負である。

チラシから、どうやら仲間がいるらしく、それぞれのキャラを駆使して冒険が進むのであろうと想像する。麦わら帽子も気になっていた。映像を使い影絵のように麦わら帽子もひらひらと飛んでいる。<母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね>ではなかった。男の子は誰かにその麦わら帽子をかぶせてもらう。これは最後のほうでわかる。気にかけて置いて良かった。

ルフィの八人(七人と一匹かな)の仲間が、白浪五人男よろしく自分の特技を披露しつつ見得をきるが、覚えてられないので、紫おネエ、ピンクおネエ、グリーンヘアー、骸骨、ピノキオ、イケメン鬼太郎、白リボン、おちびちゃん(のちにトナカイちゃん)と命名する。この連中が冒険をしていくのであろうから、そのうちキャラもはっきりしていくであろう。

大きな権力組織があって、人間以下と判断した者は奴隷にして、その印を背中に烙印する。人魚が売買されるのを助けるために現れた仲間とルフィは熊チョップで飛ばされてしまう。『阿弖流為』の熊子ちゃんは今大阪です。(頑張ってね)鳥のフンのようにルフィが落ちてたどり着いたのは、女だけの住む島であった。女王は、訳ありの三姉妹の一人を姫としている。この姫がルフィに恋をする。ここでルフィの性格や弱点や闘争心や自由を求める心や様々なことが明らかになってゆく。そして、兄が捉えられ公開処刑になることを聞き、兄を助けるため兄の捕らえられている監獄へと侵入する。「監獄ロック」は無かった。ピッタリの舞台雰囲気だったのにそれどころではなかった。

兄・エースは生まれがわけありで(ルフィもわけありである)そのことを利用され、父として慕う白ひげ海賊の白ひげは、子供として育てた子分に刺されてしまう。白ひげの親分、知盛みたいに血だらけでエースのために戦う。

この監獄には隠れ場所がありそこは、おかまの世界であった。そこにも自由を愛する人々がルフィを助け仲間となってくれ一緒に戦ってくれる。例の勝手に命名した仲間8人は無事ではあるが遠くにいて会えない状態である。(よかった。これで連中がでてきたらややこし過ぎて頭の中パニックである。)ルフィは偏見というものがなく、だれでも仲間にしてしまう何かがある。

監獄所長や副署長、さらに海軍などと、エースやおかまの皇子様(勝手に命名)やおかまのルフィのダチやルフィらとの闘いがくり広げられる。ここでの、本水使いは、むち打ちにならないでと心配になるくらいの水の量である。旗を使っての動きや、黒衣ならぬ赤衣さんたちの動きもよい。やはりエースは、かつて泣き虫だったルフィを守ったように、今また自分の命をかけてルフィを守ってくれた。白ひげがエースを守ってくれたように。

海軍は、海賊白ひげの援軍として来た他の海賊船の勢いから休戦とする。

ルフィにとっての兄・エースと父・白ひげの死は、ルフィから全ての力を奪う。皆に励まされ、麦わら帽子をくれた人から、もっと成長したら麦わら帽子を返しにくると約束しただろうといわれる。僕は仲間がいなくてはダメな人間だが、8人の仲間とは2年後に大きく成長してから合うと大海原へと向かう。ワンピースを捜し当てる冒険の旅への海賊の船長としての力をつけるために。

最大の見せ場はルフィのサーフィンボードに乘って空中波乗りである。一番気に入ったのがクジラくん。クジラくんの存在は大きい。ただゆらゆら浮いているだけなのに、クジラくんがいるのといないのとでは空間が違ってしまう。クジラくん大当たり。

家族愛、仲間の絆、偏見のない心、自由を求める心、冒険心など、船長のルフィは傷つきながらも灯りをともしていくのであろう。

歌舞伎関係の人でも解かるのに時間がかかった。役が多いようなので、話しについていけるかどうか心配したが何んとかついていけ、後半からは楽しむ余裕も出来た。ただし役名は覚えていられないので、勝手に命名して進んだ。(竹三郎さんがお元気で出演され良かった。声ですぐわかった。)一旦8人の仲間から離れ、兄・エースを助ける話しに進んだので、ルフィのことも浮き彫りとなり、夢は大きいが仲間がいないとダメなさびしがりやのルフィを印象づけられる。

観る方も、観る冒険に旅立ち波は高かったが何んとか捉えられたようである。主題歌を歌って空中波乗りを応援できたらもっと楽しさが増すかも。

2年後に船長ルフィと仲間が船出できることを祈る。

原作・尾田栄一郎/脚本・演出・横内謙介/演出・市川猿之助/スーパーバイザー・市川猿翁

出演・市川猿之助、市川右近、市川笑三郎、市川笑也、市川猿弥、市川男女蔵、市川春猿、市川寿猿、市川竹三郎、市川門之助、市川弘太郎、坂東巳之助、中村隼人、福士誠治、嘉島典俊、浅野和之、市川欣弥、市川段之、市川蔦之助、市川門松、坂東竹之助、市川笑野、市川猿三郎、市川猿紫、市川猿四郎、市川喜猿、市川喜昇、穴井豪、石橋直也、市瀬秀和、井之上チャル、三笠優 (書ききれない人数)

パンフレットを読んでから観るか。観てから読むか。後者を選んで良かったと思う。女だけの島の女王としたのは間違いで、島を取り仕切っているおばばさん(ニョン婆)であった。衣装が女王とは言えないので迷ったが、島の実質的采配者と理解したので女王としてしまった。というわけで細かい点での間違いはあるが、勝手にクリアしたこととする。こちらの紹介には登場していない沢山の面白いキャラがあるが、それはパンフを見つつ、ウシシシシ~と楽しんでいる。

ペリー荻野さんは、海賊をキーワードにその関連の本や映像などをあげられ、やはりこれは読まなくてはならない運命かとか、この映画再度観る必要ありなどと、チェックしつつグリコ現象である。

 

京都魔界めぐりの旅(2)

千本ゑんま堂・引接寺(いんじょうじ)>のある千本通りは、かつての朱雀大路で羅城門から朱雀門までを貫いていた。朱雀大路の西側は水はけが悪く、疫病も蔓延し、船岡山の西嶺は<蓮華台>と呼ばれる葬送の地であった。死者を弔う無数の卒塔婆が立てられたことから、千本通りと言われるようになる。都の中心は東に移り、朱雀門も荒廃し鬼の出没する場所となる。

 

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<千本ゑんま堂>のしおりによると、小野篁(おののたかむろ)は、この世とあの世を行き来する神通力を持っていて、昼は宮中、夜は閻魔庁に仕えていた。閻魔法王より現世浄化のため亡くなった先祖を再びこの世へ迎えて供養する「精霊迎え」の法儀を授かり、篁自ら閻魔法王の塔を建立したのが始まりとされる。

旧盆には、水塔婆を流し迎え鐘をついて、その音にのって閻魔様のお許しを得て帰ってこられる「おしょらいさん」を、お仏壇の扉を開いてお迎えするのである。

ここには紫式部さんの供養塔もあり、紫式部さんと小野篁さんのお墓は、北大路堀川に並んであるらしい。不思議なつながりである。

 

 

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そのほか、京都三大念仏狂言の一つ<ゑんま堂狂言>があり、春には花冠のままぼとりと落下して散る<ゑんま堂ふげんざくら>が咲く。堂のおもむきは地域に親しみを込めてにらみを効かす閻魔大王様といった感じである。

今月の歌舞伎座『髪結新三』では「深川閻魔堂橋の場」がある。<深川閻魔堂>へはまだ行っていない。行かなくては。

<白峯神宮>へ行く途中で、<京都市考古資料館>があり入館してみた。係のかたがこちらの時間にあわせて資料の説明をしてくれた。ここでは来館した人で希望者に、一人4コースの、京都歴史散策マップをくれる。40コースあって、選ぶのに迷ってしまった。コースの地域で発掘された遺跡と、裏には散策地図がのっている。近ければすべて手に入れたいが残念である。

白峯神宮> 明治天皇が崇徳上皇の霊を鎮めるために創建された。崇徳上皇は不義の子とされ、父・鳥羽法皇にうとまれ、父の死後、後白河天皇と対立し保元の乱がおこり、後白河天皇に負け、讃岐に流されて亡くなる。

 

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ここは、蹴鞠(けまり)、和歌の宗家である飛鳥井家の邸宅のあったところで、蹴鞠は落とさない競技なので、球技や学業の神様とされている。蹴鞠がはめ込まれた<蹴鞠の碑>がある。

晴明神社> 安倍晴明さんは陰陽寮の最上位になったのは57歳で、85歳で亡くなっている。当時としては驚異的長寿といえるであろう。初めて訪れたときは他の有名な神社に比べると狭いのでがっかりした記憶がある。一の鳥居の中央には五芒星が掲げられている。五芒星は晴明桔梗とも言われるらしい。晴明が操った式神の石像、五芒星のしるされた石から流れる晴明井戸や晴明像などがある。

 

 

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<千利休聚楽屋敷趾>の碑があった。晴明神社の地に千利休の屋敷があり、晴明の井戸の水を茶湯に使ったとされる。利休さんこの屋敷で切腹したのでしょうか。そうだとすると、利休さんの映画の場面の見方にこの地が加わってくるが。

 

 

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一条戻橋> 葬送の際に遺体を運ぶ橋であった。現世と来世をつなぐ橋といわれ、歌舞伎の演目にもあり沢山逸話が残されている橋である。この橋の上で死からよみがえった人もいて、それから戻橋といわれる。堀川に架かるコンクリートの短い橋でそんな力のある橋とは思えない。晴明さんはこの橋の下に式神を隠していたとも言われている。今はこの橋の下が川に沿って遊歩道となっていて、時間があれば歩いてみたい場所である。どこに通じているのか。

 

 

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この近くに「樂美術館」があった。一度は訪れたいと思っている美術館の一つである。

最終地のは<下御霊神社>である。ここは、桓武天皇の第三皇子・伊予親王が謀反の嫌疑をかけられ、母と共に服毒自殺をされ、その霊を鎮めるために祀られている。

 

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あの世とこの世を行き来するということが異形のことで、それを鎮めたり、あるいは、一年に一度この世にお迎えし、またお送りするといったことには、異形とはならないようにとの願いと祈りがあるようである。

上御霊神社>→<船岡山公園>→<千本ゑんま堂>→<京都市考古資料館>→<白峯神宮>→<晴明神社>→<一条戻橋>→<下御霊神社

 

京都魔界めぐりの旅(1)

雑誌の<京都魔界巡りガイド>に3コース載っていた。2つのコースは行っていない個所が一箇所で、選んだコースは行った個所が一箇所である。

下御霊神社 → 一条戻橋 → 晴明神社 → 白峯神社 → 千本ゑんま堂

すでに訪れているのは、晴明神社である。ただその頃は『陰陽師』に興味がないから、単なる見学である。さらに、最後に 上御霊神社 を加えた。これで、南、西、北と御所を中心として周ることになる。

<京都観光一日乗車券(二日)>を購入。これは京都市バス全線、市営地下鉄全線、京都バスが乗れる。バスだけ、地下鉄だけの一日乗車カードもある。小銭の用意をしなくてもよいのが助かるし、場合によってはお得度も高い。しかし地下鉄など出口によっては進む方向性をつかめなくなるときがあり、出る前に確かめるがそれでも迷うことがある。方向音痴らしい。

上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)>。謀略などで命を奪われた魂は御霊になるといわれ、この高貴なかたが謀略の御霊を鎮める御霊信仰の始まりは<上御霊神社>からで、早良(さわら)親王の御霊を祀ったのがおこりである。早良親王は崇道(すどう)天皇の尊号を追贈されている。その他にも憤死した方々の御霊が祀られている。驚いたことに、ここは<応仁の乱>勃発の地であった。いやはや先人も静かには眠っておられません。

 

 

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そしてここに晴明・心の像がありました。違いました。<清明心の像>でした。中国宋代の学者・司馬温公が子供のころ、一緒に遊んでいた子供が、水の満ちた大甕に落ちてしまった。すぐさま大きな石で甕を割り友人を救ったということから、物より命が大切の心ということらしい。機転の早い子がそばにいてくれて良かった。

 

 

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次に<千本ゑんま堂>に行こうとバスに乘ったところ、<船岡山>という停留所があり下車する。船岡山公園となっていて、その上からは、思いがけず五山送り火の左大文の<大>の字が見えた。こういう出会いは声が出てしまう。

 

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「今より千二百年の昔、京都に都がさだめられる際、船岡山が北の基点となり、この山の真南が、大極殿、朱雀大路となった。これは、陰陽五行思想、風水思想に基づいて、船岡山は大地の気が溢れ出る、玄武の小山であるとされたためである。」

応仁の乱の際にこの山が西軍の陣地となり、この周辺を西陣とよんだ。そうなんだ。西陣織りの生まれたところと思っていたが、元をただせばそいうことなのだ。ここに建勳神社がある。秀吉はここに信長の御魂をまつろうとし、それ以来信長公の大切な地とされ、明治天皇が創建された。<人間五十年 下天の内ををくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て 滅せぬ者のあるべきか>の織田信長が舞った「敦盛」の一節の碑もあった。

 

 

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さて、<千本ゑんま堂>へと思っても道がわからず、地元の人に尋ねて歩いて行くと<長岡温泉>があった。ここであったか。雑誌で、京都の銭湯の一つとして紹介されていて頭に残っていた。銭湯は庶民のお風呂で、京都といえども同様である。ホテルのバスルーム兼トイレの狭さがいやで、近くに銭湯がある知ると利用することがある。猫ぎらいは行けそうにないような、猫だらけ銭湯もあった。バスルーム兼トイレは、東京オリンピックのとき考え出されたそうである。ホテルも大浴場ありだと嬉しい。疲れの取れ方が全然違う。とにかく、<長岡温泉>見つかり、大地の気も踏んだのである。

千本ゑんま堂>無事到着。雑誌のガイドとは反対に進んでいる。深く考えなかったが、こういう魔界巡りの場合、巡る方角など決まりがあるのであろうか。いまさら考えても遅いし、これからも考えないことにする。平安のころは、方角が悪いとして方違い(かたたがい)と称し、出立位置を違う場所に変えて、それから出立したりしている。時々それを言い訳に平安の色男たちは、恋人を訪ねてくるのが遅かった理由にしている。ゑんま様には効き目が無い。

 

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旧東海道の『丸子宿』『宇津ノ谷峠』での話題

JR静岡駅北口から200メートル先に旧東海道がある。そこから丸子宿を目指し、さらに宇津ノ谷峠を越し岡部宿となる。

府中宿は『東海道中膝栗毛』を書いた十返舎一九さんの生まれたところらしく、生家伝承地碑があるが、旧東海道からはそれているので確かめてはいない。駿府城跡地の駿府公園手前に札の辻跡がある。四つ辻にあった高札場である。

 

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七間町  家康が駿府96ケ町の町割りをした時のひとつ。道幅が七間。

 

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一里塚跡

 

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由井正雪墓碑

 

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丸子宿に入る前に大きな安倍川がある。安倍川を渡る前には安倍川餅である。柔らかくて美味であった。安倍川餅といえば、黄な粉であるが、黄な粉、あんこ、わさび醤油と三種類に舌づつみである。

 

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 安倍川義夫の碑   ある人夫が旅人の財布を拾った。旅人はお礼をしようとしたが受け取らない。奉行所が代わりに褒美を渡した。

 

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安倍川架橋の碑

 

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一里塚跡

 

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丸子宿の丸子川を渡る手前に<十返舎一九膝栗毛の碑>がある。その手前に<本陣跡><お七里役所跡>がある。西国の大名は江戸と自分の領国の間の通信網として七里飛脚を使っていた。五人一組の飛脚を<お七里所>に配置していた。この丸子の<お七里役所跡>は、紀州徳川家の<お七里役所跡>である。

普通便は8日で、特急便は4日で到着したそうで、毎月三回、江戸からは5の日、和歌山からは10の日に出発した。この日には飛脚が着くという日がわかっていたわけである。それ以外の日につけば、緊急であろうから受けたほうは緊張したことであろう。

 

本陣跡

 

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お七里役所跡

 

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そして丸子宿といえば、とろろ汁である。弥二さん喜多さんはこのとろろ汁が食べられなかったこともあってか<十返舎一九膝栗毛の碑>は、とろろ汁のお店の前にある。この日はそのとろろ汁のお店が休みで、弥二さん喜多さんと同じ運命かと思いきや、他のお店が開いていて無事食べることが出来た。満足。

池波正太郎さんは、岡本かの子さんの小説『東海道五十三次』の中で丸子宿でとろろ飯をたべている場面からどうしても食べたくなり丸子宿を訪れている。とろろ汁もであるが、岡本かの子さんの短編『東海道五十三次』も読めてこれまた満足である。

 

岡本かの子の碑

 

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京方見付跡

 

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丸子宿宇津ノ谷峠は、河竹黙阿弥の歌舞伎『蔦紅葉宇都谷峠』の舞台にもなっていて、是非ここは通りたいと思っていたのである。

 

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お羽織屋   秀吉から陣羽織を与えられた。

 

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歌舞伎の『蔦紅葉宇都谷峠』の紹介記事展示

 

 

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宇津ノ谷峠は、明治のトンネル、大正のトンネル、昭和のトンネル、平成のトンネルと時代ごとのトンネルがある。明治、大正は散策コースにもなっていて、さらに蔦の細道と幾つかの散策道があるが、こちらは、ひたすら旧東海道である。宇津ノ谷峠への登りがきつく大丈夫かなと思ったが登りが適当なところで終わってくれ、下りが長かったので助かった。

旧東海道を歩いていると距離の単位が<里>になっていて、言葉に何里とかでてくると、その遠さなどがすぐ体感できたりする。一里はなくても、高さがあると時間がかかるということも考慮に入れる。峠は薄暗く、やはり、川と峠は旅人の脅威である。そして、雨も。次の日雨となり、途中で早めに行程をあきらめて、駿府城見学に変えた。その夜、風が猛威を振るい箱根では木が倒れ、箱根鉄道は運休となったようである。

行くとき今回は富士山が全身を現してくれたのであるが、土色で何かぼやけてみえる。風のための土煙の影響であったようだ。

さて、今回、ツッコミを提供してくれたのは、テレビの『陰陽師』と映画『図書館戦争』である。『陰陽師』は、晴明と博雅の関係にブーイング。夢枕獏さんの『陰陽師』ではないとの結論。といっても、こちらは歌舞伎の染五郎さんと勘九郎さんのコンビを最高とおもっているので、原作と比較できない。脚色されるのは仕方のないことではあるが、原作を一冊読んだ。原作よりも、歌舞伎の晴明と博雅の微妙な関係のほうが味がある。やはり原作は読むべきである。『今昔物語』にも出てくる話しが書かれてあった。そして蝉丸さんが出て来た。あの世とこの世の境とされる<逢坂山>に庵を結んだと言われる琵琶の名手である。蝉丸さんが出てきてくれたことだけをとっても原作を読んでよかった。生きた人と人が作り出す芝居や映像は、原作とは違ってしまうのが宿命であろう。

かつては、原作派で、原作の良いものは、映像とか芝居は観る気がしなかったが、近頃は映像などで短時間でその概要を捕らえることが多くなった。原作を読む時間がないということ、集中力が低下して、本を読むのに時間がかかるのである。

映画『図書館戦争』は、原作を読んだ友人から、<図書館の自由に関する宣言>があるのを知っているかときかれ、知らないというと、こういうのがあるのだと教えてくてた。作家の有川浩さんも、<図書館の自由に関する宣言>を知ってそのことから作品の発想が生まれたようである。さっそく、レンタルする。不適当な本として取り締まる側とそれに抵抗し本と読み手の自由を守る人間とが戦争にまで発展してしまうのである。アニメ映画にもなっているらしい。原作は5巻くらいありさらに別冊が2巻あるらしく読むなら貸すといわれたが断る。今、その本を入れるゆとりがない。

映画ではやはり短すぎるが、こういう展開なのかということはわかる。

<図書館の自由に関する宣言>があるということを知っただけでもよかった。今、民間に図書運営を任せ問題点があることが住民から指摘されたりしている。資料として古くなったりしたものや、定説が新しい事が発掘され変更になったものなど、専門家の図書司書の方がきちんと調べてそろえたり、保存していくのが図書館の役目でもあるようである。そういえばこちらが調べたいことを察して、その関係ならこういう本もありますよと言ってくれた図書館の人もいたが、今はそんなこともない。ただし、個人情報として立ち入ることを避ける必要があるのかもしれない。

ただ、捜してる本の場所を見つけるのが、かつての係りの人はもっと早かったと思わされることは多い。

今夜、テレビで『図書館戦争』放送されるらしい。男女の背の高さが、かなり重要なポイントでもある。

TBSテレビ 21時~

映画監督 ☆川島雄三☆ 『還って来た男』『東京マダムと大阪夫人』(2)

『東京マダムと大阪夫人』は、芦川いづみさんの映画デビュー作品で、川島監督が撮影の高村倉太郎さんと組んだ最初の作品でもある。月丘夢路さんの妹役を松竹少女歌劇に探しにゆき、芦川さんに決まる。高村さんによると「ずいぶん少女歌劇に通いましたよ。それで何日か通ってあの子がいいんじゃないかと目星を立てて彼女を口説いて俳優さんに転向させたんです。」とのこと。

川島監督の映画『純潔革命』で初めて主役をもらった三橋達也さんは、川島監督を「これはただ者ではないな」と思ったのが『東京マダムと大阪夫人』で、ストーリーは覚えてないが川島さんの才能に舌を巻いた記憶があるという。この映画の感じが大船調喜劇だそうで、<大船調喜劇>と言われていた映画があったのを知る。ストーリーは覚えてないと言われているが、確かに退屈な部分がある。そこをリズムと台詞と映像で引っ張て行く。

東京の郊外の社宅でのてんやわんやの話しであるが、場所はあひるヶ丘と名付けられ、奥様達とあひるが交互に映されてその喧しいこと。ところが、社宅はモダンで、隣り合わせの社宅に江戸っ子の奥さんと大阪生まれの奥さんが住んで居る。それが東京マダム(月丘夢路)と大阪夫人(水原真知子)で、マダムはお洒落な洋服に白いフリルのサロンエプロンで、夫人は和服である。二軒長屋形式で庭の境目に洗濯用の水道がある。共有で使うのである。大阪夫人が洗濯機を買ったから大変である。東京夫人もさっそく夫に要求する。

会社では、東京マダムの夫(三橋達也)と大阪夫人の夫(大坂志郎)の机が隣り合わせである。課長宅には電話があり、皆さんその電話を使わせてもらうので、家庭も会社も筒抜け状態である。あひるヶ丘夫人連合の先頭は課長夫人(丹下キヨ子)である。東京マダムのところへマダムの妹・康子(芦川いづみ)が、古い下駄屋の暖簾のために店の職人さんと結婚を決められ嫌で家出してくる。大阪夫人のところへも飛行機乗りのずぼらな弟・八郎(高橋貞二)が来ていて、お互いに好い雰囲気である。

さて、専務社宅もあり、専務夫人は大阪出身で大阪夫人は専務宅へ挨拶に。専務の娘・百々子(北原三枝)は、八郎が気に入り積極的恋愛主義で進む。消極的恋愛主義の康子は諦めて家にもどるが、百々子は八郎が好きなのは康子と知ると、積極的恋愛応援団長として康子と八郎との仲を取り持ってしまう。

課長(多々良純)は栄転で引っ越すこととなり、あひるヶ丘は新しい課長夫人が早くも先頭に立って、あひるの合唱が始まっている。

川島監督は北原三枝さんと芦川いづみさんの持ち味を決定づけた監督でもあるように思える。日活にいってからの北原さんと芦川さんの『風船』の役にしてもそうである。北原さんは常に前進し、芦川さんは一歩引いて芯を見せるといった風である。

川島監督は、高橋貞二さんの操縦するセスナを宙返りさせてくれと要求し、セスナは実際には宙返りできないので、高村さんはキャメラを回転させる手法をとる。川島監督は高村さんに、「おれとおまえの間では“できない”ということは言わない。」と約束させた。そのコンビも川島監督が東宝に移り終わってしまう。

高村さんのところへ川島監督が亡くなる数日前に突然電話があった。『渡り鳥』シリーズをやっている頃で、「お前は最近堕落している」「おまえはああいう作品をやってはダメだ」と言われれる。高村さんは言い返す。「ダメだって言ったって、おれは会社の人間だから会社にいわれればやらざるを得ない。そんなことより、おまえはおれを見捨てて行っちゃったじゃないか。」川島監督の返答。「いや、そうじゃない。次はおまえとやるんだからスケジュールを空けてまってろ。」

高村さんは、ずーっと会っていなかったのに「おまえはダメだ」と警告してくれたのはやっぱりうれしいなと思い、その後も川島監督のお墓参りのときは、「おれはまだ待ってるんだよ」と話しかけると語られた。

 

 

 

映画監督 ☆川島雄三☆ 『還って来た男』『東京マダムと大阪夫人』(1)

神保町シアターで<恋する女優 芦川いづみ>(8月29日~9月18日)で芦川いづみさんのデビュー映画で川島雄三監督作品『東京マダムと大阪夫人』を観ることが出来、<百花繚乱 昭和の映画女優たち>(9月19~10月23日)で川島雄三監督デビュー作品『還って来た男』を観ることができた。

『還って来た男』は、織田作之助さんの『清楚』『木の都』を脚色したもので、脚本も原作者の織田さんが担当している。神保町シアターで『川島雄三 乱調の美学』(磯田勉編)を手に入れる。三橋達也さん、桂小金治さん、高村倉太郎さん、今村昌平監督、西川克己監督のインタビューと、エッセイが載せられていて、それぞれの見方で面白い。

当時の大船撮影所は有力監督が次々応召され、小津安二郎監督も国策映画撮影のためシンガポールにいったままで、その手薄を補うため新人監督の登庸を決め、川島雄三さんも助監督から監督となる。西河克己監督は、学生時代に付き合いがあり、川島監督の1年後に松竹に入社する。この時の登庸試験について 「川島のようなのら犬監督には実力を認めて貰える機会はなかったかもしれない。」 としている。当時の川島監督は、西川監督からみると、もの知りなのら犬と写っていたようだが、川島監督は誰からの推挙もなく、純粋に試験の成績がトップで監督になったと記している。

『還って来た男』は、1944年の戦時下に作られたとは思えない長閑さがある。軍医が、戦地のマニラで虚弱な子供たちを診ていて、子供は健康に育たなければならないとの信念をもって日本に還ってくる。父親は財産を全て息子に渡す時期と考えていて、息子は自分の信念のためにその財産を使うこととする。ところが、この軍医は志は立派だが、そそっかしくあわてん坊なところがある。さらにところがで、このあわてん坊な純真なところが四人の女性に好感を持たれてしまうのである。

父親に財産と同時に嫁も貰えと言われ見合いをすすめられる。軍医は自分は見合いは一回しかせず、見合いをしたら必ずその人を妻にする主義でまだ見合いはしないというが、父親に丸め込まれ見合いをすることになる。その前に出会った女性二人は完全に軍医に好感を持っている。その後、亡くなった同級生の妹を心配して尋ね、りっぱに教師として自立しており安心する。その妹も軍医に好感をもつが、すでに外地に教師として赴任することを決めている。その同僚の教師が見合いの相手で、見合いの相手が、他の三人より魅力に欠ける人だったら観ているほうも複雑だなあと少しどうなるか心配であったが、見合いの相手がこれまた人間的にしっかりした人でハッピーエンドである。見合いする前に二人は出会ってしまったのである。好感を持った二人の女性とは縁がなかったということである。あわてん坊の軍医さん、モテすぎである。

その一人の女性が、『木の都』に出てきた、レコード店の娘さんである。娘さんの亡くなったお母さんが、軍医に慰問袋を送った人で軍医はそのお礼にレコード店を訪れたのである。弟が新聞配達をしていて、名古屋の工場に働きに行き寮生活となるが、家が恋しくて帰って来てしまうため、その父と娘は名古屋に引っ越すのである。

映画の出だしが、この新聞配達の少年が途中の坂の階段で転びケガをして、その手当をしてくれるのが、二人の女性教師同級生の妹と見合い相手である。見合い相手が田中絹代さんで軍医が佐野周二さんである。

軍医の父親が笠智衆さんで、小津安二郎監督の映画『父ありき』の時とは違う親子関係で、その辺も見どころで、小津監督の場合だと誰もいない坂道の階段を、小津監督の完璧な絵としてじーっと観させられそうであるが、川島監督はそこに遊ぶ子供たちを入れ動きを入れる。小津監督の坂道も家も眺めているだけで入ろうとは思わないが、川島監督の場合は、その坂道を歩きたくなるのである。そう思わせる映像なのである。

桂小金治さんが「やっぱり先生の映画はリズムだな。」「型破りたって軌道から外れてるわけじゃないんだよな。線路の上で花電車があったり食堂車があったりね、このよさなのよ。」と上手いことを言われている。小津監督の場合は鎌倉から東京の丸の内に通う規則正しい通勤電車である。

川島監督は中学の二年の時従兄に「オズヤス知ってるか、映画監督では何と云っても小津安だ」と言っていたのを今村昌平監督は従兄から聞いている。誰もが通過して自分の電車を走らせる。

この映画は時代からするとかなりずれている。このずれが今観ると凄いと思うし、ぐるうと回って行き着く終着点とその中心にいるレコード店の家族など、構図的な工夫があり、登場人物はそれぞれの自分の意志を持っている。押し付けられていた時代にこういう映画があったのだ。

映画『わが町』と同じようにマラソンがあり、織田作さんの好きな大阪の天王寺界隈があり、名古屋の軍需工場は織物工場の独特の三角屋根で、名古屋を印象づける。

フィルムも制限され、映画は67分である。天王寺の丘の下の寺に軍隊が駐屯していてたとえ長屋の路地といえども上から撮るというのは禁止だったようである。

「織田作之助とは、これを機会につきあいはじめ、僕は得をしました。反面、この破滅型作家とのつきあいで、こちらも多少、影響を受けてしまったのですがね。」(川島雄三)

『木の都』 織田作之助著

 

映画『赤い夕陽の渡り鳥』『黒い椿』

浄土平ビジターセンターで紹介されていたのが、小林旭さん主演の日活<渡り鳥シリーズ>の『赤い夕陽の渡り鳥』である。

浄土平を中間点とする磐梯吾妻スカイラインは、1959年(昭和34年)に開通し、映画『赤い夕陽の渡り鳥』は1960年7月封切である。磐梯吾妻スカイラインは、11月中旬には雪のため翌年の4月中旬まで封鎖となるので、この映画が磐梯吾妻スカイラインの宣伝に大きな役割を果たしたことになる。

クランクインが1960年5月31日、クランクアップが6月25日であるから一か月弱で撮った映画ということになる。映画の内容は、新しいバス道路が計画され、そこに温泉の元湯があり、その所有権を悪徳業者が狙っているのである。バス道路は地域の人のためであるが、悪徳業者に温泉の権利を渡すわけには行かないと所有者と悪徳業者の対立となる。当然所有者は善で、そちらには美しい若き女性が頑張っていて、その女性を助ける流れ者のナイトが現れるのである。このお二人が<渡り鳥シリーズ>のコンビ、小林旭さんと浅丘ルリ子さんである。

最初と最後に、吾妻小富士と磐梯吾妻スカイラインの映像がドーンと映る。監督は斎藤武一さんで、助監督に神代辰巳さんの名がある。このシリーズは映画『南国土佐を後にして』の好評からシリーズ化され、小林明さんの歌も登場する。主題歌「赤い夕陽の渡り鳥」、「アキラの会津磐梯山」。井上ひろしさんが「煙草が二箱消えちゃった」を歌う。「アキラの会津磐梯山」の歌が楽しい。小原庄助どんはでっかいことが好きで、朝寝朝酒酒樽あけて、あけた酒樽櫓に積んで、会津磐梯山と背比べをするのである。

ロケはどこで行われたかはっきりしないが、湖から磐梯山を望んだ映像もある。磐梯吾妻には、吾妻小富士の浄土平を中心とする、磐梯吾妻スカイライン、磐梯山を望む磐梯ゴールドライン、檜原湖や秋元湖をに向かう磐梯吾妻レークラインとかつて有料だった道路が三つある。2013年から無料となった。三つのラインがあるのを今回知った。恐らくはまだ出来てはいなかった磐梯吾妻レークラインのあたりの風景や道も多く使われたのではなかろうか。撮影は川島雄三監督と組んでいた高村倉太郎さんである。

小林旭さんと宍戸錠さんがトランプでの対決で、手品のような手の動きだけを交互に映すテンポ。小林明さんの格闘シーンのスピード感や、バックの斜めに入る空と山肌の稜線など筋よりそちらの方に目がいく。宍戸錠さんのスーツの着こなしが格好よく、主人公を助けたり邪魔したりと気ままに動く。浅丘ルリ子さんはあくまで愛らしく清楚である。

最初からツッコミ部分もあって、男の子が道から転げ落ちたらしく崖下で泣き声がする。その子を助けるため主人公・滝伸次は格好良く駆け降りるのであるが、ダメダメそんなに勢いよく下りては一緒に石も転がってしまい、少年にあたるかも。助けられて主人公と馬で自宅に届けられるが、あそこまで少年はどうやって行ったの。遠すぎる。

どの映画の時かわからないが、小林旭さんはスタントマンのかたが怪我をして見舞いに行ったら痛い痛いの声が聞こえそれからは、スタントマンをほとんど使わなかったそうである。

吾妻連峰、安達太良山、磐梯山と山あり、湖あり、沼あり、温泉ありの観光地へ主人公がギターを友に馬にまたがって流れ着くという破天荒な映画が、雄大な自然を上手く使い可能にした映画である。赤い夕陽の美しい自然の映像もある。磐梯の紅葉はこれから美しい時期をむかえる。この風景の中で旭さんの高い声が響くと赤さが増しそうである。

『黒い椿』は東映の時代劇映画。大川橋蔵さんの若さまが保養で伊豆大島に来たところ殺人事件が起こりその事件を解決するのである。<若さま侍捕り物帖シリーズ>の第九作である。監督は沢島忠さんである。殺人の疑わしき容疑者が多く、最後の最期に謎が解けるという内容で、見ているほうもそこまで引っ張られる。それと、疑わしくなるような、出演者の突然の怖い顔のアップがあって、結構混乱させられる。

若さまの大川橋蔵さんと島の娘・お君ちゃんの丘さとみさんが、出会うのが三原山の火口である。こちらも、大島ロケたっぷりの映画であるが、若さまの大立ち廻りはなく、思索する若さまである。お君ちゃんのお母さんが、江戸から来た侍と恋仲となり侍は江戸に帰ってしまい、お母さんはお君ちゃんを産むが侍はもどって来ず、三原山の火口に飛び込んでしまう。そんなお君ちゃんを若さまは何かと励ますが、大島を仕切る強欲な網元ととの関係など、お君ちゃんとお君ちゃんのお爺ちゃんは苦しい立場に追い込まれる。殺されたのが網元であるから、益々、お爺ちゃんとお君ちゃんは窮地に。若さまは救うことができるのか。

お君ちゃんの恋人役が坂東吉弥さんで、お君ちゃんがお母さんのことから島民から奇異の眼で見られていて、その状況を打破して結婚するだけの覇気がない。若い頃の吉弥さんを見ることが出来た。

若さまは<椿亭>に泊まっていて、そこの女主人お園・青山京子さん(小林明さんの奥様ですね。偶然です。)がお客あしらいがなかなか上手である。番頭・田中春夫さんは、真面目でそこへ、怪しげな兄が密航してくる。油商人の新三・山形勲さんも怪しい。そして、鎮西八郎為朝の子孫という名主の千秋実さんが御用の役目も仰せつかっていているが混乱させるだけである。そんなこんなで混線しているが、若さまはきちんと犯人をみつける。

溶岩流が冷えて固まったごつごつした柱、岩の切り立つ海岸や美しい波打ち際、さらに、地層がずれてむき出しになった美しい断層の断面の壁は大島ならではの風景で映画の中でも映し出されている。椿の咲き誇る道はセットであろう。

いつもの明るい役とは違い嘆き通しの丘さとみさん。橋蔵さんの笑顔と青木京子さんの艶やかさがないと暗いだけの映画になってしまう。若さまと御神火様は、お君ちゃんとお爺ちゃんを守ってくれる。大島の自然たっぷりの映画である。

『黒い椿』は1961年(昭和36年)公開で、『赤い夕陽の渡り鳥』の一年あとである。まだまだ映画が娯楽の中心の時代であろう。

伊豆大島 (三原山)  伊豆大島 (椿)

吾妻小富士・鳥海山・月山

吾妻小富士><鳥海山><月山>を、我足で踏みしめることが出来た。ハイキング程度であるが、山の一部を歩けたので満足である。

月山>は、出羽三山の一つである。昨年羽黒山に行ったとき、残りの二山も行かねばと思っていたので、<月山>を目にして、ツアーに申し込む。<月山>の八合目までバスで登り、<弥陀ヶ原湿原>を1時間ほどの散策である。平坦な木道の遊歩道になっておりバスで登ってきた時の景色を思うと好いとこ取りをしているような気分で、修行とは無縁である。紅葉も始まっていた。

 

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弥陀ヶ原湿原

 

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途中に<月山中の宮>(御田原神社)の鳥居井がある。稲田の守護神が祀られている。残念ながら月山の山頂は雲に邪魔をされて望めない。所々に<池塘>と呼ばれる水たまりがある。八合目であるが、広い広い頂上に居る感じである。

 

月山中之宮・御田原参篭所の案内

 

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鳥海山>は行くまでも帰りも、バスの中から<鳥海山>尽くしである。ぐるっと<鳥海山>を周る感じでの道である。夏の間の東海道は、富士山に嫌われ裾野の見える場所でありながら雲に邪魔されたので、今回は<鳥海山>大好きの心境である。富士山は冬にリベンジするつもりである。<鳥海山>は、<獅子ヶ鼻湿原>を2時間ほど歩く。こちらは神秘に満ちた森の中という観じで妖精が出てきそうな雰囲気である。

 

鳥海山・獅子ヶ鼻湿原

 

流れる水は、川などの流れを落下しているのではなく、鳥海山に浸み込んだ雨や雪解けが伏流水としてここで地表に湧き出しています。

 

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異形に育ったブナの木  

燭台と名付けられた巨木ブナ。太い幹と、幹から立ち上がった形が西洋のロウソク立て似ているため。

 

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鳥海マリモ解説

湧水中には<鳥海マリモ>と呼ばれるコケが水の中に浮いているようである。

 

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日本の自然はまだまだ魅力的な所が残っているらしい。途中のパンフで見つけた。象潟<九十九島 >は、芭蕉も魅了され松島のような島々だったのが、地震のため今は水田の間にかつての島々が点在しているのだそうである。陸の松島と呼ばれている。地震国・火山国・日本ならではの変遷する風景なのであろう。

行程を反対に書いているが、<吾妻小富士>は、浄土平の駐車所から登り、火口を1時間ぐるっと歩く。伊豆大島の三原山では時間がなく火口まで行けなかったので、火口散策は<吾妻小富士>で願い叶ったりである。すり鉢のような火口跡を見下ろしつつ、雲間の山々を眺めつつ歩く。吾妻山は活火山である。今は静かに乾ききったような火口である。

 

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火口を巡って下りてから、今度はビジターセンターに隣接する湿原を散策。ここは、20分もあればまわれる。草花は残念ながらエゾリンドウが少々である。しかし、白い苔のハナゴケが頑張って群生していてくれた。その白さが可愛らしい。

 

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ビジターセンターで日本野鳥の会の発行の小冊子があり、ページ数はすくないが、写真と文がなかなか味わい深い。好きな星野道夫さんの写真も載っている。その中で、福島原発の身体に対する影響を心配し、いわき市の主婦らが立ち上げたNPO法人『いわき放射能市民測定室 たらちね』の紹介があった。「β線放射測定ラボ」を立ち上げつつあるという。この冊子は2014年12月発行なのですでに開始しているようだ。放射線のセシウム測定はよく聞くが、β線のほうが横綱級で骨に取り込まれ延々と体内で放射線を出し続けるのだそうで、β線を測定するには多大な費用、技術的な問題があるのであるが、それを稼働し始めるという話しである。

福島にきて原発問題を提起される。若いお母さんたちが、心配するのは母親として当然のことである。一番きがかりのことである。こうした会が生まれ存在してくれることは若いお母さんたちに大いなる力となるであろう。ただ営利目的の団体もできているとのことで、その辺は利用される際には充分確かめられたい。

自然を通して素晴らしい面も破壊される面もはたまた、自然の驚異や横暴さも様々な姿が見えてくる。その中で人はどう生きていくのか。そんなことも想い至る時間であった。処理方法が決まらず何処にも持って行きようのないものは使用しないのが自然の流れと思う。

さて、映画好きとしては、磐梯山と吾妻山の周辺の風景をロケした映画の情報も得たのでその映画と、伊豆大島を舞台とした映画の話しを次には書くことにする。

 

羽黒山 → 東北の旅・慈恩寺~羽黒山三神合祭殿~国宝羽黒山五重塔~鶴岡(3) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

 

歌舞伎座 九月秀山祭 『競伊勢物語』

『競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)』は、歌舞伎座では半世紀ぶりの上演ということである。

またまた、主のために身代わりとなって死ぬ話しである。江戸時代の芝居が全部復活しているわけではないのでこの身代わりの忠儀の死の話しが多いのかどうかは定かではないが、多い。どうしてなのであろうか。忠儀となれば、武士。武士と庶民の世界観は別である。庶民は、武士の世界を忠義で見ることに寄って、現実の武士との違いを置いといて涙したのであろうか。泰平の世の<忠臣蔵>が武士道とするなら民衆が絶賛したのも、武士はときには武士道の忠儀を見せて欲しいとの要望の事件ともいえる。

『競伊勢物語』はややこしい。伊勢物語とあるから、在原業平と関係するとおもわれる。時代は王朝時代である。惟喬(これたか)親王と惟仁(これひと)親王が跡目相続で争っている。主人公といえるであろう紀有常(きのありつね)は、先帝の子・井筒姫を自分の娘として育てている。井筒姫は在原業平と恋仲であるが惟喬親王は井筒姫を差し出せという。有常は井筒姫と業平のために一計を考える。

有恒には実の娘がいて、この娘・信夫(しのぶ)は、奈良春日野に住む小由(こよし)に預けている。なぜ預けているのかはわからない。この信夫と信夫の夫・豆四郎が、選りにも選って、井筒姫と業平に似ているのである。有常は、実の娘夫婦の身代わりを考えたのである。

豆四郎は惟仁親王の旧臣の子である。惟喬親王側に奪われた神鏡の八咫鏡(やたのかがみ)が立ち入ってはいけない玉水渕(たまみずぶち)にあると聞き、信夫は夫のために禁を犯して悪党の銅鑼の鐃八(にょうはち)と争って手に入れるのである。今は反物を売って歩いているが、生まれがわかるような行動である。

有常は、小由の住居へ訪ね昔を懐かしむ。どうやら有常は昔、庶民の暮らしまで身分が下がったようである。小由は、有常にはったい茶を振る舞い、有常は頭に手ぬぐいを置き、昔の太郎助の姿ではったい茶をご馳走になる。このあたりは、娘を返して欲しい本当の理由を言わず小由と昔語らいをする柔らかな有常であり、太郎助と接して心から懐かしむ小由である。

信夫は禁を犯したのである。母・小由に難が及ぶのを考え、親子の縁を切るためにあえて難癖をつけるのであるが小由は取り合わない。夫の豆四郎との夫婦喧嘩かなにかで機嫌が悪いのであろうと信夫をなだめる。信夫には信夫の母に対する想いがあったのである。

それを納めるのが有常の信夫を預かるという言葉である。信夫は京に上るのである。有常は信夫の髪を梳いて整えてやる。死を前にして、父が娘の髪を梳くというのはこの芝居のほかにあるであろうか。嬉しそうに似合うかという娘。心の内を隠し似合っているという父。なんとも悲しい情愛のこもる場面である。こちらからは見えないが、親子二人の映る鏡の絵が想像出来る。

自分が身代わりとなる覚悟の出来た信夫は、小由の頼みで琴を奏でる。身分違いという事で小由と信夫の間には屏風があり、母は砧を打ち、小由は琴を奏でる。音楽的にも上手くできた場面である。琴の音が止り不思議に思う母。信夫は父に切られ、豆四郎は切腹し身代わりとなる。赤と白の布に包まれた二つの首を、有常は抱えている。そして、井筒姫と業平がその死をそっと悼むのである。

であろうと思う。

時間が立つと覚束なくなる。奈良街道での、娘たちが背負って京に売りにいっていたのが、かつて陸奥の国の信夫郡(現在の福島県福島市)で作られていた信夫摺りの反物らしい。有常が小由に娘を預けたのも、陸奥でのことらしく、娘・信夫の名もそのへんと重なっているようである。

隠されたいわれが幾つかあるらしいが、芝居自体からそれを読み解くのは難しい。

印象が強いのは、有常と小由の再会の場と、有常と信夫の髪梳きの場である。有常が決めた忠臣は、小由や信夫を目の前にしても変わらない。そういう生き方しか選べない人としての悲哀がある。

有常の吉右衛門さんは、小由と信夫に再会し心和ませているようでいて、自分の役目を疑わぬ生き方を選んだ男の頑なさも見えた。今回はその生き方に狭さを感じてしまった。それに対する信夫の菊之助さんは、自分の思うところを突き進む激しさとあきらめの対比が顕著であった。小由の東蔵さんはあくまでも庶民の生き方を貫く、信夫の心を知らず母として娘をなだめたり、有常の心を知らず心から懐かしがったり、その裏切りに成すすべのない位置を保った。豆四郎の染五郎さんは事の成り行きにじっと耳を傾け、自分の立場に身を添える役どころを静かに貫いた。悪役の又五郎さん多種多様な役をこなされ、今回も手堅い。大谷桂三さんの息子さん・井上公春さんが初お目見得である。これを機に歌舞伎がもっと好きになってくれるとよいが。

この芝居、通しで残っているのであろうか。通しで観たい作品である。

<紀有常生誕1200年>とある。このかた、『伊勢物語』の十六段目にでてくる。三代の天皇に仕えながらのちに普通の人に落ちぶれ、それでいながら昔と同じ心持ちで暮らし生活のことは考えない。そのため40年連れ添った妻は嫌気をさし尼になってしまう。別れに対し何もしてやれないのを嘆く有常に代わって友人が気の毒に思い、有常の代わりに夜具を贈ってやる。その志に感謝し二首詠むが、後の句が「秋や来る露やまがふとおもふまで あるは涙の降るにぞありける」である。(秋がきたのか、それで露がこんなに置き乱れているのか、とそう思うまで私の袖が濡れているのは、涙が降っているのでした・・・)(中村真一郎訳)

 

歌舞伎座 九月秀山祭『双蝶々曲輪日記』『紅葉狩』

『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』の序幕で、観れる機会の少ない演目である。『引窓』はよく上演されるが、そこに登場する南方十次兵衛と妻・お早は遊郭で知り合った仲で、その時の話しである。南方十次兵衛は後に亡父の名前を継いだもので、今は南与兵衛(梅玉)といい笛売りをしている。お早は遊女・都(魁春)として勤めている。

都には与兵衛が、朋輩の遊女・吾妻(芝雀)には若旦那・与五郎(錦之助)という恋人がいる。廓の世界である。都には与五郎の手代・権九郎(松之助)が吾妻には侍の平岡郷左衛門(松江)が、横恋慕している。与五郎は吾妻が身請けされてはとあせって預り金に手をつけてしまう。ところが権九郎と太鼓持ちの佐渡七(宗之助)の計略にはまり盗人にされてしまうが、与兵衛が全てを聞いていて与五郎を助ける。

そのことから与兵衛は襲われ佐渡七を切り殺してしまい、与兵衛も佐渡七に小指を噛み切られてしまう。犯人は指のない者とされ、発覚してしまうのを救うのが都である。権九郎に指を切ってくれればなびくと誘いをかけるのである。上手く逃れた与兵衛は、郷左衛門と三原有右衛門(錦吾)に再び襲われるが新清水の舞台から笛を下げた傘を開き飛び降りふわふわと空中散歩し悠々と去るのである。

『引窓』では、与五郎の贔屓の力士・濡髪が、郷左衛門と有右衛門を殺し逃げ、実母の家で与兵衛と都に会うこととなる。

序幕は、『引窓』からすると、かなり奇想天外な話しになっている。廓の中での恋人たちの自分たちのことしか考えない身勝手さともとれる行動を、さらにふわふわと飛んでしまうのである。或る面、次第に重い話しとなって行く流れに先だっての明るさともいえる。まずは深く考えず役者の動きを楽しんで下さいとでもいうようなところである。

梅玉さん、魁春さん、芝雀さんとベテラン揃いで、錦之助さんも与五郎のような若旦那役は板に着いてきているから芝居の流れを愉しめる。松江さんは今回は悪役で台詞だけでなく声の出し方も工夫されている。宗之助さんは殺されるわけであるから、もう少し素直でなくひねていても良いのでなかろうか。隼人さんが立派な役人で、そのすっきりさが、誤認逮捕なので松之助さんともどもお気の毒と可笑しかった。

序幕だけでありながら楽しめたのは役者さんの力であろう。

『紅葉狩』は若手の力の見せ所であるが、不可ではないが、もう少しという感じである。期待していた響きが弱かった。

平維茂は戸隠に紅葉を堪能するため訪れる。すでに女性達の先客があり、誘われるが一度は断りさらに誘われ共に紅葉狩りとなる。

惟茂は更科姫の踊りを観つつうとうとする。更科姫は踊りつつ険しい視線となるが惟茂が目覚めると何事も無い様に二枚扇を使って踊り続ける。惟茂も従者も次第に深い眠りに入る。寝入ったことを知るや更科姫は男の声と足遣いで立ち去る。染五郎さんの踊りは優雅で美しく二枚扇も上手くこなしているが、何か物足りない。それが何なのかはわからない。

寝てしまった惟茂の松緑さんのもとに山神が夢の中に現れる。山神は足拍子などで更科姫は鬼女であるから起きるようにと知らせるが惟茂は目を覚まさず、山神はあきれて帰ってしまう。山神の金太郎さんは、現在の自分の力を形よく素直に出し切った感じである。可愛らしさから次の段階に入っている。

惟茂はやっと目覚め、鬼女と気がつき姫の後を追う。姫は鬼女となって姿を現し、惟茂はこれを退治する。

惟茂の松緑さんの、鬼と気がついた時の一呼吸を見逃してしまった。更科姫の美しさに酔うというより、紅葉の中での妖気さに酔い山神が夢の中で起こしても起きないくらいなのである。それを知った時の勇者の想いとは。

と言いつつ、また詞と踊りを一致させることの出来なかった、観る側の把握できない力不足なのである。