『~芸がさね舞がさね~』(第2回江戸まちたいとう芸楽祭クロージングイベント)①

江戸まちたいとう芸楽祭」というのは [粋、豊かな人情、進取の気性など、心を感じる「江戸まちたいとう」で、先人たちが守り、育て、現代へ継承されてきた多彩な芸能・芸術文化を、肩の力を抜いて楽しめるお祭り]なのだそうである。

このフライヤーを見つけた時、パッと目に留まったのが神田松之丞さんの写真。何でもいいチケットゲット。予想外に自分の希望の席が確保できた。これも小野照崎神社への初詣のお蔭であろうか。

台東区下谷にある小野照崎神社は、渥美清さんがお参りしたところ、そのあとすぐに『男はつらいよ』の寅さんのオファーがきたとの情報を得たので、今年の初詣は小野照崎神社と決めていたのである。さすが御祭神の小野篁(おのたかむら)公さま、芸能の神様であらせられる。観る側の希望を叶えて下さった。

~芸がさね 舞がさね~』は神田伯山さん(松之丞さん、2月11日より六代目伯山を襲名。襲名真っただ中。)はもとより、出演者の皆さんお初であるがすばらしかった。「浅草花やしき花振袖」、手妻・藤山大樹さん、和楽演奏・AUN J クラシック・オーケストラ。さらにビートたけし杯お笑い日本一受賞者の予定であったが、今回は受賞者がいなくてなんとその代役が、「爆笑問題」である。もちろん芸能界の代役騒動もネタに入っていた。「爆笑問題」は全く予定になかった嬉しい二回目である。

肩の力を抜いて楽しめるお祭りどころか、舞台からのオーラが半端ではなく、観ている方も鍛えられ終わって帰宅途中の車中は爆睡であった。

最初の「浅草花やしき花振袖」の9名のメンバーは、大和楽・花吹雪を桃割れに肩上げの振袖で乙女心を舞い、最後は扇づかいも息を合わせてあでやかな群舞を披露してくれた。浅草花やしきに所属している舞踏家さんとのことである。浅草花やしきでダンスパフォーマンスなどがあるというのは知っていたが、花劇場ができて、新たなる芸能が発進されているようである。

二番手が神田伯山さんで、いやもう想像していた以上の語りの迫力である。30分の持ち時間のまくらを入れて講談は17分くらいであったが、初めてなので聴いてるほうは充分であった。まくらの話しに亡くなられた浪曲師・国本武春さんと木馬館で一緒に出演したときの話しをされた。

その日は一列目にインドのひとが7人くらい並んでいてやりづらかったのであるが(本当かな)、国本武春さんはその場を包み込むようにして盛り上げてインド人も最後はスタンディングオベーションとなったそうである。そのインド人たちラップの心得があったかもと映画『ガリーボーイ』(インドのスラム街出身の実在ラッパーを描いている)を思い出してしまった。

伯山さんは国本武春さんとは違って、挑みかかる感じである。演目は『扇の的』。よく知られている那須与一の平家方の扇を射抜く話しであるが、いやいやこちらは初めて聴くような心持ちである。そこにいたる成り立ち、情景、工夫が新鮮なのである。えっー、そうなの、状態である。波を越えていく馬上の那須の与一の凄い掛け声。ここは拍手でしょと指導されるが、そんな余裕はなかった。

はっと我に返り、不意打ちに私の情景の中の那須与一はつんのめって海にころがり落ちそうであった。伯山さんの観客に対する手綱さばきには御用心である。用心仕切れないが。この辺で続きは次のお楽しみというとことであるがラストもきちんと語ってくれたので一件落着である。

2月16日(日)夜 11時~ 『情熱大陸』(TBSテレビ)に出演とのことである。


第15回下町芸能大学『荷風』

浅草の東洋館に初入場。それも永井荷風さん関連の企画を鑑賞でき、さらなる満足である。永井荷風さんの生誕140周年記念だそうで、「下町芸能大学」は東洋興業株式会社が主宰して続けてきた催しのようです。

会長の松倉久幸さんによるプログラムの案内文によりますと「下町の芸能文化を発掘し直し、みなさまに広くご紹介する機会を設けたいと考え、下町ゆかりの作家の作品を主題とした講演、また新作の新内・講談・幇間芸・舞踏などを公演してまいりました。」とある。

松倉久幸さんも『荷風先生と浅草』ということで、お話された。東洋館の正式名は「浅草フランス座演芸場 東洋館」だそうです。久幸さんのお父さんが、ロック座を建て替える時に荷風先生に何か良い名前はと尋ねられ「フランス座」はどうかとの言葉から命名されたそうで、今も正式には「フランス座」の名前を大切にきちんとつけているのだそうである。久幸さんのお父さんは、差し入れを持ってよく来る方がオペラ館で上演された『葛飾情話』の永井荷風先生と知り、それからはフリーパスとなったようである。

昔も今も、荷風先生、浅草に通わなければ、長期にわたりこんな親しみを込めた接し方はされなかったかもしれない。

岡本宮之助さん、文之助さん等の新内から始まった。宮之助さんは岡本文弥さんにも師事されており、樋口一葉さん、正岡子規さんなどの新作作品も語られておられる。今回良いアドバイスを頂いた。邦楽はよくわからないと言われますが、母音を伸ばしますから、物語を追いかけたい人は子音を追ってください。もう一つの聴き方は、伸ばすところで良い声だなあとか、三味線の上調子などを味わってもらえればと。確かに。

江本有利さんの歌謡ショー『下町艶歌』もありまして、最初に歌われたのが『また来て下さい向島』という歌なのであるが、歌詞の一番に桜橋、二番に言問橋、三番に吾妻橋が入っていた。東洋館に行く前に、こちらは、吾妻橋を渡って向島側の隅田公園を歩き、東武鉄橋言問橋を左手にながめつつ進み、桜橋を渡って浅草側の隅田公園を歩いてきたので、歌詞をみてトットちゃんではありませんが「あらまぁ!」である。

浅草関連映画の事もあっての散策でもあり、桜も終わり花見客も居ず、いままで気に掛けなかったことの幾つかの発見あり。「鬼平情景」として<鬼平犯科帳ゆかりの高札>があり、16ケ所にあるとのこと。その内の①「吾妻橋」と④「みめぐりの土手」の高札に出会う。鬼平犯科帳の作品を味わいつつ高札めぐりの散策コースもあり、その他にも散策コースが数種あるらしい。

そして勝海舟の銅像。水戸徳川邸の跡を使った庭園。

よく映画に登場する東武鉄橋を眺め右手には牛島神社。言問橋を眺めて右手下に三囲神社の鳥居が上半分頭を出している。隅田川方向から鳥居を眺めたことがなかったのでその鳥居が目に入った時には感動。

葛飾北斎さんの「新版浮絵 三囲牛御前両者之図」の案内板もあり、牛島神社が左で鳥居の頭がでている三囲神社が右に描かれている。かつて牛島神社は今の長命寺近くにあったため、牛島神社と三囲神社の位置が今と反対の位置関係になるわけである。

かつての牛島神社にあった常夜灯が残っていてその位置を示してくれるらしい。映画にもこの常夜灯は姿を現しており、そこまで行く予定であったが、時間がせまったいたので次の機会にまわし、桜橋を渡って浅草側にでた。

桜橋を渡りたかったのは、映画『菊次郎の夏』でマサオくんと菊次郎が出会う場面でもあるからである。その周辺をもう一度ながめたかったのである。

桜橋は歩行者専用の橋で向島と浅草側の中央に円錐形のモニュメントがあり、桜橋架橋10周年事業とあり、桜橋が1985年にできているから、1995年頃に設置されたことになる。対面の形で向島側には「瑞鶴の図」が彫られ、浅草側には「双鶴飛天の図」が彫られている。(平山郁夫原画、細井良雄彫刻)

そんなわけで、北野武監督の映画の場面のあとは、ビートたけしさんの修業の場であった東洋館へのコースへとつながった。東洋館のエレベターが狭く、エレベーターボーイなんて邪魔なくらいなのではと思われたが、そこが浅草ということなのでしょうか。江本有利さんが歌われた『業平橋』の一番に「三囲りの 石鳥居」とあり、三番には「そっと 掌を置く 撫で牛の」と三囲神社と牛島神社も出てきてこれまた上手い具合いにつながってしまった。

そして悠玄亭玉八さんの幇間芸である。『四畳半襖の下張り』国際版で、色っぽくて、笑わせてくれて、幇間芸の高度さを味わわせてもらった。三味線を真横に持って爪をはめてひかれていた。とにかく多くの分野に精通しつつお座敷芸にするという手腕が必要のようである。今回は「荷風」さんあわせてであるが、お座敷では目の前のお客様に合わせてそのさじ加減を調整するのであろう。

締めは岡本宮之助さん(浄瑠璃)、新内勝志壽さん(三味線)、岡本文之助さん(上調子)で、新内『濹東綺譚』(詞章・野上周)である。玉ノ井でのお雪さんと主人公の出会いから、お雪さんが病に伏したと聞くところまでを哀感を込めた情愛でかたられた。小説の方は、主人公が作家と言うことを隠していて、書き進んでいる小説のことなども語り、冷静な観察眼も披露されるが、そこは省かれていてる。

永井荷風さんの特集は三回目だそうで、荷風さんの世界を芸能に生かそうとの心意気を感じさせてくれる文学の世界とは一味違う時間であった。

通称「浅草東洋館」は、いろもの(漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなど)専門の寄席で、隣の浅草演芸ホールで落語と一緒にたのしませてもらったことがあるが、いろものだけというのも今度たのしませてもらうことにする。

南座3月歌舞伎『壇浦兜軍記』『太刀盗人』『傾城雪吉原』

壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき) 阿古屋』は、おそらくこの後しばらくは上演がないであろうとの予想で南座へ。2月に文楽の第三部でも上演されこちらも観劇したので「阿古屋づくし」の感がある。

 

文楽では人形が三曲の演奏者(寛太郎)の音に合わせて手や指を動かすのである。国立劇場のHPに阿古屋をつかう桐竹勘十郎さんが動画で説明されているが、観劇してから動画を見た。その説明によると、いつもの右手と違う、お琴と三味線と胡弓のための右手に替わり、左手も指が動く手に替えるのだそうで納得でできた。右手つかいう方と左手つかいの方は別の人であるが、同一人物が動かしているような息の合い具合であった。そして愛らしい人形の指がよく音に合わせて動くのである。演奏方法身につけておられなければあそこまで出来るであろうかと思えた。見惚れてしまった。

 

人形の阿古屋は詮議の途中で髪に右手をちょっとさわるところがあり、これは人形だから爽やかであるが役者さんがやっては変な生々しさが出て合わないなと思わせる箇所もあり、それぞれの違いが多少なりとも目にとまる。人形が不自由でありながら軽快に動かすのであるから、責めとしては人形のほうが健気に見える。そのあたりも役者さんの表現と違う印象を受けるが、人形の遊君阿古屋もやはり意地を感じさせてくれた。文楽の岩永左衛門は人形であるが、歌舞伎の人形振りのような動きではなくもっと自然の動きに近い。

 

文楽の三部のもう一つの演目が『鶊山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)』で、当麻寺の中将姫の話しである。中将姫が継母にいじめられ雪の中で責められるのであるが、侍女のはからいで責め殺されたことにして命を助けられるというどんでん返しがある。こちらは「中将姫雪責の段」で二演目めが「阿古屋琴責の段」とそれぞれ難局を乗り越えることとなる。面白い並べ方である。

 

歌舞伎の『阿古屋』であるが、京都南座ということもあり、景清が清水寺へ参詣にきたとき五条坂で出会ったという様子が場所柄もあり、物語がずうっと近く感じられる。景清が平家の勢いを無くした時に五条坂の自分のような浮かれ女に心を寄せたとあっては弓矢の恥である。そっと別れはすませましたと言い切る遊君阿古屋の覚悟のほどが遠い時間空間を越えて伝わってくる。

 

若手に伝えるべきことは伝えたということでもあろうか、玉三郎さん、東京の歌舞伎座よりも少しゆったりとして観える。彦三郎さんの重忠のセリフも強弱が出てきていてさらに味わいがでてきそうである。坂東亀蔵さんの岩永もその場その場の可笑し味が出ていて、六郎の功一さんもすっきりとしていた。南座は微かな音も響き阿古屋の髪飾りのゆれてぶつかる音や、懐紙で胸をたたく音も聞こえた。ある面では怖い劇場であると思った。不味い音も捉えてしまいそうである。先ずは『阿古屋』とのお付き合いも満足の中で無事終わらせることができた。

 

太刀盗人』は、彦三郎さんの抜け目のない太刀盗人・すっぱの九郎兵衛の愛嬌振りが出色であった。吉之丞さんのどちらの太刀であろうかの詮議も年寄りすぎて詮議の方法を従者の玉雪さんの意見に従いゆったりとしているのも、すっぱの九郎兵衛にとって都合がよい。それを正直に答えて太刀を盗まれたことを証明しようとする田舎者万兵衛の坂東亀蔵さんも、ついに、自分が先ではそのマネをされると気づく。そこはかとない可笑し味が観ている方の気分を『阿古屋』の緊張感から解放してくれる。

 

傾城雪吉原』は、やっとその世界に浸ることができた。透かしの黒傘で打掛けを広げた形良い玉三郎さんの傾城が中央のセリから上がって来る。黒塗りの高い下駄の足さばきが際立つ。下駄の底についた雪を軽く払うしぐさのようにも見える。雪の白と黒。南座の広さにあっている踊りに思える。透かしの幕が上がると後ろの長唄と囃子の方々の姿が現れ、その後ろに仲之町が遠近法で続く。そこに並ぶ提灯。

 

この提灯だけ赤の透光性のある染料で塗られているそうで、さらに裏から明りをあてる明るさを出すのだそうである。傾城の打掛を脱いだ下の着物の赤と呼応する。舞台はその後、辺りを暗くしてこの提灯だけが灯され、劇場の客席の提灯と一体化する。その他、下手からのライトが傾城に微かにあたり夕陽を想像させ長唄の詞と重なる場面などもある。そして楽し気に音に誘われ傾城が踊る場面では今回気が付いたがお囃子にチャッパとうちわ太鼓が加わっていた。

 

傘の扱い、手紙の扱い、打掛を脱いでの打掛けに気持ちを伝える扱いなどたっぷりと傾城の情感を味わうことができた。最後に重いであろう打掛けを事も無げに着ながら見せる所作の美しさにはまたまたさすがであると思いつつ締めとなる。踊りの中の情景に誘われるヒダの膨らみが深くなっていた。最初にこの踊りを観た時の気分が払拭されて嬉しい事このうえなしです。(「坂東玉三郎特別公演」)

 

『合邦辻閻魔堂』

  • 松竹座へ歌舞伎鑑賞で行った時、以前閉まっていた『合邦辻閻魔堂』に再度訪問を果した。無事お参りできた。これで一つ気にかかっていたことを終わらせることができた。そして、無償に『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』の浄瑠璃が聞きたくなった。タイミングよろしくお江戸日本橋亭で女流義太夫演奏会があり聞くことができた。『摂州合邦辻 合邦庵室の段』を浄瑠璃・竹本越若さん、三味線・鶴澤駒治さんである。

 

  • お辻(玉手御前)が嫁入り先の継子に恋をして、お辻の父・合邦が継子の俊徳丸と許嫁・浅香姫をかくまっているのを知り、合邦庵室に訪ねてくるのである。事情を知っている合邦は家にいれるのを拒みますが母のほうが懇願し入れてやるのである。何んとかお辻の考えを改めさせようとする親とあきらめない娘のやりとりとなる。恋に狂うというがあるがお辻はその典型で、恋に狂う女の妖しさもかもしだされるのである。そこが、女流ならではの妖しさとなって聞かせてくれた。これもまた実はがあるのだが、それは無しとして聴くのが常道である。

 

  • まじかで聞かせてもらって、三味線の手にも感心してしまった。どうしてこういう好い手がはいるのであろうか。浄瑠璃はそのふしの流れと、三味線の手のシステムがよく分からないのであるが、魅了される。ほんとに不思議である。それに合わせて動く人形。それをさらに人間の身体で表そうとして取り入れた歌舞伎の先人たちにも思いが馳せる。

 

  • そのほか『絵本太功記 尼ヶ崎の段』(浄瑠璃・竹本越里/三味線・鶴澤津賀榮)、『伽羅先代萩 政岡忠義の段』(浄瑠璃・竹本駒佳/三味線・鶴澤賀寿)、『妹背山婦女庭訓 金殿の段』(浄瑠璃・竹本綾之助/鶴澤津賀花)であった。

 

  • 義太夫の後は、『三井記念美術館』へ。「仏像の姿(かたち) ~微笑む・飾る・踊る~」仏師がアーティストになる瞬間。「顔」「装飾」「動きとポーズ」に切り口をいれての展示である。こんなお顔が。こんなに前かが身なの。力士さんみたい。風をおこして動いてる。不動明王さまの髪がそれぞれ違うがかつらみたい。さすが力の入った見得。全身飾ってますね。その変化が楽しかった。

 

  • 東京藝術大学文化保存学(彫刻)とのコラボとして仏像の復刻作品や修復作品なども展示され、寄木作りでは部分、部分がどのようにつながるかも分かりやすく少し離して分解してくれていて、なるほどパーツごとに彫られて一つになるのかと大変参考になった。

 

  • 正式には東京芸大大学院美術研究科文化財保存学保存修復彫刻研究室(籔内佐斗司教授)のスタッフが制作した薬師如来が、福島県の磐梯町にある史跡慧日寺跡の金堂に納められ、その映像があった。慧日寺(えにちじ)は徳一という人が開いた寺で司馬遼太郎さんが『白河・会津のみち』の「徳一」「大いなる会津人」で書かれている。旧仏教(奈良仏教)を代表して、新仏教(平安仏教)の最澄と論戦し、最澄を苦しめつづけたと。その新しい金堂に平成に作られた薬師如来像が納められたのである。慧日寺の名は忘れていたが、徳一という名前は憶えていて『磐梯とくいつ芸術祭』のチラシにもしかしてあの徳一さんかなと思ったのである。

 

  • 2018年の『磐梯とくいつ芸術祭』はチラシによると慧日寺資料館で「薬師如来像ができるまで」を紹介しているらしいが、検索してもでてこないので、もし興味があるなら慧日寺資料館に電話で問い合わせるほうがよい。金堂の薬師如来像の拝観も同様に問い合わせられたい。慧日寺跡はいってみたい場所である。何もないとおもっていたので。

 

木馬亭での安木節

  • 浅草に安木節とどじょう掬いが帰って来た。』のチラシを木馬亭で手にしてから行けたら行こうの気持ちでいた。川端康成さんの『浅草紅団』に登場人物が船を借りる時、船の持ち主の子供が、「船を貸すからうちの4人の安木節へいくだけおごれとよ」と伝える。安木節は、東京が先なのか大阪の吉本興行が先なのか確かなことはわからないが、浅草も安木節の常設館ができ凄い人気の時期があったのである。安木節には、ひょうきんな男踊りの可笑しさと女踊りの赤いけだしが色っぽかったようである。

 

  • 映画『色ごと師春団治』(1965年マキノ雅弘監督)で、藤山寛美さんの春団治がどじょう掬いを踊る場面がある。京都の娘・おとき(富司純子)を妊娠させ娘の春子が生まれるが家に寄りつかず、おときは京都にもどり一人で春子を育てるが春団治が来て春子(おそらく藤山直美)に会わせてくれと言っても会わせない。その後飲み屋で、流しの踊りの子が二人来て奴さんを踊るが、客は下手だと言ってもっと上手に踊ったら金をやるという。それを聞いていた春団治は、娘とその子たちが重なったのであろう。よし、おれが代わりに踊るから錢出せよといってどじょう掬いを踊るのである。春団治が踊るとあって人が集まってくる。人々をかき分けて外に出る春団治。泣いている。落語家が辛気臭い事はダメだと言っていた春団治である。それを見て人々は春団治が泣いていると驚く。「おれだって人の子や」と走り去る。寛美さんならではの芸人春団治でこういう役者さんはもう生まれることはないであろう。

 

  • というわけで、木馬亭に足を運ぶ。安木節のほかに、津軽民謡、隠岐民謡、大阪・琵琶湖周辺の民謡なども加わり、石見神楽も観ることができた。石見神楽は国立小劇場で観ているがそれよりも狭い木馬亭の舞台である。大蛇は一つかなと思っていたら、二つ、三つ、四つ出て来た。迫力満点である。大蛇もそばで見るとなかなかいい顔をしている。狭さを生かして存分に暴れてくれた。安木節は横山大観さんも地元で聴いてこれは保存すべきだと言われたようである。安木節は短いので間に他の民謡を入れてつないだりもしていたようである。今回は女踊りはなく、男踊りだけであるが、どじょう掬いも踊る人によって間やしぐさが違うものである。

 

  • 隠岐は北前船の停泊する場所なので、多くの民謡が集まり、隠岐独特の民謡ともなっているようである。踊りも、小皿を二枚カスタネットのように鳴らしたり、木の鍋蓋を合わせて鳴らしたりと、宴会となると踊りとなるのだそうである。津軽は津軽三味線での民謡であるが、青森の手踊りがまた躍動的である。扇には房がついていている。傘をもったり、長い紐が、いつのまにか結ばれて、あっという間にたすき掛けとなっている。以前テレビで青森の手踊りを見て凄いと思ったことがあるが、その後お目にかかれなかった。今はユーチューブなどでも若い人の群舞が見れるようになった。

 

  • 貝殻節もあり、吉永小百合さんの『夢千代日記』を思い出す。夢千代さんは、被爆されているので、どこか儚さのある貝殻節であるが、立派な声でかなり元気のよい貝殻節であった。淡海節もしばらくぶりで耳にした。淡海節は間の三味線が好いのである。美空ひばりさんの淡海節もひばり節ならではで聴き入ってしまう。民謡には民謡の伝えられてきた声の出し方や歌い方があるのでしょう。その他にもたっぷりと民謡を堪能させてもらった。今月は初めてどじょうを口にし、どじょう掬いも観れたというどじょうに縁のある月であった。友人はどじょうを食べた次の朝、体がしゃきっとしたという。どじょうから元気を貰ったのであろうか。こちらは変化なし。今度食べた時は気にかけてみよう。

 

国立劇場『毛越寺の延年』・『歌舞伎鑑賞教室 連獅子』

  • 132回民俗芸能公演である。重要無形民俗文化財の『毛越寺の延年』の公演であり、拝観できるとは思っていなかったので国立劇場の民俗芸能公演にはさらなる感謝である。初めて毛越寺(もうつうじ)にいったとき(年数を数えるのが嫌になるほどかつて)延年の舞があると知り、その後歌舞伎の『勧進帳』での弁慶の「延年の舞」でさらなる憧れの舞いであった。ただ『勧進帳』の弁慶がお酒をたっぷり飲んだ後でのような躍動的な舞いではなく、芸能のゆったりした繰り返しの舞いが優雅に行われる。そして、『毛越寺の延年』は僧侶による舞いなのである。

 

  • 配布された解説書によると、古代後期~中世に寺院において「延年」と呼ばれる行事が盛んにおこなわれていたらしい。そこから、能や歌舞伎に取り入れられたようである。歌舞伎の場合は、能から正式に教えを受けることが出来なかったのであるから、それを庶民のために観せるために、工夫を考えてあらゆるものから取り入れたと想像できる。弁慶は僧侶でもあるし、延年の舞いの経験がないとはいえない。稚児舞いもあり、小さい頃から練習しているのである。今は、小学校一年になると初舞台だそうである。それゆえ、弁慶が延年を舞ったとしてもおかしくはない。

 

  • 毛越寺に神楽舞台があってそこで舞われると思っていたら、「常行堂」の中で催されるのである。1月20日の午後4時から「常行三昧供(じょうぎょうざんまいく)」といわれる法要からはじまり、午後9時から延年の舞の奉納がはじまるということでかなり遅い時間である。お客様のなかに毛越寺で拝観したというかたがいた。神楽舞台でのため舞台が高く足先などは見えなかったそうで今日はよく見えてよかったと言われていた。特別開催の日もあるようだ。今回は、「常行堂」の内部を舞台に再現しての開催である。

 

  • 一部で「常行三昧供」があり、延年の「呼立(よびたて)」「田楽(でんがく)」「祝詞(のっと)」「路舞(ろまい)」、二部は延年の「若女(じゃくじょ)・禰宜(ねぎ)」「老女(ろうじょ)」「花折(はなおり)」「留鳥(とどめどり)」となる。

 

  • 常行三昧供』は、毛越寺を開いた慈覚大師円仁が中国五台山から伝えたものと言われている。五台山は清涼山のことで、『連獅子』にも出てくる山である。この法要の声明が美しい旋律で、声の響きがまたいいのです。どこで息継ぎをしているのかと思うほどつながっていきます。最後の延年の能『留鳥』の謡なども、この声明で鍛えられた声と調子が引き継がれていて動きの少ない舞に寄り添う感じである。

 

  • 常行堂」の御本尊は宝冠阿弥陀如来で、奥伝に守護神の摩多羅神で、「常行堂摩多羅神」の提灯が下がっている。上の方には、渡り綱に正方形の白い切り紙が下げられていて、この切り紙の型が今は12種しかないのだが、かつては20種以上あったようです。大根、蕪、鳥居、紋などが切り描かれていて、これは結界を表している。阿弥陀如来は来られていないが、左右には、丸いピンクの花が付いた木が飾られていて、桜なのだそうで、ポップなほんわかとした球の桜の花である。

 

  • 延年の舞からは、僧侶が解説もしてくれるので大変参考になる。『呼立』は、『田楽』を先導するもので二人の僧が足による秘事をおこない短い口上を述べる。延年の舞い手には先導の僧がつき、終わると僧がむかえに来てまた先導して去っていく。そのあたりが他の伝統芸能と違う。『祝詞』などは、秘事で、口の中でつぶやいていてまったく聞き取れない。最後に御幣でお祓いをしてくださり、解説の僧侶が、これで皆さん、残りの半年は無病息災ですと言われた。ありがたし。

 

  • 路舞』は、慈覚大師が五台山を巡礼された折、二人の童子が現れ舞った故事を伝えたものだそうです。童子ふたりが足を踏み返すのをうさぎの跳ねるのに似ているとしてうさぎばねともいうそうである。『田楽』でも小鼓をうったり、『祝詞』では裾をもったりと、児童の役割も大きい。『花折』は稚児が桜の枝を持ち神前にささげて舞うのである。

 

  • 若女・禰宜』は、若い神子が鈴と中啓を持ち舞い、鈴の音を楽しむことと、後から出てくる禰宜(神職)との向きを変える時の足の動きの違いに注目とのことである。この足の違いは『老女』ではっきりする。年老いているので、よっこらしょという感じで、水干の袖がおおきく開いて向きを変えるのが見どころである。老女であっても、神の前では、白髪の乱れをただすことを忘れない。舞うときは、腰を90度にまげて動きもゆっくりであるから大変で、歩くとき、年のため足が危なかしいのを、片足でぴょんと跳ぶ動作であらわす。だからといってふらふらはしない。これをみて、『勧進帳』の弁慶が扇をなげて拾いにいくときとんとんとんと跳ぶが、あれはお酒に酔い足下がおぼつかない状態で、この老女と似た動作だなと感じた。『老女』は毛越寺の貫主・藤里明久さんの舞いで、会得に10年はかかるそうで、直角の腰の負担が大きいそうである。

 

  • 最後の延年の能『留鳥』は、『鶯宿梅(おうしゅくばい)』という故事を題材にとっているということである。難波の里に住む老夫婦が秘蔵している梅には、鶯が巣をつくっていて、その鶯を老夫婦はわが子のようにかわいがっていた。梅の見事さを聴き、帝がその梅を所望した。鶯の霊がでて住家の梅が余所へいってしまうのは悲しいと泣く。老人は都へ行き歌を一首官人に託した。「召しあれば梅は惜しまず 鶯の宿はと問はば 如何が答へん」帝は感じ入って梅を召し上げることはしなかった。官人はただものではないと老人の名前を尋ねた。太宰府に流された菅原道真の霊であった。

 

  • 逆説的な尋ね方が素晴らしいです。梅は惜しみません。ただそこに住む鶯はどうしたらいいんでしょうね。命ある者が、命をささえる宿がなくてはなんとしましょう。時として芸能とはお説教よりも心に沁みるものである。法要があり経文が読まれ、その僧が芸能にたずさわられ、一つのお堂で行われ、一つの宇宙空間を現出されているようであった。神仏に関係する芸能から自分たちの芸能に取り入れ、それを違う形で人々に伝え喜びを与える芸能一般の流布は、これまた凄いエネルギーである。

 

  • 歌舞伎鑑賞教室』には、「歌舞伎のみかた」の解説がついていて、今回は巳之助さんである。『ワンピース』のゾロ、ボン・クレー、スクアードの強烈なキャラからどう解説役として見せてくれるのか。がらっと変わってシンプルな歌舞伎役者・坂東巳之助の対応であった。高校生への実体験も、すり足、動きに合わせてくれるツケ、見得のきりかた、扇の開き方と動かしかたによる表現の違いなど、次の上演演目『連獅子』に合わせていました。『毛越寺の延年』もすり足でした。歌舞伎の「松羽目もの」にも通じることです。学生さんの動かし方も人柄の捉え方も軽快に進行される。

 

  • 連獅子』の説明では、清涼山にかかる石橋(しゃっきょう)のポップな絵から、清涼山に訪れた僧が、文殊菩薩の使いである獅子の舞いを見たという能の『石橋』をもとにしていることもおさえる。『毛越寺の延年』(路舞)では二人の童子でした。歌舞伎では親子の獅子が出て来て、どこが見どころであるかを伝え、演者である、又五郎さんと歌昇さんが実際の親子であることも紹介。最後に、これをきっかけに歌舞伎に興味をもってくれるようにと、新作歌舞伎『NARUTO ナルト』に出演する宣伝もしっかりしていて笑ってしまう。

 

  • 鑑賞教室のときは解説書を配ってくれるので、『連獅子』の前もって歌詞を読むことができる。歌詞は舞台横の左右の掲示板にも流れる。先ずは手獅子を携えた二人の狂言師が出て来て、獅子の親がわが子を谷に蹴落とし、駆け上がって来た子だけを育てるという故事を伝える。獅子だけではなく人間がでてくることによって、蹴落とした後の親の子を想う気持ちも伝えるということが加味されている。そして、駆け上がって来る子とそれを見つけたときの親のさらなる絆である。だからといって芝居ではないので大げさにわかり過ぎてもいけない。又五郎さんと歌昇さんは、歌詞の意味合いをとらえ、きちんと基本を踏まえた体の表現をされていて、改めて勉強しつつ鑑賞させてもらった。

 

  • 間の狂言が入る。『宗論』という違う宗派の僧が自分のほうが良い教えであると論争し、自分の宗派の念仏を唱えているうちに相手の念仏を唱えていたという可笑し味のある舞踏化されたものである。浄土の僧・遍念に隼人さん、法華の僧・蓮念に福之助さんである。隼人さんは、これまた『ワンピース』で、サンジ、イナズマ、マルコと格好いいキャラであったが、真面目な雰囲気の僧である。これは、念仏が入れ替わっての可笑しさから、年季をかけた役者さんはかなりの笑いをさそうが、隼人さんと、福之助さんは笑いに持って行こうと変に力まず、自分の宗派をおもうあまり気が付かないで失敗をしでかしたという生真面目な自然さで、それもまた地に足のついた演じかたであった。隼人さんは、『NARUTO』で巳之助さんと切磋琢磨するであろうし、福之助さんも橋之助さんと『棒しばり』で違う可笑しさに挑戦である。

 

  • 獅子の精の登場である。獅子は扮装も派手であるから、後半でワーッと盛り上がるが、前半でしっかり表現されていてこその獅子である。気合を内に秘める感じでひとつひとつ大切に演じられていた。歌昇さんは、国立劇場での芝居でこのところヒットを飛ばされて成長されていたので、きっと、やるぞという気持ちであったろうが、又五郎さんが落ち着け基本だぞと言われているようで、力強さのなかに微笑ましさも感じられる『連獅子』でした。

 

番楽ー根子番楽

  • 番楽(ばんがく)とは、神楽(かぐら)の一種で古くは山伏が携わっていたといわれる。国立劇場で一月末に開催された第131回めの民俗芸能公演である。『本海獅子舞番楽』と『根子番楽』があったが『根子番楽』のほうだけ観させてもらう。

 

  • 秋田県北秋田市阿仁地区にある根子(ねっこ)集落で伝承されてきたのが『根子番楽』で、この集落はマタギ発祥の地として有名なのだそうである。マタギによって伝承されたといえる。演目が「露払い」「翁舞」「敦盛」「三番叟」「信夫太郎」「作祭り」「鞍馬」「曽我兄弟」「鐘巻」と歌舞伎を連想するようなのが並ぶ。現在伝承されている九演目すべてを観させてもらうという贅沢な時間であった。決まった足の踏み方があり、物語性があり、衣裳などからも演目名を知らなくても、これは敦盛と熊谷だな、牛若と弁慶だなとわかる。

 

  • 根子番楽には子供会があり、「露払い」「作祭り」「鞍馬」の牛若などは小中校生が演じ、年代で演じるものが決まっていて、大人になって演じるための修業演目ともなっていて年齢とともに伝承されている。大きくなったらあれを演じるぞとあこがれて練習に励んでいるのであろう。「敦盛」などは、「曽我兄弟」を演じられるまでの青年たちが舞う。これらの武士舞は刀さばきなどの鍛錬が必要である。

 

  • 演目の前に根子番楽の代表の方の口上があり、献上品のお礼とゆるりとお楽しみくださいということである。舞の方は詞を発しない。舞台奥に幕があり、舞手が幕の中心を押し出すとお囃子が止まり、幕出謡(まくでうたい)があり舞い手が幕をくぐって登場する。「曽我兄弟」などは、五郎が先に、その後十郎が登場するが、それぞれの幕出謡があり、長い間に洗練され、変化に富んだ舞曲になったのであろうか。

 

  • 「三番叟」は動きの速い舞で体力が必要である。山伏がおこなっていたということであり、このように体力のいる舞いになったということもわかるが、武士舞が多くあるということはどういうことなのであろうか。山伏は修験者である。武士舞は時代の流れの中で取り入れてきたのかもしれない。根子地区は佐藤嗣信(つぐのぶ・忠信のお兄さん)の末裔の住む地区だそうで、次第に住民の好みに添って伝承されたとも予想できる。

 

  • 今回観れなかった『本海獅子舞番楽』は鳥海山の北嶺の集落に伝わるもので、獅子舞を重要視している。『根子番楽』は獅子舞が無く、獅子舞の有る番楽と無い番楽とがあるようである。長い年月の伝承であるからその変化の根拠は難しいことなのでしょう。

 

京都の旅 ・京都の建具、工芸術(1)

渋谷オーチャードホールでの玉三郎さんと太鼓芸能集団・鼓童とのコラボ『幽玄』に魅せられて、もう一度と思っていましたらロームシアター京都での公演が決まりました。では観光も兼ねてと実行したのですが、音が違っていました。

色々な条件の重なりもあるのでしょうが、ロームシアター京都の音響が、和楽器の音の微妙さを捉えるには不向きに思えました。最初の締太鼓のときからオーチャードホールと比較すると違和感を感じてしまい、何か違う何か違うと思いつつ聴いていました。玉三郎さんの腰鼓の羯鼓(かっこ)と鼓童のかついだ桶胴太鼓とのセッションも羯鼓(かっこ)の音がとらえられないのです。

お箏はきちんと音をとらえていました。洋楽器のシンバルのような和楽器の手平鉦(てひらがね)なのか妙鉢(みょうはち)なのでしょうか、その音もよく響いていました。後半から太鼓も大きな音はよく響くのですが響き過ぎの感じでした。舞台最終に向かっての盛り上がりかたは素晴らしく何回もカーテンコールとなり、こちらもしっかり拍手しましたが、オーチャードホールでのあの最初からの幽玄さではないとの感はぬぐえませんでした。コンサート会場によって音というものが違うのだということを感じさせられた次第です。

管弦楽用の音響なのでしょうか。笛も神経質な響きにおもえました。和楽器の細やかな音の響きがオーチャードホールのようには伝わってきませんでした。そう思ったのは私だけなのかもしれません。最初にいい出会いをすると、それが誇大妄想になっているのかも。でもやはり最初がよかったです。

しかしそういう意味では和楽器を考えての造りの歌舞伎座などの和楽器の響きにはやはり適しているのでしょう。だからといって、太鼓集団が歌舞伎座でより発揮できるのかどうかはわかりません。歌舞伎もいろいろな劇場で催しますが、役者さんたちもそれなりの違いを感じつつ調整されつつ演じられているのでしょう。旅での公演は音響、舞台の大きさ、楽屋、大道具の置き場所など気苦労も多い事とおもいます。

ロームシアター京都は平安神宮のそばのお洒落な建物でした。休憩時間には、外のテラスでちらっと見える街灯りをながめつつ飲み物を賞味でき、季節がら心地よい空気でした。何より嬉しかったのが、『細見美術館』の目の前ということです。コンサートの前思う存分ゆっくりと鑑賞できました。

 

 

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今回の旅は、京都の建物の建具や工芸の腕前を堪能する旅となりました。お得な宿泊つきフリーがありそちらにお任せで、宿泊が地下鉄の烏丸御池駅近くでしたので、先ずは、ロームシアター京都からは歩いて地下鉄東山駅から一本で三つ目の駅ですからとても楽でした。

地図をながめつつ、今回は後回しにされている島原の『角屋(すみや)』へ行くことにしました。京都駅から山陽線(嵯峨線)で丹波口駅へ。見学後は、山陽線で一つ先の二条駅で地下鉄東西線に乗り換えれば二駅で烏丸御池にいきますからホテルで一息ついて、地下鉄で東山に向かい、『細見美術館』を鑑賞してから『幽玄』へ。

雨が降っても予定を変える必要なしです。上手くはまってくれました。そして、その流れが、京都の建具や工芸品の数々を眼にする旅の始まりとなったのです。そして、琳派・若冲とアニメのコラボにまで行き着いてしまいました。

さて京都の島原は、江戸時代から公認されていた花街(かがい)で、江戸の吉原の遊郭とは違います。(説明されたかたが強調されていました)花街は、歌舞音曲を愉しみながらの宴会の場所なのです。『角屋』はその揚屋(今の料亭)で、二階を建てることを許されたので二階をあげるということから揚屋というようになったとも言われているそうです。

 

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説明を聴く場所が「松の間」で枯山水の庭に臥龍松(がりゅうまつ)の見える部屋なのです。昼間は俳諧師などが句作をして夜は宴会という文芸の街であり、お庭にはお茶室も三つあるとのこと。

 

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「松の間」は、新撰組の芹沢鴨(せりざわかも)さんが最後に宴会をした部屋でもあります。ここで酩酊し(酩酊させ)、お客を泊まらせませんから駕籠で壬生の屯所八木邸に帰り暗殺されるのです。『角屋』から真っ直ぐ北へ進めば(上ル)壬生です。

玄関には、刀置きがあり、さらに帳場のそばに刀入れの箪笥がありました。『角屋』は料亭ですからお料理も作っていまして大きな台所があります。歌舞伎の『伊勢音頭恋寝刃』を思い出しました。料理人の喜助が刀を預かります。油屋も料理を作っていたことになりますが、遊郭の場合は、仕出し屋から料理をとります。その辺は芝居のために料理人という設定にしたのかもしれませんが、伊勢はまたちがうかもです。

 

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「松の間」の柱には新撰組の刀傷があり、『角屋』では騒乱は起きていないので、本来刀を持っては入れないのに持って上りいやがらせのためではないかとのことで、新撰組の悪い評判はこんな行為からもきているのでしょう。この刀傷をみると人斬り刀の威力にゾッとします。

 

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置屋から太夫や芸妓が揚屋に派遣されてくるわけで、その道中が太夫の道中でもあるわけです。江戸吉原では花魁道中といわれています。

二階が別料金となりますが、建具らに手を尽くされた部屋がならんでいて説明つきで見学できます。

 

2017年9月25日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

6月国立劇場にて

時間があれば映画を見ていて、腰痛になりそうで、さらに、題名を見てもどんな内容だったかすぐに全体像が浮かばない状態でもあります。そんな中記録しておかなくてはと、6月の国立劇場での鑑賞をダイジェスト版で。書く前から残念だったのは、6月民俗芸能公演「高千穂の夜神楽」のチケットを取り忘れたことです。気がついた時には遅かりし由良之助でした。

気を治して『日本音楽の流れⅠ 箏 koto』は敷居が高いかなと身構えたのですが、というより二列目で睡魔がおそったらどうしようと心配だったのですが、解説があり奏者の手をバックのスクリーンで大きくして見せてくれましたので、音は変化に富み美しく、手は優雅であったり激しかったりで堪能させてもらいました。

お箏の音をこんなに沢山楽しんだのは初めてでした。お箏の歴史から、「御神楽」「雅楽」そして近世初期の<筑紫箏曲><八橋流箏曲><琉球箏曲>の三つの箏曲の紹介があり、お箏の形態の違い、奏法の特色などをスクリーンの手を見つつ音を追い駈けました。<生田流><山田流>の演奏、さらに、<京極流箏曲>(明治末)<十七絃>(大正)三十絃(戦後)の紹介、最後は現代曲「過現反射音形調子(かげんはんしゃおんけいちょうし)」の演奏でした。

この現代曲は、箏の楽器の流れ、瑟(しつ・二十五絃)、唐箏(からごと・十三絃)、箏(こと・十三絃)、二十五絃箏(二十五絃)のための曲で、その流れの音は頭の中から消えてしまいましたが、奏者の姿が残っています。

解説は、野川美穂子(東京藝術大学講師)さんで、納得できる解説で箏初心者には大変楽しく興味をもって聞くことが出来ました。眠るどころではなく、この音が消えていくのが悲しいと思いました。

たらららら、ばんばん、ひゅーなどと、曲を作られた方は色々試してその組み合わせを考えたのでしょう。今度どこかでお箏に出会ったときは、前より親しみをもって聞くことができるでしょう。良い企画でした。

今度は三味線のほうで、清元節の名手で人間国宝であられた清元栄寿郎さんが亡くなられてできた清栄会が解散されるため、『清栄会のさよなら公演』でした。全くの部外者ですが、出演される方の中に実際にお聴きした方々の名前が複数ありましたので聴かせていただき見させていただきました。

栄寿郎さんが作曲した曲、「雪月花」「たけくらべ」「月」、そのほか、清元「北州」、地歌「曲ねずみ」、宮薗節「鳥辺山」、新内節「明烏夢泡雪」、女流義太夫「道行旅路の嫁入」、常磐津節「釣女」とそれぞれの分野のそうそうたる方々の演奏と声を聴かせていただき舞いも見させいただきました。

三味線のほうが、箏より歌舞伎などでも聴きなれていますが、演奏だけとなりますと、歌舞伎と違ってやはり音、声、詞に集中しますので時にはこうした中に自分を置いてみて味わうのもいいものであるとあらためて感じました。(司会・平野啓子、演目解説・竹内道敬)

最後は歌舞伎で、『歌舞伎鑑賞教室 毛抜』です。例によりまして「歌舞伎のみかた」の解説がありました。今回は中村隼人さんでした。この観劇前に東劇でシネマ歌舞伎『東海道中膝栗毛』を見ていましたので、黒子さんが出てくると、何かしでかすのではないかとのトラウマに囚われているせいか、いつ弥次さん喜多さんになるのかと思ったりして心の中で苦笑いしていました。

隼人さん、爽やかに解説され、立ち廻りりと毛振りもされました。一部分携帯、スマホからの写真O・Kで舞台から降りられて写真どうぞでしたので、女学生の黄色い悲鳴があがり、ここは国立劇場なのであろうかと弥次さん喜多さんも真っ青状態となる場面もありました。

『歌舞伎十八番のうち 毛抜』となっていまして歌舞伎十八番は市川宗家のお家芸として選定したもので荒事ですがとの説明もされていましたが、学生さん達にわかったかどうか。歌舞伎は『ワンピース』もやりますのでの言葉には速攻の凄い反響でした。何とかして若い人に歌舞伎に興味を持って貰いたいとの想いが素直にでていました。解説パンフも配られていますので、黄色いお声の若い方も隼人さんを思い出しつつ帰宅後読んでくれるといいのですが。

歌舞伎十八番を選定したのは七代目團十郎さんで、今回の粂寺弾正(くめでらだんじょう)は錦之助さんが演じられ、愛嬌のある、今でいえば結構オタク的な弾正を思い起こしました。もしかすると、ちょっと変わったタイプの人物で、周りがあいつちょっと変っているから、もしかすると上手く解決するかもしれないから、あいつに行かせようと言ったのではないかと想像してしまいました。

お家のためにと悲壮感をもってというタイプでは全然なく、若衆や腰元によろよろっとして困った御人ですが、突然疑問があると考えるんですね。錦之助さんの弾正、現代人の感覚をタイムスリップさせたような弾正で面白いなとおもって観ました。

橘三郎さん、秀調さん、友右衛門さんが脇を固められ、その他が若い面々ですが、皆さん歌舞伎の動きが身についてこられ、隼人さんなど、やはり大星力弥を勤めた経験が大きいと実感します。

孝太郎さんの止めには、秀太郎さんのような気迫が映って見え中堅どころを着々と修業されています。悪役の廣太郎さんはまだもう少しかなと思えましたが、父・玄蕃の彦三郎さんがきっちりした悪役なので悪役親子として引き立ちました。

尾上右近さんの若殿は平安時代風の少しなよっとしていて、梅丸さんは可愛いさいっぱいでした。

今月も歌舞伎鑑賞教室があり、先月の学生さんの中で、もう一回歌舞伎観て観ようかなと来てくれるといいですね。お若いの、お安い席もありますから国立劇場へ涼みにいかれてはいかがでしょうか。

 

『幽玄』 玉三郎✕鼓童

先週は観劇週間でしたが、風邪のため、先ずは観劇優先と何とか制覇できました。季節がら温度差がありすぎ、身体は温度調整が壊れているようです。そして書くという行為が体調の悪いときには疲れが襲います。

オーチャードホールでの『幽玄』では、玉三郎さんの世界が圧倒的な空気で包んでくれました。来ました!

映画『セッション』『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督にこの舞台を観てもらい是非感想をお聴きしたかったです。どう評されるか。

薄暗いなかを奏者が裃で静かに下手から進んでこられたときは、平等院鳳凰堂から雲中供養菩薩が奏者の中に降り立ったような空気が、奏者の動きに従って舞台の下手から上手に向かって流れていきます。

修練の苦しさなど微塵も表出させない規則的な太鼓とバチで響く音のリズムと一体感。こちらはただただ音を捕えようと美しい単調な動きをながめつつ見つめていましたが、そのうち音の魔法にかかったように、ただただその音の世界に漂っていました。

音のなかで舞われる羽衣、道成寺、石橋の獅子たち、それぞれの場面にそれぞれの幽玄さをこめられた舞台演出。太鼓を芸術の域に高めたいとする玉三郎さんの意志が伝わってきます。

チラシには、玉三郎さんの羽衣の写真がありましたので、羽衣を舞われるのだなとの予想はしていましたが、道成寺と獅子の登場の舞台の展開は新鮮でひたすら楽しませてもらい、あらためて舞台構成のながれに感嘆していました。

ロウソクの灯り。

玉三郎さんの小さな腰鼓の羯鼓(かっこ)と太鼓のセッションも素敵でした。あんなに小さい羯鼓がと驚きました。

道成寺の鐘から出現した蛇にも驚きました。こうくるのですか。日本の古来からの祈りなり祭りなり、人々が守り大切にしてきた心と音を伝えてくれます。

獅子たちの登場では、この音を聴けば獅子たちもその音のありかを探して訪ねてくるであろうと思いました。獅子の毛のゆれが、言葉を交わしているようにふわりふわりとゆれて頷き合っています。音に満足した獅子たちが、それを讃えるように毛ぶりとなります。その世界に無心に遊び遠吠えしているかのようでした。獅子が遠吠えするかどうかはしりませんが。

『セッション』『ラ・ラ・ランド』を観たあとでもあるためか、東洋と西洋の文化、芸術の違いが舞台の作り出す中で感じられました。

歌舞伎はもとより、中国の崑劇、琉球舞踏などを肉体に取り込み体感されている玉三郎さんならではの、鼓童太鼓集団を導いての太鼓の音を集約することで出来上がる<和>の世界の舞台化でした。

映画『ホワイトナイツ 白夜』のミハイル・パリシ二コフさんとの舞台、その他、アンジェイ・ワイダ監督、モーリス・ベジャールさん、ヨーヨー・マさんなどと組んで仕事をされ、東洋のみならず、西洋文化にも深く入り込んでおられる玉三郎さんが、太鼓という打楽器から生み出した最新の舞台が『幽玄』でした。

花道がないのがかえって舞台と観客席との境がはっきりしていて舞台上の幽玄さが際立ち、オーチャードホールという場所も微妙な音を伝えてくれる環境としてベストだったのでしょう。

もう一回この音の世界に浸りたいです。

歌舞伎座の團菊祭五月大歌舞伎についても少し。

見どころは、彦三郎さん改め楽善さん、亀三郎さん改め彦三郎さん、亀寿さん改め坂東亀蔵さん、新彦三郎さんの子息の亀三郎さんへの襲名披露ということでしょう。新彦三郎さんも新坂東亀蔵さんも脇役が多く、新彦三郎さんは、国立劇場での『壺坂霊験記』での沢市で役者さんとしての印象を強めました。今回は『石切梶原』の梶原、『寿曽我対面』の曽我五郎で荒事などもこれからの活躍が楽しみなかたです。新坂東亀蔵さんも、『四変化 弥生の花浅草祭』で、松緑さんと組んでの舞踏で、こんなに身体の動くかただったのかと、これまた今後の修練の花開く日が楽しみな役者さんです。この勢いに新亀三郎さんも巻き込まれていくことでしょう。

七世尾上梅幸二十三回忌ということもあってか、菊五郎さんのお孫さんの寺嶋眞秀さんの初お目見得もあり、十七世市村羽左衛門十七回忌でもあるためゆかりの盛りだくさんな月となっています。

十七世市村羽左衛門さんに関しては、偶然目にした30年まえの雑誌『演劇界』に先人の芸をふくめたお話しが載っていて興味深く、連載されているようですので、このあたりを今後探索したいと楽しみがふえました。