東京国立博物館『禅 心をかたちに』 映画『禅 ZEN』

11月27日に終わってしまった国立博物館での特別展の『禅 心をかたちに』へ行ったのですが、捉えどころがなくて書きようがなく気にかかっていたのです。

劇団民藝『SOETSU 韓くにの白き太陽』の登場人物、浅川巧さんの映画『道~白磁の人』(監督・高橋伴明)から高橋伴明監督の映画『禅 ZEN』が出現。勘九郎さんが勘太郎時代の映画で、今は観たくないの枠に入っていたのですが、特別展の『禅 心をかたちに』がぼやけているので見ることにしました。

宗教家の伝記映画は、命をかけて修業をし仏の教えを受けて伝導するもので、ほとんど泣かされてしまうパターンとしてわかっているので避けていたのですが、少し解りやすい形で禅を伝えて欲しいとの想いもあったのです。

特別展の『禅 心のかたち』は臨済宗とその流れをくむ黄檗宗(おうばくしゅう)で、京都の萬萬福寺へ行った時には聞きなれなかった黄檗宗がわかりました。萬福寺はJR奈良線黄檗駅から近いので行きやすいお寺で、山門も建物も中国風でお腹の大きな布袋像があって<まんぷく>と重なって親しみやすさがあります。

東博にも来られていましたが、羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)像は、お腹のなかを手でばーっと引き裂いて見せていまして、中に仏さまの顔があり、自分のなかに仏がいるのだということを示しています。最初みたときは驚きます。この黄檗宗は江戸時代に中国から伝わっています。

禅宗が中国から伝わり広まるのは鎌倉から南北時代で京都五山といわれていますが、南禅寺はその五山の上の別格で、そういう意味でも石川五右衛門と南禅寺の山門には劇中の権威に対する思惑が含まれています。この件、かなりしつこいですが。

臨済宗での功名な祖師たちの肖像や肖像画などが多くありましたが、そのあたりはよくわかりません。書や教本などもさらさらとながめました。一応音声ガイドは借りたのですが。

禅のはじまりは<達磨(だるま)>です。インドから中国に渡来します。雪舟さんの絵には、座禅する達磨に自分の腕を切り達磨に入門を願う僧の絵がありました。国宝です。たとえ腕がなくなったとしてもという決意をあらわしているのでしょうが、白隠さんの絵のほうがユーモアがあっていいです。

白隠禅師は日本臨済宗の教えを完成させた祖といわれているんですが、殴り書きみたいに多くの禅画を描かれていて人気のあるかたです。大きな顔のみの達磨の絵。「富士大名行列図」には、<参勤交代は庶民を苦しめる浪費>と書かれてありまして、ユーモアがあるのに鋭さもあります。

臨済宗の祖は、中国唐代の臨済義玄(りんざいぎげん)で、絵によると恐ーいお顔をされています。「喝(かつ)!」と一声を発した荒っぽさもあったとか。

気に入った禅僧の肖像画は、愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)さんです。出世をのぞまず質素な生活をされたそうで、その姿絵は、右腕を挙げた手は頭頂にあてられ熊谷直実の花道での嘆きの姿ですが、直実とは違って、こまったなあ本当に絵にするのといった感じです。座っている椅子は節だらけで、下に置かれている沓はわらでできているようです。<こころをかたちに>がわかりやすい絵姿でした。

こんなのもありました。源実朝が二日酔いのとき、栄西(ようさい)が茶と「茶徳の書」を献上したという逸話があると。

源実朝を暗殺し、三浦一族に殺されてしまうのが実朝の甥の源公暁ですが、この公暁が映画『禅 ZEN』の道元の友人として出てくるのです。となるとなんとなく時代はわかるとおもいます。さて、映画のほうに移ります。

道元は禅宗のなかの曹洞宗(そうとうしゅう)の開祖です。

原作が小説なので、史実のほどはわかりませんが、道元にとって、公暁はいつも心のなかにいたことがラストでわかります。流れの筋はわかりやすく流れています。道元は留学僧として中国の宋に渡ります。そこで自分が教えを受けたい師をもとめついに巡り合い悟りをひらきます。

日本にもどり自分の学んだ禅宗の布教を共に修業した僧とはじめます。さらに宋で公暁と似ていて、道元が公暁!と呼びかけた僧も日本に渡ってきてくれます。ただひたすら、座禅による修行です。そして、そのままを受け入れる修業でもあります。

布教が広まると比叡山の僧に迫害を受け、越前に移りそこでつくられたのが永平寺なのです。生活のために身を売る女との問答、時の天下人・北條時頼との問答など、勘九郎さんの道元は台詞に落ち着きと信念があって涼やかです。時頼に鎌倉に残るようにいわれますが、越前の小さな寺が自分の場所であるとしてことわります。

台詞の声を聞きつつ、勘三郎さんの響きが時々あり、そのへんで押さえておいてと思いました。勘三郎さんの響きが多くなると、動きが違ってくるような気がするのです。自分の領域を多くしておいて欲しいです。『二人椀久』も『京鹿子娘五人道成寺』もこの道元の静かな表情が基本でいいのかもしれません。

座禅の時へその前で手のひらを上にむけて両手を重ね、親指の先を接する印相は禅定印(ぜんじょういん)といい、その空間に仏さまがいるのでそうです。子供が手のひらを毬を上と下ではさむような形にしていて、「それは違いますよ」と注意されるのですが、「雨が降っていますから」といいます。そこには小さな道元がいました。

人の進む道はそれぞれの空間に生じるわけで、それぞれの修行の道です。到達点はなく、とどいたと思ったらまた進まなくてはいけないのです。

体験しましたが座禅をして無になるのは大変です。感じて考えてあちらにふらふらこちらにふらふらしているのが今はいいです。

なんとか<禅>もつたないまま終わらせられました。

監督・脚本・高橋伴明/原作・大谷哲夫(「永平の風 道元の生涯」)/音楽・宇崎竜童、中西長谷雄/出演・中村勘太郎(現勘九郎)、内田有紀、藤原竜也、テイ龍進、高良健吾、安居剣一郎、村上淳、勝村政信、鄭天庸、西村雅彦、菅田俊、哀川翔、笹野高史、高橋恵子

 

 

ゴッホの映画(2)

アルトマン監督の『ゴッホ』は、出だしがゴッホのひまわりの絵のオークション場面からはじまります。どんどん値があがっていきます。芸術がお金に換算される何とも不可思議な世界の一端です。ゴッホさんが生きていた時には縁の無かった数字です。

映像では、ゴッホ(ティム・ロス)の姿が映し出され競りあう金額の声が小さくなっていきます。アルトマン監督の音楽の使いかたが好きです。この映画でもサスペンスのような音楽がながれ、ゴッホのこれから始まる時間に何かが起こるような不安な予感をただよわせます。この音楽のよさと用い方の上手さがいいです。

そして、この映画の光と影にもいつもながらの語らぬ造形美があります。

アルトマン監督は、テレビでサスペンス物などでも観ている人が途中で冷蔵庫からビールを取り出しに行ってテレビの前にもどっても、筋がわかるような作品は嫌だといいます。

ここを今離れたらこの筋がわからなくなるように観客を釘づけにしたいということのようです。結構意味もなく登場人物にしゃべりつづけさせたり、お互いの台詞をかぶせたりするのも継続性をねらっているとのことです。意味もなくといいますが、これがそのしゃべる人物の人間性をあらわしているのですから観る方は聞き流すわけにはいきません。

たとえば、ゴッホとゴーギャンの共同生活が始まり、この生活はテオの仕送りでなりたっています。ゴーギャンは絵の具をさわると、ゴッホが、ここにはいい絵の具がないからパリから送ってもらっているとつげます。ゴーギャンはここの絵の具でいい、贅沢はしないでおこうと言います。

外で二人で絵を描いているときゴーギャンの絵をみてゴッホは、黄色は贅沢だよといいます。黄色というのが、暗示的でもあり何かを匂わせてくれ、ゴッホには悪戯っぽいところがありまだゆとりがあります。

ゴッホが大根を切って料理をしていると、ゴーギャンが料理とはこういうものだと、トマトの皮をむいて切りクレソンをそえチーズを切ってそこにオリーブオイルをかけ、色の取り合わせなどの講釈をします。ゴッホは嫌な顔をします。ゴッホとゴーギャンの間の溝がそんな些細なことから始まってきています。ゴッホの神経の起伏が現れ始め、ついには大きな破たんへと至るので、やはり眼も耳も離せないのです。

貧しいモデルの女性シーンとの出会いと別れもゴッホの絵に対する姿勢を伝えてくれ、シーンの生活者としての人間像も客観的にえがかれ、家族で海岸を歩くシーンの風景の映しかたにも変化があり、リアルさと印象的な場面が散りばめられています。

ひまわりに囲まれてゴッホは絵を描いています。ひまわりはゴッホのほうを見ています。ゴッホもひまわりをみています。突然映像はひまわりの後ろから映され、ひまわりを見ながら描くゴッホの姿が映ります。バーッと並ぶひまわりの後ろ姿です。

こういうあたりのぎょっとさせる思いがけない感覚を映像で伝えるのがアルトマン監督なんです。裏と表の関係を匂わせ本質を突き付けますが、さらりとして嫌味がないのがいいのです。しかし確実にああそうねと受け止めさせられています。

そして、正面のひまわりをみせ、また後ろ側に回ってカメラがとらえた時、ゴッホは自分の描いたひまわりのキャンバスをこわしているのです。襲いかかるような画面いっぱいのひまわり。

この映画は、ゴッホとテオの関係が軸となっている映画ですが、二人の手紙の言葉を一切使いません。テオがゴッホからの手紙を読んでいて、テオの妻が内容を聞くと、私信だから教えられないといいます。君宛の手紙も読まないからとつけ加えます。そのことから、妻は、ゴッホとテオの関係から自分が外されていることに次第に苛立ちを覚えはじめます。その亀裂も次第に大きくなっていきます。

兄弟がお互いに反目し合う場面があっても手紙の言葉は出しませんが、ゴッホとテオの関係がいかに悲しいぐらいに親密であるかを映像はつたえてくれます。ゴッホとテオの関係を偶像化することはしません。生きている以上お互いの関係は綺麗ごとではすまされません。その複雑さを映しつつ、それぞれが、精一杯生きた証を指し示しています。そういう点では、アルトマン監督は映像の絵描きともいえます。

あえて、パリでの絵描き仲間からゴーギャンとベルナールを選び出し、多くの人物を登場させるアルトマン監督にしては絵描き仲間を排除しているのも、主題をぼかさないためでしょうか。この映画でのゴッホに「パリってなんだ。パリにいったい何の意味があるんだ。人と話したりあったりそれだけか。」と言わせています。

どうして『ゴッホ』を撮る気になったのかなどは、時には饒舌なアルトマン監督なのにわかりません。もしかすると、映画『炎の人ゴッホ』よりさらなる伝記映画の変化を考えたのかもしれません。

映画のジャンルでわけしたとしても、アルトマン監督の映画はジャンルの手法をかえていますから、アルトマン流の伝記映画をつくろうとしたとしても不思議ではありません。

そうそう、歌舞伎の隈取ではないですが、ゴッホは酒場の女性の顔に絵の具でペインティングをしてお店の人を怒らせていました。テオは兄の自画像を「仏を崇拝する日本の高潔な僧侶みたいだ」と評します。ゴッホのパリの部屋には、広重の東海道五十三次の<庄野・白雨>の版画がかかっていました。

麦畑もひまわりと同様美しくもあり強烈な風景です。ここでカラスが描かれ、そして自分の脇腹からピストルの弾を打ち込み、それが致命傷となります。テオはその半年後に精神病院でなくなります。兄を想いつつ。

ラストに、隣り合うゴッホとテオのお墓が映されます。

オーヴェールの丘に二人のお墓を並べたのは、テオの奥さんです。

日本でゴッホが紹介されたのは文学雑誌『白樺』ですが、やはり、そのあとの式場隆三郎さんの力は大きかったとおもいます。改めて式場隆三郎さんの図録を読み返しその仕事の量に感嘆しました。

ゴーギャンの画集もながめました。ゴーギャンの絵との闘いも壮絶です。もう一度、美術館の絵の前に立っている可能性ありです。

『炎の人 式場隆三郎 -医学と芸術のはざまで-』

 

ゴッホの映画(1)

ゴッホの映画を三本観ました。DVDも今は特典映像が多く一本まるごと解説入りというご丁寧さのものもあります。嬉しいながらも予定外の時間をとられたりしました。

『炎の人ゴッホ』(1955年・アメリカ)監督・ヴィンセント・ミネリ

『ゴッホ』(1990年・アメリカ)監督・ロバート・アルトマン

『ヴァン・ゴッホ』(1991年・フランス)監督・モーリス・ピアラ

1991年の『ヴァン・ゴッホ』から始めます。なぜなら書くことが少ないからです。日本では公開の数の少ないフランスの映画監督です。映画監督になる前は画家を志していた方だそうで、凡人には難し過ぎました。公開された時、ゴダール監督がピアラ監督に賛辞の手紙を送ったそうですから玄人の眼にかなう映画ということでしょう。

ゴッホが人生最後の地、オーヴェール・シュール・オアーズで過ごした2ヶ月間のことが描かれていますが、精神状態の難しい時期を選んでいて、ピアラ監督ならではの設定なのでしょが、あえてこの時期を選ばれたのかもしれません。弟のテオも病的な兆しがあり、テオの奥さんが真剣に心配しています。

この奥さんはゴッホが亡くなり、ご主人のテオも亡くなり、子どもを育て、さらにゴッホの絵と手紙を守り続けたのですから、聡明で凄い精神力の持ち主です。

一つだけ気にいったのは、ゴッホが甥の誕生で送った「花咲くアーモンドの木の枝」の絵が、テオの住まいの暖炉の上に飾ってあったことです。個人的には、この絵がここにある映像を観れたのがよく判らなかった気分の代償となりました。

ゴッホ役はジャック・デュトロンで既成のゴッホにとらわれない雰囲気でした。

炎の人ゴッホ』は、ゴッホ役がカーク・ダグラスで、ゴーギャンがアンソニー・クインですから、まさしくハリウッド映画です。

原作がアメリカでベストセラーになったアーヴィング・ストーンの小説を原作としています。テオの息子は、ハリウッドの制作会社のアイディアを嫌悪して、ゴッホの手紙の言葉の使用を許可しませんでした。この映画に出てくるゴッホの手紙の言葉は全て新たな創作ということです。

脚本はできていたのですがなかなか映画化されずロートレックの伝記映画『赤い風車』のヒットで映画化が始動しました。

ゴッホは絵の創作と同時にテオへ膨大な手紙を送っています。絵に描き表わせられない気持ちを言葉にぶつけるように文字にしています。『ゴッホとゴーギャン展』でも、ゴッホとゴーギャンの言葉を拾っていたようですが、それは飛ばさせてもらいました。この文字の世界に入ると一層囚われて固まってしまう感じがしたからです。まだ自分のこの程度の段階で固まるわけにはいきませんので。

ゴッホが伝道師となった時からはじまります。ベルギーのボリナージュ炭鉱に赴任しますが、炭坑の貧しき人々と伝道師である自分との間に距離を置くことが出来ず伝道師の仕事は免職となります。彼にとって神と神を信じる者との間の聖職者に不信感をいだきます。そして貧しい人々をモデルに絵を描きはじめます。

そこから弟テオの援助がはじまります。ゴッホ27歳の時です。映画では、父母のもとで寡婦の従妹に恋をしてふられたりハリウッド映画的展開があります。とにかく人付き合いの不得手なゴッホで、この映画でもパリでの画家たちとの交流は深くはえがかれてはいません。パリから南フランスのアルルに移ったゴッホは、朝、部屋の窓を開けた途端に映像は明るい風景を映し出し、アルル時代の絵がどんどん描かれていき、郵便配達人ムーランとの交流など人との関係も上手くいっています。この時描いた絵が映像の中でながされます。

しかし、季節が変わり室内で描くようになるとゴッホの気持ちも内に籠っていくようになります。そんな時ゴーギャンがやってきます。孤独なゴッホにとって喜びと同時に激しい絵の論争がはじまります。

ゴッホ「太陽を描くなら光と熱まで伝えたいと思う。畑の農民なら日を浴びた体臭までだ」 ゴーギャン「筆触を強く厚塗りすることでか?よじれた木とばかでかい太陽でか?感情に駆られた君は早く描きすぎる」

ゴッホは発作を起こし自分の耳を切り落としてしまい、ゴーギャンは去ります。ゴッホはサン・レミの脳病院に入り、ここで描いた絵も映像に流れます。

そして最後の地、オーヴェールのガッシュ医師のところへ行き、ここで描かれた絵の映像も映しだされます。

この映画では、ゴッホの伝道師時代から死までが描かれ、また多くのゴッホの絵の映像が映し出されるので、ゴッホのどういう状態の時の絵であるかがわかり、そういう点ではゴッホの行動と絵の流れをとらえるひとつの例となると思います。テオもひたすらゴッホを支えます。

カーク・ダグラスとアンソニー・クインの熱演を観れるのもこの映画の愉しみどころです。映画はシネマスコープでオランダとフランスでロケをしてヨーロッパで当ることを制作会社は期待しましたが興行的には大ヒットとはなりませんでした。

ミネリ監督はミュージカル映画監督として知られていますが、『炎の人ゴッホ』は撮りたかった映画で、テーマはあくまでゴッホの心の闇ということで、古典映画の英雄的伝記映画からの脱出を試みました。

 

 

シネマ歌舞伎『ワンピース』

群像劇の『ワンピース』が、映像となった場合はどうなるのか。

ダイジェスト版として、観劇を再生する為にもとおもって見たのですが、最初から観劇で観た位置とは違う映像が沢山あり、映像としての『ワンピース』を楽しめました。

歌舞伎の見得の表情が皆さんいいのにも驚きでした。動きが激しいのにここはきめるところとしっかりときまっています。着地成功というところですが、着地が結構多いですから映像のための編集があったとしても歌舞伎の筋は通していました。

かなり削除されている部分もありますが、その部分は上手く説明を加え、初めて見る人への配慮も考えて編集されています。なるほどこう編集できるのかと新たな見方ができました。アニメ的な画像も加えられていましたが、違和感がなくかえって、映像ならではの弾みとなって映画を楽しんでいるという感覚なのですが、あのクジラとルフィの波乗りの宙乗りは劇場の中ですが、どこから観ればこう観えるのであろうかと、不思議な空間に映りました。

ルフィが膝を曲げてサーフボードをくるっと後ろに返すのが格好良くてさらに笑えます。猿之助さんがしらっとしてやってのけ、皆があれっとおもってざわつくのですが、そのまましらっとしているのがかえって可笑しくて宙乗りの楽しさを増してくれます。と書きつつ本当にそうだったのかなと近頃疑問になることが多いのです。書きつつ自分の感覚にはめ込んでいるのではと懐疑的になるのです。自分の感覚で楽しまないとつまりませんから、人の感覚は信用しないほうがいいです。

ルフィの腕が伸びるのを知りませんでしたので踊りの時に、ルフィを真ん中にして何人かが横に腕を組んで繋がり、ルフィの腕が伸びたように演出したのも、今回は印象的で、そうであったかと納得して楽しめました。単に腕が伸びるだけではなく「TETOTE」の歌詞にもつながるような動きになりました。

小さいチョッパーが、大きいチョッパーになって出て来たのも角でわかり、キャッチできました。よかった。

ところが、序章での勘九郎さんの声を勘九郎さんとは気がつかずに映像を見入ってしまいました。どんな映像になるかと力がはいり、なるほどと思って聞きつつ声の主に気がつかなかったとは不覚です。そういう意味では聞きやすくほど良い声だったということになります。それにしても残念。

花道から舞台への角度の映像もあり、切れの良いアップなど映像ならではのテンポで、観客席は年輩のかたが多く見受けられましたが、終映後に面白かったの声が聴こえてきました。

『ワンピース』の舞台を観て、テレビでもアニメの『ワンピース』を放映していたので録画して見たのですが、続きませんでした。舞台の『ワンピース』を楽しむ能力しかないようです。

最後に博多座での千穐楽での舞台からの発表がありました。2017年10月11月に新橋演舞場での再演決定。配役なども、春猿さんが来年の1月に新派へ入団され河合雪之丞さんとなられますから変ってくるのでしょうか。それとも客演されるかな。ナミさんをめぐって争奪戦ありというのも刺激的ですが。

映画を見た後に『ワンピース』のプログラムを楽しみました。浅野和之さんのメッセージから、作者の尾田栄一郎さんが「次郎長三国志」が好きであるということが判明。『ワンピース』は「ひとつなぎの大秘宝」を探すという仲間意識とそれぞれのキャラクターで話しが長く続いていくという手法が見えます。

アルトマン監督の群像劇は、関係のないと思われる人々が、何かのために集まり、その人間関係が観客に次第に明らかとなるというケースが多いのです。戦場の一部隊であったり、ファッションショーであったり、選挙の集会だったりなどするのです。その辺りが『ワンピース』とは違う群像劇です。

映画『次郎長三国志』は言わずと知れたマキノ雅弘監督ですが、東宝版では廣澤虎造さんに唸らせ、東映版では、次郎長の鶴田浩二さんに唄わせるという変化球をやってのけました。マキノ雅弘監督も映画会社とは様々のバトルがあったことでしょう。

そうそう旧東海道中では、吉原で次郎長さんや山岡鉄舟さんが定宿としていた宿屋に宿泊しました。今はビジネス旅館として頑張っておられます。

新橋演舞場 『ワンピース』

まさか新橋演舞場に再入港するとは思っていませんから、主題歌を唄うともっと楽しいであろうなどと書いてしまっていました。北川悠仁さんの歌詞をあらためてみますと、う~ん、ちょっとこちらにとっては、遥か遠き青春歌です。どうしようか。口ぱくでそーっと応援することにしましょう。

そして、2015年から2016年になっての見せかけ進化は、ペリー萩野さんが紹介されていた海賊本の『村上海賊の娘』(和田竜著)が積んであること。実質進化に今年中になるかどうか。来年の10月まで実質進化期限延長可とします。

ルフィと麦わら帽子と麦わら一味との再会は来年として、ゴッホの麦わら帽子について自分のための報告書をまとめなくてはなりません。映画も見直さなければ、映画同士が乱入し合っています。できるだけはやく調査に乗り出します。

パンフを見ていると、それぞれのお化粧の仕方が超熟慮の化粧術です。ゴッホさんが『ワンピース』の役者絵を描いたらどうなったのでしょうか。精神的重圧から解放されたかもしれません。こんなのがありなのかと。

 

映画『ゴスフォード・パーク』『相続人』

ロバート・アルトマン監督のミステリーものです。

ゴスフォード・パーク』はミステリーですが、イギリスの貴族社会の主人と使用人の違いを見事にえがいています。時代は1932年の設定で、かつて執事であったり、メイドであったり、料理人であったりした経験者を現場にいてもらって役者さんと自由に会話してもらい、役者さんは実際に質問して役作りに励んだわけです。経験者のかたは80歳になられていて、実際の話しを聞くギリギリの線だったわけです。

アルトマン監督は自由に演技させてくれたという役者さんが多いですが、これがアルトマンマジックでもあり、役づくりのできる役者さんを選んでいるところもあります。経験者から話を聞いてもそれが役に反映できるかどうかは役者さんの力です。

たとえば、貴族の会食場面では、役になりきって自由に会話してくださいといい、勝手にカメラがとらえますからと伝えます。それって、貴族の振る舞い方を身につけどんな話題の話しをしていいのかなど咄嗟に出て来なければできないことです。そういう自由さは、高度な経験と演技力が要求されます。さらに、この人はこういう事情のある人という人物像があるのですから、その人物像も作っていかなければならないのです。

群像劇なので、ずーっと一人の人を追いかけるわけでありませんから、ほんの少しの出に人物像を出していかなければならないのです。観る側も、登場人物の配置図鑑をつくりあげていかなければならないので、頭の体操です。

最初から混乱しました。雨が降っていてお屋敷の前に車がとまっています。急いで若い女性と運転手が車の幌を設置します。後席に婦人が乗り車は出発します。途中で後席の婦人がポットの蓋を開けてくれるように指図します。後席と運転席はガラスで仕切られています。運転席に乗っている若い女性は車からおりて半周して後席の婦人のドアを開けそこで立ったままポットの蓋をあけ婦人が呑むまで待っています。雨にぬれたまま。傘など使いません。傘などないのです。

この若い女性は、婦人の付き人だったのです。この車は、ゴスフォード・パークと呼ばれる貴族の田舎にある大きな邸宅に招待されて向かっている途中だったのです。

この車がゴスフォード・パークに到着します。婦人は表玄関から入ります。付き人は、主人を見送り、違う入口からはいります。そこには、この邸宅の女中頭がいて、部屋を教えられます。次々と他の招待客の付き人が到着します。邸宅の使用人と招待客の使用人の寝泊りするところは、階下です。上階が貴族たちの生活の場。階下が使用人の仕事場と寝泊りの場なのです。

執事や付き人やメイドなどは、上での仕事もありますが、料理人などはご主人の顔などみることなどめったにないという次第です。映画では、この邸宅の奥方が下に降りてきますが、実際にはあまり無い光景です。

階下の夕食は、階上が飲物を楽しんでいる合間に30分でといってはじまりますが、席の順番がきまっていて、それは仕えるご主人の身分によって決まるのです。

アルトマン監督は階上は、ある屋敷でロケをして、階下は当時の状態を忠実にセットにして撮影していますので、階下の動きが当時のままわかるというのも、この映画の見どころです。階下に入って来る光、靴磨きの部屋、そして装飾品や銀食器を磨くために使われるための毒薬が身近なところにあり映しだされます。

ゴスフォード・パークの主人が殺されるのは、庖丁です。書斎に入る殺人者の足が映し出され、随分簡単に主人に気がつかれずに殺せたなとおもいました。そう、簡単すぎるのです。ということは、何かがあるのでは。そう簡単にアルトマン監督は得心させません。

最初に気をひいた若い付き人が、映画上ではこの事件の探偵役にもなります。彼女は階上にも階下にもいける立場で、彼女のご主人は階下の噂話を聞くのが好きで、階下のひとは階上の噂話が好きなのです。

招待客の中に、映画製作者がいて、今どんな映画を作っているかと聞かれると『チャーリー・チャンのロンドンの冒険』と答えます。これは、実際にあった映画で、さらに実在した俳優のアイヴァー・ノヴェロも登場します。貴族は映画は観ません。ノヴェロがピアノの弾き語りで歌うと、階上の人々は気のない拍手をしますが、階下の人々は階段の途中やドアの後ろで聴き入ります。

階上の人数が14人。わけありの付き人がいて、途中から15人となります。それだけの人数の関係、さらに、階下の主要な人物が10人ほどいますから画面にくぎづけです。窓の外とか、集まった人々の間をとおり抜ける人も気になります。油断がならないんですアルトマン監督は。室内で話す人物を撮りつつ窓の外にも人物を動かすのです。

アガサ・クリスティーの原作を使おうとしましたが、面白いのは全て映画化されていたので新たな脚本としています。アガサ・クリスティー調で、印象深い映画『日の名残り』よりもリアルさがあり、アルトマン監督ならではの群像劇です。

朝食がバイキング形式で、もちろんベッドでの部屋食の人もありますが、バイキング形式はこんなところから派生したのであろうかと一つ一つが面白く、さらにミステリーなのですからこれは楽しみどころがいっぱいです。二回見ても飽きないとおもいます。

相続人』のほうは、ジョン・グリシャムが映画用に書きおろしたものでハラハラドキドキ感たっぷりです。ただこれは、犯人がわかってしまうともう一度観たいとは思いません。この辺が『ゴストフォード・パーク』とはミステリーでも違うところです。ケネス・ブレナーをはじめ役者ぞろいですから、演技的にも惹きつけてはくれます。ロバート・デュバルの謎めいた演技も困惑を起こしますし、ケネス・ブレナーがまんまとはまってしまうという役どころもいいです。

アルトマン監督は親子関係や家族ということも挿入させ、映画のなかでは小さな子どもを重要な位置づけとして登場させたりもします。

ジョン・クリシャム原作の映画『ザ・ファーム法律事務所』『依頼人』『評決のとき』『レインメーカー』『ペリカン文書』などは、時間もたったので見返してもいいかなとおもいますので『相続人』なども時間がたてば見返したくなるのでしょう。

『相続人』についてはサクッと触れるだけにします。ミステリーでも、二作品を全然違うタイプの映画として作り上げているのがアルトマン監督の魅力的なところです。

アルトマン監督、ビンセント・ヴァン・ゴッホの映画も撮っていました。

目指せ!上野でしょうか。目指しました。上野は今、ゴッホだけではありません。スイマセン。世界遺産は素通りでした。

 

映画『バレエ・カンパニー』ドキュメンタリー映画『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』

映画『リトル・ダンサー』に触発され手にしたのが『バレエ・カンパニー』です。この作品の映画監督がロバート・アルトマンで、そういえば見たいと思っているうちに終わってしまったアルトマン監督のドキュメンタリーがあったなとおもいだしました。それが『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』です。

映画のチラシを探していましたら『リトル・ダンサー』のチラシが出てきて、< 世界のトップダンサー、アダム・クーパーが特別出演しているのも見逃せない!! >とあり、やはりアダム・クーパーであったかと、たしか?と思っていた疑問符も消すことができました。いまとなっては、あれはアダム・クーパー以外考えられないショットです。

『リトル・ダンサー』のスティーヴン・ダルドリー監督を調べたら、『めぐりあう時間たち』『愛を読む人』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の監督でもありましたが、見ていながら記憶のなかではつながっていませんでした。

ロバート・アルトマン監督のほうにいきます。『リトル・ダンサー』からバレエの映像が見たいと思って手にした『バレエ・カンパニー』ですが、これがバレエのドキュメンタリー映画を見ているようなダンスのシーンがたっぷりで、主人公がいるのですが、その物語の部分はバレエシーンの間にほどよく配置されていて、そのほど良さがアルトマン監督の上手さであるとおもいます。

主人公の恋愛、所属バレー団の運営、練習場面、バレリーナの怪我などの話しが流れているのですが、その流れがバレエシーンの流れを邪魔せず、その華麗なおどりはバレエ映像を見たいと思っていた者を満足させてくれました。

バレエ・カンパニー「ジョフリー・バレエ・オブ・シカゴ」のトップ・ダンサーたちとアルトマン監督とのコラボレーションが見事で、こちらもチラシがあり、主役のライは女優・ネーヴ・キャンベルさんで代役なしとのことで、見ていてダンスシーンが違和感がなかったので納得できました。キャンベルさんはナショナル・バレエ・オブ・カナダ出身で、自らの経験から企画・制作・主演をされていたのです。

アルトマン監督流のエスプリもあって、それでいてリアリティたっぷりの稽古風景などはドキュメント感にみなぎっています。

20世紀最高の振り付け家・モーリス・ベジャールのドキュメンタリー映画『ベジャール・バレエ・リュミエール』も見たのですが、こちらは、振り付け家ベジャールの発想がどう踊り手にのり移っていくかという視点なので、作り上げていく過程が興味深いところですが、ダンスを楽しむというよりも、その試行錯誤と苦慮をたどるというかたちで、アルトマン監督のその重さを軽くしていかにその技術も伝えるかという映画としてみせたのは、映画とドキュメンタリー映画の狭間に開化させた映像の面白さでした。

ベジャールさん関係では死後、その意志を継ぐモーリス・ベジャール・バレエ団のドキュメンタリー映画『ベジャール、そしてバレエはつづく』もありました。

アルトマン監督をえがいたドキュメンタリー映画『ロバート・アルトマン ハリウッドに最も嫌われ、そして愛された男』はどうなのか。ジェットコースターに乗っているような一生ともいえます。映画のことなど全然知らないのに映画界に潜り込み、独力で映画技術を勉強し、映してはいけないと言われる映像を映してクビとなり、『M★A★S★H』が大ヒットとなりそれから快進撃ですが、また谷底へ。『ザ・プレイヤー』『ショート・カット』『プレタポルテ』で再び走りだします。このあたりは評判になっていましたので見ましたがよくわかりませんでした。見直しますが。

『プレタポルテ』などは、スターの総出演で、スター登場、字幕、ストーリー、ファッション界の内幕と追っているうちにラストへ、ラストの落ちには笑えました。

今回見ていない『Dr・Tと女たち~スペシャル・エディション~』と『クッキー フォーチュン』を見て、ゆったりと善良な人々の生活がながれ、次第に状況がかわり竜巻にまきこまれたり、自分が仕組んだ芝居にはまって殺人犯になったりと、自然とことが運んでいくながれにどこで歯止めをすればよかったのかがわからないのですが、最後は少し違う位置の倖せの場所にいるという展開がくりひろげられます。

アルトマン監督最後の映画『今宵、フィッツジェラルド劇場で』は遺作ということで映画館でみましたが、どうしても外国のことになると時代背景がぼんやりで身にそはないのがもどかしいのですが、ラストになにがくるのかというアルトマン監督の楽しみは、最後の映画ということもあってか<死>が暗示されていました。

アルトマン監督のドキュメンタリー映画をみて、アルトマン監督の映画をみることがアルトマン監督のドキュメンタリーをみることなのだと想えました。さすが監督落ちをつけてくれました。

これを機に見直したり新たに見たアルトマン監督の映画

『マッシュ』『ギャンブラー』『ロング・グッドバイ』『ナッシュビル』『クインテット』『ウェディング』『ゴッホ』『ザ・プレイヤー』『ショート・カッツ』『プレタポルテ』『相続人』『クッキー・フォーチュン』『Dr・Tと女たち』『ゴースフォード・パーク』『バレエ・カンパニー』『今宵、フィッツジェラルド劇場で』

 

歌舞伎巡業公演『獨道中五十三驛』映画『超高速!参勤交代』

猿之助さんと巳之助さんダブルキャストの『獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』の巡業公演が埼玉県の入間市市民会館から始まりました。

この演目を巡業で、さらにダブルキャストで、さらにそのひとつを受け持つのが巳之助さんでと少し心配なのと、猿之助さんがこれをどう仕切るのか興味津々でもありました。

観たのはAプロのほうで、巳之助さんが十三役早変わりで、早変わりのたびに大きな拍手があり気持ちよかったです。巳之助さんを激励する意味を含んだ拍手だったとおもいます。もちろんこちらも拍手しつつ一役一役確認するように観ていましたが、巳之助さんは芝居に入り込んで下半身もしっかり安定させ声も出ていました。

歌舞伎座などでの赤っつらの役の時なども誰なのかと思うほど大きな声を出していましたから、意識して声をだすようにされていたのでしょう。この巡業での経験がなにかの形で身体に残るのではないでしょうか。

役者さんもそうですが、裏方さんも大変なことです。入間市民会館はかなり年数を経た建物で、楽屋裏が広いとはおもえませんので、あれだけの道具をよくスムーズにだせたとおもいます。そして背景幕の降ろし、宙乗りと、これだけの舞台装置は地方ではなかなか観れないと思います。

前半は岡崎の古寺での化け猫の場が見せ所で、Aプロでは宙乗りは猿之助さんです。後半の小田原からの浄瑠璃お半・長吉『写書東驛路(うつしがきあずまのうまやじ)』は巳之助さんの早変わりと同時にどんどんどんどん宿場が進んで行き背景も変わります。

昼の部よりも息が合ってきたという弥次さん(猿三郎)と喜多さん(喜猿)は、その速さにまけてはならじとお先にと江戸をめざして行ってしまいました。

そして紛失した九重の印も、由留木家にもどり、めでたしめでたしと無事終わりました。最後は、裃姿の猿之助さんが今日はこれにてと幕となります。休憩をいれて2時間35分という超高速でしたがよく収め切ったものです。

人使いが荒いとぼやく最高齢の寿猿さんをはじめ、笑也さん、笑三郎さん、春猿さん、猿弥さん、門之助さんの息の合った澤瀉屋一門のチームワークのよさの巡業公演です。

入間市民会館での初日は温かい拍手のなかでおわり、気持ちよく観劇できました。

この超高速に、そうだ映画『超高速!参勤交代』を観て見ようと思い立ちました。今映画館でやっているのは『超高速!参勤交代リターンズ』ですが、遅れていますが前作のほうです。

こちらは東海道ではなく、今の福島県のいわき市から江戸までですから奥州街道ということになるのでしょうか。湯長谷藩に参勤交代から帰ったばかりなのに、幕府から再度5日で江戸に参勤するようにとのお達しがとどきます。

民を想う優しいお殿様で、今回の参勤交代でお金は底をついているのにどうすればよいのか。知恵をだす家老、武勇に優れた家来などの結束によって、難関を突破します。虐げられたものが勝つという最後はめでたしめでたしの痛快時代劇で、次はどう乗り切るのかとそのアイデアを楽しめる作品です。

スパー歌舞伎Ⅱ『空ヲ刻む者』に参加した佐々木蔵ノ介さんが気が弱そうでいて情があり家来を信頼するお殿様で、猿之助さんが徳川吉宗になって出ております。悪役老中の陣内孝則さんが悪役を一気に引き受け、悪役系の石橋蓮司さんが良いほうの老中で画面を締めています。

正規のルートの街道をいったのでは間に合わないと大きな宿場だけは人を集めて行列で通り、あとはひたすら走ります。勧善懲悪ものですから突っ込みはなしで、気楽にたのしむのが前提です。

水戸の斉昭公は若い藩士を、水戸八景の景勝地役80キロを一日一巡させて鍛錬させたというような話もありますから、そこまでしなくても、藩の存続にかかわればこの映画に近い力は実際に発揮できたのかもしれません。

監督・本木克英/脚本・土橋章宏/他の出演・深田恭子、伊原剛志、寺脇康文、上地雄輔、知念侑季、柄本時生、六角精児、神戸浩、西村雅彦

 

 

映画『助太刀屋助六』『無法松の一生』

助太刀屋助六』は、岡本喜八監督最後の映画でどいうわけか手が伸びなかったのです。音楽が山下洋輔さんで、太鼓の林英哲さんも参加されていると知りこれは観て聴かなくてはと即レンタルして観ました。

痛快!痛快!娯楽時代劇で面白かったです。なぜ観なかったかといえば集中して観た岡本監督映画と比して裏切られるような気分が働いたのですが洋輔さんと英哲さんに誘われて観て正解でした。音楽にも集中でき映像に面白さが加わりました。ジャズ風オハヤシ、オハヤシ風ジャズが効いていました。

ぴたっと音楽が止んで何の音もしなくなったり、音楽が止ると、棺桶のタガを締める音だけが入ったりとか、そのタイミングが映画の面白さと役者さんの動き、特に真田広之さんの絶えず動く身体リズムとも合っているのです。

いつのまにか仇討の助っ人になり報酬を手に入れることを覚えた助太刀屋助六、上州の故郷の母の墓の前で、故郷に錦を飾るほどではないが、「絹を着て帰ったぜ」と亡き母に袖を広げて絹の着物をみせるその光沢の具合が助六の今は多少お金を持っている自分の嬉しさを現わしており、若さの楽天さでこの精神が貫かれます。

着物の左右が女物と男物でそれにも意味があり、自分が嫁を貰うということと、亡き母と名の知れぬ父へのオマージュともとれます。結果的にそれは一つになるのですから。

誰に教わったのでもなく、自分一人で戦うためには何を使えば良いかを常に動き回わり探し回って見つけます。竹ぼうき、竹竿、大八車、石、早桶、などアドリブの音楽と同じで武器、道具、戦い方を音を探すように見つけ出していきます。

故郷に帰って見れば、村は仇討前の静けさ。これは自分の出番と思うが出番もなく、討たれたほうが知らされることのなかった自分の父親でありました。父親の仲代達矢さんと会うのが桶屋で、助六が自分の息子であると知った時、短い時間でありながら息子の性格を見抜き、事情の知る桶屋の小林桂樹さんに父であることを知らすなと伝えますが、このあたりも岡本監督の見え透いた情をださなくても、父が息子の人間性を見抜いており、死ぬ前に逢えた喜びも感じとれるのです。

白木の位牌に自分の戒名を書く父の手が震えます。息子に会って、死の覚悟に未練がでたように思えました。そして字の書けない息子に対して「自分の名前くらい書けるようにしろ」と父親としての言葉を残します。このさりげなさが岡本監督らしさでもあります。そして、一輪の小さな野菊もさりげなくキザでないのが許せます。

息子は仇討を決心しますが、「いやいや落ち着け。仇討ではない、白木の位牌に助太刀するのだ。」錆びた刀を父母の新しい墓石で研ぎ、「刀を研いでいるように見えるだろうが、違うんだなこれが、墓石をみがいているのだ。」と一人でここまで生きて来た自分をとりもどします。

ずらして気持ちにゆとりを持たせ冷静になり、敵討ちは成就します。ただ火縄銃に撃たれて死んでしまう助六が生きていることは映画を観る者が判ってしまうのがこの映画の失点でしょうが、まあこれも許せる範ちゅうとしましょう。音楽に免じて。

助六の真田さんと父親の仲代さんとのずれもいい。どこかずれてずれて、幼馴染とも、桶屋の親子とも、村人とも。それでいながら最後に助六という名前の馬を手なずけている鈴木京香さんのお仙の言いなりになる助六が、どうにかずれからずれてめでたしめでたしであります。

左右の女物と男物の着物が、しっかりと縫わさっていたということでしょう。

岸田今日子さんのナレーションの声も魅力的でした。やはりここで観るべき映画でした。じわじわきます。情で落とせる状況を岡本流の軽さと明るさなのに、そこで終らず何か来るんですよね。

監督・岡本喜八/原作・生田大作(「助太刀屋」)/脚本・岡本喜八/撮影・加藤雄大/音楽・山下洋輔/出演・真田広之、鈴木京香、村田雄浩、鶴見辰吾、風間トオル、本田博太郎、岸部一徳、岸田今日子、小林桂樹、仲代達矢/ミュージシャン・林英哲(太鼓)金子飛鳥(バイオリン)竹内直(リード)津村和彦(ギター)吉野弘志(ベース)堀越彰(ドラム)一噲幸弘(笛)

太鼓といえば無法松と思い立ち観ていなかった三船敏郎さんの『無法松の一生』を観ました。小倉祇園太鼓を打つ三船さん、くるくるっとバチを回したりして打ち方も力強いです。格好良い。さすがです。

今の打ち方は小倉の祇園太鼓ではないと、吉岡のぼんの五高の先生に説明しつつ太鼓を打ちます。流れ打ち、勇み打ち、暴れ打ちと説明しながら。この暴れ打ちは小倉祇園太鼓にはなくて、映像の見せるという形態によって生まれた打ち方で映画のために創作したもので、本元の小倉祇園太鼓は伝統を守り続けています。

『無法松の一生』の映画の見せ所としては、変化に富む打法を見せることにより車引きだけではない無法松の一面を見せる花道でもあるわけです。ただここから無法松は吉岡夫人(高峰秀子)に対する自分の気持ちとの葛藤に苦しみ死へと向かっていく事となります。

『無法松の一生』の映画に関しては色々なことがありますが、今回は太鼓で観ましたのでその事だけにします。

監督・稲垣浩/原作・岩下俊作/脚本・伊丹万作、稲垣浩/撮影・山田一大/音楽・団伊玖磨/出演・三船敏郎、高峰秀子、芥川比呂志、笠智衆、飯田蝶子、田中春男、多々良純、

 

映画『元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯』

羽田澄子監督の2001年の作品です。

1998年に「平塚らいてうの記録映画を創る会」から高野悦子さん(元岩波ホール総支配人)を通じて話しがあり、軍国時代に青春を送った羽田監督が、平塚らいてうさんの『青鞜』の新しい女から平和運動に行き着いた生き方を通じて、反戦への想いがつながりそうである。

平塚らいてうさんらの創刊した『青鞜』は、文学作品としてこれだという優れたものがなく、運動の主軸もよく判らず、らいてうさんと森田草平さんとの心中未遂事件、それを題材にして森田さんが『煤煙』を書き、伊藤野枝さんが『青鞜』の編集を引き受け、その野枝さんは大杉栄さんとともに官憲に虐殺され、『青鞜』も廃刊といったことがばらばらと浮かぶ。きちんと、らうてうさんの生涯を知らないのである。総体を知るうえでは良い機会でした。

まず驚いたのは、らいてうさんは己とはなにかと自問し、禅に出会い修業し、自分を捨てることができたと感じていることです。塩原事件については、森田草平さんはらいてうさんに<あなたを殺したい。私は死ぬわけにはいかない。その後の全てを書かなくてはいけないから。>というようなことを言われ面白いことを言う人だとつき合いはじめ、<死のう>といわれ承知します。らいてうさんは母の守り刀を持ち森田さんに着いていきます。雪の中を歩き途中で森田さんに懐刀を投げ捨てられ、どちらかというと森田さんに嫌気がさし、森田さんを先導するようにあるき出し、捜索のひとに見つけられるわけです。

森田草平さんとは肉体関係はなく、らいてうさんは実際に己を捨てきれるかを試したようにも思えました。森田さんが本当のことを書くのかとおもったら期待はずれで、どうも、らいてうさんのほうが腹が座っていたようです。

本名は明(はる)で、心中事件のあと信州で感じた、雷鳥になって太陽を三回まわった幻想から<らいてう>をペンネームとします。スキャンダルをものともせず『青鞜』を創刊します。お金に関しては、母親が出してくれたようで、この母の娘に対する援助は普通では考えられない関係とおもえます。その後も何かのおりには、援助の手を差し伸べていたように思えます。

マスコミから批判的に<新しい女>と言われると、そうよ私は<新しい女よ>と逆手にとり、<新しい女>とは何かを探しつつ進んで行き、六歳年下の定収入のない絵かきの奥村博史さんと共同生活をはじめ、奥村さんとは最後まで添い遂げるのですから、らいてうさんにとっての新しい女とは、実戦の続きがそうなっただけよということなのでしょうが、そこが面白いです。実行ありきなのです。

『青鞜』は伊藤野枝さんにまかせますが野枝さんが虐殺され、創刊1911年(明治44年)9月から1916年(大正5年)2月で廃刊となります。当時の古い体制に対抗する様々の女性達が『青鞜』を訪れ、その中で考え、女性の問題を外からの異論に対し答えて行きつつ時代を照らし出して闘っていきます。

イデオロギーのなかったことが『青鞜』の弱さでもありますが、自分の頭で考えて行動していくということが、かえって束縛されない柔軟性でもあり、それが、らいてうさんの生き方ともいえますし、継続の無さと批判されるところでもあります。

子どもは産まないとしたらいてうさんは、妊娠すると産むほうを選択し、夫婦別性でしたが、子供が戦争への出征のさい、私生児だと不利益をこうむるとして婚姻届けを出しています。

子どもを産むことによって「母性保護」を考え、市川房江さんと名古屋の紡績工場を見てまわり、綿ぼこりの中で働く十代の女子の労働条件の酷さから「婦人と子供の権利」を考え、しばらく子育てに専念してから、相互扶助の消費組合運動、医療組合運動を支持し、敗戦後の新憲法に明記された婦人参政権に、よその国から与えられたとしてもそれまでの地道な女性たちの運動が実ったことを素晴らしいことであるとし、平和憲法があぶないと思い、1970年にはデモの先頭にたちます。亡くなる1年まえで、85歳で命の火を消します。太陽をまわり周られてて飛び立たれたのでしょう。

婦人参政権が認められて70年しかたっていないのです。今考えると、古い女の時代が70年前なのです。すぐそこであったのです。石を投げられ、罵倒されつつ、それをここまで運んでくれた女性達がいたわけです。主義主張の違いを論じつつここまで運んでくれたことの真摯さにあらためて驚かされます。

<新しい女>として奇異な扱いを受けながららいてうさんは、運動体からしりぞくこともありましたが、自分を捨てれると感じた時、再び表にでて主張することを始めるといった人のように思えました。

らいてうさんの一生を知らない者にとっては、基本線の自伝ドキュメンタリーでした。ここからもっとらいてうさんを知ろうと突き進めれば、その矛盾点も見えてきて次に続く人々への指針となります。

森まゆみさんの『断髪のモダンガール』を読み返しました。「42人の大正快女伝」で、人数が多くてそれぞれの生き方に圧倒されますが、<第三章「青鞜」と妻の座>に平塚らいてうさんについても書かれていて、森さんは岩波ホールで公開されたこの映画を見ていて、この映画に触れつつ書いておきたいとしています。森さんは、調べられているので、この映画にたいしては違和感をおぼえられ、らいてうさん自身にたいしても手厳しい。

世の中を知らなかったお嬢様が、それを見て、この理不尽さを何んとかしなくてはと思って行動している甘さとしても、そういう人が掻きまわさなければ水面下に隠されているものは隠されたままなのかもしれないので、それはそれで意味があるようにおもいます。そういう意味で、映画も基本線として受け入れられました。

それとは別に森さの『断髪のモダンガール』からは、『青鞜』に関係していた人はもちろんのこと、こういう繋がりであったのかと図式的にわかったこともあり、先に読んだときには素通りしたことをかなり埋めさせてもらいました。

羽田監督は新作にたいし「戦争の時代に育った人間ですからとにかく戦争反対の映画を作りたいと思って、同じ世代のインタビューを中心にやっています。」(NFCニューズレター第128号)と語られています。貴重な記録が一つまた残されそれを見て、考える人がでてくるという連鎖の波紋は静かに広がりつづけるでしょう。

監督・羽田澄子/制作・青木生子/撮影・宗田喜久松/美術・星埜恵子/デザイン・朝倉摂/録音・滝澤修/ナレーション・喜多道枝、高橋美紀子

星埜恵子さんの美術にも出会えました。円窓の下に文机のらいてうさんの部屋などがそうなのでしょう。らいてうさんの最初の評論集『円窓より』は発売禁止となり『扃(とざし)ある窓にて』とかえ再刊されています。

茅ヶ崎散策に行った時、らいてうさんの記念碑があり、どうして茅ヶ崎なのか不思議でしたが、今回納得できました。これで発見の多かった茅ヶ崎散策を書きすすめられます。

 

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追記: 2017年7月8日11時30分/7月16日3時 東京国立近代フィルムセンター小ホール(京橋)にて上映します。(アンコール特集)

 

茅ヶ崎散策(1) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

 

映画『山中常盤』

羽田澄子監督の『山中常盤』(2004年)を見る事ができた。取り逃がすところでした。

8月9日~8月28日 『ドキュメンタリー作家 羽田澄子』 東京国立近代美術館フイルムセンター 小ホール

羽田監督の特集だったのですが、7月に大ホールで加藤泰監督の映画を見に行った時は、チラシがまだ出来ていませんでしたし、他の映画館でも置いていませんでしたので、知ったのが23日。25日の『元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯』と最終日28日の『山中常盤』は見る事ができホッと安堵です。いつまた出会えるかわかりませんので。

創造の情念の色     映画 『山中常盤(やまなかときわ)』

近世に活躍した絵師・岩佐又兵衛の絵巻『山中常盤』全12巻、全長150メートルを映しだし、その絵巻に書かれている詞に新たに浄瑠璃の曲をつけ、浄瑠璃を耳で受けつつ絵巻をながめられるという何とも贅沢な時間なのです。

牛若丸と別れた常盤御前は、平泉の牛若丸から手紙を受け取り、会いたさの一心から侍女を一人だけつれ平泉に向かいます。途中、美濃の山中宿で病となり宿で伏せっているところへ、盗賊が押しこみ美しい小袖など身ぐるみはがしてしまいます。常盤は、下着もないこんな辱かしめをうけるなら命も奪えと叫び、盗賊は常盤の胸を切りつけ殺してしまいます。侍女も殺され宿の主人夫婦はあわれにおもい塚をたてます。

牛若丸は母が夢枕にあらわれ心配になり都に出で立ち、この塚を眼にし、母と同じ宿に泊まり母の最後を知ります。牛若丸は宿の夫婦の力を借り盗賊をおびきだし母の仇をとり平泉に帰ります。数年後、牛若丸は平家討伐の大ぜいの軍勢をひきいた立派な若武者となり山中宿に立ち寄り、母のお墓にお参りし、宿の夫婦に領地を与えます。

最終日ということもあってか、羽田監督が見にこられていて映画の始まる前に少しお話して下さいました。この絵巻を撮ろうとおもったのは『風俗画 近世初期』(1967年)を撮ったとき「風俗画」の面白さを知ったためで、次は絵巻物を撮ろうと計画された。ところがそれから30年近くかかってやっと実現したのである。絵巻の『山中常盤』はMOA美術館が所有していてなかなか許可が下りず、安岡章太郎さんと辻惟雄さんの口添えもあり実現にいたったそうでお二人の名前はエンドクレジットにもながれます。MOA美術館では、常盤御前の胸を刺され血のほとばしる部分の絵は展示のさい残酷なのでみせないそうです。

絵巻物ですから、静かに自分が絵巻を開いていく感覚、きらびやかな衣装、ゆっくり見たい部分を見つめさせ、浄瑠璃が絵の心情を浮き彫りにしていく。すべて羽田監督の演出なのであるが、そのリズム感は自然に共有させてくれ、そのタイミングを持続してくれます。

ときに挿入された自然の映像、絵の常盤御前をおもわせる常盤御前に扮した片岡京子さんの古風なお顔、ナレーションの喜多道枝さんの声、高橋アキさんのピアノ。そして、17世紀の絵巻に負けない現代の古浄瑠璃。

作曲・鶴澤清治/三味線・鶴澤清治、鶴澤清次郎/浄瑠璃・豊竹呂勢大夫/胡弓・鶴澤清志郎/笛・福原寛/大鼓・打物・仙波清彦、望月圭、山田貴之

牛若丸が盗賊を切り刻み、その死体をむしろに包み縄でしばり川まで運び投げ捨てさせる場面は、母のうけた辱しめと殺された怒りの大きさを表しているようにもおもえる壮絶さがあり、絵師・岩佐又兵衛の自分の一族が受けた凄惨さの照り返しともおもえてきます。

始めは常盤御前の旅をつうじての庶民の明るい生活もうかがえるなか、次第にクライマックスにもっていく血の色は、又兵衛の想像のなかにあるぬぐい切れない色だったのでしょうか。今回この映画を見て、近松門左衛門が、『傾城反魂香』の絵師・又平を吃音にしたのは、簡単には言葉で言い表せられない岩佐又兵衛の胸の内を想ってのことだったようにおもえてきました。

この映画を見ることができ、次の作品にかかられているお元気な羽田澄子監督のエネルギーに嬉しい拍手をお送りできてよかった、よかった。このほか羽田監督の見たい作品はまだまだ沢山あるのでアンテナの感度調整をおこたりなくしておかなければなりません。

撮影・若林洋光、宗田喜久松/録音・滝澤修/照明・中元文孝/ヘアメイク・高橋功亘/デザイン・朝倉摂/製作・工藤充