水木洋子展講演会(恩地日出夫・星埜恵子) (1)

市川市文学ミュージアムで『水木洋子展』を開催しているが(~3月2日)、その関連イベントで講演会があった。「「砧」撮影所とぼくの青春」(恩地日出夫・映画監督)、「温故創新ーつながる『浮雲』のセット」(星埜恵子・美術監督)。失礼ながら、恩地日出夫監督の名前は知っているが、配られた略歴を見ても恩地監督の映画もドラマも見ていないのである。ただ、『四万十川』に関してはビデオに録画し途中まで見てその後、他のビデオとともに処分してしまっている。四国に旅し(四万十川 四国旅(3))残念と思ったが、ここで再び残念と言うしかない。

今回、東宝の映画関係者だけのために作制した映像も見せてもらうことができ、監督の言葉ではないが、お得であった。関係者のみの映像という事で、使われた映像も音源も無料で使わせてもらったそうである。立川志の輔さんが、忠臣蔵の説明の時(立川志の輔 『中村仲蔵』)浮世絵を使われたが、勝手に使っているんではありません。きちんとお金を払っています。と言われていたのを思い出す。右下に<国立国会図書館所蔵>とあった。

「「砧」撮影所と僕の青春」は恩地監督の出された本の題名でもあり、本を読んだ方は本と同じ内容ですと話される。「砧」は地名で、大船、蒲田、向島、多摩、太秦(14日テレビで映画『太秦ライムライト』が放映された。現在の東映太秦映画村を使い、時代劇の切られ役を主人公にした視点が面白い)などその他にも地名が入る撮影所が多い。

監督は東宝に助監督として入社してからの見習いから助監督までの可笑しくも楽しい話をされた。成瀬己喜男監督、谷口千吉監督等とのエピソード、堀川弘通監督が師匠だが、岡本喜八監督が助監督チーフできびしかったが、岡本さんに育てられたところが大きい。カチンコは恰好よくやれ。ラブシーンも切り合いも、カチンコによって乗りが違うのだ。谷口監督からは黒澤監督との『馬』で黒澤監督が宿に帰ればいつもシナリオを書いていたといつも同じ話をきかされ、岡本さんもシナリオを書けといい、書いて映画関係の本に載ると、いつも批評を書いて渡してくれた。その岡本監督の批評のメモを持参されていて、読んでくれた。そのお陰で監督になるのも速かったと話しつつ、恩地監督の皮肉なユーモアが入るので監督たちのことが生き生きと浮かびあがる。岡本監督の『肉弾』の原稿を印刷所に持って行き発表したのは恩地監督である。

水木洋子さんの関連では、『裸の大将』の監督が堀川弘通監督であり、恩地さんもついていて、山下清さん担当だったので、山下清さん独特の感性についてのエピソードを三点紹介された。どうしてライトが点くのかと聞かれたので、ライトにつながる太いケーブルの中を電気が通っているのだと言うと、ケーブルの上に乗り、自分が電気を止めたつもりになり、どうして電気が点くのかとまた聞いた。撮影のため臨時に特別に走らせた汽車を見て、あの汽車は人が乗っていないと誰も疑問に思わない事を指摘した。山下清役の小林桂樹さんを指さし、あれは小林さんだろ、これはオレだろ、アレはオレだろ、どうなっているのだ。難しくて説明できないというと、そうか難しいかと言われたそうである。短いエピソードになっているが、山下清さんは何回も恩地監督に聞いたのではなかろうか。水木洋子さんによると、山下清さんは、<彼はあきもせず考え続ける。>と書かれている。恩地監督は山下清さんの感性を浮かび上がらせるため不必要の部分は削るシナリオの手法を使われたように思う。

恩地監督が見習いのころ、撮影所で邦画と洋画を好きなだけ見れる場所がありそこで見た映画で一番感動したのが、山中貞雄監督の『人情紙風船』だそうである。最近、「鞍馬天狗のおじさんは – 聞き書きアラカン一代」(竹中労著)を読み、山中貞夫監督を見つけたのは嵐寛寿郎さんと知り驚いたところだったのであるが、私は山中監督の『丹下左膳餘話 百萬両の壺』の娯楽性が好きである。プロは『人情紙風船』のほうが学ぶことが多いのであろう。

一時間では短すぎる話の内容であった。詳しくは、「「砧」撮影所とぼくの青春」の本でということになろうか。

映画 『少年H』

寒い時期に、今年の夏に観た映画『少年H』の映像が浮かぶ。戦争の中で家族肩を寄せ合い生きていく話である。戦争の時代は皆そうであったわけだが、少年Hの父母はキリスト教(プロテスタント)の敬虔な信者で、戦争という異常な中では敵国の宗教として白い目で見られる。さらにお父さんは洋服の仕立て職人で、住まいは神戸のため外国人の洋服の仕立てを請け負っているため、戦争が始まると外国人と接触していたというだけで疑いの目を向けられる。

少年のHは、お母さんがセーターに少年の名前、肇の頭文字Hを編み込んでくれたことからのニックネームである。アルファベットは消えていく時代が来る。少年は友達からHは敵国の文字だと言われる。少年は、同盟国ドイツのヒトラーの頭文字と同じだと反論する。疑問に思う事の多い少年は、それを遮られるのが嫌である。そんな少年を父親は冷静に優しく、世の中が変わりつつあり少年が思うままに意見を発することの危険性を諭していく。お母さんは自分の信じる宗教の道を日常生活でも貫く人で、当時の日本人としては、少し違う価値観を持っていた家族である。妹の好子ちゃんがまた愛らしい。泣き虫であるのにその家族の中で皆のことを見つめ自分なりに一生懸命である。

本当にこのお父さんは聡明な人で、自分が引き受ける仕事先の外国人の家に息子を連れていき、洋服の採寸したりする様子をみせ、家ではひたすらミシンに向かう。そんな職人さんなのに、教会の牧師さんたちや、外国人のお客さんが本国に帰ったあと、憲兵に連れて行かれスパイ容疑で拷問にあう。少年はその原因は、アメリカに帰った人からのエンパイアステートビルの写った絵葉書を一番仲の良かった友人に見せ、アメリカは凄いと話したことで、その友人のせいだと思う。その友人に挑もうとして家を出ようとするとき、父親が言う。その写真を見せたのは誰か。少年ではないか。少年が見せなければ、その友人も人に話さなかったであろう。今一番心を痛めているのはその友人だと話す。ここは本当に驚いてしまった。あの状況でそのように冷静に話せる大人は多くはなかったであろう。

神戸の空襲被害の凄さ、終戦。その中で生きる希望を失う父親。あれだけ少年の道標だったのに不甲斐無い父親となり、苛立ちをぶつける少年。少年は学校での軍事訓練、終戦による大人たちの変貌に自分の見る目を持ち始めていた。やっと焼けたミシンを運び修理をして、ミシンを踏み始める父親。少年は看板屋に職を得て自立することにする。火の鳥が今飛び立つのである。

実際のご夫婦である水谷豊さんと伊藤蘭さんが、映画でも夫婦役となり話題となった映画である。原作はベストセラーとなった、妹尾河童さんの「少年H」である。静かにいつの間にか自分の意見を自由に云えない状況となり、それがモンスターとなって戦争に進み、一般市民の多くが空襲のため犠牲になるさまを、一つの小さな光に導かれたように生きていった家族を通して声高ではなく描かれている。

監督・降旗康夫/原作・妹尾河童/脚本・古沢良太/音楽・池頼宏/出演・水谷豊、伊藤蘭、吉岡竜輝、花田優里音、小栗旬、早乙女太一、原田泰造、佐々木蔵之介、國村隼、岸部一徳

 

映画 『京都太秦物語』

〔NHK教育テレビ「知るを楽しむ・歴史に好奇心」<映画王国・京都~カツドウ屋の100年>〕(2007年12月)のテキスは中島貞夫監督が書かれている。その中で<大阪芸術大学で教えている教え子に、中国人の向陽という青年がいて、満映をテーマに取り上げた実録風な映画製作に取り組んでいて、私も協力している。>とあり、この映画は『キネマの大地(記録黎明)』のタイトルで2008年に公開されたようである。

更に中島監督は映画の衰退により、撮影所を全く知らない新人監督も増えていることを危惧されている。そして、2007年に立命館大学に映像学部が開設され<学生には松竹京都撮所で実習もやってもらおうと準備を進めている>として<マキノ省三が最初の劇映画を作ってから百年。><先人が残した宝物、偉大な遺産を、どう活用していくか>問題提起をされている。

この立命館大学映像学部の学生と山田洋次監督が共に作ったのが『京都太秦物語』である。嵐電の走る太秦。広隆寺から帷子の辻に至る商店街を大映通りという。ここを歩いた時、この商店街を映画にすると良いのにと思ったのであるが、すでに2010年に映画になっていたのである。そういえば太秦と名前の入った映画があったと思い出し、レンタルショップで手にすると、<大映通り><立命館><山田洋次監督>が目に張り付く。かなり遅れているが、どうやら繋がってくれたのである。

嵐電の車窓も広隆寺も大映通りの商店街もたっぷり映される。さらに実在の商店街の方々も出演である。遅れてはしまったが、余りにもはまり過ぎの映画で嬉しくなってしまう。『京都太秦恋物語』だったのが、恋を取り『京都太秦物語』としたそうで、ラブストーリーであるが<恋>はないほうが<太秦>が活きる。

大映通りのクリーニング店の娘さんが、恋仲のお笑い芸人を目指す豆腐屋の息子さんと結ばれるのかどうかというお話である。娘さんは立命館大学の図書館で臨時で働いている。そこへ、白川静さん系統の文字学を研究している短期研修の青年が現れ、娘さんに猛烈にアタックする。恋と縁のない研究一筋の青年のためその一途さは可笑しいやら、応援したくなるような真面目さである。この青年が『さらば8月の大地』で中国人の脚本家を演じた田中壮太郎さんで、どちらも熱い役どころである。声も魅力的である。<太秦>の語源や命名の謎も解いてくれる。この専門家に対して豆腐屋の息子のUSA(EXILE)さんはダンスを披露してくれる。バイト先のデパートでの夜警巡回中にマネキンに誘われての踊り出しも素敵である。特典の映像によると立命館大学の大学祭の場面など多くのエキストラの移動など学生さんのスタッフは一苦労のようであった。

映画の企画も映像も意味あるものとなり、こちらも遅まきながら、映画のロケ地の発想は当たりであり記念すべき映画の一つである。

監督・山田洋次、阿部勉/企画、原案・山田洋次/脚本・山田洋次、佐々江智明/出演・海老瀬はな、田中壮太郎、USA、西田麻衣、北山雅康、ボレボルズ弓川、アメリカザリガ二、田中泯/ナレーション・檀れい/立命館大学映像学部スタッフ

 

映画 『天地明察』 (改暦1)

日本独自の暦を作った人、安井算哲(のちに渋川春海)の話である。こういう世界があるのかと、この映画を作られたことを歓迎します。天体と算術により、今までの暦に誤差がありすぎるということを証明し、新たな日本独自の暦を作るのである。この算哲は秀才であって天才ではなく、秀才が努力をするというタイプの人である。算術では初めから間違いをおかしたり、それでいながらぶつかっていくという行動にも好感がもてる人物である。その算哲の魅かれる人物達を周囲に設定し、算哲の人間性をうまく引き出して、見る方にも肩の凝らない展開にして、難解にならないように工夫されている。きちんと説明は出来ないが、このようにして暦がつくられたのかと興味は広がる。

算哲は徳川四代将軍家綱の時代、幕府の碁方を務めている。碁方とは将軍の前で碁の勝負を披露したり、幕府の要人に碁を教える人である。将軍家綱の後見役の会津藩主・保科正之(ほしなまさゆき)や水戸光圀にその才能を認められ、改暦(暦を改める)を託される。黄門さんでない光圀さんが見れるのも面白い。

ところが暦は朝廷が司るもので聖域であった。それまで、「宣明暦」を使っていたが次第に誤差が生じてきた。そこで算哲は「授時暦」が正しいとして、「宣明暦」「授時暦」「大統暦」の三つの暦の比較を三年間6回の日食、月食で証明しようとしますが、5回当たっていた「授時暦」が最後の6回目ではずれ「宣明暦」が当たってしまい、改暦は叶わない。そこで中国から伝わった暦ではどうしても日本では誤差が出てしまうため、さらなる観測を続け新たな日本の暦を作り上げるのである。そしてついに、貴族たちの妨害を押し破り、算哲のつくった「大和暦」は「貞享暦(じょうきょうれき)」の名をもらい採用されるのである。(この部分のまとめはNHK「知るを楽しむ・歴史に好奇心」のテキストを参考にさせてもらいました。これは2ヶ月分のテキストで、先に<映画王国・京都~カツドウ屋の100年>があり、こちらが目的でした。次の月は<古今東西カレンダー物語>で難しそうで読む気もしません。ところが、『天地明察』の映画を見てこの<古今東西カレンダー物語>を参考にさせてもらえるのですから映画の力は凄い。)

ライバルとの切磋琢磨、先輩たちの教え、師の教え、為政者からと期待、仕事仲間、夫婦愛等を取り込んで暦の世界に賭けた男たちの世界を堪能させてくれます。

名前・算哲の響きがいいです。算哲と呼ばれる度に見せる岡田准一さんの笑顔、驚き、悔しさ、苦渋もいいです。周りの役者さんも上手くはまっていて気持ちのよい流れです。一つ算哲に見せたいものがあります。北海道の阿寒湖畔のホテルの屋上露天風呂から見えた、冬の北斗七星です。本当に近いです。あの時の感動を算哲に分けてあげたい。「ウッオオー!」と目を輝かせると思います。

監督・滝田洋二郎/原作・冲方丁/脚本・加藤正人、滝田洋二郎/出演・岡田准一、宮崎あおい、佐藤隆太、中井貴一、笹野高史、岸部一徳、市川猿之助、市川染五郎、松本幸四郎

 

『張り込み』『ゼロの焦点』の映画

映画『張り込み』の原作は短編であった。推理小説としても異色である。映画を見ると原作は心理小説かと思ってしまうほど、張り込みをする刑事の描き方が丁寧であり、見張られている殺人犯の元恋人役の高峰秀子さんが、淡々と日常をの生活を営み、それが、見張りの刑事を翻弄しているようにも思えてくる。映画のほうが原作を超える面白さである。

原作では張り込みの刑事は一人であるが、映画は二人で、ベテランと若手という設定も定番ながら膨らみを持たせた。若い方の刑事が自分の恋人との関係をこの張り込みで考えるという伏線にもしている。そのことが、張り込む相手の女性の心理にひかれていく過程が面白い。この女性は幸せなのであろうか。そして、殺人犯を捕まえた後、元恋人が飛ぼうとして失墜する危機から救ってやり、もとの日常へと戻してやり、自分の恋人には、窮状から自分のもとに飛び立たせるのである。なかなか現れぬ殺人犯を焦りながら待ちつつの心理劇も加わり、さらに、1960年代の長距離急行列車三等席の旅の様子も描かれていて秀作である。

東京発であるが、新聞社記者の目を逸らせるため横浜から列車に乗り込む。三等席は混んでいて座れない。仕方がないので通路に新聞などを敷いて座る。若い頃の旅でありました。ユースホステルに泊って乗り込んだ列車はデッキまで人が立っている。こちらは遊びだから良いけれど。でもこの原作の出だしが、映像としてさらに効果的なのである。まずはここで引きつけられてしまう。張り込みをする宿屋の人々が、ラジオから流れる実況の歌謡番組で美空ひばりさんの「港町十三番地」を聞くのも庶民と歌謡曲の密接さがわかり1960年代の風を伝える。

『ゼロの焦点』。1961年版。何が印象的かというと、能登に行きたくなったのである。観光地能登は積極的に行きたいと思ったことがない。この映画を見た途端行きたいと思った。白黒の力でもあろう。久我美子さんのきりっとした佇まいもよい。ヤセの断崖での久我さんと高千穂ひづるさんの対決も見ものである。久我さんの夫・南原宏治さんの元妻の有馬稲子さんも久我さんと違う色気である。結婚して一週間、夫は元勤務先の金沢へ引き継ぎを兼ねて出張にでて、約束の日が来ても帰らず連絡も取れない。妻・久我さんの捜索が始まる。その金沢行きの走る列車の風景がいい。雪の能登金剛。特典のシネマ紀行。赤坂漁港、鷹の巣岩、義経四十八隻舟隠し、機具岩、関野鼻、ヤセの断崖・・・・。

能登金剛の巌門には<ゼロの焦点の歌碑>がある。それは、この映画が出来る一年前小説に影響されて若き女性が自殺したのだそうである。そのことを悼み松本清張さんの自筆碑である。「雲たれてひとりたける荒海をかなしと思えり能登の初旅」。

2009年版映画『ゼロの焦点』も見たのであるが、こちらは風景よりも、戦争に翻弄された人間の悲しみとそこから這い上がろうとする生きざまを描いていて、社会派推理小説の原点からいえば正統なのかもしれないが、1961年版が好きである。2009年版は、セットも小道具もその当時を再現すべく努力を惜しまない。見ていてそれは凄くわかるのであるが、なぜか退屈なのである。

1961年版は高千穂さんが恐らく死を選ぶべく車で立ち去るが、その時後ろから追いかける夫の加藤嘉さんが追いつける速さとわかる。シネマ紀行によると地元の人が後ろから押していたのだそうである。そんな完璧でないところも当時の時代の味となって映像から風がくるのである。風に乗って匂いも貧しさも運ばれてくる。

『点と線』の青函連絡船の乗船名簿を探すところとか、常磐線回りの青森行きとか、清張さんの映画作品は古い方がワクワクさせてくれる。

 

<能>を題材とした映画 『獅子の座』『歌行燈』 (2)

<能>を題材とした映画 『獅子の座』『歌行燈』 (1)で、>戦前は映画の一部に能楽をとりいれることがタブーとされと、増田正造さんの文を参考にして書かせてもらったが、『歌行燈』のほうが昭和18年で『獅子の座』より10年先にできた映画である。『獅子の座』のほうは原作が能に関係している方であり、『歌行燈』は泉鏡花原作で、架空の文学作品ということもあるのであろうか。但し能楽考証として伝統芸能研究者の松本亀松さんの名前が出てくるだけであり、能楽指導の方の名前はない。仕舞の場面もあるだけに、このあたりはミステリアスである。

成瀬監督は「内務省もうるさかった頃ですからね、よくやったと思う」と言われている。芸に精進する一生懸命さが、戦中ものとして許可されたのであろうか。成瀬監督は、この後、昭和19年に『芝居道』(長谷川一夫、山田五十鈴)の芸道物を撮っている。

映画『歌行燈』は、東宝映画と新生新派提携作品である。

監督・成瀬己喜男/原作・泉鏡花/脚本・久保田万太郎/時代考証・木村荘八/能楽考証・松本亀松 / 出演 花柳章太郎・柳永二郎・大矢市次郎・伊志井寛・山田五十鈴

若手の才能ある能役者の恩地喜多八(花柳)は、名古屋公演あと、父(大矢)や叔父(伊志井)と伊勢を回りゆっくりしようと列車に乗るが、そこで、古市にあなたたちより凄い謡の師匠宗山がいるといわれる。古市に着くと喜多八は宗山を訪ねる。宗山は元は按摩で今では3人の妾もおり、周囲からはよく思われてはいなかった。喜多八は宗山の謡の浅さをしらしめ立ち去る。そのとき、宗山の娘のお袖(山田)を妾と思い「死んでも人のおもちゃに成るな」と叱責する。宗山は自分の芸を辱められ自殺してしまう。そのことにより、喜多八は父から勘当され、謡をうたうことを禁止され門づけの旅烏となる。

お袖のほうも父を亡くし、伊勢山田で芸者に出るが三味線が出来ず、芸がなければ嫌な仕事につかなければならない。喜多八の門付けの博多節の上手さから客のつかなくなった次郎蔵(柳)が、喜多八の声の良さが気に入りご祝儀の貰い方を伝授してくれ、ひょんなことからお袖のことも話してくれる。

喜多八はお袖に会う。お袖は、ある人から「死んでも人のおもちゃになるな」と言われたので、自分はそれを守りたいが三味線も出来ず何の芸もないと涙する。喜多八は宗山への仕打ちの悔恨もあり、お袖に7日間だけ仕舞を教える。この場面が重厚で美しい。鼓ヶ岳の林の木漏れ日の中での仕舞の伝授。いそいそと稽古に向かうお袖。それを迎える喜多八。新派ならではである。7日目に喜多八は去る。

お袖は、山田にも居られなくなり桑名で芸者となる。お座敷二日目に客の前で一つだけある芸の仕舞を披露する。喜多八から伝授された謡曲「海人」の一節「珠取り」の舞である。その二人の客は喜多八の父と叔父であり、お袖が喜多八から伝授されたことを聞き、父は謡をやり、叔父は鼓を打つ。それを、酒場で耳にして、喜多八が駆けつける。勘当されてから2年、全ては氷解し喜多八も謡に参加し、お袖が舞うのであった。

仕舞の舞台、練習場面、お座敷での仕舞、謡などが豊富であり、山田五十鈴さんがしっかりと男性陣について行きつつ、最後は圧倒する。「死んでも人のおもちゃになるな」の言葉を秘めての生き方もお涙ちょうだいにはならず、真摯さがいじらしい。それでいて貫禄を備えている。大きな女優さんの例えが似合う役者さんである。

泉鏡花の母は江戸育ちで、生家は葛野流の鼓の家であり、兄は能楽師である。

古市は歌舞伎『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』の舞台でもある。古市の廓・油屋で孫福斎宮(まごふくいつき)が起こした刃傷事件を、歌舞伎にしたものである。歌舞伎では、主人公・福岡貢とその恋人油屋の遊女・お紺の話となるが、二人を弔う比翼塚が、大林寺にある。伊勢に旅したとき寄ったが、歌舞伎で想像するような昔の面影は街には残っていなかった。

最後に増田さんの文から伊藤監督が『歌行燈』を意識したかもしれない一文を紹介して終わる。「雨の上がった夕焼け。「母の情けありがたや」と、「小袖曽我」を謡う父子交流のラストシーンは、「田中絹代を画面にだせ」という松竹側と、「それでは新派劇になる」という監督との間に、はなはだしい論争があったという。」

 

<能>を題材とした映画 『獅子の座』『歌行燈』 (1)

今、能を題材とした映画で思いつくのは、『獅子の座』と『歌行燈』である。

『獅子の座』(昭和28年)は、宝生流の15代と16代の子供時代を中心にその周囲の動きを題材にした映画で、国立劇場あぜくら会の集いで見ることができた。5、6年前なので解説者(増田正造)やゲスト(茂山忠三郎)のかたの話は記憶に残っていないのであるが、資料として貰った増田正造さんの一文は映画ファンにとって大変興味深いものである。

監督・伊藤大輔/原作・松本たかし(初神鳴)/脚色・伊藤大輔・田中澄江/音楽・団伊玖磨/美術・伊藤熹朔

出演  宝生彌五郎・長谷川一夫/妻久・田中絹代/息子宝生石之助・加藤雅彦(現津川雅彦)/義妹お染・岸恵子/幾太郎・堀雄二/幾右衛門・大矢市次郎/与兵衛・伊志井寛

伊藤監督は、幼い頃から能が大好きで、能を主題とした映画を作りたかったが、戦前は映画の一部に能楽をとりいれることがタブーとされ、やっと戦後実現したが、能に溺れすぎて熱くなりすぎ「失敗作」と語ったそうである。能の敷居はそれだけ高く、無闇に能の世界を外に持ち出すことはタブーだったのであろう。映画の中で、絵を描くためにと頼まれて能の形を見せ破門になる弟子も出てくる。伊藤監督は能を難しく考えている映画の観客のため「羽衣」「忠信」「石橋 連獅子」を選ばれ、能に関心を持って貰いたいと考えた。観客に迎合し過ぎたと思い失敗作と思ったのであろうが、興行成績は大成功であったようで、配役からしても、映像になったことのない能の世界であるから想像はつく。

宝生家の二人の息子を巡る内紛と16代目宝生九郎の雷嫌いは有名な話らしのであるが、雷嫌いは大きな問題へと発展するが、内紛は映画を見た限りではテーマとなってはいない。

15代宝生流宗家彌五郎は、一世一代の勧進能を催すことになる。この能には将軍徳川家慶が上覧し、江戸庶民も観覧できるのである。ところが、長男の石之助は雷嫌いで、親子で舞う「石橋 連獅子」の時雷雨となり、石之助は舞台に対するプレッシャーと雷の恐怖から楽屋を逃げ出してしまう。彌五郎は事の次第から切腹も覚悟するが、石之助は弟子に見つけ出され、無事舞い終えるのである。

ここまでの間に、芸の鍛錬の厳しさなどが描かれる。彌五郎の妻久は石之助に無事大役を果たして貰いたく厳しさをが増す。確か水を満杯にした<桶>を頭の上に乗せ水をこぼさない様に摺り足を練習させる場面もあったように思う。神経質な石之助は益々萎縮していき彌五郎も見かねて久に注意したりするが、舞台の成功を祈り水籠りなどもし、あくまで子を思う母の気持ちは変わらない。その気持ちを、彌五郎は舞台の終わった夜、屋根の上で石之助に語り親子の絆は一層深くなるのである。

長谷川一夫さんは、父・彌五郎の優しさと切腹を覚悟する芸道に殉じる気持ちを表し、それと対称的に田中絹代さんは盲信的に息子の成功のために鬼となる母性を押し出した。芸を引き継ぐ環境の中で、息抜きの場所を見つけたり、逃げたりする石之助の津川雅彦さんは子役の頑張りである。石之助を見つけ出す弟子幾太郎の堀雄二さんは、久の妹のお染の岸恵子さんの頼みで羽衣の能の形を見せ、それをお染が描き、許しもなく芸を披露したことのために破門となる。見ていてまずいことになると分かるが、岸恵子さんのような美し人に頼まれると嫌とは云えないのもわかる。白黒であるが、着物や能衣装の美しさが際立つ。

増田さんは、「この映画は、宝生流一門と、能楽界の総力をあげての協力の記録でもある。」と書かれている。増田さんの「映画『獅子の座』によせて」の一文は映画好きにはワクワクさせる内容で、映画『獅子の座』を思い出させる大きな手助けとなった。

 

講演 『荷風をめぐる女性たち』 川本三郎

市川市文学ミュージアムで、川本三郎さんの講演「荷風をめぐる女性たち」を聴く。今までこちらでのイベントは市川在住の人でなければ参加出来なかったが、今年から空きがあれば参加可能ということである。

川本さんは、その著書で永井荷風さんの「断腸亭日乗」を踏まえて、永井さんの東京散歩のブームをつくったかたである。今回は東京散歩が一般化したのでと、荷風さんの周囲にいた女性たちについて講演された。時間たちメモをながめても荷風さんが愛した女性が誰であったのかよく判らないのである。川本さんも話の最初に、荷風さんの時代の恋愛は今の感覚とは違っていることを強調されていた。

荷風さんは新橋の芸者をモデルに「腕くらべ」を書き、銀座のカフェ・タイガーに通い「つゆのあとさき」を書き、私娼の玉ノ井に通い「墨東綺譚」を書かれている。荷風さんの場合、そこに足しげく通ってもそれは取材のためであり、作家であることの野心は忘れないのである。

荷風さんの母親・恆(つね)さんは、一宮出身で漢文学者・鷲津毅堂の娘であり、父親の永井久一郎氏は、尾張藩士の息子で、鷲頭毅堂の弟子であるから師の娘をめとったことになる。のちに米国に留学もしている。荷風の渡米も父の勧めである。荷風さんは二十歳のころは落語家朝寝坊むらくの門人となり、三遊亭夢之助を名乗たっり、福地桜痴の門に入り、歌舞伎座作者見習いとなり、拍子木を入れたりしている。

40代の頃は森鴎外さんを尊敬している荷風さん、鴎外史伝の仕事に影響され祖父・鷲頭毅堂氏の資料など探究したりもしている。全くの想像であるが、川本さんの話しと年譜などから総合判断すると、荷風さんの女性観の一方に母親・恆さんがある。自分の仕事の対極に鴎外さんがあるのと構図が似ているように思う。

荷風さんは39歳の2月より、三世清元梅吉さんに師事している。永井荷風展の資料の中に、昭和30年9月11日の清元梅吉さんから荷風さん宛の手紙に、今月は中村吉右衛門の追善興行で法界坊に出ているとある。(この月の演目と出演者は興味があるので後で調べたい)

荷風さんは歌舞音曲は好きだったようで、浅草へ通ったことからしても、その上下関係は無かったようである。映画「つゆのあとさき」の映画に関しては、「銀座街上及びカフェの空気、映画に現れず全体に面白くなし」と批評している。

永井荷風展では荷風さんが見た映画なども調べられていた。

川本三郎さんには、荷風さんの映画についての話もききたかった。講演後、サイン会があり、川本さんの著書「映画は呼んでいる」にサインしていただいた。「この本はかなりマニアックですよ。大丈夫ですか。」といわれた。「大丈夫です。頑張って読みます。」と答えたが、頑張って読んでいない。サラサラと流した。映画を見てから詳細に読まないと変に植えつけられる部分がでてくるのである。水木洋子さん脚本で山下清さんモデルの「裸の大将」では、花の事がかかれていた。記憶に残っていない。こちらは山下清さん役の小林桂樹さんを見入っていた。口のとんがらせ方とか。先日、松本清張原作・野村芳太郎監督「張り込み」を見た。この列車やバス、車の移動には、事件の犯人の現れるのを待つ観客としては、刑事と一緒に張り込んで追いかけている。さらにこのDVDには「シネマ紀行」の映像もふくまれていた。ほとんどがロケーションで撮られ、現在と比べていた。さらに街に流れている流行歌が時代をあらわしている。もう撮り得ない映像である。

川本さんの本の「張り込み」を読んだらマニアックであった。刑事は犯人が佐賀に住む、かつての恋人のところへ来るであろうと考え、東京から九州の佐賀まで急行さつま号で24時間かけて張り込みのため移動するのである。その途中での乗り換え駅が出ていないと。これは原作が読みたくなる。頭に映像が残っているうちに文字でなぞって置きたいのである。ただ高峰秀子さんのいつもと変わらぬ後ろ姿なのに、日傘が微かに静かに回っていき心の中を表し、何か違うと思わせる。これは文字で表現されているであろうか。この辺の映像と文字の対決も見ものである。

 

映画『はじまりのみち』

映画監督木下恵介が作った映画『陸軍』のラストシーンが戦意高揚にそぐはないと、次回作の制作を中止させられてしまう。『陸軍』のラストシーンは息子を兵隊に送る母の複雑なやるせない気持ちを抱え、行軍する息子の後を追う長いシーンである。それが当時の政府からすれば女々しいということなのであろう。辞表を提出した木下は浜松の実家に帰り、脳梗塞で倒れ療養している母をもっと安全な場所へ疎開させる。バスで移動すると母の病気に障りがあると判断した木下は、母をリヤカーに乗せ移動することにきめる。言い出すと自分の意思を通す恵介の性格を知っている家族は、協力する。

ここから家族を動かす様子は、映画監督木下恵介の映画を作る行動もこうであろうと想像がつく。兄が一緒に同行し荷物を運ぶ便利屋を雇う。ゆっくりと病人を運ぶリヤカーに着いて行くのであるから、この便利屋にしてみれば予想外の行動で愚痴がでる。恵介は不愛想で兄が助監督のようにその間を取り持つ。母は名女優である。監督の言うままに静かに微笑みをもって恵介に従う。途中でこの便利屋が兄から今何が食べたいと聞かれ、カレーライスが食べたいとその盛り付けから食べる仕種まで名演技を披露する。

恵介はこの便利屋を快く思っていない。兄は恵介が映画監督であったことを話そうとしたとき、恵介はそれをさえぎったため、便利屋は恵介が映画館に勤めていたと思っている。便利屋は恵介に映画『陸軍』を見て、ラストシーンに感動し涙したことを話す。自分の母もあの映画の母と同じ涙を流すのだろうかと、自分の涙を拭う。この便利屋こそ恵介が観客に伝えたかったことを感じ取ってくれていたのである。

無事母を疎開先に連れて行くことができ、便利屋は恵介に仕事がなかったらいつでも来るように伝え、元気に帰ってゆく。一つの映画が完成し、母は恵介に自分の本来の仕事に帰るように筆談で伝え、恵介の自信を取り戻させる。

『花咲く港』『陸軍』『わが恋せし乙女』『お嬢さん乾杯』『破れ太鼓』『カルメン故郷に帰る』『日本の悲劇』『二十四の瞳』『野菊の如き君なりき』『喜びも悲しみも幾年月』『楢山節考』『笛吹川』『永遠の人』『香華 前篇/後編』『新・喜びも悲しみも幾年月』の映像が流れる。それらの映画の何処かしらに、この母の疎開の旅で経験したことが織り込まれている。

私には、母と子の美しい関係よりも、監督と観客(カレーライスの便利屋さん)との関係のほうが面白かった。もちろん家族に支えられての木下恵介監督の存在であるが、映画と観客の関係は、このカレーライスの便利屋さんと同じで、時には文句をいいソッポを向き、こちらが分かるものかと高を括ればしっかりと分かってくれていたりするものである。木下恵介役の加瀬亮さんは、自分の思う映画を作れない時代の鬱屈と頑なさを、丁寧に演じられていた。カレーライスの便利屋さんの濱田岳さんは、庶民の気ままさと、好いものは良いと感じる素直さを加瀬さんとは対象的にぶつけていて作品を面白くしていた。母の田中裕子さんは体と言葉が不自由なだけにその眼差しは聖母のようである。

ユースケ・サンタマリアさんのお兄さんがつぶやくように「こんな正直な人達は見たことがない」という両親と、その親に育てられた家族の話でもある。

『花咲く港』と『わが恋せし乙女』『新・喜びも悲しみも幾年月』は見ていない。

監督・脚本・ 原恵一

 

 

映画『金色夜叉』

映画監督清水(東京国立近代美術館フイルムセンターにて「映画監督清水宏の生誕110年」)の『金色夜叉』を見る。

監督・清水宏/脚本・源尊彦・中村能行/出演・夏川大二郎(貫一)・川崎弘子(宮)・近衛敏明(富山)・三宅邦子(満枝)

映画では宮と富山の出会うカルタ遊びの場から始まる。富山は人が札を取るとすぐそちらに目が行きそちらに手を伸ばし皆の失笑をかう、気のいいぼんぼんである。この場は宮の友人が富山と宮を引き合わせる見合いである。カルタ遊びで目合わせるというのは当時としてはおしゃれな設定だったのかもしれない。

富山に車で送られるお宮は貫一のことを尋ねられ「お兄さんのような人」と答え、富山を安心させる。家の近くで貫一の姿を見つけ、お宮は車から降りる。貫一に会うと、もう宮は幼いころからの貫一との楽しい関係にもどり、貫一も自分のマントにお宮を入れてやる。隠れていた貫一の友人達はそれを見て二人に雪を投げつける。貫一とお宮は周りから祝福される仲である。

富山と結婚を決めた宮に貫一は何故か問いただす。お宮は貫一さんは大学に行き後3、4年は待たなくてはならない。家の方もそんなに余裕のある状態ではないから、自分が今までのように勝手きままには出来ないと話す。貫一は宮に犠牲になってもらってまで学校を続ける気は無い、学校を止めると告げ、宮を足蹴にして宮の前から姿を消す。

宮は結婚し、行方不明の貫一のことは気になるが富山とも上手く行っている。貫一は高利貸しの手代となり頭角を現すが友人の家を差し押さえることになり、かつての友人たちからお前は高利貸しなんぞになってと侮辱される。それでも貫一は自分の意思を貫く。

赤樫満枝は、貫一の勤める高利貸し屋の同僚で主人の鰐淵のお気に入りであるが、それを利用しつつ、仕事もでき、貫一に思いを寄せている。富山とは知り合いで富山はぼんぼんゆえに銀行の経営が上手くいかず、満枝に謝金を申し込む。満枝はその話を貫一に廻し、貫一は富山の担当となりお金を貸すが富山は返済できなくなる。

富山は自分の財産で宮を幸せに出来ると考えていたので、それが出来ない今、何もない宮と貫一の関係も怪しみ、宮に出ていけと告げる。宮はそんなことは出来ないと主張。富山はでは自分が出ていくと去る。宮のもとに差し押さえのため貫一が訪れる。

(ここで不覚にも眠ってしまった。終わると同時に目を覚ます。しまった!ここまできて落ちが分からないなんて。誰に聴こうか。出口へ先に行く若い女性二人が「小説自体が未完だったからね。」と話しているのが聴こえる。「すいません。眠ってしまってラストが分からないのですがどうなったのか教えていただけますか。」「宮が身ごもっていて、そういう状態の女性を苦しめるわけにはいかないと云うことで多分許すという事なんだと思います。」どうやらこうだというはっきりした結論では無かったようである。「舞台の『新釈金色夜叉』を観たのですがそちらも捉えられないんです。」「そちらはどう展開するのですか。」「宮と満枝の対決があるんです。」「そちらの方が面白そうですね。」そこでお別れしたのであるが、「金色夜叉」が解釈によっては若い人にも興味ある話となる可能性があるということである。)

映画の宮は迷ってはいない。貫一の事を心配しているがそれは、恋人とか愛人とかの思いではなく身内としての心配である。もう飛んで着地していて、その位置で困難があればその困難に立ち向かう意思がある。ただメロドラマ的映画作りであるからふうーっと眠りに誘われるのである。

遅ればせながら、これから尾崎紅葉の小説に入るのである。