ピアニスト・室井摩耶子さんと映画

思いがけないところからピアニスト・室井摩耶子さんが飛び出してくれた。映画『ここに泉あり』でご本人で出演されていて、室井摩耶子さんは今どうされているのであろうかと検索したら、現役99歳のピアニストであらせられた。人生楽しいです。

室井摩耶子さんの著書を読んだらこれまた元気の出る本で、黒澤明監督の映画『わが青春に悔なし』(1946年)では、原節子さんのピアノ場面の指導と、ピアノを弾く手で出演されていると。

原節子さんの白魚のような手ではないのでと書かれてあるが、このピアノの手の場面は重要な場面である。『わが青春に悔なし』は、滝川事件(京大事件)を扱っていて大学を追われた滝川教授を八木原と名前を変えている。その娘・幸枝が原節子さんである。学生たちとの交流の中でピアノを弾き、終盤になって突然ピアノを弾く手が映し出され、そこから農婦となった原節子さんの手が映し出される。ただ映画では農婦となっても手は簡単に農婦の手にはならないので、それを隠すように水田の水にさらしてすかし、はっきりとは見えないようにしている。

ピアノの手から農婦の手にかわることによって、幸枝の生きかたが変わったことをあらわしているのです。室井摩耶子さんの手がきちんとピアノを弾くことによってその手が農婦の生き方を選んだことに悔いがないことを伝えてもいるわけである。観返して重要な場面なのだとあらためて感じた。

映画『ここに泉あり』(1955年)では、高崎市民フィルハーモニーと東京管弦楽団との合同演奏会でチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第一番」が演奏される。指揮者が山田耕筰さんでピアノが室井摩耶子さんである。市民フィルハーモニーの速水かの子(岸恵子)が弾くことになっていたが妊娠していてつわりと腕に自信がなく辞退し、室井さんの演奏をじっとみつめる。これまた重要な心理が交差する。

この時の室井さんの髪型が縦ロールに巻いている。映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのような髪型である。室井さんによると映画が日本で上映される前で自分で考えられたとのことである。「他人と同じではつまらない」というおもいが強いようである。

東京音楽学校(東京藝術大学)に入っても何かが違うとおもいつづけ、『ここに泉あり』の次の年には日本を飛び出すのである。ふたたび日本にもどるのは30年後である。

チラッと触れているのが映画『カルテット!人生のオペラハウス』である。かつて活躍した音楽家たちが暮らす老人ホームで、金銭的に継続が難しいというのでガラコンサートを開催し資金を集めるのである。それぞれ自分の音楽にかけてこられてきた方々なので個性的で色々あるがガラコンサートは盛況であった。そのなかでもヴェルディの歌劇『リゴレット』の四重唱のかつての仲間が再び披露するまでの4人の人間関係が中心になっている。

この映画について室井さんは言われている「こういう人を自由に暮らさせるホームは素晴らしいと思ったけれど、もし日本にあったら、どうかしら。私はやはり音楽家同士で暮らすのは大変な気がするわ。」

この老人ホームのモデルとなったのがミラノにあるそうでドキュメンタリー番組もあり室井さんは観たとのこと。その中で、一日中『エリーゼのために』を弾いているピアニストがいて「私は彼女の奏でる音を聴いて、ベートーヴェンの半音の使い方の美しさを知った気がして、とても印象的だった。」と。

室井摩耶子さんは、一音を求めてピアノを弾かれ続けておられる。室井さんの本を読んでいるとピアノが聴きたくなる。室井さんのCD『「演奏の秘密」~聴けば納得~』を聴く。楽譜は読めないが、解説の語りには一音一音に恋している室井さんの爽やかで強い想いが伝わってくる。こちらもただ流れを追っていたピアノの聴き方に違いが生じたようにも思える。勝手にそうおもっているだけであるが。ピアノとの新しい出会いである。

「音楽とは音で書かれた詩であり、小説であり、戯曲です。物語のない演奏には感動がありません。」

ドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー』

マンハッタンの小さなアパートに住む普通の夫婦が絵画をコレクターし、全てを美術館に寄贈された。ドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー ~アートの森の小さな巨人~ 』(2010年)がヒットして2作目『ハーブ&ドロシー 2 ~ふたりからの贈り物~ 』(2012年)ができあがる。プロデュース・監督が日本人の佐々木芽生さんである。

ドロシーは図書館司書でハーブは郵便局の仕分け係の仕事をする普通の夫婦である。ドロシーは新婚旅行でワシントンD.C.へ行きナショナル・ギャラリーで絵のことをハーブから教えてもらうのである。ハーブは絵を描いていたことがあり、郵便局で夜中から朝8時まで働き数時間眠って、ニューヨーク大学の芸術学部に通い西洋からアジアまで美術を学んだ。ただハーブは自分の趣味を人に押し付けるのを好まなかった。職場の人は夫婦のことが新聞やテレビで紹介されはじめて知るのである。

ドロシーも絵を学ぶようになり新婚のころは二人はコレクターではなく描く方ほうであった。それが、現代アートの若手アーティストの作品を購入するようになり、アパートのの壁にはたくさんの作品が飾られさらに所狭しといたるところに積み上げられるようになる。

アーティストの所に通いコツコツと交渉し、コツコツとコレクターしていったのである。売るためではないのを知っていて安く購入できるものもあった。自分たちの働いた収入で購入するのである。値段が手ごろで、アパートに収まる大きさであること。

ドロシーの兄夫婦がゆったりとしたソファーに座り、義妹が、あの人たちも絵の一枚も売れば私たちのようにゆったり暮らせるのにとコメントしている。そうなのである。こちらは食卓の腰掛け椅子のゆとりしかないのである。しかし、それはそれぞれの生き方の価値観であり多様性のよさである。

ナショナル・ギャラリーに寄贈することになる。売らないという条件付きである。ナショナル・ギャラリーは観覧無料である。ところが、全てを展示することができない。あまりにも数が多いのである。次のプロジェクトが。全米の50の美術館に50作品づつを寄贈することになる。ハーブは反対だったようである。一人のアーティストの作品が分散されるのをきらったのである。そのことは次の『ハーブ&ドロシー 2 ~ふたりからの贈り物~ 』でドロシーがちらっと話す。

アーティストの中にも分散されることに反対し夫婦から離れ、その後和解する様子も描かれている。ナショナル・ギャラリーの倉庫に眠らせておくのはしのびないという想いからのプロジェクトであった。各美術館がアーティストや夫婦に展示の方法を聴いてそれぞれの展示の仕方を考えていくのもすばらしい。ハーブのこだわりに合わせて展示する様子も楽しい。

ハーブが亡くなりドロシーはさらに全てを寄贈する。そして興味深かったのはパンフレットとか細々した資料を公文書館に送るのである。夫婦が特別な人だからなのであろうか、ドロシーは気軽に送ることを言っている。普通は美術館とかなのではないかと思うが。受けるほうも資料が多く配達する人が大変でしょうと笑っている。

作品を寄贈する時、引っ越しの大型車(日本より大型)一台であろうと予想したら5台であった。作品なので梱包も考慮したのであろうが驚きである。普通の人ってやるときはやるのである。格好いい。頑固にコツコツやっているのがお見事。

ドロシーは、送った美術館にも展覧会が行われているか、送った作品がデジタルで紹介されているかなどもきちんとチェックしている。図書館司書としての仕事が生きているのかもしれない。この映画はハーブとドロシーの生き方にも感動するが、現代アートが観たくなる気持ちにさせる。

http://herbanddorothy.com/jp/

とにかく絵画に対する飢えを感じて上野の芸大の美術館へ。『芸大コレクション展 2020』。久しぶりに『序の舞』(上村松園)、『一葉』(鏑木清方)と出会う。生徒製作(卒業制作)の自画像もそれぞれの画家の違いや、なるほどと思わせてくれる物もあり楽しかった。

上野公園では、路上パフォーマンスの人たちが、ちらほら見受ける。「七か月ぶりなんです。その線からは近づかないでください、すいません。」と気を使われている。

こちらも久方ぶりの散策である。

https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2020/collection20/collection20_ja.htm

ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』まで (3)

1954年(昭和29年) 『日の果て』(山本薩夫監督) 『ともしび』(家城巳代治監督) 『どぶ』(新藤兼人監督) 『太陽のない街』(山本薩夫監督)

日の果て』   梅崎春生さんの小説が原作である。ルソン島で絶滅しそうな状況の一隊が飢えに苦しむが、上官は切り込み隊の任務を命令。途中兵隊たちは脱走してしまう。花田軍医(岡田英二)は地元の女性(島崎雪子)と一緒にいてもどるようにという命令にも従わない。宇治中尉(鶴田浩二)が再度もどるように伝え従わないなら殺すように命令される。花田軍医はもどる気はなく宇治中尉は病に倒れてしまう。宇治中尉も次第に戦争の虚しさから自分を解放することを決心するが、お互いの誤解から銃弾に倒れてしまう。脱走ではなく自分を自由の身にするのだという主張は戦争映画では少ないであろう。

ともしび』  1950年代初めの貧しさと闘う子供たちと教師の物語である。何とか子供たちに学ぶ楽しさをと教え方を工夫し情熱を燃やす教師とその教え方が思想的にアカだときめつける教育者と村人たち。試行錯誤する若き先生たちが受ける試練である。松熊先生(内藤武敏)は学校を去るが子供たちは生徒大会で意見を出し合う。いづれ自分たちの村を住みやすい場所にすると希望を語り合う。

香川京子さんが生徒の一人の姉として出演。インタビューで語る。新東宝でデビューして3年目、本数契約で会社の本数をこなせばフリーで出演できるようになり『ともしび』が独立プロ初めての仕事。鍬の持ち方から苦労。戦中派で勤労奉仕もしたがサマにならなかった。社会の一員として社会を知らなければ、社会人の一人として生きなければとフリーになってわかったと。

どぶ』   川崎のカッパ沼の近くのバラックに住んでいる人々のところに、少し頭の回転が違う女性・ツルがあらわれる。トクさんにパンをもらいトクさんは好い人と思ったのであろう。トクはピンと同居していてそこにツルが同居するのであるが、ピンが学生でその学費がなく学校をやめなくてはならないとのウソの話しをする。ツルはまかせておきなと川崎の駅にたち客をとるのである。乙羽信子さんの演技がオーバーで観ていてやり過ぎと思わされたが、ラストでその突飛さに監督の計算があったのだと思わされる。

ツルはカッパ沼部落に来た時自分のこれまでの経験を話すが、その過程で悪い病気をうつされそれが脳にまわっていたのである。そのことをツルは知っていた。それを隠してツルは本当の自分をみせずに闘っていた。死に顔が美しく生きていた時の白塗りのツルと対比させている。ツルが書いたという小説が皆を泣かせる。

太陽のない街』  → https://www.suocean.com/wordpress/2020/05/25/

1955年(昭和30年)  『ここに泉あり』(今井正監督) 『姉妹』(家城巳代治監督) 『』(新藤兼人監督)

ここに泉あり』  高崎でオーケストラの楽団を作ろうと奮闘する人々のはなしである。食べるのもやっとで世話役の井田(小林桂樹)は家庭崩壊寸前。楽団員の指揮者の速水(岡田英次)は仲間の佐川(岸恵子)と結婚するが、妻は才能があるのに子育てと生活のため自分の音楽活動がさえぎられ夫婦間がぎすぎすする。そんな中で励まされるのは演奏に行った場所での聴いてくれる人々である。山の生活に帰りもう生の演奏は聴くことがないかもしれない子供たち。閉ざされた生活をしているハンセン病の人々。そしてかつて合同演奏会を引き受けてくれた山田耕筰さんが心配して訪ねてくれ励ましてくれる。

希望をもったり失ったり。現実との相克が仲間たちとのいさかいなどを含めて描かれている。演奏のために楽器を抱えての旅は自然をまじえリアルに映し出される。その中で、映画を観る者も演奏場面を楽しませてらう。

ピアニストの室井 摩耶子さんも本人役で出演されていて今も99歳の現役ピアニストということである。まさしく<ここに泉あり>。

姉妹』  性格の違う姉妹が、成長していく物語である。父は発電所勤務でやはり家は貧しいのである。そんな中、姉妹(野添ひとみ、中原ひとみ)は山から町の伯母の家に下宿し学校に通う。妹はお金持ちの友人と友達になったり、姉は結婚問題があったりと様々な人々の生活と環境に触れ、自分の道を見つけ出していく。自分の見た目での世の中の矛盾にぶつかっていく妹の元気の良さが印象にのこる。

中原ひとみさんは、この映画で注目され映画『純愛物語』(1957年・東映・今井正監督)へとつながっていくのであろう。

純愛物語』についてはこちら→https://www.suocean.com/wordpress/2012/06/16/ 

https://www.suocean.com/wordpress/2012/06/20/

ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』で中原ひとみさんと江原真二郎さんご夫妻は朗読を担当されている。

』   観始めからよくわからない展開となる。強盗できると思えない人が郵便車を襲うのである。2人の女性と3人の男性の5人組である。次に5人の出会いと強盗までにいたる経過が描かれる。5人(乙羽信子、高杉早苗、殿山泰司、浜村純、菅井一郎)は終戦で仕事もなく生命保険の外交員の募集をみて集まった人々である。集まった人々は全員合格となり、昼食に玉子どんぶりが並んでいる。このどんぶり物がいかに人々が飢えていたかを主張している。

5人は営業成績も悪く6か月の試用期間も終わりに近づきピアノの音が流れる家の前の空き地に集まっている。音楽担当が伊福部昭さんでこのピアノの音楽だけにしている。そこで5人は1人の男性の情報から郵便車の強盗を計画するのである。戦争中映画の脚本を書いていた男性がいる人物設定も面白い。強盗は自分たちにとっては自殺であるの結論。

5人それぞれの家庭事情も描かれる。2人の女性は未亡人で、女性一人の願いは、のびのびになっている子供の手術を受けさせること。もう一人は子供が二人いて電気も止められている。この女性は子供たちと心中してしまう。その遺書が4人に向けて書かれていて新聞に載る。

多くのベテランの俳優さんが出演していて出演時間は短いがそれぞれの人間像をしっかり表現している。保険の勧誘をうけるクリーニング店の左卜全さんのアイロンの扱い方などはきちんとサマになっている。

独立プロ映画に出演されている俳優さんたちの中にはその後の任侠映画などでもおなじみの人たちも多く、こういう仕事で腕を磨かれていたのだと納得する。

書き込むために見直すと新しい発見があり、膨らみ、時間がかかってしまう。

追記: 『ここに泉あり』に出演されたピアニストの室井 摩耶子さんの本を二冊読ませてもらった。とても楽しい方で思いもかけない飛び方をされる。その中で、黒澤明監督の映画『わが青春に悔なし』で原節子さんのピアノを弾くシーンの手は室井摩耶子さんであると知る。さらに、ダスティン・ホフマン初監督の『カルテット!人生のオペラハウス』にも少し触れられている。前作二本は再度演奏場面を注意深く観ることにし、三本目は初観しなければ。室井 摩耶子さんの本も読みやすいので三冊目に入る。

    

ひとこと・映画『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』

現在と過去を較差させて『若草物語』は進む。それで終わりかなと思ったら、ジョーの魅力を発揮させてくれた。ジョーはやはり格好いい。出版社との交渉。「著作権て重要そうね。」。ベア教授の「シェークスピアは大衆文学と詩を融合させた。」の言葉に、そうであるならもっと気軽にシェークスピアを楽しめるかもの期待。

ジョーはシアーシャ・ローナン。映画『レディ・バード』のグレタ・ガーウィグ監督とシアーシャ・ローナンが再び。『レディ・バード』は一回ではわからなくて二回目で、少し。そこまでやるかな。若さか。三回目に挑戦しなくちゃ。グレタ・ガーウィグ監督は映画『フランシス・ハ』の主演で脚本にも参加。

「悩みが多いから私は楽しい物語を書く  L・M・オルコット」

楽しいだけじゃない。ひとりひとりを愛し深く観察しています。

ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』まで (2)

1953年(昭和28年)  『女ひとり大地をゆく』(亀井文夫監督)  『煙突の見える場所』(五所平之助監督)  『縮図』(新藤兼人監督) 『雲流るる果てに』(家城巳代治監督) 『蟹工船』(山村聰監督) 『にごりえ』(今井正監督) 『ひろしま』(関川秀雄監督)

女ひとり大地をゆく』  「これは北海道の炭鉱労働者が一人33円づつだしあって作った映画である」とクレジットあり。若い娘さんが売られていく貧しい時代の1923年から20年間炭鉱で働いた女性の半生である。その主人公が山田五十鈴さん。次男役の内藤武敏さんの話しによると、北海道の夕張炭鉱で撮影中、実際に労働争議が起りストになり坑内に入れずその後釧路の炭鉱で撮影したそうである。

煙突の見える場所』  原作は椎名麟三さんの「無邪気な人々」で脚本は小国英雄さん。映画は4本の煙突が場所によって本数が変わって見えるというキーポイントがある。原作の題名から小説の方も読みたくなる。家を借りている夫婦(上原謙、田中絹代)が借り賃の助けに二階二間を貸す(芥川比呂志、高峰秀子)のである。この家に赤ん坊が置き去りにされる。赤ん坊を巡って大人たちはそれぞれの行動をする。高峰秀子さんならではのフェイントぶりがこの作品でもうかがえる。

縮図』  そうそうたる役者さんたちが出演している。家族のために芸者になる銀子(乙羽信子)の半生を描いていて、人身売買に対する抗議の意味もある。明るく割り切って生きているように見える銀子はお金で縛られた芸者がつくづくいやになる。病で助からないと家に帰るが妹が亡くなり自分は助かる。また家族のために銀子は芸者に出る。乙羽信子さんの踊る「かっぽれ」に愛嬌があり、常に心の闇を奮い立たせている銀子がみえる。自然描写もみごとで雪国がいい。さらに照明のよさが白黒映像の味わいを堪能させてくれる。置屋の女将の山田五十鈴さんの演技力の振り幅にはまいってしまう。

雲流るる果てに』  出撃を前にした特攻隊員の心情と仲間意識を現している。迷いがないとおもっていた大瀧中尉(鶴田浩二)が号泣するのをみて怪我が回復していない深見中尉(木村功)も共に出撃する。空中の飛行機の映像は記録映像である。この記録映像に今までにはないほど涙がでた。飛行機に乗っている一人一人の生きた人間像が浮かぶからである。上官たちが出撃機の体当たり成功率で評価し、まだまだだ次はもっとというその痛みの無い様子には怒り爆発である。

蟹工船』  小林多喜二さんの原作の映画化である。山村聰さんが脚本・監督というのが驚きである。映画にも出演していて、わけありで船に乗るが海に投身自殺してしまう。蟹工船とは、劣悪な労働条件の中で蟹をとり缶詰めにする船である。家族のために恋人のためにお金のために乗り込む男達。これを仕切る会社のバックには海軍があり、現場の監督はその威力を借りてやりたい放題である。昭和初年の話しで我が国の北洋の蟹漁業はその名を世界に謳われていた。

にごりえ』  今井正監督の作品のなかで一番好きな作品である。樋口一葉さんの小説『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』を一作品ごと映画化しているのである。文学座が初めて総力をあげて取り組んだ映画で役者さんたちもそろい、演技的に安心してみていられ映画でえがかれた一葉さんの世界にすーっと運んでくれる。

井手俊郎さんと共に脚本を担当された水木洋子さんが書かれている。「私は敬愛する一葉の珠玉のような短編を心から栄誉を感じて、すらすらとよどみなく、あっという間に書くことが出来た。勿論日記を通読、当時の一葉の環境に自分が暮らしているような気持で楽しかった。」

ひろしま』  助監督に熊井啓監督の名前もある。音楽が伊福部昭さんで次の年の1964年にはあの『ゴジラ』の音楽である。独立プロ系の映画にも多く参加していて、重厚さと力強さが感じられるが『縮図』では星を眺めるシーンでは優しい旋律をつかう。

映画では延べ8万8千5百人の方々がエキストラで参加されている。

出演された月丘夢路さんがインタビューで話されている。松竹の専属の俳優だったが何かしたいと思っていた。自分の生まれ育った広島の映画なので出たかった。松竹に何回もお願いして出られるようになった。悲惨な状況を残したい。出てくるのが自分の行っていた女学校だし、当時のヒロシマの情景がよく再現され出られたということだけでうれしかった。街並みとか本当によくスタッフの人たちは再現してくれた。」

さらにこんなエピソードも。「日本航空が初めてアメリカへ飛んだ時招待されたが、調べたらこの人は『ひろしま』に出ているから来てくれるなといわれた。」月丘さんはその前の昭和26年にアメリカに興行でいき昭和27年一年間アメリカに滞在して色々勉強されていたのである。そしてアメリカの役者さんや歌い手さんが富を得たら社会に還元する意識を見て自分も何かしたいとおもったのである。アメリカの国から学んだのではなくアメリカの人から学ばれたのである。

その国とその国の人とは別に考えたほうがよいときもある。国は人を呑み込みたがる習性がある。

ひろしま』では最後に広島を行進する人々の後を歩くかのように原爆で亡くなった人々が起き上がり歩きはじめる。関川秀雄監督の映画『日本戦没学生の手記 きけ、わだつみの声』(1950年・東横映画)でも亡くなった兵隊さんたちの亡霊が起き上がるのである。何かを語りたい思いが胸にこたえる。

1954年に久我美子さん、有馬稲子さん、岸恵子さんが<にんじんくらぶ>を設立する。その前年の1953年の映画作品の素晴らしさを書いている。映画界は熱い時期であった。そして独立プロも大きく作用したと想像できる。

https://www.suocean.com/wordpress/2014/06/21

ひめゆりの塔』(1953年・今井正監督)は独立プロではなく東映である。水木洋子さん(脚本)は書いている。まだ沖縄に渡ることが出来ず、当時の傷病兵を訪ねて、ひとりひとりの行動を縦横の図式表につくり誰は何処で何をしたかを区分して群像の処理にあたった。「そして性格づけもタイプも生々と目に浮かぶようになって、やっと執筆にかかった。」 教師たちは必死で女学生を守ろうとしている。軍医も横暴ではない。音楽は古関裕而さんで、戦争とは思えない、若い命の美しさに添うように流れる。

追記: 『ひめゆりの塔』に関してはこちらでも書いていたので参考まで。

→  https://www.suocean.com/wordpress/2014/02/28/

  

ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』まで(1)

映画館で『薩チャン正ちゃん 戦後民主的独立奮闘記』(2015年・池田博穂監督)を上映しているのを知ったが見逃してしまった。薩チャンとは山本薩夫監督で、正ちゃんとは今井正監督である。DVDも発売されていた。購入したが、独立プロ系の映画作品をもう少しみてからにしようとそのままにしていた。

新型コロナで巣ごもり時間も長いのでこの機会にと独立プロ系をみつづけた。そしてそろりそろりと『薩チャン正ちゃん』をみた。そこに小冊子が入っていて独立プロ系の映画一覧がのっている。これは大助かりである。その作品郡のなかから観たものを年代順にのせ、印象に残ったことなど少し紹介したい。

五大映画会社から追い出されたり飛び出した監督ら映画人が、自分たちの映画を撮りたいと作られたのが独立プロ系の映画である。ただ今は映画会社専属の映画監督はいないので映画界はほとんどが独立プロ系とも言える。

1950年(昭和25年) 『暴力の街』(山本薩夫監督)

今回見直した。前回は池部良さんが出演しているので観たが池部さんが主人公ではなく、あれっと思ったが内容から納得した。群馬の銘仙の街で、議員、警察、検事等が権力を握り一部の人たちだけの利益を守る。その悪を報道する新聞記者などが妨害されるが住民も立ち上がり闘う。その新聞記者の一人が池部良さんであった。この映画が独立プロの第一作だったのである。

1951年(昭和26年) 『どっこい生きてる』(今井正監督) 

詳しくは→https://www.suocean.com/wordpress/2020/08/09 

1952年(昭和27年) 『箱根風雲録』(山本薩夫監督) 『山びこ学校』(今井正監督) 『原爆の子』(新藤兼人監督) 『真空地帯』(山本薩夫監督)

箱根風雲録』 詳しくは→ https://www.suocean.com/wordpress/2020/07/17

やまびこ学校』  山形県の農村が舞台で、子供たちは貧しく学ぶ機会も奪われがちである。そんな環境の中で生徒たちは、教育に情熱を燃やす教師(木村功)と共に学ぶことの楽しさを実感していく。古い映画なので音が悪く子供たちの方言が聴きづらいのが残念。音がはっきりすれば、さらに子供たちのいきいきした力強さが増すと思える。

原爆の子』  原爆を扱った最初の映画と言われている。原爆が落とされた時広島にいた幼稚園教師(乙羽信子)がそれから7年後、当時の園児を訪ねて歩き、子供たちのその後の生活が描かれる。この映画出演のために乙羽信子さんは大映を去る。民藝の劇団員が多く参加している。独立プロ系では多くの劇団が協力された。

詳しくは→https://www.suocean.com/wordpress/2016/08/08/

真空地帯』   映画評論家の佐藤忠男さんの言葉。「旧帝国陸軍の新兵教育の野蛮さを描いた力作だが、海軍の少年兵を経験した私は、この、ひたすら新兵を殴るばかりの日本軍隊のありようが本当のことだったと証言できる。」

派閥争いで犠牲になった木谷一等兵(木村功)は、再び上官によって、野戦行きを急きょ変更決定されてしまう。ラストの木谷一等兵が野戦に向かう船の中の場面で終わるのであるが拍子抜けしてしまった。木谷一等兵がもっと狡猾に復讐を試みるとおもったからである。それを期待するのは無理な状況ではある。中に入っている者はその全体像を見極めるのがやっとで気がついた時には死しかなかったということになる。おそいということなのである。このラストの船中ロケには山田洋次監督もエキストラとして参加しておられた。 

山田洋次監督が選んだ映画100選の中に独立プロ系の映画が入っていて、鑑賞できていて助かった作品もある。家族篇では『煙突の見える場所』『にごりえ』『姉妹』『人間の条件』『若者たち』が、喜劇編では『台風騒動記』『にっぽんのお婆ちゃん』がある。

時代と共に生きてきた映画界は過去から今に生きてくれています。そして未来へも。現在は過去になる。そして過去から現在の未来へ。さらに未来へ。

独立プロ系の映画を観始めた時期よりあっという間に権力の横暴さが実感となってしまった。

 

     

ひとこと・映画『ビリーブ  未来への大逆転』

話題になっている、アメリカ連邦最高裁判所判事の指名。映画『ビリーブ  未来への大逆転』のルース・ベイダー・ギンズバーグ判事が亡くなられたので、その後任選びなのである。映画を観て、素晴らしい女性がいるものだとおもったが現実問題としてこんな展開になるとは。

映画の中で興味ひかれたのは、母と娘のやりとりである。娘は『アラバマ物語』の話をする。学校の授業で取り上げられたのかもしれない。娘はフィンチ弁護士を正義の人とする。母はフィンチ弁護士は殺人を隠したとして弁護士の倫理に反するとする。

映画『アラバマ物語』ではフィンチ弁護士が黒人の弁護に立つ。それを不満に思う男性がフィンチの娘を襲うのである。それを助けた隣人が襲った男性を殺してしまう。保安官は事故として扱うのである。そのことを追求しなかったフィンチ弁護士に母は倫理には反するといったのであろう。映画のラストでみていたほうもよかったとおもったが、そう言われればそうともと考えられる。娘は母の論理性に反発するが、最後は母の生き方を応援するのである。

故ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事とは大きく違う考え方の方が最高判事候補なのである。

日本では日本学術会議の新会員が6名任命されなかった。これは論理的説明がほしいものである。

https://gaga.ne.jp/believe/

追記: 日本学術会議会員の任命拒否については、総合的、俯瞰的に検討したらしいのですが、その結果こう判断したという説明がないので全然わからない。皆さん分かったのでしょうか。総合的、俯瞰的だけで終わりとなれば何でも通過しそうで怖いです。それでなくてもこれまでしっかり説明してくれていないことが多いのですから。こんな怖い時代が来るとはなんということか。

追記2: 日本学術会議の一般公開イベントの中に聴いてみたいテーマもあります。日本学術会議のホームページのぞいてみてはいかがでしょうか。

追記3: コロナで国民が疲弊しているときに疑問に何も答えず問題をすりかえ、おどしにおどしをかけて支配しようとする。悪政支配者の一番好む手口しかおもいつかないようである。

映画『破局』『俺たちは天使じゃない』『闇に響く声』

ヘミングウェイの『持つと持たぬと』を映画化した『脱出』を観て、リメイク版『破局』(1950年)を知る。この監督・マイケル・カーティズが映画『カサブランカ』(1942年)の監督であった。さらに、ボギーの『俺たちは天使じゃない』(1955年)とエルヴィスの『闇に響く声』(1958年)も監督していたのである。

無名塾の公演『おれたちは天使じゃない』を観た時、ボギーの映画を観たいとおもっていたが意外なところで出現してくれた。エルヴィスの映画まで監督していたとはなんというタイミングのよさか。

映画『破局』は『脱出』のボギーとローレン・バコールのコンビを観た後でもあり違う違うと否定してしまっていた。気をとりなおして再度見直す。。ハリーは家族がありどんどんまさに破局に向かうのである。海が好きなハリーは漁船を買い独立するが生活も苦しく、奥さんがやりくりしている。子供は二人。家族を大事にしているが受ける仕事が上手く行かずお金が入らない。

ハリーの釣り客はメキシコに着くと連れの女を残して帰ってしまう。女はハリーを気に入り、ハリーは妻帯者だと拒否する。次に入った仕事は中国人の密航の手だすけ。助手のウェズリーは黒人であるが常に冷静でハリーを止めるが耳を貸さない。密航の仕事でハリーは依頼人と争って殺してしまう。次の仕事は競馬場の売り上げを奪った連中を逃がす手助け。

思いもかけずウェズリーが連中に殺されてしまう。ウェズリーの死により、船中でハリーは4対1で強盗を殺し自分も負傷する。救助されハリーは腕を切り落とすことに決まるが命は助かることになり妻・ルーシーと子供たちは安心する。ただそこには父・ウェズリーを探す息子がいる。誰にも声をかけられず「一件落着だ。」と立ち去る人々のあとにひとり取り残される。すっきりしない映画である。ハリーに振り回された感じがのこる。

あとは原作を読むことか。

映画『カサブランカ』のボギーと監督。ボギーの『脱出』をリメイクした監督。喜劇『俺たちは天使じゃない』でのボギーと監督。なかなか面白い関係である。ただボギーはいつものボギーで喜劇性を強調する演技ではない。そのままを上手く喜劇に使っている。無名塾での『おれたちは天使じゃない』はこれだったのかとたのしんで観れた。仲代達矢さんの方がボギーより陽気に演じられていた。

監獄から脱出した囚人三人はお世話になった雑貨屋の一家に強欲な従兄の遺産相続に成功。世の中を生きていくのは大変と監獄にもどることにする。三人の頭上には天使の輪が。

無名塾の感想はこちら。→ https://www.suocean.com/wordpress/2016/03/10

映画『闇に響く声』。エルヴィスはのTV映画『ELVIS エルヴィス』と1956年をドキュメンタリーとしてまとめた『エルヴィス・プレスリー/エルヴィス’56』のDVDをみるとかなりエルヴィスのことがわかる。

エルヴィスは、1956年4月にスクリーン・テストを受けている。その結果パラマウント映画会社と7年間の契約を結ぶ。「夢がかなった。映画のなかで歌を歌うかの質問には今のところノーが答えだ」 エルヴィスは映画の中では歌を歌いたくなかった。それに反対したのがマネジャーのトム・パーカー大佐である。トム・パーカーは軍人ではないが大佐と呼ばせていた。

スクリーン・テストのとき演じたのがバートラン・カスター主演の『雨を降らす男』の一場面である。その時演じた役をもらいエルヴィスは出たかったが大佐が反対する。大佐の方向は、エルヴィスが主演の歌う映画であった。エルヴィスの映画を全て観ているわけではないが映画『闇に響く声』は、明るくて歌があって楽しいエルヴィス映画のイメージからはずれているのでは。

父は職につけず貧乏で、エルヴィスは働きつつ高校に通っているが落第がつづく。姉も働いて家計をささえている。ある女性を助けたことから、歌のうまさが認められナイトクラブで歌うことになる。良心的な経営者で年が離れているが彼と姉は恋仲になる。エルヴィスは人気がでて、女のパトロンでもある違うクラブの経営者から誘いをうける。当然断るが、抜き差しならない状態にさせられ契約せざるおえなくなる。

若者の荒れた屈折さなどは、ジェームス・ディ―ンを崇拝していたエルヴィスにとってはやりがいがあったのではないだろうか。監督もそれを意識しているようにおもうのは深読みしすぎか。クラブの歌手というのも自然な成り行きにさせていて、映画の流れに歌は邪魔せずむしろ聴かせてくれる。

1956年末、映画界は二つの作品が大ヒットとなった。一つはジェームス・ディ―ンの『ジャイアンツ』もう一つがエルヴィス・プレスリーの『やさしく愛して』である。この時点からエルヴィスの映画は方向性が決まったようである。

面白い情報をえた。1956年にエルヴィスはラスベガスでショーに出演している。ところが当時ラスベガスは年配者が多く、不評であった。そのため14年間ラスベガスでの出演はなかった。

若者にはうけ、大人たちからは非難ごうごうのエルヴィス。その頃流行っていたのは「ケセラセラ」のような曲。これで納得である。

追記: エルヴィスのドキュメンタリー映画『THIS IS ELVIS 没後30周年メモリアル・エディション』は生涯を描いていて、没後30年ということでプライベート映像も加えられている。亡くなる6週間前のステージでのフランク・シナトラの「マイ・ウエイ」が声はしっかりしているだけになんとも切ない。

映画『脱出』・『ケイン号の叛乱』

ローレン・バコールの初出演映画が『脱出』(1944年・ハワード・ホークス監督)である。ハンフリー・ボガートとの共演で私的にはハンフリー・ボガートとの恋という大きな出会いの映画であった。しかしその話題に頼る必要のない映画登場場面である。ハンフリー・ボガートから煙草の火を借りるのである。インパクトがさく裂である。そこから、ローレン・バコールから目が離せなくなる。

フランス領のある島でハリー(ハンフリー・ボガート)はホテルに泊まり、所有する船で釣り客などを案内して気楽に暮らしている。のん兵衛のエディが助手である。ホテルの主人のフレンチ―から反政府活動家の移動を頼まれる。そんな時、目的なく自分の意志で行動する流れ者の女性マリー(ローレン・バコール)と出会う。

活動家ポールを船に乗せ運ぶ途中で銃撃され、ポールは肩に弾丸を受ける。ポールと妻のエレーヌはホテルの地下室にかくまわれる。ホテルには警察の捜査が入り見張っている。ハリーはポールの肩の弾丸を抜く。エレーヌは失神してしまうが、マリーは気丈に顔色を変えることなくハリーを手伝う。

筋立ての振幅の大きさの中で気の利いた台詞が配置されている。さらに弾丸を取り出した時ハリーはいう。「一度跳ね返った弾だから浅くて済んだ」。そうなのである。意外と簡単に取り出せたのである。映画だからとおもってしまうが、きちんと説明があるのでリアルさも感じさせる。

さらにポールは政府の転覆をはかるため次の目的先までの移動をハリーに頼む。ポールは自分は勇気がないし、それを実行する能力もないが次につながってくれる人がいることを信じている。君のように手伝ってくれる人をとハリーに語る。ハリーは政治的意識はないが手伝うことにする。

酔っ払うと何を話すか分からないエディが警察に連れていかれるが、エディも助け出す。マリーにはアメリカに帰るように切符を渡し、船に乗る。何んとか無事ポールを送り届けることができホテルにもどると、そこにはマリーの姿があった。マリーは腰で音楽のリズムに合わせ人々の間をハリーへと進む。ローレン・バコールの表情よりも仕草などでの表現が冷静さと隠された色香で魅了される。

モデルであったローレン・バコールの写真をハワード・ホークス監督に見せたのは監督の妻である。ローレン・バコールを自分流の女優に育てようとしたが、彼女はハンフリー・ボガートとこの映画の撮影後に結婚し、映画会社の言う通りの女優とはならなかった。ボギーと結婚していなければ自分の意思を通せたかどうかは疑問である。

映画『脱出』は、ヘミングウェイの原作『持つと持たぬと』で、ジュールス・ファーストマンが脚色したが原作に近く政治的にまずいということで、その後、ウイリアム・フォークナーが脚色して原作とかなり離れる。フォークナーはヘミングウェイの原作とあって喜んだようである。そのためかどうかはわからないが、何んとなく台詞に艶があり、納得させる台詞も散りばめているように思える。

1950年に原作に近いリメイク版『破局』(マイケル・カーチス監督)が映画化されている。そのうち観ることにする。『三つ数えろ』も見直さなくては。

映画『ケイン号の叛乱』(1952年・エドワード・ドミトリク監督)は、ハンフリー・ボガートが反乱を起こす正義の味方かなと勝手に想像していた。なかなかハンフリー・ボガートが出てこない。若いキース少尉候補生が主人公なのであろうか。キースの恋人・メイはクラブ歌手のため母親にも紹介されず身分違いの恋もからんでいるようだ。

キースは古い駆逐艦のケイン号に配属される。副艦長・マクイ大尉、キーファー大尉などに次々と紹介されていく。デヴリース艦長も出て来る。かなりルーズな艦長で海兵隊もぴりっとしたところがなくキースは少々不満である。そんな時、艦長の交代があり、新しくクイーグ艦長がくる。これがハンフリー・ボガートである。ということは叛乱されるほうのようである。見方を変えてボギーの演技に集中する。

キースは海兵隊の風紀係を命じられる。ところが艦長は神経質で注意し始めるとそのことに執着し大きなことにたいして目がいかなくなり、航海上のミスをする。しかし自分のミスとは認めず、上部に対しても上手く言いのがれてしまう。上陸する隊の引率擁護も早い時点で引き返してしまう。士官たちも不信感を抱き始める。

さらにデザートのイチゴが残っているはずなのに残っていないのは誰かが食糧庫の鍵を作って盗んだとして全員の鍵を出させ名札を付けさせニセ鍵探しとなる。

キーファー大尉は艦長は偏執狂症だと主し、副艦長、キーファー大尉、キースの三人は提督に報告書を出すことにするが、最後の段階でキーファー大尉はやはり下りると言うことで三人は取りやめにする。

大きな台風にあう。ところが艦長の様子から艦長の指揮では船員たちの命が守れないとして副艦長が、艦長の指揮権を解除して自分が指揮し始める。船は無事台風からのがれられたが副艦長は反乱罪で軍法会議にかけられる。

反乱罪は絞首刑である。軍医たちは、艦長は正常であるとし、キーファー大尉も艦長は正常であったと証言する。ところが艦長が証言台に座り弁護人の質問に答えるにしたがって次第に精神的に追い詰められ正常さが崩れ始める。その艦長の変化を無言で見つめる裁く側の人々。

艦長は自分の意見が認められなかったり、責められることに我慢ならないのである。その事が頭の中を支配し、直面する問題に正常な判断ができなくなってしまう。そして間違いを認めず自分の意見に固執する。副艦長は無罪を勝ち取る。ところが弁護士は士官たちに、君達には失望したという。艦長が謝った時もあったはずだ。なぜそれを受け入れ艦長に協力する態度を示さなかったのかと。さらに裏切ったキーファー大尉を糾弾する。皆、キーファー大尉を残して去る。

キースもこれらのことから成長し、恋人をきちんと母親に紹介し結婚。副艦長として乗り込んだ船にはデヴリース艦長がいた。

弁護士がクイーグ艦長の長い間の闘いでの心理状態を語ったときそういう見方をするのかとちょっと逆転劇となったが、少し唐突でもあった。艦長のハンフリー・ボガートは劣等感と孤独感と責任感にさいなまれ次第に陥った現在の艦長を同情をはねのける異様さで演じていた。

原作はハーマン・ウォ―クのピューリッツアー賞受賞作品である。

第二次世界大戦の1943年の話しとして描かれているが、デザートにイチゴのシロップかけが出ていたのには恐れ入ってしまった。この数カ月、日本の独立プロ系の映画をみつづけていたので、あまりの兵士たちの状況の違いに愕然とする。日本は、食べ物もなく、兵器の替えはないが兵隊の替えはいくらでもあると言われる。兵士はつぶやく。俺たちは死んでからでないと文句を言えないのだな。

ひとこと・ドキュメンタリー映画『カーマイン・ストリート・ギター』

ギター職人の様子が描かれているのであるが、ミュージシャンとの交流がこれまた極上である。育った樹は切られてどこかの建物となる。そして壊され朽ちていく。ではないのである。壊された木材をギター職人のリック・ケリーは手に入れギターにして樹の響きを残すのである。たくさん語りたいが響きのお邪魔はやめる。

予告編を本編の後に観たのであるが、ミュージシャンの斉藤和義さんのコメントがこれまた納得させる笑いをもたらしてくれた。

www.bitters.co.jp/carminestreetguitars

追記: ロン・マン監督のドキュメンタリー映画『ツイスト!』『グラス マリファナvsアメリカの60年』。ダンスがパートナーを必要とする形から個人として踊れるものが出現し、R&BからR&Rの誕生が興味深かった。大麻の歴史と許可している州もあるという単一でない現実を知る。ロン・マン監督が製作に参加した『マイティ・ウクレレ』は、付属的なウクレレのイメージが払拭。親しみやすい楽器でありながら音色の幅の広さに驚き。演奏会があれば聴きたいですね。