『平家物語』と映画『天国と地獄』の腰越(1)

腰越>は、『平家物語』にも出てきまして、歌舞伎にも『義経腰越状』という作品があり気になっている場所ではあったのですが、<腰越>一箇所ではと思い組み合わせ場所を探さなければと考えていたのです。ただ歌舞伎の場合、現在上演されている部分は<腰越状>とはあまり関係ないのです。

ところが、黒澤明監督の映画『天国と地獄』を見直していましたら、<腰越>が出てきました。それではと、観光も兼ねて江ノ電腰越駅へと出かけることにしました。

映画『天国と地獄』は、誘拐犯と警察の攻防で、誘拐された子供が会社重役の子供ではなくそこの家のお抱え運転手の子供で、身代金を要求された重役は、苦悩のすえ身代金を払うのです。重役は、靴職人の見習工からのし上がった靴製造メーカーの常務である権藤金吾で、お金をかき集め自分が会社のトップになれるという時に身代金3000万円を要求されるのです。

犯人の要求通り、身代金の入っている鞄を特急の「第二こだま」から酒匂川(さかわがわ)の土手へ投げ落とし無事、子供は取り返すことができました。この場面までが、権藤の人生が大きく変わる起点でもあり、ここからが警察の捜査陣と犯人との闘いとなるのです。

身代金を投げ落とす場所が酒匂川に架かる鉄橋からで、この場面に関して新聞の映画記事になったこともあり興味深い場所でもありました。旧東海道を歩いた時に国道1号線の酒匂橋を渡り歩きました。鉄橋の位置からする東海道は駿河湾に近い位置にあり、権藤が警察の車で誘拐された進一のもとに訪れる時後方に映っているのが酒匂橋です。今は酒匂橋と東海道本線との間に小田原大橋ができています。そして、東海道本線の横には東海道新幹線が走っているのです。

映画『天国と地獄』は、1963年公開で、初の電車特急「こだま」が運行したのが1958年、東海道新幹線が開業したのが1964年ですから、特急こだまの前面部分と内部を見れる貴重な映画ともいえます。

黒澤監督の助手であった野上照代さんの話しによると、本物の「こだま」を編成ごと借り切っての撮影で、犯人からの電話が「こだま」の電話室にかかります。電車は国府津駅を通過したところで、次の鴨宮駅が左にカーブした土手に進一がいるから顔を確かめて鉄橋を渡ったらお金の入った鞄を洗面所の窓から投げろとの指示なのです。

同乗して車内を警戒していた警察もその時点で初めて知るわけで、それぞれが、映写のため車内を走り位置につきます。犯人があと2、3分で鉄橋にさしかかると言っていまして、その間に行動するわけです。映画ですから、台詞をいいつつきちんと演じなければなりません。車内場面だけでも、3カ月リハーサルをしたそうです。

進一の顔を確かめて鞄を投げる権藤の姿は、戸倉警部が権藤という人物を全面的に信頼する場面でもあるとおもいます。そして犯人に憎悪を燃やします。権藤はお金がなくなり、これで、会社から追い出される人間になったのです。権藤金吾が三船敏郎さんで戸倉警部が仲代達矢さんです。三船さんの鞄を投げたあとの緊張感のゆるみが、演じ切ったというところでしょうが、そのまま権藤が進一の姿を確認でき犯人の言う通りに出来たという安堵感と重なって観ているほうの臨場感もたかまります。

警察役が映写していると同時にその姿を映画スタッフも撮影しているわけですから、その時の動く外の風景そのままなのです。橋を渡る時間は1分位です。

先ず東海道線の在来線で酒匂川の確認です。鴨宮駅から小田原駅まで車中のドアから見ましたが、ガラス部分の丁度顔あたりに広告が貼ってあり、変な格好で酒匂川をみることとなり、小田原から鴨宮にもどるときは、対向電車とすれ違いよくわからず、再度、鴨宮から小田原へ向かいもどり二往復しましたが、風景が変わっていてよくわかりませんでした。ただ、在来線の電車でも短い時間ですから、「こだま」の速さにすると、本当に緊張するとおもいます。今の在来線で鴨宮から小田原まで3分です。前の1分が川を渡る時間と考えていいでしょう。

土手に進一と共犯者が立っている場面は、実際にはその前に二階建ての家があり二人の姿が「こだま」から見えないため二階部分を壊してもらい、その日の内に大工さんを連れて行き元にもどしたそうです。映画で、屋根の部分の木材が格子のように見える家がありますが、それのような気がします。

権藤と警察は横浜から「こだま2号」に乗ったでしょうが、横浜15時41分に出発して小田原を通過して熱海到着が16時37分です。熱海まで警察は動けません。「はと」ですと横浜を13時22分に出て、小田原に14時01分に着き、熱海に停まらず沼津までいきます。小田原で停まられては逃走する時間ががないので都合が悪いのです。なぜ「こだま」に乗るように指示したかがわかります。20分位は時間稼ぎができます。

いかに頭の働く犯人かということがわかります。ここから警察と犯人の攻防戦となるわけです。

さてこちらの旅は、藤沢駅にて江ノ電に乗り換え腰越駅へと向かったのです。

 

『平家物語』と映画『天国と地獄』の腰越(2) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

歌舞伎座6月歌舞伎『浮世風呂』『一本刀土俵入』

浮世風呂』は澤瀉十種の一つです。猿翁さんが猿之助時代に書かれた『猿之助の歌舞伎講座』の澤瀉十種のところを読み返してみました。「猿翁十種」が『二人三番叟』『酔奴』『小鍛冶』『吉野山』『黒塚』『高野物狂』『悪太郎』『蚤取男』『独楽』『花見奴』で、「澤瀉十種」が『二人知盛』『猪八戒(ちょはっかい)』『隅田川』『夕顔棚』『檜垣(ひがき)』『武悪』『三人片輪』『浮世風呂』『連獅子』『釣狐』で、自分が選んだと書かれています。

猿翁さんは、祖父である初代猿翁さんの踊りをさらに工夫して『浮世風呂』に関しては、曲は長唄で、最初風呂屋の前を大勢の人が通る群舞があったのをとってしまい、長唄を常磐津にかえ、木村富子さんの原作にある、小唄、端唄、民謡が入る部分を初代が省いていたのを復活させたとあります。

この小唄、端唄、民謡部分は現猿之助さんの見せ場ともなり、音楽的にも楽しい場面でもあり、初代さんの踊りがどんなであったかはわかりませんが、猿翁さんの工夫の『浮世風呂』は、身体の舞踊性もあり楽しく、踊り手四代目猿之助さんの上手さをも引き出させています。

風呂屋の三助が仕事の合い間に踊るという趣向で、ナメクジが出てくるというのも可笑し味がありますが、ナメクジの種之助さんがそばに寄られると嬉しいような、いやいややはりナメクジであるからと思わせる好い雰囲気で、新たな愛嬌のあるコンビを楽しませてくれました。そして、猿之助さんの踊りを存分に味わわせてもらえました。

一本刀土俵入』も茂兵衛の幸四郎さんとお蔦の猿之助さんは、少し差が出過ぎてギクシャクするのではと思ったのですが、そんな心配はありませんでした。茂兵衛が、お蔦を美しいと思い、あばずれだと船戸弥七の猿弥さんがいうと、そんなことは無いとムキになって言い返す茂兵衛の言葉が映えるお蔦さんでした。

夫を死んだと思っても女の細腕で娘・お君(市川右近)を育てる生一本のところもあるのですから、一時の生活苦からくる自棄な部分の中に、お蔦の本質は見えていたともいえます。有り金から櫛、簪までくれた恩からくる美しさだけではないお蔦を茂兵衛は心の中に刻んだのだなというおもいにかられました。そう思わせる猿之助さんのお蔦でした。

そして十年。お腹を空かした取的の茂兵衛は渡世人なっていました。取的の情けない可笑しさから一匹狼の風を切る渡世人の違いを幸四郎さんは、すぱっとすっきりとみせてくれます。

長く音沙汰のなかったお蔦の夫・辰三郎の松緑さんがいかさま博打をやって追われてお蔦のもとに帰ってきます。そんな中でもしっかりしているお蔦。後悔しつつもお蔦とお君との再会に心震わす辰三郎。この親子の関係が情ある場面となっているので、お蔦が逃がしてくれる茂兵衛に何度も頭を下げるのが実をもっての茂兵衛への土俵入の花向けとなります。

茂兵衛がお蔦を探しあてるのが、お蔦の歌った越中小原節を娘のお君が父の辰三郎に聞かせるのを耳にしてというのも上手くつながっている作品です。

そこに、その土地を仕切る任侠の歌六さん、松也さん、猿弥さん、船頭の錦五さん、巳之助、船大工の由次郎さん、酌婦の笑三郎さんなどが加わり、水戸街道の様子を芝居とともに登場人物で構成してくれました。

歌舞伎座5月歌舞伎で書いていなかったのですが良い舞台でした『魚屋宗五郎』について少し書きます。菊五郎劇団の手堅さが出た芝居で、笑いを取ると言った方向は押さえて、市井の人々の生活の中での悔しさをお酒という力をかりてしか表すことの出来ない悲しさと可笑しさ、そして醒めてみれば、やはり殿さまを前にすると何にも言えなくて、お金を頂戴してしまうという身につまされる、何とも言えない生活感覚を見事に作りあげました。

魚屋宗五郎の菊五郎さん、女房おはまの時蔵さん、父親太兵衛の團蔵さん、小奴三吉の権十郎さんの長い間の積み重ねが抵抗感のない自然の動きですんなりと気持ちよく流れ、受け入れていました。作っているという感じのない、魚屋一家のつながりでした。

無理に笑わそうとしていなくても、芸の積み重ねでみせてくれる味わいでした。

あとは辛口気味ですが、『吉野山』の海老蔵さんと菊之助さんは美しいお二人なのに花見遊山ような舞台装置は不要とおもいました。『伽羅先代萩』も想像していたのとは違い芝居の山場の緊迫感の締めが甘かったようにおもいます。申し訳ありませんが、期待していたので辛めです。

思いました。舞台という狭い空間でも、その時代性の空気が見えたり、感じたりできるかどうかということ。これって大事なことなのではないでしょうか。

 

歌舞伎座6月歌舞伎『曽我綉俠御所染』『名月八幡祭』

曽我綉俠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ) 御所五郎蔵』は両花道を使っての、御所五郎蔵と星影土右衛門の出会いがあり、それぞれの子分を加えたつらねがあり男伊達の見せ所でもあります。

この場面は、台詞と立ち姿が良いかどうか試されるところで、御所五郎蔵の仁左衛門さんに並んでの男女蔵さん、歌昇さん、巳之助さん、種之助さん、吉之丞さんがしっかりした子分でした。若手の皆さんも安心して観ていられる姿、形になってきました。星影土右衛門の左團次さんの何かありそうな雰囲気と、臆病な子分たちも好調です。この二組の一発触発のところを収めるのが、甲屋与五郎の歌六さんできっちり収めます。

星影土右衛門の家来のほうが出番と台詞が多いです。それは、御所五郎蔵の女房・皐月の雀右衛門さんが傾城になっており、星影土右衛門が皐月を我が物としようとしているからです。五郎蔵は皐月のことを信頼していて、土右衛門に好きなようにしろと啖呵をきりますが、土右衛門とその家来のいる前で皐月から退き状をつきつれられたのですから逆上してしまいます。皐月を待ち伏せして、間違って主人の惚れている傾城・逢州(米吉)を切り殺してしまうのです。

逢州の身請けのお金を工面するため、心の内を隠しつつ愛想尽かしをする雀右衛門さんと男の顔をつぶされた仁左衛門さんの対比に躍動感があり侠気の華やかさがありました。その間に坐す左團次さんが鷹揚に構えているのが、一層男と女の心情を複雑にしています。

米吉さんも絶対評価では、『弁慶上使』でのしのぶとは違う傾城に変身していましたが、仁左衛門さんの怒りを静める大役なので、相対評価では少し辛い点数となります。点数よりもやれるということほうが幸せなことと思います。

 

名月八幡祭』は、祭りの中を狂って女にだまされた男が復讐する話です。場所は深川で、芸者・美代吉の笑也さんに惚れた、越後から反物の行商にきている真面目で仕事一筋の縮屋新助の松緑さんが美代吉に翻弄されてしまうのです。

新助は仕事を終え越後に帰ろうとしますが、お得意の魚惣の猿弥さんに祭りを見てから帰るべきだと引き留められます。ところが、魚惣は、引き留めるのではなかったと後悔するようことが起きてしまうのです。美代吉は悪い人間ではないがあの女には深入りするなとも忠告していました。

松緑さんは、低姿勢で信用第一にお得意を大事にし、それでいながらしっかり品物を売っている行商人だということがわかり、だまされたと知るや狂気してしまうのももっともだという人物像を上手く表現されました。

美代吉には、ばくち好きの船頭三次という情人の猿之助さんがいます。さらに旗本である藤岡慶十郎の坂東亀蔵さんがいます。この藤岡から国元へ帰るからと手切れ金を百両渡され、新助の女房になると約束した美代吉は、あんな田舎者とわたしがなんでと一時の気まぐれの本性をあらわしてしまうのです。田畑を売った新助には行き場がありません。本気にするとはと軽くあしらう美代吉と三次。

田舎と深川の色町の金銭感覚の違いをあらわした作品でもあり、その辺も伝わってきます。笑也さんには、台詞に深川芸者の男勝りな言葉もでてきますので、もう少し気風の良さと粋さが増して欲しいです。藤岡は、包容力がありさっぱりした旗本で亀蔵さんの台詞もいいので、顔のつくりがもう少し優しさがあってもいいようにおもえました。

猿之助さんの三次は、美代吉からお金の代わりにもらった簪を挿し、遊びにいくところに無頼さの色気がありました。

松緑さんがこういう役にあっているとは思いませんでした。ただ、3月の歌舞伎座での『どんつく』で表情や顔のつくりから違う面がでてくるのかなという感じはありました。そんな松緑さんや猿之助さん、猿弥さん、亀蔵さん、さらには、竹三郎さん、母役の辰緑さんに囲まれ、国立劇場歌舞伎俳優養成所出身の笑也さんが大きな役に挑戦され、芝居としても面白くなったことは、観ているほうとしても嬉しいことです。

 

 

歌舞伎座6月歌舞伎『御所桜堀川夜討』『鎌倉三代記』

雀右衛門さんの快進撃です。立役に吉右衛門さん、幸四郎さん、仁左衛門さんをむかえて、しっかりした舞台を展開してくれました。その間に挟まって、猿之助さん松緑さんが健闘され見どころのある芝居を見せてくれました。

御所桜堀川夜討 弁慶上使』は、弁慶が生涯に一度だけ契りをむすんだ女性とおもいがけないところで遭遇し、そのときできた娘を忠義のために身代わりとして殺してしまうのです。

弁慶は、義経の正室・卿の君(平時忠の娘)が懐妊したため、頼朝から首を討つよう命令されていました。おさわは腰元となってつとめる娘・しのぶが犠牲となることを拒みます。その理由が、顔を見ていない父親に会わせるまではという理由でした。ところが、その父親であり夫である弁慶にしのぶは殺されてしまうのです。

弁慶も身代わりになるのが自分の娘とは知らなかったのですが、おさわの娘を守る様子を陰で聴いていて知るのです。弁慶の表と裏の心のうち、おさわの夫が解ってもその手で娘を殺されてしまう悲しさ、喜びと悲嘆が同時に訪れるのです。そのあたりを、吉右衛門さんの荒事風の弁慶と、雀右衛門さんのおさわで、それぞれの気持ちの変化をじっくりとみせてくれます。

竹本に乗った雀右衛門さんの動きから目が離せませんでした。気持ちと動きがしっくりとしていました。

脇を又五郎さん、高麗蔵さんが手堅く押さえられ、米吉さんの娘・腰元しのぶが目が見えなくなって父の顔もわからず、可憐な哀れさが、時代に翻弄される悲しさを際立させました。

鎌倉三代記 絹川村閑居の場』は、三姫の一つ時姫の出てくる作品です。お姫様でありながら、恋に対しては一途で大胆なところがあるのです。そこを、お姫様の様相は崩さずに表現しなくてはならないのです。何をしてもお姫様なのです。

<絹川村閑居>というのは、三浦之助義村の母・長門が病床の身で住んでいるところです。源頼家に仕える三浦之助は味方が劣勢なので母・長門に別れにきますが門前で気を失ってしまいます。

ここに三浦之助の許婚である時姫が長門の看病のため来ていて、倒れている三浦之助をみつけます。時姫の出と、三浦之助を介抱する動きが重要で、かいがいしくもお姫様である品と色香と恋する一途さが、雀右衛門さんは芝雀時代よりも芸道が太くなっています。ここも目が離せませんでした。

ところがこの一途なお姫様は、三浦之助の敵側の北條時政の娘なのです。このお姫様の気持ちは三浦之助と佐々木高綱によって利用されてしまいます。佐々木高綱は『盛綱陣屋』で自分の贋首を息子に自分の首だといわせたあのかたです。

ここでも、自分と似ている百姓・藤三郎を自分の影武者として時政に近づけさせ、時政はそれを見破って、藤三郎と女房・おくるに時姫を連れ戻すようにと命じるのです。高綱は今度は、自分が百姓・藤三郎になりすまし、時姫の前にあらわれますが、時姫は父のもとにはもどらないことを宣言します。

しかし、三浦之助はさらに、自分のことを想うなら父・時政を討てというのです。時姫は承諾します。そこへ藤三郎実は高綱があらわれ、高綱の計略だったことをあかします。可愛そうな時姫。そしてもう一人は藤三郎の女房・おくる(門之助)は百姓であった夫が武士となって死ねたことは誉であるといって自刃します。これまた時代に翻弄される身の処しかたです。

時姫さんはそういうことは考えてはいません。一途ですから、恋の一字しかありません。三浦之助を相手に恋のクドキ。父・時政と三浦之助の間に立っての苦悩のクドキ。それでも、選ぶ道は恋の道で、そこを演じきるのが時姫役者さんなのです。

三浦之助の母・長門もしっかりもので、母のことなど心配する時かと息子とは会わないのです。秀太郎さんが、しっかりこの場は押さえられます。三浦之助も色々な役割があるのですが、手傷をおっていますから、大きな動きをせずに堪えつつ、心の内を隠さなければなりません。松也さんは、美しい若武者の姿、形はいいですが、この難役が身につくにはもう少し時間が必要です。

策略家の高綱の幸四郎さんは、藤三郎になりすまし、実はで高綱の大きさをみせられました。この大きさに見合う、時姫役者として雀右衛門さんは最後まで通されました。

最初に、阿波の局(吉弥)と佐貫の局(宗之介)と富田六郎(桂三)が出て、六郎が捕えた高綱はよく似た百姓・藤三郎で顔に入墨を入れられ侍に取り立てられ時姫を連れ帰るように言われ、自分たちも時姫を連れ帰る役目をおおせつかったことをかたり、高綱と藤三郎の関係を説明するかたちをとっています。

それにしてもややこしい話で、時姫は三姫の一つといわれて観てきましたが、今回やっと筋道がたち、雀右衛門さんの時姫を楽しむことができて良かったです。

北条時政は徳川家康、佐々木高綱は真田幸村、三浦之助義村は木村重成、時姫は千姫をモデルとしているそうです。

 

赤坂歌舞伎『夢幻恋双紙 赤目の転生』

<赤目の転生>とあるように、何かを感じた時右目が赤くなる太郎とその幼馴染みとある家族の転生の話しです。

幼馴染は、太郎(勘九郎)、剛太(猿弥)、末吉(いてう)、静(鶴松)で、そこへ歌(七之助)の家族が引っ越してきて男の子たちは歌に関心が集中します。歌には、病気で寝たっきりの父・善次郎(亀蔵)と無頼の兄・源之助(亀鶴)がいて、引っ越してきたのは、病気の父を抱えての貧しさのためです。

太郎は歌に恋をしますが、性格は純情なのですがのろまな太郎なのです。父の死後歌は自分を陰ながら支えてくれる太郎と結婚します。父を歌にまかせっきりで家によりつかない兄の源之助は、太郎の赤目をみて、この男はダメだと言い放ちます。そういう源之助は、右目が怪我のためか布で覆われています。

結婚した太郎と歌は、太郎がのろまで仕事にもつけず歌の借金もありますます貧しくなっていきます。子供から大人はかつらや着物の丈を調節し、貧しさは、かんざしやくしを外し、着物を裏返しにしたりして話しの流れに支障のないように変化させていきます。勘九郎さん、七之助さん、猿弥さんはこの演技的変化はお手の物です。

太郎は、仕方なく、源之助の悪事に手を貸しお金を得ますが、嫌になり手を引こうとして、源之助に殺されてしまいます。<赤目の転生>です。再び、幼馴染は同じ場所に同じ年齢で生き返っています。しかし、太郎は違う人物として生まれかわっています。太郎の人物像によって幼馴染も太郎に接する態度が違っきますからその人生も違います。太郎の歌を想う気持ちは変わりません。

この一回目の転生が一番歌舞伎役者さんの動きとしては見せ所です。歌と結婚した太郎は江戸時代のゼネコンの親分で、源之助の亀鶴さんの出には笑ってしまいました。無頼の兄が、義弟の下で働く腰の低い子分なのですから、この身体の動きをともなった変化は歌舞伎役者ならではです。元気になっている義父の亀蔵さんは、芝居と関係のないハチャメチャな勝手な動きでキャラの違う笑いをとります。

太郎の仕事を受け持ち、いいように使われ痛めつけられる猿弥さんと勘九郎さんのやりとりも、現代を思わせる江戸で、時代の行き来、役者の身体の行き来、心理の微妙な切れ目が赤くなりはじめます。いてうさんの役どころは、自分の立場を上手く売り込むということで大きな変化はなく、上手くこなしました。静の鶴松さんが、歌のために自分を押し込められていた気持ちが爆発し、太郎の情婦となっていますが、歌の七之助さんと対峙する役どころとしては女形の修業がもう少し必要です。

お金では満たされぬ七之助さんの歌は、兄おもいの妹で、それを見る太郎の目は赤い色を発する寸前なのでしょうが、観客には、まだ、太郎の力にものを言わせる性格のためと映ります。またまた歌を幸せにはできませんでした。

次の転生では、お人よしの太郎となり自分の気持ちを隠し、歌を好いている剛太と歌を結婚させます。そして、太郎の転生は驚くべきことに兄の源之助となり、歌とは結ばれることのできない立場にされてしまうのです。やっと、太郎の赤目は、歌の心の底をみることができるのです。

ここで<赤目の転生>は絶望的な果てしなき転生が続くのかどうか、続こうと、嘆こうと、太郎よ歌舞伎だよ、ここで一丁戦いなよと思いました。はっきりさせな。<夢幻恋双紙(ゆめまぼろしかこいそうし)>の歌を想うなら、源之助になった太郎なら、太郎の世界に最初の源之助を呼び出し挑みなさいよと言いたいです。ここで、太郎、歌、源之助の歌舞伎役者の身体を見せて欲しかったですね。<カブキ>とするなら、歌舞伎役者の身体表現を見せて芝居の展開の面白さもみせるというのが基本と思うんですよ。

ここまできたなら、この後があってもいいのではないか。ここからが、さらなる面白さにつながるのではないでしょうか。蓬莱竜太さんには、もし次に挑戦するのならもっと歌舞伎役者さんを身体的に苛めた方がいいですよ。それを表出するのが歌舞伎役者ですからと伝えさせてもらいます。

 

歌舞伎座四月 『桂川連理柵』『奴道成寺』

桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』は、複雑な親子関係の中で我慢しつつも、賢い女房を持ち穏やかに暮らしていた京の呉服屋の主人が、思いがけない事に巻き込まれ心中の道へと進んでしまうという芝居です。上方の心中ものは、お金と女性問題がからみますが、当事者を詰問するのが憎々しいのと同時に、可笑しさを伴っています。

<帯屋>は、主人公・帯屋長右衛門の店先での場となります。長右衛門(藤十郎)は養子ですが、養父は隠居して呉服店帯屋の主人となっりしっかり店を守っています。養父・繁斎(寿治郎)の後妻・おとせ(吉弥)は、連れ子の儀兵衛(染五郎)に跡を継がせたいと画策しており、おりから、兄の長右衛門が受け取ったはずの百両を兄・長右衛門がくすねたと母に告げます。おとせは、さらに戸棚にしまってある五十両を合鍵で奪い、長右衛門がくすねたことのしようと手ぐすねを引いて待っています。

長右衛門がもどり、詮議がはじまりますが、百両にかんしてははっきりしない言い訳で、五十両は戸棚から出そうとしますがありません。

吉弥さんのおとせは憎々しく、儀兵衛の染五郎さんは、母にくっついて動きまわります。その儀兵衛が、今度は、隣の信濃屋の娘お半と長右衛門がねんごろになっていると言い出し、「長様参る お半より」と書かれた手紙を証拠として出します。鬼の首を取ったように儀兵衛はその手紙を読みあげると、お伊勢参りの旅で長右衛門とお半が結ばれたことが書かれており、養父・繁斎もお金はともかく、お半とのことは何んという事してくれたとなげきます。お半は14歳で長右衛門は40に手が届く歳なのです。

夫の立場をよく知り賢い女房・お絹(扇雀)は、「長様」は「長右衛門」ではなく、隣の信濃屋の丁稚の「長吉」の「長」だといいます。笑いころげる儀兵衛。長吉(壱太郎)は、いつも洟を垂らして空気の少し抜けた風船のようにフワッ~としていてとらえどころがないのです。実はこの長吉がお半を好いていて、長右衛門とお半が結ばれる原因ともなったのです。

儀兵衛はそれなら長吉をここへ呼ぼうといい、ここから長吉と儀兵衛のかけあいで、染五郎さんと壱太郎さんのけったいなやりとりとなります。ところが、女房のお絹の扇雀さんの様子では、それとなく長吉を丸め込んでいたらしく、長吉は、お半さんとねんごろしたのは自分で、お半さんは自分の女房だと言い切ります。

なおせまる儀兵衛にくどいといって繁斎は、主人は長右衛門なのだからとおとせと儀兵衛を座敷ぼうきでせっかんします。悪態をつきつつおとせと儀兵衛の二人は退散です。いじめ役の染五郎さん、寿治郎さんに最後は痛い目にあわせられましたが、殺されるよりはましです。

いよいよ辛抱していた長右衛門とお絹夫婦のお互いの心の内を語る場面です。長右衛門はお伊勢参りの帰り石部の宿で、長吉につきまとわれたお半は、旅の途中で同宿になった長右衛門の蒲団に逃げ込んできて同じ蒲団にてと語ります。ことを荒立てたくないしっかりものの女房お絹は、夫の羽織の繕いをし、話しを聞いても夫が疲れているであろうとそこへ寝かせて奥へ引っ込みます。

信濃屋の暖簾をくぐり、ぽっくりの下駄の音も可愛らしくお半が顔をだし、さっと引っ込んでから、再び姿をを現します。お半の壱太郎さんの可愛いらしい出です。壱太郎さんの二役です。この出は上手く計算されている場面です。壱太郎さんはお半のあどけなさが残りつつ、長右衛門を恋しく想う様子を出します。それでいながら、この娘は一大決心をしていたのです。長右衛門の言葉に得心して帰りますが、長右衛門も胸騒ぎがします。

門口には置手紙と下駄があり、お半は一人で死ぬ覚悟です。お半は妊娠しており、そのことがさらに抜き差しならぬ方向へと向かわせるのです。長右衛門の藤十郎さん、手紙を読み、過ちでありながらも一人で死なせられぬお半への愛おしさを、抱える下駄に込めて後を追いつつ花道の引っ込みです。

この芝居は久しぶりにみました。長右衛門の辛抱役で年の差のある過ちとも、潜んでいた心の内ともとれない難しい役どころです。長右衛門は捨て子で、信濃屋に拾われ、五歳で帯屋に養子にきたのです。お半の小さい頃から長右衛門は、お半を可愛がっていたのでしょうし、長右衛門の立場など頓着なく愛らしい笑顔をお半は見せて慕っていたのでしょう。そんな世界に長右衛門はふっと引き寄せられたのかもしれません。しかし、四十の男のとる責任は死出の道しかなかったのです。

強欲さを笑いで、育ての親と子の情愛は背なかで、理想的な夫婦の完璧さの中で、あどけない美し過ぎる乙女が紛れ込んでしまいます。。和事での罪と罰ということでしょうか。その設定のしかたが恐れ入ったと思ってしまいます。

<石部宿>は、京都から東に向かうとき、最初に泊まる宿なのです。ですから、京都へ帰るときは最後の宿でもあるのです。

奴道成寺』。沈む複雑な心持ちの後に控えるのが、名曲にのせた、たのしい舞踊です。鐘の供養に来た白拍子花子が、烏帽子をとってみれば男であったという道成寺物です。花子に化けていたのは、近くに住んでいる狂言師左近(猿之助)。

例によって大勢の所化が登場しますが、そのなかにリトル所化が参加していまして、初舞台の大谷桂三さんの息子さんの龍生さんです。リトル所化なのにしっかり酒のさかなのタコを持参していました。先輩たちの所化(尾上右近、種之助、米吉、隼人、男寅 、弘太郎、猿四郎、笑野、右若、猿紫、蔦之助、喜猿、折乃助、吉太朗)の真ん中でとっても嬉しそうに踊っていました。笑顔いっぱいの小さな所化さんでした。

猿之助さんのおかめ、大尽、ひょとっこの三面を使っての踊り分けが見事で、首から肩にかけての女性、男性の身体の違いをはっきりとテンポよく変化させます。

花四天とのからみは、花四天のかたたちが、長唄に合わせてとんぼを切り倒れ、その音楽性に驚いてしまいました。きっちりあっていました。日頃の訓練のたまものでしょうか。立ち回りとは違う所作立ての動きでした。名曲にあった変化に富む舞踏に『娘道成寺』とは違う味わいを堪能させてもらいました。

 

 

歌舞伎座四月 『熊谷陣屋』『傾城反魂香』

熊谷陣屋』(「一谷嫩軍記」より)は、一谷の熊谷直実の陣屋での出来事です。須磨の浦での戦いの後であり、須磨の戦さとなれば、熊谷直実と敦盛ということになります。それが、歌舞伎になるとまたまたひねってあるわけです。このあたりは、史実を基本として、ひねってそこに現れる人間模様を役者がどう演じるかという観客の楽しみとするわけです。

熊谷の妻・相模の登場です。『伊勢音頭恋寝刃』での万野で『ワンピース』のルフィの猿之助さんをわざと思いえがきますが吹き飛ばされ、相模を見るとたちまルフィも万野も消えていなくなりました。化けるという不思議な現象です。今回はそんなところから、相模と敦盛の母・藤の方(高麗蔵)の母という立場にかなり目がいきました。そして、この二人の母を前にして、いかに熊谷直実の幸四郎さんが母二人を押さえるかが見どころです。その押さえを制札を使い、長袴を二重舞台から投げ出し見得をきる形の極めどころの迫力に、この型しかないでしょうと思いました。先人は上手くできあがらせました。

直実の幸四郎さんが、花道で右手に持っていた数珠を袖の中にいれます。陣屋で家来の軍次(松江)の後ろにひかえている妻を見て驚き怒ります。この怒りは、直実の中に出来上がっていた思案を脅かすことだったからで、さらに藤の方が出現して直実の気持ちは乱されたことでしょう。

敦盛を討った様子を扇を使いながら、語り聞かせますが、幸四郎さんはその扇を艶やかに使いこなされ、悲劇性を打ち消し艶やかさにして自分をだまし、女ふたりをだましているようでした。そして、本当は敦盛ではなく身代わりとして自分の子・小次郎を殺している事実を、自分の中でも敦盛に仕立て上げているように見えました。自分の気持ちを立て直すため、直実は架空の話しの中に入ったとおもいます。

直実が首実検の用意のため奥に入ります。残された相模と藤の方。藤の方は敦盛の青葉の笛を取り出し、相模は供養になるからと吹くことを勧めます。この場の子の死を悼む二人の母の様子から、さらにこの立場が逆転するという事態をいかに直実は押さえるのか。知っていながら凄いことであると改めて思ってみていました。

首実検です。敦盛は後白河法皇のご落胤です。満開の桜の前の制札には桜の一枝を切ったら一指を切れと書いてあります。直実は、それを敦盛を助けよと理解し、代わりに小次郎の首を差し出そうとするわけです。その首に、相模も藤の方も今までの現実とは反対の展開を見せつけられるわけです。藤の方を制札で押さえ、相模を平舞台下手に下がらせ、次に藤の方を上手平舞台へ。幸四郎さんの大きな制札の見得です。

義経の考えは直実の考えた通りでした。そこで、藤の方へ首をお見せしろと下手の相模にいいます。この位置関係、全ては制札から始まり、制札で二人の母を押さえることができたのです。

我が子の首を抱きくどきの相模の猿之助さん。小次郎が別れる時にっこりと笑った顔。おそらくその笑顔には、母の目には凛々しさよりも幼さの残る笑顔だったのだと思わせる母の想いがでていました。

幸四郎さんの直実、相模の猿之助さん、藤の方の高麗蔵さんで、敦盛と小次郎を囲んでの立体感を強く感じました。かつては義経の命を助けた宗清(弥陀六)の左團次さんと染五郎さんの品のある笑みの義経とのやり取りに、繰り返される戦さの儚くも虚しい風景が見えてきます。最後の直実の幸四郎さんは、役目を果たし、一瞬一人の父親にもどりながらも、仏の道に行き着く前の現実の荒涼とした世界をさまよう人のような引っ込みでした。

傾城反魂香』は、言葉の出始めがどもってしまうという言葉の障害がある絵師・又平の女房・おとくに強くひかれました。このおとくという女房はなかなかの女性なのです。きっちり障害者である夫・又平に寄り添っているのです。

又平夫婦は、今はわび住いの師匠・土佐将監(とさのしょうげん)光信夫婦(歌六、東蔵)を毎日見舞って苗字をいただきたいと頼みにきています。今日は、弟弟子の修理之助(錦之助)が絵から飛び出した虎を絵筆にて消したので苗字をもらい免許皆伝となりました。

はやる気持ちの又平。その夫の気持ちをよく知っているおとくは、いままでは女房である自分が師匠に直接頼んだことはなかったのですが、今日こそはと将監に、死んだ後の石塔に土佐又平と残させてくれと頼みます。光信は、絵の功がないのだから苗字は与えられないといい、おとくは夫に師匠は理にかなったことをいわれているといいます。

そこへ狩野雅楽之助(うたのすけ・又五郎)の早報せがあり、花道での又平の吉右衛門さんは一心張り番をします。師匠に言われたことを全身で守る又平の一途さがうかがえます。そしておとくの菊之助さんもしっかり役目を果たせるようにと夫をみつめます。

しかし、又平の役目はここまでで、おおきな役目は修理之助に渡ってしまいます。自分に障害があるからかと又平は師匠に楯突きます。それをおとくは気違いのようにとたしなめます。夫は妻にまであなどられたとおとくをぶちます。おとくは体を張って夫に意見する女性でもあります。

そして死ぬ覚悟の又平に、死ぬ前に手水鉢に自画像を描きその後で自害し、死して名前をもらいましょうというのです。そして、しみじみと十本の指がありながらと又平の嘆きを代弁します。

ここに生きていたそのままの自分を残しなさいと言っているのです。それは、絵ではわからない障害のある一人の人間の心の内も描くという事です。この絵が抜けるのは、そういう意味もあるのではないかと今回想えました。

結果的にこの芝居は願いがかないハッピーエンドとなるのです。絵が抜けてからは、観ている者もほっとします。又平の吉右衛門さんは子どものように体中で喜びをあらわします。将監の妻・北の方もやっと笑顔がみせれるといった喜び方です。将監も絵の功で苗字を与えられるので自分の絵に対する筋が通り安堵です。又平夫婦にとって倖せは今自分たちのものなのです。

菊之助さんのおとくに、改めてこの女性を見直させてもらいました。きちんと障害のある夫に寄り添い、いうべきことはいい、共に死ぬことを覚悟する女性です。近松門左衛門さんの理想の女性かもと思ったりしました。そしてハッピーエンドとはなんとも憎い計らいです。

 

歌舞伎座四月 『醍醐の花見』『伊勢音頭恋寝刃』

醍醐の花見』は、秀吉(鴈治郎)が催したとされる醍醐寺での華やかな花見を題材とした長唄による舞踏です。北の政所(扇雀)を先頭に、淀殿(壱太郎)、松の丸殿(笑也)、三條殿(尾上右近)、さらに前田利家の妻・まつ(笑三郎)が顔をそろえていて、女たちの争いも艶やか中に見え隠れしています。

北政所の盃を受けるのに淀殿と松の丸殿が争い、利家の妻・まつが年の功で一番に受け周りを押さえます。北政所の扇雀さんとまつの笑三郎さんに苦労を共にした貫禄があります。秀吉の鴈治郎さんは、好色家の秀吉の雰囲気をだします。

この権威の象徴の花見に秀次の亡霊(松也)が現れ、石田三成(右團次)と僧・義演(門之助)に伏せられますが、秀吉の花の散り際を予感するような最後の花見の様相をあらわしています。

醍醐寺では、4月の第二日曜日に「豊太閤花見行列」の行事が行われているようですので今年は9日(日)だったのでしょう。

伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』の今回の配役は初めて観る配役の役者さんが多いので、それなりの愉しみ方をすることにしました。

<追駈け>から始まりまして、観ていると音楽劇の様相を呈しています。阿波国蜂須賀家を乗っ取ろうとする蜂須賀大学側とその謀略にはまってしまった家老の息子・万次郎側との名刀青江下坂をめぐってのやりとりです。

大学側の桑原丈四郎(橘太郎)と杉山大蔵(橘三郎)が、大学から岩次宛の密書を持参していて、万次郎側の奴林平(隼人)がそれを奪うため追い駈けるのです。この三人の追いかけっこがお囃子に合わせて可笑しく楽しく演じられます。<地蔵前>、そして最後は、このお芝居の主人公でもある万次郎側の福岡貢に密書が手に入るという<二見ヶ浦>のコケコッコーの鶏の鳴き声とともに上がる日の出の場となるのです。この伊勢参りの定番の場面設定も歌舞伎の手慣れたところです。

喜劇的な部分もあり、全体を見つめる人というのがいないのです。主人公の貢も、大学側にはめられて、怒り心頭となり常軌を逸してしまいます。そのことが、連鎖反応で多くの人を斬ってしまう結果となります。

万次郎(秀太郎)は名刀青江下坂を探しつつも、古市の油屋お岸(米吉)を気に入ってしまい通いつめどうも頼りないのです。万次郎の後ろ盾の福岡貢(染五郎)は今は御師というお伊勢参りの人を世話する下級神官で、油屋にお紺(梅枝)という恋人がいますが、油屋の仲居万野(猿之助)は、貢は油屋にとって客ではないので、上客の大学側の人間についています。

この万野がお金のためならウソ八百の口からうまれたような女性で、貢に岡惚れのお鹿(萬次郎)に貢からとしてお金の無心の手紙を書きお鹿からお金を受け取っていながら、貢にお金は渡っているとして、お紺や客のいる前で責めたてるのです。この万野の意地悪さと激高しつつも押さえる貢との二人のやり取りが見もので、染五郎さんと猿之助さんコンビのしどころです。

原作者はようも話を複雑にしてくれるという内容で、名刀青江下坂は貢の手に入りました。ところがこの刀、自分の身から離したくないのに、万野が預けるのがしきたりと言い放ち、貢のかつて家来だった料理人の喜助(松也)が預かります。ところが、この名刀を大学側が鞘をすり替えてしまいます。喜助はそれに気がつきますが、鞘のとりかえられた本物の名刀を帰る貢にわたします。感情が高ぶっていますから、おかしいとも思わず貢は立ちかえりますが、刀が違うと戻ってくるのです。

それが本物だと告げるべき喜助は、本物の刀が無いと知った万野の言いつけで貢を追い駈けてすれ違いです。もどった貢は、ふたたび万野の悪態に負け、万野を刀で打ちますが、その時刀の鞘が割れて斬ってしまうのです。<油屋>

そこからは、刀に踊らされるように貢は次々と人を斬ってしまいます。ここからの様式美も見どころです。貢の白のかすりの着物が血で染まっています。<奥庭>

もう一つややこしいのが、この名刀には刀の鑑定書である折紙があってそれがなくては片手落ちですからその行方も捜しているのです。折紙はお紺が、貢に愛想尽かしをして大学側を信用させ、手にいれるのです。最終的には、この事実が、お紺と喜助から知らされめでたしということですが、この芝居で、冷静なのは、お紺と喜助ということになります。じっと聞いていて貢の腹立ちを押さえるお岸もその中に入るでしょう。

今回は歌は歌わないかわりに、形で決めて歌い上げる様式の音楽劇に想えてしまいました。伊勢音頭が加わってレビュウの形ともなり、歌舞伎の人というのは、積み重ねてこういう具合にまでもっていける幅ときまり事を連携にしてしまうのかと、いまさらながらその傾きかたを愉しんだ感があります。

今回は先輩達の芸の視点ではない、歌舞伎の多様な万華鏡をのぞいた視点としておきます。

 

国立劇場『伊賀越道中双六』

2014年(平成26年)12月に上演された再演です。演劇全般に与えられる読売演劇大賞が歌舞伎の作品として初めて受賞したのだそうです。歌舞伎は古典のイメージがあり、こういう演劇賞とは縁がないようにおもわれますが、古典作品も現代に通じるという視点をもたせる作品だったということでしょう。

2014年の観劇については書いており、あらすじも紹介していますので、よろしければ下記を参考にされてください。

国立劇場 『伊賀越道中双六』(1) 国立劇場 『伊賀越道中双六』(2)

前回と今回では違うところがあります。前回の<大和郡山 誉田家城中の場>がなくなりました。唐木政右衛門(吉右衛門)が、誉田家に仕官が決まりながらわざと御前試合に負け、敵討ちのため誉田家を去る場面です。ここがなくなり、<相州鎌倉 円覚寺方丈の場><同 門外の場>が加わりました。

沢井股五郎(錦之助)は、和田行家(橘三郎)を殺し、<正宗>を奪おうとしましたが、<正宗>は行家の高弟の佐々木丹右衛門(又五郎)が預かっていてありませんでした。

<円覚寺の場>は、<正宗>と股五郎を交換する場で、<正宗>を渡し、股五郎を護送中、丹右衛門はだまし討ちにあってしまい、股五郎に逃げられます。心配になって駆けつけた志津馬(菊之助)と姉のお谷(雀右衛門)に丹右衛門は、お谷の夫・政右衛門に助太刀してもらい本懐をとげよと遺言するのです。

<円覚寺の場>のほうが、股五郎側の悪戸さが増し、政右衛門の助太刀がはっきりし、志津馬の仇討ちの意志決定の度合いも増しました。そもそも股五郎の図りごとにはまったのは志津馬で、<三州藤川 新関の場>では、お袖(米吉)をだまし、腹のみせずらい役となっていましたが、<円覚寺の場>があることで、それまでの話しに出てくるダメ男志津馬が、敵討ちをする志津馬として観客はのり移れました。志津馬役の菊之助さんにとっては、心おきなくお袖をだませます。

お谷の場合も父の死に続いて丹右衛門の言葉を聞いていますから、政右衛門と会って、もう少しで敵と会えると言われれば子供は寒さからのがれ家の中ですから素直に山田幸兵衛(歌六)の家からはなれられます。

敵討ちに入りやすい状況なのですが、結果的には前回よりも、縛られている人々がより鮮明にうちだされました。素直に敵討ちのためとわが子と離れたお谷のその後の嘆きが伝わります。何のためだったのであろうか。

もつれもつれて、敵討ちという世界に絡めとられていく人々。錦之助さんの股五郎は前回より悪が大きく強くなっていました。憎しみが増しますが、それなのに、敵討ちという道しか進む道のない不条理。あともどりの道がないのです。

莨(たばこ)の葉をきざむ政右衛門の吉右衛門さんの刃の音が、早くなったり、時にゆっくりと強い音になったりして、ここを乗り切ればといった迷いを消そうとするおもいが響きました。その想いが頂点に達した時、人はとんでもない行動に出るものなのだとおもいしらされました。

前回よりも、判りやすくなっているのに、深さが増していました。悲しいながらも、志津馬は周りに助けられながら本懐を遂げることができました。そういう意味では、志津馬という人は恵まれた若者です。

再演で一つの場がなくなって、一つの場が増えるというのを意識して観れたのは初めてでした。前上演も再演も効果を考えられ、思考を重ねられたのでしょう。役者さんも、役どころが深くなっているのも再演の見どころです。幸兵衛の女房・おつやの東蔵さんは幸兵衛とは違い、物事を理詰めでなく情で動くところに暖かさがあり、幸兵衛夫婦に味わいが加わりました。

又五郎さんは、丹右衛門と助平の二役の変化を上手く出されています。吉右衛門さんと歌六さんの師弟関係と敵の立場の複雑さが今回もダイナミックにしめられました。また雀右衛門さんの母としての哀しさが一層細やかで、それを受けとめる吉右衛門さんに口は出さない情がありました。歌六さんと雀右衛門さんは、歌舞伎座との掛け持ちだったのですね。役どころが違うので、それぞれを楽しませてもらいました。

米吉さんのお袖も可愛らしさだけではない、許婚の股五郎を振っての女の性(さが)が少しだけ匂いました。菊之助さんは今回の<円覚寺の場>で、筋の通った役に昇格したと思います。

新しい<円覚寺方丈の場>の床の間の達磨の絵の掛け軸が臨済宗の雰囲気を表していてよかったです。すぐ目につきました。そういうところにも、舞台装置の効果があらわれます。

映像は残りますが、舞台は消えてしまいます。しかし、その時舞台は息をしています。

 

 

歌舞伎座3月『引窓』『女五右衛門』『助六』

『双蝶々曲輪日記(ふたわちょうちょうくるわにっき)』は全九段あり八段目にあたるのが『引窓』です。場所は八幡の里とあり、現在の京阪本線の「八幡市駅」の近くに<引窓南邸跡>の石碑があるようです。引窓のある家が多かったということらしく、登場人物は架空ですから、芝居名のある建物のほうのモデルとしてとりあげているのです。それくらい、この<引窓>は人の心情と切り離せない重要な役目を担っています。

またここは石清水八幡宮に近い場所で、女房のお早がお供え物を持って出て来て二階の窓に飾ります。ススキがあり十五夜だなとわかりますが、明日は石清水八幡宮の放生会なのです。そういう季節の設定もなされているわけです。『日本橋』で橋からサザエをはなしてやりますが、あれは、3月3日の雛祭りです。年の瀬と思っていました『女殺油地獄』は、5月5日の端午の節句の節季(掛け金の決算期)なのだそうで、寒い時期と思って観ていたのが恥ずかしいです。

『引窓』のお早の出も季節感があり、魁春さんのいそいそとしてお供え物を飾る姿には幸せな様子がでています。今、この家の主人・南与兵衛は留守なのです。そこへ、姑・お幸(右之助)の実子・濡髪長五郎(彌十郎)が訪ねてきます。お幸は南家の後妻で、与兵衛は先妻の子で夫は亡くなっています。

与兵衛、お早、お幸は家族ではありながら義理の形で、そこへ実子の長五郎が人を殺して訪ねてくるのです。波風が立たないわけがありません。二階で長五郎を休ませます。

花道から、急ぎ足で与兵衛の幸四郎さんが帰ってきます。着衣を直したりどこか落ち着きません。帰った与兵衛を見て、お幸とお早は驚き喜びます。町人だった与兵衛が亡き父と同じ郷代官に取り立てられ、父の名前南方十次兵衛を継ぐこととなります。お幸は義理のなかゆえ亡き夫に対しても義理がたつと大喜びです。

客があるからと与兵衛に言われ女ふたりは奥へはいりますが、お里の魁春さんが侍姿の夫をほれぼれとして見つめつつ去るところに、廓勤めをしていた名残の色気があり、夫に対する情があります。

ところが出世した与兵衛は、長五郎を捕える側の人間となってしまいます。右之助さんは与兵衛と長五郎の間で揺れる母の心情を細やかに表現され、幸四郎さんはそんな母を実をもって受け止め、母と長五郎の絆を第一に考える腹を見せます。

長五郎の彌十郎さんは、昔のお里のことも知っていて、ここには自分とは違う幸せな世界があるとふっと寂しくなりますが、与兵衛が自分のために出世さえも投げ捨てようとしているのに感じ入り、与兵衛の手柄にと母に頼み、母もそうであったと自分を戒め長五郎を引窓の紐でしばります。

外で様子を見ていた与兵衛は、家に入り、長五郎の縄を切ります。ぱっと引窓があき、十五夜の月の明かりがこの家の人々を照らします。その明るさから、与兵衛は自分の役目は夜の間で、朝になったから自分の役目は終わったと告げるのです。

それは、既に出世を捨てて町人となった与兵衛の心根で、幸四郎さんは曇りのない月明かりのように言い切ります。寸法があった役者さんのほどよいかみ合わせの芝居となりました。

女五右衛門』は、石川五右衛門を傾城真砂路という女性に書き換えた『けいせい浜真砂』で、『女五右衛門』と呼ばれているわけです。その<南禅寺山門の場>で短いですが、あの大きな派手な山門の上に女方で傾城の藤十郎さんが負けることなく、飛んできた雁の口ばしから手紙をとって読み、下に巡礼姿の仁左衛門さんの久吉が現れ、久吉にぱっとかんざしを投げ、久吉はかんざしを柄杓で受け、傾城は手紙をなびかせお互いに見得を切ります。

役者さんの大きさで短時間にみせる、豪華で色鮮やかな心意気を見せ合う場面でした。

助六』は、曽我五郎が身をやつしている名前、花川戸の助六です。やつしているどころか超目立つ江戸の華そのものとなっているのですが。人気者の曽我五郎を江戸仕立てにかぶかせたらこうなるのではといった趣向たっぷりで、黒紋付で着流し風ながら顔には「むきみ」の荒事の隈取をしてしまっているという、まったくもってへんてこりんな助六さんです。そこがまたやんやと女にもてる。意休さんでなくても文句をつけたい御人は沢山いたことでしょう。

頭には紫の鉢巻。病気なのではありません。右側に結ぶと力強さをあらわすんだそうです。襟、袖、裾からのぞく赤。足袋が黄色。そして下駄です。背面には尺八。蛇の目傘を持っていまして、開いたり閉じたり回したり、格好良く傘も遊ばれます。開いてかざしたときの、中の支えの糸が彩りがまた綺麗なのです。四谷怪談の伊右衛門が作った傘でないことはたしかです。花道で、たっぷりやってくれるのが「出場」といわれる演技で踊りではないのです。

先ず口上がありまして、今回は右團次さんがされました。『助六』と團十郎家の関係、後ろで演奏してくれるのが河東節十寸見会御連中で、助六の「出場」だけをそれも成田屋のときだけ演奏してくれるのだそうです。その河東節が開曲して300年で、これを記念しての上演でもあるのです。右團次さん、ご自分の襲名興行での経験もあってか落ち着いた押さえどころのよい口上でした。

『助六』というとぱーっと華やかにぱーっと終わる感じですが、これが2時間という長さなんです。

吉原の仲ノ町の三浦屋前で、傾城が並び、傾城揚巻の雀右衛門さんが酔って登場し、意休相手に、助六が間夫だと言い切りたちさります。間夫は命ですから。

いよいよ助六の海老蔵さんの花道からの登場となり「出場」をたっぷり演じてから、下駄の音も高らかに本舞台にかかり、これでもかと傘をかざしいい形となります。江戸庶民は、自分が助六になって吉原に乗り込んだ気分で入り込んで観ていたのでしょう。そういう意味では、左團次さんは悪役としての威厳あり。敵役はよりにくらしくなくては、こちらの気分も盛りあがりません。

曽我十郎が甘酒屋にやつして菊五郎さんが登場。菊五郎さんの身についた動きと台詞の和事が、荒事と侠客の助六の海老蔵さんを空気のように自然に受けます。喧嘩の仕方を助六は教えるのですが、喧嘩を吹っかけて「こりゃまた何のこったい」と調子を変えてうそぶくところで、十二代目團十郎さんが浮かびます。真面目な方とお見受けしましたのでその落差にふんわりと笑いを誘われました。

当代の海老蔵さんは、年齢的にやんちゃな五郎だけでは物足りないし、かといって分別くさくなっても面白くないし、台詞、姿、形ともに急上昇途上ということにしておきます。

兄弟の母の秀太郎さんは、ふたりをかしこまらさせる威力があり、揚巻も嫁の気持ちでつとめられ、助六の手助けへと展開していきます。

とにかく、色々なタイプの役のかたが登場しますので書ききれなく、楽しみどころいっぱいの江戸の吉原風景です。男なら助六、女なら傾城に憧れるところでしょうが、いやいや、あの重い衣裳を着ての堂々の傾城には憧れる前にへたりまする。