歌舞伎座 壽初春大歌舞伎『井伊大老』『越後獅子』『傾城』『松浦の太鼓』

夜の部からの観劇で、楽しみにしていたのが鷹之資さんの『越後獅子』だったのです。<五世中村富十郎七回忌追善狂言>の<上>で<下>が玉三郎さんの『傾城』です。長唄の詞のほうは流れをつかんでおきました。

越後の名物の<小地谷縮(おぢやちぢみ)>も詞にでてくるのですが、その時、太鼓の二本のバチを横に持ち、一本は固定させ、もう一本を機を織るように動かすのです。初めて気がつきました。獅子頭をかぶり、太鼓をお腹の前にくくりつけ元気に軽快な長唄に乗っての登場でした。足さばきが富十郎さんのようで、よく踊り込んであって心持ちがよかったです。

一本歯の下駄で、白い長い布を新体操のように振るのですが、これも小地谷縮のさらす風俗を踊りに取り込んでいるわけです。鷹之資さんはまだ背も低いので、布を短くするのかなと思っていましたら長いままでした。ゆうゆうと扱っていて、途中で右手のほうの布が絡まってしまいました。あまり無理してもどさなくてもいいわよと思いつつも、もどれ!とこちらは気合いを勝手に布に送りました。少しその都度動きに合わせて動かし無事に形を大きく崩すことなく元のように綺麗に二つの布がゆれています。

鏡獅子での二枚扇のとき、受けるために体の形を崩してはいけないといわれ、玉三郎さんは一度落とすと二回目もさりげなく落とし何事もなかったように踊られていました。

鷹之資さん、しっかりと追善狂言を踊り通されました。お見事です。沢山踊り込んでまた見せてもらえるのを愉しみにしています。

八丁八枚の長唄お囃子連中をバックにしていた関係からでしょうか、その後の玉三郎さんの『傾城』も吉原の仲ノ町の花魁道中の場からはじまり、恋人への手紙を新造に届けさせる場面としました。そして再び幕があがると、紫地に孔雀に牡丹の打掛で、さしがねの蝶々と手に持つ懐紙を泳がせつつ戯れながら踊ります。

これも予習してました。初桜の春、夏衣の夏、秋の三日月の秋、雪の肌(はだえ)の冬と四季が織り込まれていて、クドキ、痴話喧嘩、音頭と流れていきます。最後は黒地に雪と錦糸の鳥の打掛を着て初春にふさわしい豪華さで終わります。衣裳の打掛けの模様が、舞台の情景をも表してしまうあたりが玉三郎さんの演出です。

越後獅子』と『傾城』の舞台をがらっと変えるのであろうかと思っていたのですが、舞台の雰囲気を継続させ、越後獅子の子どもと傾城の大人の世界のどこか共通する健気さと意気地の裏おもてを匂わせつつの二つの舞踏でした。

今回の演目『将軍江戸を去る』『井伊大老』は幕末の歴史的事柄の内部劇であり、『松浦の太鼓』は忠臣蔵の討ち入り当日の外伝物で、どれも台詞劇です。

井伊大老』は、桜田門外で殺される間近の日々の井伊直弼(幸四郎)の心情と、直弼に近い人々との関わり合いをえがいています。<大老>となった時代の流れの中で、直弼はそれから逃れることの出来ぬ自分と大局との折り合いのつけかたに悩みつつも突き進む意志を幸四郎さんは、次第に包み込むような大きさへ変化する台詞術で動かしていきました。

正室・昌子(雀右衛門)は正室ゆえに、直弼のもとに訪れる政治関係の人々の動きを知っています。それゆえ、長野主膳(染五郎)のやり方に批判的で、主膳が連れて来た中泉右京(高麗蔵)にも、良い態度は見せません。雀右衛門さんの昌子は井伊家の正室としての役割を自覚している様子です。そして高麗蔵さんの京貴人風の台詞まわしが、井伊邸にも東西の風が入り込んでいることを思わせ幕末の風がみえます。こういうところにも脇の重要性があります。

下屋敷のほうでは、側室のお静が(玉三郎)が彦根の埋木舎からの馴染みである仙英禅師(歌六)に自分の昌子に対する焼きもちの気持ちや本心を打ち明けます。歌六さんの禅師は、昔から知っているというだけではなく、本心を語れるような穏やかさと世捨て人の明るさがあります。それでいて、小屏風に直弼が書いた「いかなれば 田毎に影の見えながら 空にぞ月の独り住みぬる」から凶兆を感じとります。直弼が下屋敷に寄り、禅師が来ていることを知り、着替えたらすぐこちらに来ると伝えられますが、その何でもないような台詞に、直弼も禅師とゆっくり語りたい気持ちが伝わります。しかし禅師は笠に「一期一会」と書き残し、直弼に会わずに去ります。

直弼とお静は二人だけで、幼き娘の命日と重なるひな祭りの前夜を、彦根のお酒を飲みつつ埋木舎のころに心をもどします。お静は側室ゆえに、直弼と会っている時が全ての観があります。直弼はお静の心の不安さを感じつつ、何があっても身のふりかたは心配するなと語り、お静は思いもよらない埋木舎から今の身の変化から、何があろうとどう思われようといいではありませんかと直弼を励ましつつ、今の時間をいとおしむのでした。

時代の渦として、直弼を殺そうとして失敗する水無部六臣の愛之助さんが、直弼と対峙しつつ直弼の論説に恭順し、直弼の迷う心を染五郎さんが、表情、声質を変えずに冷静な軍師どころを印象づけていました。激しい流れに立ち向かう大きさのある幕末の大老の幸四郎さんです。

松浦の太鼓』は、吉良家の隣の松浦の殿様が赤穂浪士がいつ討ち入りをするかと待ち望んでいますが、いっこうにその気配がないのでご機嫌斜めで、俳諧師の其角の紹介で勤めている大高源吾の妹・お縫いにも、不甲斐ない赤穂浪士の縁続きということで、辛くあたるのです。そんなことを知らない其角は昨夜大高源吾に会って「年の瀬や水の流れと人の身は」の其角の句に「明日待たるるその宝船」と返したと言われ考え込む殿様。そこへ山鹿流の陣太鼓の音。指を折って数える殿様。同門の大石に間違いない。助太刀に行こうとするとき、大高源吾が報告のため訪れれます。態度が一変する殿様。

殿様の身勝手な我儘さも見える演目で、密かに赤穂浪士の討ち入りを待つ、庶民だけではなく上のほうの心情をあらわすお芝居です。播磨屋の持ち役で初代に続いて二代目吉右衛門さんの当たり役でもありますが、染五郎さんが昨年から挑戦されています。

可笑し味と殿様としての風格が必要な役で、まだ風格には時間が必要のようですが、染五郎さんの任に合っています。今回染五郎さんは四役、台詞の工夫に腐心されてるようで、吉右衛門さんの形を踏襲され、この役も座ったままで声を張らせて意識的に伸ばされています。左團次さんのどこかひょうひょうとした感じの其角さんが、若さと殿さまの巾を脇からカバーされています。

お縫の壱太郎が浅草歌舞伎を終わって駆けつけ、殿様の風向きに困りはててかしこまっています。愛之助さんの大高源吾、討ち入り前のすす竹売りが晴れて松浦の殿様の前に義士として現れます。愛之助さん、声が良いだけに役どころが同じように見えてしまい、器用にこなしているなとおもわされてしまうのが損なところです。

新春の歌舞伎座の最後は明るく幕となりました。

 

国立劇場『仮名手本忠臣蔵』第三部(2)

天川屋義平内の場

「天川屋義平は男でござる」で有名な場です。歌舞伎では、商人の家族劇でもあります。

堺の商人・天川屋義平(歌六)は、使用人もやめさせ妻・お園(高麗蔵)も実家に帰します。幼い息子は少し気の抜けた丁稚・伊吾(宗之介)が面倒をみますが、幼いゆえ母を恋しがります。そこへ舅・太田了竹(錦吾)が何で娘を実家に帰したのか、それならかたちだけでも去り状を書けと義平にせまります。義平は考えたすえ退き状を書きます。立場によって<去り状><退き状>となるのが面白いです。<三行半(みくだりはん)>ともいいます。

この了竹が性悪で、去り状をもらったからは娘は自由の身、次の嫁ぎ先へ今日にもと自分の利益優先です。そんな後に今度は十手持ちがあらわれ、大星由良之助に頼まれ武器類を用意しているであろうとの取り調べで、長持ちをあけようとします。

ここからが義平が長持ちに座っての町人の意気地をかけた世間一般に知られている台詞となるのです。子どもを人質にとられ刃を向けられても「誰だと想う、天川屋義平は男でござる」と言ってのけ、さらに子どもを奪い取り、いっそ自分の手でと息子を殺そうとします。

そこへ、由良之助(梅玉)が現れ疑いをかけたことを謝ります。捕手は、義士の大鷲文吾(松江)、竹森喜多八(亀寿)千崎弥五郎(種之介)、矢間重太郎(隼人)の4人だったのです。由良之介の警戒心を見せる場でもあります。

義平の妻・お園(高麗蔵)は去り状を持ってやってきて、息子に合わせてくれと義平にせまりますが、義平はどうしても駄目だとお園が投げ返した去り状を突き返し、お園を外へ出します。今度はそのお園の持っている去り状を奪い取り、お園の髪を切って去る二人の覆面男にお園は悲鳴をあげ、義平が驚きお園を家にいれます。

そこへ由良之助が現れ、大鷲と竹森にやらせたことで、尼になれば嫁にはいけないであろうと時期を待つようにと去り状と切り髪を渡し、義平の働きに、義士の合い言葉を、天川屋にちなんで<天>と<川>にすると告げるのでした。

歌六さんの声と出の大きさ、啖呵の台詞の勢いで、義士を支える町人の心意気がでました。そして、由良之助の指図で行動する、義士の松江さんと亀寿さんのきびきびしてぬかりの無い動きと台詞が、種之介さんと隼人さんに一歩リードしていて舞台を引き締めました。

錦吾さんの了竹に強欲さがあり、わからずに翻弄されるお園の高麗蔵さんに自分で何とかしようとする一心さがあり、宗之助さんの丁稚に気の抜けたひょうひょうぶりが緊迫した場に変化をもたらしてくれました。

梅玉さんの由良之助の穏やかに落ち着いたたたずまいに、由良之助って、上演回数の多い場面では気づかなかった細かい所まで気遣いしているのだと、『仮名手本忠臣蔵』の別の一面を観させられました。

一転、二転する展開をはっきりみせてくれ、予想外の趣きある場面となりました。

最後の場面『十一段目』は、「高家の表門」「高家の広間」「高家の奥庭泉水」「高家の柴部屋、本懐、焼香」「花水橋引き揚げ」と流れていきます。

「高家の表門」では由良之助を筆頭に義士たちが集合していています。原郷右衛門(團蔵)、大鷲文吾(松江)、竹森喜多八(亀寿)がしっかりした佇まいと声量で脇をひきしめてくれます。團蔵さんらに続く松江さん、亀寿さんが心強く感じられる雰囲気になってきました。最後の力弥は女形の米吉さんで一同の中での幼さが出ていました。

矢間重太郎(隼人)、織部安平衛(宗之介)、赤垣源蔵(男寅)、織部弥次兵衛(橘三郎)、矢間喜兵衛(寿次郎)らによる、<天>とく川>の合い言葉の約束事。由良之介の梅玉さんが陣太鼓を打ちます。この打ち方は、来月の歌舞伎座『松浦の太鼓』につながります。

「高家の広間」は、高師泰(男女蔵)と力弥の立ち廻りと茶坊主(玉太郎)と矢間重太郎との立ち廻り。

「高家の奥庭泉水」は、和久半太夫(亀蔵)と千崎弥五郎(種之介)の立ち廻りがあり、うちかけをとって小林平八郎(松緑)が現れ、竹森(亀寿)との気合の入った雪の庭での立ち廻り。竹森足が滑って池に落ち、はい上がって来るのを小林は討とうとしますが、邪魔が入り、池より上がった竹森に切られ、織部弥次兵衛の槍で自らの脇腹を突き死闘のすえ倒れます。

「高家の柴部屋、本懐、焼香」は、柴部屋から矢間重太郎と千崎が師直を見つけ出し、切り付ける師直を由良之助が討ち取ります。

亡君の位牌の前に師直の首級(しるし)を供え焼香しますが、一番は初太刀として矢間重太郎、二番は不憫な最期を遂げた勘平の代理の勘平の義理の兄・平右衛門(錦之助)とし、その他の代表として由良之助が焼香し、かちどきの声をあげます。

「花水橋引き揚げ」は舞台正面の丸くカーブした橋の奥から義士の面々が姿を現します。そこへ、若狭之助(左團次)が現れ、由良之助と対面。由良之助は本懐を遂げたことを報告します。若狭之助は自分も師直から恥辱を受け、もしかすると自分が判官の立場であったかも知れぬと礼をいい、それぞれの名前を聞きたいと申し出ます。

ここから由良之助をはずして四十六人一人一人の名乗りとなります。これは時間がなければできない場面と思いますが、三ヵ月間、この『仮名手本忠臣蔵』に携わった人々の代表でもあり良い場面でした。

四十七士が橋の前で並んだ姿はまさしく民衆が歓喜した浮世絵のような立ち姿で、判官の菩提寺光明寺へと花道をゆうゆうと去っていくのでした。

芝居では場所を江戸から鎌倉にしていますので、両国橋は花水橋となり、泉岳寺は光明寺となるわけです。

若狭之助の左團次さんが、扇を上げ目出度い目出度いといいます。最後に由良之助の梅玉さんそれを受け静かに花道へと入っていきます。というわけで、目出度く幕となりました。

さて、こういう企画はいつになりますか、もう個人的にはお目にかかれないでしょう。幾つかの場面は観れるでしょうから、その時は、今回の役者さんたちが、どんな役をされるのかを楽しみにしておくことにします。

長く伝えられてきた作品は台詞も練り上げられ、重要な台詞が沢山あり、その配分のしかたが大変であることもわかりました。こちらを重くするか、いやこちらかなど、迷路のような感じもします。

来年の新たな出会いを楽しみに、お芝居はこれにてチョン。

 

国立劇場『仮名手本忠臣蔵』第三部(1)

三カ月続いた忠臣蔵も終わりの月となりました。三ヶ月に分けてということでしたので上演時間にもゆとりがあるためでしょうか、ラストは、浮世絵に出てくるような引き上げの場となりました。

道行旅路の嫁入り

加古川本蔵の妻・戸無瀬(魁春)と娘・小浪(児太郎)が、許婚の大石力弥のもとへ行く旅路です。舞台の後ろの背景と竹本を聞いていますと、東海道を使って京の山科へとむかっているようです。詳しく知りたいので上演台本を購入しました。

松並木から富士山の姿となり、薩埵峠(さったとうげ)、三保の松原、駿河の府中、鞠子川、宇津の山、島田、吉田、赤坂、琵琶湖の浮見堂、庄野、亀山、鈴鹿越え、土山、石部、大津、三井寺、山科へと、こんなにたくさんの宿場名がでていました。富士山からは煙が出ていたころのようです。

この舞踊は観かたを誤っていたのかもしれません。次の『山科閑居の場』での内容が頭にあって、『道行旅路の嫁入』も悲劇的に捉えてしまいますが、まだ先の運命はしらないのですから、もうすこし愉しむ気持ちで受け取ったほうがよいのかもしれません。

小浪の児太郎さんは力弥に会えるのですから嬉し恥ずかしで振りも一生懸命です。戸無瀬の魁春さんは歌右衛門さんの面影が垣間見られましたが、義理の母親ということもあって責任感のためか老けた感じでした。反対にここは生さぬ仲の娘と、旅で出会う様々なことを楽しむということでもいいのではないかとも思いました。

そして『山科閑居の場』できりっと母の腹を見せるというかたちで、その想像できなかった変化と闘う姿として強調されてもいいような気がします。<限りある舟急がんと、母が走れば娘も走り>のところが戸無瀬について走る小浪も可愛らしく一瞬たのしかったので、『道行旅路の嫁入り』の台本の全体像から考えて、娘のための旅で初めてこころが通い合う時間とも考えられました。

自分の中でも、もう一回考え直したい作品の一つとなりました。

師走に舞台での思いがけない東海道中の再現に出会い、友人の個人的事情から鈴鹿越えは残っていますが、東海道中の今年の締めとなりました。

山科閑居の場

<雪転し>から始まりました。祇園から一力の女将(歌女之丞)等を連れて山科の自宅に帰る由良之助(梅玉)、大きな雪の玉を転がしつつのご帰還です。むかえる妻のお石(笑也)がお茶をだすと無粋と言われます。せっかくの酒が覚めるということですが、栄西が二日酔いの源実朝にお茶を出したのいわれを思い出しました。

<雪だるま>といえば胴とその上に乗せた頭で<だるま>となりますが、台詞に<雪まろめ>の言葉があり、コロコロ転がしていくうちに大きな雪の玉となることをいうのですね。素敵なことばです。

その雪まろめに対して由良之助は、力弥(錦之助)に何と思うかと聴きます。この由良之助と力弥の問答、さらに、この場の終焉に大きな意味を持って雪まろめは出現するのです。

戸無瀬(魁春)と小浪(児太郎)大石宅に到着です。戸無瀬はどんなことがあろうと小浪を力弥に嫁がせる覚悟です。それに反しお石はつれなく力弥に代わって去るとしてその場を立ち去ってしまうのです。戸無瀬の帯に差した扇子が真ん中にあって、これは、主人本蔵に代わってという意味で刀を持参していて、その刀を差す場所をあけているということなのでしょう。

残された戸無瀬、義理の母ゆえかと自刃を決意し、小浪は力弥に捨てられては生きて行けぬと母の手で死にたいと申し出ます。ふたりはお互い納得し、母は娘に刀を振り上げます。今回嬉しかったのは早い段階で自分の耳が虚無僧の尺八の音をとらえたことです。気にせず舞台に集中していたのですが、ふーっと音が入ってきたのです。「やったー!」です。

「御無用」と二回声がかかり、戸無瀬は虚無僧の尺八の音かと戸惑いますが、止めたのはお石でした。二人の心意気に免じ祝言を許すというのですが、差し出す三方へ本蔵の首が欲しいというのです。

凄い展開です。主君塩冶判官が本懐を遂げられなかったのは本蔵が止めたからで、そんな男の娘と力弥をそわせられるかということです。

そこへ虚無僧に身を変え尺八を吹いていた本蔵(幸四郎)が現れ、お石を愚弄しお石は槍をとります。しかし女の身にて本蔵にあしらわれてしまいます。母を助けるため力弥が飛び出し本蔵に向かいます。ところが、本蔵はここぞとばかり、力弥の持つ槍で自分の脇腹を刺すのです。

幸四郎さん、現れた時から悪役のような憎憎しさの大きさを見せ、自ら引きつけた死を由良之助の梅玉さんは見抜いており、初めて本蔵は誰にも語らなかった本心を由良之助にあかします。そして、せつせつと小浪に対する親心となります。自分の死をもって娘の倖せを願う塩冶側から恨まれている親子の情をここでは描かれているのです。

力弥がサァーと障子をあけると、そこにはあの雪まろえが二つの五輪塔となっていました。力弥が日蔭に作り置いたのです。由良之助は力弥に言いました。< みな主なしの日蔭者。日陰にさえ置けばとけぬ雪 > 良い台詞が散りばめられています。

本蔵は嫁の親として信用されたことを喜び、婿への引き出物として師直の屋敷の地図を渡します。さらに身内として心配する本蔵に力弥は雨戸を外す工夫をみせます。ここは大石家と加古川家の縁戚となった特殊な交流でもあります。そして由良之助は、力弥に一夜の暇を与え、一足さきに虚無僧姿で堺へ向かうのです。

この段は、大きな武家社会の流れのなかで、加古川本蔵の娘が力弥の許嫁であったという設定によって、主役である大石家と加古川家の家族劇となっています。そうすると、勘平がおかるの実家に落ちたことで、こちらは貧しい田舎の猟師の家族劇ともいえ、山科は武士の家族劇をあらわしているととれます

火花散る場面の多い山科ですが、お姫さま役としての印象が強い笑也さんのお石には驚きました。風格は無理としても芯のあるお石で、新境地を開拓されました。錦之助さんの力弥、隼人さんの力弥とは違う芸による若さの力弥で、小浪の初々しさに負けぬはじらいと仇討の一途さをあらわされていました。児太郎さんは、国立劇場と歌舞伎座での大役に押しつぶされることなく頑張られ、充実した師走となられたことでしょう。

『仮名手本忠臣蔵』三部の中心的九段目を、魁春さんは義理の身の複雑な心境をあらわし、梅玉さんは短い出でその腹の内をおだやかに静ひつに出され、幸四郎さんは、武士のたたずまいと風格を崩さずに主君に仕える身と、一人の親としての情愛の変化を起伏をもってあらわされ、この段の見どころをささえられました。

 

歌舞伎座『二人椀久』『京鹿子娘五人道成寺』の二回目

参りました。良い意味でこんなに変わってしまうのかと。

先ず席に座り、あれっ!と思ったのが緞帳です。緞帳に<LIXIL>とあり、私が京橋のギャラリーで見た和紙展はこの「LIXILギャラリー」だったのです。

舞い扇も和紙からできています。紙は折ると折り目がついて閉じたり開いたりします。布は折っただけでは折り目がつきません。

一度目の『二人椀久』のとき、花道での舞い扇が無地の裏表色違いに見えたのですが、椀久と松山のときは金の三日月のような絵が入っていて、二人でその扇を眺めるのですが、扇に月夜が映っているような感じで、これは椀久が木に隠れたときに取り変えたのか、それとも、花道での扇を私が見誤ったのか、二回目はしっかり見定めようと思って見ましたら、前回と扇が違っていました。銀をちりばめたような模様が入っていて、今回はそれに合った雰囲気でした。

勘九郎さんの椀久には涙ぐんでしまいました。椀久は全く他の人が入れない世界の中にいました。前回もそれはありましたが、その非じゃありませんでした。自分だけの世界のなかで動きにまかせて自分のリズムで踊りつつ漂っているのです。

松山が出てくるのは決まり事でわかっています。今回は椀久に呼ばれて松山が出現するのだという事を教えられました。椀久に松山を出現させる力があったということです。椀久に呼ぶ力がなければ松山は出て来ないのです。言い方を変えれば踊り手に力がなければ松山は出てこないのです。

玉三郎さんの松山が静かにゆったりと現れました。それが当たり前のように。当たり前じゃないんですが当たり前であるということが大事なんです。上手く云えませんがそこは感じるしかないです。勘九郎さんが感じさせてくれたのですが。

そして二人だけの世界の中で、時には軽やかに楽しそうに踊ります。前回は、ちょっと待って、この踊りこんなに暗かったかなあと半信半疑だったのですが、そうですこの感じですとやっと、勘九郎さんと玉三郎さんの『二人椀久』として味わうことが出来ました。時間が経過すれば変わるとは思いましたが、こんなに満足でき堪能でき愉しめる世界になっているとは。やはり日を置いて二回観るにしておいて良かったです。

そして扇を二人で眺めつつ、玉三郎さんが、花びらを扇からつまんで飛ばすような仕草があり、扇の柄と関係しているのかなとも思いました。

現仁左衛門さんが襲名のおり<仁左衛門展>がありまして私が見ている時お弟子さんでしょうか、『二人椀久』の扇を今はこれではないのでと取り換えにこられたことがあります。「早く気がついてよかった」と安堵されていて、やはり踊っていかれるうちに踊りの世界と合うものを選ばれていくのかなと思ったことがありました。

書いていると、前回観た『二人椀久』も捨てがたくなります。こうやって、組む方によってその踊りの世界ができ上っていくのかと前回の踊りも、何かいとおしくなります。でもそれは、より作り上げられていく世界が上を目指しているからでしょう。

これが、玉三郎さんの若い役者さんや芸能者の育て方です。自分が愉しんで踊れたり演じたりできる世界まで引っ張て行き、その世界でゆうゆうと愉しんで踊られるのです。

松山を出現させた椀久、松山を愉しませることができたのか。勘九郎さん前回より松山を受け入れる態勢十分です。並んで背中合わせに座り、お互いの手が並びます。あの手重なるのであろうかと視ていましたら、お互いの肩と背が押し合いをしてそして手が重なりました。

ここは手が重なるところですから、ではないんです。お互いの心の流れがなす所作なんです。参った、参ったです。20日弱でこの世界になるのかと、椀久に連れられていった幻の世界でした。長唄もやはり素晴らしい。踊りと一体でした。

京鹿子娘五人道成寺』は、それぞれの持ち場が明らかになり、一人での『京鹿子娘道成寺』の踊りと重なって整理されあそこは、誰と誰が組んで、ここは玉三郎さんがということが浮かんできます。女子会はもちろん楽しかったですが、それぞれの踊りの輪郭がはっきりしてより立体感のある道成寺になっていました。

花道の出は七之助さんで花道のスッポンから勘九郎さんが出て二人で踊り、勘九郎さんが消えて七之助さんが所化との問答へ。所化の亀三郎さん、萬太郎さん、橘太郎さん、吉之丞さん、弘太郎さん等が声もさわやかに白拍子花子の美しさを楽しんでいました。

烏帽子を受けとり、そこからは玉三郎さんです。烏帽子も和紙で出来ているのではないでしょうか。赤の衣装から薄桃色の衣装に引き抜きされて、本舞台が玉三郎さん、勘九郎さん、七之助さんで花道に梅枝さんと児太郎さんと。児太郎さん、国立劇場との掛け持ちでした。

勘九郎さん・七之助さんと梅枝さん・児太郎さんが本舞台と花道の位置を取り換えます。そのあたりもさらさらと動かれて交替して綺麗です。

花笠踊りは児太郎さんで花笠も和紙なのではないでしょうか。恋の手習は玉三郎さんで、あの手ぬぐいの材質は何なのでしょうか。柔らかさからすると綿ではないでしょう。そんなことも気になりました。手ぬぐいの扱いが優しく美しく色っぽく品があり千変万化で、玉三郎さんにあやつられる幸せな手ぬぐいです。

羯鼓(かっこ)は息のあった勘九郎さんと七之助さん。そして、紺と紫の混ざったような衣装の梅枝さんが雰囲気を替え、引き抜きで白地になり、五人の鈴太鼓。前回はここが印象的だったのですが、それぞれ踊り込んできたからでしょう、そこまでの踊りにきちんと起伏が残り、やりましたねと語り勢いを付けつつ、さあー最後の仕上げにいきましょうかと暗黙の了解という感じで鐘入りに向かいます。女子会美しくて恐ーい。

鐘の上は、玉三郎さんと勘九郎さん、下の段差に七之助さん、梅枝さん、児太郎さんでした。ずっと愉しくて指で拍子をとりつつ観ていました。

休憩時間に久しぶりで舞台写真を見にいきましたが、皆さんいい表情をされていました。記念に玉三郎さんを真ん中に鈴太鼓を持って座っている微笑ましい娘五人の写真を購入してきました。

これで、勘九郎さんの椀久、玉三郎さんの松山、玉三郎さん・勘九郎さん・七之助さん・梅枝さん・児太郎さんの白拍子花子しっかり記憶の一ページに納めました。

頭の中で『京鹿子娘道成寺』の音楽と映像が断片的に回っています。

 

 

十二月歌舞伎『寺子屋』『二人椀久』『京鹿子娘五人道成寺』

寺子屋』は、勘九郎さん、松也さん、梅枝さん、七之助さんが大役に頑張っておられるが、やはり若すぎます。こういう時代物はやはり先輩たちが空気を締めてくれるから若手も光るので、自分のしどころだけでいっぱいいっぱいであるからして、からみが面白くならず、すーっと流れてしまう感じです。

今回観ていて、大役がくるこないではなく、先輩たちの間に入って順番に教えを受けて進むということが、いかに恵まれたことであるかということが実感されました。しかしそんなことは言っていられない歌舞伎界の現状ですから、とにもかくにもこの作品の自分の原点を見つけていただきたいです。

勘九郎さんは、きちんと作品の解釈をできる人です。泣き過ぎないでください。松也さんは声の響きが良いのですが、それに甘えすぎずに工夫してください。梅枝さんは古風さがよいところですので、そのままで全体の浮わつきを押さえてください。七之助さんは泣いて松王丸に怒られたらじーっと耐えてください。

これは、私が観た『寺子屋』の先輩役者さんたちの良かった場面を勝手に思い出してピンポイントで思った感想です。そして一番肝心なことは、こうした感想を吹き飛ばす負けん気と若さを発揮していただきたいです。

勘九郎さんの他の作品ことを書かせてもらいますが、井上ひさしさんの『手鎖心中』を小幡欣治さんが脚本にした『浮かれ心中』というのがあります。兎に角世の中に注目されたい栄次郎が絵草子を書いて死後にその絵草子が世の中に認められるのですが、ラストで栄次郎は宙乗りであちらの世界へいくところで、友人の太助が栄次郎に声をかけます。 <茶番でも本気に勝てる気がしてきた。太助の名前を式亭三馬にかえてあなたの分まで書きます。> 栄次郎は答えます。<たくさん書いてくれ。絵草子の中には夢と笑いがつまっているのだから。>

勘三郎さんの栄次郎と三津五郎さんの太助の時、勘三郎さんならではの華やかで、観客は手をたたき盛り上がるしでこのラストがぴりっとした栄次郎と太助の絆がなくて、私的には不満だったのです。ところが、勘九郎さんの栄次郎と亀三郎さんの太助の時 <茶番でも本物に勝てる> の言葉が生き、栄次郎のばかばかしい生き方が無駄ではなく太助に受けつがれるのだとジーンときまして、そうだよこの作品はこうこなくてはと、すっきりしたことがあります。

勘三郎さんのときはもっと盛り上がったがという意見のかたもいましたが、たとえ勘三郎さんでも盛り上がればいいというものではなく作品の中から観客に伝えたいことがあるとしたらそれを伝えなくてはと、私は勘九郎さんに軍配をあげました。

何を言いたいかといいますと、古典でも勘九郎さんは勘三郎さんを越す時がくるということです。ということで、『寺子屋』のことを書くテンションが上がりませんでしたが、若い役者さんたち時代物も頑張ってください。

二人椀久』の勘九郎さんは動きを一つもおろそかにはしないぞという感じでした。玉三郎さんの松山との踊りにもまだゆとりがありませんでしたが、日にちが立てば、変化していくことでしょう。今回はどう変化するかを確かめにいきます。

京鹿子娘五人道成寺』は最初から、玉三郎さん、勘九郎さん、七之助さん、梅枝さん、児太郎さんの五人も白拍子花子がいるのでは、一回ではとらえきれないと二回いくことに決めていました。五人の配置はどうなるのか。最後、まさか五人が鐘に乗るわけではないであろうしと楽しみでした。

目移りはしましたが、花道二人で本舞台三人とか、それが入れ替わったり、「恋の手習い」は玉三郎さん一人で踊られてたっぷりという感じだったり、おかしかったのは、梅枝さんがひとり紫地の衣装を引き抜くと、四人の白拍子花子がさーっと登場して鈴太鼓を使うのです。白拍子花子の女子会で、そこに玉三郎さんが違和感なく加わっているのが可笑しくて、鈴太鼓の軽快さが楽しさを増してくれます。しかし、鐘に対する恨みを忘れているわけではありません。鐘の上は玉三郎さんと勘九郎さんで蛇の尾をあらわすように下に段差をつけて七之助さん、梅枝さん、児太郎さん三人が並ばれました。並んだ順番は記憶していません。

書きつつ思いました。二回目もぼーっとして楽しんで来ようと。

道成寺を観ていて一つ気にかかっていたことがやはりとおもうので書き足します。十月の新橋演舞場の『GOEMON 石川五右衛門』ですが、出雲阿国の壱太郎さんが五右衛門の愛之助さんからフラメンコを習って踊る場面があるのですが、あそこは、五右衛門から受け継ぐという意味で途中から日本の楽器をもって、阿国が歌舞伎に取り入れたとしてつなげて欲しかったと思ったのですが、今回その気持ちがよみがえりました。

そして権力者秀吉の座る場にはあの秀吉なのですからその工夫を考えてもらいたかったです。舞台装置が鉄骨のような無機質感を出していましたが、フラメンコとのコラボということなのでしょうが、芝居の中には流れがあるわけですから、筋を説明するながれとフラメンコだけでは薄すぎると思いました。

五右衛門と南禅寺の山門の場も、あれは、五右衛門が南禅寺の山門を自分を大きく見せるために盗んだともいえるんじゃないでしょうか。そこを台詞だけで聴かせる意味はなんなのか。秀吉も登場しているのに。よくこのへんもわかりませんでした。パフォーマンスに終わってしまった感じでした。

歌舞伎も次々と新しい試みがある昨今ですので、観客も整理のつかぬまま混乱気味ですので筋違いにはご容赦を。

 

十二月歌舞伎座『あらしのよるに』『吹雪峠』

三部制の一部は新作歌舞伎『あらしのよるに』です。原作がきむらゆういちさんで、絵本の「あらしのよるシリーズ七巻」のようです。歌舞伎のほうでほろりときて、絵本のほうをよんだところ、絵本のほうが一冊ごとにほろほろで図書館の児童室で、あらしのよるぽろぽろでした。

お芝居の休憩時間のとき観客のかたが「これは親子劇場とかで観せるといいよ」といわれていましたが、私もその意見に賛成です。国立劇場で歌舞伎鑑賞教室などやっていますが、もっと年令を下げた観客に歌舞伎を観てもらう演目として、もう少し短くして解説無しでやるとよいと思います。

お話の中に引き込んでいく力がある作品ですので、芝居を観る中で、歌舞伎の音楽、歌舞伎ならではの動物のしどころなどを無で受け入れてもらえると、どこかで刺激のボタンが作用して興味の広がりのきっかけとなるのではないでしょうか。全国を駆けめぐってもっと若い若い歌舞伎ファンの種をまいてほしいと思います。

今まで子どもが入り込める作品がなかったので、狼のがぶの獅童さんと山羊のめいの松也さんのがぶとめいの登場は画期的です。原作の持ち味を壊さずに歌舞伎化されました。童話などは深く考えると怖さがあるのですが、この作品も、肉食と草食の動物の友情ですから、一緒にいながらも二匹には常に葛藤があるわけです。これって現実に合わせると凄くつらいことでもあります。そこさえも上手くいかして、狼と山羊の世界のぶつかり合いや権力闘争を加えて歌舞伎様式を使い話しを広くしたのも舞台の動をつくり、がぶとめいの友情の焦点を持続させました。

絵本でみて読んだお話しが時間が過ぎてふーっと思い出すように、小さいころにみた歌舞伎をどこかで思い出し、歌舞伎を観てみようかなと思ってくれるような人生での出会いの作品として尊重すべき作品になるとおもいます。内容や細かいことは絵本を開いたときのようにそれぞれの世界観におまかせします。

二部の『吹雪峠』を観終ったかたが、『あらしのよるに』は入って行けたのに『吹雪峠』は入って行けなかったと言われていましたが、これは入っていく作品ではないでしょう。あらしの夜ではなく吹雪の夜は裏切った人間同士が出会ってしまうのですから。

吹雪の夜やっと小屋にたどり着いた夫婦はいろりに火を入れ一息ついての会話の中に一人の男の話しがでてきます。どうやらこの夫婦は、兄貴分の男を裏切った兄貴分の元妻・おえんと弟分・助蔵のようです。助蔵は兄貴分を裏切ったという気持ちがあり、自分の病気もそのことで罰が当った思っているところがあります。そんな助蔵をおえんは今を大切にしようと助蔵の気を振るい立たせます。

そんなところへ、一人の旅人が吹雪に難渋し小屋にたどり着き、おえんは自分たちもこの小屋に助けられたので快く応対します。その旅人が二人が裏切った直吉でだったのです。事情のあるもの同士がこうした場面に合った場合、人間の心理とはどう動くのであろうかという密室劇です。

いったん二人を許す直吉が、突然二人に小屋から出ていけと伝えます。そこからおえんと助蔵の命乞いがあり、おえんと助蔵はお互いに相手を口汚くののしり始めます。それを見て直吉は自分から吹雪の中に出ていくのです。この芝居役者さんによって雰囲気がちがってきます。どうも、おえんは色男で優男の助蔵に魅かれて、そんなおえんに抵抗できず間違いをおかしたようです。助蔵の松也さんとおえんの七之助さんにはそんな感じがありました。

直吉の心は。これが難しい。中車さん、台詞の見せ所ですが、心理劇で、ここでこうだからこう結論が出るというものでもありません。格好良く許したが、それは本当の心ではない、この状況がいやになってふたりに、自分の前から姿を消せということでしょう。ところが益々人間の欲が見えて来て、このシチュエーションから俺は降りるぜということのように思えました。外は吹雪です。吹雪はおさまっていないのです。

恰好の良い股旅ものではありません。心理描写は直吉にまかされています。しかし台詞で全部語られるわけではありません。直吉はおえんの本質をすでに知っていて、それでも惚れている自分をもてあましたのかもしれません。そのあたりの想像の世界は観客にゆだねられています。そういう直吉の中車さんの台詞術でした。

すまないと思いつつも自分可愛さの人間性を助蔵の松也さんとおえんの七之助さんが上手く出していました。原作は宇野信夫さん。演出に玉三郎さんの名前がありました。

 

国立劇場 『仮名手本忠臣蔵』第二部(3)

七段目』<祇園一力茶屋の場>

勘平が亡くなってしまい、年季5年の奉公で給金100両でおかるは一文字屋へ売られていきました。年季5年といえども、衣類や生活品は自分で調達するのですから借金がかさみ、年季の期間は伸び、ここから抜け出せる一つの方法が大金をつんでくれる人がいて請け出されるというかたちです。

一力茶屋では、大星由良之助が放蕩している場所でもあり、おかると由良之助はどんな出会いをするのでしょうか。

幕が開くと華やかな祇園一力茶屋の部屋で仲居がずらり。花道からは、斧九太夫(橘三郎)と鷺坂伴内(吉之丞)が一力茶屋へ。斧九太夫は、おかるの父からお金を盗み、勘平に殺された定九郎の父で、城明け渡しの前の評議で貯えのお金の頭割りに反対したひとで、強欲な人物です。その人が師直側の鷺坂伴内といっしょです。なぜか。由良之助が師直を討つ気があるかどうかを見極めるためであり、伴内と内通しているのです。お金を積まれたのかもしれません。

さらに由良之助を訪ねてくるのが、赤垣源蔵(亀三郎)、矢間重太郎(亀寿)、竹森喜多八(隼人)、寺岡平右衛門(又五郎)です。由良之助の本心を確かめにきたのです。由良之助は目隠しをして店の者たちとの鬼ごっこ遊びです。店の華やかなにぎやかさ中での遊び人由良之助の吉右衛門さんの出です。

由良之助は遊びに興じている雰囲気のまま、血気だった三人と足軽の平右衛門を軽くあしらい難なく煙にまいて寝てしまいます。声の大きさだけでは勝てませんでした。そこへ力弥(種之助)が父のそばによりチャリンと刀の鍔音を鳴らせ門口へさります。刀の鍔音は、義太夫が説明してくれます。そこで観客は勝手にチャリンと音をつくっています。ほかのかたはカチッかもしれません。

由良之助酔ったまま、水をもってこいとか叫び仲居のこないのを見届けて門口へ行き、打って変わったきびしい態度で力弥から文を受け取ります。さっと帰る力弥を呼び止め「祇園町を離れてから急げ」と。この言葉好きです。用意周到な由良之助がぱっーとわかり腹もわかります。好い場面です。

すぐに文は読めません。九太夫が現れ宴席となり、亡き人の忌日の前夜を逮夜(たいや)というらしいのですが、主君の逮夜に生ものをすすめ、由良之助はにこやかに食べます。九太夫はこれで腑抜けな由良之助であろうと伴内に納得させ、自分はさらに手紙のことを知って情報を得ようと縁の下へ隠れます。

由良之助はやっと文を読むことができます。ところがその文を二階の部屋から鏡に写して読んでいたのがおかるなのです。おかるは雀右衛門さんです。由良之助は上のおかると下の九太夫に気がつきます。

騒がずあわてず上機嫌の様子は変えずに由良之助は、おかるを二階からおろし、身請けをして三日後には自由にするといい、店の主人に金を払ってくるからここにいるようにと告げます。おかるにとっては夢のようなはなしで、さっそく実家に手紙を書きます。そこに再びあらわれた平右衛門。かれは、おかるの兄だったのです。

身請けの話しを聞き平右衛門は考えます。このあたりが身分低い足軽の可笑しさをもあらわす場面で又五郎さんは一生懸命考えます。彼はかれなりの義士に加わる道を模索しているのです。平右衛門は理解します。由良之助は大事の文を読んだおかるの口を封じようとしているだと。妹のおかるを自らの手で亡き者として手柄としようと考える平右衛門。

二階の場から突然思わぬことの起こるおかるのしどころを雀右衛門さんは遊女であったり、妹であったり、娘であったり、妻であったりと変化をあらわし、勘平が死んだと聞いて覚悟の決まるおかるの気持ちをしっかりだし、そんなおかるを又五郎さんが受けとめます。

そこへ由良之助が止めにあらわれます。この時は国家老である由良之助その人です。平右衛門はあずまへの供を許され、勘平は加わっているが死んでいるため敵をひとりも討てないであの世で主君に会うのでは可哀想だからと、縁の下の裏切者九太夫を勘平の代わりにおかるに討たせるのです。

苦しむ九太夫を扇で打ち据える由良之助の吉右衛門さん。獅子身中の虫とはおまえのことだと怒り爆発です。建夜に魚肉を食べさせられた時の心中は、その時の笑みとは違う無念の苦渋だったわけで、ここまでの理不尽さを全てここではきだすような感じでした。

派手な放蕩遊びの鎧を脱ぎ捨て、あずま路に向けての道も決まり新たな心根の由良之助の吉右衛門さん、夫・勘平にはなむけできたおかるの雀右衛門さん、願いがかなった平右衛門の又五郎さんで一力茶屋での幕となりました。

あっ、斧九太夫さんの橘三郎さんもいました。平右衛門の背中でこれから鴨川で水雑炊を喰わされるのです。九太夫さん、やり過ぎたと思っても今回の由良之助さんには通じません。あとの祭りです。

 

国立劇場 『仮名手本忠臣蔵』第二部(2)

六段目

勘平とおかるは、おかるの実家である与市兵衛の家に住んでいます。家には勘平はまだ帰っていなくて、お客がきています。お客は一文字屋の女将・お才(魁春)と判人の源六(團蔵)で、残りの半金50両を持ってきていておかる(菊之助)を連れて帰ろうとしています。

おかるの母・おかや(東蔵)は夫が帰らないので、昨夜与市兵衛に半金渡したからと言われても気がかりですが約束なのでおかるを渡し、おかるは駕籠に乗り花道で、夫の勘平(菊五郎)と出会います。勘平は駕籠を家に戻します。

それまで単純に考えていた源六も若主人が出て来たので道中着を羽織りに着替えて、女将に頭を下げ交渉に入ります。事情のわからなかった勘平もことの次第がわかり、女将さんが与市兵衛に渡したと同じ縞の財布を見せられ、自分が殺して金を奪ったのは舅の与市兵衛であったと思い込みます。最初は明るい華やかな勘平がことの次第を知り、変っていく様子が見どころです。

夫が帰って来てかいがいしく世話をし、お茶屋には行く必要がないといわれ喜んだおかるも、今度は行かなければならないであろうと夫にいわれて落胆します。その気持ちの流れを菊之助さんは夫の気持ちに合わせるようにして愛らしく表現しました。事情を知っている観客は別れを惜しむ二人のそれぞれの辛さがよくわかります。

魁春さんの一文字屋の女将には貫禄があり、交渉の團蔵さんに女衒の手並みの様子が自然とあらわれています。ここの場面でも煙草盆と煙草が活躍し、外の駕籠で待つ魁春さんの煙草を吸う様子は東海道中の浮世絵にでもありそうな風情で、家の中の複雑さとの対比として面白い絵となっています。人の動きが無駄なくよく整理されています。

どうすることもできずにおかるを去らせる勘平。そこへ、与市兵衛の死体が猟師仲間によって運ばれてきます。下に伏せて敷物を握りしめていく勘平。全て決められた動作ですが、こうした場合人はこうするであろうと思わせる苦悩ぶりです。形が自然な動作にまでなって、さらに観ている者を納得させる嘆きとなっているのです。

おかやは動転し、勘平が着替えるときに落とした縞の財布と勘平のしどろもどろの様子から勘平が殺したと確信します。勘平を思っての親心がこのようになるとは、おかやの苦しさと勘平の苦悩がぶつかり合います。菊五郎さんと東蔵さんのやりとりもそれぞれの気持ちが伝わります。

そこへ、原郷右衛門(歌六)と千崎弥五郎(権十郎)が訪ねてきます。勘平は着物を整え髪を直し逃げると思って自分から離れないおかやを後ろに従え応対します。

歌六さんと権十郎さんの様子と台詞に、事を構えた武士の雰囲気が漂い、田舎の家に違う空気を運んできます。しかし、事情を知った二人は、勘平を蔑み帰ろうとします。勘平は自分の罪を恥じて腹を切ります。切ない自分の気持ちを語る勘平。「色にふけったばっかりに、大事の場所にも在り合わず」ついに、ここまでの悲劇となってしまいました。弥五郎は、一応、与市兵衛の傷を確かめます。

与市兵衛の傷が刀傷であることが判明。来る途中、斧定九郎が鉄砲で撃たれた死骸をみているので疑い晴れて目出度く連判状に加えて貰えるのです。勘平もついに血判となります。

早まりし勘平ですが、遅かりし真実です。最初は些細な気持ちが、大事となり、それを挽回しようとしてもっと深見にはまってしまったのです。ここで這い上がろうという一途さと思いもよらぬ展開に当惑する苦悩への変化を菊五郎さんは積み重ねた芸で集大成のような勘平を造形され、それでいてゆとりも感じられました。

ところどころで入る太棹と義太夫もどうなることかと悲劇の流れを加速していき、今回はその調子もいいなあと思う気持ちにさせてもらいました。役者さんの動きがよいとそちらにも自然に働く作用が生じるのでしょうか。

さて、一文字屋へ行ったおかるはどうなるのでしょうか。

 

国立劇場 『仮名手本忠臣蔵』第二部(1)

主君の刃傷ざたの時、個人の感情を優先させその場に居なかった勘平とおかるは、おかるの実家へ向かっています。『道行旅路の花婿』で『落人』とも言われます。

歌舞伎を観始めたころ、通しではない『落人』を観まして、勘平が勘九郎時代の勘三郎さんです。観た後で先輩に「あれは何んですか。場面が明るいのに勘九郎さんがずーっと沈んでいて動きも少ないのは。」と聴いた覚えがあります。二人のそれまでの状況を説明されてなるほどそういうことかと納得した覚えがあります。

<花婿>とは勘平さんのことです。勘平の錦之助さんとおかるの菊之助さんが花道からの登場です。若い二人の旅人の艶やかさが漂います。富士に菜の花と桜の木と晴やかな本舞台に移りますがまだ夜です。

場所は東海道の戸塚です。人を忍んで夜歩いてきたので、このあたりで休みましょうということですが、立ち止まってみると勘平は自分の過ちには死しかないと思います。おかるは勘平が死ねば自分も後を追います。そうなると心中となってもっと世のそしりとなりますよ。とにかくここは私の実家へまいりましょうと説得します。

菊之助さんは振りを丁寧に扱われ、おかるの微妙な心を現しつつ勘平の気持ちを引き立てようと努めます。錦之助さんは武士としての償いを考えると死しかないとじっーと考えています。おかるに止められますが、迷いは心を離れず沈む心のままおかるに従うことにします。

大事のあった中での押さえられぬ若い恋仲のふたりに死の影がゆらゆらする心情のあやうさを錦之助さんと菊之助さんは、美しく芯はとどめて表現してくれました。おかるの大きな矢絣の着物が映え、勘平の黒が押さえます。

そこへ現れるのが、おかるに横恋慕の鷺坂伴内。花四天を従えています。鷺坂伴内の着物が八百屋お七や弁天小僧菊之助の襦袢と同じあの派手な紅と浅葱の麻の葉のななめ模様です。おかるへの恋心とひょうきんさをあらわしているのでしょうか。

亀三郎さんの伴内、殿中での様子を勘平の気持ちを逆なでするようないやみな語りで、おかるを渡せといいます。勘平は鬱憤を晴らすように花四天との立ち廻りですが所作なのであくまで優雅に動きます。鷺坂伴内は歯が立たないと自分で定式幕を締めて退散です。

明け方の花道のおかる、勘平。先に何が待ち受けているのか不安いっぱいの道行ですが、この時点では勘平はおかると夫婦の気持ちになっています。

五段目

ここからは、菊五郎さんの勘平です。猟師となっていている勘平が雨の山﨑街道で火縄の火を消してしまい旅人に火をかりますが、それが朋輩の千崎弥五郎の権十郎さんで息があった場面でした。勘平が御用金を用立てするので由良之助にとりなして欲しいという気持ちが通じるところで、短いがこの出会いの場は、罪ある身の勘平にとって力の湧く場面でもあり、悲劇へとつながる場面でもあるのです。このあたりから、勘平の想いと外からの動きとが大きく狂いはじめます。

おかるは勘平を武士に戻したいとの願いから自分は遊女になる決心をします。そのためおかるの父・与市兵衛(菊市郎)は祇園の一文字屋と交渉し半金の五十両を受け取りの帰り道、雨のため高く積まれた稲架けの前で休みます。稲架けの奥から手が伸び、お金を取られ殺されてしまいます。

親の九大夫にも勘当されている定九郎の出です。江戸時代に役者中村仲蔵が工夫したという場面で、短いですが観客の視線が一点に集中する熱い瞬間です。

松緑さんあぶれ者の非情さを静かに音に乗りつつしどころを決めていきます。表情は押さえられ、足に破れ傘を感じとり、さっと開いて形をきめ花道を行こうとすると猪が向かってくるので再び稲叢に隠れ、静まったので出たところで鉄砲に撃たれ倒れてしまいす。

勘平が撃ったのです。勘平は猪を仕留めたと思って居ます。ここからの勘平の動きが体に染み込んでいる菊五郎さんの芸です。一つ一つの動きが闇のなかで確認しつつながれます。長い時間をかけて洗練されてきた動きなので、黒御簾からの音やツケ打ちがここぞとばかりに動きに合わせて入るのが堪能できました。音と役者さんの動きの良さの一体感がこういうことなのだとあらたな想いでした。

勘平は、自分が撃った人の懐のお金に気がつきます。千崎弥五郎との約束もありお金を手にしてその場を立ち去ります。勘平は自分が撃ち殺したのを定九郎だということも、手にしたお金が舅・与市兵衛から盗まれたお金ということも知りません。

勘平の死という長い芝居の山場まで先がながいのに力が入り、眼が離せませんでした。

 

歌舞伎座十一月 成駒屋襲名披露公演(2)

元禄忠臣蔵~御浜御殿綱豊卿~』は、国立劇場での『仮名手本忠臣蔵 七段目』と呼応して、仁左衛門さんの綱豊卿の台詞ひとつひとつが響きました。一途な染五郎さんの助右衛門も、由良之助への複雑な想いを綱豊卿の前では迷っていないというところを見せたいと意地になったり、嫌味を言ったりと義士となるまでの心の内の複雑さを見せてくれました。

御浜御殿では、赤穂事件などなかったかのように綱豊卿は派手な遊びを展開しています。舞台最初からお女中たちの綱引きが行われています。旅姿の子どもが。綱豊に「抜けまいりに一文のご報謝を~」といって柄杓を差し出します。<道中>の言葉もでてきますので、どうも旅をテーマとしたお遊びが開催されているようです。豊綱もこれが抜けまいるかと庶民の生活を垣間見てご機嫌です。

その一方、師の新井勘解由(左團次)を呼んで、赤穂の浪士に討たせたいとも吐露します。そんなところへ、赤穂浪士の富森助右衛門が現れるのですから、豊綱にとってはその覚悟の程を聞き出す機会です。

豊綱の仁左衛門さんは、あの手この手、緩急自在の台詞回しで助右衛門から聞き出そうとしますが、助右衛門の染五郎さんも持ちこたえます。綱豊は浅野家再興を願い出て、今自分の手から離れたものの行方を見据えながら放蕩の由良之助の気持ちまでかたります。助右衛門は、お家再興のことを言われ動揺するきもちから、お客としてくる吉良を一人で討つことを決心し豊綱卿の寵愛を受けている妹のお喜代(梅枝)に手引きさせます。

吉良と思って切り付けた人物は豊綱卿で、討つまでの動揺を叱責し、生島(時蔵)に後を頼み能舞台へと去るのです。大蔵卿に匹敵する江戸の豊綱卿です。

加賀鳶でもそうでしたが、煙草が小道具として、役者さんのしどころとして重要な役目を担っていました。

口上』では、染五郎さんが、襲名されるかたよりも多い五役にも出させてもらっていますと言われたのと、仁左衛門さんが、前の芝居でしゃべりすぎましたで話すことは控えます。お聴きになりたいかたは、松竹座にお越しくださいと言われたのが実感を伴っていて可笑しかったです。

盛綱陣屋』は、佐々木盛綱と高綱の兄弟が敵となって戦っていて、真田信幸と幸村をモデルとしています。高綱の子・小四郎が、徳川家康モデルの北條時政に捕らえられ盛綱に預けられています。

盛綱(芝翫)は、高綱が自分の子どものことをおもって戦意をなくしてはならぬと母の微妙(秀太郎)に小四郎(左近)に自ら命を絶つよう言い聞かせてくれとたのみます。いわば、佐々木家一族の内輪の話しなのです。密かに内輪で佐々木家を守るために盛綱は策を練っているわけです。

小四郎の母・篝火(時蔵)は息子が心配で陣屋に忍び寄り文矢を放ち、その文をみた盛綱の妻・早瀬(扇雀)も文矢を返します。篝火は藤原定方の歌で息子に会いたい気持ちを、早瀬は蝉丸の歌で、ここでは今はお帰りなさいという意味でしょうか。小四郎も母に一目会いたいと祖母・微妙に懇願します。

内輪での試行錯誤しているところへ、時政(彦三郎)が高綱の首実験のためにあらわれます。盛綱は、心の内を隠し首実検に望みますが、小四郎が父上といって自刃するのです。その首はにせ首です。盛綱と小四郎は顔を見合わせます。小四郎の意志が通じた盛綱は高綱の首に間違いないと言い切り無事首実験をすませます。

母に会いたいと言っていた子どもの小四郎が仕組んだのです。それを理解した大人たちの小四郎に対するいたわりの場面となります。盛綱は高綱に佐々木家をまかせ死ぬ覚悟ですが、そこへ、もうひとり全体像をみすえていた和田兵衛(幸四郎)があらわれます。この人、最初と最後に登場し佐々木家の行く末を指し示す役どころだったのです。

佐々木家をどうもっていくか思案の盛綱を芝翫さんは大きな型できめられ腹もあらわしてくれました。黒の長袴の見得も美しい姿となりました。ただ台詞が切れてしまうのが残念なところです。息の長さの自在さをさらに期待したいところです。

小四郎役の左近さんしっかり間をあわせて演じられました。子役時代にこの役ができるのは良い巡り合わせということでしょうが、それも襲名という大きな舞台でしっかり役目を果たされました。

脇に鴈治郎さん、染五郎さん、秀調さん、彌十郎さんで固められ、芝翫さん初役の盛綱が手堅い舞台となりました。

蝉丸の歌から少し蛇足します。歌は「これやこの行くも帰るもわかれては知るも知らぬもあふ坂の関」で、蝉丸は琵琶の名手でもあり、芸能の神様でもあります。大津宿から京都に向かう旧東海道に関蝉丸神社下社、関蝉丸神社上社があり逢坂の関址を過ぎると蝉丸神社分社があります。この三社を合わせて蝉丸神社ともいうそうです。今は無人の社となっていまして坂は削られ国道が走り道はなだらかです。

<大津絵販売の地>の碑もあり、旅人はこのあたりで大津絵も購入しお土産としたわけです。大津絵も歌舞伎の題材となっています。

芝翫奴』は歌之助さんでした。申し訳ありませんが、その前に富十郎さんの『供奴』のDVDで二回も観てまして、このリズムを身体に染み込ませるのは時間を要すると思ってしまいました。足踏みなど面白さのある踊りゆえにかえって難しいかもしれません。今回は三人での交代ですので、三分の一しか踊れなくて無念と思って闘志を沸かせてほしいとおもいます。

そして、先代の芝翫さんの『年増』も二回観まして、こうした落ち着いた雰囲気の踊りも近頃観てないなあと思いつつ、先代の雀右衛門さんの尾上と芝翫さんのお初コンビの鏡山を思い出していました。優雅に悔しさを内に秘めた御主人様の尾上さまを、お初は何としてでもお守りするのだという心意気の若々しかった様子がしっかり記憶に残っています。襲名にあたり、先代芝翫さんのお初の心意気で歌舞伎を守っていただきたいものです。