歌舞伎座十一月 成駒屋襲名披露公演(1)

八代目中村芝翫、四代目中村橋之助、三代目中村福之助、四代目中村歌之助襲名披露の歌舞伎座二ヶ月目です。

最初の『四季三葉草』で、ムッとくることがありました。梅玉さんの品格ある翁の舞いのところで団体客が入ってきたのです。二回に分けて。気分はメチャクチャです。翁と千歳との舞いの変わり目あたりで入場願ってもいいのではないでしょうか。さすがであると気持ちよく観ていた気分の集中力が止ってしまいました。お囃子連中のかたが、その雰囲気を察したのかどうかはわかりませんが、千歳の舞いからひと際大きく鼓が入ったように思え気をとりなおそうと努めました。

『四季三葉草』は『式三番叟』からもじって、親子四人の襲名に合わせての変名なのかなと思ったところ、江戸時代からきちんとありました。翁は松、千歳は梅、三番叟は竹と草花にたとえ、沢山の花々が詞にでてくる清元です。

最初の風格が壊され、なんとか扇雀さんの千歳と鴈治郎さんの三番叟で持ちこたえましたが、鴈治郎さんの舞いでは、十月の新橋演舞場での『GOEMON』での秀吉(鴈治郎)の役のあつかいの軽さに疑問があったので、そのことをよみがえらせてしまいました。仕切り直しがしたい演目でした。

年を重ね過ぎたためでしょうか、パフォーマンス先行的なものに遭遇することが多く、急激に冷めてしまう自分がいます。気にしなければよいのでしょうが浅いなと観る必要性もないなと思ってしまうのです。困ったことです。

毛抜』は、染五郎さんの愛嬌を期待していたのですが、どうしたことかその愛嬌が生きず、染五郎さんの荒事の今後に期待します。門之助さん、高麗蔵さん、亀鶴さん、彌十郎さんが脇をしめます。高麗蔵さんの近頃の台詞がすっきりしたなかに味わいがましてきました。

祝勢揃壽連獅子』(せいぞろいことぶきれんじし)は、新芝翫さんの狂言師と親獅子に先代芝翫さんの踊りを思わせるような基の静さがすっくと立った感じで観ていて気持ちをすきっとさせてもらいました。石橋物ということもあって間狂言の後に、藤十郎さんの文殊菩薩が出てこられ、奈良で仏像を見てきたばかりでしたので、その冠の飾り具合と雰囲気に厳かさがあり、脇には昌光上人の梅玉さんと慶雲阿闍梨の仁左衛門さんが品よくひかえ、その絵のなかに若手のお坊さんの萬太郎さんと尾上右近さんが加われたのは幸運でした。

子獅子の橋之助さん、福之助さん、歌之助さんは三人息を合わせ、親獅子の芝翫さんに踊り手としていどみそれぞれの今の力を発揮され、芝翫さんは三人の勢いをしっかり受けとめられ親獅子の威厳をみせました。

加賀鳶』(盲長屋梅加賀屋)は梅吉の幸四郎さん、松蔵の梅玉さんを中心に<本郷木戸前勢揃い>はまさしく勢揃いで、粋をみせます。短い出で動きも少ないだけに粋を見せるのが難しい経験の差の出る場面です。

幸四郎さんの竹垣道玄と秀太郎さんのお兼のコンビは以前にも共演されて好演でしたので質店伊勢屋のゆすりの場などは手慣れた悪党ぶりです。その小悪党道玄も松蔵に殺しの証拠を突き付けられ太々しく退散。加賀藩の赤門前での暗闇での捕り物は可笑しさもありますが様式美になっていたのが印象に残りました。

樋口一葉さんとご縁のある質店伊勢屋さんは昨年から公開されています。現代にも残る場所と地名などリアルに楽しいめる作品です。

修業の足りない雑念の多い観劇となりました。

 

伝統歌舞伎保存会 研修発表会 (第18回)

伝統歌舞伎保存会では、歌舞伎俳優や歌舞伎関係の音楽演奏家の養成をおこなっており、そこで研修を受けた役者さんや演奏者の発表会が国立劇場でありました。

国立劇場では、全く歌舞伎を知らない人でも志望者を募集していて、そこで研修を受けることができます。また歌舞伎役者を師匠として入門しているひとも既成者研修を受けることができ、それらの経験者の発表会ということで、実際の公演舞台ではなかなか演じられることのない大きな役を演じることとなります。

今回は、10月国立劇場で公演されている『仮名手本忠臣蔵』の二段目「桃井館 力弥使者の場、松切りの場」三段目「足利館 松の間刃傷の場」を発表されたのです。

これが皆さん堂々と演じられ、緊張していて、ためておけないでテンポが速くなったり、衣装が上手く自分の動きにそってくれなくて、姿に見苦しさがでたりするのではと思ったのですが、そんなこともなく芝居の中に素直に入れました。

二段目などは、今月初めて観ましたから、今回で二回目ということとなり、三段目も台詞などを聞き逃していたり記憶からおちた部分などがよみがえり、観ている方も勉強になりました。若狭之助が、高師直に怒りをぶつけて去る場面で「ばかめ」の記憶が残っていて、河内山じゃないんだからそれだけではないなと思っていたのですが「ばかな侍めが」でした。と書きつつ「が」があったかなかったのか怪しいのですが。メモすればいいのでしょうが、いやなのです。正確ではなくても自分の中の空気は乱したくないので、そのうち図書館あたりで調べることにしましょう。

加古川本蔵や高師直などは、芝居の内容から顔の作りが老人になりますから、どうしても役者さんの若さが浮かんでしまいますが、役者さんたちはそんなことは意に介せず役になりきられていましたので、こちらもそれにのりました。

塩冶判官の着物の色が薄い鼠系というか水色系といおうか素敵な色でした。判官の役者さんとの映りもよくて、この色を選ばれたのは良かったとおもいます。もう少し濃い色が多いですが、判官と師直の関係と役者さんの関係からすると腹の深さが衣装の色に負けるということもありますので、そのあたりも検討してえらばれたのかどうか興味のあるところです。

戸無瀬と若い小浪、力弥との風格の差もはっきりし、若狭之助と本蔵の主従関係と松を切る意味合いも伝わり、刃傷沙汰に至る判官と師直の場面も細かく展開し、鷺坂伴内も道化役としての役目をはたしていました。

判官が刃傷に至り大名たちがそれを止めるため集まりますが、その時の長袴の動きがドタバタした感じがありそこだけ一つ気になりました。あれはリズムがあるのでしょう。咄嗟の出来事ではありますが、リアルさよりも美しさが大切とおもうのですが。そのくらいですね。観ている者の気持ちを乱されたのは。出の少ないほど芝居を乱すことがありますからこれが芝居の怖さであり、脇役の熟練度の重要性なのです。

研修生の皆さんの発表の場が増え、その力の認知度が高くなることを望んでおります。

二段目/桃井若狭之助(中村東三郎)本蔵妻戸無瀬(中村京紫)本蔵娘小浪(中村蝶次)大星力弥(大谷桂太郎)近習(中村蝶一郎)近習(坂東八重之)本蔵家来(片岡りき彌)本蔵家来(中村扇十郎)加古川本蔵(市川荒五郎)

三段目/塩冶判官(市川蔦之助)桃井若狭之助(松本錦次)鷺坂伴内(中村かなめ)大名中村富二朗)大名(片岡千藏)大名(中村蝶一郎)大名(坂東八重之)大名(片岡りき彌)大名(中村扇十郎)加古川本蔵(市川荒五郎)高師直(中村梅蔵)

竹本 浄瑠璃(竹本豊太夫)三味線(鶴澤翔也)/浄瑠璃(竹本六太夫)三味線(鶴澤公彦)/浄瑠璃(竹本東太夫)三味線(鶴澤公彦)

<お楽しみ座談会>

中村梅玉、市川左團次、市川團蔵、中村錦之助、市村萬次郎、市村橘太郎、中村米吉、中村隼人 / 司会・葛西聖司

歌舞伎のあとに、今回の指導をされた歌舞伎役者さんたちの座談会がありました。

司会の葛西さんが、仮名手本忠臣蔵を中心に、梅玉さん、左團次さん、團蔵さん、錦之助さん、萬次郎さん、橘太郎さんそれぞれが、どんな役をされてきたかを聞かれたのですが、芸歴が長いだけに皆さん様々な役をされていて、さらに、このときはどこの劇場でだれがこの役とこの役をされていたということも頭にしっかり入られていました。忠臣蔵は誰でもが全部の役の台詞が入っていなければならないのが基本だったそうで台本など渡されなかったというのです。恐ろしき世界です。

このかたから教えられたとか、他の子弟には教えるけれども自分の子弟には教えないので観て盗んだというような話があって、話しが進むにつれて次第に皆さんサイボーグにみえてきました。カチャ、カチッと受け取った芸が、技能の精度をたかめて身体にはめ込まれていく感じなんです。そうまさしくサイボーグです。

これは録音でもしておかなければ正確には伝えられない芸の歴史のながれです。

そのなかでお一人いつのまにかサイボーグの装着をどこかへ隠してしまう方がいらっしゃいましたがどなたかはお判りとおもいます。

若い米吉さんと隼人さんは、お客さまよりもこのサイボーグ軍団に緊張されたことでしょう。隼人さんの力弥は、田之助さんから教えを受け、米吉さんの小浪は魁春さんから教えを受け、さらに指導の側にもまわられたわけですから、この体験がより多くの事を感じるきっかけとなることでしょう。

一つ一つ人を通して積み重ねられてきた様子がわかり、観る側も大変興味深く聞かせてもらいました。

研修発表会は二回目ですが、なかなか楽しいです。

余談ですが、バレエのオーケストラの場合、指揮者によっては、あくまでも音楽優先で踊り手など無視で自分の音楽の世界観で指揮をする方もいて、踊り手が苦労することもあるそうです。その点歌舞伎は役者さんに合わせますから、歌舞伎の演奏者の腕は自由自在といえます。ツケ打ちの方もそうですね。芝居とともに音も作り上げていくというシステムがあってのことでしょう。

 

歌舞伎座十月 成駒屋襲名披露公演

中村橋之助さんが中村芝翫を、中村国生さんが橋之助を、宗生さんが福之助を、宜生さんが歌之助を襲名されての公演です。

新橋演舞場の『十月花形歌舞伎GOEMON石川五右衛門』の盛況さをみて、歌舞伎の世襲制と芸の継承、新しいお客の集客と、これからどのようにより高い歌舞伎の芸の伝達につながっていくのか課題は多いとおもえました。すでにそのことを察知されている若い世代に任せるしかありませんが。

さて八代目新芝翫さんの誕生ですが、芸の継承ということでは、芝翫型の『熊谷陣屋』です。チラシから熊谷の顔の化粧の赤が強く、金と朱の衣装でいつもと違うなといぶかしくおもっていましたが、観るのがはじめての芝翫型でした。花道の出から違和感をおぼえ、芝居が進むにつれて、流れにのっていけました。細かく違いを指摘できませんが雰囲気が違っていました。舞台の敦盛の影をみる障子の部屋の作りも違います。

團十郎型を見慣れていて、それも熟練の役者さんと若手の役者さんでは芝居の雰囲気が違うので、その型が違うとまたまた観るものにもハードルが上がってしまいます。

ただ、今回の襲名での芸の継承から考えると芝翫型を新芝翫さんがこれからこれを伝えるぞという具体的な心意気の伝わる演目であったとおもいます。

最終的には、見慣れていないということを差し引いても、熊谷の花道での引っ込みがないだけに熊谷の悲哀の印象が違いますが、芝翫型は芝翫型で戦の虚しさをあらわしていました。とまどいはしましたが、新芝翫としての強い意志は通された熊谷でした。

できれば藤の方の菊之助さんと『幡隨長兵衛』の女房お時の雀右衛門さんとを入れ替えてほしかったです。これから芝翫型がどれだけ公演されるかわわかりませんが、吉右衛門さんの義経、魁春さんの相模、歌六さんの弥陀六に、雀右衛門さんの藤の方で重厚さを固め、『番隨長兵衛』では、前半が芝翫さんの色気がおもっていたほど出なかったので、菊之助さんで色をそえてほしかったとおもったのです。

『幡隨長兵衛』の劇中劇は、七之助さん、亀三郎さん、児太郎さんらでそのまま続けてくれていいですよといいたいほどの面白さでしいた。芝翫さんは、色気ある河内山から期待していたのですが一般的で、後半は心意気をあらわして本領発揮というところでしょうか。水野側が菊五郎さんに東蔵さん。橋之助さん、福之助さん、歌之助さんが子分で親子4人の共演。

3兄弟は、『初帆上成駒宝船(ほあげていおうたからふね)』の長唄舞踊で明るく勤めます。来月は親子4人での『連獅子』ですから今月は序盤戦といったところでしょう。来月の最後には3兄弟の『芝翫奴』がありますから、身体がどれだけできあがるか、短期間の挑戦はつづきます。

『女暫』は若手で、思いのほか台詞がはっきりしていて、それぞれの役どころがよく判りました。七之助さんの巴御前も寸法があっていて、松緑さんの愛嬌も活きました。玉三郎さんの巴御前の時のような緊張感がなく少し物足りなさもありますが、皆さん伸び伸びと演じられていていましたので気持ちよかったです。さらにここで先輩たちからご意見を頂ければよりみがきがかかるのではないでしょうか。お化粧が濃いので、声で役者さんを当てるのが楽しかったです。発声がよくなっていて、これが、年数とともにそれぞれの味がでてくるでしょうから楽しみです。

『浮塒鷗(うきねのともどり)』を観るのははじめてです。舞台に久方ぶりに三囲神社の鳥居がみえました。お染(児太郎)と久松(松也)の心中しようかどうしようかという踊りがあり、そこへ通りかかった女の猿曳き(菊之助)が、ちまたの噂で聞いていたのでしょう、二人がお染と久松であることに気づき、歌祭文で意見して心中などさせないようにしむけるのですが、やはりお染と久松は心中の道を選ぶという踊りで、猿曳きの女の踊りを期待していたのですが、面白いふりもなく残念ながらよく判りませんでした。

『外郎売(ういろううり)』は久方振りで、曽我兄弟ものです。曽我兄弟物の登場人物にも慣れ親しんできたので、だれがどの役か楽しみになっています。ういろうはお菓子と薬があって、東海道を歩いた時、お城にかたどった建物がありそこがういろうのお店と判ったのですが先を急ぎ寄りませんでした。小田原城の改修も終わり友人を伴い再度小田原へいきういろう屋さんへもよりました。お店に歌舞伎役者の團十郎さんが外郎売りに扮してくれて有名になったと書かれてありました。お薬のほうで、五郎が外郎売りとなってその故事来歴、効能などを早口で披露するのです。今回は松緑さんが五郎で、以前聞いたときはもっと長かったようにおもいましたが思いのほかさらさらと短く感じました。

人気物の曽我兄弟の五郎を外郎売りに仕立てるとは、二代目團十郎さんのアイデアも大したものでそのお店が残っているというのも凄いことです。

『藤娘』は、玉三郎さんの一人での舞踊はこれまたお久しぶりで、今回はかなりお酒に酔われた藤娘でした。これは酔い過ぎてて危ない。番犬になって遠回りで守らなくてはなどと、べらぼうなことを考えてしまいました。舞台の松の幹も細く、藤も少なめで、そのかわり衣裳が藤いっぱいで、片身変わりの色違いで、襟がまたその反対という使い方をしてました。片身変わりを色違いで二種類変えられしごきもされていて、いつもとは違う衣装だったようにおもいます。藤の精でした。

口上で印象的だったのは、どなたであったでしょうか「これだけ成駒屋さんがそろえば、福助さんも必ずや舞台に復帰されることと思います」と言われていて、本当にそうであってほしいとおもいました。それまで今まで同様児太郎さんも、橋之助さん、福之助さん、歌之助さんたちと競ってともにさらに精進されることでしょう。

今回は手短で役者さんたちのお名前も省略気味ですがこれにて。

 

国立劇場 『仮名手本忠臣蔵』第一部(2)

加古川本蔵が師直に進物の贈賄をするのは、師直が足利館へ登城する門前で、師直は駕籠のなかで、家来の鷺坂伴内(さぎさかばんない)が応対します。鷺坂伴内は芝居の緊張をゆるめる道化役でもあります。

足利館の門前ではもうひとつ若い一組の男女、勘平とお軽の悲劇の幕開けともなる場所です。お軽は顔世御前から判官を通じて師直に渡るようにと文をあずかり、勘平に渡します。この文は顔世御前が師直を拒絶する内容で、このことから師直の判官にたいするいじめは増幅します。

そのあとお軽は勤務中の勘平を誘い、勘平もお軽に引きづられるように逢瀬の時をもってしまいます。このへんが力弥と小浪とは違う、もうすこし情欲を含む男女の関係となります。この二組の男女の行く末は芝居の経過のなかでみていくことができます。鷺坂伴内も再度登場します。足利館のなかでは刃傷がおこり門は閉められ、勘平とお軽は門外に締め出された形となってしまうのです。

判官は自分の館に蟄居(ちっきょ)の身となり、顔世御前は夫を慰めるため様々な種類の桜を集めますが、そこへ上使がきて、判官は切腹、お家断絶、城明け渡しがつたえられます。

判官は切腹を前に国家老の由良之助を待ち、幾度となく力弥に由良之助はまだかとたずねます。力弥は未だ参上つかまつりませんと答えますが、本当に力弥は自分自身の最後を見苦しくなく終えるまで若くして重圧を担っていたのがわかります。

由良之助を待てずに判官は切腹となりますが遅かりし由良之助もやっと判官の死の間際に駆けつけ、判官の仇をとってくれとの遺言を受けとることができます。静かにおごそかに判官を見送るゆかりの人々。

顔世御前の秀太郎さんは、兜改めから、夫の判官を見送るまで、動揺を内に秘めどのようなことが起きようとも判官の妻としての威厳をもって立ち振る舞う気丈さをみせます。

勘平の扇雀さんは真面目でありながら、お軽の誘いにふっとのってしまう気のゆるみと動揺を台詞まわしが妙味で、お軽の高麗蔵さんも身体の動きで恋心を匂わせます。このあたりが小浪の米吉さんの可愛らしさとは違う色香で面白いところです。

鷺坂伴内の橘太郎さんの道化役は軽快で、少し疲れてきている観客をなごませ、師直の狡猾さの代役を笑いで引き受けてくれます。

判官の梅玉さんは、襖が開き上使の前に進み出る時の足の動きの間が覚悟している人の動きで、坐したときなは上使に対する態度も大序でのおおらかさにもどり、由良之助に自分の想いを伝えるときは悲壮感と悔しさがあり、それを受ける由良之助さんの幸四郎さんは大きさと同時に実務家の雰囲気がありました。

死の直前の判官の顔もまじかに見、父を待っていた心も知っている力弥の隼人さんは、父のもとでただ自分は言われた通りに動くのみと静かに別れの支度にかかるのが印象的です。

上使役は、塩冶家に好意的な左團次さん(師直との二役)とお上の言いつけ通りにことを運び塩冶家の人々の気持ちを混乱させる彦三郎さん。

まずは、主人の塩冶判官との最後の別れを終えて、これからが由良之助の大仕事の序盤戦です。どういう方向で残された者たちをまとめていくか。判官の遺言は受けているので由良之助の気持ちは決まっています。それを信頼できるものたちにどう伝えていくのか。

主人の死、城明け渡しなど家来にとっては承服しかねる状況です。そこで由良之助が持ち出したのが塩冶家の資産を公平に分配するということです。ここで籠城して主人の後を追ったのでは判官の意志を受け継ぐことができません。しかし一時的な感情で同志を引っ張ることはできません。落ち着けば先行きの生活のこともおもいいたります。この過程を公開してくれるのが家老の斧九太夫(おのくだゆう)です。見事に、お金によって本心をあらわす一人の人間を浮かびあがらせ当然道は別れることをしめします。

ついに由良之助は本心を打ち明けます。由良之助にとってもこれからこのおのおのの人々をまとめていけるかはわかりません。しかし、判官の一念を受けた以上やるしかありません。

様々な想いの交差する自分を隠し血気はやる若い人々を由良之助の真意を知る人々によってしずめさせ、すでに手腕の知略は働きはじめています。

城の外でひとり主人に対する情感の想いを解き放し、改めて自分の中に判官の気を入れ込みます。そして迷うことなく花道をさっていきます。

仇討に賛同する人々が花道にさがり由良之助と心を一つにするところも圧巻です。この辺の展開も由良之助の幸四郎さんの感情だけではなく実務家としての一端がうかがえます。もう実践は始まっているのです。押さえて鎮めて、それぞれの内に家族にも話さない約束事をおさめるのです。

そして、判官の形見の切腹刀についた血を口にするとき、判官の想いがすべて幸四郎さんの中におさめられます。それは、由良之助と同時に役者幸四郎さんの中に由良之助がおさまったことでもあります。幸四郎さんの由良之助は、感情を外に出す場面がところどころにあり、最初から出来上がった腹のある由良之助というより、やっと判官の死に間に合って、判官の本心を明かされ、それを待ったなしで采配する人物に変っていく過程をも観客には垣間見せ、家来たちには大きくみせる由良之助でありました。

由良之助を信頼する人々にも役の位の違いの落ち着き、はやる気持ちを抑える切れのある動きがあり、斧九太夫の錦吾さんにはそちらとは違うという色をだされていました。

さてさて、これらの登場人物は次の登場ではどんな人生がまちうけているのでしょうか。

秀調、桂三、宗之助、竹松、男寅、橘三郎、桂三、由次郎、友右衛門等一同

 

国立劇場 『仮名手本忠臣蔵』第一部(1)

10月、11月、12月と三カ月連続通し上演です。これもまた国立劇場開場50年記念企画公演ということでしょう。

10月は大序の兜改めから四段目城明け渡しまでとなります。二段目の「桃井館力弥使者の場」「桃井館松切りの場」は省かれることが多いので、今回この場があることによって、由良之助と加古川本蔵の関係がよくわかり、ここがわかれば、八段目の「道行旅路の嫁入り」九段目「山科閑居の場」など単独で上演されてもつながりがわかり、頭の中もすっきりとして観劇できるとおもいます。

大序の幕開け前に人形による配役の紹介があり幕が開いてゆっくり役者さんたちが動きます。人形浄瑠璃での初上演が数ヶ月早いのでそれに敬意を表してという風にもとれますが、実際のところはわかりません。今でいえば、アニメの実写化決定という触れ込みで、早くも歌舞伎に登場「仮名手本忠臣蔵」と呼び込みをしたのかもしれません。

大序は、江戸時代に起こったことは時代をずらさなくてはなりませんから鶴ケ岡八幡宮前で始まります。戦死した新田義貞の兜改めをしています。義貞の兜を知っているのが切腹することになる塩冶判官(えんやはんがん)の妻・顔世御前です。いじめの師直(もろなお)は、この顔世に懸想していますが上手くいきません。それをじゃまするのが桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)で、この若狭之助は師直が嫌いなのです。

師直も最初はこの若狭之助をいじめます。ところが若狭之助の家来の加古川本蔵が主人の性格と師直の性格をよくつかんでいて、主人が師直を斬ると打ち明けられるととめてもむだとしって了解し、その代り師直に賄賂を使います。師直は喜んで態度を変え、若狭之助にはおべんちゃらを言い、こんどは顔世御前にもふられたため塩冶判官をいじめの対象とします。そこで癇癪を押し殺せなかった判官は刃傷となり、それをとめるのが加古川本蔵なのです。

この時から本蔵は塩冶側からうらまれる立場となるのです。

そのながれの間に、由良之助の息子・力弥が桃井家の屋敷に使いにきます。力弥と本蔵の娘・小浪は許婚なのです。このふたりの初々しい顔合わせと、三段目のおかると勘平の逢引との違いなどとも比較できる幼さない恋心の見せ場です。

兜改めのあと、これから何が起こるかなど露知らず、自分の立場をのみ貫く足利直義の松江さんゆっくり花道をさります。

さて、高師直の女好きで、あからさまないじめ、賄賂で手のひらを反す変貌ぶりを左團次さんが余すところなく演じられ、枯れた声にときより丸みをもった発声があり、人をばかにしているようでいっそうそのにくにくしさが増しました。

最初観た人は判官と間違えてしまうほどいやがらせを受ける若狭之助の錦之助さん。怒り心頭で家来の本蔵に打ち明け、よしと覚悟しますが、師直の豹変ぶりに当惑するも嫌いなものは嫌いとその一徹さを通されます。

力弥が使者に来ると、娘に自分のかわりに使者の言伝えをきくようにと二人だけで合わせるよう取り計らう母の戸名瀬の萬次郎さん。嬉しいのであるがどうしたら良いのかわからない小浪の米吉さん。使者としての務めをいかにきちんとできるかしか頭のなかにないような力弥の隼人さん。なかなかない場面なので、若い役者さんとしても貴重な経験です。

特に力弥の役は、二段目があることによって「力弥は見ていた」ではないですが、重要な場面に出てくるのです。一番若いので摺り足でさがることも多く、役としても役者としても粗相のないように美しい立ち居振る舞いが要求されます。

潔癖な主人の若狭之助のために策をねり主人の気を晴らさせ、即自分は次の行動にでる本蔵の団蔵さん。まさか判官の刃傷となるなど思いもよらず主人のために手をよごしたのです。

最初は何事もなくおおらかに振る舞っている塩冶判官の梅玉さん。このおおらかさが、突然師直のいじめが矛先を変え自分集中することによって度を失い、何度か思いとどまりますが、踏み止まることができませんでした。

二段目があることによって観るほうは、その心の内を説明なしで受け止められ、役者さんもここはこの気持ちでと貯めてその場に出るという空白の部分が埋まっているので自然な流れになっていてわかりやすかったです。

 

歌舞伎巡業公演『獨道中五十三驛』映画『超高速!参勤交代』

猿之助さんと巳之助さんダブルキャストの『獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』の巡業公演が埼玉県の入間市市民会館から始まりました。

この演目を巡業で、さらにダブルキャストで、さらにそのひとつを受け持つのが巳之助さんでと少し心配なのと、猿之助さんがこれをどう仕切るのか興味津々でもありました。

観たのはAプロのほうで、巳之助さんが十三役早変わりで、早変わりのたびに大きな拍手があり気持ちよかったです。巳之助さんを激励する意味を含んだ拍手だったとおもいます。もちろんこちらも拍手しつつ一役一役確認するように観ていましたが、巳之助さんは芝居に入り込んで下半身もしっかり安定させ声も出ていました。

歌舞伎座などでの赤っつらの役の時なども誰なのかと思うほど大きな声を出していましたから、意識して声をだすようにされていたのでしょう。この巡業での経験がなにかの形で身体に残るのではないでしょうか。

役者さんもそうですが、裏方さんも大変なことです。入間市民会館はかなり年数を経た建物で、楽屋裏が広いとはおもえませんので、あれだけの道具をよくスムーズにだせたとおもいます。そして背景幕の降ろし、宙乗りと、これだけの舞台装置は地方ではなかなか観れないと思います。

前半は岡崎の古寺での化け猫の場が見せ所で、Aプロでは宙乗りは猿之助さんです。後半の小田原からの浄瑠璃お半・長吉『写書東驛路(うつしがきあずまのうまやじ)』は巳之助さんの早変わりと同時にどんどんどんどん宿場が進んで行き背景も変わります。

昼の部よりも息が合ってきたという弥次さん(猿三郎)と喜多さん(喜猿)は、その速さにまけてはならじとお先にと江戸をめざして行ってしまいました。

そして紛失した九重の印も、由留木家にもどり、めでたしめでたしと無事終わりました。最後は、裃姿の猿之助さんが今日はこれにてと幕となります。休憩をいれて2時間35分という超高速でしたがよく収め切ったものです。

人使いが荒いとぼやく最高齢の寿猿さんをはじめ、笑也さん、笑三郎さん、春猿さん、猿弥さん、門之助さんの息の合った澤瀉屋一門のチームワークのよさの巡業公演です。

入間市民会館での初日は温かい拍手のなかでおわり、気持ちよく観劇できました。

この超高速に、そうだ映画『超高速!参勤交代』を観て見ようと思い立ちました。今映画館でやっているのは『超高速!参勤交代リターンズ』ですが、遅れていますが前作のほうです。

こちらは東海道ではなく、今の福島県のいわき市から江戸までですから奥州街道ということになるのでしょうか。湯長谷藩に参勤交代から帰ったばかりなのに、幕府から再度5日で江戸に参勤するようにとのお達しがとどきます。

民を想う優しいお殿様で、今回の参勤交代でお金は底をついているのにどうすればよいのか。知恵をだす家老、武勇に優れた家来などの結束によって、難関を突破します。虐げられたものが勝つという最後はめでたしめでたしの痛快時代劇で、次はどう乗り切るのかとそのアイデアを楽しめる作品です。

スパー歌舞伎Ⅱ『空ヲ刻む者』に参加した佐々木蔵ノ介さんが気が弱そうでいて情があり家来を信頼するお殿様で、猿之助さんが徳川吉宗になって出ております。悪役老中の陣内孝則さんが悪役を一気に引き受け、悪役系の石橋蓮司さんが良いほうの老中で画面を締めています。

正規のルートの街道をいったのでは間に合わないと大きな宿場だけは人を集めて行列で通り、あとはひたすら走ります。勧善懲悪ものですから突っ込みはなしで、気楽にたのしむのが前提です。

水戸の斉昭公は若い藩士を、水戸八景の景勝地役80キロを一日一巡させて鍛錬させたというような話もありますから、そこまでしなくても、藩の存続にかかわればこの映画に近い力は実際に発揮できたのかもしれません。

監督・本木克英/脚本・土橋章宏/他の出演・深田恭子、伊原剛志、寺脇康文、上地雄輔、知念侑季、柄本時生、六角精児、神戸浩、西村雅彦

 

 

歌舞伎座 秀山祭九月歌舞伎 『碁盤忠信』『太刀盗人』『元禄花見踊』

『碁盤忠信』 『碁盤太平記』と書きそうになりましたが<忠信>だったのです。

忠信が碁盤をもって戦ったという伝説はかつては広く知られていたことらしいのです。初演は七代目幸四郎さんで明治44年(1911年)で一度だけの公演で、それを100年たって復活させたのが染五郎さんで、平成23年(2011年)の日生劇場にて上演でしたが、私は観ていません。初代吉右衛門さんも演じられていたようですが、一つのテーマが内容を変えて劇化されているので、『碁盤忠信』も幾つかの脚本があったのでしょう。

荒事の単純なお話です。忠信(染五郎)といえば、義経の忠臣ですから、義経を奥州に逃がし敵と戦うのですが、亡くなった妻の小車の父・浄雲(歌六)が頼朝側と内通していて、その窮地を小車(児太郎)が亡霊となってあらわれ碁石で知らせ、忠信は碁盤を片手に大あばれします。そこへ、横川覚範(松緑)が押し戻しであらわれお互いに見得を切ってチョンです。

先にだんまりがあり、源氏の宝刀の探り合いがあり無事忠信の手に入ります。それぞれの役どころが身についた基本のできただんまりで綺麗にうごかれていました。呉羽の内侍(菊之助)、万寿姫(新悟)、三郎吾(隼人)、浮橋(宗之助)、宇津宮弾正(亀鶴)、江間義時(松江)亀鶴さんと松江さんにはもっと出て欲しいです。

忠信の舅・浄雲は愛嬌のある悪人で、その家来の右平太(歌昇)と左源太(萬太郎)も道化を含んでいます。小車は父を諌めて自決してしまいますが、舅のすすめるお酒に酔って碁盤を枕に眠ってしまった忠信の夢のなかに小車があらわれて、忠信の危機を救うのです。歌昇さんは演じている道化ですが、萬太郎さんそのままでゆるくなるのでお二人が台詞を言うたび楽しかったです。隼人さんは背の高さから奴はどうかなと思いましたが大丈夫でした。

松緑さんの覚範が現れることによって荒事の大きさが示され、初期の複雑さと知略のまだ加わらない見せる荒事の一つと言えるような作品で、目で楽しみ耳で音を受けるという作品でした。染五郎さんの声が次第に荒事に向かってきています。

その他出演・亀蔵、桂三、由次郎

『太刀盗人』 これまた肩の力を抜いて楽しめる狂言仕立ての舞踏劇です。都にでてきた田舎者・万兵衛(錦之助)が市で盗人・九郎兵衛(又五郎)に目をつけられ太刀を盗られそうになります。そこへ目代(彌十郎)と従者(種之助)があらわれます。二人は目代にどちらが盗人か裁定を頼みます。目代は、引き受け質問をしますが、万兵衛から始めるので九郎兵衛はあとからそれを真似ます。そこで二人一緒に舞いでことの次第を説明することになり、九郎兵衛はあやふやなおどりとなり盗人が発覚してしまうのです。

錦之助さんと又五郎さんは笑い中心にはせず、しっかりとした踊りでそのほころびでどちらが盗人であるかをあきらかにしていくという踊りでした。大きな彌十郎さんに畏まってつく従者の種之助さんのなんだかおかしいなという感じに愛嬌がありました。

『元禄花見踊』 最後は艶やかな踊りで締められた。ふわふわした綿あめを食べるような感触で終わってしまいました。

玉三郎さんを求心力に元禄の男6人(亀三郎、亀寿、歌昇、萬太郎、隼人、吉之丞)と元禄の女6人(梅枝、種之助、米吉、児太郎、芝のぶ、玉朗)が、元禄の華やかさを楽しく踊り賛歌するという趣向ですが、若い12人がどこかお澄ましで少し緊張気味なのがおかしく、一人一人追っていたので忙しくもありました。芝のぶさんと玉朗さんであろうとおもうが間違っていたらもうしわけないことです。可愛らしい誰だろう誰だろうと思いつつ眺めさせてもらいました。吉之丞さんもこんな派手な舞台で、さらに玉三郎さんと絡んで踊るのは初めてではないでしょうか。落ち着いてもう一回みたい気分です。

昼の部 『碁盤忠信』『太刀盗人』『一條大蔵譚』

夜の部 『吉野川』『らくだ』『元禄花見踊』

重さと軽さの配分の良い舞台でした。

 

 

歌舞伎座 秀山祭九月歌舞伎『らくだ』

『らくだ』が歌舞伎初演のとき初代吉右衛門さんがくず屋の久六を演じていたとは驚きです。上方落語『らくだの葬礼』を下敷きにして、岡鬼太郎さんが『眠駱駝物語』として書かれ昭和3年(1928年)の初演です。

昨今では勘三郎さんと三津五郎さんの『らくだ』が人気を博しましたが、細かいところは記憶から薄れ、シネマ歌舞伎もDVDも見ていないのでそちらは別口として、渥美清さんの『らくだ』を基にしているTBS日曜劇場の『放蕩かっぽれ節』を先頃見ていましてその記憶が少々残っています。

山田洋次×渥美清 ということで、作が山田洋次さんと高橋正圀さんとなっていて演出は他のかたです。くず屋久六の役が廓遊びの放蕩息子の渥美さんで、くず屋でなくても話は出来上がるものだと、ちゃらちゃら惚れられているという花魁のおのろけ話なぞも聞かされました。テレビの中で聞かされているのは手斧目半次の若山富三郎さんです。当然脅して、お酒と煮しめを実家の大店へ用意させるのですが、父親が五代目小さんさんで、この上方落語を江戸の噺として高座へのせたのが三代目小さんさんだそうで、きちんと落語家の関係と役者とを重ね合わせていたのだと気がつかせてもらいました。

歌舞伎座の『らくだ』のほうは、手斧目半次が松緑さんで、らくだの馬吉が死んでいるのを発見します。自分でフグをさばいてフグの毒にあたってしまったのです。らくだは長屋の皆から嫌われていて誰も弔いをしないので半次が弔ってやることにしますが、そこに折りよく現れたのがくず屋の久六の染五郎さんです。

虫も殺さぬような久六は、半次の言いつけで大家のところへ弔いのためのお酒と煮しめを出させにやられます。口上として出さないなら死人のかんかんのう(当時はやったおどり)を披露するといいます。大家の歌六さんはやるならやってみろと掛け合いません。そこで半次はらくだを久六に背負わせて大家宅へのりこみます。

ここからが、死人のらくだの亀寿さんの出番で、久六の見せ場でもあります。半次が大家さんに掛け合っているときの、らくだと久六の可笑しな悪戦苦闘が大笑いです。これだけ染五郎さんに邪魔されるのですから、松緑さんはもっと凄んだワルの半次でいいと思いました。そのあともありますからね。

ついに半次は大家さんの座敷に乗り込み、近所から聞こえる浄瑠璃に合わせてらくだの人形使いとなり、大家さんのおかみさんの東蔵さん(おそくなりましたが人間国宝おめでとうございます)も死人に辟易です。ついにお酒と煮しめを手にいれました。

さて、満足の半次ですが、久六にも酒をすすめます。ですから、もっと強面にやっつけておけばよかったのです。酒で半次と久六の立場は逆転するのです。小さくなっていく半次。久六は早桶にらくだを入れ担いで寺へ運ぶ手伝いをするというのです。そんなことをしてもらっては申し訳ないという半次。半次はなんとか久六を帰したいのですが、なんでおれに担がせないのだとますますからんできます。

そこへ半次の妹のおやす(米吉)が再び実家が大変なことになっていると報告にきますが、こちらはこちらで、久六とらくだがとんでもない状態なのでした。米吉さんは自分の実家のことしか頭にないということで、正面をむいてしゃべっていいと思います。そのほうが客に台詞がわかりますから。そしてどひゃと驚く。

早桶のかわりの四斗だるを担いで焼き場へ行く道中も加わるのが上方落語の『らくだの葬列』なのですが、ここははし折られています。渥美さんと若山さんは、らくだ(犬塚弘)の死人の踊りはなく、早桶にらくだを納め運びます。酔っていい気分でフラフラと先棒を担ぐ渥美さんに必死に後棒を担ぐ若山さんでした。

この映像が頭に残っていたので、染五郎さんが酔って早桶を担ぐといったとき、とんでもないと辞退する松緑さんにごもっともと賛成して笑ってしまいましたが、もしかするとここを笑いで受けとめるまでいかない方が多かったかもしれません。二人で担ぐ格好を見せて笑いをとる方法もあるなとも思った次第です。

語りだけの落語から身体も加えて勝負できるのが、歌舞伎の強みだよ~なんて。

歌舞伎座 秀山祭九月歌舞伎 『吉野川』

『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の<山の段>ともいわれるのが『吉野川』です。

徳川時代の後期、明和8年(1771年)に人形浄瑠璃として上演されていて、この頃は古代研究も盛んで反幕府勢力が古代天皇制に傾倒していったということもあったようで、芝居も蘇我入鹿(そがのいるか)が皇位をねらって反乱を起こすという政治背景となっています。

権力者蘇我入鹿によって押し付けられた子供に対する受け入れがたい命令を、何とか守ってやりたい親でありながら、どうする事も出来ず、思いもしなかった結末となるのですが、筋は知っていながら、涙、涙のクライマックスでした。

桜で満開の吉野川をはさんで、右には紀伊国の大判事清澄の屋敷、左には大和国の太宰家の未亡人定高の屋敷があります。この両家には息子と娘がいて、愛し合っているのですが、両家は領地問題で昔から争っていて許されない仲なのです。

大判事の息子・久我之助(染五郎)と太宰の娘・雛鳥(ひなどり・菊之助)は吉野川をはさんでやっと言葉を交わしている時、親の帰ってきたことが告げられ、双方の開いた障子はまた閉ざされてしまいます。

両花道から、大判事(吉右衛門)と定高(玉三郎)が重い足取りで現れます。それぞれ二人は入鹿から難題を申し受けての帰りです。

久我之助は天皇に味方して入鹿打倒に加わったとの疑いから出頭を命じられ、雛鳥は入鹿の妻として入内することを命じられたのです。

二人は、親といえども子供は別のことでどうするのかと尋ね合います。ここが親の心情を隠しそれぞれ家の誉と言い合う聴きどころです。首尾が叶ったなら桜の一枝を吉野川に流す約束をします。

帰って子に正してみれば、それは親の本心と同じでした。久我之助は出頭を拒み自害、雛鳥も久我之助に操を立てて母に殺してくれと頼みます。親の望んでいたこととはいえ、その子供の決心にうたれ親は涙します。

娘に入内を勧める時の玉三郎さんの複雑な表情が、推理に推理をよび、本心はどちらなのかとこちらもその複雑な想いに混乱してきます。そして、雛鳥がやはり殺してくれというと、でかしたといいますがなんとも測りがたい表情です。そう望んでもそれは死なのですから。

お互いの親は相手の子供だけでも助けたいと桜の枝を流します。ところが、お互いの子が死を選んだと知って驚き動転します。大判事の吉右衛門さんは、それまでの自身の芯が折れたように、柱を背にくずおれてしまいます。

吉野川にひな祭りの道具と雛鳥の首の入った輿が嫁入りとしてながされ大判事のもとに届きます。大判事は、雛鳥を息絶え絶えの久我之助にみせ目出度く祝言とします。

定高側の領分が妹山で大判事側の領分を背山とし、その妹背の山に流るる吉野川の水盃で祝言とし、祝いのご馳走は桜花という美しさですが、残された親の心情の悲しさには美しすぎる背景です。

役者さんの大きさで、時代の嵐とそれに立ち向かいつつも失ってしまう命の愛おしさがいかんなく表現された舞台でした。

自分の意思を貫く染五郎さんと菊之助さんに悲哀と愛らしさがあり、腰元の梅枝さんに主人を想う一生懸命さがあり、道化役の腰元の萬太郎さんに自然な愛嬌があり可笑しさを良い具合にふりまいていました。

 

 

歌舞伎座 秀山祭九月歌舞伎『一條大蔵譚』

旧派の50年は、二代目吉右衛門さんが二代目を襲名してから50年というこです。かなり若くして二代目を襲名されたわけで、初代のご贔屓がわんさとおられさらに当時の批評家連は厳しかったでしょうから御苦労様なことであったと想像します。

<秀山>とは初代吉右衛門さんの俳句の号で、それを使って初代の芸を顕彰するために「秀山祭」として始められた公演でこちらは10年となります。ある劇評家のかたが「初代の芸は芝居が終ると誰かと一杯飲みつつ語りあいたくなるが、二代目は、一人家に帰って蒲団をかぶりたくなる」と言われたことを思い出します。初代は演目からちょっと想像できないのですが<陽>で二代目は<陰>ということのようです。

「秀山祭」ということで『一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』と『吉野川 (妹背山婦女庭訓)』からとします。

阿呆の大蔵卿は、清盛から自分が寵愛した常盤御前を押し付けられます。大蔵卿は阿呆ですからはいはいとなんでもござれです。ところが、源氏の家来のなかには常盤御前をゆるすことが出来ずの大蔵卿邸に忍び込み常盤御前を諌めようとする者もいます。

阿呆の大蔵卿の出を観客は待ちます。どんな阿呆ぶりかと。今回の吉右衛門さんは演じているすき間のない阿呆そのものの出現でした。このぐらいの阿呆ぶりでなければ、清盛をだますことはできないでしょう。

最初の場が常盤御前を諌めようとする鬼次郎夫婦(菊之助、梅枝)に緊張感が漂っていて、そこへ大好きな舞を楽しんでの超ご機嫌の大蔵卿の出で、まだその楽しさが残っているという感じで、鬼次郎の妻・お京を狂言師として雇い入れる流れは上手く出来ています。衆人の前でのお京雇いも局の鳴瀬(京妙)の無用な疑いをかけられないための計らいで、「太郎冠者の鳴瀬おるか」「次郎冠者のお京おるか」のあたりも全て狂言にしてしまう大蔵卿の阿呆ぶりは、よく考えれば頭脳明晰です。

鬼次郎を見かけ、本能的に見てはならないものを見たという感じでハラリと扇で顔を隠し表情を悟られない様にして楽しく花道を帰っていきます。身体もどこかしらふわふわしていて、花を楽しむ蝶のような感じの大蔵卿の阿呆ぶりでした。

お京は鬼次郎を屋敷に招き入れ、楊弓を楽しむ常盤御前に意見し弓で打擲します。常盤はそれを褒め、的の後ろに清盛の絵姿を隠し射って命中させていた本心を明かします。魁春さんの常盤御前、今までで一番若く感じました。歌右衛門さんの品格の大切さを守ってこられ、そこに一つ加えたか減らしたかはわかりませんが、何かのマジックはあったのでしょう。動きは静かですが、全体の雰囲気が若いのです。不思議です。

鳴瀬の夫・勘解由(吉之助改め吉之丞)はそれを聴いて清盛に注進しようとします。そうはさせまいと御簾の中から長刀で勘解由は斬られます。目も覚めるような正気ぶりの大蔵卿です。清盛の横暴な時代を生きぬくための作り阿呆で、幼子を抱えていた常盤の生き方をも、大蔵卿は理解していたのです。

一途な鬼次郎夫婦は、常盤御前の本心、大蔵卿の二面性に力を得て、清盛りを討つことを誓います。菊之助さんと梅枝さんの若い役者さんと吉右衛門さんと魁春さんの熟練した役者さんの相違が、役者さんと役とが重なり良い組み合わせとなりました。

この大蔵卿の二面性のでてくるそれぞれの場面が上手く折り込まれていて観客は、大蔵卿の苦労も役者さんの苦労も何処かへ飛ばして笑わせてもらいました。それぐらい飛んでる阿呆でした。

新派の『深川年増』にでてきた演劇改良運動のこともあって、「歌舞伎の歴史」(今尾哲也著)を読み返していて、大蔵卿は時代の中での<カブキ者>であると感じました。逆らわないと見せかけ、生き続け、その道はずーっと続いている<カブキ>の歴史と重なりました。

それとは別の生き方が『吉野山』の悲劇へと集約される一途な生き方ともかさなったのです。