『仮名手本忠臣蔵』(歌舞伎座12月) (1)

今回は11月で筋は書いたように思うので、印象に残ったところをピックアップしていこうと思う。

先ずは台詞などを勝手に繋いだ部分の訂正から。『仮名手本忠臣蔵』 (歌舞伎座11月) (2)で<塩冶判官はやっと心中を吐露出来る人物が現れ苦しさの中から、由良之助に伝える。「憎っくきは加古川本蔵・・・」そこで由良之助はその言葉を全部まで言わせない。この場に及んでそのことは言われるなと止める。>と書いたが、塩冶判官が加古川本蔵に抱きかかえられ無念と思う気持ちを伝えるのは、上使の(切腹を言い渡しに来た使者)石堂右馬之丞と薬師寺次郎左衛門に対してであった。その後由良之助が登場し、仔細は聞いたであろうと由良之助に問いかけ無念さを表し、それ以上はと由良之助が止めるのであるが、加古川本蔵に対する気持ちもこの時伝えたと思い違いをしていたのである。しかし、塩冶判官の中にはそのことも伝えたいという想いはあったはずで、それら全てを受けての由良之助の得心と思う。そこのところも重なっての男と男の約束と受け取ったのである。

12月のほうは、塩冶が菊之助さんで由良之助が幸四郎さん。年齢差の違いもあってか、若い城主に対する経験を踏んだ家老の引き受け方に写った。役者さんの組み合わせによっても芝居の感じは違うものである。

菊之助さんは、おっとりとして、血気にはやる染五郎さんの若狭之助を抑える。そのおっとりが次第に師直の嫌がらせに持ちこたえられなくなる様を出し、力尽きて由良之助に託す。顔世御前の七之助さんはその儚さが、塩冶判官の死を一層無念で悲壮なものにした。その若い主人の無念さを幸四郎さんがグッと受け止める。

斧定九郎の獅童さんが役にはまっていた。雨に濡れた髪のしずくを払い、袂を絞り、財布のお金を数えようと足の位置が決まり、決まったなと見えたら財布の中の指がゆっくり動いている。このタイミングが良い。そして、鉄砲に撃たれて振り向き、口から血が垂れるのはと思ったと同時に膝上に口から血が滴り落ちてきた。動きを貯めていながら、こちらの見たい時間にスーと動いてくれるので目が離せない。動きとこちらの思いが一致する。姿、形といい満足、満足。

獅童さんのお母さんが亡くなられた。舞台の十一段目では動きの激しい小林平八郎役である。千穐楽まで怪我のないように努められてほしい。もう一人歌舞伎役者さんで亡くなられた方がおられる。坂東 三津之助さんである。みの虫さん時代に印象づけられたのであるが、目もとに特徴があり、少し前かがみで大勢の時でも捜すことが出来、いました!いました!と見つけるとなぜか安心できる方であった。  【 合掌 】

 

平成25年12月国立劇場 歌舞伎公演 (3)

『忠臣蔵形容画合』は、仮名手本忠臣蔵を基盤にした舞踏劇とでも言えそうである。仮名手本忠臣蔵のパロディーとも言える。大序から七段目までである。作者はあの河竹黙阿弥。

初演は慶応元年(1865)で明治元年(1868)が慶応4年の9月8日からであるから、明治になる約3年前であろうか。ということは、幕末の紛糾している時でもある。その時期に忠臣蔵をパロディー化するということは、黙阿弥は武士の時代は終わると考えていたのであろうか。そのあたりの黙阿弥の考えを知りたいものである。黙阿弥が亡くなるのは、明治26年(1893)78歳の時である。黙阿弥は江戸時代を約50年、明治時代を約30年生きたことになり、明治に入っても作品は数多く書いている。江戸と明治に分けて黙阿弥の作品の変化を調べると黙阿弥の時代性が出てくるのかもしれない。そう思うだけであるが、そう考えるとこの『忠臣蔵形容画合』も時代の狭間に入っているようで、興味がわく。

『仮名手本忠臣蔵』と違い、軽いタッチのものである。音楽も竹本、清本、長唄と変化に富んでいる。大序の鶴ケ岡八幡宮前での、師直(又五郎)、塩冶判官(種之助)、若狭之助(歌昇)が引き抜きで奴三人となり踊るのである。酒による、怒り上戸、笑い上戸、泣き上戸である。又五郎さんとお子さん二人の踊りは初めてである。種之助さんは、愛嬌のある笑い上戸であった。おかると勘平の色にふけったばっかりにの逢引場面は米吉さんと隼人さんコンビ。

顔世御前(魁春)の桜の場面は初めてである。廣松さんが女方。記憶に残っているのは力弥。今回の力弥は鷹之資さん。11月の歌舞伎座でも力弥でした。何れは供奴を踊るでしょう。

斧定九郎が、歌六さんで凄味があります。ところが、与市兵衛との二役で、さらに猪となった与市兵衛と踊るという趣向。あれあれ花道に来てしまった。でもやはり鉄砲には撃たれます。与市兵衛の女房おかや(東蔵)は、与市兵衛と勘平を偲んで村の衆と念仏踊り。いつも忠義側の松江さんもひょうきんにと努められているのが可笑しい。

七段目はおかる(芝雀)と平右衛門(錦之助)の人形振り。思いかけない様々な様式を使いこの役がこんなかたちでと楽しみました。そして役者さんたちの変貌ぶりにも楽しませてもらいました。吉右衛門さんは定番の由良之助で貫禄たっぷりに締めて下さった。

黙阿弥さんは楽しんで書かれたのでしょうか。それともこれだけのアイデア四苦八苦だったのでしょうか。前者と思います。

供奴が出ましたので横道へ。『小石川の家』(青木玉著)の「長唄」に、露伴さんが三味線音楽で最も好んだのは長唄だろうと書かれていて、家で先生と供奴をお稽古している時の様子が描かれている。「時に祖父も混じって大合唱のテンツルテンツルで「見はぐるまいぞや、合点だ」となる。」 露伴さんが供奴を唄うとは、なんだかパロディーのようである。ラジオから流れる長唄もよく聞かれていたようである。

 

平成25年12月国立劇場 歌舞伎公演 (2)

『弥作の鎌腹』は、千崎弥五郎と百姓をしている兄・弥作の話である。仮名手本忠臣蔵で千崎弥五郎は、山崎街道で勘平に会い、勘平に討ち入りを打ち明けた人物である。勘平はその時同志への拠出金を約束し、猪を撃ったつもりが人でその人の懐から50両盗んでしまい、そのお金を弥五郎に渡す。おかるも一文字屋へ引き取られ、姑に舅を撃ち殺したと責め立てられているところへ弥五郎と不破数右衛門が訪ねてくる。罪の責任をとり勘平は切腹。しかし、舅の傷は刀傷で、疑い晴れた勘平は連判状に名を連ねるのであるが、あの場面にいた、千崎弥五郎と兄の話である。江戸時代の歌舞伎好きの人であれば、芝居談義花盛りであったろう。

実直で他の百姓仲間からも慕われている弥作は、お世話になっている代官の七太夫(しちだゆう)から、弟の弥五郎を養子にとの申し込みがある。その後、隣村の代官の娘を娶るという。浪々の身となっている弟にとってこんな良い話はないと弥作は喜んで承諾する。

兄(吉右衛門)を訪れた弥五郎(又五郎)はそんな話に乗るわけにはいかないのである。これが、弥作が武士なら弟よ、武士の本懐とは何かと詰め寄るところであるが、百姓の弥作にとって、弟が良い職が見つかり生活が成り立てば良いのである。なぜ弟が断るのかわからない。弥五郎は仕方なく訳を話し、その話は内密にして代官(橘三郎)に養子の事を断ってくれと頼む。弥作は弟の固い決意を知り、代官のもとへ行く。ここから悲劇と喜劇の背中合わせが始まる。どんどん弥作は追い詰められていく。弥作が悪いわけではない。その正直さゆえに嵌められていってしまう。その辺の罪なき百姓の考えもつかない罠に嵌められていく悲しさと可笑しさを吉右衛門さんは明確に表現された。橘三郎さんも自分の利益のために脅したり賺したりその緩急が憎たらしくて、それでいながら、こういう人はいつの時代もいるなと思わせる。

弥作は本当の事を弟に言えない。仲の良い妻(芝雀)も間に入り弥作は益々混乱してしまう。そして、切腹の仕方を弟に聞くのである。この時弥作は武士なら切腹に値する事をやってしまったと思ったのであろう。塩冶判官の切腹の場は様式美で武士だから心構えということもあってか、痛いという感覚よりも、悔しさのほうが伝わるが、弥作の場合は観ている側も痛いのである。心構えもなく、その場に立たせられてしまった人の可笑しさと悲しさ。忠儀の名のもとに殉死しなければならなかった一人の百姓の物語である。

長閑な村にも、赤穂事件は侵入してきたのである。

話すつもりは無かったものを。聞くつもりは無かったものを。言うつもりはなかったものを。聞けるとは思っていなかったものを。それを何処へ伝えようか。伝えられてなるものか。ズドーン!である。そうなれば、稲を刈るかわりに鎌で・・・・・悲し・・・・

 

平成25年12月国立劇場 歌舞伎公演 (1)

今回の国立劇場の歌舞伎公演は、忠臣蔵の幹から伸びた枝葉の面白さであろうか。演目もそうであるが、出演者の役者さんも枝葉の伸び盛りの方達が多い。木枯らしにも負けず、折れそうでしなり、落葉しても色づいて風を舞う頑張りを見せていた。

『主税と右衛門七(ちからとえもしち)』『弥作の鎌腹』『忠臣蔵形容画合(ちゅしんぐらすがたのえあわせ)』

『主税と右衛門七』は、討ち入り前夜の主税と右衛門七のお互いの高ぶる気持ちの高揚を打ち明ける話である。主税(隼人)は15歳、右衛門七(歌昇)は17歳である。右衛門七は、主税が世話になっている大野屋の娘・お美津(米吉)に結婚をせまられている。今日は13日。明後日、15日に返事をすると約束する。討ち入りが終わった翌日である。それは、当然断りの返事であるが、返事をすることの出来ない事態となっていることであろう。お美津は何も知らず、右衛門七に金の鈴を渡し、自分は銀の鈴を嬉しそうに鳴らす。

少し横道に逸れるが、劇団民芸 『八月の鯨』でサラが、戦争で亡くなった夫の写真を前に一人結婚記念日を祝うところがある。ワインと白と赤のバラ二本。白のばらは真実、赤のばらは情熱とあなたは言ったとつぶやく。金と銀の鈴も和風のアクセントでお洒落である。この芝居の初演は昭和34年(1959)である。

右衛門七とお美津のことも感じ取り、主税は、恋も知らずに死んでいく自分を顧みる。右衛門七は足軽の息子である。父も死に、母は右衛門七の討ち入りの邪魔になってはいけないと自害している。自ずと、主税と右衛門七の立場は違う。そのことを踏まえて二人は、友人のように、兄弟のように打ち解け合い語り飲む。欲をいうなら、歌昇さんには、足軽の立場から友人、あるいは兄の立場となるところの変化が欲しかった。心理を語るのは上手い。歌舞伎の場合、この立場、階級的雰囲気が大切と思う。それは隼人さんにも言えることで、この形を分らせて初めて、歌舞伎の心理劇は成立すると思う。そこが歌舞伎の厄介なところである。米吉さんは町娘の愛らしさを段取りよく動いていた。時間がたつと考えずに動けるようになるのであろう。お琴、足軽踊りなど心理にかぶせる音、動きも加わり若手としては遣り甲斐のある作品と思う。短すぎる青春である。

そんな若者二人に対して、大石内蔵介(歌六)は、二人の気持ちを沈める言葉を伝え花道より迷いのない平常心で消える。

この作品の作者は、多くの映画脚本を書かれている、成澤昌茂さんで、私が見た映画(DVD)だけでも「雁」「噂の女」「新・平家物語」「赤線地帯」「浪花の恋の物語」「宮本武蔵」などがある。初演の時、右衛門七が染五郎(現幸四郎)さんで主税が萬之助(現吉右衛門)さんであった。筋書に成澤さんが当時の染五郎さんと萬之助さんの芝居に対する違いを書かれている。なるほどとその表現に納得する。初演から半世紀を超えているのである。

追記: 成澤昌茂さんがとらえた当時の染五郎さんと萬之助さん。「染五郎は、持ち前の勘の良さで役の性根をパッと掴む。萬之助は、役の性根を、じっと握りしめて、苦闘する。」

『仮名手本忠臣蔵』 (歌舞伎座11月) (4)

七段目は祇園一力茶屋の場となるが、祇園での遊興の場でそれぞれの人間関係を知らない者同士が全然違う思惑で動いていて、気がついて見れば全て繋がっていて一点に集約されていくのである。

由良之助(吉右衛門)は、祇園で放蕩三昧、仇討のことなど忘れている。ところがこの放蕩が仇討の為に敵にも味方にも悟らせない戦術ということをほとんどの観客が知っているので、由良之助役者がそれをどう演じるかを見られる場面でもある。役者さんにとって遣り甲斐があると同時に怖い場面でもあると思う。吉右衛門さんは由良之助の遊び方の柔らかさ、日常を突き抜けたゆったりしたばか騒ぎなど、パッーと劇場を包まれた。その雰囲気が上手くいけばいくほど、若い同志の怒りが由良之助に向って激昂する様が納得できるのである。その同志と共についてきた寺岡平右衛門(梅玉)が仇討に加わるために由良之助に嘆願するが、軽くあしらわれてしまう。

由良之助一人の座敷に顔世御前からの手紙を力弥が届けに来る。その力弥を返す時、「祇園を出てから急げよ」と注意を促す。この台詞も良く出来ている。酔態しつつも本性のしっかりしていることを表す。この密書を隣の部屋の二階からあのおかる(芝雀)が鏡で覗き、縁の下では師直と通じている斧九太夫が盗み読んでいた。由良之助はこの二つの事実を知り動揺するが、すぐ放蕩の由良之助にもどり、おかるを身請けして三日後には自由にして良いと告げる。おかるは大喜びである。勘平のもとへ帰れるのである。

勘平に手紙を書いているところに平右衛門が現れ、ここで平右衛門がおかるの兄であることが分かる。平右衛門はおかるの身請けの話を聞き、由良之助が手紙を読んだおかるを殺すつもりであると理解し、おかるに自分の刀で死んでくれるよう頼む。おかるは驚くが、勘平がこの世にいないことを知り兄の願いを聞き分けるのである。そこへ由良之助が現れそれを留めさせ、九太夫をおかるに討たせ平右衛門を仇討に加えるのである。

この一力茶屋でおかるは同志の妻であり、平右衛門はおかるの兄で、仇討のためなら妹をも犠牲にしようと思う腹がある。そして、密偵の九太夫の息子・定九郎はおかるの父の敵でもある。その全てを捉えた由良之助は一点に集約させるのである。この一力茶屋という狭い世界の中で、由良之助の手腕をも表している。それは広い世界を狭い舞台に乗せてしまう芝居空間の面白さである。

おかるの芝雀さんは福助さんの休演の代役であったが、歌舞伎の場合すぐそれが出来てしまう。相手が違えばそれに合わせて即、息も変えれる凄さが修練された役者さんたちにはある。仁左衛門さんも出られる予定だったのが療養を必要とされ残念であるが、体調のすぐれない時はしっかり休まれ、また素晴らしい舞台を見せていただきたい。

最後は若い役者さんたちの活躍する討ち入りの立ち回りを見せ、ついに師直は討たれるのである。(十一段目)

バランスの行き届いた『仮名手本忠臣蔵』であったと思う。複線も分かり、それぞれの決められた形の落ち着きもよく、今まで取りこぼしていた台詞も幾つか拾うことができ、それは、芝居の膨らみに重要なことであった。

 

『仮名手本忠臣蔵』 (歌舞伎座11月) (3)

主君の関係でありながら、男と男の誓いのせつなき思い(四段目)の後は、男と女の道行である。<道行旅路の花婿>。京都南座12月公演には昼の部に<道行旅路の嫁入>があります。こちらは嫁入りの旅路です。種明かしになりますが(歌舞伎を見られている方はご承知ですが)誰が誰の所に嫁に行くのか。加古川本蔵の娘・小波が、大星由良之助の息子・大星力弥のもとへお嫁入りである。その母に付き添われての道行である。その先どう考えてもすんなりとはいきそうにない。それを知りたい方は京都から東京へ起こし下さり九段目『山科閑居』をどうぞということか。さらに、国立劇場では12月は、「知られざる忠臣蔵」として、私はまだ観た事のない演目が並ぶのである。

さて<道行旅路の花婿>は、塩冶判官のそばにいなくてはならない早野勘平(梅玉)は恋人のおかる(時蔵)と逢引をしていて、刃傷ざたとなり館の中へ入れなくなる。大失態である。おかるの勧めで彼女の郷里に身を寄せる事となり、その旅路の舞踏である。おかるは勘平と所帯を持てると何処か浮き浮きしているが、勘平は切腹しようとまで考え、おかるに止められおかるの郷里へと向かうのである。この男と女の気持ちの違いなどを梅玉さんと時蔵さんが形よくしっとりと踊られる。

この二人にも、幸せとは成らぬ運命が追いかけてくる。おかるとその両親は勘平が仇討に参加したい気持ちを察し、そのための軍資金を得るため、勘平に内緒でおかるは遊女となる決心をする。そのお金を受け取ったお軽の父親は家に帰る途中、盗賊にお金を盗られ殺されてしまう。この悪い男が斧定九郎である。この短い出の悪役を中村仲蔵は工夫を凝らしたのである。今回は松緑さんである。形は良いが、顔の目の化粧の作りが好みではなかった。目の周りの線が濃過ぎていた。松緑さんの目は凄味がきくので化粧の力に頼らなくても良いと思った。この定九郎を猟師になった勘平(菊五郎)が猪と間違って撃ってしまう。暗闇の中、人を殺したと知り勘平は驚くが、お金を何とかしたいため、その懐から財布を盗んでしまう。その財布は舅の財布である。(五段目)

家に帰りつきおかるが遊女となることを知り止めるが、事の次第を聞き、自分の盗んだ財布が舅のものとわかる。自分は舅を殺しおかるが遊女となってこしらえたお金を貰いに行って受け取ったお金半金50両を盗み、そのお金を同志に仇討のための資金として渡してしまっていた。おかるは遊女屋の迎えの駕籠の人となる。苦悩する勘平。一夜の内に勘平の人生は変っていた。その心理の流れを鉄砲撃ちから勘平の思い違いの苦悩までを菊五郎さんは丁寧に演じられる。この場の出で鷹揚に構えていた勘平がどんどん追い込まれていく。姑(東蔵)に血のついた舅の財布を見られ、責められ尋ねてきた同志にもなじられ、ついに勘平は切腹するのである。しかし、舅の傷口は刀傷であることから犯人は定九郎と判明する。早まりし勘平。身の潔白が分かり連判状に血判を押し、死出の仇討参加となる。(六段目)

『仮名手本忠臣蔵』 (歌舞伎座11月) (2)

塩冶判官が腹切り刀を腹に刺す、遅かりし由良之助ついに現れる。別の部屋に控えていた家来たちが摺り足で塩冶判官の後ろにサァーと控える。こちらも由良之助は何時来るのかと待っていたわけで、この辺りの場面設定もさすがである。ここで家来たちの主君に対する忠儀心は一段と増すのである。

国家老・大星由良之助(吉右衛門)は、塩冶判官(菊五郎)の仰せに従い主君の傍による。塩冶判官はやっと心中を吐露出来る人物が現れ苦しさの中から、由良之助に伝える。「憎っくきは加古川本蔵・・・」そこで由良之助はその言葉を全部まで言わせない。この場に及んでそのことは言われるなと止める。塩冶判官もそうだなと納得する。今回初めてである。この台詞から二人の身に添う交流を感じたのは。そしてここでまで出てくる本蔵は芝居的には九段目に繋がるのである。ここにも伏線はあったのだ。この九段目は今回は無い。一月の歌舞伎座での演目となっている。この本蔵がどうなるかは来年新春のお楽しみである。

塩冶判官は腹切り刀で師直の首を取る事を暗示する。この時の塩冶判官の気持ちを汲み取るまでの由良之助のわずかな間。上使に気取られないように分かりましたと自分の腹をポンと打ち、目で伝え、塩冶判官はそれに安堵し息を引き取るのである。このお二人のやりとりは見せ場である。空気が熱かった。この主君の意思をしっかりと血刀とともに懐にした由良之助は、家来達の気持ちを押さえ敵討することを伝え、屋敷明け渡しとなる。この若き役者さん達の家来が一点に気持ちが集中しているのが分かり、この勢いを押さえる役者の大きさを見せる立役者であることが分かった。吉右衛門さんは大きな役者さんであるが、相対する力関係も必要な条件である。そして、その勢いが去ったあと、由良之助は一人屋敷の門前で主君の形見の血刀の血を手に受け口に含み性根を見据え、家紋のついた提灯のじゃばらの部分をたたみ袖にしまい屋敷を後にするのである。場面的には城明け渡しである。

評定の場で家老の斧九太夫(おのくだゆう)はお金の配分のことから我さきにその場を立ち去ってしまう。この<お金>もこれから、様々な人の人生を狂わしていくのである。賄賂といい底辺にはお金がうごめいてもいるのである。中村仲蔵が演じた斧定九郎はこの斧九太夫の息子である。やはりお金が絡む。

 

『仮名手本忠臣蔵』 (歌舞伎座11月) (1)

立川志の輔 『中村仲蔵』での解説はかなり記憶から薄れてきているが、どうなるであろうか。友人から歌舞伎座に行きたいのだが、何をやっているのかと尋ねられ11月12月は忠臣蔵と答えたところ、忠臣蔵と幕末ものはもういいよとの答が返ってきたが、分からなくもない。またと思うところもある。しかしそれがひっくり返されるかどうかは観るまで判らないところもある。

今回、筋道は一本ついている。どこに注目が行くか。前半は加古川本蔵(かこがわほんぞう)であった。塩冶判官(えんやはんがん)の妻・顔世御(かおよごぜん)に懸想した高師直(こうのもろなお)はしつこく顔世御前に付きまとい、それを桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)に見とがめられる。そのため若狭之助は師直から嫌がらせを受け、堪忍袋の緒が切れる寸前である。初めて見た時は、若狭之助を塩冶判官と思い違いをして観ていた。苛められるのが塩冶判官と思い込んでいたためである。そうではなく初めは若狭之助が嫌がらせを受け若狭之助が師直を殺そうと思うのである。それを知った若狭之助の家来・加古川本蔵が鎌倉の足利館門前で師直に進物をするのである。この時、師直の家来・鷺坂伴内(さぎさかばんない)が、本蔵に館に入り将軍の弟・足利直義の饗応の模様を見学するようにと誘う。ここで本蔵は身分上断るのであるが再度勧められ師直の駕籠の後ろから付いて行く。

この部分、進物(賄賂)から本蔵が師直について館に入るという重要なところを今まで素通りしていた。なぜ本蔵があの刃傷のあった松の間にいて、塩冶判官が師直を切りつけたとき、後ろから抱きかかえられたのか。きちんと芝居の中で説明されているのである。それは前面には出てこないが伏線としてひかれている。この伏線を線の部分の台詞が今回は太くみえたのである。

この本蔵の賄賂と、顔世御前に拒絶された返歌から、師直の苛めは塩冶判官に向けられ、押さえきれなくなった塩冶判官は刃傷へと走るのである。(三段目)

そして、塩冶判官は自宅にて、上使から切腹、さらにお家断絶、所領没収を言い渡される。この切腹の様式美の場面は、観劇にきた高校生なども真剣に見詰め緊張の時間である。家来たちが、別の部屋から主君のそばに行きたいと願い出るが、由良之助が来るまではそれはならないと塩冶判官は答える。塩冶判官はその場においてひたすら大星由良之助を待つのであるが。

 

 

11月花形歌舞伎 (明治座)

昼の部 『鳴神(なるかみ)』『瞼の母』『供奴(ともやっこ)』

夜の部 『毛抜(けぬき)』『連獅子』『権三と助十』

こちらの一押しは『連獅子』である。澤瀉屋の『連獅子』と言えるもので、躍動感に溢れていて、親獅子と子獅子の情愛というより、右近さんと弘太郎さんの若い動きを楽しむものであった。動きが良いので弘太郎さんの谷底から這い上がってからの微笑みはいらないと思う。身体の動きでその喜びは十分伝わり、緊張感は最後まであったほうが力強くて良い。

松也さんの『供奴』、個人的舞台意外での一人踊りは初めてなのではないであろうか。一生懸命さが伝わる。足のテンポも良いと思う。ただ花道の出から箱提灯が、ピタッとまっすぐに決まらず、斜めになる時があり気になった。姿を美しくとなるとそうした少しの事も影響するものである。故富十郎さんのを見直したら矢張り箱提灯も綺麗に形よく決まるのである。声の響きが良い方に変わってきた。世話物に欠かせない役者さんになりそうである。

獅童さんの『瞼の母』の忠太郎は感情を母親に手いっぱいぶつける。獅童さんの身体、容貌からすると希望としてはもう少し押さえてほしかった。秀太郎さんが自由自在の方であるから、そのほうが忠太郎の空しさがジーンと伝わるような気がした。役に成りきってその役で笑いを取ってほしい。『毛抜』は荒事でありながら、失敗もしその愛嬌で客を楽しむ。力強いのに失敗する可笑しさ。謎解きをする機転があるのに他では上手くいかない人。それは役に成りきってこその可笑しさである。ところが、世話物『権三と助十』ではアドリブで笑わせる。

隣に座られた若い方が「菊五郎劇団ではやりますが、澤瀉屋は世話物珍しいですね」と言われた。その一言から思ったのである。世話はその間が難しい。当たり前に出来ると思われるが当たり前ではなく、その役の生活、人間性を表し伝えるのは技量を要する。その技量は荒事などのように大きな表現方法よりも観客に見せづらいし解っては観客もしらける事もある。そこを充分納得しないうちにアドリブに頼るとせかっくの積み重ねの時期、もったいない事になると思う。客は役者の芸を楽しむよりもアドリブを楽しみ、その要求は増幅していくものである。その辺をしっかり心して励んでほしいものである。

嫌味なもっともらしい感想となったが、<花形>の時期は体力もあり覇気もありそこでの一生懸命さは観ている方も気持ちが良いが、ベテランが、一生懸命だと観ているほうも疲れるものである。やはりベテランは芸がありその工夫を見せる時期である。それぞれの時期を大切にして戴きたいのである。

中村獅童、市川右近、市川笑也、尾上松也、市川猿弥、市川春猿、市川寿猿、市川弘太郎、坂東新悟、市川笑三郎、市川門之助、市川右之助、片岡秀太郎

 

『伊賀越道中双六』 国立劇場11月

『伊賀越道中双六』(いがごえどうちゅうすごろく)。日本三大仇討が、この芝居の元となっている荒木又右衛門とその義弟・渡辺静馬の伊賀上野の鍵屋の辻でおこった「伊賀上野の仇討」「曽我兄弟の仇討」「赤穂浪士の仇討」だそうである。

「鍵屋の辻」は映画があったと思い調べたら、『決闘鍵屋の辻』で、監督・森一生、脚本・黒澤明、出演・三船敏郎の作品であった。今度出会うのが楽しみである。お気に入りのDVDのレンタルショップが次々と無くなり残念である。本屋さんと同じで、そこでパッケージに書かれている案内や解説、写真を見て選ぶのが楽しいのであるが、そういう楽しみは贅沢の部類に入る時代なのであろう。この映画を調べるのも、本を捜さなくても基本は分かるわけで使い分けの時代であろうか。

歌舞伎の仇討に戻すが、上杉家の家老・和田行家が沢井股五郎に殺され、行家(ゆきいえ)の息子・志津馬がその仇討を果たすまでの話である。

志津馬の姉・お谷は剣豪・唐崎政右衛門(からさきまさうえもん)と駆け落ちして夫婦になっているが、正式の結婚ではないため政右衛門は舅の仇討に手助け出来ない。そこで、お谷を去らせお谷の妹・お後を嫁に迎える。政右衛門の橋之助さんが花道から出てきたとき、由良之助役者だと思いました。これからの橋之助さんの精進が楽しみである。この唐木政右衛門屋敷の場も面白い。どうして駆け落ちまでしたお谷を離別して新しい嫁を迎えるのか。ここの疑問から納得までを橋之助さん上手く運んでくれました。そこが上手く運ばれるので新しいお嫁さんの綿帽子を取ったときの驚きと謎解きが面白くなるのである。お谷の孝太郎さんも政右衛門の一言一言に動揺したり戸惑ったりと武家の妻を維持しつつ演じられた。

別枠でよく単独で演目として出てくるのが「沼津」である。武士の敵討ちに組み込まれる庶民の悲哀が描かれる。志津馬は、吉原の花魁・瀬川の情夫であった。瀬川は今は父・平作のもとに帰りお米として貧しい中で志津馬の仇討の果たされる日を待ち望んで暮らしていた。そんなところへ、平作は呉服屋十兵衛を連れてくる。この平作と十兵衛の出会いと平作宅までのやり取りも見せ場である。年齢を逆転の十兵衛は藤十郎さんと平作は翫雀さんである。身についた関西弁で流れも良いが翫雀さんの平作は少し早すぎるように思えた。極貧の平作宅で十兵衛はお米を見初める。しかし、お米には夫があり、それが自分のお世話になっている沢井又五郎を敵とする志津馬であり、自分が所持している薬を、お米は傷を負っている志津馬に渡したいと思っていることを知る。さらに、平作は実の父であり、お米は実の妹であった。お米は今は貧しい娘であるが、かつては傾城である。門口に立つ姿などにその雰囲気を扇雀さんは映し出した。

十兵衛は全てが分かった上で、薬とお金を置き夜のうちに平作の家を後にする。十兵衛の去ったあとで平作親子は全てを理解するが、そこからさらに、平作は、敵の又五郎の行先を十兵衛の口から聞き出すため息子の後を追う。追いつくのが沼津の千本松原である。この場面が明るく千本松原の中とは思えなかったのが残念である。あの暗さの中でこそ親子の葛藤が似合うと思うのである。もちろん役者さんは夜であるからそのつもりで演じられているが、その気持ちの表現にこの明るさは損をしている。気持ちが乗らなかった。

武士の事情、庶民の事情を包含しつつ、敵討ちは成就されるのである。

沼津の千本松原へはいったことがある。日中でも暗いところである。沼津御用邸記念公園から、沼津魚市場、水門(びゅうお)の上を通り、千本松原公園へ。若山牧水記念館があり、そこで牧水が千本松を切り倒す話があったとき、先頭に立ち反対運動を起こし、この千本松原を残したことを知る。鬱蒼としていて昼間でも暗いところである。井上靖文学碑があったり、種々の歌碑がある。何でもが明るく現代化するなかで、自然の明暗が残る場所である。折角残っている場所である。舞台にもその雰囲気が欲しかった。その中で藤十郎さんの関西弁と関西歌舞伎の柔らかさを堪能したかった。