三越劇場 新派『お嬢さん乾杯』

新派は今年、125年を迎えるのだそうでその新春の演目が木下恵介監督の映画「お嬢さん乾杯」の舞台化である。木下監督は今年、生誕100年。映画「お嬢さん乾杯」は昭和24年(松竹)の作品で脚本が新藤兼人さん。新藤さんは昭和22年に映画「安城家の舞踏会」の脚本も書いていて、原節子さんがどちらも没落貴族の娘役であるが、「お嬢さん乾杯」はラブコメディである。「お嬢さん乾杯」で木下監督は原節子さんのあらゆる表情を映してくれた。その原さんに身分違いの朴訥で不器用な佐野周二さんが一目惚れをして楽しませてくれる喜劇である。

新派舞台は自動車修理工場で儲け人生はお金と思っている・圭三(市川月乃助)が、没落しかけている家のお嬢さん・泰子(瀬戸摩純)とお見合いをする。圭三は身分違いと思っているから断るつもりが一目惚れしてしまう。そこから圭三の喜びと悩みが始まる。この二人の生活環境は泰子は自分の家(池田邸)と家族。圭三は働く以外は入り浸るバー「スパロ」とそこに集う人々と弟。舞台はその二つの<池田家>と<スパロ>の場面を行き来することによって二人の置かれている環境の違いとそれぞれの場で大切にされ好かれている事がわかる。ところが繁栄していた池田家の人々は成金を受け入れる事には素直になれない部分がある。そのあたりの心理描写は新派の芸歴が物を言う。泰子の母(波乃久里子)を軸に元華族の人々を無理なく形づくり静かに主張し、圭三はその空気にドギマギする。しかし、お嬢さんの美しさと触れた事のないお嬢さんの持つ世界に驚きと喜びを感じる。そのゆれを月乃助さんは、ちょっと美男子すぎるが上手く表現した。

それに対する泰子は、圭三の世界に戸惑う。しかし馴染もうと努力する。素直な性格であるから次第に圭三の善良さが解かってくる。瀬戸摩純さんは頑な美人と思わせたお嬢さんの感情の変化を、自分を主張しつつじわじわと見せてゆく。そして飛び越すところが良い。手袋の上からのキス。さらに飛び越す術を「スパロ」のママ(水谷八重子)が教える。ママは圭三の暖かい仲間の中心でもある。

圭三は、人生はお金と思っているが女性を縛るためには使わない。その事が彼の戦争孤児を弟(井上恭太)として育て、弟の幸せを勝手に作っている自分に気づき結婚を許す。

圭三の<お嬢さん乾杯>は、お嬢さんの存在とその内面の世界なのである。

舞台美術も待たせる時間を短くし、<池田家>と<スパロ>を上手く移動させ、<場>ごとに二人の感情の起伏と変化を乗せていった。それぞれの<場>で、水谷八重子さんは明朗に圭三の聞き役として、波乃久里子さんは泰子の気持ちを確かめつつ複雑な感情の池田家のまとめ役として役どころを発揮した。新派のその時代の生活音や自然音を大事にする劇団の特色を今回は戦後間もない頃の歌謡曲の音響で時代を現す。<ピアノ>も重要な意味があり、実際に舞台にピアノが登場し、さらに泰子の瀬戸さんが実演したのは、この作品に大きな力と成った。映画では圭三がバレーの舞台を観て涙を流す良い場面があるが、それを出来ない舞台としての違う強さとなった。それが<スパロ>ではレコードとなる。繋がりもすっきりした。泰子がかつての婚約者の話をする時のギターの使い方も効果的である。舞台『お嬢さん乾杯』としてしっかり確立していた。

お嬢さんの家族/祖父(安井昌二)・祖母(青柳喜伊子)・姉(石原舞子)・姉の夫(児玉真二)  圭三の「スパロ」の仲間/川上彌生・鴫原桂・等  縁談を勧めた取引先の佐藤/田口守   [ 脚本・演出/成瀬芳一 ]

パンフレットに評論家の川本三郎さんが木下恵介映画について寄稿されていて、木下監督の実験的映画作りの一例として「カルメン純情す」では、カメラを斜めにし、「野菊の如き君なりき」では回想シーンを楕円型にトリミングしたとある。昨日、レンタル店で「野菊の如き君なりき」を手にしつつもどしたのが悔やまれる。川村さんの「銀幕の銀座」(中公新書)には『お嬢さん乾杯』も載っている。舞台では銀座とは限定していないが、新橋演舞場で花柳章太郎と初代水谷八重子の「鶴八鶴次郎」をやっている話題が出てくるので銀座なのかもしれない。

新派125年「初春新派公演」でもあり、艶やかに舞を取り入れた口上もある。

 

続・続 『日本橋』

「やがてお千世が着るやうに成ったのを、後にお孝が気が狂つてから、ふと下に着て舞扇を弄んだ、稲葉家の二階の欄干(てすり)に青柳の絲とともに乱れた、縺(もつ)るゝ玉の緒の可哀(あわれ)を曳く、燃え立つ緋と、冷い浅黄と、段染の麻の葉鹿の子は、此の時見立てたのである事を、一寸比處で云って置きたい。」の小説「日本橋」から、市川崑監督の映画『日本橋』の一場面を思い出した。

清葉(山本富士子)が、お孝(淡島千景)の病を知り見舞いのため稲葉家への路地を歩いていく。この家かしらと二階を見上げると二階の窓から舞扇が空に飛び上がるのを見る。二階では寝ているお孝が<燃え立つ緋と、冷い浅黄と、段染の麻の葉鹿の子>の襦袢を着て何回となく舞扇を空に飛ばしては堕ちてくるのを受け取っている。それがふわっと窓から飛んで清葉の腕の中に落ちる。清葉はそれを抱きかかえる。お孝は二階の欄干から姿を現し清葉を見下ろすが清葉の事はわからず視線をそらす。

この舞扇を天井に向かって投げ上げ受け取るシーンは実際に淡島さんがされてたそうで、舞扇が上がると舞扇だけをカメラが捉えるのだから他の人が飛ばしてそこを撮れなくもないが一生懸命自分で投げては受け取っていたとインタビューで語られている。この時代の役者さんは皆努力の塊である。

花柳さんに描いて贈った小村雪岱三さんの《お千世》はこの<燃え立つ緋と、冷い浅黄と、段染の麻の葉鹿の子>の襦袢を愛しげに抱きかかえている。この絵は今、日本橋西河岸地蔵寺教会にある。

お千世の役をもっらた花柳さんは稽古が終わった雪の日<重い高下駄を引ずって、西河岸の延命地蔵や一石橋や、歌吉心中のあった路次口を探し、すつかり鏡花作中の人物気取りで歩きまはつたものです。><再び、延命地蔵尊に詣つた私は「何とかして此のお千世の役の成功を希ひ、早く一人前の役者になれます様に・・・」願をかけたのです。>(大正4年本郷座初演)

昭和13年明治座での『日本橋』の再演。花柳さんは再びお千世役。<祈願の叶う嬉しさ>に花柳さんは約束していた雪岱さんの絵を奉納する事を思い立つ。雪岱さんは快く引き受けられ《お千世》の額は無事納められた。その後泉鏡花さんが此の額に 《初蝶のまひまひ拝す御堂かな》 の句を添えられ、花柳さんも 《桃割に結ひて貰ひし春日かな》 一句添えられた。

やはりたとえ様変わりしていてもふらふらその辺りを歩きたくなるものである。

 

<日本橋> →  2013年1月5日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

続 『日本橋』

昭和62年新橋演舞場の舞台『日本橋』の録画を見直した。今回の『日本橋』は玉三郎さんの鏡花の世界の『日本橋』で、昭和62年の『日本橋』は新派の『日本橋』で新派が受け継いできた芸の継承である。後半に入ってどうも繋がりが悪く感じていたのは、見返してみて納得できた。

この録画は平成4年のNHK・BSの新春スペシャル番組で玉三郎さんの芸を長時間に及んで放送したもので時間的関係から舞台が割愛されているためであった。其の事を踏まえても今回の『日本橋』の面白さは、新派の形を残しつつも、新たな世界を見せてくれた事である。

あらためて見直して仁左衛門さんの葛木は新派の芸に花を添えていた。伝吾との対決の場では迫力があり、最後に熊(伝吾)に投げつける台詞は鏡花の自然文学への切捨てをも含ませてきこえた。若い松田悟志さんを葛木に起用し、そこは玉三郎さん上手く鏡花の世界に取り込んだ。松田さんは玉三郎さんに言われたそうである。<頼むからダメだしを私にださせないで。恋人役にダメ出しなんてしたくないから>と。玉三郎さんらしい言い方である。

平成4年の録画の中で、篠山紀信さんと一緒の時、玉三郎さんは<篠山さんは話題づくりが上手いから>といわれた。話の内容から同じ解釈はできないが、昨年、篠山さんは写真展をされた時、木枯らしの吹く頃電車のホームから大きな山口百恵さんの海の浅瀬に水着の肢体を伸ばした写真が目に飛び込んできた。篠山紀信さんの写真展の案内板であった。こちらの肌の感触の寒さとその写真は物凄い温度さがあり、篠山さんはどうしてあの写真を選んだのだろう。私には宣伝効果が浮かび、そんな必要ないのにとちょっとムッとして見にいかなかった。素人と芸術家の感じ方の違いであろうが。

横道にそれたが、『日本橋』のお千世役の新人の齋藤菜月さんは雰囲気が役にぴったりである。お千世の着物が大正時代を善く現していて、柔らかくストンと下がりそれでいて体の動きを可愛らしく見せ、あれは齋藤さんの体の動きだけではなく布地の力もあったと思う。小村雪岱さんに言わせると装置とか衣装が自己主張してはいけないのだがやはりその力は大きいと思う。一石橋で清葉が裾から見せる麻の葉模様の白に近い空色と朱色の長襦袢、それをお孝はお千世に仕立てて稲葉家の二階で渡すのであるが、その長襦袢の事を鏡花は小説のほうで次のように表現している。(今回お孝がお千世に渡すこの場はなかった)

「やがてお千世が着るやうに成ったのを、後にお孝が気が狂つてから、ふと下に着て舞扇を弄んだ、稲葉家の二階の欄干(てすり)に青柳の絲とともに乱れた、縺(もつ)るゝ玉の緒の可哀(あわれ)を曳く、燃え立つ緋と、冷い浅黄と、段染の麻の葉鹿の子は、此の時見立てたのである事を、一寸比處で云って置きたい。」

お千世は花柳章太郎さんの出世作となった役である。このお千世役を見て小村雪岱さんは『日本橋』のお千世の絵を花柳さんのために描くことを約束するのである。(「日本橋檜物町」の中の花柳章太郎の文<二つの形美>)

 

<日本橋> →   2013年1月4日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

 

2012年締めの観劇 『日本橋』

2012年の最後の観劇が、日生劇場の『日本橋』になった。最後にしてまたもや良い芝居に巡りあえた。 録画で玉三郎さんと孝夫(仁左衛門)さんの『日本橋』も観た。他の方々のも観たが、どうも腑に落ちなかった。泉鏡花の世界はこれだけか。自然主義に挑戦してきた彼の花柳界を描いたものがこんなところに落ち着いていい訳が無い。小説を自ら戯曲にしたのであるから舞台の上で、芝居として表現してこそ自分の世界を現せると考えたのではないか。玉三郎さんにとって25年目の『日本橋』である。それまで演じられてきた足跡は確実に『日本橋』を鏡花の世界にした。

言葉は美しくさらに『日本橋』にも<異界>はあった。それは、葛木の姉の身代わりの人形の世界である。

稲葉家のお孝と葛木の出会う一石橋の場面がいい。もうここで鏡花の言葉と世界に操られる。雛祭りに供えた栄螺(さざえ)と蛤(はまぐり)を汐入りの川へ返してやる放生会、その事自体が粋である。葛木はそのため巡査の不審尋問にあう。お孝は、巡査に向かって、雛にあげて口を利いた生き物を蒸したり焼いたり出来ないと伝法に言い放つ。この辺の言葉からもうお孝の人物像ははっきりしている。

葛木は姉に似ている瀧の家の清葉に7年目にして打ち明けるが清葉は旦那があり葛木を受け入れない。お孝はその事を知っていて葛木に近づいたのである。お孝の中にはその時邪悪なものが在ったのかもしれないが、葛木にも観客にも見えない。見えないだけに五十嵐伝吾との事で後悔するお孝の苦しみが悲痛である。

葛木が清葉との事をお孝に話して聞かせるとき、回り舞台を使い清葉を登場させ、お孝を明かりの外に置く。これは、葛木が清葉との会話を全てお孝に誠実に話したことになり、また重要な姉のことがくっきりと浮かび上がる。葛木の姉は自分に学問をさせるため人の妾となり、絶対に自分と会おうとしない。葛木が学校を卒業すると姉は雛人形と姉に似た人形を残し姿を消してしまう。姉は弟に対し自分の現実の姿を見せようとはしない。姉が弟に残すのは<異界>の姉である。葛木は生身の姉を受け入れようとするが姉はそれを許さない。葛木は一層生身の姉を求める。ところが夫婦とも思ったお孝が伝吾をもてあそんだと知ったとき彼は、姉を捜す旅に出てしまう。

その事を告げられる前に葛木の研究室でお孝はお雛様の飾った横に姉に似た人形を抱かせてもらう。黒の羽織を脱ぎそれに包んで抱きたかったという。お孝はその人形で自分を浄化させたいと願っているようでもある。しかし<異界>の人形はそれを拒否する。

葛木が旅に出てからお孝は気がふれてしまう。伝吾はお孝と間違いお千世を殺してしまう。正気にもどったお孝は、伝吾を殺し硝酸を飲み、戻っていった葛木の腕の中で、清葉に葛木の事を託すのである。この時思ったのは、お孝は葛木が望んでも入る事の出来ない<異界>から清葉に預けることで切り離し、自分が<異界>に入ったなと感じた。人形はそれを許したのである。それが私の『日本橋』の鏡花の世界観である。

出て来る市井の人々も生き生きとしている。もっと人間の交差は入り組んでいる。その中で必要な部分は浮かび上がらせる。とにかくお孝さんも清葉さんも着物の着付け方、左つまの位置、立ち姿、動きかた、美しい。ため息がでる。清葉の帯指した笛の包みの薄いブルーも美しい。彼女は笛の名手なのだがそれを使うこともなくなっている。お孝が最後清葉の笛の音の中で死出に旅立つが、それは、芸に生きてねとも伝えているようである。

一つだけ残念だったのは、路地を舞台装置として作れなかったことである。葛木が日本橋に戻ったとき背景の絵に屋根を描きその雰囲気を出そうとしていたが、金沢の鏡花の住んだ町からしても路地が欲しかった。残念である。

作・泉鏡花/演出・齋藤雅文・坂東玉三郎/ 稲葉家お孝(坂東玉三郎)・滝の家清葉(高橋恵子)・葛木晋三(松田悟志)・五十嵐伝吾(永島敏行)・お千世(齋藤菜月)・巡査(藤堂新二)・植木屋(江原真二郎)

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<日本橋> →  2013年1月3日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

《満天姫》の周辺と大滝秀治さんの事など

舞台『満天の桜』の脚本家・畑澤聖悟さんは、民藝への書き下ろしはこれが二作目で、一作目『カミサマの恋』では、奈良岡朋子さんが津軽弁で演じられたので観たかったのであるが残念ながら時間が取れなかった。奈良岡さんは女学生時代弘前に疎開されてて、きちんとした津軽弁であったようだ。

畑澤さんは青森県立青森中央高校の演劇部顧問でもあり震災の被災地からの転校生を巡る作品『もしイタ~もし高校野球のマネージャーが「イタコ」を呼んだら』をつくり、第58回全国高等学校演劇大会で最優秀賞を受賞している。被災各地を部員とともに無償で上演してもいるらしい。

満天姫に関しては、歴史小説「満天姫伝」(高橋銀次郎著)があり、ネットで「満天姫旅日記」を検索すると、作者の取材の旅を辿ることができる。チラッとのぞかせてもらったが思いがけない地にも満天姫の足跡があるようで再度ゆっくり読ませてもらう。

劇団民藝の長老・大滝秀治さんが役者人生を全うされた。最後に観た『巨匠』の最後まで俳優を貫いた役と重なる。ありがたい事に『浅草物語』『喜劇の殿さん』『座漁莊の人びと』なども観させてもらった。思うに、三演目とも小幡欣治さんの脚本で奈良岡朋子さんとの競演である。

『浅草物語』では、吉原の花魁あがりの20歳年下の奈良岡さんに惚れて結婚を考える大滝さん。結婚などさらさら考えていないさっぱりの奈良岡さんに対し、ルンルンの大滝さんが可笑しかった。『喜劇の殿さん』は喜劇役者ロッパさんの話。一世を風靡したロッパ(大滝)さんも晩年は日のあたらない場所に。ミヤコ蝶々(奈良岡)さんが、自分の劇団に招くが演技になら無い。楽屋でこれだけをしてくれればいいからと指導するがそれも覚束なくなっていた。『座漁莊の人びと』では西園寺公望(大滝)の別荘・座漁莊にもと奉公していた新橋の芸者・片品つる(奈良岡)が執事に懇願され女中頭として7人の女中を束ねていく。これは西園寺公望さんがどういう方かよくわからないので困ったが、つるさんが西園寺さんの為に女中さんたちをまとめていくところは面白かった。西園寺さんは偉い方でも、日常的にはつるさんに任せるしかない。何か奈良岡さんがいつも大滝さんをしっかり支える役で、それがお二人の演技に合っていて、その兼ね合いをいつも楽しませてもらっていたような気がする。その掛け合いがもう観られないのは淋しいことである。合掌。

 

 

 

三越劇場 『満天の桜』

劇団民藝の公演である。津軽藩主二代目の時代の物語である。頼朝の鎌倉幕府は始めての武家政治で、戦って勝った者に土地を与えると云う事で統治していった。非常にわかりやす、力ある者が得るという世界である。徳川になってからは、もう戦って勝った者に土地を与える土地がない。ある土地を上手くまわすだけである。

お家騒動があればそれを理由にお取りつぶしとなり、継ぐ跡取りがいなければこれもお取りつぶしとなり、誰かに与えたりする。そんな時代である。芸洲、福島正則の養嗣子(ようしし・跡を継ぐ養子)正之に家康は姪の満天姫(まてんひめ)を養女とし、嫁がせる。満天姫は直秀をもうけるが、夫・正之は幽閉され獄死する。その後満天姫は実子の直秀を弟とし、津軽藩二代目藩主・津軽信枚に再嫁する。これも家康の北を統治する策略である。

信枚には石田三成の娘との間にもうけた信義がおり、満天姫は自分の子を津軽藩家老の養子とし信義を津軽家嫡男として育て夫亡き後は信義を三代目藩主とする。満天姫は葉縦院と名乗り津軽藩のために尽力するが、実子・直秀が福島家再興を言い出す。そんなことをお上に申し出れば津軽藩はお取りつぶしであり、直秀の命もなくなる。

満天姫の幼い頃から仕えた女中頭・松島は、家康近くに仕える南光坊天海が訪ねて来た事に重大さを察し、天海と話し合う。ここがこの芝居の一番のかなめである。直秀の命と引きかえにしか津軽藩と天下泰平は守れない。松島(奈良岡朋子)と南光坊天海(伊藤孝雄)の会談は緊迫感があり、どうしてもそうせざるおえないと納得させる空気に充ちている。

直秀の中には、母を姉としか呼べず、家老の養子である屈折から死をかけても主張しようとする何かが渦巻いているようである。静かにしていれば平穏に暮らせるという母の願いも聞き入れない。

ついに決断しなければならなくなる。直秀が桜が好きと思い松島は苦労して桜をやっと一本、十数年かけて花を咲かせる。直秀は桜を好きだと言ったのは姉(母)だと話す。松島は結果的に満天姫のために桜を育てていたのである。直秀亡き後満天姫は松島と口をきいてくれず、亡くなる。松島は城を去り、ひたすら城内に桜を植え続ける。

舞台は桜を植える年老いた松島の姿で始まりそして終わる。泰平の世になっても時代に翻弄される人々の物語である。子の命のみを考え生きてきたのにそれが叶わず、主人の安泰のみを考えていたのに深い溝を作ってしまう悲しさ。大義名分では埋め尽くせぬ悲しみである。桜のみがその心を知っている。

 

『バカのカベ~フランス風~』(加藤健一事務所)

時のながれも粋なもので、風間杜夫さんと加藤健一さん息もぴったりである。

風間杜夫、加藤健一とくれば<つかこうへい>だが、その頃は演劇雑誌か何かで「熱海殺人事件」を読んで、こんな台詞をどうやって料理して舞台に載せるのかと想像がつかなかった。舞台の汗だらけの役者さんの写真と劇評を読んでもやはり想像力はこの台詞たちを突き抜けられなかった。つかこうへいさん作・演出の初めての舞台は、「熱海殺人事件/モンテカルロ・イリュージョン」で感じはつかめたので、最初に読んだ戯曲の舞台を楽しみに待ちやっと見れた時は嬉しかった。台詞と役者の動きが突発的であるのに必然でもあるようにも思わせ、それは不合理だと思わせていつの間にか納得させられてしまうその押し寄せる波は、怖さと快感を伴っている。今度はだまされないぞと思っているのにまた裏をかかれる。世の中よく見つめなければ。

とにかく動き回りしゃべりつづけたお二人の30年ぶりの共演(競演)である。文句なく楽しい。登場人物になりきっていただければ話の展開としては笑わせてくれる話なのであるが、そう簡単なものではない。ドタバタで終わってしまう可能性もある。

ピエール(風間杜夫)は毎週火曜日、変わり者を招待し本人には気づかれないように「バカ」として仲間内で笑って楽しむという悪趣味がある。そんな事を知らず招待されたフランソワ(加藤健一)は自分の趣味のマッチで作る橋や塔の事を理解してくれる新たな友人が出来ると思い込んでいる。ピエールがぎっくり腰になってしまいフランソワと自分のマンションで待ち合わせて行こうと思っていた悪趣味のパーテーにいけなくなる。動けないピエールはやってきたフランソワに来週に延ばすことを了承してもらい、来週の為にフランソワから笑いのねたを捜しておこうとする。動けないピエールの事を思ってやるフランソワの行動は自分の思い込みを優先させ脱線し誠実でありながらどんどんピエールを窮地に追い込んでいってしまう。動けないといってもフランソワとのからみで動かざるえないピエール。つかさんが見たら30年後のおまえたちの動きにしては上出来だといいそうで可笑しい。笑い者にされかけたフランソワが引き起こす渦はあるところでキュウーと上手く治まるかに見えて・・・・

風間さんと加藤さんのそれぞれが歩まれた芝居の経験のコラボの上手さだと思う。ピエールとフランソワの人物像がしっかりしているのできちんと役の登場人物を楽しめる。そこの基本はお二人共通していると思える。どんなに笑っても観たあとで、ピエールはこんな人、フランソワはこんな人と人物像が残る。お二人気が合って楽しそうに演っておられるがそれだけの役者魂とは思われない。よく笑わせてもらいました。つまらぬ事をぐだぐだ書いて笑われているのは承知のうえである。

 

 

新派 『葛西橋』 (2)

葛西橋」は北條秀司戯曲撰集によると今回の上演とは違う筋になっている。
おぎんと友次郎は友次郎が樺太に逃走する前に、ふたたび結ばれてしまう。その事をを菊枝は知ってしまい荒川放水路に飛び込むのである。菊枝は助かり、おぎんは友次郎に菊枝の事は任せておいてと葛西橋から友次郎を見送る。
昭和35年2月に明治座での初演は戯曲撰集の筋のままで上演されている。
昭和50年5月 新橋演舞場での公演では台本も全改訂と明記され今回の形となっている。

北條さんは花柳章太郎さんの芸を意識して書かれたのであろうが、15年を経過して大幅に改訂したのは時代の流れをも考慮したのであろうか。3役を一人で演じる変化の妙。そして、菊枝を姉の呪縛から自からの力で解き放つ女性として描く新しさ。昭和初期を回顧するだけではない新派の手探りがそこには見えるのだが。

横道にそれるが、菊枝が一時行方をくらました時泊まっていたのが<霊巌島(霊岸島)の舟宿>である。この霊巌島は現在の中央区新川一丁目・二丁目である。江戸時代埋め立てられそこに霊巌寺が建立され霊巌島と呼ばれるようになったようだが、【本所の灯り(3)】(8/23)2012年8月23日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)で出てきた霊巌寺と同じ寺である。

>霊巌寺は江戸六地蔵の一つで、寛政の改革を行った松平定信の墓がある。

明暦の大火で焼失し、現在の深川に移転したのであるが霊巌島の地名は残ったのである。深川だと永代橋を渡ると霊巌島につく。霊巌島には、霊岸島汽船発着所があり、房総・伊豆半島、大島、八丈島などへ船が通っていた。

菊枝はそこから伊豆に渡り友次郎のために身を売ろうとしたのである。誰にも知られないようにと考えたのであろう。新派全盛のころは、霊巌島と聴いただけでまだ観客はその地が浮かびあがったことだろう。

このあたりも北條秀司さんの東京に対する思いがあるようで、「東京慕情」三部作の『佃の渡し』『葛西橋』『百花園裏』は墨田川の東にあたり、埋め立てられた地に住む人々のしたたかさと悲哀を新派の芸で残そうとしたのである。

久保田万太郎さんの小説「きのうのこと」にふれ、喜多村緑郎らしき役者とただプラプラと深川界隈をあるいてまわっただけのことを書いたものだが北條さんは久保田さんの代表作品の中に指折っている。葛西橋・洲崎遊郭もよく歩かれたようでその 風景に馴染んでいる人々の生活を残そうとしている。洲崎遊郭に関しても、新派の長老の役者さんたちから話を聞いている。

『佃の渡し』『百花園裏』も台本で読んだが、『佃の渡し』などは、佃島を歩き、映画「如何なる星の下に」を観ていたので、その風景も加味してそこで育ったお咲の自分でも押さえきれない伝法なところが近い位置で感じる事ができた。

そんな事をつれづれ考えると歌舞伎役者春猿さんのおぎん・菊枝は艶やか過ぎるかなと考えたりもする。ただ澤瀉屋一門の息の合った三人であるのでそこはそこ、上手く納まったともいえる。新派の役者さんも三人に負けることなく奮戦していた。こうした経験のもとにこれからの新派の伝統と新しさを創造していって欲しい。

新派 『葛西橋』 (1)

三越劇場での新派名作撰『葛西橋』『舞踏 小春狂言』。歌舞伎の俳優参加の新派名作発掘である。

葛西橋』はかつて東京で一番長い木の橋であったらしい。地図を見ると江東区清洲橋通りの荒川近くに旧葛西橋とあり橋はない。、旧葛西橋バス停はかつて葛西橋バス停だったのかもしれない。今の葛西橋バス停は現在の葛西橋の近くで現葛西橋はコンクリートの大橋で新派の雰囲気ではない。新派の場合難しいのは、かつての名作の継承を庶民の生活音と香りも残さなければならないことであり、その想像力を観客の中に呼びもどさ無ければならないことである。すぐそこにあるようで町はどんどん変わっているので江戸などにポーンと飛ぶより難しい事がある。

作・北條秀司 / 演出・成瀬芳一

おぎん・菊枝(おぎんの妹)・美也子 (三役)・市川春猿/友次郎・市川月乃助         お辰・市川笑三郎

葛西橋の近くに友次郎と菊枝が所帯を持つ。姉のおぎんは洲崎の遊郭の娼妓である。友次郎とおぎん深い仲であるが、菊枝が友次郎に惚れている事を知ったおぎんは、自由にならぬ自分の立場と二人の幸せを思い身をひき二人を添わせるのである。ところが友次郎は競馬と株で会社のお金を使い込む。さらにフルーツパーラーののマダム美也子と結婚の約束までしていた。菊枝が行方不明となり、菊枝が働いていた髪結い店のお辰が親身になりさがす。菊枝は身体を売って友次郎を助けようとしていた。菊枝にとってショックだったのは美也子が姉のおぎんに似ていたことである。警察の手もまわり友次郎は樺太に逃げることにする。葛西橋の上から友次郎が乗る船を見送るおぎんとお辰たち。その船に菊枝も乗っていた。思わずおぎんは叫ぶ。「畜生・・・・菊枝の畜生・・・・」

おぎんと菊枝の姉妹が翻弄される男友次郎。月乃助さんは長身さを使ってなんとか駄目さ加減を見せずにすまそうとする男の矛盾をだしていた。菊枝という純な娘が居ることによっておぎん友次郎はバランスを崩していくのであるが、最後に、菊枝が落ちて行くのを見ておぎんがだったら最初から菊枝に譲らなかったというのは、おぎんの菊枝を利用した自分の夢の崩壊であり、菊枝にしてみれば代理にされた反逆でもある。その間に入って落ちていく男のどうしょうもなさ。というふうに解釈させてはいけないのが新派なのかもしれない。ただこれからの新派は、そういう解釈もありえるということを意識しつつ闘っていかなければならない。かつての見せる芝居には中も周りも想像する環境が変わってきている。

観る側は、やはり観ないことにはどんな作品であったのかという事が解からないのであるから、大変でも堀り起こしていって欲しい。そこに新たな芽が出るかどうかはすぐには解からないものである。