続 『日本橋』

昭和62年新橋演舞場の舞台『日本橋』の録画を見直した。今回の『日本橋』は玉三郎さんの鏡花の世界の『日本橋』で、昭和62年の『日本橋』は新派の『日本橋』で新派が受け継いできた芸の継承である。後半に入ってどうも繋がりが悪く感じていたのは、見返してみて納得できた。

この録画は平成4年のNHK・BSの新春スペシャル番組で玉三郎さんの芸を長時間に及んで放送したもので時間的関係から舞台が割愛されているためであった。其の事を踏まえても今回の『日本橋』の面白さは、新派の形を残しつつも、新たな世界を見せてくれた事である。

あらためて見直して仁左衛門さんの葛木は新派の芸に花を添えていた。伝吾との対決の場では迫力があり、最後に熊(伝吾)に投げつける台詞は鏡花の自然文学への切捨てをも含ませてきこえた。若い松田悟志さんを葛木に起用し、そこは玉三郎さん上手く鏡花の世界に取り込んだ。松田さんは玉三郎さんに言われたそうである。<頼むからダメだしを私にださせないで。恋人役にダメ出しなんてしたくないから>と。玉三郎さんらしい言い方である。

平成4年の録画の中で、篠山紀信さんと一緒の時、玉三郎さんは<篠山さんは話題づくりが上手いから>といわれた。話の内容から同じ解釈はできないが、昨年、篠山さんは写真展をされた時、木枯らしの吹く頃電車のホームから大きな山口百恵さんの海の浅瀬に水着の肢体を伸ばした写真が目に飛び込んできた。篠山紀信さんの写真展の案内板であった。こちらの肌の感触の寒さとその写真は物凄い温度さがあり、篠山さんはどうしてあの写真を選んだのだろう。私には宣伝効果が浮かび、そんな必要ないのにとちょっとムッとして見にいかなかった。素人と芸術家の感じ方の違いであろうが。

横道にそれたが、『日本橋』のお千世役の新人の齋藤菜月さんは雰囲気が役にぴったりである。お千世の着物が大正時代を善く現していて、柔らかくストンと下がりそれでいて体の動きを可愛らしく見せ、あれは齋藤さんの体の動きだけではなく布地の力もあったと思う。小村雪岱さんに言わせると装置とか衣装が自己主張してはいけないのだがやはりその力は大きいと思う。一石橋で清葉が裾から見せる麻の葉模様の白に近い空色と朱色の長襦袢、それをお孝はお千世に仕立てて稲葉家の二階で渡すのであるが、その長襦袢の事を鏡花は小説のほうで次のように表現している。(今回お孝がお千世に渡すこの場はなかった)

「やがてお千世が着るやうに成ったのを、後にお孝が気が狂つてから、ふと下に着て舞扇を弄んだ、稲葉家の二階の欄干(てすり)に青柳の絲とともに乱れた、縺(もつ)るゝ玉の緒の可哀(あわれ)を曳く、燃え立つ緋と、冷い浅黄と、段染の麻の葉鹿の子は、此の時見立てたのである事を、一寸比處で云って置きたい。」

お千世は花柳章太郎さんの出世作となった役である。このお千世役を見て小村雪岱さんは『日本橋』のお千世の絵を花柳さんのために描くことを約束するのである。(「日本橋檜物町」の中の花柳章太郎の文<二つの形美>)

 

<日本橋> →   2013年1月4日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)