新橋演舞場 九月新派特別公演(1)

市川月乃助改め二代目喜多村緑郎襲名披露

初代喜多村緑郎さんは1871年生まれで1961年に亡くなられていて名前は聴けども映像で少しみているだけで実態はわかりません。二代目を襲名された月乃助さんも緑郎さんに関しては雲をつかむような状態のことでしょう。この名跡を継ぐことによって、新派からは逃れられない立場に立たれたわけですが、国立劇場開場50周年の年に、国立劇場の歌舞伎研修生出身の月乃助さんが新派の大名跡襲名となり喜ばしいことです。

口上の挨拶でも、「この先茨の道とおもいますが」と覚悟のほどをみせられていましたが、旧派に対する新派というよりも現在の<劇団新派>の存続の一端を肩に背負われたわけでそれはかなりの重さと思います。

今回の演目の一つ『婦系図(おんなけいず)』を観て、初代水谷八重子さんが背負われていた女優の劇団新派が、これからは男優の風が強くなるような予感がしました。そしてそれはそれで新しい劇団新派として、違う要素の芝居も見せてくれるのではないかという期待感も膨らみます。

『婦系図』は、<湯島境内>が多く上演され、二代目八重子さんや波乃久里子さんが花柳章太郎さんや初代八重子さんの芸を踏襲され、どうしてもお蔦に目がいきます。今回、通しで公演することによって早瀬主税の復讐劇が加わり<湯島境内>だけではわからない話の筋がわかり二代目喜多村緑郎さんも好演でした。

チラシによりますと ー初代喜多村緑郎本に依るー とあります。かつて通しでみたときの記憶では、主税が静岡でドイツ語の塾を開いていてその場面もあったような気がしますが、今回は静岡では<静岡貞造小屋>で、河野英臣(こうのひでお)と対決する場にすぐ入りました。河野英臣というのは、名家とつながることで一族を大きくしようと野心にもえた人物で、主税がお世話になっている酒井先生の娘さん妙子を息子の嫁にしようとして素行調査をしています。

主税はそのことが気に入らず、またその関係から主税がスリを助けたことが役所にしれ職を失ってしまい郷里の静岡に引っ込むことになります。そのことなどから、静岡の場は主税の河野家への復讐の場となるのです。泉鏡花さんの作品自体はこの復讐劇が主なのですが、舞台化された際、主税と元芸者のお蔦が酒井先生に隠れて所帯をもっていてそれが先生に知れて別れるようにいわれ、その別れの場面を湯島境内の場面として書き加え、この場面のみが多く上演されることとなったわけです。

湯島境内の緑郎さんの主税よい寸法でした。何回も演じられている波乃久里子さんのお蔦に対する情もでていて、スリの万吉の松也さんにスリをやめるように言うところに説得力がありました。吉右衛門さん、仁左衛門さんら何人かの歌舞伎役者さんの主税を観ていますが、歌舞伎役者さんの寸法が大きすぎ、主税がかつて「隼(はやぶさ)の力(りき)」とよばれたスリであったということを万吉に伝えるとき、台詞としては伝わっても実感として浮かんでこなかったのですが、緑郎さんの場合浮かび、酒井先生に助けられた話しで万吉が、改心すると決めるのに無理なく得心できました。

いったんスリの世界に入ればそこから抜け出すことは当時の環境からしても容易なことではないのです。それに加え学問まで身につけさせてもらえた。その恩は自分をとるかお蔦をとるかと言われれば先生をとるしかないのです。そこがストンと気持ちに入っていますから、主税とお蔦の古風な別れもじわじわと深く伝わってきます。

さらに今回、客演している尾上松也さんの妹さんの春本由香さんの劇団新派入団の紹介が口上でありました。由香さんの祖父の春本泰男さんが新派におられ、お母さんも新派にいたことがあったのだそうです。酒井の娘・妙子を演じられ、この役は女学生なので、演じられた役者さんたちは、年齢もあり皆さん芸でみせるのですが、由香さんの場合、恐らく言われたまま素直に演じられているのでしょう。それが自然のかたちとなり芸を見せるという堅苦しさのない清楚な妙子となり、芸者小芳の八重子さんとのお蔦さえ知らなかった親子の関係がわかるもう一つの隠された部分が明かされる場面を良い形に納めました。

酒井先生の柳田豊さんも独特の台詞まわしで酒井先生の威厳をしめし、田口守さん、伊藤みどりさんの身についた庶民性、石原舞子さんの小芳に次ぐ妹芸者ぶり、河野家側の高橋よしこさん、市川猿弥さん、市川春猿さん、喜多村一郎さんらがそれぞれの役どころをおさえられていて、新しい新派の新しい『婦系図』となりました。

劇団民藝『真夜中の太陽』

書くよりも、読む・見る・行動するが優先していて、そちらのほうがクセになってしまった。多分このあともそうなると思うが。読む活字にもかなり飢えている状態で、補給が必要である。

劇団民藝『真夜中の太陽』は記録しておこう。太平洋戦争末期にミッションスクールに爆弾が落ち、防空壕にいた女学生と先生が亡くなり、一人だけ助かった女学生が、その時をやり直すことができないのだろうかと心にいつもやりきれなさを抱えている。生き残った自分は、亡くなったクラスメートの中に居場所はあるのだろうかと思う気持ちに答えるために教師やクラスメートが彼女の前に現れて当時の様子を共に再現してくれるのである。

戦争中の女学生の話題のなかに、長谷川一夫、灰田勝彦、佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」、そして、驚いたことにジェームス・スチュアートの映画『スミス都へ行く』がでてくる。当時の女学生のあこがれや、食べたいスイーツ、やりたいことなどが明るくそしてひそやかに語られる。今と変わらぬ若い命がはじけていた。

『スミス都へ行く』は開戦前に公開されていて、開戦の日と同時に上映されなくなったり、次の日にはほとんどほかの映画に変更されている。

この映画をいつ見たのかは定かではないが、題名をみて気が進まなかったのを覚えている。田舎から青年が出て来て、都会の娘に恋をして、たらららら~で終わるのであろうと思っていたら、とんでもなかった。地方の若き政治家が都で、政治の腐敗に立ち向かうのである。もちろんロマンスつきである。この若き政治家の雄弁さが日本人には無い素敵さであり、さすがアメリカ映画と思ったものである。それを演じるのがジェームス・スチュアートであるからなおさらである。

ところが、この映画は、想像していなかったくらい、日本の当時のひとびとに賞賛されていたらしい。アメリカでは反米的とみなされていたようだ。『スミス都に行く』にそんな映画の歴史があったとは。

芝居のなかの映画を観た女学生はその素晴らしさを語る。自由に観れたなら、あなたが私であり私があなたなのである。そういう時代に存在していたか、いなかったか。今の時代に存在していたか、いなかったか。今、存在する者の想像の力である。

そして、女学生たちは、五年前の東日本大震災にも重なるのである。

さらにもっと前のそれまでの災害とも。

墨田区観光協会で『向島文学散歩』という小冊子を出している。この小冊子の仕事ぶりは素晴らしい。きちんと調べたことがわかるし、そのまとめかたも簡潔でわかりやすい。向島のゆかりの文士たちの紹介と文学散歩が出来るようになっている。

幸田露伴、幸田文、堀辰雄、森鴎外、永井荷風、正岡子規などで、そこに知らなかった俳人富田木歩が載っていた。このかたは、「大正俳壇の啄木」と称され、1歳のときに高熱から歩行困難となり、貧しさと結核と闘い句作したひとである。関東大震災のとき、友人の新井聲風が避難していた木歩を見つけ出し、身体に縛り付けて背負って火の手から逃げるのである。ところが、橋は焼け落ち、三方から火が迫り、やむなくお互いの手を握りしめ、新井は木歩に許しをこい、一人川に飛び込むのである。過酷である。助けにきたのに。その後、新井は自分の俳句は捨て、木歩の作品を世に残すことに捧げるのである。

時代を越えて試練はつながっている。

『真夜中の太陽』の女学生たちも、自分たちの歌をつくるのである。それが「真夜中の太陽」である。いつも歌おうとして、空襲でさえぎられてしまうが、やっと皆で歌えるのである。美しく力強い合唱であった。

この戯曲のテーマとして選ばれた歌が谷山浩子さんの「真夜中の太陽」である。

若い役者さんたちが、明るさを失わず、その時の一瞬までの命を過去と現代の架け橋となって演じられていた。可愛らしいおばあちゃんの日色ともゑさんは、生き残ったことへの罪悪感を、時には少女となり、時には老女となり、喜んだり、不安になったり、意志をとおされたり、時をもどそうとしたりと、気持ちのゆれをその場に合わせて表現されていた。

生徒に寄り添う女教師・山岸タカコさん。父がイギリス人で母が日本人で日本国籍の生徒に信頼される教師・神敏将さん。事情があるらしいが国家に忠誠な教師・小河原和臣さん。平和な時間のなかで会えた過去の時間。それは大切な時間。

 

作・工藤千夏/演出・武田弘一郎

過去の大切な女学生たち・森田咲子、八木橋里紗、藤巻るも、長木彩、野田香保里、水野明子、加塩まり亜、金井由妃、平山晴加、高木理加、神保有輝美

新宿 全労済ホール スペース・ゼロ  27日(日)まで

 

無名塾『おれたちは天使じゃない』

驚いたことに、全国公演の途中である。東京の「世田谷パブリックシアター」での公演は、3月5日から3月13日までで、全国公演の真ん中あたりである。

仲代達矢さん。83歳。役者人生64年。無名塾創立40周年である。

『おれたちは天使じゃない』は映画で観ていて愉しみだったのである。ロバート・デ・ニーロ主演のほうで、これまた驚いたことに、あのハンフリー・ボガート主演の映画もあったのである。ボギーの喜劇は想像できないが、仲代さんの喜劇を近年になってたくさん観ることになるとは、これまた想像していなかったことである。

映画と舞台のほうは、設定がちがうらしい。違っていても良いのである。面白かったというだけの記憶しかないのであるから。芝居のほうは、これまた愉しかった。

訳・演出は丹野郁弓さんである。(作・サム&ベッラ・スピーワック)

囚人が、一般家庭の家の屋根の修理をするのである。話しの様子から、それが当り前のようである。舞台となる南米にあるこの町は、フランス領であった時代で、フランスの犯罪者の流刑地でもあったとか。

雑貨屋で労働している囚人は三人である。ジョゼフ(仲代達矢)、ジュール(松崎謙二)、アルフレッド(赤羽秀之)。このトリオが、屋根の上から雑貨屋の窮状を聴き何んとかできないものかと足りない部分をお互い補いながら動きだすのである。

一番ひょうきんなのが、詐欺師の仲代さんである。なんせ手八丁口八丁で身体もよく可笑しなフェイントをかける。三人でこうすれば良いと以心伝心。それぞれ役目はすぐ実行。結果はよいのかどうか。なんせ訪問者しだいである。三人にとっては当たり前のことが、観ているほうにはとんでも行動であるが、雑貨屋一家は三人とともにクリスマスイブを過ごすのである。

雑貨屋一家も夫婦と娘の三人で、一家に対するトリオの一人一人の担当もなんとなく決まってくる。そして、トリオのそれぞれの人間像も。

三人は自分たちの罪から逆算しつつ、雑貨屋一家の幸福を換算していく。トリオの三角形は時々変形し、危うい形となるが、思いは一つとばかりにしっかり三角形を維持していくのである。

雑貨屋に訪れる人があるたびにトリオは雑貨屋一家のためにどうすれば良いかを考え行動する。訪問者とトリオの関係はいかなる方向に展開するのか。それは観てのお楽しみということで。

パンフレットに囚人トリオと演出家の懇談が載っている。仲代さんは「いつも苦しんでやってるけど、今回は楽しんで・・・・」と言われているが、それを受けての丹野さんの返答に笑ってしまった。丹野さんの後ろに劇団民芸の宇野重吉さんや滝沢修さんが立っておられるのではないかと思えてしまったのである。続きはパンフレットで。これまた読んでのお楽しみとしておく。笑えなかったとするなら、『ドライビング・ミス・デイジー』以来のお二人の、役者と演出家の恐れ多くも拮抗する楽しい火花を察知されていないからである。

『光の国から僕らのために』のアフタートークのときに、民藝の劇団員が駄目なときは丹野さんから吹き矢が飛ぶとの報告があった。丹野さん「本物じゃありませんよ。」と言われてげんこうを口にあてふっと空気を飛ばされた。丹野さんの愛の激の吹き矢とおもわれる。

観劇者は申し訳ないことに役者さんの苦労は感ぜずに笑わせてもらった。

『バリモア』を観て、アル・パチーノを思い出した。かつてアル・パチーノの初監督作映画『リチャードを探して』を前売り切符を買いながら見逃したのである。さっそく手に入れたがまだかたずけていなかった。『ヴェニスの商人』も手にいれたので、今度こそ見てしまわなくては。

青い縞の服のトリオは、東京が終わると、どこの屋根の上であろうか。演劇一家がお待ちかねであろう。

他の出演者・神林茂典、西山知佐、松浦唯、菅原あき、平井真軌、吉田道広、大塚航二朗

 

 

 

国立劇場 三月新派公演『寺田屋お登勢』

初めての『寺田屋お登勢』の観劇である。

一軒の船宿を舞台に、幕末の歴史をしっかりと捉えて時代の流れを表現している作品が新派あったとは驚きであった。作は榎本滋民さんでなるほどとおもいいたる。

若き歴女がみても、面白いと思うのではなかろうか。薩摩と長州の主導権争い。同じ藩のなかでの反目と殺戮。その中で登場する坂本龍馬。そんな若き志士たちが立ち寄った伏見の船宿。その船宿の女将お登勢。お登勢は龍馬からお龍をあずかり、龍馬とお龍の祝言をととのえる。三人の男女の微妙な関係が軸の一つに入ってくる。

坂本龍馬の中村獅童さんがいい。龍馬は奔放なところがあり身なりなどかまわず即興で歌をつくったり、自分の考えをどんどん発言していく。このテンポと野放図さは、難しい。やりすぎるとわざとらしく、うそっぽくなってしまう。獅童さんの龍馬は、そのあたりも違和感なく受け入れられたし、お登勢の水谷八重子さんとのやりとりも、その場その場で変化をもたせた。

お登勢の八重子さんは、船宿に固定されている自分の身と、上り下りと行き来する若き志士たちの未来に向かってすすむ純なところを比較して、若者たちをがっちりと受け止める。身内のように話す龍馬のことが可愛く、時として語る龍馬の大きな計画に対し、男としての魅力にもひきつけられていくさまが、本人の無自覚のところでふくらんでいく。

そんなお登勢を揶揄しにくる同業の女将の高橋よしこさんとの掛け合い。養子でないのにそうおもわれている夫の立松昭二さんの微妙な立場。お登勢の心の内をのぞいた長州藩士の田口守さんとのやり取りなどそれぞれの人との関係もお登勢の人間性をあらわす。

お登勢は、お龍の瀬戸摩純さんを龍馬の嫁としては認められない。だが、自分には出来ない行動力にショックを隠せな。龍馬は、自分はいつどうなるかわからないとして嫁など考えられなかった。瀬戸さんのお龍は、龍馬が自分が死んでもお龍は負けずに生きて行く女であると思わせるようなお龍像で、龍馬が嫁とすることに納得できる。

納得のいかないお登勢。彼女が正直に向かい合えるのが龍馬の姉の乙女の英太郎さんで、お登勢の心の中の乙女は花道のスッポンからあらわれる。設定の仕方もよく、好い出であり台詞もよい。

時代変革の旅のなかでの母であり姉であり、お登勢のほのかな女としの魅力も感じていた龍馬は、あっけなく飛び立ってしまう。

龍馬の死を知ったお登勢は花道で熱唱する。八重子さんならではの締めである。

最初の音楽からして、時代劇映画がはじまるような高揚感である。新派はまだまだ発掘されるべき作品があるようである。月乃助さんが入団したことによって、いずれは『寺田屋お登勢』も新派だけでできるようになるであろうし、殺陣のあるものも形となりえる。

今は無き船宿の様子など、資料館にあるジオラマが、生き生きと動き出し飛び出してくれた楽しさがある。犬まで本物に代わる。獅童さんの愛犬が出演である。

新派はメロドラマ的イメージがあるが、なかなかどうして、底辺の女たちもどっこい浅はかな涙は流さないのである。そのあたりがわかってもらえれば、次世代のひとにも時代をこえて、現代でも通用できる全うな生き方の強さがあったとして観て貰えるのではなかろうか。

八重子十種『寺田屋お登勢』

演出・成瀬芳一、齋藤雅文

27日まで(10日、11日は休演)  開演時間12時

国立劇場 三月新派公演 『遊女夕霧』

新派の国立劇場での公演は15年ぶりとのこと。『寺田屋お登勢』で < なにをくよくよ川端柳 水の流れをみてくらす > の都々逸がでてくるが、新派の柳は時代の流れとともに様々ざまな揺れ方を通ってきた。新派だけではなく、演劇にたずさわる全体がそうであり、劇団という組織があるとその動向が検分されやすい結果でもある。

今回の公演は『遊女夕霧』と『寺田屋お登勢』である。

『遊女夕霧』。波野久里子さんの夕霧は二回目である。記憶がさだかではないのであるあが、そのとき、惚れた男への女のこんな貫き方があるのかと新鮮であった。

捜したらパンフレットがでてきた。2004年の4月である。第一場<吉原「金蓬莱」遊女夕霧の部屋>の場は、印象が思い出せないのであるが、第二場<深川西森下、円玉の家の二階座敷>の場は、吉原から場所もがらっとかわり、夕霧は円玉の家へ何をしにきたのであろうとじーっと夕霧の波野さんを見つめていた。

今回は、流れがわかっているので、夕霧が惚れた男はどんな男かと、第一場からじーっと見つめた。惚れられた男は呉服屋の番頭の与之助の月乃助さんである。月乃助さんは一月に劇団新派へ入団したということで、新派の古典といえる作品で相手役をするのは初めて観る。

大正十年頃の吉原の様子がえがかれる。酉の市の賑やかな日に、馴染みの客が遊女に「積み夜具」の贈り物をし、それが遊女にとっては鼻高々なことであった。夕霧も、与之助にお金持ちから贈られるより与之助のような普通のひとから贈られたのが一層うれしいと喜ぶのであるが、与之助は金銭的に普通の人であった。やはり、お金の工面から店のお金を遣いこんでいた。

皆に祝われ、いそいそとお酒の用意をする夕霧。やはり新派ならではの遊女の動きである。それに対する与之助のちょとした陰り、着物の着替えの間など流れはスムーズである。

与之助の苦難を自分にも分けて欲しいという夕霧。ここまでは、吉原という世界での男女の恋である。お互いの情をだしつつ様式美的に進む。月乃助さんは歌舞伎役者であっただけに自然さがいい。

第二場は夕霧が、吉原を出ての行動である。円玉は、かつては講釈師であったが、今は講談などの速記をしている。円玉は与之助の被害にあったひとである。そこへ夕霧はお詫びに来たのか。それだけではなかった。

前科者となる前に、与之助を助ける方法を、夕霧は検事から聞いたのである。だました17人から、そのお金は与之助に貸したのだという借用書を17人全員からもらってくれば、罪とはならないと教えられた。

遊女の姿から一変した姿で頭を下げる夕霧。波野さんのその座り方、卑屈さ、断られた時の啖呵のきりかた、円玉のおかみさんに止められても興奮する姿。捨て身の女の乱れが見どころである。

そして、おかみさんの口利きで借用書を書いてもらってからの与之助との出会いを語るとき、こちらも与之助を思い描く。

おかみさんが、夕霧にお茶ではなく、コップ酒をもってくるその事情をわかっての気の利かせ方。円玉夫婦の芸人であったゆえの情の表し方を柳田豊さんと伊藤みどりさんが手堅くおさえる。

この作品の作家は川口松太郎さんで、実際に円玉の弟子になったことがあり、夕霧のモデルもいるのである。その現実に体験していて、リアルと様式美のバランスの作品として新派に提供しているのである。

遊女であるゆえの意気地と情を、その生活ゆえの生態を匂わせつつ波野久里子さんならではの夕霧として演じられ、観客を泣かせてくれた。

円玉の家の二階から席亭<常盤亭>が見え、そこに灯りがともる。検索して調べたところ、永井荷風の随筆「深川の散歩」に<常盤亭>が書かれている。セリフのなかにもでてきて、こうした忘れらてしまう町のようすなどが散りばめられているのも新派をみる楽しみである。

花柳十種の内『遊女夕霧』

演出・大場正昭

 

加藤健一事務所『Be My Baby いとしのベイビー』

2013年に公演され、同じ組み合わせでの再演である。再演でもその可笑しさは軽減されない。簡単なあらすじは2013年の感想に書いておいた。                 加藤健一事務所 『Be My Baby いとしのベイビー』

先回は笑いと同時にちりばめられている心づいを受け取ってはいたが、笑いが先行していた。今回は、笑いを思い出しつつ、ジョンとモードの相手を気づかう言葉もキュンとくる。それが、相手のいないところで発露されたりと、手が混んでいる。

ジョンとモードは同じ深い傷をそれぞれ所有していた。モードはベイビーを抱きつつ、戦死した夫のジャックの眼の光をベイビーの中にみつける。そして、< あなたにジャックのことを話してあげる。話すことがジャックが生きていた証だとジョンがいうから> ジョンのモードに対する心づかいがこういう発露のしかたをする。

そんなジョンの好きな歌が、エルビス・プレスリーの「Hound Dog」。モードは、ジョンのために、レコードとポータブルレコードプレーヤーも買って来る。< それを聴いて天国にいった気分になりなさい > 心筋梗塞で倒れたジョンにむかって。

こうした逆説的笑いのやりとりの応酬が、加藤健一さんと阿知波悟美さんの間の良さと台詞術と演技力が見事に合体されていく。

スコットランド育ちのジョンとイングランド育ちのモードの生活習慣の可笑しさ。それが二人でアメリカのサンフランシスコへ行って、ベイビーが加わって変化していく可笑しさ。

題名が1963年にヒットした、ザ・ロネッツの「Be My Baby」で、この劇の時代設定も1963年と設定している。「蛍の光」や「故郷の空」の原曲はスコットランド民謡であ。その音階ではなく、ジョンが好きなのはプレスリーである。プレスリーは、アメリカとイギリスの若者たちに圧倒的に支持された。時代の流れを歌で表しつつ、イングランドとスコットランドとアメリカという設定がでてきて、さらに、ジョンとモードに見守られて育った若いクリスティとグロリア夫婦が、ジョンとモードとは相対的に違う位置に立ち、ジョンとモードを照らす役目もする。

時代、場所、世代、経過そして誕生がきちんと描かれているのである。

その状況のなかで交差する笑いが豊富に用意され、観客にとっては嬉しいかぎりであるが、それでいながらキュンもきちんと入れて、なんとも心憎い。

この複雑さを、笑いの中でハッピーにはこんでいく腕は、作、訳、演出、役者、舞台装置、挿入歌の上手さにある。

クリスティの加藤義宗さんとグロリアの高畑こと美さんは、初演の時に比べると時間経過の役者経験が自然な演技へとつながってきている。

加藤忍さんの8役と粟野史浩さんの9役、この設定発想にもあらためて脱帽である。

このお芝居これから全国ツアーにお出かけだそうで、笑いの渦が移動していくのであろう。笑ってキュンとなってハッピーに!

 

作・ケン・ラドウィッグ/訳・小田島恒志、小田島則子/演出・鵜山仁/舞台美術・乘峯雅寛/出演・加藤健一、阿知波悟美、加藤忍、粟野史浩、加藤義宗、高畑こと美

 

 

劇団民藝『光の国から僕らのためにー金城哲夫伝ー』

金城哲夫さんというのは、あの<ウルトラマン>を誕生させた脚本家である。劇団民藝で金城さんを取り上げてくれなければ、おそらくこの方のことは知らずにいたかもしれない。

円谷英二、ゴジラ、円谷プロ、特撮、ウルトラマンなどはつながってでてくる。そこには脚本家もいたのである。それは怪獣たちが映画からテレビに移って子供達を歓喜させる時代であった。その時代に金城さんは円谷プロの企画室長として、よろずや的に様々な仕事をこなし、脚本も書くのである。

舞台の本のほうは、畑澤聖悟さんで『満天の桜』を観ているので、それなりに調べられ書かれるのであろうと、畑澤さんの作品にゆだねてその辺のことは前もって詮索しなかった。観たとこ勝負である。

金城さんは沖縄出身のかたで、チラシによると、ウルトラマンの栄光を捨てて沖縄に帰ってしまうという。そこには、沖縄に対する何かがあるのであろう。

金城さんとともにウルトラマンにかかわり、金城さんがヤッチーとよんだもう一人の沖縄出身の脚本家上原正三さんも登場する。<ヤッチー>とは沖縄の言葉で兄貴という意味である。

金城さんは、とにかく仕事が楽しくて仕方がない。戦争による凄まじい犠牲のあと沖縄がアメリカに支配されている時代である。上原さんには金城さんの何のこだわりもない明るさに戸惑う。たとえば、君は下宿を沖縄の人間ということで断られたことがあるかとたずねる。観ているこちらも、そういう時代があったのだと時代をさかのぼる。

金城さんは生来の明るさもあるのであろうが、彼は、高校から本土の玉川学園で寮生活である。金城さんはそうした環境のためもあり、本土での生活は沖縄と本土という狭間での傷つき方は少なかったのかもしれない。そして、借金だらけでありながら仕事に夢をもって、<オヤジさん>とよばれた円谷英二さんを中心とする仲間意識もそれをカバーしてくれていたように思う。

金城さんは、アメリカ軍の艦砲射撃のなかを逃げまどい、お母さんはそのために片足を失っている。しかし金城さんはそのことにふれることはなかった。

沖縄の本土復帰を目前にして、金城さんは、自分は沖縄と日本の架け橋になるのだと光に向かって進んで行く。しかし、ウルトラマンは現れなかった。ただ、かれの中の理想郷では現れていたのかもしれない。

<ウルトラマン>と<沖縄>がつながっているとは驚きである。ウルトラマン誕生から50年だそうである。ウルトラマンは今、沖縄にすくっと立っていて、こちらを見なさいと言っているのかもしれない。

金城さんの本土で会った人が、幅の広さのあった人達だったのかもしれないとも思える。芝居のなかで「せきざわしんいち」という名前がでてきた。もしかして「関沢新一」さんかなとおもって検索したところ、金城哲夫さんの脚本の師匠とある。関沢新一さんは、岡本喜八監督の映画『暗黒街の顔役』、『暗黒街の対決』の脚本も担当している。『モスラ』も書かれている。さらに作詞もされ『柔』(美空ひばり)『涙の連絡船』(都はるみ)『銭形平次』(舟木一夫)等のヒット曲もある。そのほか写真家でもあるらしい。

金城さんは、沖縄のことを忘れていたわけではないが、作品を作り出すあらゆるエネルギーを学んで吐き出し、学んでは吐き出しと嬉々としてやられていたように思う。

沖縄に帰ってからの金城さんの吐き出した美しい糸は、吐き出せば吐き出すほど思うような流線を描いてくれず混線してしまうのである。

ウルトラマンという子供達のヒーローの陰で、光の国をさがしていた大人がいたのである。今も疑心暗鬼となりつつたくさんいるのである。

金城哲夫を演じたのが、『根岸庵律女』で正岡子規を演じた齋藤尊史さんで、熱く金城にぶつかっていた。上原正三を演じたのが『大正の肖像』で中村彜を演じたみやざこ夏穂さんで鬱屈した部分を照らした。それぞれの沖縄に対する気持ちの出し方のちがいや、受け取り方の違いが感じられ、それでいながら同郷者として、仕事仲間として、生きる上でのつながりなどが台詞をとおして伝わって来た。

演出は丹野郁弓さんで、パンフレットに雑記として、沖縄にいって一番印象的だったのは海だと書かれている。同じである。あの美しい海に何人ものひとが飛び込んで自決したのである。悲しいほど海の色は美しすぎるのである。

それにしても金城哲夫さんに着目した丹野さんの着眼点は凄い。ウルトラマンも50年目にしてこの人だと光の国から飛んできたのもお見事。

胸につけてる マークは流星 ~ 光の国から 僕らのために 来たぞ われらの

ウルトラマン

 

紀伊國屋サザンシアター  2月21日(日)まで

 

公演記録『婦系図』と映画『忍ぶ川』

国立劇場で月に一回程度国立劇場で公演した公演記録鑑賞会を開催している。知ってはいたが実演と違い用事を優先させることとなり、鑑賞する機会を逸していた。

昭和48年の国立劇場第2回新派公演の『婦系図』で初代水谷八重子さんのお蔦(おつた)、中村吉右衛門さんの早瀬主税(はやせちから)である。

内容は知っているし、初代八重子さんだからと言って涙がでるとは思わなかった。初代八重子さんの型を観ようとおもったのであるが、型の流れよりもそのお蔦の心情表現に涙してしまった。涙の原因はお蔦のゆれの上手さと玄人の意気地の立てかたである。

レジメの解説によると、初演が新富座で、お蔦が喜多村緑郎(きたむらろくろう)さんで、早瀬主税が伊井蓉峰(いいようほう)さんで、「湯島の境内」で流れる清元『三千歳』を使ったり、風呂敷からお蔦が落とす障子紙と刷毛を小道具として使ったのも喜多村さんとのことである。そして今もこの喜多村さんに教えられた形を踏襲しているのである。

お蔦は柳橋の芸者であったが早瀬主税と結ばれて、飯田橋に住んで居る。しかし、身分違いから日蔭の身で、久方ぶりに早瀬との外出である。嬉しいお蔦。髪は銀杏返しである。お蔦の芸者だった玄人と芸者をやめて素人になった、そのゆれが八重子さんは、何とも言えない可愛らしさになっている。機嫌のよくない早瀬に対する気の使い方は玄人はだがみえ、わがままをいう時は素人の純なところである。

作っているというより、まだ世間に認めて貰えない立場と、そんなことはどうでもよいと思う気持ちと、早瀬と一緒であるという嬉しさのお蔦さんのなかでの複雑な絡み合いが梅の香りに乘ってゆらゆらしている。それがわかれ話となり、障子紙と刷毛が落ち、それが当り前のそれも、思い立って障子はりをしてみようと思ったお蔦の日常は無くなってしまうことと重なるのである。

台詞のひとつひとつが重なり、真砂町の先生がいなければ今の早瀬は存在しない訳で、その先生の言いつけならと身をひくところの意気地は、悲しくも人の道として通すことになる。

そして病気で助からない時に、髪を島田に結って早瀬を待つという意気地。この時代の玄人さんの意地の張り方にみえる。本当はこういう女性はいないのであろうが、存在させてしまうのが役者さんである。生きる世界が狭い人達である。だからこそ無意識な意気地の張り方で自分の足場を築くすべを探りあてるのである。その無意識の意気地が悲しくもあり、切なくもあり、美しくもあるのである。

いそうもないが、いたであろうと納得する。

映画『忍ぶ川』(熊井啓監督)が深川、洲崎がでてくるということで、観なおした。主人公哲郎(加藤剛)は、青森出身の慶応の学生であるが、二人の兄が失踪し二人の姉が自殺しており、子供心に死は恥として植えつけられる。そしていつも、自分も恥と考える死に、引っ張られるのではないかという疑念にさいなまれている。自分の大学の学費を出す為に深川の木場で働いて兄が失踪してから、彼はよく木場を訪ね、恋人の志乃(栗原小巻)もつれてくる。

志乃は大学の寮のちかくの料理屋<忍ぶ川>に住み込みで働く娘で、彼女は自分の生まれて戦争になる12歳まで暮らしていた洲崎を案内する。志乃は洲崎の射的屋の娘で、父は<射的屋のセンセイ>と呼ばれ、お女郎さんの相談にものるような人であったが、今は疎開先の栃木で病気となっている。母は亡くなり、彼女の仕送りと上の弟の稼ぎで、父と下の弟と妹との生活をみている。

志乃は自分の生まれたところが、どういうところかを哲郎に見ておいてて欲しかったと同時に、世間からみるとだらしない父かもしれないが、タガが外れずに今生きていけるのは、この父のお蔭であるというおもいも伝えたかった。そして、この地で筋を通して生き、この地で育ったことを恥ずかしいとは思わぬ自分を見て貰いたいと思って居る。

さらに、それを判ってくれた哲郎を父がどうみるか、父の死の間際に志乃は彼を父に合わせるのである。父は納得してくれる。

志乃は玄人の悲しみを子供心にしっている。それを知っているゆえに自分が自分の踏み止まるべき位置をくいしばって維持している。そんな時に哲郎に出会うのである。

その志乃をみて哲郎も、自分の家族の恥を全てを話すことができ、兄や姉だったらこうしたであろうと思われる行動とは反対の行動を選んでいくのである。

映画『忍ぶ川』は三浦哲郎さんが芥川賞をとった小説の映画化で、三浦さん自身の事を題材としていて、過酷な環境に負けない生き方を美しく描いている。

『婦系図』の真砂町の先生はお蔦にあやまるが、先生には意気地というものが判らなかったのである。意気地を張ろうにも張れないもっと悲しい世界をしっている志乃の父は、絶対にゆるんでもタガをはずすなということを教える。そう理解するだけの意志を志乃は身につけていた。

意気地など無く、通用しない世の中でもあるからこそ、今も舞台では生きていけるかもしれない。しかし意志は、ますます必要な時代ともいえる。

 

 新橋演舞場『二月喜劇名作公演』

『二月喜劇名作公演』は、松竹新喜劇と新派の競演で、そこに、中村梅雀さん、古手川祐子さん、山村紅葉さん、丹羽貞仁さんらが加わるという構成員である

鏑木清方さんは<築地川>を次のように書いている。

「築地川といふのは本も末もない掘割の一つで、佃の入江にさしこむ潮は、寒橋、明石橋の下を潜って、新道路にかかる入船橋、続いて新富座の横を流れ、流れ流れて、新橋演舞場の脇で二つに分れ、一筋は本願寺の横、今の魚河岸に沿うて、元の佃の入江に出て、一筋は浜離宮から芝浦の海へ出る。」

佃となると芝居では<新派>を思い描く。<新派>となると<築地川>と同様にその芝居は埋もれた部分が多く、見えない部分を想像で補う必要がある。新派の場合は今の新派から、新派が盛んであった時代の役者さんを通じての時代性へさらに芝居の時代性へと三ステップほど飛んでもどってきて味わうという事になる。

松竹新喜劇も一代前のハードルはあるわけであるが、言葉や風景の違いから想像を置いておき、芝居の筋で楽しむということになる。

新派が参加して利ありとおもったのは、「じゅんさいはん」で、旅館の女将の水谷八重子さんが登場したときである。当然髪型は丸髷である。じゅんさいはんとは箸でつかまえられないない食べ物から、なんともはっきりしない捉えどころがないところからきた呼び方である。そのことは登場前にわかっている。登場したその丸髷姿がなんとも<じゅんさいはん>の女将さんを現している。なぜ丸髷にとらわれたかというと、映画『おとうと』で姉の岸恵子さんが、結核で助からぬ弟からたのまれて島田を結ってあらわれるのである。髪型でその立場が判る時代なのである。

それが今回は髪型とその出で立ちでふわっと空気を変えたのである。

実権は姑(大津峯子)が握っていて、当然息子はぼんぼん(渋谷天外)である。そこに40数年つとめている姑の片腕の仲居頭(波野久里子)がいる。

沢山の仲居や板前などもいる旅館の様子がいい。そのわさわさしている中での役者さんたちの動きが自然である。このあたりが松竹新喜劇の台詞と新派の動きがしっくりとからみあい思いがけない事実が判明してゆく。

「単身赴任はトンチンシャン」は、中村梅雀さんのしどころである。舅(曾我廼家文童)には銀行員と思われている男(梅雀)が実は神楽坂の男衆である。父に事実を知られないように娘(波野久里子)は、自分の夫は銀行員で、弟が男衆であるということにする。そこで、男衆と銀行員の梅雀さんの早変わりとなる。神楽坂である。神楽坂ならではの料亭の主人(高田次郎)、板前(丹羽貞仁)、新派の女優陣の芸者さんたちの協力の活躍となる。このあたりも神楽坂という場所設定を舞台に繰り広げる新派の力がある。新派に力があるというよりも、今、新派にしかそれがないといえるであろう。そこを、新派がこらえてこれからどう活躍してくれるかということでもある。

「名代 きつねずし」は、松竹新喜劇ならではの笑わせて泣かせる人情喜劇である。年齢的に人生に少しくたびれた寿司屋の主人(渋谷天外)に恋人(石原舞子)ができる。がんばりもの娘(古手川祐子)は、銀行から融資を受けて昔のように大阪の南に店を移そうとしている。その親子の行き違いを周囲の松竹新喜劇の役者さんに山村紅葉さんを加えて、こてこての大阪庶民を映し出している。私の知っている大阪の庶民はこてこてではなく、堅実派なのでよくわからないのであるが、舞台となるとこうなるようで、こてこてのてんてこまいが見せ所でもある。

狭い路地、花街、旅館の内輪という設定で時間を現代ではない過去にずらして、その当時の人々の悲喜交々を現代にどう映し出すのかが松竹新喜劇にとっても、新派にとっても劇団の課題である。ああ面白かっただけではすまされないそれぞれが培ってきた土壌というべきものがあるから。

町自体が消えていっている。川も姿を隠して見えない。そんな中で、舞台で消えた川の流れがみえたり、ある時代の路地裏がのぞけたりできれば、のぞきからくりをのぞくそれぞれの共有感がよみがえるかもしれない。懐かしむために構築するのではなく、その時代を自分のものにするために構築するのである。

はっとするような時代との出会いを期待しているのである。

 

「名代 きつねずし」(作・舘直志/演出・米田亘) 「単身赴任はチントンシャン」(作・茂林寺文福/補綴・成瀬芳一/演出・門前光三) 「じゅんさいはん」(作・花登筐/演出・成瀬芳一) 出演・曾我廼家寛太郎、曾我廼家八十吉、藤山扇治郎、瀬戸摩純、小泉まち子、佐堂克実、村岡ミヨ、矢野淳子、鴫原桂、川上彌生、久藤和子、山口竜央、鈴木章生

加藤健一事務所『女学生とムッシュ・アンリ』

フランスのコメディーである。時間が経ったが書いていなかったので。映画『母と暮らせば』を観て思い出した。

ムッシュ・アンリは老人である。老人のところへ女学生がルームメイトとして住み込むこととなる。アンリ老人の息子・ポールが、一人住まいの父を心配して貸部屋の広告を出したのである。

偏屈で頑固そうなアンリ老人(加藤健一)。女学生・コンスタンス(瀬戸早妃)は、部屋を借りたいとアンリ老人を訪ねて来る。断るアンリ老人。コンスタンスは根本に老人は偏屈で頑固という固定観念があるのであろうか、めげずに食い下がる。ついにアンリ老人は条件を出す。

アンリ老人は息子の嫁・ヴァレリー(加藤忍)が嫌いである。そこで、コンスタンスに息子・ポール(斉藤直樹)を誘惑してくれるならと条件を出す。ポールとヴァレリーの間に亀裂を生じさせ、二人を別れさせたいのである。

最初からとんでもない発想が出てくるものである。

コンスタンスは、躊躇するが、引き受ける。誘惑するふりはするが、それで息子夫婦が別れるかどうかは別の問題としている。コンスタンスが誘惑したとしても、それにポールが誘われるかどうかもわからないのである。

ポールがヴァレリーを伴って食事にくる。舅のアンリ老人が嫁のヴァレリーを気に入らないのはポールもヴァレリーも承知している。何んとか食事の間だけでもとおもうがギクシャクしてしまう。

アンリ老人は、コンスタンスに頼んだことに一層執着し、力を入れ、息子の好きなものを教える。

コンスタンスは、ポールの好きな物を有効に使い、ポールは偶然にも自分と同じ好みの女性として、少し心惹かれたようである。喜ぶアンリ老人。

アンリ老人の妻が弾いたピアノがあるが、ピアノの蓋を開けさせない。奥さんは、お酒を飲み窓から転落していたのである。ピアノによって奥さんの思い出にふれるのがいやだったのである。

コンスタンスは本当は音楽関係の学校に行きたいのであるが、父に反対され違う方向に進もうとしていた。自分で作曲した曲をピアノで弾く。

それを聴いていたアンリ老人は、コンスタンスに自分の進みたい道へ進むように進言する。コンスタンスもその気になり音楽学校の試験を受けることにする。

ポール夫妻には、赤ちゃんができた。アンリ老人が、あの嫁の子供などは見たくないとまでいっていたのであるが、ポールは、コンスタンスに誘惑され、その燃える気持が妻の方にいったのであ。

アンリ老人の策略は全く逆作用となってしまったのである。

時間が経過し、コンスタンスがアンリ老人を訪ねると、アンリ老人は亡くなっていて、ポールが荷物をかたずけている。コンスタンスは、試験に落ちたのであるが、受かったと嘘をついていた。アンリ老人は最後は、全てを認め安らかに旅立っていたことを知る。

コンスタンスは、もう一度、試験を受けることを決心するのである。

収まるところへ収まるのであるが、アンリ老人は、最初から妥協はしない。嫌なものは嫌なのである。それに対し思いがけない発想をするが、その逆転の結果に対しては受け入れたようである。いや、結果的には親を乗り越えて進む道を切り開いてやったともいえる。

アンリ老人の荒療法は、若い人たちへの後押しとなったのである。

この荒療法は見ている方は怖い者見たさではないが、ポールが誘惑され次には気分も乘って、若い格好をして現れたり、アンリ老人がしてやったりと喜んだり、コンスタンスが偶然のようにポールの気持ちを引きつけたり、ちょっと嫌われるタイプかなと思わせるヴァレリーなど、コメディーならではの役者さんによってつくられる笑いが沢山である。

アンリ老人の突飛な発想には笑うしか付いて行けないのである。まさか、アンリ老人が亡くなって皆に倖せを残すなどとは考えられなかったのである。

そして、コンスタンスの瀬戸さんが実際に弾かれるピアノ曲(鈴木永子作曲)も素敵なのである。あのピアノ曲で浄化されたのであろうか。

『バカのカベ~フランス風~』もそうであるが、フランスのコメディーは、人の見方が結構きついところがある。グサッときて笑わせるのがフランス風であろうか。

映画『母と暮せば』を観ていても、あの上海のおじさんの戸を閉めてからの一言が加藤健一さんの間だなと思わせられた。あのとぼけた間で笑わせるのである。

作・イヴァン・カルベラック/翻訳・中村まり子/演出・小笠原響

劇中『ケセラセラ』の歌が流れたが、ドリス・ディであろうか。帰り道メロディーを口づさんでいた。紀伊國屋サザンシアターから新宿の南口のイルミネーションが人も少なくおとなしめなのがいい。帰ってからブレンダ・リーのCDで聞いた。

汐留のビルに挟まれたイルミネーションを<闇>歩きで観たが、闇歩きの達人・中野純さんが、実際のけばけばしいイルミネーションではなく、ビルのガラス窓に映る柔らかな光のイルミネーションを見てくださいと言われた。なるほど、実物はよくみると一つ一つの灯りがきつい色をしている。月でも実物よりも何かに映るほうを愉しむ心である。

いろいろ愉しませてもらったり考えさせられた一年であったが、2015年の最期はコメディーで締めるとする。