ヒップホップ文化(ブレイクダンス)

映画『ビート・ストリート』と同年(1984年)に公開されたのが、映画『ブレイクダンス』、『ブレイクダンス2』である。この映画からブレイクダンスという言葉が拡散したといわれている。(原題は『BUREAKIN’』)

ブレイクダンス』の場所はカリフォルニアのヴェニスビーチでストリートダンスのメッカということである。詳しくはわからないが他の場所でもストリートダンスが盛んな場所があり、それぞれに特色があるようだ。ブレイクダンスは体操競技、カンフー映画、ジェームス・ブラウンなどからも影響をうけ、様々な要素を取り込んでいき進化していく。

ブレイクダンス』はケリー、オゾン、ターボの3人が主人公である。ケリーはジャズダンスサーを目指していてオーディションで表舞台に立ちたいと思っている。そのケリーがストリートダンスを踊るオゾンとターボに出会いブレイクダンスに魅かれそのダンスを取り入れていく。紆余曲折しつつケリーの提案で3人はミュージカルのオーディションに立ち向かい自分たちのダンスを認めさせるのである。

ターボの箒を使ってのダンスは多くのダンス場面でもイチ押しである。3人に敵対するクルー(チーム)の中に、マイケル・ジャクソンにムーンウォークを教えたというポッピン・タコも出演しているのを知る.

ブレイクダンス2』は3人は同じメンバーで、その後ということになる。オゾンは子供から若者たちまでダンスなどを練習できる場所を見つけ、〔ミラクル〕と名付け活動する。建物は廃屋同然の公共の施設のため老朽化しており、資金がなく、民間が買い取りスパーにするという。皆の集まる場所が無くなるとオゾンとターボたちは反対する。ケリーはパリでの主役出演を蹴り二人を手伝い、資金集めのショーを成功させる。

この映画での見せ所の一つがターボの部屋の床、壁、天井での360度のダンス場面であるが、これはすでにフレッド・アステアが『恋愛準決勝戦』(1951年)で踊っているので驚かなかったが、ダンスの種類が違うのでその面白さはあった。振り付けの担当がマイケル・ジャクソンの「BEAT IT」の振り付け師、ビル・グッドソンということである。

ブレイクダンス』『ブレイクダンス2』からマイケル・ジャクソンにつながったが、マイケル・ジャクソンのミュージカル映画『ムーンウォーカー』(1988年)はヒップホップ文化を意識してると思えるし、この映画から新たなB-BOYたちが生まれたことが想像できる。『ムーンウォーカー』では、「最高のワル」と自称する子供たちが自信たっぷりにストリートダンスを披露している。

B-BOYたちが口にする映画に『フラッシュダンス』(1983年)がある。この映画には、主人公が歩く前でブレイクダンスを踊り出すストリートダンサーが出てくるのである。映画を観た時、ブレイクダンスとは知らずになんという面白いパフォーマンスであろうか、こんな動きがあるのだと思った。

ブレイクダンス2』では、自分たちのコミュニティーセンター〔ミラクル〕を守るが、もっと年齢が若い少年、少女が放課後に集まる児童館を守るためにダンスバトルショーを開催するという映画が『ストリート オールスターズ』(2013年)である。『 ストリートダンス TOP OF UK 』(2010年)、『ストリートダンス2』(2012年)の3作目で、3作の中で一番人気度は低いかもしれない。観始めたときはチルドレンものかとあなどった。

6人のメンバーがダンスチームを組むのであるが、言い出す少年が好きになった少女に恰好をつけて自分のダンスメンバーは凄いと出まかせを言い、急遽メンバーを集めるのである。言い出しっぺがダンスが駄目で、一人だけブレイクダンスが上手な少年、格闘技の少女、社交ダンスの姉弟、音楽がなんとかなる少年の6人なのである。期待できない6人が児童館のためにバトルダンスショーを成功させるのである。その6人の始めと最後の落差が見どころである。

印象的な場面があって、ダンスが得意な少年は、親の教育方針でダンス禁止で、優秀な学校への試験を受けるのである。その試験の最中、少年は違う世界に入り込んでいく。そこで、白い紙で作られた甲冑の武士とダンスで戦うのである。笛と尺八が流れなかなか素敵なシーンである。このシーンが映画を観る者を現実の世界につながり愉しませてくれた。

一つは、迎賓館赤坂離宮の正面屋根の左右に甲冑がのっているのである。この洋館の上で、武士の心が守るぜという感じで、歌舞伎の『暫』の衣裳のように左右に広がりをもたせている像である。映画をみたあとだったので遊び心のユーモアさが感じられ、その感性に違和感なく気にいってしまった。

もう一つは、スーパー歌舞伎Ⅱ「新版 オグリ」である。地獄の鬼兵士たちの衣裳と重なったのである。この鬼兵士たち踊るのである。照明にかなり助けられていたが。

追記: パリオリンピックでブレイクダンスも広く知られるようになりました。さらに中国映画『熱烈』が想像以上の面白さでした。ダンスシーンたっぷりでストーリーも笑わせて泣かせて観客を引き込んでいきます。驚きでした。

<気ままに「新版オグリ」> →   2020年1月21日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

ヒップホップ文化

ダンス映画にはまったのは、たまたま映画『ステップ・アップ』に出会ったのである。アップルの創業者の一人であるスティーブ・ジョブズを知りたくて彼の映画を探してレンタルしていたのである。ドキュメンタリーやインタビューものも含めて観れるのはこれぐらいだなと思った時、すぐ横にあった『ステップ・アップ』の文字が目に入った。軽くダンスの映画でもと思ったらこれがダンスシーンがたっぷりでこれは次を観なくては。

ステップ・アップ』が5作品続いていた。主役は変わるが、たびたび登場するB・ボーイ(ブレイクダンスのダンサー)もいる。青春物なのだが、4作目『ステップ・アップ4:レボリューション』では登場人物が大人の設定となる。はじまりから何やら登場人物が謎めいた動きをしている。そして突然踊り出すのである。並ぶ車の上で。『ラ・ラ・ランド』が吹っ飛んでしまった。

すでにこのシーンをやっていた映画があったのだ。この映画の後、『ラ・ラ・ランド』を見直したが、車上で踊るシーンは、精彩をうしなっていた。かつては、物凄い衝撃を受けたのに。『ラ・ラ・ランド』はこれまでのダンス映画に対するオマージュということであるが。

ステップ・アップ4:レボリューション』の美術館でのダンス場面も違ったシチュエーションで魅了させてくれる。それからである。ストリートダンス映画をさらに探して観始めた。

飽きなかった。一つ一つの映画のストリーは単純である。苦難がありそれを乗り越えてダンスに生きるという内容である。ただ、ダンスシーンが圧巻である。ブレイクダンスは、バトルがあり、そこでそれぞれのB・ボーイ(B・ガールもいるが対等の力量から総称させてもらう)の持ち味が試される。それも、相手の出方によってそれに即興で対抗するのである。映画の場合、振り付け師がいて映画用に作られるのはわかっていても面白かった。ダンスの腕前が皆さん素晴らしい。

主演者がダンスが駄目なら、本物のB・BOYやプロ並みのダンサーが見せ場をつくってくれるのであるが、いやいや主演者たちも頑張っていた。映画に出ている日本人ダンサーのレベルも相当なものである。実際の世界大会のドキュメンタリーもみた。驚いた。日本人が堂々と戦っていたのである。ストリートダンスは若者たちが勝手に楽しんでやっているのだと思っていた。そこに懸ける情熱とB・BOYの一途さは半端ではない。

苦難の道であったので逸脱した人々もいたり、その情報が頑張る人々をかすめさせてしまうこともあった。皆人生と若さをそこに懸けていた。ダンサーは活動時期が短い。そしてお金にもならない。それなのにステップを踏み続けるのである。そして観る者を理屈無しで楽しませてくれる。

ブレイクダンス系を観続けてかなり経ってから知ったのである。ヒップホップは若者が自分たちの力で作り出した 文化 であるということを。

パトカーの上で踊るのが映画『ブレイク・ピーターズ』である。1985年に東ドイツでブレイクダンス映画『ビート・ストリート』が公開され、それに魅せられた若者がブレイクダンスに熱中する。しかし、当然認められない。国はブレイクダンスを認める代わりに皆に受け入れやすいように修正する。いいように操られてはB・BOYSの生き方に反すると思い始める若者たち。

映画『ビート・ストリート』は実際にある映画なのであろうか。実際にあった。日本では公開されなかった。DVDのパッケージの解説によると、 「1984年、日本では『ビート・ストリート』は未公開でビデオとLP盤のみの発売にも関わらず、日本における HIP HOP のパイオニアたちにとっては衝撃的作品であった。」 この作品はヒップホップカルチャーというものを認識させてくれる作品となった。

ヒップホップ文化の四大柱といわれるのがMC、DJ、ブレイクダンス、グラフィティということで、ニューヨークのブロンクス区で誕生する。それを体現する登場人物の友情が描かれているのが映画『ビート・ストリート』なのである。ダンスだけを追い駈けていた者に基本形を示してくれた。

ギャングになるかクスリの売人になるしかないという環境で若者たちは、銃と暴力の対立から全く相手に肉体的危害を加えないバトルをみいだしたのである。それも人種の違う人々が住む地域で。ダンス教室に通えるような環境ではない。家の前で、ストリートで、年齢関係なくステップを踏む。新しい若者文化。文化を生み出すなどと考えられない場所から出現するのである。

ヒップホップという呼び方は、1978年か1979年からという。

ダンス映画の多くの鑑賞ラストに近づいて知った。ブレイクダンスは、ユースオリンピック(14歳から18歳)ではすでに競技種目に入っており、さらに2024年のパリでのオリンピックの競技種目に加えられたのである。軽く手にしたステップが大きくアップしてしまった。

追記: ダンス映画から始めたのでヒップホップ文化の生まれた状況が不安定であったが、DVD『ヒップホップ・レジェンド』を観て、そのインタビューからかなり実態を固めることができた。この映像、好い出会いであった。

<「ヒップホップ文化(ブレイクダンス)> →  2020年1月15日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

映画『シャーリー&ヒンダ ウォ―ル街を出禁になった2人』 『人生タクシー』からの継続(3)

〔 謹賀新年 〕 新しい年を迎えたが、内容は昨年の続きである。

東京国立博物館で『御即位記念特別展 正倉院の世界 ー皇室がまもり伝えた美ー』が開催されていた。シルクロードの一つの終着点が奈良正倉院と言われるが、イランがペルシャ帝国と言われていたころの文化が日本に到着し正倉院に保存されていた。

ペルシャ系人とおもわれる「伎楽面 酔胡王(すいこおう)」、聖武天皇が愛用されペルシャで流行っていた水差し「漆胡瓶(しっこへい)」、胴にペルシャの天馬(ペガサス)が描かれた「竜首水瓶」、80もの円形切子のあるガラス器「白瑠璃椀」、紺色の中にかすかに残る白濁色が残る「ガラス皿」、草原の狩猟を描いた四絃琵琶「紫檀木画槽琵琶(したんもくがのそうのびわ)などペルシャから伝わった展示品をわくわくしながら鑑賞した。

五絃の「螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)」も展示されていて、四絃はペルシャで五弦はインドで多く使われ、「螺鈿紫檀五絃琵琶」は新たに復元したものも展示されていた。この復元の琵琶の糸は絹糸で、美智子上皇后が育てられている蚕からの絹糸が使用されていた。この蚕は日本の在来種小石丸といい、奈良時代からのものだそうである。このお仕事は、雅子皇后に受けつがれるのである。

イラン関係の本によると、『続日本紀』には736年の記録には当時中国姓を名乗ったらしいペルシャ人も渡来しているということであり、日本に現存する最古のペルシャ文書は1217年に渡来したペルシャ語の詩句とある。

さらに太宰治さんが『人間失格』の中に挿入しているルバイヤットの詩句が、ペルシャのオマル・ハイヤーマの詩集『ルバイヤート』からなのだそうで、11篇も挿入している。この詩句のことなど頭になく、それがペルシャの詩集からなどということも当然知らなかった。さらに『人間失格』の作品の中でどう関連しているのかも。『人間失格』を開いたら確かに挿入されている。読み返してみる必要がありそうである。

さらに、松本清張さんが『火の路(みち)』の中で、自説の古代史の仮説を提示しているという。奈良の飛鳥の石造遺物が、ゾロアスター教(古代ペルシャで生まれた世界最古の炎を崇拝する拝火教)の拝火壇で、日本に渡来したペルシャ人が造ったのではないかという仮説である。推理小説なので殺人もでてくるようだ。興味がそそられる。松本清張さんの著作に『ペルセポリスから飛鳥へ』もある。

迎賓館赤坂離宮に行きたいと思いつつ実行していなかったので、和風別館「遊心亭」のガイド付きで申し込む。映像での紹介の場所があり先に予習をした。見どころいっぱいである。その中にイスラム風の「東の間」があり、意外なつながりに嬉しくなってしまった。世界のあらゆるものを取り入れていたのである。パンフレットにも写真が載っているが、残念ながら公開はされていない。

独特の美しさを持つイスラム風を味わいたい。モスク(イスラム教寺院)である東京ジャーミィ(トルコ文化センター)が公開しているのを知る。曜日によっては案内ガイドつきである。その時間に合わせる。自由にお茶を飲みつつ待つことができる。ガイドのかたの話しが、こちらは知識ゼロのため面白い。チューリップの原産はオランダではなくトルコであった。チューリップバブルというのがおこっていたのである。

礼拝の様子も見せてくれた。生のコーランを耳にする。途中でガイドされたかたも礼拝に参加された。ガイド終了後はゆっくり静かに内部の模様や色使いを楽しませてもらう。美しい。

というわけでトルコ映画へとなったのである。鑑賞したのは『海難1890』(日本・トルコ合作)・『少女へジャル』・『裸足の季節』の3本だけである。

もう一つ長期間、ハマっていた映画の分野がある。ダンス映画である。それもストリートダンスである。30数本観た。なかでも多いのがブレイクダンスである。身体表現は映像であってもやはり魅力的である。その他のダンス映画も観ていたのでダンス系は50本は観たと思う。それと並行しての鑑賞なので、トルコ映画は観れるリストは作ったのでこれからとなる。

映画『シャーリー&ヒンダ ウォ―ル街を出禁になった2人』 『人生タクシー』からの継続(2)

映画『人生タクシー』からは、イラン映画を観て、イラン関係の本を読み、国立博物館へ行き、さらにトルコ映画を観ることになった。流れは次のようになる。

イラン映画『正倉院の世界 皇室がまもり伝えた美』(シルクロード)→迎賓館赤坂離宮東京ジャーミィ(モスク)→トルコ映画

映画『人生タクシー』のジャファル・パナヒ監督の他の作品では『オフサイド・ガールズ』と『チャドルと生きる』を観る。『オフサイド・ガールズ』は、女性はスポーツ観戦が法律で禁止されているのであるが、サッカー大好きな少女たちが、男装して何んとか観戦しようとするが見つかってしまい兵士の監視下におかれる。イラン映画はイラン国の事情がわからないからドキドキしながら見てしまう。少女たちは黙ってはいないし、それに真面目に答える兵士との会話にユーモアさえ感じる。

すったもんだがあり、観る方は、もっと厳しいことになるのではと心配になるが、一件落着してほっとさせられたりもする。ラストは、予想外のことが生じる。初めは少女たちに同情して観ていたのにもかかわらず、兵士に、あなたたちの今までの苦労は何なのよ、それでいいの、と声をかけたくなる場面で終わるのである。田舎出身の兵士が、都会の少女に翻弄されているようでもあり、兵士も普通の若者であったという可笑しさにさそわれる。少女たちのサッカーに対する熱さは今後も続くであろう。サッカー大好き少年の映画としては『トラベラー』(アッパス・キアロスタ監督)というのもある。

チャドルと生きる』は、なかなか事情が呑み込めないような展開である。黒いチャドルをまとう女性の行動が謎めいている。チャドルは原音に近いのはチャードルなのだそうで、半円形に仕立てられた一枚のヴェールである。イラン国内の女性は、人前では髪の毛と身体を覆う衣服の着用が義務づけられている。スカーフに丈の長いコートという着方をしている女性も多い。これらすべての総称が「へジャーブ」と呼ばれている。黒のチャドルの雰囲気はどこか謎めいていていて女性の行動も一層謎めく。

チャドルという歴史の古い衣服が、古い因習の重さをも表しているようで、それにに押しつぶされそうな女性が、一人でその殻を破るために右往左往しながらも前に進んで行く。女性の旅の規制など、女性たちが行動していく過程で予想のつかない現実があり、女性たちは何んとかそこを突破しようとしていて強い。

子供たちも自分の力で問題を解決しようと進む。そのひとつが『友だちのうちはどこ?』である。アッバス・キアロスタミ監督・脚本・によるジグザグ道三部作の一作目で、ジグザグ道は、映像の中に出てくる。このジグザグ道を主人公の少年は一生懸命走るのである。なぜ走るのか。教室で隣に座った同級生のノートを間違って持って帰って来てしまったのである。その子は、宿題をノートではなく他の紙に書いて先生に注意され、三回目は退学だと言われている生徒である。このノートがないと三回目になってしまうのである。

ノートを届けるため少年は走る、走る。そして友だちの家を探すのである。イラン映画はフェイントをかけられるところがあり、えっ、どうしてという箇所がある。それが次の展開ではホッとさせられるという状況になったりもするのであるが、この映画も、ハラハラ、ドキドキさせられながら、主人公の考えた行動に納得させられるのである。

柳と風』(脚本・アッバス・キアロスタミ/モハマッド=アリ・タレビ監督)、『運動靴と赤い金魚』(マジット・マジディ監督)も同じように子どもの一生懸命さに観る側の背筋が伸びる。もっと厳しい環境の中で生きている子供たちの映画もある。

映画からはどんな環境にあっても子供たちに勉学に励んでもらいたいという大人(映画人)の願いを感じる。字の読み書きができない大人も多かったのである。踊るようなペルシャ文字は魅力的である。

若者の映画では、音楽の世界に生きるドキュメンタリー風の映画『ペルシャ猫を誰も知らない』(バフマン・ゴバディ監督)がある。イランではコンサートなども許可制で、音楽も規制され、若者たちは逮捕されつつも自分たちの音楽を目指す。この映画ではイランで生み出される様々な音楽が味わえる。イラン人は詩を大切にし身近なものとしているらしく詩の世界に入りきれない映画もあるし、ミステリー映画もある。映画の事ばかりになり先に進まないので、観た映画名のみ記しておく。

そして人生は続く』(ジグザク道三部作・二作目)・『オリーブの林を抜けて』(ジグザク道三部作・三作目)・『クローズアップ』・『ホームワーク』・『桜桃の味』・『バダック:砂漠の少年』・『風がふくまま』・『ダンス・オブ・ダスト』・『トゥルー・ストリート』・『スプリングー春へー』・『カンダハール』(イラン・フランス合作)・『私が女になった日』・『少年と砂漠のカフェ』・『1票のラブレター』・『少女の髪どめ』・『風の絨毯』(日本・イラン合作)・『ストレイドッグス~家なき子たち~』(イラン・フランス合作)『ハーフェズ・ペルシャの詩』(日本・イラン合作)・『彼女が消えた浜辺』・『別離』・『ある過去の行方』・『セールスマン』(イラン・フランス合作)  

その他、イランの映画監督が外国で撮った映画で観た映画。『セックスと哲学』・『トスカーナの贋作』・『ライク・サムワン・イン・ラブ』(日本)・『独裁者と小さな孫』・『誰もがそれを知っている』・『明日へのチケット

この続きは来年となってしまう。紅白はたけしさんの『浅草キッド』だけ聴きたかった。シンプルでよかった。ひばりさんは古い映像で工夫してほしかった。人工的で悲しくなった。あとは音を消して映像をチラチラ眺めていた。歌を聴くよりもそちらのほうが面白かった。

 

映画『シャーリー&ヒンダ ウォ―ル街を出禁になった2人』 『人生タクシー』からの継続(1)

時間的に書き込みできず休んだところ、楽で他に時間を使うことができ、しばらく書き込みを止めた。気がついたら12月になってしまった。2019年も終わるのである。

映画『シャーリー&ヒンダ ウォ―ル街を出禁になった2人』 『人生タクシー』からの空白の時間のようであるが、実際にはこの映画につながっていたのであるから不思議である。

映画『シャーリー&ヒンダ ウォ―ル街を出禁になった2人』から2008年のリーマンショックに興味がつながる。リーマンショックとは一体どういうことだったのであろうか。2008年、アメリカで大手投資銀行リーマン・ブラザーズが倒産し、世界最大の保険会社ATGが経営破たんのため国有化などがおこる。この影響が世界金融危機へとつながっていくのである。

リーマンショック関連映画(DVD)を観る。『インサイドジョブ 世界不況の知られざる真実』(ドキュメンタリー) 『マージン・コール』(日本未公開) 『ウォ―ルストリート・ダウン』 『マネー・ショート 華麗なる逆転』 『リーマン・ブラザーズ 最後の4日間』(実録テレビドラマ)『キャピタリズム ~マネーは踊る~』(ドキュメンタリー)

頭脳明晰な人たちがお金もうけの手段として考えたことであり、いまだによく理解できないが、わからないようにお金もうけを仕組んだのである。それにハマってしまった多くの人々がマイホームから追いだされ、あるいは失業し、あるいは責任を取らずに逃げ、大儲けをした一握りの人もいたということであろう。

マイホームを購入するときローンを組む。その時支払い能力の審査がある。その審査が無いに等しいサブプライムローンというのがある。お金を貸して家を持たせる。その家を担保にまたローンを組ませたりもする。マイホームを持つひとが増え住宅バブルである。ただこのサブプライムローンには落とし穴がある。途中から支払い額が増えるのである。変動制であるがそのことをわかりやすく説明したとは思えない。持てないと思っていたマイホームが手に入るのである。そしてわけもわからずにローンが払えなくなって強制執行で追い出されてしまう。

さらに解らないのであるがこのローンが他のローンなどと組み合わせられ債務担保証券として売られるのである。さらにこの証券の価値がなくなった時のための保険がありそれも販売される。マイホームを購入できるだけの収入がない人も審査上OKでのマイホームブームであるが、内実を知らない投資家は証券を買う。値はドンドン上がっていく。これが破たんした時のための保険というのがあることによって逆転勝ち組になるのが、映画『マネー・ショート 華麗なる逆転』である。

特定の人が、このバブルに疑念を抱く。これは破たんすると予測して保険をかけるのである。家の所有者と関係のない多数の人がその家に保険をかけることができるのと同じで、その家が火事になると掛けた人は保険金を貰えるのである。火事になることを期待して掛けるのである。そしてついに破たんし、リーマン・ブラザーズは潰れ、保険会社ATGには税金がつぎ込まれる。

映画『マネー・ショート 華麗なる逆転』でもうけた人々は、それがどれだけの貧困を生み出してのお金であるか知っているので複雑である。ただこここまでの間、人々を手玉に取って手数料で大儲けしていた人達に対しての義憤もある。自分の先見の明に単純に喜ぶ人もあれば、やるせなさを感じている人もいる。

インサイドジョブ 世界不況の知られざる真実』(ドキュメンタリー)は、責任問題などにも言及している。そしてこれらの映画を観たあとで、BS世界のドキュメンタリーで『リーマン告発者の10年』の放送があった。リーマン・ブラザーズの不正を知り内部告発した人々の10年を追ったもので、彼らのその後は厳しい人生である。彼らは裁かれる者がきちんと裁かれることを願っている。正当な願いである。

今年の夏は、NHK・BSのドキュメンタリーにお世話になった。昭和天皇の初公開の秘録を始め、興味深い戦争の知られざる様子を知ることができた。きちんと資料を残しておいてくれた人、それを見つけ出してくれた人、そして番組として制作してくれた人々の仕事ぶりには知る喜びを与えてもらった。

さて、リーマン・ショックのもやもやした気持ちを少しすっきりさせてくれるのが、B級作品とみなされるかもしれないが『ウォ―ルストリート・ダウン』である。銃でバキュン、バキュンと復讐する。映画の中なのでお許しをというところである。ラストがしゃれている。銃は必要ないとマイケル・ムーア監督に怒られそうであるが。 

マージン・コール』は、リーマン・ブラザーズの社員の話しで、色々あってもやはり会社人間から抜けだせないということである。デミ・ムーアを久しぶりで観た。役としてはそれほどのインパクトはなかった。

キャピタリズム ~マネーは踊る~』(ドキュメンタリー)。マイケル・ムーア監督作品。切り込み方の発想がいい。行動してその中から派生していく方向性を大切にしているからである。家からの追い立ての強制執行にも立ち会っている。『ハドソン川の奇跡』の映画にもなったサレンバーガー機長が、パイロットの金銭的窮状を発言していたのには驚いた。マイケル・ムーア監督の作品のDVDはテレビ放送作品を含めてほとんで観た。これまた、アメリカの知らなかった世界をみさせてもらった。突撃取材の発想が凄い。

マイケル・ムーア監督作品『華氏911』『華氏119』は、フランソワ・トリュフォー監督の映画『華氏451』からと思われるが、観ていなかったので早速観る。SFで、本を読むことを禁止され、没収され焼かれてしまう。その取り締まる側の係官が本に魅せられてしまう。それが見つかるが、取り締まりの魔の手から逃れる。一冊本を丸暗記して本を守る人々の集まりに出会い参加するのである。この原作本は『華氏451度』でこの本が登場する映画がある。

映画『マイ・ブックショップ』である。小さな町で夫を亡くした女性が本屋を開く。その本屋の初めての客に本を選んで届けるように言われ、女性はその中の一冊に『華氏451度』を選ぶ。初めての客はその本を気に入り、作家・レイ・ブラッドベリの他の作品もと注文するのである。しかし、町の有力者が本屋開店を快く想わず何かと邪魔をする。小さな世界が世間によくある構図でもあり、本屋は閉じられる。しかし、本の縁はつながっていくという、なかなか秀逸な作品であった。

映画『i 新聞記者ドキュメントー』は、クリスマスプレゼントに値するドキュメンタリー映画であった。東京新聞社会部記者・望月衣塑子さんを追い駈ける。しっかりこれが映画として残されたことにひとすじの光を感じる。ここで一応、映画『シャーリー&ヒンダ ウォ―ル街を出禁になった2人』のひとつの着地点とする。日本映画で着地できたのが嬉しい。

映画『シャーリー&ヒンダ ウォ―ル街を出禁になった2人』 『人生タクシー』

シャーリー&ヒンダ ウォ―ル街を出禁になった2人』はドキュメンタリー映画である。流れがスムーズで映画をドキュメンタリー風に撮ったと思わせるくらいユーモアに溢れている。しかし言う事はしっかり主張するのである。

アメリカのシアトルに住むシャーリー(92歳)とヒンダ(86歳)は長い友人関係のようである。シャーリーは、家を失う人が多い現時点(2013年であろうか)から、経済の成長は間違っているのではないか、経済の成長が人間の本当の幸福なのだろうかと疑問をもつ。ヒンダはそれに対しシャーリーがわからないと答えると、あなたはそればっかりとつっかかる。このあたりも二人の付き合いの長さと深さがわかる。

ではということで二人は行動する。ワシントン大学へ聴講に行くのである。二人はこの大学の卒業生らしい。シャーリーは1939年に入学して、1971年に学位をとり、その間に5人の子供を産んだと言う。知りたい学びたいという好奇心は筋金入りなのである。

聴講に行くにも91歳と86歳である。スクーターに乗っていく。本人たちはそう呼んでいる。ゆっくり走る介護用のスクーターである。日本では見た事がないので検索したら、電動シニアカートとなっている。日本には向かないのであろうか。団地などでエレベーターがあり車の走行が少ないなら団地内のスーパーに買い物に行けたり、病院があれば通院できたりするのではなかろうか。そこまで考えて街作りしていないのが現状でしょうね。

教室にもその愛車で入室するのである。そして先生に質問して質問は受け入れられず、めげずに再質問して退室を命じられ、二人は愛車で退室するのである。それを見ている学生を見ていると、あなたたち、質問するくらいの勉強をしてちょうだいねと願う。

二人はめげないのである。インターネットでロバート・ケネディの演説を見つける。こちらもお二人のおかげで発見であった。ロバート・ケネディさんは、経済成長の中身は何なのかということを言っているんです。こんな演説をしていたのかと初めて知りました。話し方が具体的で惹きつける力がある。人気の意味がわかった。

ある教授宅を訪れ、世界の資源は限りがあり永久に成長はできないという話しを聞く。二人はもっと経済の中心の人の意見が聞きたいと、ニューヨークのウォール街に行くことにする。会えるあてはないのであるが、彼女たちは、先ず行動するのである。ニューヨークの宿舎でヒンダは風邪をひくが、ここがアメリカ的というか、お互いにもたれ合わないのである。シャーリーは一人スクーターで出かけ路上で色々な人から話聞く。若い人の生活設計が親世代としっかり違う生き方を選んでいるのも面白い。

そしてエコロジー経済学者を招き話をきく。二人の知りたいは突き進む。映画の内容が固そうであるが、二人は老人である。そのリアルさが可笑しいのである。ヒンダはベットに上がれなかったり。このあたりは二人を見ていたホバル・ブストネス監督がそれいいですね、もう一回取り直したいのでよろしくと言ったように感じてしまう。作られた映画を観ているような感じもある。二人は行動するだけに身体の工夫も考えるのである。

シャーリーは、財界の大物が集まるウォールストリートディナーに出席することを決める。インターネットで出席の券を購入する。もちろん二人分。ヒンダもいざとなればシャーリーを一人で行かせるわけにはいかない。

映画の題名についていたように「ウォ―ル街を出禁になった2人」である。その時、「心臓発作でくたばれ、このクソババアが。」と言われるのである。言った本人に名前を聴くが名乗らなかった。そんなことにたじろぐ二人ではない。

シアトルへ帰ったヒンダに試練が待ち受けていた。水泳をして努力していたのであるが、膝がついにギブアップで手術をすることになる。プールもヒンダは一人で自動移動機で水に入るのである。日本にこういうところあるのかなとまた考えてしまった。

シャーリーに送られて手術室に入るヒンダ。

雨の外の景色をボンヤリ眺めているシャーリー。電話が鳴る。ヒンダであった。

二人は今度は仲間とともに再びワシントン大学に。「このまま経済の成長を続けていいの。」と。

ある経済学者からは、気がつくのがおそすぎるが、気がつかないよりは良いと言われる。ウォール街のディナーでは、考えるより今を楽しもうよ、そんなに心配し過ぎないでね、などとも言われる。肉体的には年相応に衰えている現実を知っている。しかし、知りたいこと疑問に思う事にはじっとしていられない二人である。そのあたりがよく伝わってくる。可笑しくもあり、哀しくもあり、そしてめげない二人の姿に生きてきた実態と現時点での心の躍動がある。(2013年製作、日本公開2015年)

映画『人生タクシー』。タクシーの運転手さんが乗せた乗客とほのぼのとした関係を持つ映画かなと思って観始めた。国が違うとタクシーの乗り方も違うものである。乗合いタクシーのように、空いていれば次々とお客を乗せていく。行先の方向が違うと断ったりするのである。

知らない女性と男性の二人の乗客が死刑について意見の違いを論じ始める。凄いな。この国ではこんな議論が日常なのであろうかと思う。女性は教師で、男性は降りる時自分の仕事は路上強盗だという。ブラックユーモアなのであろうか。

そして、違う乗客の口から、タクシーの運転手さんが映画監督であることがわかる。映画監督が副業としてタクシーの運転手をしているのか、それとも、映画をとるためにタクシーの運転手になっているのか。ドキュメンタリーなのであろうか。

乗客が乗るにしたがって、この国の状況が少しづつわかってくる。映画監督は、姪を学校まで迎えにいくことになっていた。この姪が、おしゃまさんで口が達者である。学校では映画をつくる授業があるらしく、映画製作の規定をノートをみながら読み始める。この国の規定らしい。

女性のおかれた立場とか、他の国のDVDの購入も規制されているらしく、タクシーの運転手の監督は有名らしいということがわかってくる。そして、この国では路上強盗の被害に遭うことも多々ありそうである。

真っ赤なばらを抱えた女性が乗って、この国の状況がさらにわかってきて、映画監督の立つ位置も何となくわかってくる。この女性が置いて行った真っ赤な美しい一輪のバラが突然消えてしまう。撮影が突然終わって真っ黒な画面となる。そういうことであったか。

国はイラン。映画を作ったのは、20年間の映画監督禁止令を出されたジャファル・パナム監督である。

タクシー運転手さんがしごくおだやかなので、そんな苦境の中にいる人とは思えなかった。ただ、現実に何かの規制を受けているのだなという事はわかった。その中でこの映画を作ったのである。最後にきちんと国の現状が伝わってくる。

パッケージから多くの賞を受けたのはわかったが、賞を受けようと受けまいと、素晴らしい作品であることに変わりない。こんな方法があったのかと驚かされた。人にはまだまだ力がある。(2015年製作、日本公開2017年)

浅草映画・『若者たち』

「君の行く道は~はてしなく遠い~」歌は知っていても、テレビドラマは見ていないし、映画も観ていなっかた。映画『若者たち』(1968年)のDVDに特典映像がついていて、この映画に関する情報を得ることができた。DVD化されたのが2006年である。森川時久監督、脚本家の山内久さん、俳優の山本圭さんの三人が対談されている。

映画『若者たち』は自主上映だったのである。映画は出来上がったが、配給してくれるところがなく、松竹の城戸四郎さんが買っても良いと言われたのだが、製作費よりも安く、損をするのはいやなので自主上映に踏み切った。城戸四郎さんとなると、どうも映画『キネマの天地』の起田所長の白鷗さんを思い出してしまう。「購入してもいいが製作費より安いよ。」といいそうである。

名古屋が初上映で、大成功であった。全国をまわり最後が有楽町のよみうりホールで収益を上げ次の映画の資金となった。その頃、もう一本自主上映していた映画があって『ドレイ工場』(監督・山本薩夫・武田敦監督)とのことである。

森川時久監督はテレビの演出家で、映画監督初デビューでもあった。カメラの宮島義勇さんに映画の撮り方の一から教わり、この映画はテレビ出身監督の映画という事もあってか、当時きちんとした批評がなかったようである。映画人のテレビかという意識があったようだ。映画がDVDによってテレビのフレームに帰ってきたというおもいがあると森川時久監督は言われているが、DVD大好きである。DVDによってどれだけの映画を観ることができているか。

『若者たち』もDVD化されていなければ観れなかったのであるから。何となく風のたよりに聞いていた、羽仁進監督の『不良少年』も観ることができた。そういう意味では、浅草映画に感謝である。(もちろん、中村実男著『昭和浅草映画地図』にもである。)

山本圭さんは、宮島義勇さんに映画はカメラのフレームの中で演技してくれと言われたそうであるが、これが難しかったそうである。ヒッチコック映画のDVDも解説付きがあって、その中である役者さんが、端にいて驚く場面で驚いて後ろに下がってしまい監督に消えるなと怒られるのだそうであるがどうしてもできなくて、もういいといって許してもらったというインタビューを思い出した。

とにかく資金難で、ロケ現場では、昼時になると弁当が出せないためチーフ助監督が姿を消すのだそうである。ある時は、仕方なく焼き芋屋さんを田中邦衛さん等と買い切って配ったりしたそうで、そうした苦労話は数々あるようである。それと、1960年代は生放送に近いテレビの原点でリハーサルを何回もして寝不足のまま撮影現場に移動したそうで、とにかくリハーサルが長かったようである。

森川時久監督は戦争孤児のことをやりたくて一度失敗してずーっとやり残していたがやっと、両親のいない5人が生きていくということで実現させた。時代は高度成長期で、そこで置いて行かれる人々の議論劇としている。

長男・太郎(田中邦衛)は、三男・三郎(山本圭)と四男・末吉(松山省二)を大学に行かせることにし、さらにりっぱな家を建てるのが目標である。三男は大学に進んだが世の中の現実から目を離して学業だけに専念することはできない。四男は、兄たちに負担をかけつつ追い詰められるような気持ちで大学を目指すのがいやになってくる。長女・オリエ(佐藤オリエ)は一人で兄弟たちのために家事をがんばり、兄弟たちの喧嘩の後始末などごめんだと友人のところに逃げてしまう。次男・二郎(橋本功)は、トラックの運転手で、事故ってしまうが、これまた一本気で身近な人の苦労がほっとけない。

長男の家父長的な決め方に三男は理論でぶつかっていく。長男はその家父長さを職場でも発揮する。事故のため怪我をした下請けの労働者に対する扱いが許せなくて本社に掛け合いクビになってしまう。三男は、長男に対し兄貴だって世の中の矛盾と対峙しているのにそれを感情論だけでぶつかっているとまたまた激論の喧嘩となる。それぞれが矛盾を感じつつそれぞれのやり方で世の中で闘っていくエネルギーとぶつかれる仲間のあった時代のドラマでもある。

そしてこれだけぶつかりあえる家族がいた時代ともいえる。近頃は、手出しの出来ない弱い子供を一方的に攻撃してしまう事件が多すぎる。あの時代から見ると行先がこんな時代になっているのかと落胆してしまうであろう。あの兄弟の喧嘩の方が意味があり対等のエネルギーがあった。言い合える場所と均衡があったのである。

長男は上司の妹と結婚するつもりであった。彼女はクビになった彼の就職の世話もしてくれた。しかし、彼女は長男との結婚を断るのである。その場面が隅田川の向島側で堤防がカミソリ堤防といわれるコンクリートの高い壁になっていて台に上がってやっと隅田川がみえるという情景である。吾妻橋、東武鉄道の鉄橋、浅草側には松屋や神谷バーなどが並んでみえる。

覆い隠すことのない人間性をだしている映画の内容もよいが、この隅田川の堤防を映して置いてくれたことも貴重な映像である。今の隅田川テラスからは想像できない情景である。伊勢湾台風の教訓から整備されたのであるが、このカミソリ堤防で水辺と人間が切り離される結果となり、再度整備される。ゆるやかな傾斜がある堤防と遊歩道を備えた親水テラスとなったのである。

この隅田川テラスを調べてみるとかなりの距離つながっていたのである。勝鬨橋から千住大橋までつながっている。というわけで歩いて見た。なかなか面白い散策であった。早めに実行しておいてよかった。この暑さでは水辺といえども体力的にゆとりがなかったであろう。

「空に また 陽が昇るとき 若者は また 歩きはじめる」テレビドラマと映画の主題歌は一緒である。(作詞・藤田敏雄、作曲・佐藤勝) 佐藤勝さんは映画音楽では外せないほど多くの映画音楽を担当をされている。

出演・栗原小巻、小川真由美、石立鉄男、井川比佐志、大滝秀治、江守徹

昨夜ここまで記入し、読み返して公開しようと思ったら、今朝の事件である。痛ましすぎる。暴力は最低である。悪である。それも、何で無抵抗の人を攻撃するのか。卑怯すぎる。時代を遡って今という時代を思い起こす時間が必要なのかもしれないが、時代の波は速度を増すばかりである。事件に会われた方々のこれからの時間・・・

歌舞伎座5月『鶴寿千歳』『絵本牛若丸』『京鹿子娘道成寺』『御所五郎蔵』

鶴寿千歳』 昭和天皇御即位の大礼を記念してつくられ作品だそうで、箏曲が中心となっていて、新らしい時代を寿ぐ舞踏である。宮中の女御(時蔵)、大臣(松緑)、男たち(梅枝、歌昇、萬太郎、左近)が優雅に踊りをくりひろげる。そして雌鶴(時蔵)と雄鶴(松緑)が目出度く舞い納めるという設定である。箏曲の音色がゆかしくて、夫婦の鶴が平和な世を愛でている。時蔵さんはゆったりとたおやかで、松緑さんの身体の動きの角度やそのゆるやかに流れる速度に品の良さが映し出されていた。そういうことなのかと袖の扱いかたなどに見惚れる。

絵本牛若丸』 七代目尾上丑之助襲名の初舞台である。菊之助さんが六代目丑之助襲名の初舞台のときに作られたそうで上手く出来ている。(村上元三脚本)『鬼一法眼三略巻』の人物背景と義経の牛若丸時代の鞍馬山とを組み合わせている。鬼一法眼(吉右衛門)と吉岡鬼次郎(菊五郎)に伴われて牛若丸(丑之助)が鞍馬山にやってくる。修業のあかつきには兵法の三略を授けるという。平家の郎党が牛若丸暗殺のためあらわれる。これを牛若丸はやっつけてしまう。実は郎党は源氏側で牛若丸の腕をためしたのである。牛若丸は弁慶(菊之助)をともない、源氏再興を目指し奥州へと旅立つのである。

牛若丸が弟子入りする東光坊の蓮忍阿闍梨(左團次)、お京(時蔵)、鳴瀬(雀右衛門)、山法師西蓮(松緑)、山法師東念(海老蔵)などの役どころで役者さんが一同にそろう。『鬼一法眼三略巻』を思い出させつつ鞍馬での牛若丸の立ち廻りで、その後の義経の活躍を思い起こさせる構成となっていて、菊五郎劇団の立ち廻りを披露する新丑之助さんにふさわしい活躍ぶりであった。

(楽善・休演、彦三郎、坂東亀蔵、松也、尾上右近、権十郎、秀調、萬次郎、團蔵)

京鹿子娘道成寺』 菊之助さんの白拍子花子である。期待して楽しみにしていた。ところが、可愛らしくて甘い娘道成寺であった。怨みを伝えるために道成寺に来るわけである。所化たちをだましても鐘のそばへ行きたいと思っているのである。所化たちをその愛らしさで煙に巻いてもいい。しかし、鐘のそばで踊っているうちに心の中に変化が強まってそれを静めたりする内面の葛藤があるはずである。しかしそれをみせない芯が身体から、どこか踊りの中に出てこないであろうかと鑑賞していたが、可愛らしさと甘さの雰囲気を持続された。最後にその恨みを爆発させるということだったのであろうか。何か考えがあってのことかもしれないが、印象が薄くなったのが残念であった。

所化の役者さんたちは手慣れていて安定していた。(権十郎、歌昇、尾上右近、米吉、廣松、男寅、鷹之資、玉太郎、左近)

曽我綉俠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ) 御所五郎蔵 』 御所五郎蔵が松也さんで、星影土右衛門が彦三郎さんである。声の良いお二人なのでどう変化をつけて河竹黙阿弥ものに挑戦されるかと楽しみにしていたが、良さを生かしきれていなかった。力みが前面にでていた。良い所を生かすということも難しいことであると思わせられた。

彦三郎さんは、悪役である。顔の作りがどうも気になった。声で悪を表現できる声質なので、もう少しかっこよくしても良いように思えた。あくまでも彦三郎さんの場合である。松也さんは、神経質な五郎蔵になっていて、仲之町での出会いでのつらねも沈んでしまった。とめに入る坂東亀蔵さんに落ち着きがあった。

五郎蔵が、女房でもある皐月に愛想づかしをされるがずっと線の細さが目立ってしまうのである。五郎蔵は今は侠客なのである。侠客と傾城である。梅枝さんが古風で地味で、五郎蔵のためなのだからと、引き加減である。しかし、心を隠して傾城として女房としての意地の見せ所があってもよいのでは。侠客と傾城という立場の見せどころでもある。

その分、逢州の尾上右近さんのほうが艶やかに見える。逢州は旧主の恋人でもあるからこういう位置関係もありかなと思ってしまった。

逢州を皐月と間違って殺してしまう場面が、若い役者さん同士でもあることから勢いがあり、見せ場となってしまった。やはり、見せ所はその前の場面であろうと思えた次第である。

若い役者さんが、大きな役を演じる機会が多くなった。それをどうこなしていくかが、今の歌舞伎界に課されているように思える。また歌舞伎を観ていない友人から上から目線だと言われそうである。

(吉之丞、廣松、男寅、菊市郎、橘太郎)

 

歌舞伎座團菊祭5月 『壽曽我対面』『勧進帳』『め組の喧嘩』

壽曽我対面』 大先輩たちの力を借りないでの上演である。様式美の演目なので、やはり若すぎるなという感想である。それぞれの役どころの強弱の際立ちが感じられなかった。ただ、立ち位置と衣裳に負けていないところが修業の賜物である。(松緑、梅枝、萬太郎、尾上右近、米吉、鷹之資、玉太郎、菊市郎、吉之丞、歌昇、坂東亀蔵、松江)

勧進帳』 やっとストーンと落ちてくれた。いやいや、いやいや、何か違いますなという想いが今まで続いていた。これぞ十一代目海老蔵さんの弁慶であるとその完成度に納得できた。あくまでも十一代目海老蔵さんの弁慶であり、さらに変化していくであろうが。

とにかく面白かった。張りのある声の台詞の語尾がすっきりしている。無駄なこもりがない。語尾の押さえ方が心地よい。目力に無駄がない。目が物を言うというが、うるさ過ぎる傾向があった。動きと声と目が一致していて、細心さ、闘争心、安堵感、ゆとり、情愛、緊迫感、責任感、感謝などの想いが無理なく伝わってくる。

菊之助さんの義経は弁慶を信頼しつつ任せる。松緑さんの富樫は、疑ったからには逃がしはしないと弁慶に迫る。ガチンコである。迫力あり。じっと静かに弁慶に打たれる義経。そこまでするかとハッキリ見届ける富樫。くっと引く富樫。

弁慶おそらく混乱しているとおもう。自分の気持ちを整理するのに必死である。すっーと義経から差し出された手。救いの手である。勿体ない。やっと自分を取り戻す弁慶。ここがあるから、富樫が再び現れても態勢を整えられたのである。いつも弁慶の踊りに注目するのであるが、今回はどう踊ろうと差しさわり無しの気持ちであった。義経と四天王を先に立たせる弁慶。

今回はオペラグラスが離せなくて、四天王を見るゆとりがなかった。こんなこと初めてである。全体をみる時間がなかったのである。最初に太刀持ちは注目して玉太郎さんのしっかりした動きに満足。ぴたっと決まっていたので安心。

十一代目海老蔵さんの頂点の弁慶を堪能できて満足このうえなし。はや次の十三代目團十郎さんの弁慶がどう変化するのか楽しみなところであるが、こちら好みとなるか、またまた時間がかかるのか、それもまた挑戦のなせる技である。(右團次、九團次、廣松、市蔵、後見・齊入)

神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)・め組の喧嘩』 これは菊五郎劇団が中心なってのチームワークも見せ所であろうからと、ゆったり愉しませてもらう。「江戸の三男」、火消しの頭、力士、与力。その火消しと力士の喧嘩である。火消の頭は、弁天小僧の浜松屋の場でも登場する。ゆすりとわかって収めようと登場する。火消しを鳶ともいうのは、棒のの先に鳶のくちばしのような鉄の鉤をつけた用具をもっていたことから鳶とよばれたようである。『盲目長屋梅加賀鳶』では、花道を引っ込むとき鳶口をくるりとひるがえして格好良くひきかえす。力士といえば、『双蝶々曲輪日記』を思い浮かべる。 

『盲目長屋梅加賀鳶』は、加賀鳶(加賀藩前田家お抱え)は大名火消しと町火消しの争いが出てくるが、乱闘にはならず納められる。町火消しは南町奉行・大岡越前守忠相によって1718年に組織されその二年後には、隅田川の西岸に「いろは48組」と東岸に「本所深川16組」が結成されている。「いろは48組」の「へ、ら、ひ」は音の関係から避けられた。そのかわりであろうか、万、千、百などがある。「め組」は芝が担当地域である。

江戸の火消しには三種類あって、もう一つは旗本お抱えの定(じょう)火消しである。町火消しには、江戸を守っているのは俺たちだという心意気もあるであり、武士お抱えの力士なんぞに負けてなるものかという意識も強いのであろう。力士も江戸の華であるから負けられない。

品川の遊郭で力士の四ツ車大八がお抱えの武士と宴会中に隣の部屋にいため組の火消しと喧嘩になる。め組の頭・辰五郎が間に入り一応おさめるがそうはいかなかった。それで収まらなかったのである。鳶頭の女房が凄い。仕返しをしないのかと夫に詰め寄るのである。火事ともなればその度に覚悟を据えているのであろうし、それだけ命を張っている鳶が、なんという意気地のなさかとの想いであろう。辰五郎にはお仲の性格の知っていての考えがあったのである。

ついに芝の神明で、喧嘩になってしまう。この鳶と力士の喧嘩が見せ場でもある。そして若い役者さんたちの活躍の場でもある。ここぞとばかりに力士と火消しの乱闘である。乱闘をそれらしい立ち回りで見せてくれるわけである。たすきは荒縄である。力はあるが動きの鈍い力士相手にフットワークよろしく果敢に立ち向かっていく。

さすが鳶頭・辰五郎の菊五郎さん、鶴の一声でまとめてしまう。女房・お仲の時蔵さんもただの女房ではなかった。きりきりと夫にせまる。鳶ともなれば一秒を争う火事相手であるから着替えの手伝いも速い。衣裳箱をポンと投げる勢いで刺子半纏に着替えさせるのである。なるほどなと納得しつつ観ていた。『極付幡随院長兵衛』の着替えと妻子との別れの違いなども交差する。

四ツ車大八の左團次さんに貫禄があり、又五郎さんも力士大きさが似合うようになった。若い役者さんたちも鳶の恰好良さが身についてきて、若さっていいなと思わせてくれる。その中でも菊之助さんがやはりすっきりとしている。町火消しの纏(まとい)も組によって違うわけで、舞台に出てくる「め組」の纏は継承しているのであろうか。白の透かしが素敵である。

自分の担当地域が火事になれば一番纏でなければならない。他の町内からも次々と応援がくる。そうすると到着順番に屋根上の纏の花形をゆずるのが習わしであった。火事でありながらそういうところが喝采をあびるゆえんでもあったわけで、家事が多いから庶民の生活道具は少なく、すぐ逃げれるような状態である。逃げつつ、纏を確認していたのかもしれない。

纏は上の飾りで、下のヒラヒラしているのはばれんといい、重さは約11キロ。それを肩に屋根に上るのである。「め組」の鳶たちも、力士は猛火との想いでぶつかっているのであろう。舞台では喜劇性を加えたぐっと若い役者さんたちの見せ場にもなっている。映画などからすれば、江戸の風俗をのぞきからくりを大きくして眺めている感じであろうか。

仲裁にはいるのが、焚出しの喜三郎の歌六さん。この焚出しの喜三郎というのは、町火消人足改(まちびけしにんそくあらため)の相当するのであろうか。火事の際、町火消や火消人足(火消しの見習い)を管理した役人のことである。その辺が疑問に思った次第である。出演者多く記さないが、フライヤーに市村光さん(萬次郎さんの次男)の名前があった。

踊りの『お祭り』が鳶頭で、落語の『火事息子』は、質屋の息子が町火消人足となる噺である。久しぶりで志ん朝さんの『火事息子』をCDで聴く。話題の広がる『め組の喧嘩』である。

手児奈霊堂~真間山弘法寺~里見公園~小岩・八幡神社~野菊の墓~矢切の渡し~葛飾柴又(4)

北総線矢切駅から「野菊の墓文学碑」までは10分くらいである。矢切駅をはさんでの反対側には「式場病院」があるはずである。 『炎の人 式場隆三郎 -医学と芸術のはざまで-』 さて『野菊の墓』散策の方向に進むが、途中に「矢切神社」があり向かい側に「矢喰村庚申塚」がある。

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矢喰村庚申塚由来>の碑がある。温暖で平坦な下総原野が川と海に落ち込むこの矢切台地にひとが住んだのは約五千年前で、平和な生活を営んでいたが、国府が国府台にに置かれ千三百年ほど前から武士たちの政争の場となり、北条氏と里見氏の合戦では、矢切が主戦場となった。この戦さで村人は塗炭の苦しみから弓矢を呪うあまり「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれ、親から子、子から孫に言い伝えられ江戸時代中期に二度と戦乱のないよう安らぎと健康を願い、庚申仏や地蔵尊に矢喰村と刻みお祈りをしてきた。先人たちの苦難と生きる力強さを知り四百年前の遺蹟と心を次の世代に伝えるため平和としあわせを祈り、この塚をつくったとある。(昭和61年10月吉日)

石像群の中央に位置する庚申塔は、青面金剛を主尊としており、中央上部には、阿弥陀三尊種子と日月、青面金剛像の足元には三猿が刻まれているとある。なるほど納得である。(造立年は1668年) そして、政夫と民子が並んで彫られている「やすらぎの像」もある。

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庚申塚を左手にして5分ほど進んで行くと左手に西蓮寺がある。向かいの右手に階段がありそこを登って行くと野菊苑と称する小さな公園がある。階段のそばに<永禄古戦場跡>と記された木柱がある。国府台合戦は二回あり、その二回目の始まった場所ということである。今回の散策で、矢切りは古戦場の歴史の場であったことが印象づけられた。上の苑からは矢切りの畑地が見下ろせる。橋があり歩道橋であり、それを渡ると西蓮寺の境内に出ることになりそこに「野菊の墓文学碑」がある。西蓮寺からはここには出られないようになっているので野菊苑からである。

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野菊の墓文学碑」は土屋文明さんの筆により『野菊の墓』の冒頭部分と、茄子を採りに行ったとき見た風景部分と、綿を採りに行った時に別々に行き政夫が民子を待つ場面が一つつなぎで書かれている。

「野菊について」という説明板もあり、「野菊」という名の花は無く、山野に咲く数種の菊の総称とある。関東近辺で一般に「野菊」と呼ばれる花は、カントウヨメナ、ノコンギク、ユウガギクなどで白か淡青紫色で、民子が好きだった「野菊」とはどのような花だったのでしょうかと書かれていた。

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白という感じがします。詳しく図鑑的にこれをというのではなく、野に咲いていて目に留まったキクであれば皆好きだったのではないでしょうか。つんでいれば青系も入っていたかもしれません。映画では白を使うと思います。

ここから「野菊のこみち」を通って江戸川にぶつかる予定であったが、一本道がちがっていたようである。よくわからなかったので江戸川の土手を目指す。「かいかば通り」という解説碑があった。このあたりの細流はしじみ貝のとれる貝かい場であったことから「かいかば通り」といわれていたとあり五千年前の畑の作物、貝類などを採って平安に暮らしていた人々にまで想像が広がる。憎むべきは戦さである。坂川の矢切橋を渡る。「野菊のような人」の碑がある。政夫と民子が野菊を手にしている。そして江戸川の土手をのぼる。

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途中で道を教えてくれた人の言葉に従って、土手下のゴルフ場の間をつききって松戸側の「矢切の渡し」へ到着。舟がこちらに向かってきていて待つ時間も短く乗ることができた。こちらに渡った人がすぐ並んで戻られる人がほとんどである。舟は往復で川下と川上と方向を変え少し遠まわりをして渡ってくれるのである。エンジンつきなので滑らかに川面を進んでくれる。

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船頭さんの話しだと鮎が上がってくるのだそうで、網が仕掛けられていた。稚鮎を獲っていて出荷しているようだ。小さな亀が甲羅干しをしている。一作目の『男はつらいよ』で寅さんは、千葉(松戸)側から東京(葛飾)に渡っているという。「川甚」は、その頃はもっと川べりにあったそうで、映画を観なおしてみた。なるほどであった。さくらと博の結婚式で、印刷所の社長が手形のことで遅れて「川甚」の玄関に飛び込んでくる。その時、江戸川が見えていた。

舟は葛飾の矢切の渡しに到着。徒歩、電車、舟で江戸川を渡ることができた。『寅さん記念館』がリニューアルオープンしたようであるが、行く元気がなく、「川甚」「柴又帝釈天」のそばを通り、柴又の商店街に向かう。連休中だったので人々でにぎわっていた。

『男はつらいよ』にも、マドンナ役で出演されていた京マチ子さんが亡くなられた。角川シネマ有楽町での「京マチ子映画祭」の時、映画の終わりに「京マチ子。ありがとう!」と声をかけられた男性観客がおられた。 ドリス・デイさんも亡くなられた。 まだ観ていないお二人の映画などを、これからも楽しませていただきます。(合掌)