九度山と映画『娘道成寺 蛇炎の恋』『真田十勇士』(1)

高野山へは南海高野線で終点の極楽橋駅でケーブルカーに乗り換えバスなどで上を目指すのが一般的ですが、南海高野線九度山駅で降りて慈尊院を通り、<高野山町石道>歩き上を目指すという方法もあります。その他、上古沢駅からと紀伊細川駅から歩くというコースもあります。

<高野山町石道>は九度山の<慈尊院>から<根本大塔>までが基本です。赤い<根本大塔>の前で奉納の『娘道成寺』を踊るのが映画『娘道成寺 蛇炎の恋』(2004年)の主人公の福助さんです。こうきますかと思いました。

極楽橋駅からは高野山を一度訪ねています。九度山駅で降りて<慈尊院>を訪れたいとずーっと思っていました。高野山は女人禁制ですから、空海の母は後に<慈尊院>となる庵で息子の空海と逢うのです。空海は母に逢うため月に九度訪れたことから九度山の地名となったともいわれています。<慈尊院>から奥の院へいたる23キロが高野山の表参道でもあるのです。

<慈尊院>は、有吉佐和子さんの『紀ノ川』の冒頭部分に出て来て、映画『紀ノ川』(1966年)の冒頭は、夜紀ノ川を婚礼の舟がゆくとの記憶なのですが、機会を見つけ確かめます。

そしてこの九度山というのは真田幸村が蟄居していた場所でもあります。映画『真田十勇士』(2016年)では、大阪城へ入ってからの戦さが中心ですから、映画では少しだけ一応九度山に居たということで出てきました。

昌幸・幸村父子は最初高野山に蟄居し暮らした場所が<蓮華定院>で、このお寺さんは今宿坊として宿泊することができます。父子はそのあと妻子と一緒に住むことが許されますが高野山は女人禁制ですから、九度山での生活となったわけです。<高野山町石道>を降りてきたのでしょう。<高野山町石道>は、1町ごとに五輪塔形の石塔が180町石立っているのです。

九度山の暮らした屋敷跡が真田庵(善名称院)です。境内には真田宝物資料館があります。その他にも真田ゆかりの場所や真田ミュージアムがありますが、小さな町中の途中真田紐を織っている家がありました。真田紐研究会の工房でまだ新しいのだそうで織っているところを見学できます。紐ですが色取りの組み合わせ美しく日常品として、刀の下げ紐、鎧などの武具に使われ、幸村はこれを家来に全国へ売りに行かせ、生計の糧として、さらに諸国の情報を探ったといわれています。大河ドラマ『真田丸』の出演者の写真もありましたが、すいません大河ドラマ真剣に見ていません。

 

 

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信州上田の真田紬から考案したもので、真田宝物資料館にあったのは地味な巾太なもので、織機も展示されています。

宝物資料館によりますと昌幸はここで11年目で亡くなり、幸村は14年くらしました。映画『真田十勇士』で、その後の即効の流れを把握しました。

九度山には、大石順教尼さんが寄宿した旧萱野(かやの)家が<大石順教尼の記念館>となっています。大石順教尼さんは、1905年(明治38年)大阪の名妓でしたが、舞踊の師でもある養父の狂刀による6人斬りの巻き添えにより両腕を切断されてしまいます。カナリヤがくちばし一つで雛を育てているさまから、口に筆をくわえることに開眼し、国学、和歌、日本画を学び、高野山で得度し、法名順教に改名します。その後6人斬りの犠牲者並びに養父の供養のため京都に<佛光院>を建立しています。

 

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記念館にはボランティアの説明してくれるかたもおられ、ビデオや和歌、絵画、着物に描かれたものなどが展示されています。団体さんと町中で出会いましたが、歴史に興味あるかたが多く訪れるようです。

九度山町自体にも見学するところがあり、さて<高野山町石道>はどこまでいけるであろうかと地元のかたに尋ねました。踏破した友人から地図をもらっていたのですが踏破は健脚コースで、<丹生都比売神社(にうかんしょうぶじんじゃ)>まで<慈尊院>から7キロですが行けたとしてももどって来なければなりません。

お聴きしたかたが、丹生都比売神社近くの生まれで、子供の頃、九度山にお嫁に来たお姉さんのところへ、土曜日に泊りにきて日曜日に帰ったというかたで、今からでは無理と思いますとのことです。神社から高野線の「上古沢駅」に下りる道があるのですが、この道は短いですがかなり急で薦められないとのことでした。

展望台ならどうでしょうとお聴きすると、あそこは景色がいいですから是非といわれ、実行してみて正解でした。まず<慈尊院><丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社><勝利寺>に寄りました。

<慈尊院>は、高野山の事務を統括する政所(まんでころ)で紀ノ川の水運によって必要なものが集められ山へ運ばれました。空海の母・玉依御前(たまよりごぜん)が世を去り空海は弥勒堂を建て、<慈尊院>と称され子授け、安産、子育ての女性の信仰をあつめます。

 

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昭和の終わりに慈尊院の一匹の白い犬・ゴンが現れ、参拝者を高野山の大門まで約19キロの町石道(ちょういしみち)を案内して往復することで知られるようになり愛されます。そのゴンが2002年(平成14年)に6月5日、玉依御前の月命日に亡くなったそうです。境内の弘法大師象の隣に石像が建っています。

空海が修業の道場を探していたとき高野山上へ導いてくれたのも狩人の連れていた2頭の犬でした。

<慈尊院>の南高台に建つのが<丹生官省符神社>で、この<慈尊院>と<丹生官省符神社>を結ぶ石段の途中に180番目の町石が立っています。<丹生官省符神社>では、空海を導いた犬を神の使いとして絵馬に描かれています。社宝の獅子頭の写真もありました。

 

 

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その西側にあるのが<勝利寺>で、空海が高野山を創開する以前からあり、境内には高野紙を漉ける体験資料館の<紙遊苑>がありますが催し事があり入ることができませんでした。そこからの眺めがいいと書かれてあり、高野紙も見たかったので残念でした。

そこから<高野山町石道>に入りましたが地図的には1キロ先くらいが展望台だと思うのですが、思っていたより遠く登りで、途中で下って来た女性に「展望台」からの景色は良かったですかと尋ねると「良かったですよ」しばらく沈黙があり、「もうひと頑張りした先です。」「ウム」言われたことは正しかったです。さすが高野山です。「展望台」からの景色は紀ノ川が蛇行していて最高でした。

 

 

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その先の<丹生都比売神社>はバスでの計画を立て直しもう少し先のことにします。

 

2017年7月19日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

成瀬己喜男監督・川島雄三監督『夜の流れ』

成瀬己喜男監督と川島雄三監督の共同監督作品が『夜の流れ』(1960年)で、花柳界に生きる母娘の生き方を描いています。神保町シアターでの企画<「母」という名の女たち>の中の一本でした。母は山田五十鈴さんで娘が司葉子さんです。

司葉子さんは池袋の新文芸坐で特集をしていました。『紀ノ川』は原作も読んでおり映画も見ており、和歌山の九度山町から、高野山町石道の展望台まで歩いて上からの紀ノ川をみていますので、大きな画面でもう一度みたいとおもいました。しかし、司葉子さんのトークショーがついていて、当然混雑が予想されましたので、またの機会としました。映画館がいろいろな企画で見たかった映画の上映をしてくれていて嬉しい悲鳴となります。

夜の流れ』は、シナリオ完成の時点で、封切りまでの日数があまりに短かったため、製作も兼ねる成瀬監督の発案で川島監督に共同監督を依頼しました。脚本は、井手俊郎さんと松山善三さんです。

さらに成瀬監督は語っています。「古い世代の人物の出てくる場面と料亭の部分を全部僕がやり、若い世代の部分と芸者屋の場面を全部川島君がやりました。」

映画の出だしがホテルのプールでの若者たちの場面で、これは言われなくても成瀬監督ではないと判りました。衣裳などでも川島監督だなとおもわせます。

さらにそれぞれの監督が別々に撮影を続けて最後に一本のフイルムにしていて「みた時には、大変楽しかった」と成瀬監督は言われています。川島監督がどうだったのかは今、探せないので課題としますが、暗さは暗く、暗さは明るく描く監督二人の共作がこうした面白い形できちんと見せる映画になっているのが流石がです。川島監督を選んだという成瀬監督は凄いです。明るくても<夜の流れ>の淀み部分はきちんと描いていて川島監督、成瀬監督に乗せられたなと思うところもありますが、俺はこっちの方向性を選ぶよという違いを娘の描き方で主張しています。

母・綾は、パトロン(志村喬)つきの料亭の女将で、その娘・美也子は大学生で、興味本位でお座敷で踊りをみせたりします。その時芸者さんが素人さんには叶わないという嫌味をいいますが、芸者さんの踊りと娘の踊りでは、目が違っていました。お化粧の関係もあるのでしょうがこんなに違うのかと思いましたね。成瀬監督が撮ったなら、素人さんにはかなわないというのは成瀬監督流のプロの気持ちを言わせているなとおもえます。

娘は板前・五十嵐(三橋達也)に好意をもちますが、既に母と板前五十嵐には大人の関係がありました。ここは、溝口健二監督の『噂の女』(1954年)を思い出します。母が田中絹代さんで娘が久我美子さん、好意をもたれるのが医師で大谷友右衛門時代の四代目雀右衛門さんです。

母と娘にはさまり板前五十嵐は料亭をやめます。母綾は五十嵐のためにパトロン・園田との色恋も断っていました。しかし、五十嵐とのことが噂となり園田にも知られてしまい、料亭から追い出されるかたちとなります。母綾は、結果はどうであれ五十嵐のところへ行くことを決心し、娘美也子は、芸者になりこの町に残ることに決めるのです。

こちらが成瀬監督なら川島監督の芸者屋は、女将が三益愛子さんで芸者衆は、草笛光子さん、水谷良重(二代目八重子)さん、星由里子さん、横山道代さん、市原悦子さんなどの芸達者なかたがたでたくましく悲哀を笑いに変えていきます。ところが、芸者をやめて好きな人と小さな呉服屋を開いた幸せな二人(草笛光子、宝田明)に思いがけない悲劇も待っています。こういう多人数の動かしかたは川島監督流です。

母綾が料亭をやめさせられての後がまが越路吹雪さんで、料亭も新しい女将でがらっと変わるなというところを越路さんが短時間の出演でわからせてしまうのも面白いですし、かつては芸者仲間だった、山田五十鈴さんと三益愛子さんの違いもこの二人の役者さんとしての見どころでもあります。

母のパトロンでもある志村喬さんの娘が白川由美さんで娘美也子と友人関係で、美也子が薦められて断った男性と結婚し、その結婚式に出席していて自分は芸者になると晴れ晴れとした顔の司葉子さんの顔がなんともまぶしいです。

あらすじがわかったとしても、成瀬監督と川島監督の映画の撮り方、登場人物の役者さんたちの個性を楽しむだけでも忙しいですから、充分愉しめる映画です。

急ぎ働きでこういう映画が残ったことは映画ファンにとっては幸せな結果となりました。

溝口監督の『噂の女』(脚本・依田義賢、成澤昌茂)は場所が京都島原の置屋兼お茶屋であり、医師は打算的な正体を現し、母の田中絹代さんは振られて寝込み、母の商売を嫌っていた娘の久我美子さんは母に代わって置屋を継ぐ決心をします。成瀬監督と川島監督に加え、溝口監督との違いを感じとる作品として、並べて見るのも面白いかと思います。

成瀬監督だけならば『流れる』(1956年)も好いですね。(原作・幸田文/脚本・田中澄江、井手俊郎)柳橋の置屋が舞台で、母が山田五十鈴さん、娘が高峰秀子さん、そこへ住み込み女中となるのが田中絹代さん。田中絹代さんがあこがれて映画界に入るきっかけとなった栗島すみ子さんがこの映画で18年ぶりの映画復帰でもあります。その他、杉村春子さん、岡田茉莉子さん、中北千枝子さん、賀原夏子さんらずらーっと顔を出しています。

川島監督の母娘の花柳界ものは今のところ思いつきません。

 

歌舞伎座七月歌舞伎(2)

駄右衛門花御所異聞(だえもんはなのごしょいぶん)』の日本駄右衛門は単なる盗賊ではなく天下取りまでねらいます。それを押さえるために<秋葉権現>の怨霊が現れ、その秋葉大権現の使わしめである白孤が 勸玄さんの役です。

海老蔵さんは、日本駄右衛門、玉島幸兵衛、秋葉大権現の三役です。駄右衛門は天下取りのための足がかりとしてねらうのが遠州月本家で、その月本家の家老・玉島逸当の弟が玉島幸兵衛です。この幸兵衛は女のためにお家のお金に手を出し月本家を出ています。

この幸兵衛が駄右衛門に傷を負わせます。これが重要なポイントで、その場面が駄衛門と幸兵衛二役の海老蔵さんの早変わりなのですが、早変わりの回数が多すぎと思いました。その傷が悪化して駄右衛門はピンチとなり、そのピンチを救うために二幕目で大きな展開があります。ですので、海老蔵さんが二役だなということと駄右衛門が傷を負ったというところを強調すればよいと思います。

駄右衛門は、月本家の家宝で将軍家へ献上の古今集を盗みます。これが月本家のお家騒動の原因となりますが、さらに月本家の内部に協力者である月本祐明を手なずけています。月本家当主・月本円秋は古今集紛失の責任をとり切腹をして責任をとる覚悟ですが、そこで遅かりし由良之助と同じような場面を入れたのには驚きでした。そこへ駆けつけた家老・玉島逸当のとった行動が重要でこのことこそ丁寧に描いたほうが重みがでたと思いますが、いとも簡単に終わってしまいました。ただ家老が妻の松ヶ枝に弟・幸兵衛へと託した秋葉権現の御影のことがはっきりわかったのはよかったです。二幕目でこの御影が重要な役割をしますから。あれだったのかとわかりこの謎ときも、二幕目の面白さになります。

余計なパロディみたいな場面よりも駄衛門と月本家の対峙に厚みを加えてほしかったです。それによって駄右衛門の大きさがでます。駄右衛門は策略家で、利用していた月本祐明も用済みと消してしまいます。さらに駄右衛門は、月本家伝来の秋葉権現の功力を宿す三尺棒も盗んでいたのです。

二幕目は、駄右衛門の子分であるお才の開いているお茶屋が舞台となり、ここで幸兵衛、月本家を追いだされた円秋の弟・始之助と元傾城花月、松ヶ枝、駄右衛門の子分の早飛、お才の兄貴で駄右衛門の子分になろうとしている長六、長六を慕う寺小姓采女が上手く繋がりをもって動き、面白い展開となります。そして二幕めの最後が、秋葉大権現が登場し使わしめの白狐を呼び出し、駄右衛門を降伏させるため飛び立つのです。

「はーい」といって花道からでた白狐は七三で「御前に」といったのかな。拍手でよく聞き取れませんでした。そのあと天狗にひょい、ひょい、と移動させられ秋葉大権現の横に並び消えます。天狗のバク転などを見せ時間調整をして宙乗りの準備です。時間は充分とられています。そして海老蔵さんに 勸玄さんは抱きかかえられる感じで宙乗りとなり海老蔵さんのにらみがあります。ゆっくり静かに同じペースで上がっていきます。このペースが無事維持されますように。 勸玄さんは慣れてきたのでしょう。観客に両手を振っています。二幕目ラストを盛り上げます。

白狐はこのペースが保たれれば体調良好なら千穐楽まで飛ばれることでしょう。お客様のためにも頑張ってくださいな。

三幕目では、題名に<花御所>とあるように、天下人東山義政のもとに駄右衛門が現れ、天下を手中に入れようとしていることがわかります。ここで三尺棒の功力が発揮されます。駄右衛門が天下取りのために月本家をまずねらった理由もわかります。

よく話としては出来ています。もう少し整理して、役者さんの表現力が加わればもっと面白くなるとおもいます。亀鶴さんは出場は一瞬ですが、奴の形になっています。児太郎さんは上方で修業したのでしょうか。どこをとっても形がよく、駄右衛門の手下であるというところを明かすところは、福助さんなら濃く演じるところですが、児太郎さんは味は薄くてもさらっと粋にし、幸兵衛との絡みにも情をだしました。

映画『娘道成寺 蛇炎の恋』がやっとレンタルできましたのでこれから見ます。楽しみです。

新作に等しい作品を上演する場合は、歌舞伎であっても練習時間がもっと必要なのではないでしょうか。数日で仕上げるられる歌舞伎の凄さは演目によっては変えていかなければならない時期にきているのではという想いを近頃感じている次第です。

 

月本円秋(右團次)、月本祐明(男女蔵)、奴浪平(亀鶴)、月本始之助(巳之助)、傾城花月(新悟)、寺小姓采女(廣松)、奴のお才・三津姫(児太郎)、駄右衛門子分早飛(弘太郎)長八(九團次)、逸当妻松ヶ枝(笑三郎)、馬淵十太夫(市蔵)、東山義政(斎入)、玉島逸当・細川勝元(中車)

 

旧東海道の見付宿の見性寺に日本左衛門のお墓があります。東海道五十三次どまん中<袋井宿>から<浜松宿>

静岡県には東海道53宿のうち22宿があり、静岡を抜けるのが長かったです。別の東海道歩きの仲間がやっと静岡を抜けれたと言っていました。わかります、実感です。

追記: 七月歌舞伎も無事千穐楽を迎えたようです。 勸玄さん、立派に舞台を勤めあげられ小さくて大きな一歩にあらためて拍手です。ずーっと先のことでしょうが、海老蔵さんとお子さん二人がこの時のことを語り合う日が来ることでしょう。それまでまだ沢山の涙が必要でしょうが。その親子だけの語らいは成田屋海老蔵夫人の麻央さんが残された宝物の一つでもあると思います。誰も手に入れることの出来ない宝物。(合掌)

 

歌舞伎座七月歌舞伎(1)

昼の部と夜の部両方に出られているかたが多いのですが、その中で、昼の部は良いのだが夜の部はちょっと賛同できないという方もあって、演目で書こうか役者さんで書こうか迷う所です。

今月は海老蔵さんが大奮闘されているので、海老蔵さんのことから始めて何とか収拾することにしてみます。海老蔵さんの一押しは『連獅子』です。狂言師右近と左近が出て来て舞台正面になり、左足の白い足袋の先がすっと前に出て足が伸び、右手に手獅子を携えてのきまりまでの間の良さと姿は例えようもない美しさでした。好い形です。

この連獅子は亡き海老蔵夫人と三津五郎さんに観て貰いたかったです。もちろん海老蔵夫人には親子の宙乗りが一番でしょうが、役者海老蔵さんの今の美しさの極みではないかと思える出来でした。そして左近の巳之助さんに対しては三津五郎さんがどこをどう駄目だしするのか聞きたかったです。子獅子を崖下へ落としたあとの親獅子の心持ちが、憂愁さを含ませながらの静かさが心に響きました。

僧蓮念の男女蔵さんと僧遍念さんの市蔵さんコンビもそこはかとない笑いをさそい、観ている者の心持を緩めてくれる度合いが良い具合でした。ところが夜の部での悪役の男女蔵さんはよくなかったです。

右團次さんは、『矢の根』の曽我五郎をされましたが、動きは決まっていたのですが、曽我五郎、春木町巳之助、月本円秋と全て台詞回しが同じでそれぞれの役が生きず残念でした。曽我十郎の笑也さんが女形のときの声と言い回しを捨てて十郎にしていたので出は少なくても夢の中の十郎しっかり印象づけました。弘太郎さんが荒事のなかでユーモアを加味し、馬の動きが上手です。

加賀鳶』の花道でのツラネは、若手から市蔵さん、権十郎さん、秀調さん、團蔵さん、左團次さんと続くとやはり味わいが違い、修業者から熟練者への違いが出ていて聴いていて面白かったです。先輩の役者さん達はこれだけの出演のかたもいてもったいなかったです。

中車さんの松蔵は、お店での海老蔵さんの道玄とのやり取りが貫録もあり、余裕をもって道玄を締めあげてゆき、歌舞伎の台詞術でここまでこられたかと面白く観させてもらいいました。しかし、玉島逸当、細川勝元となりますと、歌舞伎に入られての時間の短さを感じさせられてしまします。

海老蔵さんの道玄は御茶ノ水ので癪を起こす百姓の辰緑さんと出逢いが最初から悪役になっているのが気になりました。百姓がお金持っていると気がついてから悪を見せるほうが観客には面白いです。道玄と手を結んで悪巧みを手伝う按摩のお兼の右之助さんは二代目齋入を襲名されました。小柄な方で押し出しが優しいかたですが、道玄の悪事の共謀者として丁寧に演じられておられました。海老蔵さんも初役だそうですがかなりスムーズな芝居運びで、非情なところと、悪事がばれると下手にでる狡さを可笑しさまで持って行かれてました。

捕手との立ち廻りも首の動かしかた、腰の使い方が柔軟で道玄の人物像を見せつつ愉しませてさせてくれます。

お朝の児太郎さんが、身体を小さくして哀れさがよく出ていました。児太郎さんはお才といい今月は大躍進です。笑三郎さんは役者さんとして場を持つ役者さんとして信頼している方の一人ですので、道玄の女房と逸当妻松ヶ枝と押さえてくれました。

昼の部の満足度が高く、夜の部の『駄右衛門花御所異聞』での、一幕目が退屈で締まりがなく、どうなるのであろうかと二幕目に突入してやっと面白くなり助かりました。

東松山市の「團十郎稲荷」「吉見百穴」

観光ではなく災害地を調べるために地図を開くのは気持ちがおもくなりますが、やはりあの土砂に埋まった地域や寸断された線路など確認しておかないわけにはいきません。

佐賀県の白石町、福岡県の朝倉市と東峰村、大分県の日田市の被害が大きいようであり、JR久大本線の<てるおか>と<ひた>の線路が寸断され、JR久大本線は湯布院温泉につながる線だったのですね。まだ局地的雨が続くようで、「降るな降るな」と地図を手でなぜてしまいました。これ以上暴れないでください。救助し救助される人のためにも。避難されておられるかたは暑いので御自愛をされてください。

関東も暑さが続きます。その中、「團十郎稲荷」が埼玉県東松山市にあるというので出かけました。いつものようにどこかで手に入れた小冊子に載っていたのをスクラップしておいたのを思い出し取り出してみました。<旅>のスクラップは7冊目で、古いのは時々開いて見ないと忘却の彼方です。

説明によりますと、「箭弓(やきゅう)稲荷神社の境内にある末社。七代目市川團十郎が社に籠り芸道精進をご祈願したところ、江戸の歌舞伎興行で大盛況になる。文政4(1821)年に祠を建てると、技芸向上に励む人々から信仰されるようになった。」とあります。

お守りが、七代目團十郎さんが境内の樫の葉を懐にして新春歌舞伎に臨んだことにちなみ、葉の上に<十八番守>となっています。

東武東上線東松山駅西口徒歩3分で、赤い鳥居の並んだ正式には「宇迦之御神社」で<芸道向上の神様>とあり、通称「穴宮稲荷・團十郎稲荷」とあります。解説板には、「箭弓(やきゅう)稲荷神社」を信仰しておられ、新春歌舞伎興行において『葛の葉』『狐忠信』等の段が素晴らしく演じられ毎日札止めの大盛況で、石祠を建立したとあります。

 

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拝殿の両脇には狐が飾られ左側は親子の狐が戯れていて親狐は何か口にくわえていまして、先が鍵型に曲がっていて、筆ではないんです。成田屋の三升紋を暗示しているのか、神社の巫女さんにお聞きしましたが判りませんでした。

 

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箭弓稲荷神社」の本社殿の外周囲の彫刻が素晴らしいです。ぐるっと回りましたが、6か所ほどだったと思いますが彫り物の説明板がありました。オペラグラスでも持って行き眺めたいような彫刻群でした。

 

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<やきゅう>だからでしょうか、野球部の方がたもお詣りにこられるようです。

もう一箇所訪れたのが「吉見百穴」で、東松山駅前からバスがありますし、歩いて25分位とのこと。いつもなら歩く距離ですが暑いのでバスにしました。古墳時代の後期~終末期に造られた横穴墓で、大森貝塚を発見したモースさんも訪れています。明治には発掘の中に玉や金属器や土器などがあったため住居と発表されましたが、大正に入ってお墓であると訂正されました。

 

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戦中には地下の軍需工場として掘られますが、生産活動まえに終戦となります。この地下軍需工場跡地のトンネルに一部に入ることが出来ます。凄い涼しさで、外に出たくない気分でした。

 

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そして最低部の横穴にはヒカリゴケをみることができます。緑色の発光塗料をぬったように光っていました。レンズ状の細胞が外から入ってくるわずかな光を反射して黄緑色に淡く輝いて見えるとのことです。生息できる環境が限られている原始的コケ植物です。

 

 

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正岡子規さんも明治24年11月に訪れていて「神の代は かくやありけん 冬籠」の句を詠まれ、句碑がありました。

 

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吉見横穴の近くには、弘法大師が岩窟を選び観世音を彫刻して収めたといわれる岩室観音堂がありますが、御堂は江戸時代に造営され清水寺のような懸造りですがかなり老朽化しており階段で上がれますが色々な個所を支えて補強しています。

 

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その御堂の山の分部が比企丘陵(ひくきゅうりょう)で松山城跡があります。このお城も小田原の北条氏に攻められ、その後、秀吉の北条征伐の際、攻め落とされます。吉見横穴へ行く途中で市野川を渡るのですが、市野川が外堀の役割をする形になっています。

 

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松山城とあるようにこのあたりは比企郡松山町だったのですが、合併で市となり、松山市としたかったのですが、愛媛に松山市があるのでそれに対する東ということで東松山市となり、それでも自分たちは今でも松山と呼ぶと地元のかたが教えてくれました。

東村山市じゃないのと間違われそうですが、武蔵松山城があった東松山市です。

6月国立劇場にて

時間があれば映画を見ていて、腰痛になりそうで、さらに、題名を見てもどんな内容だったかすぐに全体像が浮かばない状態でもあります。そんな中記録しておかなくてはと、6月の国立劇場での鑑賞をダイジェスト版で。書く前から残念だったのは、6月民俗芸能公演「高千穂の夜神楽」のチケットを取り忘れたことです。気がついた時には遅かりし由良之助でした。

気を治して『日本音楽の流れⅠ 箏 koto』は敷居が高いかなと身構えたのですが、というより二列目で睡魔がおそったらどうしようと心配だったのですが、解説があり奏者の手をバックのスクリーンで大きくして見せてくれましたので、音は変化に富み美しく、手は優雅であったり激しかったりで堪能させてもらいました。

お箏の音をこんなに沢山楽しんだのは初めてでした。お箏の歴史から、「御神楽」「雅楽」そして近世初期の<筑紫箏曲><八橋流箏曲><琉球箏曲>の三つの箏曲の紹介があり、お箏の形態の違い、奏法の特色などをスクリーンの手を見つつ音を追い駈けました。<生田流><山田流>の演奏、さらに、<京極流箏曲>(明治末)<十七絃>(大正)三十絃(戦後)の紹介、最後は現代曲「過現反射音形調子(かげんはんしゃおんけいちょうし)」の演奏でした。

この現代曲は、箏の楽器の流れ、瑟(しつ・二十五絃)、唐箏(からごと・十三絃)、箏(こと・十三絃)、二十五絃箏(二十五絃)のための曲で、その流れの音は頭の中から消えてしまいましたが、奏者の姿が残っています。

解説は、野川美穂子(東京藝術大学講師)さんで、納得できる解説で箏初心者には大変楽しく興味をもって聞くことが出来ました。眠るどころではなく、この音が消えていくのが悲しいと思いました。

たらららら、ばんばん、ひゅーなどと、曲を作られた方は色々試してその組み合わせを考えたのでしょう。今度どこかでお箏に出会ったときは、前より親しみをもって聞くことができるでしょう。良い企画でした。

今度は三味線のほうで、清元節の名手で人間国宝であられた清元栄寿郎さんが亡くなられてできた清栄会が解散されるため、『清栄会のさよなら公演』でした。全くの部外者ですが、出演される方の中に実際にお聴きした方々の名前が複数ありましたので聴かせていただき見させていただきました。

栄寿郎さんが作曲した曲、「雪月花」「たけくらべ」「月」、そのほか、清元「北州」、地歌「曲ねずみ」、宮薗節「鳥辺山」、新内節「明烏夢泡雪」、女流義太夫「道行旅路の嫁入」、常磐津節「釣女」とそれぞれの分野のそうそうたる方々の演奏と声を聴かせていただき舞いも見させいただきました。

三味線のほうが、箏より歌舞伎などでも聴きなれていますが、演奏だけとなりますと、歌舞伎と違ってやはり音、声、詞に集中しますので時にはこうした中に自分を置いてみて味わうのもいいものであるとあらためて感じました。(司会・平野啓子、演目解説・竹内道敬)

最後は歌舞伎で、『歌舞伎鑑賞教室 毛抜』です。例によりまして「歌舞伎のみかた」の解説がありました。今回は中村隼人さんでした。この観劇前に東劇でシネマ歌舞伎『東海道中膝栗毛』を見ていましたので、黒子さんが出てくると、何かしでかすのではないかとのトラウマに囚われているせいか、いつ弥次さん喜多さんになるのかと思ったりして心の中で苦笑いしていました。

隼人さん、爽やかに解説され、立ち廻りりと毛振りもされました。一部分携帯、スマホからの写真O・Kで舞台から降りられて写真どうぞでしたので、女学生の黄色い悲鳴があがり、ここは国立劇場なのであろうかと弥次さん喜多さんも真っ青状態となる場面もありました。

『歌舞伎十八番のうち 毛抜』となっていまして歌舞伎十八番は市川宗家のお家芸として選定したもので荒事ですがとの説明もされていましたが、学生さん達にわかったかどうか。歌舞伎は『ワンピース』もやりますのでの言葉には速攻の凄い反響でした。何とかして若い人に歌舞伎に興味を持って貰いたいとの想いが素直にでていました。解説パンフも配られていますので、黄色いお声の若い方も隼人さんを思い出しつつ帰宅後読んでくれるといいのですが。

歌舞伎十八番を選定したのは七代目團十郎さんで、今回の粂寺弾正(くめでらだんじょう)は錦之助さんが演じられ、愛嬌のある、今でいえば結構オタク的な弾正を思い起こしました。もしかすると、ちょっと変わったタイプの人物で、周りがあいつちょっと変っているから、もしかすると上手く解決するかもしれないから、あいつに行かせようと言ったのではないかと想像してしまいました。

お家のためにと悲壮感をもってというタイプでは全然なく、若衆や腰元によろよろっとして困った御人ですが、突然疑問があると考えるんですね。錦之助さんの弾正、現代人の感覚をタイムスリップさせたような弾正で面白いなとおもって観ました。

橘三郎さん、秀調さん、友右衛門さんが脇を固められ、その他が若い面々ですが、皆さん歌舞伎の動きが身についてこられ、隼人さんなど、やはり大星力弥を勤めた経験が大きいと実感します。

孝太郎さんの止めには、秀太郎さんのような気迫が映って見え中堅どころを着々と修業されています。悪役の廣太郎さんはまだもう少しかなと思えましたが、父・玄蕃の彦三郎さんがきっちりした悪役なので悪役親子として引き立ちました。

尾上右近さんの若殿は平安時代風の少しなよっとしていて、梅丸さんは可愛いさいっぱいでした。

今月も歌舞伎鑑賞教室があり、先月の学生さんの中で、もう一回歌舞伎観て観ようかなと来てくれるといいですね。お若いの、お安い席もありますから国立劇場へ涼みにいかれてはいかがでしょうか。

 

映画『アメイジング・スパイダーマン』『大いなる陰謀』『ソーシャル・ネットワーク』

映画『ハクソー・リッジ』の主人公・デスモンド・T・ドスを演じたアンドリュー・ガーフィールドさんは、気弱そうでいながら意志を貫く強さをじわじわと納得させていくところが好演でした。

アメイジング・スパイダーマン』(2012年)では、主人公ピーター・パーカー役で、その恋人・グウェン・ステイジーが『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンさんです。『スパイダーマン』より面白かったです。同じスパイダーマンを主人公にして、作り方によってこんなにも変わってしまうのかと興味深いです

ピータ―・パーカーは、子供の頃叔父さん夫婦に預けられ両親は行方不明となってしまいます。高校生となり父の残した古い鞄から父が研究していたことを知りたくなり父の勤めていたオズコープ社へ様子を見に行き、そこで研究していたクモに刺されて、身体の組織構造が変わりスパイダーマンとなるのです。

手が触れた物に接着力が出現し、スケボーに乗りながらその力を高め、自分の身体から発するクモの糸の粘着力と強靭さから空を飛び悪と闘っていくわけですが、一部の人には素顔をみせ、ピーターがスパイダーマンであることをしらせます。

スパイダーマンになる経過も面白く、クモの糸一本でビルの間を飛び回るスパイダーマンの身体が美しいのです。一瞬止まったり次の動作にいくときなどの身体の反り具合などの表現が見事です。父の同僚であったコナーズ博士との闘いとなりますが、そこに恋人グウェンとの関係がほどよく加味され引っ張っていきます。

グウェンの父親が警部で、パーカーがスパイダーマン擁護の意見をいうと「私がゴジラの街、東京の知事に見えるかね。」「君は戻って東京の人々の心配をしてろ。」との台詞が飛び出し楽しかったです。その父親が娘が巻き込まれることを心配して娘に近ずくなと言いのこして亡くなってしまいます。

その言葉がパーカーの心に残りグウェンから離れるのですが、教室の前の席のグウェンにパーカーが後ろの席から「守れない時もある」というと、グウェンの表情が静かに笑顔に変わる印象的な終わり方でした。

アメイジング・スパイダーマン2』は残念ながら、この二人の恋物語の部分の割合が強くなりそれでいながらグウェンは死んでしまい、前作の謎が解かれていきますが新鮮さに欠け中途半端な感じがありました。『アメイジング・スパイダーマン3』はどうするのかと思いましたら『アメイジング・スパイダーマン2』の人気が伸びず、中止になってしまったそうです。2を3でどう盛り返すのかなと思いましたので、そうなってしまったのかの感があります。

アンドリュー・ガーフィールドさんは、遠藤周作さん原作でマーティン・スコセッシ監督の『沈黙ーサイレンス』にも出演していますが、この映画は原作を読んでいるので重すぎて見れませんでした。篠田正浩監督も映画にしていますがこれも見ていません。外国の方が日本の小説から深く考えてくれることは素晴らしいことです。遠藤周作さんには狐狸庵先生としてユーモアな随筆作品があり、シリアスな作品とユーモア作品とを交互に読みました。

遠藤周作さんの夜中の電話の犠牲になった作家のかたもおられたようで、いたずらなところもあった方でした。

アンドリュー・ガーフィールドさんの映画デビュー作品が『大いなる陰謀』(2007年・ロバート・レッドフォード監督)で、共和党上院議員のトム・クルーズさんとジャーナリストのメリル・ストリープさんとの対峙する会話に対し、政治学の教授であるロバート・レッドフォードと生徒であるアンドリュー・ガーフィールドさんの対峙する会話の重要部分に4人の一人としてアンドリュー・ガーフィールドさんが参加しているのですから凄いデビューとなったわけです。

この2対2は直接関係するわけではありません。アフガニスタンの軍事上の新作戦を押し進める共和党上院議員が、そのことを好意的に発表して欲しいとジャーナリストに依頼し、情報操作を目論むわけです。教授は優秀なのに講義に出て来ない生徒に、止めるのも効かず志願兵となった生徒二人のことを話し、君はそれでいいのかと考えるきっかけを作ろうとします。

この志願兵は、アフガニスタンの高地作戦に参加していて簡単に制圧できるとした作戦の真っただ中で二人取り残されるかたちとなり戦死してしまいます。映画としては、この三組の状況と語る言葉から見る人がどう受け止めますかという投げかけをしている映画で、それぞれにゆだねられています。

ソーシャル・ネットワーク』(2010年)では、<Facebook>の創設者であるマック・ザッカ―バーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)の共同経営者であるエドゥアルド・サベリン役がアンドリューさんで、ハーバード大学在学中に<Facebook>は作り出され、そこからエドゥアルド・サベリンが法的にマック・ザッカ―バーグを訴え、共同経営者として返り咲くまでの話しです。

<Facebook>に興味のあるかたはその裏話として見るのも楽しいかもしれません。莫大なお金を生み出す新しい事業の誕生ですから色々ないほうが不思議でしょう。

映画『ハクソー・リッジ』のアンドリュー・ガーフィールドさんによって、こんなところにまで運ばれてきました。

容姿から繊細な感じが出せて、それが反対に強さとなるという変化が彼の強みでもあります。その他やる気のなさ、いい加減さも出せるので、作品によってまだまだ変化するでしょう。

 

映画『ハクソー・リッジ』そして「蘇る戦没学生の音楽作品」

映画『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン監督)は、人を殺す武器は持てないという宗教と自分の体験のに基づく信念のもとに、軍法会議にかけられながらも除隊を拒否しやっと衛生兵として戦場へ行き、傷ついた仲間を安全な場所へ運び命を助けた兵士の実話の映画化です。それが沖縄戦でのことだということを知り急遽見てきました。

意志を貫く青年も凄いですが、やはり沖縄戦がいかに棲ざまじい戦いであったのかということがあらためてわかりました。その前の大戦で戦争に行って心を病んだ父親の姿にも戦争の爪痕は残っており、アメリカ側から見た戦争ですが、何のために人間は殺し合わなければならないのであろうかと敵も味方もなくなって見ておりました。

その後、沖縄の戦争を描いた映画、『激動の昭和史 沖縄決戦』(岡本喜八監督)も見直しましたが、再度、映画としてよく残してくれたと感嘆しました。そして、全然違うきっかけから北野武監督の『ソナチネ』を見て、これは、ヤクザの世界のことであるが、北野監督は沖縄での戦争をも視野に入れて違う形で撮った映画なのではないかと思えました。死ぬことがわかっていながら沖縄に行くことになってしまう主人公。沖縄の美しい自然の中で悪ふざけをして愉しむ姿が可笑しくもあり悲しくもあるという死の匂い。何の表情も見せずに撃ち込むピストルの弾。エンドクレジットの後に映る、時間が過ぎ去り忘れられてしまった当時の釣り道具や舟の残骸の映像。

ハクソー・リッジ』を見たなら、日本側からの沖縄の映画『沖縄決戦』でも『ひめゆりの塔』でもいいですから見て欲しいですね。沖縄に住む人々や兵士がどう闘い亡くなっていったのかを。岡本監督が一番こだわったのは場面は戦闘場面ではなく、夜間の雨も中での群衆の撤退場面だそうです。この場面がなければこの映画を撮る意味がないとまで言われたそうです。そして是非見て欲しいのが『ソナチネ』です。ヤクザ映画と同じにするなというかたもあるでしょうが、設定は違いますが人間の虚しさが共有できます。 映画『沖縄 うりずんの雨』『激動の昭和史 沖縄決戦』

深作欣二監督が、『仁義なき戦い』シリーズで1作目の最初に広島のキノコ雲を2作目から5作目の最後に必ず広島の原爆ドームを映したのは、深作監督の中に燃えたぎる上に立つものへの怒りです。

沖縄の地に立った時、沖縄戦の映画をみているかどうかで感じ方が違うでしょうし、その後で沖縄の自然を満喫していただきたいです。<ハクソー・リッジ>は浦添市の<前田高地>だそうで『沖縄決戦』では、<嘉数高地>とか<棚原高地>などはとらえられましたが、<前田高地>は気がつきませんでしたので再度時間的経過などを確かめつつ見ようと思います。

かつて学徒出陣で戦争に行きやむなく命を絶った村野弘二さんのことを書きましたが、村野さんの作品が7月30日、東京芸術大学で開催されるコンサートで聴くことができます。   白狐の「こるは」

東京藝術大学130周年記念「戦没学生のメッセージ(スペシャル・プログラム)~戦時下の東京音楽学校・東京美術学校」

童謡「夕焼け小焼」(中村羽紅作詞)を作曲した草川信さんの長男である草川宏さんも東京音楽学校に在学し戦没され、今回『ピアノソナタ』が演奏され、その他の在学した戦没者の作品も披露されます。志なかばで亡くなられた若い人々の、生きておられればやりたかったことの作品が紹介されるわけです。入場券はチケットぴあでも購入できます。

村野弘二さんは作曲家の團伊玖磨さんと同期で、團さんは生きてもどられ、團さんの書かれた随筆『陸軍軍楽隊始末記』を映画化されたのが松山善三監督・脚本による『戦場にながれる歌』で4月にラピュタ阿佐ヶ谷で見ることができました。

戦争末期で音楽経験のない人がほとんどで、猛特訓の末戦場へて旅立ちます。教官とのやりとり、珍演奏に笑いも起こりますが、次第に過酷さだけが映しだされ、映画としての引っ張る力が単調化してしまうのが残念です。森繁久彌さんが中国人で娘の結婚のために踊るため京劇の衣裳での出演で印象を際立てますが唐突な感もあります。後半、松山善三監督のヒューマニズムが多くの出演者を活かしきれなかったところが見受けられました。(児玉清、久保明、加山雄三、加東大介、藤木悠、名古屋章、青島幸男、大村崑、桂小金治、千葉信夫、佐藤充、小林桂樹、森繁久彌)

映画としては、岡本喜八監督の『血と砂』のほうがエンターテイメント性が強いのに心に沁みる度合いが濃いです。音楽性からいっても。松山善三監督のほうは、真面目に多くのものを取り入れ拡散したように思います。岡本喜八監督は、ハチャメチャに撮っているようでいながら一人一人の人物像が生きていて、伝わってくるものがあるのです。  映画 『血と砂』

若人たちが戦争で出来なかったことの遺作が整理され発表され、今の人々とつながることによって鎮魂となれば、こちらも少し救われます。

映画『ハクソー・リッジ』から、戦争での若人の命が投影され、再び光輝くきっかけとなりました。映画館は若い人、中年、老年まで巾ひろいかたが鑑賞していたのが嬉しいです。捉え方はそれぞれでいいとおもいます。色々思い起こさてくれた映画でした。

 

音楽劇『マリウス』と前進座『裏長屋騒動記』

3月日生劇場での音楽劇『マリウス』は、映画監督山田洋次さんが脚本・演出で、5月国立劇場での前進座『裏長屋騒動記』は、脚本が山田洋次監督で演出が小野文隆さんでした。

『マリウス』(「マリウス」「ファニー」より)は原作がフランスのマルセル・パニョルで、日本映画としては日本を舞台として山本嘉次郎監督の『春の戯れ』、山田洋次監督の『愛の讃歌』があります。

あらすじとしては、フランスの港町のマルセーユで恋仲のマリウス(今井翼)とファーニー(瀧本美織)が将来を約束しますが、マリウスは船乗りになる夢が捨てがたく、マリウスの気持ちを尊重してファニーは彼を後押しして海に出してしまうのです。ファーニーはマリウスの子どもを身ごもっていて、マリウスが数年してもどったときにその事実を知りますが、ファニーは、お金持ちの商人・パニス(林家正蔵)と結婚していました。

マリウスは自分の子どもであると主張しますが、その時マリウスの父・セザール(柄本明)がマリウスにいう言葉が心に沁みます。「あの赤ん坊は生まれたときは4キロだった。今、9キロもある。その5キロがなんだかお前にわかるか。情愛ってやつだ。その5きろのうち情愛を一番たくさんやってるのがパニスだ。」

ここにきて、セザールの柄本明さんが、この台詞で全部持って行かれた感じでした。それに負けじと最後は今井翼さんが、『男はつらいよ』のテーマソングから始まるフラメンコを披露してくれました。新橋演舞場での『GOEMON 石川五右衛門』のときよりもフラメンコの腕が上がっていました。

フラメンコは盛り上がりましたが、音楽劇のためか、港町の様子の人物設定などはよく作られたと思いますが、セザールが経営しているカフェでの人々の動きに物足りなさを感じさせられ、そのあたりが残念でした。

映画『春の戯れ』(1949年)は、高峰秀子さんと宇野重吉さんの共演とあって数年前に観たので記憶が薄れていますが、場所は明治の始めの品川で、初めのほうの、宇野重吉さんのマドロスには違和感があり、後半は高峰さんがしっかりした奥さんになっており、二人が再会しての高峰さんと宇野さんの台詞のやり取りにはさすが聞かせてくれますという場面でした。その程度の記憶でしたので、『マリウス』と『春の戯れ』が同じ原作と知り、あの違和感は日本の設定にしたということのように思えました。

映画『愛の讃歌』(1967年)のほうは、舞台と違いカメラが動いてくれますから、設定場所も自在に動いてくれます。場所は瀬戸内海の港町で伴淳三郎さんの食堂を手伝いながら小さい妹を育てるのが親のいない倍償千恵子さんで、恋人役が中山仁さんです。この食堂に集まるのが、個性派の千秋実さん、太宰久雄さん、渡辺篤さん、左卜全さんと医者の有島一郎さんたちです。

海からもどってきた息子は事実を知って父の伴淳さんと対立して飛び出し、その後父親は亡くなってしまいます。倍償さん親子と妹を預かっていた有島さんは、倍賞さんに居場所のわかった中山さんのところへ行くように勧め、見守っていた食堂の仲間たちは、港から倍償さんと子供を見送ります。亡き伴淳さんの親心に対し有島さんがこれでいいだろうというところが、この映画の心でもあります。

港の人々の生活感や心情などからしますと、映画『愛の讃歌』が一番若い二人を支える心情がしっくりくる作品となりました。

前進座と山田洋次監督のコラボ『裏長屋騒動記』は、落語の「らくだ」と「井戸の茶碗」を合わせての喜劇そのものとなりました。裏長屋に嫌われ者の<らくだの馬>と「井戸の茶碗」の<浪人朴斎とお文の父娘>を隣同士に住まわせるという設定がよかったですね。突然らくだが朴斎の家にフグを料理するために庖丁を借りに来たのには驚きと笑いでした。別の噺の登場人物がお隣さん同士なのです。考えてみればありえますよね。

この噺とお隣さん同士をつなぐのが、くず屋の久六です。自然に行き来できる人物で大活躍です。

それを取り巻く長屋の住人。井戸端と共同便所。これで、裏長屋で二つの噺が展開できます。落語では、らくだは嫌われものであったということですが、芝居では嫌われ者のらくだの馬が登場して、亡くなっても長屋の人々はホッとするのがよくわかります。

馬の兄貴分の緋鯉の半次がこれまた強面のごり押しの人物ですから長屋の人もさっさと帰ってしまい、そこからは半次とくず屋と大家と死人の馬とのやり取りですが、これはよく知られているのではぶきます。

朴斎は元武士ですから考えが硬いのです。くず屋は朴斎から買った仏像を高木作左衛門に売りますが、その仏像から50両でてきます。作左衛門はお金は受け取れないとし、朴斎も受け取れないとくず屋は行ったり来たりあたふたです。生真面目な売り手買い手と、とんでもないキャラの作左衛門の藩主赤井剛正が登場したりしますが、お文は作左衛門とめでたく結ばれ、長屋から木遣りのなか嫁入りとなります。

笑い満載の『裏長屋騒動記』でした。お芝居の基本がしっかりしていて、それを膨らます役者さんの芸もそろい、気持ちのよい笑いを楽しむことができました。前進座の大喜劇作品が一つ加わりました。

くず屋久六(嵐芳三郎)、緋鯉の半次(藤川矢之助)、らくだの馬(清雁寺繁盛)、朴斎(武井茂)、お文(今井鞠子)、高木作左衛門(忠村臣弥)、赤井綱正(河原崎國太郎)

先代の國太郎さんが出演している『男はつらいよ』12作「私の寅さん」は、旅に明け暮れる寅さんが、おいちゃん夫婦と博・さくら一家が九州に旅行に行ったため留守番をするという逆パターンの作品で、寅さんは自分が心配しているのに電話をしてこないと怒ります。そこから自分がいつも心配されていることには一向に気がつかないという寅さんらしさが可笑しいのです。

マドンナの岸恵子さんが売れない絵描きで、その恩師が國太郎さんで、出は少ないですが、岸さんが想いを寄せていた人が他の人と結婚することをさりげなく告げるという重要な役どころです。岸さんのコートの裏があざやかな緋色なのも印象的な作品です。

前進座が創立80周年記念作品として上演された『秋葉権現廻船噺』は観ていないのですが、日本駄右衛門が主人公で七世市川團十郎も演じています。7月歌舞伎座は海老蔵さんが通し狂言『駄衛門花御所異聞』で演じられます。楽しみですが、海老蔵さん飛ばし過ぎのときがありますから、しっかりとした作品に仕上げられることを期待しております。

 

『平家物語』と映画『天国と地獄』の腰越(3)

満福寺>から海に向かって歩いていきますと小動の信号がありましてそこを渡って見渡しますと、七里ケ浜、稲村ケ崎、由比ケ浜、材木座海岸などがカーブして目にはいります。この信号から海に突き出ているのが小動岬で、その一番高い所に<小動神社>があり、展望台があります。

 

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小動神社>の説明板によりますと、<小動(こゆるぎ)>の地名は、風もないのにゆれる美しい松「小動の松」がこの岬にあったということに由来し、弘法大師がこの松の命名したともあります。文治年中(1185年)源頼朝に仕えた佐々木盛綱の創建と伝えられて八王子宮を勧進したが明治に入って<小動神社>と改名しています。新田義貞が鎌倉攻めの時には、ここで戦勝祈願したともあります。

7月第一日曜日から第二日曜日にかけておこなわれる天王祭は、江の島の八坂神社と共同で、この時は、御神輿やお囃子と江ノ電が路面で仲良くすれ違うようです。

展望台のところには、「幕末相模湾の忘備を固めた腰越八王子山遠見番所」とあり、おもに異国船渡来の通報拠点としての役割を担っていました。歴史的重要人物の名が飛び交う<腰越>でした。

 

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国道134号線を挟んで<小動神社>の向かいにある<浄泉寺>は、空海開山といわれ、寺子屋が開かれていて、明治に入ってから一時は腰越小学校としての役目も果たしていました。134号線を江の島方面に向かいますと<腰越漁港>がありました。整備されていて、静かな小さな漁港です。

手前の漁業組合の販売所に、「朝とれフライあり」というのが目につきまして入ってみました。そこで食べる人、お持ち帰りの人ありで、アジとサバのフライが一枚から受け付けていて、名前と枚数を書いて「食べていきます」とアジ一枚を注文しました。新鮮な出来立てのアジフライ、中の身は柔らかく外はカリカリで美味しかったです。映画の撮影場所で美味しいものまで食べれて満足でした。

そこから海岸沿いを歩いて鵠沼(くげぬま)海岸まで行きたかったのですが、暑いので江の島の弁天橋を渡り、小田急江ノ島線の片瀬江の島駅から電車に乗りました。小田急江ノ島線は初乗りです。JR、江ノ電に比べると小田急の走る音が一番静かなような気がしました。江ノ電は細かくカーブするので音がでるようで、それがまた魅力なのでしょう。

そんな江ノ電も映画『天国と地獄』公開のころは、江ノ電廃止の検討もされていました。マイカーブームに押されてしまったのです。東京オリンピックの時は江の島が競技会場となり、選手輸送の貸し切りバスでバス部門は追い風でした。しかし残すことを選び、交通渋滞やオイルショックから乗客がもどり今に至っているわけです。

まだ乗っていない<大船>からの湘南モノレールというのが江の島まで走っていますので、こちらも次の機会には乗ってみたいですね。

一応<鵠沼海岸駅>で降りて海岸方向に向かったのですが、行って戻ってくるのもしんどい気分でこれまた次に伸ばしました。<鵠沼海岸>は、小津安二郎監督の映画にでてくるのです。

映画『天国と地獄』の題名ですが、犯人の竹内銀次郎が横浜の自分の住んでいるところは地獄で、権藤金吾が住んでいる高台の冷暖房完備の大きな家を天国だと言ったのです。その天国から権藤は引きずり降ろされたわけです。

しかし、権藤は誘拐されたのが自分の子供ではなかったのに身代金を払い、子供の命を守った行為に対しては世間から称賛を得ました。そして彼には、見習工からたたき上げた靴職人の技があり、良い靴を作りたいという信念がありました。ほぼ戻って来た身代金で権藤は自分の小さな靴製造会社を始めていました。竹内は医者という立派な人命を助ける技を磨く機会がありながら彼はそれを間違った使いかたで天国を目指し、さらなる地獄へと落ちていくことになってしまいました。

結果的には、権藤は竹内によって天国でもない地獄でもない本来の進むべき道へと修正してもらったことになるのかもしれません。

その天国と地獄の実態を知っているのが、戸倉警部たちです。かれらは足を使って地図上の天国と地獄を立体化して見せてくれたのです。

<腰越>という旅の場所が風光明媚なだけではなく、海と山に挟まった地域の生活があり、そして歴史と共存しているところで、日帰りで滞在時間も短かったのですが厚みのある旅になりました。

何かまだあったようなと帰ってから気になり調べましたら、腰越駅の次の鎌倉高校前駅は、ホームから前面が海、海、海の湘南の海で、映画『男はつらいよ』の第47作<拝啓 車寅次郎様>で寅さんが甥の満男に失恋の哲学を語るシーンがこの駅のホームだったのです。江ノ電さん、親しみやすくて、なかなか深いです。