新橋演舞場 『三月花形歌舞伎』 (夜の部)

「一條大蔵譚」(檜垣・奥殿)

この作品については2012年12月3日に<国立劇場12月歌舞伎『鬼一法眼三略巻』(2)>で、中村吉右衛門さんの一條大蔵卿について書いている。その甥の市川染五郎さんの初役である。染五郎さんは外見は二枚目であるが、二枚目半か三枚目の時のほうが伸び伸びと地なのであろうかと思わせられる楽しさがある。三枚目を演じているという空間がなく自然である。それゆえ<作り阿呆>は上手く演り通せるであろうと予想した。

吉右衛門さんに習われたのであろう。きちんと準えている。声の含みの自在さはこれからであろうが、柔らかさは申し分ない。あとは正気になってからのハラの深さであろうが、こちらは時間が必要と思う。時代の大きなうねりの中での一人の人間を演じる時、背中に時代を背負い、そこに踏みとどまりおのれの意思を通す人物像が見えてこなければならない。その空気を伝えるのは大変難易度が高いと思う。

吉右衛門さんは柔らかさと愛嬌に苦労されていたように思う。それを上手く出せたとき、本来の心理描写の上手さと合体し絶妙な大蔵卿となった。先人の歩いた道を辿らせてもらえばその距離感はわかる。それを何度か繰り返すと違う道からもと挑戦したくなり失敗したり手応えを感じたりして面白みが加わるのかもしれない。染五郎さんも憧れていた役であり、大蔵卿の支度をして宣伝写真を撮るときの喜びは大きかったようである。その喜びの分はこちらにも伝わってきた。次が楽しみである。

「二人椀久」

染五郎さんと菊之助さんである。美しい椀久と松山である。夢の中でやっと逢えた二人である。二人の連れ舞は美しさだけではなく、ほのぼのとした喜びと嬉しさと楽しさが欲しい。染五郎さんは初役ということもあるのか、踊りに硬さあった。菊之助さんは踊りこんでいる感がありリードされていた。それは松山が椀久を夢の世界に引き込むという点からすれば良いのだが、松山が消えてしまい現実では無かったのだという時、あの楽しそうな二人の世界をこちらにもう一度彷彿とさせ酔わせてもらいたかったのである。