柿葺落四月大歌舞伎 (二)

【第一部】 三、熊谷陣屋

「熊谷陣屋」での熊谷直実の腹の内を判ったつもりでいたが、もっと厚い深層部分があるような気がした。直実は、義経から桜の花の制札<一枝を切らば一指を切るべし>を与えらる。それは桜のひと枝を切ったら自分の指を切り落とせということで、この桜は敦盛で自分の指は自分の息子小次郎の事と解釈し、敦盛の身替わりに小次郎の首を差し出す。この首実検が「熊谷陣屋」の重要な場面なのである。直実は義経の言葉の解釈がこれで良かったのかどうか陣屋に帰るまでじっと考え続けたであろう。直実(吉右衛門)の花道からの出となる。

義経の言葉の解釈を間違えたら我が子を身替わりにしたことが何の意味もなくなる。直実はなぜ自分の子を身替わりにせねば成らなかったのか。ここでは敦盛は後白河院と藤の方との間に誕生した、院のご落胤なのである。そして直実とその妻・相模(玉三郎)は後白河院の御所に仕えていたとき恋仲となり不義の罪で死罪(職場恋愛は認められていなかったのかこの辺は不確実)となるところを藤の方に助けられ武蔵の国へ下り、今の地位となる。東国へ下るとき相模と藤の方は二人とも懐妊しており、その子が小次郎と敦盛なのである。

先ずは無官太夫敦盛を後白河院のご落胤に設定していて、直実夫婦は藤の方に命を助けられ一子小次郎がいる。この複線が凄い。さらに義経はこの事実を知っているのである。

義経の意を汲み首実検に臨もうとする直実の前に考えに入れていなかったシチュエーションが出現する。妻の相模が東国から陣屋に来ていたのである。今回、吉右衛門さんと玉三郎さんが顔を見合わせたとき、直実の心の動揺とどう対処すべきかを瞬時に考える直実の内面の動きが反射し、そうだこれは大変なことなのだと今まで以上に納得した。

さらに、妻相模を上手くあしらおうと思ったのに、藤の方(菊之助)までが来ていて、直実を敦盛の仇として切りかかる。直実はそれを押さえ、敦盛の最後を語ってきかせるのである。この物語が、相模と藤の方の出現によって出来た直実の見せ場で、芝居の話の筋と同時に役者の見せ場を作るための筋立ての素晴らしさと思う。直実は藤の方に語っていながら見えているのは小次郎なのである。何回かこの芝居を観ていると、ここは藤の方を忘れて父親としての直実かなと想像する箇所がある。吉右衛門さんの直実にもそれが透けて見えた。

藤の方は納得し敦盛の青葉の笛を取り出し吹くと障子に敦盛の影が、それは敦盛が身に着けていた鎧兜であった。この辺りは「平家物語」を基盤として観客も敦盛の死を想像している。敦盛の死と考えているとその後の展開が驚きでそうなのかと思うし、すでに小次郎と知っていても今度は役者の演じ方に目が行きそれぞれに楽しみ方がある。

いよいよ義経(仁左衛門)の首実検である。制札を前に仁左衛門さんの義経が「敦盛の首に相違なし」の前にちらっと直実に」対し情をみせ、ここで涙がでてしまった。「相違なし」で吉右衛門さんの直実はやっとほっと安堵する間もなく、相模が小次郎の首と知り、藤の方も立ち騒ぐ。それを制札で押さえ、制札を逆さまにして肩に受ける見得となる。この制札も小道具として大活躍である。

真実を知ってからの玉三郎さんの相模のくどきは初めてである。打ち掛けを使い、打ち掛けに包んだ小次郎の首をしっかりと抱きかかえ、観客にその顔をみせつつ嘆き悲しむ。菊之助さんの藤の方に同じときに生まれた小次郎の首を敦盛の首として見せ、藤の方の涙を誘う。座敷上で敦盛の死を嘆いた二人が、今度は庭先で観客に近づいて嘆き悲しむのも立場の逆転の設定として見事である。役の位置関係も見せ所でよくできている。

この後、義経は石屋の弥陀六を、幼いころ自分を助けた宗清と見破り敦盛を託すのである。全てが終わり直実は世の無常を感じ出家する。花道での有名な台詞「ああ十六年はひと昔。夢だ、夢だ」小次郎の生きた年を思い、さらにあの時自分の命は助かったがそれは何の為なのか。やるせなさ、せつなさが胸を打つ。

「平家物語」が史実のはっきりしない部分の多いこともあってそれを使い、新たな複線で役者の見所を作り、さらには人間の組織の中での個人の無力観、無常観をも引き出した芝居である。この芝居に押し潰されないように長い時間をかけて練り上げられてきたのである。