銀座の変化

新しい歌舞伎座の開場で東銀座界隈は地下も地上も開演と終演時は大賑わいである。一幕見も長い列である。歌舞伎に関しては後日として、歌舞伎の二部と三部の間が40分近くあったので三原橋の閉館になった映画館のある地下に食事に行く。三越側はもう地下に通じる下り階段がなく、時計のあった広告塔もなく道路の一部となってしまっている。信号のある歩道を回って反対側へ。まだ、銀座シネパトス1・2・3・と表示がある。地下に入り、開いているお食事処「三原」へ。映画「インターミッション」に出演していたご主人がいるお店である。

「カレーだとすぐ出来ますか」と尋ねる。「カツカレーでもなんでも」と。余り重いと次の観劇で眠りを催すので牡蠣フライカレーとする。カウンター越しにお味噌汁を受け取り、ジュウっとフライを揚げる音を聞きつつお味噌汁を飲んでいたら程好いころに出来上がる。牡蠣フライとカレーが楽しめるというわけである。歌舞伎座から歩いてきて食事しての正味時間25分位。思い立ったのが幸い、この地下のお店に寄ろうと思いつつ映画館のある間は実現しなかったことが実現した。それも映画に出てきたお店に。ご主人は映画と同じ雰囲気である。映画の中のご主人が良かったことを告げ再び歌舞伎座へ向かう。

映画「インターミッション」は映画評論家の樋口尚文さんが銀座シネパトスの閉館になるのを惜しまれこの映画館を舞台にされて撮った初監督の映画である。今だどのような映画評論を書かれているのか読んだことはないので映画監督しての出会いが先になった。その監督に賛同された俳優さんが多数出演している。秋吉久美子さん、染谷将太さん、香川京子さん、小山明子さん、水野久美さん、竹中直人さん、佐野史郎さん等。

閉館が決まった映画館を訪れた客たちの映画の休憩時間に話す会話を主に繰り広げられるオムニバス的展開である。「三原」のご主人は、お店の客の竹中直人さんがくじらのベーコンが美味しかったので四皿追加注文をすると「二皿」と答える。ご主人は美味しくても二皿が適当と思っているようである。竹中さんは「四皿」を主張。ご主人動じず「二皿」を主張。ただそれだけの事なのにこのやり取りが可笑しい。儲け主義でないご主人と客の意志を通そうとする竹中さん。この勝敗は見た人が決めることのようである。私はお店のご主人に軍配をあげる。

もう一つ気に入ったのは映写技師の青年。恋人に原発反対のデモに皆行ってるのにあなたはこんな所でアルバイトなんかしててと言われたとき、こんな時だから大島渚とか吉田喜重のの映画を映し続けていることに意味があると自信なさそうにに言う。どこにでもいそうな若者の雰囲気がいい。古い映画のフイルムなんかをつないで見ているお客に待たせないように頑張っている。それでいながら染谷さんにけりを入れられて。くやしい。蹴り返しなさいよ。奥野瑛太さんという役者さんらしい。風袋が上がらない感じで却って映画人の心を伝えた。この映画が公開前に大島さんも亡くなられた。今、大島監督作品で見返したいのは「愛と希望の街」と「少年」である。香川京子さんのインタビューの三人の巨匠の話も面白かった。竹中さんの映画作りのハチャメチャな話もどこが本当か嘘かわからず面白い。

「インターミッション」は自分の好きな休憩時間を見つければよいようにできている。。映画館のある地下が実際より奇麗な場所に映っていたのには驚いた。もっとレトロである。秋吉さんと染谷さんがそこで言い合う時後ろの映画紹介のビデオモニターの映像が凄い映画ばかり映していてそちらばかり見ていた。あと映画館の中にB級映画の説明文のようなポスターがあったが「八人の侍」「赤い山脈」のようなおちゃらかな映画名でも欲しかった。

そんなわけで、銀座の一部が映画の中にまた一つ押し込められたのである。

 

国立劇場 『通し狂言 隅田川花御所染 女清玄 』

若手の大抜擢での公演であるが、残念ながら若手の魅力が伝わってこなかった。

入間家の執権粂平内左衛門(くまのへいないざえもん・実は平家の残党)がお家乗っ取りを企み、入間家の桜姫の許婚頼国を殺す。平家側の北條によって滅亡した吉田松若丸は魔界から現れ平内と手を組み頼国に成りすます。松若丸は桜姫の姉の花子の許婚なのであるが、行方知れずとなって三年立つため花子は剃髪し清玄尼となる。

清玄尼は夢の中で松若丸と結ばれる。清玄尼は清水の舞台から飛び降りる。松若丸が清玄尼を助ける。清玄尼は松若丸を恋い慕う余り仏の道を踏み外して行き、清玄尼に思いを寄せる船頭の惣太に殺されてしまう。妹の桜姫も許婚の松若丸を追い松若丸に巡り逢うが、二人に嫉妬する清玄尼の霊が現れ、苦しめられる。

大詰めで、吉田家の郎党軍助や忠臣粟津六郎により清玄尼の煩悩の世界も打ち払われるのである。

短く整理するとこんな感じであるが、実際には、それぞれの思惑があり一筋縄ではいかない話である。中心は深窓のお姫さまが突然一人の男に対する恋慕の情から狂い始めるわけで、そこにお家乗っ取りの話が加わるわけであるが、上手く回転していかなかった。それは、複数の若手抜擢と、25年ぶりの復活狂言ということで基本経験の薄い若手が新たに役作りをしなければならなかったことにあると思う。福助さん(花子・清玄尼)一人で引っ張る形となった。錦之助さん、翫雀さん、男女蔵さんが出てくるとほっとしてしまう悲しさ。宗之助さんは形になっていました。何を言われようと大きな役をやり通されたのですから、次の挑戦の機会を松也さん、新悟さん隼人さん、児太郎さん達は虎視眈々と狙って欲しいと思います。

残念な事に赤坂の勘九郎さんの舞台は観れなかった。新しい歌舞伎座となるが若手の歌舞伎を見続けると、歌舞伎を成り立たせていく役者さんの修練の必要時間の長さと脇役の重要性を感じてしまう。一つ一つぶつかっていくしかないのであろう。

こちらもまとめつつ本当にそうなのかと自分の見方、感じかたに疑問視しつつ、ぶつかっているのである。次の時にはもっと自信をもって納得したいと願いつつ。

 

新橋演舞場 『三月花形歌舞伎』 (夜の部)

「一條大蔵譚」(檜垣・奥殿)

この作品については2012年12月3日に<国立劇場12月歌舞伎『鬼一法眼三略巻』(2)>で、中村吉右衛門さんの一條大蔵卿について書いている。その甥の市川染五郎さんの初役である。染五郎さんは外見は二枚目であるが、二枚目半か三枚目の時のほうが伸び伸びと地なのであろうかと思わせられる楽しさがある。三枚目を演じているという空間がなく自然である。それゆえ<作り阿呆>は上手く演り通せるであろうと予想した。

吉右衛門さんに習われたのであろう。きちんと準えている。声の含みの自在さはこれからであろうが、柔らかさは申し分ない。あとは正気になってからのハラの深さであろうが、こちらは時間が必要と思う。時代の大きなうねりの中での一人の人間を演じる時、背中に時代を背負い、そこに踏みとどまりおのれの意思を通す人物像が見えてこなければならない。その空気を伝えるのは大変難易度が高いと思う。

吉右衛門さんは柔らかさと愛嬌に苦労されていたように思う。それを上手く出せたとき、本来の心理描写の上手さと合体し絶妙な大蔵卿となった。先人の歩いた道を辿らせてもらえばその距離感はわかる。それを何度か繰り返すと違う道からもと挑戦したくなり失敗したり手応えを感じたりして面白みが加わるのかもしれない。染五郎さんも憧れていた役であり、大蔵卿の支度をして宣伝写真を撮るときの喜びは大きかったようである。その喜びの分はこちらにも伝わってきた。次が楽しみである。

「二人椀久」

染五郎さんと菊之助さんである。美しい椀久と松山である。夢の中でやっと逢えた二人である。二人の連れ舞は美しさだけではなく、ほのぼのとした喜びと嬉しさと楽しさが欲しい。染五郎さんは初役ということもあるのか、踊りに硬さあった。菊之助さんは踊りこんでいる感がありリードされていた。それは松山が椀久を夢の世界に引き込むという点からすれば良いのだが、松山が消えてしまい現実では無かったのだという時、あの楽しそうな二人の世界をこちらにもう一度彷彿とさせ酔わせてもらいたかったのである。

 

新橋演舞場 『三月花形歌舞伎』 (昼の部) 

四月となり新しい歌舞伎座での四月柿葺落興行が目出度くも始まっているのに、三月の観劇の足跡を訪ねてうろうろとしている。飛ばしても良さそうであるが自分の中ではそうもいかないのである。

「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん) 三笠山御殿」

造り酒屋の娘お三輪(菊之助)は七夕に愛の成就を願ってお供えした赤い糸の苧環(機織の麻糸を巻いたもの)を恋人の求女(もとめ・亀三郎)に渡し、自分は白い糸の苧環を持つ。ある夜、求女は苧環の赤い糸を橘姫(たちばなひめ)の裾に付けてついて行ってしまう。それを知ったお三輪は、自分の苧環の白い糸を求女の裾につけ後を追うのである。

橘姫は蘇我入鹿の妹で三笠山の入鹿の御殿に入ってゆく。官女は姫の裾の赤い糸をたぐり求女を中に入れる。だが、求女の裾に付いている白い糸はぷっつりと切ってしまう。ここに求女とお三輪の縁が切れお三輪の悲劇が始まり、お三輪の見せ所となる。今回はこの苧環が強い印象として焼きついた。それもお三輪の白の苧環が。

糸を切られたお三輪は迷いつつも御殿にたどり着く。ところが求女と橘姫が今夜祝言をあげると聴き、気も狂わんばかりの心境で何とかその祝言を見たいと官女たちに頼む。この官女たちが意地悪で散々にお三輪をいじめる。この辺りは菊之助さんは可憐に辛抱強く耐え形も綺麗である。いじめられつつも奥の様子が気になり何とか一目求女に会いたい気持ちが伝わる。官女達はお三輪を置き去りにして去ってしまう。我慢に我慢を重ねたお三輪の耳に求女と橘姫の祝言が終わったとの知らせ。お三輪は怒り狂う嫉妬が顔に表れる。そのお三輪を漁師鱶七(ふかしち・松緑)が刺し殺す。何という理不尽か。

鱶七は入鹿と敵対する藤原鎌足の家臣で特別の鹿の血と激しい嫉妬の人相の娘の血を横笛にそそいで吹くと、入鹿が正体を無くし入鹿を倒すことが出来、求女は実は鎌足の息子であるとお三輪に告げる。それを聴いたお三輪は求女の役に立てた事を喜び旅立つのであるが、この話を聴いたときからのお三輪の糸の切られた白い苧環を愛しそうに抱きかかえつつ表現する菊之助さんの悲しさと儚さと淡い満足感が何ともいえない。この時の苧環の使いかたは絶品であり、記憶に残したい場面である。淡く消えそうであるが。

「暗闇の丑松」

この話は暗くて好きな部類ではないと思っていたら、若手で見たら、若者の信じていた者に裏切られた悔しさと、世の中からはみ出した鬱屈したやるせなさが伝わり面白かった。祖父二世松緑さん、父三世松緑さんが演じられ現松緑さんは初役だそうである。お二人のは見ていないが、何回か演じられると若さだけではない深みが出るかもしれない。

丑松の女房お米の梅枝さんも血の気の多い丑松に対比して古風で芯を秘めた悲恋の感じを出し、丑松が怒りを爆発させる原動力となり納得できた。

簡単にあらすじを。丑松にはお米という恋女房があるが、その母親がお米を妾奉公に出そうとしたため、丑松はその母を殺してしまう。丑松はお米を信頼していた兄貴分に預けるが、この兄貴分がお米を女郎にしてしまい、偶然にもお米は客として丑松と会ってしまう。丑松は兄貴分を信じていて、お米が自分から他の男に騙されて身を崩したと思ってお米の話を信じない。お米は絶望し死を選ぶ。事実を知った丑松は兄貴分を湯やで殺す。

丑松とお米が想像もしていなかった場所で会ってしまう丑松の驚き。この女の為に俺は人を殺めたのか、何という馬鹿であったか。恥ずかしくて居たたまれないのに、自分の話を信じてくれない夫への絶望感。死を覚悟しそっと夫を部屋の外から覗くお米。その二人の繋がらない糸の切ない空間を心理的にもよく出していた。ここまでは期待していなかったので面白かった。

江戸時代の湯やの様子を楽しめる作品である。

尾上菊之助さんは私生活では綺麗に糸が結ばれたようで喜ばしいことである。