朝倉彫塑館にて朝倉摂さんを偲ぶ

神楽坂散策 (2) で、朝倉文夫さんの住まわれていた<朝倉彫塑館>へ行こうと言っていたのであるが、ちょうど桜の時期と重なった。皇居の坂下門から乾門の通り抜けができると云う事で、ではそちらを先にして、最後は浅草寺の伝通院の庭も公開しているから最後はそうしようと予定したが、あまりにも皇居は待ち時間が長いようなのでそちらを止めて朝一を谷中とする。この友人達は予定通りが通用しないので、予定は立てるが未定である。

日暮里で待ち合わせ、少し早いので夕焼けだんだんの階段から谷中銀座へ。その前に経王寺で幕末の上野戦争のとき彰義隊を匿い砲撃をうけた弾のあとを山門の扉で確認し教えることができた。お店はまだ準備中であったがお酒屋さんの店頭にコップ酒を売っていて、すでにビールを飲んでいる若いカップルもいる。日本酒の好きな友人はさっそくゲットして、散策しつつの飲酒である。それも大目にみてくれる谷中銀座である。安い高いと値踏みしつつ、よみせ通りにぶつかったので引き返し<朝倉彫塑館>へ。そこで友人が「朝倉摂さんが亡くなったのよね。」「えっー!」である。「91歳。高校時代から好きで彼女に憧れてその頃舞台裏の手伝いしていたのよ。」初耳である。私はいつからであろうか。何かのコメントか対談かで、この人は素敵な人であると思ったような気がする。そして舞台美術にかける情熱が男女関係なく人として伝わってきたのである。さばさばされていて、大袈裟なことは言われない。そこも気に入り、どこかで仕事をされておられるであろうと思うだけで心強くなれる方であった。大きな劇場の舞台も小さな劇団の舞台も同じように面白がられて仕事をされていた。

彫塑館の中でスタッフの方に亡くなられた事を尋ねると、とても気さくな飾らない方で、父上のお墓に来られた時はこの彫塑館にも寄られて長居はせず、こちらに気を使わせない方であったそうである。テレビの紹介番組でも、年齢に関係のない色使いのカジュアルな洋服で肩に力が入らず前を見つめる方であった。素敵な生き方の女性先輩がまた一人旅立たれてしまった。笑顔を残されて。

それぞれ発見することが違うので面白い。一階の和室で池に面して座ると、その池が窓の下を通って流れているように見えると友人がいう。そういう風に作られていると。座ってみると本当に池は軒下で終わっているのに、軒下をも水が流れているように思える。そうみえる窓の高さなのである。人の目の錯覚は面白いものである。ここにも縁側の廊下の一部に畳敷きがある。これを<入側>という。これは、世田谷の瀬田四丁目の旧小坂邸でボランティアの方から教えてもらったのである。静嘉堂文庫美術館へ行ったとき、小さな門がありここから美術館に行けるのであろうかと樹木の中を上って行くと一軒の家があり入れるらしい。声をかけるとボランティアの方が出てきて家の中を案内してくれたのである。この高台は国分寺崖線沿いで、かつて多摩川を眺め多摩川で遊ぶ別荘地であったらしい。その文化財も立派であるが、飾られているお花に季節感があって古い家に合っている。桃の節句に合わせて活けて有り、無料で生け花を教える試みもしているそうである。こういう日本家の光の中で花を活けるのは心が落ち着くことであろう。といいつつ、なんとか言うのよと、<入側>が思い出せず後でメールで友人達に知らせたのである。

良く晴れた屋上庭園に白い清楚でありながら可愛らしい花の咲く木があった。何であろうか。解らないので帰りにスタッフの方に聞くと<梨の花>であった。朝倉摂さんを偲ぶに相応しい花のように思えた。<梨の花>

路地で見かけたお蕎麦屋さんでたっぷり時間をとり、地図も見ず千駄木方面へ気の向くまま歩き、三崎坂にさしかかると空模様が怪しい。雨の時は国立博物館に逃げ込む事にしていたら、バス停があり人が待っている。そのバスが上野公園にいくというので乗り込む。国立博物館は春の庭園公開時期なので、傘をさしつつのお花見である。常設展の小袖と打掛の色、刺繍などにみとれ、休憩場所で取り留めない話に花を咲かせる。思い起こすにこの友人達とはよく雨に合う。それも一時的な雨である。町歩きよりも口歩きなのでお日様が気をもまれて水撒きされるのであろうか。