新国立劇場 『マニラ瑞穂記』

<秋元松代>の名前をインプットしたのは、若い頃、「かさぶた式部考」と「常陸坊海尊」を読んでからである。これは何なのであろう。うまく説明できないが、面白い。でも摩訶不思議な重層性がある。そして棘もある。ずーと時間が立って、蜷川幸雄さん演出の「近松心中物語」が有名になり、大劇場で公演が続いても、これがあの秋元松代さんの作品とは結びつかなかった。秋元さんの作品が大劇場で公演されるものとは思えなかったからである。

『近松心中物語』を観ても、「秋元松代の世界だ!」とは思えなかった。今回『マニラ瑞穂記』を観て、「近松心中物語」も秋元さんなのだと思えた。

『マニラ瑞穂記』の女衒・秋岡伝次郎は、矛盾を抱えつつ生き抜いていく男である。秋岡にはモデルがいて、その男の戯曲『村岡伊平治伝』を秋元さんは書いている。『マニラ瑞穂記』の中で秋元さんは、秋岡を肯定も否定もしていない。ただこの男を断罪できるのは女達だけである。女達は秋岡が自分たちの世界から逃げ出す事を許さない。

秋元さんは、この男の立場をとり、自分の生み出した作品のどれが多くの人に受け入れられようと評価されようと、それは作品の持っている手管と思われているように思える。私などは、「近松心中物語」だけが代表作でいいのだろうかと疑問に思ってきたが、本人の秋元さんはこだわっていなかったのかもしれない。ただ今回、『マニラ瑞穂記』を観劇でき、やはりこの簡単には説明できない時代性と人間性と生きようとする力と大いなる矛盾の重層性が<秋元松代>だと再確認したのであるが。

新国立劇場がこれを取り上げ、栗山民也さんが演出し舞台化してくれたことは喜ばしい。ベテランの千葉哲也さん、山西惇さん、稲川実代子さんに加え新国立劇場演劇研修所修了者の若き役者さんたちのコラボはしっかりしていた。こんな若い個性的な役者さん達が育っていたのかと心強かった。

脚本の緻密さと演出家の力もあるのか、女性たちが一人一人深く考える境遇ではないが自分を押し出して、自分は自分として描かれているのが気持ち良い。

秋岡(千葉)の矛盾を、解り易く、諭すような騙すような科白の高崎(山西)とのやりとりが面白い。アクが強そうでいながら秋岡を憎めない男としている高崎の山西さんのキャラと、男気もありながらすぐ自分を肯定し、さらに説得に乗る秋岡の千葉さんのやりとりは絶妙である。常に上手く自分の周囲の人間をまとめ様と努力する高崎の<いつまでこんなことをやっているのだ>には、国と国の利害関係の泥沼化をもさしている。

明治時代のフィリピン独立運動を背景とするマニラ領事館からこの芝居は展開されるが、フィリピン独立運動など知らず、スペインから独立し、アメリカ植民地期に、フィリピンに渡航する日本人が増えたのも知らない。森繁久彌さんの当たり役『佐渡島他吉の生涯』もその時代と関係があり、織田作之助さんの『わが町』も関係があるそうだ。村岡伊平治を主人公にした映画が今村昌平監督の『女衒』である。(パンフレットより) 川島雄三監督の『わが町』は録画して見ていないので近々見ることとする。

 

歌舞伎座 『鳳凰祭四月大歌舞伎』 (昼の部)

『寿春鳳凰祭(いわうはるこびきのにぎわい)』  <鳳凰>を、かつて歌舞伎座のあたりを<木挽町>といわれていた事にかけて読んでいるのである。<木挽町> 字といい響きといい残しておいてほしかった町名である。歌舞伎座松竹経営百年・先人の碑建立一年を記念しての<鳳凰祭>をことほぐ舞踊である。平安朝を舞台とする帝、女御、大臣、従者が艶やかに優雅に踊る。帝の我當さんの舞を観ていると、映画 『歌舞伎役者 片岡仁左衛門 (全六部)』(監督・ 羽田澄子)の十三代目仁左衛門さんが浮かび上がる。眼が不自由になられてから、身体は芸を覚えつくしていて、その立ち位置だけを歩数を数えて確認されていた。二十代の方々が映画に対し次のような感想を残されている。

<体の自由がきかなくなりつつも老いを感じさせないのがフシギでした><最初は老いていく現実をとらえたドキュメンタリーだと思って見ていたのですが、次第に芸の部分に引き込まれ、舞台の映像を見ながらいつの間にか涙があふれていました。>

来月は十四代仁左衛門さんも舞台に戻られるようで何よりである。

『鎌倉三代記』  これが難しい。三姫(「 本朝廿四孝」の八重垣姫、「祇園祭礼信仰記」の雪姫、「鎌倉三代記」の時姫) の一つである。八重垣姫と雪姫は、雀右衛門さんが印象的であったが、時姫は記憶として残っていないのである。今回は魁春さんであるから歌右衛門さんの形なのであろう。家康の大阪城攻めを鎌倉時代に置き換えている。三浦之助(梅玉)は城を抜け出し重態の母に暇乞いにくる。母・長門は未練がましいと逢おうしない。そこに許嫁の時姫(魁春)が長門の看病にきている。時姫は敵将時政の娘である。父の使いの藤三郎(幸四郎)が向かえくるが帰らない。三浦之助に夫婦の契をとくどく。三浦之助は夫婦になりたくば、父時政を討てという。時姫は父を討つことを決意する。藤三郎は実は佐々木高綱で、時姫に時政暗殺を仕向ける計略であった。高綱の戦話となる。

時姫の口説きが見せ場であるが、三浦之助に夫婦の契をと長門のいる部屋を気にしつつせまるが、その後、父を殺す決心をする所がさらーと流れて、もう決心してしまったのという感じであった。もう少し濃くてもよいのではないか。そのため三浦之助の受けも薄く感じた。高綱に なってからの幸四郎さんが時代味があってよかったが、もう少し時姫が濃ければ計略の意外性に見る側も驚きが強くなりドラマ性が出ると思うのだが。

『寿靭猿(ことぶきうつぼざる)』  三津五郎さんの歌舞伎復帰である。主人から矢を収める靭を猿の皮で修理するように命じられた女大名・三芳野(又五郎)と奴・橘平(巳之助)の前に猿が現れる。猿の主があるであろうと奴の巳之助さんが<ぬしに早く会いたいものである>というのが合図で猿曳寿太夫(三津五郎)が花道から現れる。一つの芸が戻ってくるということは本当におめでたいことである。猿曳きは猿は渡せないという。猿のしぐさがなんとも可愛いのである。三芳野は、では弓で射るという。猿曳きはムチで打ち殺す急所を知っているため自分が殺すという。ここからの猿曳きの苦しい心の内を三津五郎さんは猿を相手に情を出し丁寧に表現される。猿が舟を漕ぐ芸を無心に繰り返すのを見て、三芳野は猿を助けることにする。ホロりとさせ最後はほのぼのとさせてくれる。巳之助さんの奴の踊りを観て、奴凧を思い出す。奴というのは奴凧の体つきが必要なのだと気付かされた。

『曾根崎心中』。<坂田藤十郎一世一代にてお初相勤め申し候> これで終わりという事ではない。これで終わりと思う性根で勤めますとの意と解した。生玉神社で逢う場面は、お初の若さを強調されているようで違和感があったが、天満屋での縁の下に徳兵衛を隠し、周囲に気付かれないようにキセルを使ったり、足先で心中を決意する時の流れが絶妙であった。以前みたとき、この場面で気持ちがだれてしまったことがあり意外に思ったことがある。友人の九平次(橋之助)が生玉の場面でもいいだけ徳兵衛(翫雀)をいたぶり、天満屋でも言いたい放題で、お初と徳兵衛が次第に追い詰められていくのと上手く重なっていく。女中のとぼけた演技が、観ている者には可笑しいのであるが、悲劇に向かう二人にとっては難所の脱出である。そして、若いだけにどんどん二人だけの世界に入って行き心中へと向かっていくのである。曾根崎の森の場の舞台美術がよかった。森がすごく大きく、二人の人間が小さいのである。森の生命力に比べると若い二人の命が儚く、こんな小さな命が消えてしまうのかと慨嘆してしまう。緑のなかに、徳兵衛は緑系の地に縞模様。お初は白の着物に紫の帯そして赤い襦袢だったとおもうのだが、背景に映える色使いであった。