歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(4)

梅、松、桜の三つ子の兄弟のお嫁さんたちの様子を少し。<賀の祝>は、三兄弟の親の四郎九郎の古稀の祝いである。四郎九郎という名前が面白いが、菅丞相はお祝いとして白太夫という名前を送る。松王丸の女房・千代と梅王丸の女房・春は祝いの準備をしつつ、庭に揃った、桜、松、梅の木を夫になぞらえて、それぞれ褒めちぎる。ここも、桜丸の死という後半部分など想像出来ない、笑いをとる場面である。このお二人の着物の色がまた良いのである。千代の孝太郎さんは、先に起こるべき自分たちの悲劇など全く頭になく、浮き浮きとしている。梅王丸の女房の役者さんが誰か解らないでいたら「大和屋!」の声がかかり、新悟さんであった。古風な雰囲気が好い。

白太夫とともに戻った桜丸の女房・八重の梅枝さんは、松王と梅王が揃っても桜丸が姿を見せず、心ここにあらずの態である。それとなく全体の状況を感じとる白太夫の左團次さん。しかし、上機嫌だった白太夫は、松王と梅王の願い文に怒りをあらわにする。菅丞相のもとへ行くという梅王に浮き足だっていることを律し、時平の家来である松王は勘当を願い出たため、勘当を認め追い出してしまう。このとき、松王丸は、白太夫に悪態をつくが、梅王丸との稚気あふれるやりとりのまま<寺子屋>の松王丸に突入かと心配していたら、白太夫とのやり取りで、大人の悪へと変身していったのである。ここは、染五郎さん見せてくれました。これで、安心して<寺子屋>に入れる。梅王も追い出されるが、気にかかることがあるのか、そっと家の後ろに隠れるのである。

白太夫の松王と梅王に対する怒りは、桜丸に、「お前だけが間違えたのではない。あとの二人だって、お前と同じような間違いをおかすようなものだ。」と知らせているように思えた。何んとか桜丸を死なせたくないとの親心に映った。しかし桜丸は姿を表し、自刃の決意を告げる。八重を説得し、白太夫は親として悲しい立ち合いとなる。驚き現れた梅王丸夫婦にも看取られ、桜丸は、自らの責任を取るのである。どこか儚い菊之助さんの桜丸であった。あの、<加茂堤>での桜丸夫婦の若やいだ楽しそうな一瞬も、華やいだ女房達のかしましさも、梅王と松王の喧嘩も、それらは一時の、この一家の倖せの時間であった。

寺子屋を開いている源蔵宅へ、千代が息子を連れて現れる。一子の母として、松王丸の女房としての威厳と心根を見せる孝太郎さんである。やんちゃな田舎の生徒を束ねつつ、菅秀才(左近)守る源蔵女房・戸浪の壱太郎さんと、千代の対面である。ここでもよだれくり与太郎(廣太郎)という腕白っ子を出して、千代が息子をなぜ寺子屋へ預けにきたかなどとは考えさせないようにする。千代は、源蔵の息子という管秀才をきちんと確認する。息子の小太郎を置いて隣村まで用事を足しに行く時の千代と小太郎の別れ方に何か含みがありそうである。その後、その様子をよだれくりと小太郎の立派な文机を運んできた下男(錦吾)が真似をして笑いとる。

深い考えに囚われている源蔵の松緑さんが、花道を歩く。家に入って生徒たちを見回す。しかし、その目は宙を浮き思案は重いようである。戸浪が小太郎を紹介する。小太郎は殊勝に挨拶する。その顔を見て、源蔵に一つの考えが浮かんだようである。それは、苦しい選択であった。

歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(3)

河内の土師(はじ)の里に、菅丞相の伯母である覚寿(秀太郎)が住んで居て、大宰府に出立つ前、ここで伯母の為に自分の木像を彫りあげる。今でも<土師ノ里駅>という駅名が残っている。道真公は、<土師寺>へも訪れたらしく、その後この寺は、道真公の号に因んで<道明寺>と改められ、伯母の館での場面を<道明寺>としている。道明寺も現存しており、道明寺駅もしっかりとある。

芝居の方の<道明寺>は、木像が重要な役割を担い、菅丞相の木像が菅丞相の命を助けてくれるのである。

苅屋姫(壱太郎)は、覚寿の娘で、菅丞相の養女となっている。苅屋姫は姉の立田の前(芝雀)の計らいでこの館におり、菅丞相に会いお詫びをしたいと思って居る。母の覚寿は何んということを仕出かしてくれたかと、苅屋姫と立田の前を杖で打ちすえる。それを、隣室から菅丞相が止めるのである。しかし声のみで、隣室には木像があるだけである。今回は、ここですでに魂の込められた木像の力が暗示されたことが判った。この後、菅丞相の命を狙う者が、出立の時間を早めて向かえの輿に乗せるのである。この場面、初めて観た時、仁左衛門さんが奇妙な動きをされるなと思ったものである。後で納得したのであるが、木像が菅丞相になり、仁左衛門さんが菅丞相の木像になっていたのである。人形振りなのであるが、菅丞相の品格はそのままなのである。解ってからは、この動きが見どころの楽しみの一つとなる。

この悪人たちが、立田の前の夫・宿禰太郎(彌十郎)とその父親・土師兵衛(歌六)で、立田の前にさとられ、立田の前を殺して池に沈めてしまう。その立田の前を池から見つけ出すのがひょうきんな奴(愛之助)で、殺伐とした場面に笑いを入れる。そして、母の覚寿が娘の仇を討つのである。秀太郎さんが、二人の娘に対する、難しい立場を腹に据え、杖打ちと、仇討ちを見せる。そしてもう一つ、苅屋姫が来ている事をそれとなく菅丞相に知らせる。それを鏡でそっと見る菅丞相。

木像に危機を救われた菅丞相は、正式な輝国(菊之助)の迎えを受けての出立である。苅屋姫は堪え切れなくなって姿を現す。しかし、檜扇をさらっと開き顔を隠す菅丞相の仁左衛門さん。大きな袖、檜扇で別れの心理状態を表す機微。こういう形式は歌舞伎ならではの美しさである。さらさらと檜扇の音を聞いた気持ちになっている。

梅王丸はあとを追って飛ぶといい、桜丸は自らを散らせ、松王丸はつれないと言われて悔しがり、源蔵は筆法伝授などより御目文字をと願った御方は、ついに別れを言葉にされず、人々に心を残されて大宰府へと旅立たれたのである。