道成寺・紀三井寺~阪和線~関西本線~伊賀上野(4)

<道成寺><安珍清姫鐘巻縁起>で話は終わらない。この後この鐘はどうなったのか。二代目の鐘が再興されるが、これが戦国時代を経て流浪の旅となり、今は京都の妙満寺蔵となっているのである。

鐘が再興され、その鐘供養の日に、美しい白拍子が現れる。実はそれは、清姫の亡霊であったという、能、歌舞伎などの芸能で、さらに鐘は注目の対象となる。この<道成寺>ものが数多く創作され、今現在、観るものを楽しませてくれている。 <絵解き説法>の部屋は縁起堂といわれ、様々の道成寺ものの演者の写真などが奉納されている。

その中で、<福島県白河市歌念仏安珍踊根田保存会>の写真がある。安珍は奥州白河の出身で、そこに安珍を供養する念仏踊りが残っているのである。さらに、沖縄の組踊にも、『執心鐘入(しゅうしんかねいり)』というのがある。熊野権現を信望する山伏修験者によって、語り伝えられ、沖縄の物語りと重なって作りあげられていったのである。この辺は、どなたかが道成寺もの演られるとき、もう一度しっかり探ることとする。

<安珍清姫鐘巻縁起>の前から<道成寺>はあったわけで、では、開設由来はないのかといえば、これまた、<宮子姫髪長譚>というのがある。しかし書くのはやめる。一つくらいは、行ったときに知るのも楽しいではないか。和歌山と大阪が近いと解ったし、関西空港って、和歌山と大阪の間? 奈良へ来るときは、京都経由だったが、関西本線使えば、連絡悪いが、忍者に近いではないか。今、忍者にはまっている。市川雷蔵さんの映画に近づいているともいえる。

<紀三井寺>。西国観音霊場第二番札所である。

 

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結縁坂(けちえんざか)

 

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今回の旅では4人ほど御朱印帳を持参していた。梵字もあったりして、墨と朱印が似合っていなかなかいいものである。ただ自分ではやろうとは思わない。楼門、鐘楼、多宝塔の朱色が鮮やかである。紀州の湧き出る三つの霊泉(清浄水、楊柳水、吉祥水)から<紀三井寺>と親しまれているとのこと。新仏殿の御本尊は、日本最大の木像で、金色が眩しい大千手十一面観音菩薩である。ここを開基された僧は、はるばる唐から渡られた為光上人とのことである。桜もまだであった。

 

三つの井戸の一つ清浄水

 

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ついに阪和線である。そして、天王寺駅から加茂駅までは大和路線である。奈良駅で降りず通過してしまうのが不思議な気持ちである。木津駅から加茂駅への風景が山の中に入って行く感じである。加茂駅で乗り換えるとき、浄瑠璃寺と岩船寺の写真があり、加茂から行けるようである。奈良からばかりと思って居た。改札で、行き方のパンフを聞く。あった。まずい。また見つけてしまった。加茂から、岩船寺、浄瑠璃寺とたどり、奈良へ出ればいいのである。

外は暗くなっていく。山の中にどんどん分け入っていく感じである。石川五右衛門が伊賀の生まれで、忍者であったという説もある。知らなかった。

観光的には、伊賀上野から、伊賀鉄道で上野市駅までいかなければならないのである。そこは、芭蕉の生まれたところでもある。伊賀鉄道の電車の網棚には、伊賀忍者の人形が目立って隠れていた。色がショッキングピンクや黄色なのである。難しい。隠れていなくてはいけないが、見つけてもらわないと面白がってもらえない。手裏剣シュシュシュ。

 

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神倉神社・道成寺・紀三井寺~阪和線~関西本線~伊賀上野(3)

昨年の旅では登れなかった<神倉神社>に登ることが出来た。美・畏怖・祈りの熊野古道 (新宮) で書いた明治大学での1月11日に行われた『第8回 熊野学フォーラム」にも参加した。<「がま蛙神」はなぜ熊野に出現したのか!> 山折哲夫さん、加賀見幸子さん、林雅彦さん、山本殖生(しげお)さんの4人の方が講演をされ、そのあと4人の方が自由に意見交換されたのであるが、なぜ<がま蛙神>なのかという結論は出なかった。カエルは顔や姿から好かれない面があるが、月には、うさぎではなくカエルが住んで居るというおとぎ話の残る国もあるらしい。

朝、小雨が降っていて、石段の滑るのが心配なので時間的ゆとりをとって予定より早く神社に向かった。三大社派は、本宮の熊野古道を歩くかどうかで時間配分が違うので、昨夜から別行動と決めていた。一度歩いているので道は解っているため今回も歩いて神倉神社下までスムーズに行ける。さて石段である。手すりがなく、不揃い石なので、ゆっくり慎重に登る。途中から石段の幅が広くなる。すると、カエルの綺麗な声が聞こえる。早朝で湿り気があり、石段と大きな<ゴトビキ岩>が反響効果を作ってくれているのか、私にとっては、<ゴトビキ岩>は俺様たちの守り神、ケロ、ケロ、ケロと聞こえる。自然界の調和した象徴のようにとれた。

 

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<神倉神社>に到達すると、眼下には、新宮の町があり、先には、熊野灘が霞んでいる。ここから、松明を持った人々が駆け降りる火祭りは、市内からは、火山が爆発したかのようにも見えるという。自然界の持つ威力を認識し、祈り鎮める。

<ゴトビキ岩>に静かな平和をと思いを込めて手を触れる。帰りの石段で、再びカエルの鳴き声で送ってくれた。神倉神社といえば、カエルしかない。

無事お詣りもでき、荷物を取りにもどり、次の目的地へ向かう。当地の新聞記事に、東くめさんの童謡『はとぽっぽ』が、4月からお昼のチャイムとしてながされるとあった。これで、歌碑の童謡もよみがえるわけである。三重県の亀山駅から和歌山駅までを紀勢本線、途中の新宮駅から和歌山駅までを<きのくに線>と愛称があるらしい。車中の路線案内に<きのくに線>とあり帰ってきてから調べたら、そういう事であった。頭の体操と考えればよいが、ややこしい。二つ名のある路線ということだ。ただあまりブツブツ切って欲しくない。ブツブツ。

電車からの海側の景色がいい。橋杭岩を眺めるのは三度目である。山もいいが、海もいい。山には桜の木が飛び飛びに満開で春の色を添えてくれる。旅の友が多いのも楽しいが、どういうわけか風景が残らないのである。目よりも、口と耳の活躍であるから。紀伊田辺駅前に武蔵坊弁慶の像があるというので降りる。

『義経記』に、熊野別当家の嫡子で幼名を鬼若といったと記述があることから、田辺が出生地とされているとのこと。紀伊田辺駅周辺は賑やかである。この辺りで、一日とってもいいのかもしれない。<まちナビ音声ガイド>なるものも、レンタルしているとある。

 

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田辺から南部(みなべ)、岩代、切目、印南(いなみ)、名田、上野、塩屋をへて日高川河口までを<清姫海岸>というとのこと。<道成寺>の『道成寺絵とき本』に載っていた。紀州路の最も風光明美な路線とある。清姫が裾乱し素足となり安珍を追った場所で、風光明美のなか、清姫の形相は次第に変っていったことになる。その場所であったかどうかは定かではないが、座席のない広い窓からしばし窓外の風景を楽しんだ箇所もあった。ただ、日高川を渡るところを注意していたのであるが、渡った所は想像していた日高川よりずっと細い川であった。

<道成寺>の宝仏殿で、<絵解き説法>を聞くことができた。時間が決まっているのですかとお聞きしたら、ご本尊を拝観したあとで始めますよとのこと。よかった。ここでどの位時間がかかるのかが心配だったのであるが、予定通り進めそうである。奈良時代の初代本尊千手観音菩薩は本堂におられ、平安時代の現本尊千手観音菩薩(国宝)は間近で拝観できる。明るいので、手に持たれている物の一つ一つがよくわかる。身の中心には両手で薬を持たれている。一番下の右手は、何も持たず優雅に優しく手を広げておられる。このお寺の説明をされ、自由に他の仏像もゆっくり拝観したころに声がかかり、別室で<絵解き説法>が始まる。

美しい修業僧・安珍が、熊野詣での途中で泊まった屋敷の娘に惚れられ、帰りに必ず寄ります。想いはその時にと約束するが、寄らずに帰ってしまったので、清姫は蛇に変身して日高川を渡り、安珍が逃げ込んだ道成寺では同情して鐘の中に隠れさせたが、蛇になった清姫は、鐘に巻き付き焼き殺してしまう。今も安珍塚と、鐘巻の跡が残っている。あの世で安珍は清姫と夫婦にされ蛇の姿で、道成寺の住職の夢枕に現れる。住職が弔って二人を邪道から解脱させ、目出度く二人は、天上界で結ばれるのである。説法として、妻を家の宝とすれば家も繁栄し、家庭は妻方極楽の浄土となるという教えである。

昔は、<絵解き説法>をするお寺が多々あったようであるが、今はこの、<道成寺>だけである。絵巻をくるくる回して、解かりやすく楽しい説法の一つの形である。

 

「道成寺絵とき本」

 

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